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 ………。

 ……。

 …。





   【7年前】


   【星宙の詩編 1/4】





 ………。

 ……。

 …。










「ねえ君、星を見なかったかい?」

 満点の星々が輝く、とある夜のこと。
 病室の片隅で生まれた不思議な邂逅は、そんな一言から始まったのだった。





 ────────────。





 「みなと」という少年を一言で表現するならば、病弱児というのが妥当であろう。
 彼は生来病弱な身の上だった。物心ついた頃から病院暮らし、出歩けたことなどほとんどなく、白くて冷たい無機的な病室だけが自分の知り得る宇宙(せかい)の全てであった。

 そのことについての不安や恐れは、あまりなかったように思う。
 あの頃は幼く、死というものをよく分かっていなかったというのもそうだが、単純にいつか治って退院できるのだと希望を抱いていたのだ。
 ただ、自分で見渡せる世界の風景が人よりもずっと狭かったから、もっと広い世界を見てみたいなと、ずっと夢見ていた。

 例えば宇宙、例えば星々。
 そうしたものを見て、触れて、広い世界を実感することができたならば、それはとても素敵なことだと思った。


「君、僕が見えるのかい?」


 "彼"との出会いは、酷く唐突なものだったように思う。
 いつもと同じ一日が終わろうとしていた夜、開け放たれた窓から堂々と病室に分け入ってきた彼は、何かを探しているようだった。
 だからみなとは何をしているのかを尋ね、彼はまず驚いた。

 綺麗な男の子だった。
 見たことのない格好をした、けれど不思議と似合ってる、そんな子。
 朗らかに語りかけてくる彼は利発そうで、みなととしては何だか圧倒されるばかりであった。

「ねえ君、星を見なかったかい?」

 "彼"の問いかけに、みなとは心当たりがあった。
 何日か前に見た、とても多くの流星雨。
 夜空に輝く宇宙からの星屑を、みなとは大きな感慨と共に夜通し見続けていたのだ。

「そう、それが僕らの宇宙船ってわけだ」

 彼は語る。みなとが見た流星雨は壊れた宇宙船やエンジンの欠片で、彼は故障した宇宙船を直すため、一人地上に降りてきた宇宙人なのだと。
 みなとに、彼は指先に収まるくらいの小さな宝石のようなものを見せてくれた。
 彼は"それ"を集めるため、みなとの病室にお邪魔したのだそうだ。

「このキラキラはいわば可能性の結晶。僕たちの宇宙船のエネルギー源でもある。あの流星雨となって地球に降り注ぎ、人々の心に宿ったんだ」

 彼の話は難しく、それ以上に神秘的で魅力的だった。いつしかみなとは、彼の語る言葉に夢中になっていた。

 だから、これ以上長居はできないと言う彼に、みなとは縋った。
 僕にも手伝わせて、と言ったのだ。

 その本心が、親切心こそ嘘偽りないものでこそあれ、大半が未知の世界に対する期待であったことは言うまでもない。

「それは助かるけど……君、寝てなくていいの?」

 だから、"彼"の訝しげな疑問の声も、その時は全く聞く余裕がなくて。
 みなとはただ必死に、差し出された腕を掴み取ったのだった。



 彼は僕を、暗い病室から連れ出してくれた。僕にとって彼は、初めての友達だった。
 彼は名をエルナトと言った。そう名乗られたのではなく、僕が名付けたのだ。
 おうし座の二番星、僕の一番好きな星。
 そう言ったら、じゃあ君は一番星のアルデバランかい?と言ってきて、二人して笑い合った。

 エルナトは僕に"魔法"をくれた。僕たちはそれを使い、夜毎キラキラを集め歩いた。
 ある時は公園の片隅に、ある時は病院の通路に。
 捨てられた植木鉢をひっくり返してミミズと一緒に見つかったり、眠っている猫の隣に落ちていたこともあった。
 キラキラは色んなところにあって、空を翔けて町中を巡り歩くという体験は、僕にとってかけがえのない思い出となった。
 不思議なことに、僕たちの姿は誰にも見つかることはなかった。それは心のどこかで小さな疑問になったが、敢えて尋ねることはなかった。

「僕たちの宇宙船は物質でもありエネルギーでもあり、あるいはそのどちらでもない。重ね合せのような存在なんだ」
「重ね合せ?」
「そう、色んな可能性が幾重にも重なり合っているんだ。そういう意味では人間も僕らの宇宙船と似ていると言えるかもしれないね。
 特に幼い子供は"何者でもない"からこそ、"何者かになれる"というたくさんの可能性の間で揺れ動いてる」

 エルナトは語る。そんなたくさんの可能性を持つ人間の心で育まれ、やがてその人が「何者か」になると、失われた可能性と共に心からはじき出されたものが、このキラキラなのだと。
 彼の話はやっぱり難しくて、その時の僕は半分も理解しきれていなかったと思う。
 けれど、彼の語る言葉で一つだけ、どうしても気になることがあった。

「はじき出されたら、どうなるの?」

 問われ、一瞬だけエルナトは顔を伏せる。
 その横顔はどこか、寂しそうにも見えた。

「何者になることもなく、消えてしまうね」

 ……可能性の結晶。選ばれることなく消えゆく運命にある者たち。
 僕にはなんだか、愛おしく感じた。



 それは過去。彼の記憶、少年の記憶。
 今は擦り切れ薄れてしまった、けれど確かにそこに在った、輝かしい思い出の日々。
 彼の生涯において最も尊く、それ故に聖杯の恩寵を望むまでに絶望してしまうことになる、その幕開けでもあったのだ。





   ▼  ▼  ▼





 ───魔力充填。

 手に持つ二挺の拳銃と肩口に現出させた更なる二挺の長銃に弾丸となる魔力の充填を完了させると同時に、黒髪の少女が一直線に突っ込んできた。躊躇というものが微塵も感じられない、迷いのない動き。両手で構えた細身の刀は古風な日本刀のようにも見えた。
 一撃目は右から。鈍い銀色の刀身が、弧を描いて美森の喉に迫る。

