エミリー・レッドハンズが己のサーヴァント・バーサーカーの凶行に嘆息して、既に半日以上の時間が経過していた。にも関わらず、エミリーが外に出ようと言う気配はこの期に及んでも全く無い。拵えた質素な拠点、蝋燭の灯りだけが照らす薄暗い世界の中で小型テレビに映したニュース番組に目を向け続けている。
 では、彼女は自身のサーヴァントに全てを委ねて静観し、その癖彼の奔放な殺戮に頭を悩ましてみせる無能の典型例のようなマスターであるのか。それは、断じて否だった。
 エミリーは優れた暗殺者だ。鮮血解体の殺害遺品を持つ権利者にして、武者小路祝と言う少女を狙って極東に渡った暴力装置。幼い身体に歳不相応な知識と経験を詰め込んだ彼女は、朝の時点で当分の間は下手に動かない方が良いだろう事を確信し、メディアが提供する揺れ幅が大きい物ではあるが、情報を集める事に全力を注ぐ事にしたのだった。
 彼女には、確信があった。この聖杯戦争は、当初自分が予想していたものと明らかに違う。セオリーも糞も無い、宛ら子供が出鱈目に暴れ回る砂場か何かのようだ。
 当初は、そんな真似をするのは自分の所のバーサーカーだけだろうと思っていた。だが蓋を開けてみれば、どうだ。洋上に堂々と鋼鉄の艦城を出現させてみたり、破壊兵器もかくやの大火力で民間に災害規模の被害を齎してみたり。これで戦争は佳境でも何でも無く、序盤も序盤だと言うのだから気が遠くなる。

"これは――下手に動き回らない方が良いかな……"

 人間としてはいざ知らず、聖杯戦争のマスターとしては至極まっとうな思考回路の持ち主であるエミリーがそう考えてしまった事は誰にも責められないだろう。不用意に出歩けばアサシンに狙われるなんて大人しい話では最早無く、出先で"偶然"サーヴァントの戦闘に巻き込まれ、不運な犠牲者の一人として舞台から退場してしまう可能性さえ十二分に有るのが今の鎌倉の現状だった。少なくとも、今は黙して待つのが丸い。エミリーはそう結論付け、テレビの画面だけを注視した。
 とはいえ、彼女もずっと今のまま怠惰に時間を費やすつもりはなかった。それで勝利出来ると言うのなら構わないが、現実問題、聖杯戦争はそう容易い物ではない。
 バーサーカーがあれほど狂った男なのだから、彼の尻拭いをしつつ必要な時に手綱を引く役目が必要になるのは明白だ。言葉が通じる相手とはそもそも思っていないが、エミリーには対サーヴァント用の虎の子、令呪がある。対魔力スキルを持たないバーサーカーであれば、多くとも二画を費やせばまず確実に制止できよう。
 また――殺し殺されの世界に慣れている自分でさえこうなのだ。この有様に動揺している人間はきっと多いだろうし、前後不覚で街を彷徨っているような阿呆も少なからず居る筈。エミリーは、それを狩る。正々堂々、騎士道精神等という耳触りの良い言葉で手札を絞って戦う事は無意味が過ぎる。手段は選ばず、確実なる勝利を。それこそが、エミリー・レッドハンズという殺戮者にとっての聖杯戦争に他ならなかった。

 動き出すとなれば、夜。
 この様子を見るに被害は日が落ちても引かないだろうし、人の心がざわめく夜間帯であるに越したことはない。
 直に来る暗躍の時。この世界に来てからは久しく味わっていなかった殺しの感覚。記憶の中からそれを掘り返しながら、エミリーは自身の得物である刃を静かに見下ろす。

