日が落ちた鎌倉にて、灼熱の太陽を思わせる業火の波濤が轟いた。それは鉄骨を飴細工のように溶かし、瓦礫や人命を炭一つ残さず消滅させる焦熱地獄の大熱波。秘匿の意思など、真実絶無。常世の者よ刮目せよ、我らの進軍に震えるがいい。震え、慄き、逃げ惑い、我が炎を余す所なく脳裏に刻み付けよ。
 それはまさしく覇者の進軍だった。地獄と現世が繋がったような光景が悲劇の連鎖に晒される鎌倉市に顕現するに至った、とあるサーヴァントが吹っ掛けた"戦争"。その顛末を語る前に、我々は一つ知っておかなければならない。蒼の深淵を覗き込み、深奥にて微睡む死線の主を知らなければならない。

 そも。バーサーカー……玖渚友というサーヴァントは、決して強者などではない。
 嘗て日本中を震撼させた究極絶無のサイバーテロリスト集団、『仲間(チーム)』を統べる女帝。蒼色サヴァンとも呼ばれる彼女の頭脳は埒外の領域に達している。その凄まじさたるや、ある碩学が生涯を賭して積み上げた大研究を、その気になれば三時間そこそこの時間で完遂出来てしまう程だ。
 だが仮に彼女がバーサーカーではなく、その魔術師めいた手腕を評価されキャスターのクラスで召喚されていたとしても、マスターの為にその頭脳を全霊で使う事はまず無かったろう。彼女の全ては、ある一人の青年に向けられているからだ。もしも彼が消えたなら自分は世界を壊すと豪語し、現にこうして破壊の権化として召喚されてしまう程に、玖渚友は戯言遣いの青年を愛している。彼以外の人間が玖渚を召喚した所で、引き出せるスペックは全力の三割が精々だろう。
 要するに、玖渚友は戯言遣いにしか扱えないサーヴァントなのだ。理性を保ち、持ち前の頭脳が完全に機能するキャスタークラスでさえそうなのだから、怒れる破壊者として召喚された彼女を従えられるマスターなどそもそも居る訳がない。
 その気になれば総理大臣の座すら簡単に取れると称された天才中の天才・浅野學峯ですら、彼女の手綱を引くどころか、そもそもまともに運用する事さえ出来ていないのが現状なのだから、他の人間ならばまず間違いなく予選の段階で死んでいる。不運にもこのサーヴァントを召喚してしまった浅野は、持ち前の人心掌握術で市長の立場を勝ち取り、戦力面の欠落を他の面から補うことで今日まで勝ち残ってみせたが、そんな事が出来る人間など日本中見渡しても数える程しか居まい。
 そして何より大きいのが、この鎌倉の聖杯戦争に於いて、サイバー技術の関与する隙が余りにも少なすぎる事だ。もしもこれが電脳世界を舞台とした聖杯戦争だったなら、玖渚友は間違いなく最強クラスのサーヴァントとして鎌倉を地獄に突き落とした筈である。
 騎士王、大隊長、英雄王、赤薔薇王、第一盧生、奇跡の魔女、幸福の怪物――そういった恐るべき強豪達とも真っ向から鎬を削り、場合によっては討ち果たす事もあったかもしれない。それ程までに、サイバーテロリストの長であった彼女と電脳世界との親和性は高いのだ。反面、玖渚は現実世界との親和性が最悪レベルに低い。
 生前から今に至るまで、身体スペックは障子紙も同然の超低数値。従える仲間達も、一人を除いては狂化してしまった時点で糞の役にも立たない気狂いにまで落ちさらばえる。情報操作等の腕は未だ健在だし、現に彼女はとっくのとうに鎌倉市のインフラを掌握しているのだったが、生憎と此度の聖杯戦争は普通ではない。

 平然と街中で宝具を抜き、民間人を虐殺し、英霊としての姿を晒す。
 謂わば、神秘秘匿の原則が抜け落ちている。それこそ今の鎌倉市は、中東の紛争地帯と比べても何ら遜色ない、それどころか危険度で数倍は上回る、神秘と死がそこら中に跋扈した魔境と化していた。そんな街の中で、情報を操り、掌握する事に一体どれほどの意味があるだろう。
 それで押さえ付けられるのは一定以下のサーヴァントと、良識に縛られたマスターのみだ。民衆に囲まれ、悪評を叩き付けられた所で、邪魔だ死ねと蹴散らす輩がごまんと居るこの鎌倉では――情報の持つ意味は余りに心許ない。断言しよう、玖渚友は詰んでいる。死線の蒼が勝利する結末は何処にも存在しない。
 尤も、聡明な彼女の事だ。こんな誰にでも考察出来るような事を、他ならぬ死線の蒼ともあろう人が見落とす筈はない。不都合な現実から目を逸らして逃避するだけの人間味がもしも彼女にあったなら、そもそも英霊・玖渚友は誕生していない。玖渚友はとっくのとうに自分の破滅を認識し、それが秒読み段階である事も含めて承知の上だった。

 ――そして黄昏の終わりに玖渚は、自身が住まう城へ迫る赤き焔の死神を視認した。

  ◆  ◆


 赤騎士、出陣――霊体ではなく実体を露わにし、軍靴の音色を響かせながら、アーチャー……エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグは死線の寝室を目指していた。仮初の主・辰宮百合香への報告を終え、再び闘争を求めて歩き出したその矢先に、奇妙な魔力の波長を感知した為である。
 それを例えるならば、"誕生"。つい先程までは確実に存在しなかった魔力反応が、突如ある地点に再出現した。グラズヘイム、ヴェヴェルスブルグ城の住人として凡百の英霊を遥かに越える闘争を踏んできた者だからこそ解る、怒りに満ちた剥き出しの殺気。空気を伝って此処まで届く程なのだから、間違いなくクラスはバーサーカー、もしくはアヴェンジャー。復讐者の英霊にも興味は有るが、現実的な線としてはやはりバーサーカーか。
 それも、中途半端な狂化ではない。恐らくは理性も人格も失って、本能と僅かな意思の残滓のみを寄る辺にする手合い。Aランク相当の深い狂化を受けている事を、エレオノーレは伝わってくる殺気の質から看破した。――面白い。理性を欠いているのは残念だが、破壊を求めるならば買ってやろう。
 笑みを浮かべ、気配が生じた方……駅前方面へとエレオノーレは歩を進め始めた。それが、数分前の事だ。この時には既に、彼女が感知したバーサーカーを消滅状態から修復した親玉の青色サヴァンは、自身の寝室へと迫る赤騎士の存在を視認している。斯くして、死神は死線の城下町へと踏み入った。それと同時に、彼女に闘争を齎す狂気が再度爆裂する。


「■■■■■■■■――――!!」

 耳を劈く咆哮。
 遠方にて感じた通りの殺気を全方位に放ちながら、無数の釘が打ち込まれた鉄塊を振るうはバーサーカー。民家の屋根上から得物を振り上げて襲い来る彼を、エレオノーレは己の剣で以って迎撃する。剣と鉄が猛烈な勢いで激突し、爆発と見紛う程眩い火花が散った。
 剣で撲打を受け止めたエレオノーレの足元が、大きく陥没する。赤騎士のステータスは決して低い物ではないが、バーサーカーは筋力面においては完全に彼女の上を行っていた。流石に、最高ランクの狂化が施されているだけは有る。もしも直撃しよう物ならば、さしものエレオノーレでも大ダメージは免れないだろう。
 続けて真横から薙ぐ鉄を、今度は剣閃で受け流す。返しに曲芸のように華麗な閃を放ち、バーサーカーの身体に手傷を刻み付けていく。今彼女が切り裂いたのは、バーサーカーの鼻だ。剣士の戦略に、敵の末端部位を次々と切り落とし、動揺と狼狽を誘うと言う物がある。別段それを狙った訳ではないが、そういう戦法が確立される程、部位の欠落が人間の心理に齎すダメージは大きいのだ。事実まともな理性の残ったサーヴァントであれば、鼻を失った時点でそのペースを大きく乱されていてもおかしくはない。
 然し、そこは理性なきバーサーカー。身体の末端が飛ばされたからどうした、知った事かと暴威を撒き続ける。

 社会の裏側に存在するあらゆる世界に於いて平等に忌まれ、恐れられる殺人鬼集団――零崎一賊。
 バーサーカーこと式岸軋騎は『仲間』の一員でありながら、零崎に名を連ねる殺人鬼、零崎軋識でもあったと言う話は既に語られた通りだ。愚神礼賛と名付けた凶器を振り回し、一賊の敵を悉く鏖殺してきた彼だが、然し彼単体で英霊として召喚できるかと言えば、否である。
 仮に召喚出来たとして、狂化の効力を最大限に受けることが出来たとしても、今ほどの高ステータスを得られはすまい。神秘の薄れた現代、人間由来の反英霊として、今の軋識が持つスペック、特に筋力のランクは明らかに異常な域に達していた。それこそ、場合によっては神話の英雄や怪物にも匹敵しかねないレベルまで。
 その事に気付けないエレオノーレではない。自分と同じ、ともすればそれよりも年代の新しいサーヴァント。宝具を使うでもなく愚直に殴り掛かるのみの彼が何故、此処までの暴威を振るうに至っているのか。砲弾の爆裂めいた衝撃に持ち前の剣技で対抗しながら、エレオノーレは口を開いた。