「させない……!」

 クイックドロウの要領で放った速射弾が目の前で弾け、炸裂する衝撃とマズルフラッシュが無理やりに剣の軌道を捻じ曲げる。襲い来る刃は数センチしか逸らせなかったが、美森にとってはそれで十分。生まれた隙を逃さず後方へ跳躍すると同時に、滞空させていた長銃の片方を選択して魔力を解放。解き放たれた青色の魔力弾がアサシンの体を貫くかと見えた瞬間、彼女の姿は陽炎のように美森の視界から掻き消えた。
 それは特異なスキルや宝具、あるいはそれらに類する異能の行使の結果ではない。
 単純な敏捷差の顕れである。
 アサシンのサーヴァントたるアカメは、極めて高い敏捷性を誇る。体術に身のこなし、一瞬が全てを決める暗殺稼業においてアカメは速度を極めるに至った。
 対して美森は敏捷性という一点においては劣悪を極めるサーヴァントである。彼女の場合、最低値を示すEの敏捷性は生身の肉体における下半身不随を表すものであるからして、実際の移動性能及び動体視力は実数値よりもいくらかマシであるとはいえ、アカメの速さとは雲泥の差であることに変わりはない。先の攻防における姿の消失とは、すなわちこの差が生んだ結果であるのだ。

(けど……!)

 それは誰よりも美森自身が自覚している。しかし、だからといって彼女に勝機がないと言えばそれは否だ。
 アカメの攻撃手段とは構えた刀による刺突・斬撃である。それは言いかえるなら、攻撃に至るには敵に接近し、そして腕を振るうというプロセスを経ねばならないということだ。投擲という手段もあるが、こちらもむしろ斬撃よりも隙が増える以上は同じことが言える。
 すなわち、接地における一瞬のタイムラグ。それがアカメの弱点。
 圧倒的に不利な対剣士戦闘における、美森に残された唯一の勝機である。

 更に二つの銃を具現化すると同時に、残る一つを加えた三挺の長銃をそれぞれ壁、地面、上空へと配置。虚ろな夕闇に光を穿つ。三本の光条は互いに交わらぬ軌跡を描き、踏み込みのために静止したアカメへと同時に襲い掛かる。

 少女の剣が、舞う。

 二本の光条がただ一度の斬撃によって掻き消され、残る一本が最小限の動きで回避される。
 微かな驚きが、美森の表情を覆った。
 アカメの攻撃から逃れるために、御幣めいた外布を操作して左側方へと飛び退る。アカメの剣が闇に閃き、その動きを塞ぐ。防御に重ねた拳銃は呆気なく切り裂かれ、上方からアカメを狙った光弾は後ろ手に構えたもう一振りの剣によって阻まれる。回避の代償として切り裂かれ機能を失った拳銃を放り捨て、美森は内心忸怩たる思いで更に後方へと逃れた。
 こうも密着されては美森が得意とする射撃は有効な攻撃手段に成り得ない。自分自身を巻き込まないように光弾の軌道を設定すれば、攻撃パターンはおのずと制限されてしまう。巻き込まれてもいいように威力を絞る選択は対サーヴァント戦においては本末転倒だろう。
 外布を必死に操作して、かろうじてアカメの斬撃を躱す。アカメは再び攪乱のためトップスピードへと移行し美森の視界から消えようとする。させじと解き放った四条の光芒は悉く目標を外し、青い魔力の光条が織りなす僅かな隙間からアカメの体が滑り込んでくる。

 防戦一方だ。美森はそう述懐する。
 単純な性能差がどうこうという次元の話ではない。戦闘予測という一点において自分は明らかに相手から上回られている。敏捷性による知覚能力の格差は元より、恐らくは対人戦における経験値が自分とは圧倒的に違うのだ。

 東郷美森は怪物退治で名を馳せた英霊である。
 人類領域を襲う未曾有の大災害、人の手では決して及ばない威容を誇る未知の知性体「バーテックス」。神話に登場する怪物にも比肩し得る巨獣を相手に戦い抜き、最終的にバーテックスの一時根絶まで成し遂げた美森は、怪物殺しの面においては近代最高峰の英霊であると言えるだろう。
 だが、裏を返せばそれだけでしかないのも事実であった。端的に言って美森は対人戦闘の経験が皆無なのである。人を相手にした戦いも、戦争行為というものも一切経験していない。故に明確な思惑を持ち一種の騙し合いとも言える一対一の戦闘において、美森は素人とさえ呼べてしまうような若輩であった。
 故にこの戦況は、個人が持つ能力や技能以前の、性質としての相性が現れた結果と言えた。仮にアカメの相手が"怪物"であったならば、圧倒的な膂力と芳醇な生命力という獣の強さの前に苦戦を強いられたはずだ。逆に美森の相手がそれだったならば、恐らく彼女はここまで苦戦することはなく、場合によっては容易に勝ちを拾えた可能性だってある。
 しかし現実はそうではなく、この戦いは怪物殺しの英雄と英雄殺しの暗殺者という構図だ。英雄は怪物には勝てても、英雄を殺す暗殺者には無力となる。本来アサシンが圧倒的に不利となる正面切った対三騎士戦闘においてここまで一方的な戦況となっているのにはそうした理由が存在した。

 だが、それでも。
 それでも、全てを誤ってしまった自分には、負けることなど許されないから。

「これ、でも……!」

 滑るように地を駆け、10mの距離を一瞬で0にする。空気抵抗が体の表面を流れ、微かな風を肌に感じる。
 後ろへと踏み込みざま、再度現出させた拳銃でアサシンの眉間を狙う。
 飛び出した弾丸はアサシンの眼前に掲げられた刃に逸らされ、美森の意図とはかけ離れた軌跡を描いて虚しく宙を貫く。

 ───まだ!