「やあ、エミリー。姿を見ないと思ったら、まぁだこんな陰気な所で蹲っていたのかい」

 そんな時――唐突に響く、軽薄な声。少年のようでもあり少女のようでもあるそれは、然し底知れぬ魔獣の唸り声にも似た、背筋を寒からしめる独特の波長に満ちていた。
 振り返れば、其処にはやはりケラケラと笑みを浮かべて佇む、バーサーカーのサーヴァントの姿がある。
 深雪を思わせる白髪。右眼を覆う眼帯。ナチスドイツの軍服、第三帝国の戦徒の証である鉤十字(ハーケンクロイツ)の文様。精神を病んでいるとしか思えない奇矯な装いの彼からは、僅かながらに血の臭気が漂ってくる。
 彼は一体、どれほど殺してきたのだろう。朝に殺戮した民間人だけでは、恐らく無いだろう。ひょっとすると自分これまで手に掛けてきた人数を、この狂戦士は今日のたった何時間かで飛び越えてしまったのではないかと、そんな事をすらエミリーは大真面目に想像してしまう。

「……バーサーカー」
「やだなあ、それは止めろって言ったろ? シュライバーで良いよ。僕は騎士団の中でもちょっとばかし特殊でね。所謂魔名とか、そういう特別な名前で呼ばれる機会がほぼほぼ無かったのさ。それに、サーヴァントの枠組みなんかを意味する記号で呼ばれるってのはあんまり気分の良い物じゃない」

 バーサーカー……シュライバーは笑顔を浮かべているが、これは"笑い"ではなく"嗤い"の類だ。
 いつこのフランクさが一線を超え、エミリーを物言わぬ肉塊に変えてしまうか分からない。聖杯戦争のサーヴァントがそんな真似をするかと言う話だが、彼に限っては、その時になれば間違いなくそうする。何ら躊躇いもなく、可笑しそうに笑いながら少女の喉笛を刳り千切るだろう。
 何故なら彼は狂っている――狂化だの何だの、そういう枠に当て嵌める事からして間違っている、救いようのない忌まわしき狂犬であるのだから。

「折角近くまで来たから、少しはサーヴァントらしく健気に報告でもしてみようと思ってね」
「……何か目立った事はあった?」
「まあ、幾つかはあったさ。サーヴァントも殺したしねえ」
「えっ?」

 さらっと語られた功績に、エミリーは目を丸くした。
 聖杯戦争は、そう単純なものではない。闇雲に殺し回ったからと言って、それで敵サーヴァントを首尾よく蹴落とせるかと言うと運や諸々の事情が絡み合ってくる。それを承知しているエミリーは、だから戦果には然程期待していなかった。いなかったのだが、その予想は良い意味で裏切られた事になる。

「す――すごい。ありがとう、シュライバー」
「礼には及ばないさ、これが僕の仕事だからね。それに、対して手応えのある奴じゃなかったし。
 ……ああ、そうだ。ついさっき戦闘したアーチャーのサーヴァントなんかは、その点結構なもんだったよ? あれはザミエルでもなかなか厳しいだろうね。マキナなら有利に戦えるだろうけど、いずれにせよもうちょっとゆっくり殺し合ってみたかった――」

 エミリーは改めて思う。この狂犬は確かにどうしようもなく狂っており、終わっている存在だ。
 だがその分、戦力としては最高峰の物があった。殺戮、殺戮。定石通りの聖杯戦争であれば、彼などは真っ先に目を付けられて運営から袋叩きに遭っていたのだろうが、完全にレールを外れた今回のような状況では最上に近い。凡そ一対一の正面戦闘において、シュライバーを倒せる英霊はかなり限られるだろう。
 尤も、それはこれからの戦いは楽勝だと言う話にはなり得ない。戦果自体は素晴らしいものだが、今の話に拠れば、彼を正面戦闘で打倒し得る猛者もこの聖杯戦争には招かれているらしかった。となると、此処から戦争がどう転んでいくかにはある程度の予想が付く。