「……成程。妙だとは思っていたが、貴様――使い魔の類か」

 つまり、この男はそもそもサーヴァントなどではないのだ。
 エレオノーレは使い魔と口にしたが、無論、魔術師の飛ばす偵察用の蝙蝠やら鼠やらとは訳が違う。在り方としては極めて近いが、この偽バーサーカーに任されている役割は恐らく破壊と駆逐だ。現代の人間に分かり易い表現をするのなら、戦地の空を飛び回って死と焦熱を振り撒く無人爆撃機が一番近いだろうか。


「差し詰めキャスター辺りの宝具かな。貴様を何度殺そうが、魔力源のマスターが生き永らえている限りは其処から燃料を吸い上げて無限に復活する、そんな所だろう」
「■■■■■■■■――――!!」

 所詮は鈍器と刀剣で打ち合っているだけ。絵面としては地味ですらある一騎と一体の戦闘の余波だけでコンクリートは砕け、電信柱には亀裂が刻まれていく。最高位の剛力と最高位の柔技が真正面からかち合えばどうなるかを端的に示した光景だった。
 普通の戦いならば此処らでどちらかが宝具を開帳してもいい頃合だ。にも関わらず、どちらもそうする気配がない。その理由は、少なくともバーサーカーに関しては明快だった。
 彼はあるサーヴァントの宝具により、電脳の海を依代に顕現した疑似サーヴァントである。そういう出自である故に、バーサーカーは宝具を持たない。彼の殺し道具である釘バットも、宝具と呼ぶには余りに神秘が欠乏していた。
 対するエレオノーレが己の宝具を抜かない理由も、其処にある。尊き幻想(ノウブル・ファンタズム)を持つでもなく、誇りも信念も狂気の汚濁に塗り潰された傀儡人形。幾ら力が強かれど、そんな相手に自らの炎を開帳する等、赤騎士の矜持が許さない。

「何にせよ、つまらん主を持ったらしいな。同情するよ、木偶人形」
「■■■……■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■ァァァァァ――――ッ!!!!」

 エレオノーレが口にした主への侮辱の言葉。それを耳にした瞬間、バーサーカーの咆哮が単なる暴性だけではなく、明らかな赫怒の念を含んだものへと変化した。只でさえ頭抜けた域にある剛力が、より一層激しく迸る。エレオノーレとしても、彼がこれほどまでに過剰な反応を見せてくるのは予想外だった。狂化した事で精神面が単純化しているのも激憤の原因なのだろうが、それを差し引いても理性なき破壊者らしからぬ挙動であった。
 彼は今、主への侮辱を受けて激昂したのだ。黙れ、お前如きがあの方を語るなと。最高位の狂化を付与され、理性も分別も一片残さず押し流された思考回路で、それでも忠誠のままに吼えたのだ。其処には自分がこのように災害めいた走狗として扱われている事への不満など、微塵も見て取れない。こんな有様に成り果てて、自分と言う物を殆ど削ぎ落とされていながら、この男は今も変わらず主君への忠と愛を抱き続けていた。
 その事に僅かに驚いた様子を見せるエレオノーレだったが、その剣技には未だ微塵の隙も無い。攻撃の回転率をリミッターの外れた筋力に任せて引き上げていくバーサーカーに、相変わらず鋭く迅い刺突と斬撃で以って拮抗していた。――口に咥えた煙草の火が、バーサーカーのスイングが起こした風で掻き消される。

「分からんでもないがね、そういう感情は」

 呟く赤騎士の脳裏に浮かぶのは、彼女が唯一絶対の至高と奉ずる光の魔君の面影だった。
 仮に己が存在を砕かれ、零落させられ、何もかもを踏み砕かれ、貶められても。底無しの憎悪と狂気だけが残った残骸に成り果てようとも、自分は黄金への忠義を決して失わないだろう。どんな姿形だろうと、確たる魂がこの宇宙に残っている限り、自分は金色の彼に全てを捧げ続けるだろう。有り得ない事だが万が一、いや億が一、兆が一彼の覇道が踏み躙られる事があったなら、地を這い泥を啜ってでも生き延び、報復に向け刃を研ぎ続けるだろう。
 これはつまり、そういうことだ。真に誰かへ忠する者の胸に宿る思念は、狂気の中に在っても薄れない。

「良いだろう、来るがいい狂戦士。貴様の忠誠に、私が今終わりをくれてやる」

 返事は咆哮だった。人間の鼓膜を一瞬で破る程の大音量を口腔から撒き散らしながら、破滅の風車を回し続ける。
 それにエレオノーレは捌く、避ける、いなす、受け止める――永遠の戦徒として積み上げてきた極限の研鑽、其処で手にした人外の戦技を駆使して対応していく。彼女は、騎士だ。相手が当初の想像以上に価値ある魂の持ち主だったとしても、一度剣のみで討つと決めた以上はそれを貫くのみ。
 彼女の振るった剣が狂気の猛打を掻い潜り、バーサーカーの胸を浅く切り裂いた。それを皮切りに、これまで保たれていた戦況の拮抗が一気に崩壊の様相を見せる。さしずめこれは、狂気の力、言ってしまえば不正に得た力と、常識を逸脱しているとはいえその身一つで勝ち取った力の差か。
 胸を、腹を、腕を、足を、首を。剣の切っ先が切り裂いて、血飛沫が霧のように虚空へ舞い上がる。
 バーサーカーは痛みを感じない。故に怯む事もない。どれだけ自分の身体が傷付こうが、死線を害さんとする破壊すべき存在が其処に在る限り戦闘を継続する。その内両眼が潰れ、耳が削げ、喉仏が両断されて咆哮すら碌にあげられなくなりながらも。彼は、赤騎士に向かい続けていた。

「■■……■、■■…………ッ!!」

 全身を血で染め上げられながら、力任せに真上から一撃を見舞うバーサーカー。それを受け止めたエレオノーレの足元が、また伝わってくる衝撃に耐え兼ねて崩壊する。
 好機だ。あと一撃あれば、押し切れる。そう思ってバーサーカーは、横薙ぎに攻撃を切り換えるが――

「幕だ」

 其処で、バーサーカーが腕を振るうよりも速く突き出されたエレオノーレの剣が、彼の霊核を過つことなく一息に貫いていた。これまで只の一度として攻撃を繰り出す手を止めず、望まれるままの破壊者であり続けたバーサーカーの動きが、止まる。世界が停止したような光景だった。やがてエレオノーレは彼の胸より剣を抜き、付着した血糊を振り払って数歩後退する。戦いは決したと、その動作が無情に告げていた。
 戦闘続行スキルを持っていればいざ知らず、サーヴァントでないが為にそういった後ろ盾を一切持たない彼では、此処から巻き返す事はまず不可能だ。にも関わらず、理性が消滅しているからか、バーサーカーは尚も愚神礼賛を振るわんと血の滴る豪腕に力を込める。エレオノーレは知らない事だが、バーサーカーは今から一時間程前、彼女をすら遥かに凌駕する腕を持つ超級の剣士に敗北を喫していた。
 霊核を破壊されて消滅し、魔力を基に復元されたバーサーカー。正気を失っていながら、同時に忠誠心を己の深奥に残している彼。燃料さえあれば自在に復活する事の出来る身だと言うのに目の前の戦いに固執しているその姿は、これ以上愛する主から失望されたくないと奮起しているようでさえある。
 尤も、彼の真意は狂気に塗り潰されている。エレオノーレにも、或いはそれを手繰る主にすら、何が正しいかは解らない。然し只一つだけ、確かに解る事があった。

 それは――彼の主は、この狂戦士の想いを汲み取らない、と言う事だ。

  ◆  ◆




「■、■■、■■■■、■■■■■■――――」


「■、あ■、あ■あ■、■ぁあああ■――――」


「あ、ああ、ああああ。■ぁああああ――――っ」


「あー、あーーー。あーーーーっ」


「……よし。やっとまともに喋れるようになったね」


「それじゃあ――真っ赤な真っ赤な死神ちゃんを、"私"のところまでご招待しようかな」




  ◆  ◆


『――ぐっちゃん、聞こえる? それとも、もう無様に消滅しちゃったかな?』

 突如として狂戦士達の戦場に響いたのは、幼さを多分に残した少女の声だった。
 念話だの何だの、摩訶不思議な手段で声を届かせている訳ではない。もうめっきり使われていない、電信柱の上部分に括り付けられた町内放送用のスピーカーから、その声は響いていた。声の主である死線の娘は電脳分野の覇者である。ちょっとした道具さえあれば、通信機能のジャックなんか三十秒も掛からない。