 崩れた体勢に逆らうことなく体を流し、踏み込んだ右側面の外布を軸にして背中から回転。広範囲に向かってばら撒かれた弾丸がアサシンの回避軌道を塞ぐように展開され、やはり最小限の動きにより目標の一センチ手前を通過する。
 続く三撃目を繰り出そうとした瞬間、目の前のアサシンの姿が唐突に掻き消えた。
 右か、左か───いや違う。あの姿勢では側方にばら撒かれた銃弾を弾きながらの移動は叶わないはずだ。
 ならば下か───いや違う。如何な速度を以てしたとしても、それでは美森の視界から消えることはできない。

 つまり、残された可能性は一つだけ。

「上───!?」

 驚愕と共に仰ぎ見た頭上に、高く剣を振りかぶるアサシンの姿。
 反射的に拳銃弾を撃ち放つも、そのような攻撃が通じるはずもなく左手に翳された一刀のもとに弾かれる。
 そして振りかぶるは、本命の右───!

 絶体絶命の窮地であった。
 行動を射撃に費やしてしまった今の美森には、防御も回避も不可能。
 そして振るわれる剣閃は、一筋の疵のみで相手を死に至らしめる呪毒の妖刀。

 走馬灯のようにゆっくりと流れる視界の中、白刃の煌めきが美森へと迫る。
 美森は為す術もなく、呆然とそれを眺め───





 ───美森の痩身を覆う花の紋様に、光が満ちた。





   ▼  ▼  ▼





   【7年前】


   【星宙の詩編 2/4】




 ………。

 ……。

 …。



 ────────────。



 それは、エルナトとのキラキラ集めを続けていた、ある日のことだった。
 僕の小さな宇宙に、"君"が現れたのは。

「わぁ、きれい」
「え……?」

 病室の扉を開け放って、そんな声が自分の耳に届いた。
 その子は僕と同じくらいの年ごろの、可愛らしい女の子だった。
 僕と付添の看護師以外に開ける人などいなかったはずの扉を開けて、その子は僕の持つキラキラを、同じくらいキラキラとした目で見つめていた。

「ねえ、それなあに?」

 無邪気に、楽しげに、悪意の欠片も見当たらない真っ新な笑顔で僕に訪ねてくる女の子。
 それに、僕は思わず戸惑ってしまった。
 だって、僕の短い人生で同い年の子と話したことなんて初めてだったから。

 その子は母親のお見舞いで病院に来ていて、迷ってしまったらしい。
 僕のベッドの片隅に座り、俯いて足を揺らしながら、彼女は話してくれた。

「夕べ、流れ星におねがいしたの。おかあさんが早く良くなりますようにって。
 きれいな流れ星だったのに、おとうさんはそんなのなかったって言うんだよ」

 彼女の言葉に、僕は「はっ」と息を呑んだ。
 思い当たることがあったからだ。昨日の夜、魔法で誰にも見られないはずの僕は、けど確かに誰かに見られているような、そんな気がしていたのだ。
 誰なんだろう、どんな人なんだろうと、あれからずっと僕はそう考えていて、だから。

「あれ、君だったんだ」

 いつの間にか、僕は自然と笑みをこぼしていた。
 女の子は「え?」と不思議そうにしてて、けど僕はそんなのお構いなしなくらいに嬉しかった。

「その流れ星って僕のことだよ。見てて」

 言葉と共に、手元のキラキラを共鳴させる。
 ふわり、と光が灯ったかと思えば、それは病室を塗り替えるように広がり、ベッドに座る僕たちを壁も床も天井もない場所へと導いた。
 あたりは小さな病室ではなく、星々が瞬く宇宙に姿を変えていた。

「え、わ、わあ~~~~!?」

 あわあわと顔中で「びっくり」を表現する女の子の手を、僕はそっと握った。

「大丈夫だよ、僕は魔法使いなんだ」
「まほう、つかい……?」

 なおも呆然とする女の子の手を取り、僕はベッドから足を踏み出した。
 ふわりと浮きあがる。そのまま僕らは、舞うように、自由に、星々の間を飛び回った。

「僕は、君の星も好きだな」

 女の子が作ったという、折り紙の星。
 本物の星空ではくすんでしまうと嘆いたそれを、けれど僕は何より綺麗だと思った。

「ほんとう?」
「本当さ。だから、僕の星と交換しよう」

 そうして手渡したキラキラに、女の子は心の底から浮かべたであろう満面の笑みを湛えていた。
 僕もまた、心から笑みを浮かべた。



 その子との出会いは、僕に希望をくれた。
 人の心から零れ落ちたキラキラ。夜毎それを集めて飛ぶ僕を、流れ星だと思ってその子は願いをかけてくれた。
 勘違いだったとしても、彼女は僕に願ってくれたのだ。

 今の僕なら、それに応えられるんじゃないか。
 誰かの役に立ったり、誰かを守ることもできるんじゃないかって。

 生まれて初めて、そう思えたんだ。





   ▼  ▼  ▼





 微かな風の流れに揺られて、街路樹の梢が葉音を立てた。

 商店の二階、自分に宛がわれた部屋の窓辺に肘をつきながら、すばるは軽く息を吐いた。
 夜間照明が点きつつある鎌倉の街を窓の向こうに見下ろし、揺れる前髪を言葉なくつまんでみる。

「……」

 独り言をする気すら、今はしなかった。
 静寂満ちる暗い部屋の中で、拭いきれない無力感がすばるを苛む。

 おばさんの心配する声を遮ってこの部屋に戻ってから、そろそろ一時間が経とうとしていた。
 アーチャーからの連絡は、まだない。と言っても、ドライブシャフトを用いて変身していない状態の自分は単なる一般人でしかないから、おのずと念話の範囲も狭まってくるので当然の話ではあるが。
 だからと言ってずっと変身しているというわけにもいかなかった。おばさんへの言い訳も必要になってくるし、そもそも変身している間は認識阻害の効果が付いてしまうから、こういう時はあまり変身していたくないというのが、すばるの正直な気持ちであった。