「―――淘汰」

 所謂上級サーヴァントの猛威を前に、戦力で劣る者達は次々と弾かれるだろう。
 それが極まれば、最後に待つのはラグナロクの神話じみた潰し合いの地獄絵図だ。
 ただエミリーとしては、なるだけそれは避けたい事態だった。そんな事になれば、最早後は戦力の比べ合い。小細工や知略が通じる領域は完全に超越されてしまう。それは恐ろしい事だ。何しろ勝てる勝てないの図式が不確定要素無しに明確化されるのだから、擬似的な勝者の確定が起こるに等しい。
 妙な暗雲が立ち込め始めた事に僅かな憂いを懐きつつ、エミリーは質問を投げる為に口を開く。

「ところで……ザミエル、とかマキナ……って言うのは?」
「同胞さ」

 同胞――これほど恐ろしい単語は、今のエミリーにはなかった。
 何せ彼女はつい今、ウォルフガング・シュライバーの強さを実感したばかりなのだ。その彼と同格に戦えるレベルのサーヴァントが、先程彼が語ったアーチャーに加えて二騎。

「尤も、僕は誰と戦っても負けないけどね」

 そんなエミリーの不安を見透かしたように、シュライバーはカラカラと笑う。
 弱気になるエミリーを励ます為の計らいとかでは、断じて無い。彼は単に頑然たる事実として、自分は負けないと豪語しているのだ。無謀な自信ではなく、確固たる経験と実力に裏打ちされた確信。轢殺の白騎士は誰より強く己を無敵と奉じるが故に、決して恐れない。
 その自信に僅かに勇気付けられたエミリーは口許を緩める。其処でシュライバーは、「そういえば」と手を叩いた。

「ところでエミリー。君は何だって、こんな冬空の下の野良猫みたいな真似をしているんだい?」
「……?」
「だーかーら、どうして己の手足で戦場に赴かないのかと聞いてるんだよ。その鉄屑、玩具って訳じゃないだろう?」

 ああ、そういうことかとエミリーは漸く彼の言いたいことを理解した。
 その理由は、前述した通りである。戦略的静観。時を待ちつつ、現状の理解に全力を注いでいた。そう伝えるエミリーだったが、然し聞いたシュライバーの顔に浮かんだのは、彼女が予想だにしなかった表情だった。三日月を描く口許。悪意に染まった瞳。そして、鼻から漏れた小さな声。
 ――嘲笑。この白騎士は、"つまらない"とでも言いたげに、己のマスターを嘲笑したのである。

「ハ――君はそういう思考をするのかい、エミリー」
「……なにが、可笑しいの?」
「可笑しいさ。真に願いを求め、未来を求道する者がよりにもよって時を待つだなんて、惰弱も甚だしい」

 シュライバーはくつくつと嘲りながら、エミリーの瞳を見据える。昆虫の複眼めいた不気味さを宿すその双眸で見つめられたエミリーは、瞳を反らす事も出来ない。針で生きたまま標本箱に縫い止められた蝶のように、今の彼女は無力だった。重ねてきた屍(スコア)の違いの前に、鮮血解体のオープナーはただ硬直するより術を持たない。

「良いとも。君は其処で蹲って怯えていれば良い。僕はこれまで通り、轢殺の勝利(わだち)を刻み続けよう」
「……っ」
「そして手にした願望器に、鼻水垂らした不細工面でも晒して願いなよ。どうやら君も敗北主義者らしいし、得意だろうそういうの? 精々愉快な顔芸で叫び散らせばいい。
 聖杯はきっと優しいさ。君のVaterも、完璧な形で蘇らせてくれるだろう。そうして蘇った愛しのVaterとの再会をベッドで祝しな、可愛い可愛い僕のエミリー。ああ、生みの親の男根をしゃぶった経験はあるかな? 股ぐらを弄られた経験は? それとも君のVaterは後ろの方が――」
「――シュライバー!!」

 エミリー・レッドハンズは、これまで自分のサーヴァントを"そういうもの"と認識していた。狂っているのだから、いちいちまともに取り合う方が馬鹿馬鹿しい。故に多少の暴言や過ぎた戯れは受け流していたのだが、親愛なる父の名誉を冒涜する物言いだけは我慢ならなかった。
 怒気を露わにし、口角泡を飛ばしながら叫ぶエミリー。それに対する返答は、右眼へ向けられる銃口だった。