「■■……■■■■■ッ!?」
『あは、何言ってんのか全然分かんないや。でもま、ぐっちゃんが何を言いたいのかは大して重要じゃないんだよね』

 其処に、文字通り身を粉にして戦った部下への労りなんてものは欠片も存在しない。
 それどころか真実、声の主――バーサーカーの主たる少女は、彼の奮闘等何とも思っていなかった。感じ入る物が無いと言えば、まだ優しい。感じる物がそもそも無いと言うのが、現実だ。少女にとって重要なのは壊せるか壊せないか、ちゃんと自分の思う結果を作ってくれるかどうか。徹頭徹尾それだけである。

『"もういい"よ。ぐっちゃんはもう、なーんにもしなくていいから』
「■■――」
『あれ、聞こえなかった?』

 そしてバーサーカーは、彼女の期待に応えられなかった。そもそも最初から期待されていたかどうかからして怪しいが、兎に角彼は、彼女が求めただけの成果を収める事が出来なかった。だからこの時、彼は主に見捨てられたのだ。これ以上余計な雑音を奏でる必要はないと、そう告げる。

『"もういい"んだよ。私は、そう言った』
「――――」

 その言葉が最後の止めになったかのように、バーサーカーはその場で崩折れ、地に膝を突いた態勢のまま金色の粒子となって虚空へ解けていった。それを見送り、赤騎士はスピーカーへと目線を向ける。其処に宿る感情は、嫌悪だ。バーサーカーに共感していた訳では無いし、彼女が従僕に掛けた言葉に義憤を燃やした訳でもない。
 もっと簡単で、それ故に一番どうしようもない理由。――即ち、根本的な問題だ。
 声を聞いただけで湧き上がってくる苛立ち、吐き気にも等しい嫌悪。同性としてどころか、そもそも同じ生命体としてこの女とは相容れない事をエレオノーレは確信する。誰彼構わず魅了の香を撒き散らし、悲劇の主役を気取る自分のマスターにも彼女は並々ならぬ悪感情を抱いているのだったが、それとはまた別なベクトルで、エレオノーレにとってバーサーカーの主であろう女は度し難い存在に感じられた。
 もしも今、バーサーカーの主たるこの人物が己の目の前に居たのなら、一秒の迷いもなく灼熱の業火でその存在を滅却していた事だろう。そんな感情を両の瞳へ浮かべながら、赤騎士は続きの言葉を待つ。このタイミングでわざわざ念話も用いず介入してきたと言う事は、つまり念話では会話できない相手に用があったからに他ならない。何を言われようがこれから行う事は変わらないが、エレオノーレは黙して続く言葉を待つ。

『さ、煩いぐっちゃんには退場して貰った所で――初めましてかな、聖槍十三騎士団黒円卓第九位、エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグちゃん?』
「ほう。貴様のような女も、黒円卓の名は知っているのか」
『ナチ公御用達の鈎十字を付けた火傷顔(フライフェイス)の女サーヴァントなんて、黒円卓の魔操歩兵以外には居ないでしょ。少し調べれば簡単に分かったよ』
「そうかよ、塵。ならばこの後貴様が辿る末路も、当然承知しているのだろうな?」
『勿論』

 歴戦の兵士が縮み上がり、歯を震わせて後退りするような桁違いの殺気を通信越しにぶつけられても、少女に何ら臆した様子は無い。ごく平然とした口振りで、彼女はエレオノーレの詰問に応じた。――己の下にこれからこの赤騎士が侵攻してくる未来を承知していながら、恐れも焦りもしていない。胆が据わっていると言う表現だけでは到底形容し切れない、超然とした物がその応答にはあった。


 エレオノーレもそれに驚くでもなく、気に入らんとばかりに鼻を一つ鳴らすだけだ。
 そう、存在を確認した以上、赤騎士は少女のサーヴァントを絶対に逃さない。街を戦火に染めながら、人命を薪木代わりに燃やしながら、魂を吸い上げながら、狩猟の魔王めいた威容で紫煙を燻らせて、蒼の女王を極刑に処すべく地の果てまででも追い立てるだろう。
 無論其処に、炎を抜かないだとと言う縛りは存在しない。正真正銘、万全の赤騎士が蒼の世界を塗り潰す。

『見えるかな? 其処からそう遠くない場所に、多分この街で一番大きなマンションがあるんだ』
「……」
『その最上階に、私は居る。殺したければ、おいで』

 だと言うのに――彼女は何と、自分の死神と成り得る魔弾の射手に、わざわざ己の居城を教えてのけた。
 これにはさしものエレオノーレも眉を顰める。何故なら、発言の意図が解らない。
 自分を罠に嵌めて葬り去ろうとしているのなら滑稽極まるが、どうもそう言う訳でも無いように聞こえる。

「解せんな。貴様、何を考えている?」
『別に? 何も考えてないよ、私は。と言うより考える事からして、もう無意味って所があるからね』

 要領を得ない、意味深長な返しだった。
 エレオノーレは相変わらず険しい表情をしたまま、彼方の方を見据える。見れば其処には確かに、少女が言う通りの高層マンションが聳え立っていた。あの最上階に、この不気味なサーヴァントは居を構えていると言う。普通に考えて、これは警戒して然るべき場面だ。つい数十秒前まで敵対していた相手をいきなり自陣に招き入れるなど、あからさまに不審が過ぎる。どんな馬鹿でも、何か裏が有ると一発で気付くだろう。
 赤騎士もそれは同じだ。然し、彼女は斃すべき敵が居ると解った時点で進軍と蹂躙を決めている。罠や奸計が待ち受けているのであれば、それ諸共に焼き払うまで。純粋に高過ぎる実力と能力を兼ね備えたサーヴァントだからこそ可能な思考を基に、彼女は"美味すぎる話"に真正面から乗り込んでいく。

「――今、至高の焔(ローゲ)を届けよう。首を洗って待っていろ」
『りょーかい。待ってるよ、死神ちゃん』

 そうして――バーサーカー・玖渚友は自らを敵駒の真ん前へと置き、詰みの運命を引き寄せた。
  ◆  ◆


「が――」

 ――無人の市長室にて、鎌倉市現市長を努めるその男が苦悶に胸を抑えた事を知る者は居ない。

 自他共に認める全分野の天才である浅野學峯は当然、自身の体力を管理する手段など当たり前の基礎知識として心得ている。強さを希求する上で武術の研鑽にも手を出した彼は其処で、如何に効率よく身体を動かすかを学んだ。浅野もそろそろ若いとは言えない年齢だが、それでもちょっとやそっとの運動では息が荒れる事さえない。年甲斐もなく長距離走なんかしたとしても、陸上選手顔負けのスコアを叩き出せる自信が彼にはあった。
 その彼が、脂汗を顔中に浮かべてみっともなく膝を突いていた。目はこれでもかと見開かれ、呼気は病的な物を連想してしまう程荒く、吐き気も催しているのか時折身体が不規則に引き攣っている。何らかの発作が出たとしか思えない彼の有様は、然し日頃の不摂生に由来する物ではない。

“駄目だ……幾ら何でも、消耗が大き過ぎる……ッ”

 彼のサーヴァントである、バーサーカー。その宝具により呼び出される、戦う手段を持たない死線の代わりに暴れ狂う殺戮者。それが討伐されて実体を失った事により、再出現を可能とするだけの魔力の吸い上げが行われたのだ。一級サーヴァントにも匹敵するスペックを持つ殺人鬼の完全復元に要する魔力は、魔術師ではない浅野にとっては殺人的と言っていい分量だった。
 午前中に要求された魔力供給の際にも凄まじい消耗を強いられたが、今回のそれは度を越している。と言うのも、浅野はつい一時間程前にも同じだけの魔力吸引を行われていた。その時点で、浅野は既に満身創痍。それに輪を掛けて枯渇しかけの魔力プールを一気に吸い上げられたのだから、最早彼の身体は困憊という次元にすらない。二画目の令呪を使う羽目になったが、勿体振ってはとてもいられなかった。
 意識を保っていられる時点で、奇跡。浅野の強靭な精神力と肉体だから、どうにか身動き一つ出来ない程度で済んでいる。怒りの一つも覚えて然るべき消費の連続であったが、浅野は自分の身を案ずるよりも先に、自分とそのサーヴァントを包んでいる状況に強い危機感を抱いた。
 ――二度だ。これだけの短時間で、あの釘バットが二度滅ぼされた。

“耐えられて、あと一度……それ以上は私の心臓が先に潰れてしまう――バーサーカーめ……!!”