 それはつまりどういうことか?
 結局のところ、今日一日を通して、すばるは何もできていないということだ。
 サーヴァント同士の戦いに素人が出る幕などないという、そんな次元の話じゃない。
 自分は今まで、ただ状況に流されるだけで何も行えてないし、決断もできていないのだ。

 鈍臭くて何もできない自分。
 変わりたい、変わりたいと思って、カケラ集めを通して少しは前に進めたかな、と思っていたのに。

 人は一朝一夕では変われない。
 変われるようなら苦労しない。

 魔法なんてものを手に入れて、魔法使いになったとしても。
 すばるは未だ、何者でもなかった。

「だったら、わたしがやりたいことは……」

 決まっている。みなとにもう一度会うことだ。
 目の前で消えてしまって、呪いを抱いているのだと言い残して、世界のどこにもいなくなってしまった彼。

 ───いやだ、絶対にいや。みなとくんがいなくなるなんて、そんなこと。

 不意に連想してしまった最悪の想像に、すばるはぶんぶんと頭を振る。
 ネガティブで、すぐ嫌なことを考えてしまう。
 これもまた、変わりたい自分の悪癖の一つであった。



「……あれ?」



 ふと。
 見えるものがあった。それは、視線の先のほうに。
 街と空の中間、地平線まで行かないくらいのところ。そこに、キラキラと輝くものが見えたのだ。

「なんだろ……」

 目を凝らしてじっと見てみる。それは、青い線のようにも見えた。
 青い光の線。いつか見た流星みたいなそれは、中空を一直線に進んでは途中で消えて、また生まれてすぐ消えての繰り返し。様々な方向から伸びては無軌道に瞬いていた。

 すばるは、その光に心当たりがあった。
 流星ではない。あの光を見たのは、流星のようにこの鎌倉に来る前ではなく、来た後。
 アーチャーのサーヴァントと契約し、この聖杯戦争に挑むことになってから見たもので。
 それは、つまり。

「アーチャーさんの、銃?」

 その答えに思い当たった瞬間のことだった。



「───え?」



 今までは遠くに小さく見えるだけだったその光が、突如として視界のいっぱいに広がった。
 それを前に、すばるは全く反応ができなくて、呆けたような声を上げるのが精いっぱいだった。


 次の瞬間、凄まじい衝撃と轟音が響き渡り、すばるのいた場所が抉られるように、この世から消失したのだった。


 ……すばるは知らない。
 その破壊が、他ならぬアーチャーの放った魔力弾の直撃であることを。
 マキナに弾かれた一発が、それでもなお減衰することなく突き進み、こうして偶然にもすばるの住まう部屋に殺到したのだということを。

 もうもうと煙が立ち込め、崩れた瓦礫が散乱するばかりとなった部屋から消えたすばるには。
 知る由も、なかった。





   ▼  ▼  ▼





   【7年前】


   【星宙の詩編 3/4】





 ………。

 ……。

 …。



 ────────────。



 ある夜のことだった。
 いつものようにエルナトと一緒にキラキラを集めていた僕たちの前に、とても大きな輝きが姿を現した。

 それはまるで流れ星のように、光の尾を引いて夜空を翔けていた。
 「あれなあに?」と興奮気味に聞く僕に、エルナトはいつも以上に真剣な声音で答えた。

「あれがエンジンの欠片だ」
「あれが?」

 思わずそう聞き返してしまう。
 話には聞いていた。エンジンの欠片とは、文字通りエルナトたちの乗る宇宙船のエンジン、その一部なのだと。
 あくまで燃料の一つでしかないキラキラと違い、宿す力も可能性も段違いの存在。それが、エンジンの欠片。

「あれには僕たちの運命だって変えられる力があるんだ。
 今の僕たちじゃ、とても手が届かないけどね」

 少しだけ残念そうに語るエルナト。しかし、その時の僕はそんなことを気遣う余裕さえなかった。

「あれがあれば、あの子の願いも叶えてあげられるんだ……」

 あの子? というエルナトの声を無視して、僕は一直線にエンジンの欠片へと向かって飛び立った。慌てたような声が後ろから届くが、それさえかつての僕にとっては雑音でしかなかった。

「どうする気だ、みなと!」
「捕まえるんだ! 今の僕ならできる!」
「よせ! あの力を個人の願いのために使うつもりか!」

 必死に諌めるエルナトの心が、今は胸に痛い。けど、ここで諦めるわけにはいかなかった。

 あの子は僕と言う流れ星に願いを託してくれた。こんなにちっぽけ、取るに足らない僕なんかに。
 だったら僕が、本当の流れ星を捕まえて願いを果たすべきなんだ。
 それが、僕に希望をくれたあの子に報いるたった一つの方法なのだから。

 そうだ、僕は───


「だって、僕は……!」


 あの子の願いを叶える───


「魔法使いなんだから!」


 星空に浮かぶ大きな輝きに、ただ一心に。

 右手を、伸ばす。



 ────────────。



「───えっ?」

 ぱきん、と。
 何か致命的なものが砕けるような、そんな音が聞こえた。

 突如として重力の檻に囚われた僕の体は、真っ逆さまに墜落していった。
 まるで、魔法が解けたように。
 まるで、夢から醒めたように。

 不遜にも太陽に挑み、日の熱で溶け落ちた蝋の翼と同じくして。
 僕を僕足らしめていた不思議な力は、呆気なく消えてなくなったのだ。





   ▼  ▼  ▼





 轟音と共に、大量の粉塵が舞い上がった。
 大気を激震させる振動は鼓膜を貫き、平常な聴覚を麻痺させる。流れる視界の端ではいくつもの自動車が弾き飛ばされ、さながらジオラマの小道具めいて吹き散らかされている。