「勘違いするなよエミリー。僕にとっては、"誰でも良いんだ"」

 ぐぐ、と銃口が前にせり出して。
 エミリーの眼球に、触れる。
 嫌悪感と激痛に、ぃっ、と声にならない呻き声が漏れた。

「君である、」

 そのまま、ぐり、と目の赤い部分に押し付ける。

「必要は、」

 鍵のように、回す。
 エミリーの口許から、涎が一筋垂れ落ちた。
 人体において決して鍛えられない部位である眼を痛め付けられる苦痛に、身体が自然と涙を流させる。

「無いんだよォッ」

 ようやく銃口が離れると同時に、エミリーは思わずその場に膝を突く。
 息は荒くなり、涙と涎が顔を伝い落ちていて、今の彼女は何処から見ても、歴戦の殺人者とは思えなかった。

「ま、そういう訳だから、僕は君にはあまり期待しないよ。かと言って死なれると僕も困るから、まあ適度に生き汚く足掻いててくれると助かるな」

 踵を返すシュライバーの背中に、エミリーは左手を伸ばす。それが伸び切る前に、白騎士の姿は虚空に解けて消えた。
 残されたのは、少女一人だ。彼女の考えは至極まっとうなものであり、本来このように糾弾されるべきものではない。
 では何故、此処に来て主従は一悶着を起こすに至ったのか。理由は、一つである。ウォルフガング・シュライバーは闇夜に潜んで獲物を狩る暗殺者ではなく、堂々と行進し、誉れの中で敵を轢き殺す殺戮の覇者であるからだ。
 秘匿し、隠れ、忍ぶ事に微塵の意義も感じられない彼ら。素性を晒す事を厭わず進軍する覇軍の爪牙と、現代に生まれ、已む無く殺人者となった少女とでは、そもそも話が成立する訳がない。常識観からして絶望的なまでに食い違っているのだから、こうなるのは当然の事。然しエミリーには、そう自分を擁護する余裕は無かった。

「……違う」

 違う。あの人は、彼が言うような汚らわしい人間じゃない。
 一番穢されたくない部分を土足で踏み荒らされた挙句、それに吼える事も満足に出来なかった自分が情けなくて仕方ない。無力感と、シュライバーの言葉により生まれた今後への焦燥感。手を汚した身とはいえ幼いエミリー・レッドハンズの思考を停滞させてしまうのに、それらは余りにも十分すぎた。

 テレビの灯りと蝋燭だけが照らす、薄暗く黴臭い拠点の中で。鮮血解体の少女は一人、打ち拉がれていた。


【D-4/エミリーの拠点/一日目・夕方】

【エミリー・レッドハンズ@断裁分離のクライムエッジ】
[令呪]三画
[状態]健康、無力感、右目に痛み
[装備]なし
[道具]ワンセグテレビ
[所持金]そこそこ。当面の暮らしには困らない。
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯狙い。手段は選ばず、敵を排除する
0:私は……
[備考]
※テレビで報道の内容とオカルト番組をチェックしています。


【バーサーカー(ウォルフガング・シュライバー)@Dies irae】
[状態]魔力消費(小)
[装備]ルガーP08@Dies irae、モーゼルC96@Dies irae
[道具]なし
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:皆殺し。
1:サーヴァントを捜す。遭遇次第殺し合おうじゃないか。
2:ザミエル、マキナと相見える時が来たならば、存分に殺し合う。
3:エミリーには然程興味はない。
[備考]
みなと、ライダー(マキナ)を把握しました。ザミエルがこの地にいると確信しました。
イリヤ、ギルガメッシュの主従を把握。




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038:伽藍の姫はかく語る 時系列順

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003:貪りし凶獣 エミリー・レッドハンズ 0:[[]]
032:血染めの空、真紅の剣 バーサーカー(ウォルフガング・シュライバー) 0:[[]]

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