 浅野學峯と言う男が、これほど純粋に他者への苛立ちを示す事は珍しい。
 そもそも彼を苛立たせる事からして常人ではまず困難と言う事があるのだが、その点バーサーカー……玖渚友はやはり異常だった。浅野程の男をして恐怖し、平伏するしかなかった狂える天才。こと"敗北"に対して極めて強い拒否反応を発する浅野にしてみれば、彼女の存在は聖杯戦争を勝ち抜く為の希望であり、同時に一秒たりともこの世に存在している事を容認出来ない怨敵に違いなかった。
 浅野にとって玖渚友は、"頼れる味方"ではなかった。常に自分に殺意を抱かせ、意識するだけであってはならない劣等感に苛まれる劇物のような女。挙句この通り、浅野を一番消耗させているのは他ならぬ彼女の従僕だ。味方なのか敵なのかさっぱり解らないと、皮肉の一つも溢したくなる。

 ――彼は、知らない。何も知らない。今、自分のサーヴァントが何をしようとしているのか。狂化の縛鎖をその天才的な頭脳で"理解"する事で外し、無限の破壊衝動を抱きながら正気を取り戻した死線の蒼が、己の寝室である高級マンションの最上階に何を招いたのか。
 何も知らされぬまま、浅野學峯は失墜の時を迎えようとしていた。彼にとって玖渚友と言う天才は恐るべき存在であり、許し難い目障りな存在であり、無視出来ない恐怖の象徴だった。この世界で暗躍を重ねている間、浅野の頭の片隅にはいつも人知を超えた青色サヴァンの影があった。
 彼の殺意を玖渚友は察知していたのかもしれないし、全く気付いていなかったのかもしれない。
 されど、きっとそれはどちらでも同じだ。結末は何も、変わらない。
 玖渚友と言う天才にとって、浅野學峯と言うマスターは終始全てを衝動のままに破壊する上で必要な生命維持装置兼燃料源程度の認識でしかなかった。『仲間』のように好き勝手に動かす駒ではなく、自身に敵意を抱く油断ならない男でもなく。玖渚友にとっての浅野學峯は、結局、只の路傍に転がる石ころだったのだ。

 その事実を浅野が知らずに済んだ事は、彼の不運ずくめな聖杯戦争の中で、数少ない幸運であったと言えよう。
 空手の師範代に敗北し、打ちのめされた程度の挫折で、後一度でも負ければ自分は発狂死すると言う程己を追い込んだ男が、己の羨み、恐れた天才が最初から最後まで自分の事を"何とも思っていなかった"と知ってしまったなら、その精神は間違いなく無事では済まない。彼は、壊れていたかもしれない。
 だが、幸いそうはならなかった。浅野學峯は致命的な敗北と取り返しの付かない挫折に跪く事なく、死線と離別する。

 ――彼を責める事は誰にも出来ないだろう。彼は天才だが、玖渚友はそういう枠で図れる存在ですらなかった。それだけの事で、それまでの事なのだ。


  ◆  ◆


 進撃は蹂躙と共に行われる。
 エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグとすれ違った人間が、一人残らずその魂を貪られた。何故なら彼女は魂喰の魔徒。サーヴァントとして呼び出される以前から既に"魂を喰う"と言う概念に精通していた生粋の捕食者だ。加え、それを包み隠すと言う心配りが存在しないのだから民間人としては堪った物ではない。彼女がサーヴァントとして召喚されておきながら、未だ街が街の機能を保っているのは違う事なく奇跡の一つであった。
 進む、進む。紫煙の香りを燻らせながら、赤騎士は蒼の寝室へと近付いていく。異変を感知した警備員が数人、彼女を取り押さえようと現れたが、次の瞬間には生命機能と魂を失って目を見開いたまま屍と化していた。結局、焔の魔人が最上階に辿り着く迄に犠牲となった人間の数は三十以上。誰かを殺めたと言う自覚さえあるか怪しい気軽さで、それだけの命が聖杯戦争の露と消えたのだ。
 そうして――

「…………」

 赤騎士の軍靴の音色が、死線の寝室の、その前で停止した。
 ノックをする礼儀をこれから撃滅する敵に対して払う理由はない。中から入室の合図が聞こえる前に、エレオノーレは扉を睥睨すると同時に超高熱で溶解させ、何に憚る事もなく"其処"へ土足で踏み込んでいく。彼女の姿はまさしく異境の侵略者。一つの王政を終わらせる悍ましき死神に違いなかった。
 然し、こうして実際に現れた赤騎士を前にしても、少女の顔に恐怖の色が浮かぶ事はなかった。
 かと言って、笑顔を浮かべる事もない。最愛の男が目の前から消えた事への怒りと破壊衝動と、それとはまた別な事に対する激情を蒼の瞳の奥に渦巻かせながら、少女――玖渚友が、エレオノーレの方を見た。その瞬間、比喩ではなく空気が質量を持ったように重くなるのをエレオノーレは感じる。半面を火傷に覆われた鬼女の貌が、不快そうに歪んだ。

「"らしい"じゃないか、バーサーカー。女帝気取りの貴様に、実に相応しい寝室だ」

 エレオノーレは此処に踏み入るまで、釘バットのバーサーカーを操っていたサーヴァントはキャスターであると思っていた。だが、一目見た瞬間にそれは誤りだったのだと確信する。歴戦の戦徒である彼女から見ても、この死線を統括する青色のサーヴァントは"異常"な存在だった。白兵戦が出来るとは思えないし、魔力の波長も大して感じない。にも関わらず、その矮躯から絶えず発せられている殺気は魂を喰らう魔人達のそれにすら匹敵している。

 こんな女が、正気である筈がない。このような女が喚ばれるとすれば、あらゆる狂気を許容するバーサーカークラス以外には有り得ない。
 玖渚友と言う女は、エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグに言わせれば"虫酸が走る下種"だ。その第一印象は、こうして実際に顔を合わせた今でも何も変わっていない。然し彼女程の豪傑ですら、内心では玖渚の脅威としての評価を密かに改めていた。もしもこれの実力が最大限に発揮される舞台で聖杯戦争が行われていたなら、自分ですら対処に難儀したかもしれない。他でもない黒円卓の大隊長が、何の世辞でもなくそう直感した。エレオノーレは死線が巻き起こした災禍を知らないが、それでも彼女の秘めたる"此処では活きない力"を察知する事は出来た。

「察しが良いね、赤騎士ちゃん。正解だよ」
「それで? 己の破滅を自ら招き入れた自覚は有るのかよ狂女。
 よもやこの期に及んで、盟を結ぼうなどと戯言を言うつもりではないだろうな」
「何を言った所で殺すんでしょ? そんなこと、知ってるよ」

 心臓が停止するような桁違いの殺意を浴びせ掛けられても、玖渚はやはり平然としている。
 恐怖に慄くどころか、怯みすらしないのだ。下手な英傑、英雄の何倍も強固な胆力の持ち主である事は疑いようもなかった。狂気の有無など、一切関係ない。青色サヴァンにその異常性有る限り、何人たりとも彼女に"人間らしい顔"をさせる事は叶わない。例外は無いと言えば嘘になるが、少なくともエレオノーレにはそれは不可能だ。

「でも――その様子だと、赤騎士ちゃんは何も知らないんだね」

 エレオノーレの眉間に皺が寄る。どういう意味だと、彼女は尋ねた。

「私はね、気付いたんだよ。気付けた、って言うべきかもしれないけどね。
 なんてったって私には時間が有り余ってたから。主戦場の制圧とそれを使った破壊は召喚されて二日も掛からずに終わっちゃったから、後はぐっちゃんが現実の部分をありったけ、全部全部壊してくれるのを待つだけ」

 凡そ情報分野を支配する英霊の中で、玖渚友は間違いなく最強格だ。
 そんな彼女にしてみれば、県一つならまだしも、街一つ程度の情報網及びサイバー部門を掌握するくらいなら一日と少しも時間があれば簡単に終わってしまう程度の些事であった。現に彼女の情報面に作用する破壊はこの地獄絵図の中でも一向に敷かれない警備・救助・避難体制と言う形で現出しており、間接的に犠牲者の数を大きく増加させている。
 それを早々に終えた玖渚は、バーサーカー・式岸軋騎の暴れる様を観測し、時にカメラや通信を乗っ取って彼の暴虐をサポートしながら、狂気で自閉した脳髄を機械めいた高速さで回転させ始めた。彼女の頭脳は何も、情報分野限定ではない。そちらが強すぎるだけで、玖渚友は他のあらゆる分野にも超級の頭脳を以って当たる事が出来る。
 何せ玖渚はAランクの狂化を付与されていながら、"天才であるから"と言うそれだけの理由で、狂っていながら見掛け上は意思疎通が成り立っている――そんな高位狂化バーサーカーの原則に反する様な在り方を実現していた。狂化した状態ですら天才であり続けられる彼女にとって、狂気の檻を破る事は決して不可能ではなかった。


 ――頭の内側に食い込んでいた狂化の茨を外すまでに、凡そ半日。
 それでも破壊の逸話からの顕現と言う経緯からか"暴君"の気性までもを収める事は出来なかったものの、燃え盛るような破壊衝動を抱きながらその頭脳を回すくらいは彼女にとっては朝飯前だ。まして、事前に狂化付与と言う厄介な枷の解除に成功しているのならば尚更の事。
 破壊と言う本能に従いながら、玖渚はその片手間で考えた。聖杯戦争とは何か。鎌倉の聖杯戦争に、何があるのか。