 誰が信じようか。今ここにある、地盤沈下でもしたかのように巨大な穴が穿たれ、剥き出しの地下構造を露わにした災害現場もかくやという瓦礫の山が、つい先ほどまで多くの人々が行き交う交差点であったということを。
 夕焼けに染まる陽が傾き夜になろうかといった頃合い、帰宅途中の通行人や自動車が多いその時間帯に、"それ"は訪れた。

 最初は空高くに浮かんだ小さな黒い点だった。その時点で気付けた一般市民は、恐らく一人もいなかっただろう。それが、突如として交差点の真ん中に墜落した。衝撃で人も車も諸共に吹き飛び、周囲数十mに渡って蜘蛛の巣状に巨大な亀裂が刻まれたのだ。

 建築物のガラスが一斉に砕け散り、衝撃に大気が押し出されることにより生まれる一瞬の静寂。その只中にあって尚鮮烈な黒の凶眼。
 それを前に、衛宮士郎は動揺も鷹揚もなく、剣のみを手に。鉄心の表情で以て相対するのだった。




「くっ───!」

 喉元めがけて突きこまれた武骨な拳を寸前で躱し、大きく後退して転げるように着地する。罅割れ剥き出しとなったコンクリの地面が崩れ、ガラガラと硬質の音が鳴る。一転して立ち上がり、身構えたその鼻先に尚も繰り出される男の拳。霊基を損傷し極限まで劣化した状態でさえその動きは人外の領域に達し、5mの距離を完全に無視してその姿は既に士郎の目の前にある。

 ───投影、完了(トレース・オフ)

 立ちあがり様に薙いだ干将莫耶の一閃がマキナの拳と正面からぶつかり合う。終焉の渇望すら薄れているにも関わらず、夫婦の宝剣は硝子のようにその刀身を砕けさせ、中空にて無数の破片が散らばった。
 だがそれでいい。元よりこの一撃で敵手を獲れるだなどと思いあがってはいない。
 剣閃を物ともせずに繰り出される突きの一撃を身を捻って躱し、その瞬間にはマキナの右脚が唸りをあげる。
 無意識に干将莫耶の投影を完了して防御として軌道上に配置。刀身が粉砕する音が響くよりも早く、士郎の体は勢いを利用して更に後方へと飛び退った。

投影、開始(トレース・オン)───!」

 中空にて身を捻り体勢を確保。黒塗りの洋弓と細身の魔剣を手に宿し、弦に番えて一息に射出する。
 赤原猟犬、真名をフルンディング。本来ならば相応の時間をかけて魔力を練り上げるところだが、今回最も必要とするのは速度だ。故に力を込めることなく速射の形で放ち、狙い撃つ。
 放たれた魔弾は弓矢とは思えぬ変則軌道を描いてマキナへと迫る。射手が標的を視界に収め続ける限り如何なる回避も無意味と化す必中の矢、これを無力化したいならば矢そのものを迎撃・破砕する他なく、故にマキナはそのための攻撃体勢を取ることを強いられるが。

「───!」

 しかし士郎の予想に反し、マキナが拳を動かすことはない。膝から先の動きだけで放たれた蹴りはこれまでとは明らかに異なる複雑な軌道を描き、士郎の認識をすり抜けて懐へ潜り込む。
 鈍い衝撃が、右のわき腹を貫く。
 最早手番変えの迎撃は無意味と判断したのか、あるいは肉を斬らせて骨を断つ気概であるのか、マキナは肩口に食らい付くフルンディングを省みることなく、拳をフェイントとした蹴りを士郎の脇腹へと突き刺したのだ。
 内臓が破裂しそうなほどの衝撃に痛覚神経が悲鳴をあげる。咄嗟に弓を犠牲に衝撃を緩和しなければどうなっていたことか、無残に砕かれ細かな破片となった洋弓の末路を見れば一目瞭然であった。

「───工程完了(ロールアウト)全投影待機(バレットクリア)

 蹴り込まれた衝撃に身を任せて距離を稼ぎ、痛みを無視して投影を開始。
 生み出すのは今までと変わらず干将莫耶。しかし馬鹿の一つ覚えでは断じてない。それが証拠に、現出するのは一対二振りに留まらず、士郎の周囲にいくつもの光が生まれ、次々と剣の形を成していく。
 魔力にて仮想の刀身を練り上げ、それを手にするのみならず滞空する弾丸として撃ち出す魔業。およそ投影魔術では説明がつかない、けれども衛宮士郎が誇る唯一にして最大の技が剣製となって解き放たれる。

停止解凍(フリーズアウト)全投影連続層写(ソードバレル・フルオープン)……!」

 瞬間、滞空していた27の双剣が一斉に射出された。
 白銀と漆黒の刀身が風切り音を鳴らし、銃弾さえ上回る速度を与えられた中華剣は猛烈な回転と共に光となって撃ち出される。
 針のような切っ先で空を穿ち、薄紙のような刃先で空を斬る。漂う粉塵を螺旋に散らして刃が駆け抜ける。
 その後を追うように、士郎は両手に投影した干将莫耶を構え疾走した。
 視界の先で黒騎士が動く。軍帽に隠されたその顔に鬼相が走り、両の拳が胸の前で構えを取る。黒い軍服に包まれた体躯が瞬時にして幻のように霞み、襲い来る無数の刃を拳打によって打ち落とす。
 無傷ではない。その体、捉えきれなかった刃が節々を切り裂き紫電が散る。だがそれだけだ。頭部に頸椎に胴体部、致命傷になる軌道上の刃のみを的確に叩き落した黒騎士の気配は全くの不動。先の剣雨ですらも揺るがすことはできない。

 故に予想通り。この結果は士郎とて攻撃前から織り込み済みだ。
 そも、これだけで倒せるならば最初からこんな状況には陥っていない。
 裂帛の気合が咆哮となって、黒騎士の口から迸る。地を蹴る踏込が震動となって士郎とその周囲を揺らす。
 5mの相対距離を無視した黒騎士の体は、既に士郎の目の前。
 唸りをあげて突きだされる右の拳が、士郎の顔面を襲う。

「───投影、重装(トレース・フラクタル)

 瞬間、静謐の呟きと共に、空間を無数の刃が断割した。
 弾かれ、砕かれ、あるいは逸らされ。虚しく地面へと突き立った干将莫耶。その全てが一気に肥大化した。
 それは巨大で分厚く、さながら鳥の羽根のようにも見えた。そしてそれらは全てがマキナを目指して伸び上がり、刀山剣樹が如くにその体を切り裂いた。

 ───干将莫耶・オーバーエッジ。

 壊れた幻想とはまた違った魔力暴走、それを為すことで本来在るべき形から逸脱した肥大化を成し遂げる荒業である。
 基本骨子を解明し、基本材質を解明し、しかしそれで終わらぬ強化を果たして敵手を穿つ。
 かつて確かに存在した幻想を写し取り、その劣化コピーとして構築された贋作の幻想が、轟爆と共に走り抜けようとしていた黒騎士の体を切り刻む。
 この時になって初めて、目の前の威容から苦悶の声が溢れた。
 衝撃に飛び散った鮮血が、視界の端に緩やかな線を描く。

「弾けろ……!」

 士郎はその隙を逃すことなく身を翻し、諸手の剣を振りかざす。肥大化した刃は今や長剣はおろか大剣とさえ形容できるほどの大きさとなり、翳す刃が閃光となってマキナへと襲い掛かる。
 獲った、と確信した。これ以上ないタイミング、これ以上ない技巧、士郎が注ぎ込める文字通りの全力が、そこには込められていた。
 しかし、それでも。

「舐めるな……!」

 ───まだだ。
 ───まだ終われない。

 あろうことかマキナは、単なる執念の結果として更なる駆動を成し遂げた。
 事ここに至って尚、マキナの戦闘意欲に減退は見られない。消滅必至の肉体に無視など到底できないはずのダメージの蓄積、そして何より秒単位で急速に崩壊していく霊基に彼の戦闘スペックは劣化という言葉すら追いつかないほどの矮小化を強いられている。
 にも関わらず、マキナは振るわれたオーバーエッジの一閃を両の拳で叩き伏せた。両翼から迫る大剣の巨壁が如く一撃を、交差させた鋼拳で以て迎え撃つ。
 辺りに木霊する、これまでに倍する反響音。衝撃が波濤となって地面を駆け抜け、堆積した粉塵が勢いよく宙へと舞い上げられた。

 粉塵に視界が曇る。衝突の余波で髪と衣服が喧しいほどにはためく。
 その中で、硬質のものが罅割れる音が、嫌に大きく耳に届いた。

 マキナの肉体は既に限界を超過していた。
 本来マキナは……いいや、サーヴァントとはマスターなくして存在することは叶わない。単独行動かそれに類するスキルを持ち合わせない限り、数分と保たずに消滅する。
 しかも、それはあくまで魔力の維持に努めた場合の話だ。そこから更に傷を負い、ましてや戦闘行為まで重ねては加速度的に余命は削られていく。マキナのように全力で敵手を追い、幾度となく拳を振るうなど以ての外だ。敗残どころか、そもそも今こうして現界を果たし続けていられること自体が奇跡に等しい。

 故に、これは当然の結果と言えた。
 オーバーエッジを迎え撃った両の拳が、今度こそ砕け散った。
 両拳を覆う罅は凄惨を極め、最早腕の形状を保つだけで精一杯。戦闘はおろかそもそも腕としての機能を果たすことさえ、恐らくは永遠にあり得ない。
 それを前に、士郎はただ純然たる事実として、誇ることもなく告げるのだった。

「俺の、勝ちだ」
「いいや───」

 だが、それでもマキナの戦意は衰えるということを知らず。

「まだだ」


 ────────────。


 その言葉が呟かれた瞬間。
 士郎とマキナを照らすように、眩いばかりの極光が覆ったのだった。





   ▼  ▼  ▼





   【7年前】


   【星宙の詩編 4/4】





 ………。

 ……。

 …。



 ────────────。



 暗い病室に、心電図の無機質な音だけが響いていた。
 目の前には、呼吸器を取り付けられ瞼を閉じる少年の姿。

「これ、僕だ……」

 呆然と呟かれる声を証明するように、みなとは鏡写しのようにそっくりな少年の体を見下ろしていた。
 もう一人の自分、いいや自分そのものを前に立ち尽くすみなとに、エルナトが居た堪れず声をかけた。

「そうか、君は気付いていなかったのか……」
「どういうこと……?」

 エルナトの声が、酷く遠かった。
 何もかもが信じられず、空白となった意識は涙を流すことさえできなかった。

「一体いつから、僕は……」
「初めて僕らが出会った時から、ずっとさ」

 エルナトのほうを振り返る。
 彼は悲しそうな、遣り切れないような表情をして、そのことが「彼の言葉は真実である」のだと如実に語っていた。


「じゃあ、看護師さんは……」


 今まで僕に関わってきた人たちも。


「家で待ってる父さんや母さんや……」


 僕のことを待っていてくれているのだと信じていた人たちも。


「あの、女の子は……」


 僕に希望をくれたあの子も。

 全部、全部、現実じゃない幻でしかなかったというなら。


「で、でも、また君と一緒にキラキラを集めればいいよね……?
 そうすれば───」
「もう、駄目なんだ。君にかかっていた魔法は、解けてしまった」

 見たくない現実から目を逸らすみなとの言葉を、半ばでエルナトは切って捨てた。
 その言葉には憐憫と悔恨と無力感と、何より絶対的な事実が込められていた。

「そんな……」

 みなとを支えていた最後の一線。
 その糸が今、切れた。


 力なく崩れ落ちる。立ち上がる意思も、希望も、残されていなかった。
 エルナトはそんなみなとを、ただ黙って見つめていた。

 絶望が、彼らを覆っていた。

























「あの力を使えば、運命だって変えられるんだよね……?」

 光が溢れた。
























「───この世界に可能性がないなら、過去からもう一度可能性を選び直せばいいんだ!」

 "可能性の結晶"から溢れる光の中で、みなとは再び立ち上がっていた。
 その体を覆うは魔法の衣服。手に握るのは魔法の杖。
 "エンジンの欠片"と同期することによりただ一時取り戻した力によって、みなとは星の満ちる空へと踊り出した。