 結論は数時間で出た。そして、玖渚は思った。――やってられっか、と。


「茶番だよ、全部。付き合ってられない――どだい、がっちゃんの方も直に限界っぽいしね。
 壊して壊して壊して壊し尽くす事を望まれて顕象した私は、遠くない内に用済みになるだろうから」
「貴様は……何を言っているのだ?」

 エレオノーレには、玖渚の言葉の意味が皆目理解出来ない。
 狂人の妄言のように聞こえるそれは、然し妄想では有り得ない確たる根拠に基づいているように聞こえた。
 黄金を奉じ、獣の修羅道に身魂を捧げた赤騎士に恐怖と言う感情は最早存在しない。彼女は、死線の蒼を恐れない。
 だが、エレオノーレはこの時、眼前の無力なサーヴァントの瞳に深淵の海を見た。底のない蒼色の世界。身を投げよう物なら最果てまで沈み続けるしかない、異界の入り口めいた深みと悍ましさを確かに見た。これぞ、どんな天才ですら屈服させてきた、死線の蒼と言う怪物の恐ろしさである。


「壊すのは、別に何とも感じない。どうでもいいから。
 狂うのは、別に何とも感じない。どうにでもなるから。
 叶わないのは、別に何とも感じない。興味がないから。

 でも、いーちゃんへの気持ちを利用されるのは――流石の"僕様ちゃん"も、腹が立つ」


 全てを知った玖渚友は――結論から言うと、激怒した。
 聖杯戦争の真実に。その余りに冒涜的な真相に。激怒して、投げ出した。
 そして自ら、嘲る者達の期待を外すように自殺の手筈を整えた。
 おまえ達の望んだ"私"は、怒りのままに期待された役割をこなすだろう。
 されど、"僕様ちゃん"はそうは行かない。暴君とはまた違う怒りで、身の程知らずな愚衆共へ報復するように、死ぬ。
 それが玖渚友と言う天才が辿り着いた、一つの結論であり、最適解だった。

 天下無双のサイバーテロリストが、聖杯戦争で猛威を奮う姿を見たい。
 釘バットの怪人を従え、声だけはでかい英雄共を薙ぎ払う様を見たい。
 其処に生ずる理屈や、彼女の人格を度外視して、痴れた妄想を奏でる■■共。

「――ざまあみろ、ってね」

 玖渚は笑う。
 エレオノーレには、解らない。
 その真ん前まで近寄れば、胸倉を掴み上げて童女のような矮躯を宙に浮かせた。

 重ねて言うが、エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグには、玖渚友の言っている内容は皆目理解出来ない。
 かと言って、これで何も察せない程エレオノーレは莫迦ではない。この蒼きサーヴァントが聖杯戦争の核心……本来知ってはならない何かを突き止めたらしい事には、彼女も気付いている。であれば、問い質さない理由はない。彼女は聖杯戦争の真実を突き止める事には毛程の興味もなかったが、無知を晒し続ける程恥知らずでもなかった。
 吐かせる必要がある、全てを。蒼色の脳細胞が導き出した、真実を。


「自慰に酔うのは大概にして貰おうか。もう一度聞くぞ、貴様は何を言っている」


 ――玖渚は答えない。


「いや……質問を変えようか」


 ――玖渚は怯えない。


「貴様は、何を知っている」


 ――玖渚は笑った。


「■■■■■■」


 そして、言った。
 時が止まったような静寂が、死線の寝室を満たす。
 エレオノーレの口に咥えられ、今も尚紫煙を燻らせている煙草が、静かに床へと落ちる。
 あの恐るべき赤騎士が、明らかな驚愕を覚えている。それこそ驚愕に値する事実が、其処にはあった。

「それが――真実、だと?」

 微笑むだけの玖渚を、乱暴に離してエレオノーレは沈黙する。
 それを見上げる死線の蒼は、笑みを浮かべていた。勝利を確信したような、不敵な笑みを。

「――く。クク、ハハ、フハハハハハハハハ……!!」

 数秒の後に、響いた笑い声はエレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグのもの。

「……そうか、それが真実か」

 次の瞬間、彼女の貌は、玖渚の物とは全く逆の怒りに歪んでいた。
 エレオノーレにとって玖渚は気に食わない、存在している事自体が許せない質の女である事はこれまで散々述べてきた。彼女が一度これほどの酷評を下した人間の評価を改める事は、まずない。だからこの瞬間に至ってもエレオノーレは玖渚を忌み嫌っていたし、これから彼女を消し飛ばすのに一ミクロンの躊躇いも存在していない。
 然しそれとは別に、共感はあった。これならば確かに、貴様が激昂するのも理解出来る。
 これで何も感じないようならば其奴はそもそも英霊等ではなく、只の下賤な塵芥に過ぎまい。


「感謝するよ。貴様に対する好感は真実微塵も存在しないが、その聡明さは確かに類稀なる物だ。
 故に褒美だ、約定通り至高の焔で浄滅させてやる。――貴様は此処で去ね、死線を司る蒼き狂女よ」



 瞬間――エレオノーレの背後に、巨大な魔方陣が出現した。
 それは灼熱の赫色を湛え、焦熱世界(ムスペルヘイム)を満たす業炎が如く爛々と煌めき、その奥よりこの世ならざる聖遺物を常世に現出させる。 

Yetzirah
「形成――」

 これぞ、死線の蒼を焼き尽くす至高の赤。
 赤騎士が誇る炎、それを自在に吐き出す列車砲。
 WW2の遺物として現在に語り継がれているそれは、黒円卓の手により魔人の銃身に姿を変えていた。


 Der Freischütz Samiel
「極大火砲・狩猟の魔王」


 刹那。
 全てを塗り潰す獄炎が、瞬く間に蒼の世界を焼き尽くしていく。

 ――その中にありながら、最期の一瞬まで、玖渚友は恐怖しない。
 自らがこれより何処へ行き着くかも定かではないと言うのに、其処に微塵の不安も感じていない。
 己の行き着く先は一つしかないと、敬虔な修道女のような純粋さで信じているから、玖渚は滅びに対して無敵だった。

「にしても、つまんなかったなあ」

 暴君ではなく。
 死線の蒼として。
 全てを知ったが故、狂気を地力で解いたが故の何処か抜けた様子で。
 青色サーヴァントは滅びの焔を迎え入れる。

「やっぱり"私"じゃダメだね。次があるならちゃんとした"僕様ちゃん"で、出来れば電脳世界が舞台だと嬉しいかも」

 マシンは熱に耐え切れず溶解した。
 バーサーカーの召喚は間に合わない。
 生き延びる手段は絶無。
 生き延びる気も、ない。

「ふふ。まあ、僕様ちゃんのマスターが務まる人なんて全多元宇宙を見渡しても一人だけなんだけど」

 自分が終わるその時まで。
 "物語"より解き放たれるその時まで。
 ついぞ、己を恐れ、それ故に殺意を迸らせた一人の傑物の存在など考えもせず。
 にへら、と、暴君では有り得ない呑気な笑顔を浮かべて。


「――ね、いーちゃん?」


 "死線の蒼"――玖渚友は滅却された。


【バーサーカー(玖渚友)@戯言シリーズ  消滅】


.


  ◆  ◆


 鎌倉随一とも称された高級マンションが、燃え落ちる。
 最上階から火の手が上がったと思われた次の瞬間には、マンションそのものが巨大な火柱となった。
 中の人間は全員死亡。幸福だったのは、それが熱を感じる暇もない、一瞬の蒸発だった事だろうか。
 恐怖と動揺、そして一抹の高揚を浮かべた野次馬達も、通報を受けて駆け付けた消防隊も、誰一人知らない。
 燃え盛る火柱の中より堂々と姿を現し、そのまま不可視の霊体と化して去っていった軍服の女が居た事を。
 今はもう燃え尽きるのを待つばかりの高層建築物の最上階にて、一人の恐るべき天才が滅んだ事を。

 滅びの焔を最も間近で浴びながら、満足気な笑みを浮かべて死んだ"恋する乙女"が居た事を――誰も知らない。



【C-3/高級マンション最上階/一日目 夕方(夜に近い)】

【アーチャー(エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ)@Dies irae】
[状態]魔力消費(小)、霊体化
[装備]軍式サーベル
[道具]なし
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:闘争を楽しむ
0:――それが真実か。
1:セイバー(アーサー・ペンドラゴン)とアーチャー(ストラウス)は次に会った時、殺す
2:サーヴァントを失ったマスターを百合香の元まで連れて行く。が、あまり乗り気ではない。
[備考]
ライダー(アストルフォ)、ランサー(No.101 S・H・Ark Knight)、アーチャー(ローズレッド・ストラウス)と交戦しました。
No.101 S・H・Ark Knight、ローズレッド・ストラウスの真名を把握しました。
バーサーカー(玖渚友)から『聖杯戦争の真実』について聞きました。真偽の程は後の話に準拠します。


※C-3・高級マンションは全焼しました。恐らくあと十分前後で倒壊します。
  ◆  ◆


「――――」

 未だ爆発的な魔力消耗の余波に苦悶する市長・浅野學峯の表情が、固まった。
 これまで浮かべていた苦しみと殺意の入り混じった鬼気迫るそれですら、最早無い。能面のような無表情と形容するのが、恐らく最も相応しいだろう。他人が見たならその身を案ずる以前に、恐怖で思わず後退りしてしまうだろう程の空虚な顔で、浅野は視線を自らの右手へと移す。
 其処にあるべき、朱色の刻印は最早一画たりとも残されていなかった。それが何を意味するのか、理解出来ないマスターなど居るまい。令呪を全損する程使った覚えはない。これまで浅野が消費したのは二画だけだ。では今、自分が苦しんでいる隙を突かれて何者かに奪取されてしまったのか。――其処まで考えた所で、浅野はもう指一本動かすのも苦痛な困憊の身体を驚く程スムーズに動かし、ソファの背凭れに身を委ねた。

 現実逃避は止めろ。お前/私ともあろう者が、この現実を理解出来ぬ筈がない。それに、只令呪が消えただけではない。これまでずっとこの身を苛んできた契約のパスが完全に消え失せている事に、気付いていない訳でもないだろうに。
 浅野は机の上に置いてある、最後の一本の栄養ドリンクを手に取り、震える右手で蓋を開け、一口喉へ流し込んだ。
 明らかに体に悪い、栄養剤特有の甘さと薬臭さが口の中に充満し、喉へ流れていく。常温で放置し続けた為か既に微温くなってしまっており、喉越しは最悪に近い。それでも、浅野は構わなかった。気を抜けば意識が飛んでしまいそうなこの状況を繋ぎ止められるのなら、彼は濃硫酸さえ喜んで飲み干したろう。

「……そうか」

 天井を見上げ、表情のない顔のまま、彼は口にする。
 その真実を。目を逸らしてはならない、自分を取り巻く現実を。
 浅野學峯と言う"勝者"にとって、あってはならないその事態を。

「逝ったのか、死線の蒼」

 ――己の召喚したバーサーカーのサーヴァント、玖渚友はどうやら死んだらしい。

 一体何処の誰があの天才を葬ったのか、其処に至るまでに何があったのか、浅野は何一つ知らないままだ。念話による連絡は一度もなく、そもそも孤児院襲撃を決行させた旨を連絡してきて以降は一切音沙汰がなかった。最後まで浅野は蚊帳の外に置かれたまま、かの青色サーヴァントと離別した訳である。
 ……サーヴァントを失ったマスターは、一定の時間の後に消滅する。元の世界に帰して貰えるなんて甘い話はない。本当に、この世界から消えてなくなってしまう。
 戦争に負けた上に、何も成せぬまま塵になる。それは本来浅野にとって発狂してもおかしくない無様であると言うのに、不思議と市長の心は静かだった。バーサーカーの不始末に憤るでもなく、今後を憂いて焦り散らすでもなく。あの恐ろしい蒼の存在を二度と見ずに済むと思うと、心に安堵の念が浮かんでくる。


“……情けないな。私は”

 浅野學峯と言う男が、天才に付いて行けない程凡庸だった訳ではない。
 彼は間違いなく天才だ。こと人心に対する理解の深さと話術を用いた交渉ならば、浅野は死線の蒼を凌駕する物を持っていた。……或いは、それがいけなかったのか。
 死線の蒼と呼ばれるサヴァン症候群の少女と出会った才人は、誰もが己の敗北を悟る。心を折られる。なまじ優れているからこそ、彼らは自分では決して並び立てない"怪物"と出会した時のダメージが常人に比べて何倍も大きいのだ。それこそ人生が変わってしまう程、強いショックを受けてしまう。
 浅野もそうだった。一目見た瞬間に勝てないと悟り、挫折し、恐怖した。
 この存在を従える――"教育する"事は絶対に出来ないと解ってしまったから、彼は少女を憎むしか出来なかった。
 決定的に"折れ目"が付いてしまった事を自覚しながら、浅野は鉛を詰め込まれたように重い体を無理矢理引き摺って、市長室に備え付けられている電話の下まで歩いて行く。立ったままでは無様な乱れた息遣いが混ざるので、座椅子をわざわざ引っ張ってきて、それに腰掛けた上で彼は予め記憶していた"その番号"をダイヤルした。

「もしもし。此方鎌倉市役所――"市長"の浅野學峯ですが」

 浅野が一体誰に電話を掛けているのか、それをもし他の誰かが知ったなら、とんでもないスキャンダルになるだろう。
 何故なら現職の市長である彼が連絡を取ろうとしているのは、現在進行系で不穏な動きを数多く見せている極道組織、元村組の本部なのだ。マスコミに漏れでもすれば、あの敏腕市長に暴力団との繋がりがあったとはと、大喜びで記事を仕上げてセンセーショナルな見出しを躍らせるに違いない。
 だが浅野は、別に薬や金のやり取りがしたい訳ではない。要件は賭博でも工作でも、個人的な癒着でもない。
 これから行うのは彼にとってれっきとした"仕事"だ。失敗の許されない、鎌倉に来て以来最大の大一番と言ってもいい。
 電話の向こうで、事を察したらしい息を呑む音が聞こえてくる。少し待つように言って、通話の相手は然るべき誰かに代わるべく慌ただしく駆けていった。
 程なくして、通話に"その男"が出る。耳障りな笑い声は、然し今の浅野にとって最大の"希望"だった。

『フッフッフ! お早い連絡だなァ市長殿! だがやはりお前は頭が良い。おれと組む利点をちゃんと理解――』
「ああ、その件なのだがね」

 浅野は、微笑しながら言った。

「バーサーカーは死んだ。私は今この時を以って、サーヴァントを失い消滅を待つだけの身に堕ちた訳だ」


『――――』

 浅野には、通話相手――元村組の若頭こと、ライダーのサーヴァントがどんな顔をしているのか手に取るように解った。
 眉間に皺を寄せ、何を言ってやがるんだコイツは、とでも言いたげな渋い顔をしているのだろう、この男は。
 そして事実、その通りだった。ライダー……ドンキホーテ・ドフラミンゴには、この状況で浅野學峯がわざわざ律儀に連絡を入れてきた理由が解らない。

『……お前、何を考えてる?』
「単刀直入に言えば、取引がしたい」
『おいおい、バカも休み休み言えよ市長。サーヴァントを失ったお前が一体何を取引しようってんだ?
 何をしたところでお前はあと半日も保たずに塵と消えるんだ。それともおれに、新しいサーヴァントでも見繕ってくれと頼むつもりかァ?』
「まさか。君は俗な男だが、然し頭の切れる策士だ。
 私がどんな利点を持っていた所で、最終的に戦わなければならない敵を一つ増やすような愚は冒すまい。よしんば君がそれに乗ってきたとして、散々しゃぶり尽くされた挙句契約を笑いながら反故にされるのがオチだろうしね。私としても、そんな事態は避けたいところだ」

 ライダーは、浅野に"まるで別人のようだ"と言う感想を抱いた。
 先程同盟締結の為に彼の下を訪れた際の印象は、"頭は切れるが、押し切れる相手だ"と言うものだった。
 いざとなれば武力で押し潰し、交渉を呑むしかない状況を作ってやればいい。そんな風に思っていたから、ライダーは急ぎはしなかった。だが今の浅野學峯には、妙な気迫と凄味がある。海賊として名を馳せたライダーは当然、こうした輩にも覚えがあった。純粋な力こそ無いが、粘り強く巧妙に交渉を挑んでくる手合い。
 サーヴァントを失ったと言うのに、何故サーヴァントが健在だった頃よりも勢いを増しているのか。その理由は、ついぞライダーには解らなかったが。

「それに、君の敵を増やさずに私が聖杯戦争に復帰する手段も、実のところ無い訳ではないんだ」
『……何?』
「話は変わるが、ライダー。君は随分と、出しゃばりなサーヴァントなんだね」

 その意味が理解出来ないライダーではない。
 彼の沈黙に、浅野は笑みを禁じ得なかった。
 聖杯戦争はリソースの限られた陣営戦だ。最後まで自分のサーヴァントと共に戦い抜くと言うのも勿論悪くはないが、それではどうしても不自由な場面が生じてくる。情報面であったり、魔力面であったり、或いは純粋な戦力面であったり。戦争が進む中で表面化してくる問題と言うのは存外多く存在する。
 だから、先のライダーのように同盟締結の交渉を持ち掛けるのは何も珍しい話ではない。
 この場合問題は、"本来従僕である筈のライダーが、マスターが行うべき交渉の仕事を自ら行っている"事だ。

「非礼を承知で問おう。ライダーよ、君の主は有能かな?」
『てめェ――』
「不具なのか、それとも幼く青いのか。其処までは予想しかねるが、私はこう思っている。
 君のマスターは……言ってしまえば"使えない"。魔力の量や戦闘能力など優れた面も勿論有るのだろうが、少なくとも陰謀を巡らせて暗闘を繰り広げる、なんて事が出来る程頭の切れる人物ではない。その為君はこうしてわざわざ、本来マスターがするべき仕事を代行している」