「駄目だ! エンジンは未来へ向かうためのものだ!
 今の自分を否定すれば、魔法は呪いへ変わってしまう!」
「だって、否定するしかないじゃないか! 僕のことを想ってくれる人なんて誰もいない!
 あの子も、何もかも幻だったんだ……! 僕が初めて抱いた希望は、全て……!」

 現実には存在しない偽物だった。

 笑いかけてくれた優しさも。
 傍にいてくれた暖かさも。
 生まれて初めて誰かの役に立ちたいと思えた、あの日の誇らしさも。
 全部、勝手に抱いた妄想でしかなかったのだ。

 血を吐くように絞り出した声は最早絶叫で、そこには抑えきれない涙があった。

「よせ、自分自身を呪うな!」
「うるさい! どうせ君も幻なんだろ!?」

 僕の手を掴んだエルナトを、しかし渾身の力ではねのける。
 遥か後ろに吹き飛ばされた彼を、もう振り返って仰ぎ見ることさえしない。

「僕は必ず運命を変えてやる……こんな現実は認めない!」

 ───右手を伸ばす。
 希望へ。
 輝きへ。
 あの日の思い出へ向けて。

 エンジンの欠片という、運命を掴むために。



 ……。

 ……。

 ……。

 ────────────。



 僕はたった一人の親友を突き放してエンジンの欠片を目指した。
 すぐ届きそうに見えた輝きも、手を伸ばしてみれば遥か遠くにあった。

 自分自身を呪った僕の強い感情は昏い星となって、意識は次第にぼやけ、闇に呑まれるように途絶えた。
 そしてもう一方の僕は、病室にいくつか残された可能性の結晶と共に眠りについた。



 ───それからどれほどの時が経ったのか。

 ───再び扉が開いた。



 扉を開けてくれた彼女だけは、幻ではなかった。
 すばるは僕にとって、ただ一つの希望だった。
 その彼女も、今や僕のことを覚えてはいない。
 僕は今も、自分自身のことを呪い続けている。

 僕が消えれば全ては本当の幻となる。
 扉が開くことは、もう、ない。




   ▼  ▼  ▼





 瞬間、虹色の光がアカメの見る全てを埋め尽くした。

 莫大量の魔力が一点へと集中する。
 万色に揺らぐ光の奔流が等身大の人型へと凝縮し、次瞬には臨界に達するが如く弾け飛んだ。

 それは、まるで蕾が開花するかのように。
 それは、まるで蝋の翼が溶け落ちるように。

 荒れ狂う魔力嵐に顔を覆うアカメの視線の先には、空の彼方に静謐と浮かぶ、一輪の花。
 吹き荒ぶ無数の花弁に包まれて、紫色の大花が咲き誇る。

「絶対に、逃がさない」

 只中に浮かぶ影は人の形をして、しかしそれは人ではあり得ない形をしていた。
 言ってしまえばそれは"座"だ。多くの祝詞幣をあしらった意匠へと変化した美森を囲うように、多くの砲身を備えた巨大な座が出現していた。それは極限域まで凝縮された機動要塞めいて、実際にその印象を裏切ることのない暴力的なまでの破壊を身に秘めている。

 紡がれる声の響きは静穏で、しかしそこに込められた感情は嚇怒の一色。しかしそれも当然であろう。
 何故ならこいつは美森の大切な人を傷つける。すばるを、そして彼女が想う少年を。傷つけ、そして殺すのだ。
 聖杯戦争という、願いのために他者を踏み躙るという極限の背理が支配する戦場において、今さら命の価値がどうこうと講釈するつもりはない。
 けれどそれとは話が別だ。このアサシンを放置するわけにはいかない。そして、許すつもりも毛頭ない。
 最早何が間違って、誰が悪かったのかは分からない。すばるとみなとを殺し合わせる運命へと放り込んだ聖杯なのか、知らずその運命に加担した自分なのか、それとも直接手を下したアサシンなのか。
 分からない。けれど、いいやだからこそ、せめて残された命を守り抜こうと決意する。
 すばるの命を狙うこのアサシンを消し去ることで。
 東郷美森は、今こそ勇者としての責務を果たすのだ。

 美森が纏うは勇者に与えられし力の「開花」。対価と引き換えに強大な力を獲得する、文字通りの切り札なれば。

「我、敵兵に総攻撃を実施す!」

 宣誓の言葉と共に、美森の肉体を覆うように現出した巨大な砲台が一斉に火を噴いた。
 赤から黒に染まりつつある空を無数の紫電が撃ち貫く。左方右方合計十八門、広範囲に展開された砲身が魔力を解き放ち、撃たれた蒼白の光条は容易く地面を穿ち、高熱によりコンクリートを硝子質へと変貌させながら縦横無尽に眼下の景色を蹂躙した。
 空を裂く甲高い振動と、大気を焼く特有の臭いが木霊する。それすらも断続的に放たれる無数の光条により掻き消され、周囲にはただ圧倒的なまでの光だけが満ち満ちた。
 その光はこれまで美森が放ってきた全ての光弾を纏めて凌駕しても尚余りあるほどの密度と威力を誇っていた。一撃一撃が人の身長ほどなら苦も無く呑みこめるほどに巨大、放たれる速度はこれまでに倍するほどで、それは射撃の域を逸脱し今や地上を舐めつくす災禍の炎と化している。