 今の浅野は、完全に"普段通り"の浅野學峯だった。
 純粋な頭脳、洞察力、考察力、交渉術、人心理解。
 培ってきたあらゆる対人会話の能力を総動員して、ライダー陣営の"事情"を読み取る。言い当てる。
 そして出すのだ、ワイルドカードとなるその一言を。交渉は何事も詰めが肝心。詰めのインパクト次第では、本来成功する取引すらも容易く失敗に終わる。
 その点浅野には自信があった。戦闘や魔力量の問題ならばいざ知らず、頭を回して解決出来る問題なら――"正解"するのは、赤子の手を捻るよりもずっと簡単だ。

「――ライダー、君のマスターと私では、どちらの方が君をより勝利に近付けられると思う?」



 一瞬の静寂。
 その後で響いたのは、可笑しくて堪らないと言った調子の、天夜叉の笑い声だった。

『フッフッフッフッ! そうかそうか、おめェそういう魂胆か!!
 ――おれにマスターを取り替えねェかと! そう言ってる訳かァ!!』
「我ながら、悪い話ではないと思っているよ。サーヴァントこそ居ないものの、未だ市長の立場と情報網は有効だ。それに加え、私自身非凡な物を持っている」

 浅野は自分を卑下しない。売り込むべき場面で謙遜するのは阿呆のする事だと、教育者としてそう心得ている。そうでなくても彼は、自分が才人である事をよく理解していた。だからこそ、誰よりもこの話の旨味が解るのだ。ライダーのマスターがどんな人物であれ、即断即決では話を切り捨てられない事も。

「只、所詮カタログスペックだけでは信用出来ない部分も有るだろう。返事は何も、今でなくても構わない。私がこの街から消滅するまで、まだ半日近い時間が残されている――それまでの間の私の働きを見て、君がどうするか判断してくれ。……尤も、私が君の立場だったなら、答えは最初から決まっている所だがね」

 浅野にしても、これは賭けだった。何しろ自分の口で言ったように、今の浅野にはサーヴァントが存在しない。新たなサーヴァントを見付けようにも、この満身創痍の有様で街を彷徨こう物ならそれこそ巻き添えで死にかねない。まさしく浅野にとって元村組のライダーは、勝利する為の最後の希望に他ならなかった。
 もしもこの話を蹴られてしまったなら、浅野の敗死はほぼほぼ確定。饒舌に語る彼であったが、まさしく彼は今、運命の分かれ道に立たされているのだ。にも関わらず不思議と心臓の鼓動は平静だった。恐れる事なく、余裕有る心境でライダーの返事を待つ事が出来ている。果たしてこれは、死線の蒼と言う異物が視界から消えた為か。それとも後が無くなった事で、精神が異常な領域に踏み入ったのか。両方だろうなと、浅野は思っていた。

『フ……良いぜ。面白ェ、乗ってやるよ』

 待ち望んでいたその返事にも、過剰に喜びはしない。
 何せ、此処からが本番なのだ。これから自分は――それ自体、認め難い屈辱だが――彼に己の有用性を最大限行動で以って誇示しなければならない。

「ありがとう。では精一杯、君の眼鏡に適うよう奮闘させて貰うよ」
『フッフッ! 期待しといてやるぜ、市長。精々切り捨てられないよう、死ぬ気で頑張る事だ……!!』

 ブツン。耳障りな音と共に、通話が切断された。受話器を置いて浅野は座椅子に戻り、静かに目を瞑る。
 鎌倉の街は今、大変な混迷に包まれている。市役所に鳴り響く苦情と誹謗の電話は殆ど絶えると言う事がなく、浅野自身、まだ片付けなければならない仕事が山積みだった。そんな状況だと言うのに何故、彼は呑気に瞑想めいた事をしているのか。その理由は、次の瞬間に明らかとなった。

 浅野のこめかみや額に、今にもはち切れそうな程の太い血管が次々浮き出てくる。普段のクールで淡々とした彼からは想像も出来ない修羅めいた形相で、浅野はこれまでの自分の有様を述懐する。理性を失くしたバーサーカーに恐怖し、隷属。魔力を吸い上げられて何度となく気絶しかけ、解決出来ていない課題も山のよう。挙句バーサーカーは自分の知らない所で一足先に退場し、これから自分はあの俗なライダーに媚を売る真似をしなければならない。

「有り得ない。有り得ない。有り得ない。有り得ない。有り得ない。有り得ない。有り得ない。有り得ない。有り得ない」

 自分は誰だ? ――浅野學峯だ。浅野學峯ともあろう者が、これほどの敗北と失敗を重ねて何故のうのうと生きている?
 負け癖が付いてしまったのでも言うのなら、それこそ死んだ方が何百倍もマシだ。自分は勝者として、勝ち続けねばならない。踏み越えられる屈辱に甘んじ、敗北と挫折を仕方のない事と受け入れているようでは未来は見えている。そんな惰弱には生きている価値もない。
 自罰する、自罰する。もう何年も忘れていた敗北への嫌悪と怒りが、最凶の教育者を進化させる。
 只でさえ満身創痍の身体に鞭を打って精神を発狂寸前まで追い込んでいるのだから、身体に掛かる負担は尋常ならざる物となっているが、そんな事は瑣末だ。仮眠や休息を取っている暇はない。周回遅れに追い込まれた長距離ランナーが、解けた靴紐を結び直すか? 浅野は否だと考える。本当に勝ちたいと願っているなら靴など必要ない。それを脱ぎ去ってでもゴールに向かい、願った勝利をもぎ取るべきだ。
 変えなければならない、この現状を。その為に、進まねばならない。これまでの自分よりも、一本進んだ自分に。



「市長、市長! 少々宜しいでしょうか――!」

 そんな時、ノックの音色が市長室に木霊した。
 一瞬で思考をクールダウンさせ、いつも通りの顔を作ってから入室を促す。
 扉を開けた市職員は、浅野の浮かべる柔和な笑みを見て、一瞬目を見開いた。浅野が笑みを浮かべている事に対して驚いたのではない。誰の目から見ても明らかな程の疲弊を湛えた顔に驚いたのだ。何日も続けて徹夜しているかのような、浅野はそんな疲れきった顔をしていた。
 なのに、どうしてだろうか? 今すぐ医務室に運び込むべきに見える浅野市長から、普段の何倍もの存在感と気迫を感じるのは。自分の気のせいだろうか――思わず棒立ちでそんな事を考えてしまう職員の青年に対して、浅野は口を開いた。

「で、要件は何かな?」
「あ……はい。実は先程、七里ヶ浜に再び沖上からと思われる砲撃が――」
「"ああ、そんな事か"」

 え、と口が動く。
 今、この人は何と言った?
 自分の聞き間違いでなければ、市長は本来頭を抱えて然るべき事態に対し、"そんな事か"と――

「時に、君。その目は良くないな……もっと堂々とすべきだ」

 いつの間にか。
 浅野市長の手が、彼の肩に置かれていた。
 疲弊を湛えた顔が目の前にある。そして耳元に口が近付けられ――


「君は優秀だ。こんな異常事態程度、すぐに解決出来てしまう。
 支配する。支配する。力のある君は、全てを支配する。踏み潰し、制圧する。
 事務作業でも同じ事だよ。強くなければ生き残れない。君は強い。強くなる。強くなって支配する」


 市長室をかの職員が出た時、既に彼は虚ろな目で、ブツブツと何かを呟きながら、仕事だけは驚く程の能率でこなす不気味な有様へと変えられていた。それに驚く間もなく、市長室から姿を現した足取りの覚束ない浅野學峯が、その風体とは余りにも不似合いな優しい笑みを浮かべて職員達の中心に立ち、言う。
 これからホールにて、士気高揚の為の短時間ミーティングを行う、と。
 異論は認めない。黙して従え。無論そんな事を浅野は言わなかったが、誰もが彼の穏やかな声色から、そうした強い強制力を感じ取った。コールの鳴り止まない市役所内に、民間からの電話を無視してまで全ての職員がホールに向けて歩いて行くと言う、奇怪極まる光景が繰り広げられていた。
 全職員が集まった所で、浅野はマイクを取り、パイプ椅子に座ったまま話し始める。――いや、施し始める。

「さあ、戦いはこれからだ」

 洗脳を。人の心を支配し、人格を失う代わりにあらゆる能率を向上させる魔法の話術を。
 浅野學峯はサーヴァントを失い、敗北者になった。高慢なる大海賊に媚を売り、自分の有用性を認めさせねばならないと言う、惨めな労働者の立場になった。浅野の心は既に度重なる屈辱で崩壊寸前。仮にこの計画に失敗したならば、彼は身体が消滅する迄もなく発狂死するだろう。
 ――故に勝負は此処から。全てを失った男は、然し未だ支配する力を持っている。


 彼の覚醒を以って、鎌倉市役所は一つの巨大な人形館と化した。



【C-2/鎌倉市役所/一日目 夕方(夜に近い)】

【浅野學峯@暗殺教室】
[令呪]無し
[状態]魔力消費(極大)、疲労(極大)、執念、サーヴァント喪失
[装備]防災服
[道具]
[所持金]豊富
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争に勝利する。しかし聖杯に何を願うべきなのか―――?
0:私は勝利する。
1:ライダーのマスター権を手に入れる。
2:辰宮百合香への接触は一時保留。
3:引き続き市長としての権限を使いマスターを追い詰める。
4:ランサー(結城友奈)への疑問。
[備考]
※傾城反魂香に嵌っています。百合香を聖杯戦争のマスターであり競争相手と認識していますが彼女を害する行動には出られません。
ライダー(ドンキホーテ・ドフラミンゴ)と接触。表向き彼らと同盟を結びましたが状況次第では即座に切るつもりです。
ランサー(結城友奈)及び佐倉慈の詳細な情報を取得。ただし真名は含まない。
サーヴァントを喪失しました。このままでは一定時間の後、消滅します。
  ◆  ◆


 ドンキホーテ・ドフラミンゴと言う人物は、浅野學峯を高く評価していた。
 混乱の鎌倉市を統括する身分でありながら、一切のボロを出す事なく事を進めるその頭脳。他者から読み取れる場所に情報を残さず、全てを己の脳裏に叩き込む事で情報漏洩の可能性を絶無にすると言う合理的思考。其処を買って、ドフラミンゴは彼と、正確には彼らの主従と手を組みたいと考えていたのだ。
 然しさしもの彼も、浅野のサーヴァントが討たれたと聞いた時には驚いた。ドフラミンゴは彼のサーヴァントが一体どんな人物だったのかすら知らないが、どうやらあの優秀な男をして扱い切れない程、ピーキーな性質の英霊だったらしい。
 尤も、真に驚くべきは其処からだ。何と浅野は、サーヴァントを失った身でありながら自身に取引を持ち掛けてきたのだ。此方の事情を僅かな情報から完璧に見抜き、其処に付け込んでマスターの座を奪い取ろうと画策し、浅野は実行に移した。崖っぷちに立たされて後がない状況であるとはいえ、凄まじい胆力と言う他ない。

「さァて、どうなるかねェ」

 浅野學峯がどうなろうと、ドフラミンゴにとっては構わない。彼が成り代わりに成功するにしろ失敗するにしろ、ドフラミンゴにしてみれば得しかないのだ。
 浅野はこれから自らを売り込む為、市長の権限と持ち前の頭脳を最大限発揮して此方の陣営を援護してくれる。その時点で既に、非常に強力な手札だ。後は現在の自分のマスター……乱藤四郎と浅野學峯を比べてみて、今後の戦いが容易になると踏んだ方を正式にマスターとして認めればいい。
 と言うのも、浅野學峯と言う男は優秀だが、それ故に侮れない相手だからだ。いざマスターの権利を握るや否や、令呪を用いて自身を駒の一つに変えてしまう可能性もある。非常に高い王としての矜持を持つドフラミンゴにとって、それは許し難い事態であった。だから、直ぐに返事はしない。ギリギリまで判断を渋り、どちらが今後の為になるかを見極めた上で、乱か浅野のどちらかを切り捨てる。そういう腹積もりだった。

“まァ……それでもどっちを取るかは見えてるけどなァ。フッフッフッフッ……!!”

 天夜叉は嗤う。刀剣男士の迷いも天才市長の執念も、全て平等に見下した上で、掌で躍らせてほくそ笑む。
 浅野は自身の部下を全て忠実な人形に変えてしまったが、ドフラミンゴに言わせれば、浅野もまた人形の一体だ。
 ドフラミンゴの前には無数の可能性があった。大海賊は今、自由に未来を選ぶ権利を持っている。


【B-4/元村組本部/一日目 夕方(夜に近い)】

【ライダー(ドンキホーテ・ドフラミンゴ)@ONE PIECE】
[状態]健康
[装備]
[道具]
[所持金]総資産はかなりのもの
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を獲得する。
0:新市長の提案に乗る。いざとなれば乱を切り捨てるのも吝かではない
1:ランサーと屍食鬼を利用して聖杯戦争を有利に進める。が、ランサーはもう用済みだ。
2:軍艦のアーチャーに強い危惧。
[備考]
浅野學峯とコネクションを持ちました。
元村組地下で屍食鬼を使った実験をしています。
鎌倉市内に複数の影騎糸を放っています。
ランサー(結城友奈)にも影騎糸を一体つけていました。しかしその影騎糸は現在消滅したため、急遽新たな個体をランサーの元に派遣しています。
上記より如月&ランサー(アークナイト)、及びアサシン(スカルマン)の情報を取得しています。

※影騎糸(ブラックナイト)について
ライダー(ドンキホーテ・ドフラミンゴ)の宝具『傀儡悪魔の苦瓜(イトイトの実)』によって生み出された分身です。
ドフラミンゴと同一の外見・人格を有しサーヴァントとして認識されますが、個々の持つ能力はオリジナルと比べて劣化しています。
本体とパスが繋がっているため、本体分身間ではほぼ無制限に念話が可能。生成にかかる魔力消費もそれほど多くないため量産も可能。
  ◆  ◆


 そんな陰謀が繰り広げられている事など露知らず、乱藤四郎は聖杯戦争の趨勢を見守っていた。
 嘗ては刀剣男士として歴史修正主義者と果敢に戦いを繰り広げていた彼も、サーヴァントの破壊が入り乱れるこの鎌倉では勝利を祈る事しか出来ぬ無力な存在でしかない。自らの現身である短刀で敵を切り伏せるでもなく、主として己のサーヴァントに策を授けるでもなく。
 見た目通り、無力な少女のように――それを見ているだけ。天夜叉の暗躍が実を結び、全ての主従が倒れ、自分が聖杯の前に立つ瞬間を願い、待っているだけ。このままでは行けないと、頭では解っている。然し解っていても、乱に何かを変えられる力はない。前線に出て戦おう物ならドフラミンゴに嘲笑された挙句、刀剣としての矜持を侮辱され、後ろに引っ込んでいろと言われるのが関の山だ。

“……どうすればいいんだろう”

 また、遠くの方で音がした。大きな音。何かが壊れたか、爆発したような音。
 聖杯戦争は止まらない。自分は、その流れから一人取り残されている。

“ボクは――”

 乱は、まだ知らない。
 こうして悩み、考えている間にも、彼の命運は悪魔のような男によって天秤に掛けられている事を。
 彼が抱き、夢見た理想の未来が、無力と言う怠惰の対価として失われようとしている事を。
 彼は果たして、全てが終わる前にそれに気付くのか。狂える天才に、勝てるのか。
 それとも――天夜叉と言う名の巨大な"鳥カゴ"から、飛び立つ事が出来るのか。


【乱藤四郎@刀剣乱舞】
[令呪]三画
[状態]健康
[装備]短刀『乱藤四郎』@刀剣乱舞
[道具]なし
[所持金]割と多め
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯の力で、いち兄を蘇らせる
0:……どうしよう
1:魂喰いを進んで命じるつもりはないが、襲ってくる相手と聖杯戦争の関係者には容赦しない。
2:ランサーを利用して聖杯戦争を有利に進める……けれど、彼女の姿に思うところもある。
[備考]


  ◆  ◆


 そして――

 何も知らず、白痴のように幽閉された"かのじょ"は、夢見るように停止していた。
 奇しくも、幸福の夢に堕ちた嘗ての教え子と同じように。
 どこまでも救われないまま、屍食鬼・佐倉慈は其処に居る。


【佐倉慈@がっこうぐらし!】
[令呪]三画
[状態]理性喪失、魔力消費(小)、寄生糸による行動権の剥奪
[装備]
[道具]
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:?????
[備考]
※慈に咬まれた人間は、マスター、NPCの区別なく彼女と同じ状態になります。
※彼女に咬まれて変容した者に咬まれた場合も同様です。
※現在はB-4/元村組本部の地下室に幽閉されています。周囲には常時数名の見張りがついており、少なくとも自力での脱出はほぼ不可能です。



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043:機神英雄を斬る 投下順 045:あの日見た星の下で -what a shining stars-
051:盤上舞踏 時系列順 052:葬送の鐘が鳴る

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035:存在する必要のない存在 アーチャー(エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ) 0:[[]]
033:白紙の中に 浅野學峯 053:盲目の生贄は都市の中
028:陥穽 バーサーカー(玖渚友) GAME OVER
037:夢に墜ちていく バーサーカー(式岸軋騎) GAME OVER
023:嘘つき勇者と壊れた■■ 乱藤四郎 0:[[]]
033:白紙の中に ライダー(ドンキホーテ・ドフラミンゴ) 0:[[]]
023:嘘つき勇者と壊れた■■ 佐倉慈 0:[[]]

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