 美森が対峙するアサシンは対人戦闘においてこちらを圧倒するものを保有する。それは、今までの交戦から嫌というほど理解できた。
 間合いを取っての遠距離戦、本来ならば美森に圧倒的有利に運ぶはずのそれですら、瞬く間に距離を詰められこのザマだ。まともに打ち合っては押し負けるのは道理であり、射撃という点の攻撃では変幻自在に戦場を駆ける暗殺者の影を捉えることすらできはしまい。
 ならばどうするか───簡単な話である。点で駄目なら面で攻撃すればいい。
 逃げる隙間もないほどの絨毯爆撃、美森が採った選択とはそれであった。英雄殺しの暗殺者に対抗するには英雄として磨き上げた技巧ではなく、単純かつ圧倒的な怪物の強さをぶつけてやればいい。
 かのアサシンは極めて高い敏捷性を持つが、それはあくまで身のこなしや反応速度といった、人としての速さだ。ライダーの騎乗宝具のように長距離の移動速度に優れているというわけではなく、故に広範囲の爆撃から逃れる術はなし。

 無心に、ただひたすらに、美森は視界の全てに熱量を投下し続ける。
 車道と歩道が諸共に砕け、飛び散る瓦礫すら蒸発する。光条の一つがビルを掠め、凄まじい轟音と共に硝子の破片が宙を舞う。
 避難する一般市民は既にいない。とうの昔に、美森たちの戦闘とその余波による損害を前に逃げ出しているからだ。
 それでも、巻き込まれる者は決して皆無ではないだろう。
 美森はそれを自覚している。その上で、尚もこの選択肢を選び取った。
 言い訳などしない。それが、世界を滅ぼすために聖杯を求める自分に課せられた責務であるから。
 顔も知らないみんなではなく、大切な誰かのために戦うと決めた、自分が往くべき道であるから。

「そして……!」

 そして、美森がこうも強硬な戦術を取ったのは、何もアサシン単騎を討ち取るためだけではない。
 きっ、と見据える視線の彼方。そこに映るのはアサシンではなく、先刻戦場を離脱した二人の男の姿があった。
 そう、美森はアサシンと交戦しながらも、徐々に彼らとの相対距離を縮められるよう立ち回っていたのだ。無論その過程でアサシンを仕留めることができたならばそれが最良、しかし最初の一合で既に自身の限界を推し量った美森は、更に次善の策を練らざるを得なかった。
 すなわちマスターの暗殺。あの場はライダーに任せたが、しかし数分と保たず消えてしまうであろう彼に全てを任せるのは博打が過ぎた。霊基の損耗による弱体化も否めず、万が一の場合においては強力な魔術を操るマスターにさえ敗れてしまう可能性だってある。故に静観する選択肢などなく、アサシンのマスターをも殺さねば美森は真に安心を得ることはできなかった。
 誘導は予想よりも楽に済んだ。単純な戦闘内容において圧倒されていたのは美森の側だが、手数と殺傷性においてイニシアチブを取っていたのもまた美森だ。マスターとの合流を優先しようとしていた節のあるアサシンは気付かなかっただろう、まして戦闘において自分が優位に立っていたなら尚更だ。徐々に自分のマスターのもとへと移動しているという事実が、自らの優位によるものではなく美森によって誘導されていたなどと、どうして考えられようか。
 対人戦闘に優れているのがアサシンならば、対怪物戦に優れているのが美森である。生前には嫌というほどバーテックスの侵攻ルートを誘導・修正していたために、この手の立ち回りは容易であった。

 矢の如く鋭い視線で彼らを射抜く。
 美森は的確に砲台を操作すると、一切の躊躇なく、二人の存在する地点を薙ぎ払った。
 眩い光芒が破壊となって街並みを抉り抜く。美森の目は、赤髪の青年が確かに自身の放つ光に呑まれ消える場面をおさめていた。如何に強力な魔術を操るとはいえ、本体は脆弱な常人である以上、サーヴァントの攻撃を食らって無事で済む道理はなし。
 黒のライダーを巻き込んでしまったのは不本意だが……しかし、放っておいても数分ともたず消えてしまう定めにある以上、躊躇などしてはいられない。彼もあくまでサーヴァントである以上、優先順位は今を生きる人間よりも遥かに下となるのが現実だ。

「これで終わり……これで、すばるちゃんは」

 安全、と。
 そう言おうとした瞬間であった。

 ───果たしてそれに反応できたのは、偶然か必然か。

「───っ!」

 得体の知れぬ悪寒が背筋を走る。満開によって強化された五感が"何か"を感知し、咄嗟のことに無意識に身を捻る。
 ───硬質のものが切り裂かれる音が、耳元のすぐ近くで響いた。

「……ぐ、あっ」

 目の前を砕かれた白い破片が流れる。
 視界の端に、千切れ飛んでいく何かが映る。
 そして一瞬の停滞の後に、突如として襲い来る喪失感。

 ───満開に際して現出した砲身を支える左側の骨子が、根元から切り裂かれていた。
 視界の端を飛んで行ったのは、切り落とされ砕かれた砲身の破片であった。

「───ぁ」

 予想外の事態に脳内処理が追いつかず、呆けたような声がか細く漏れる。
 光が弾けるように、美森を覆っていた満開の外装が消失した。規定以上のダメージによる強制解除だ。飛行能力を失ったことで、美森の体が崩れるように傾ぐ。
 力なく真っ逆さまに墜落する。その刹那、美森は"それ"を目撃した。

「───」

 それは、落ち行く自分を迎え撃つかのように、刀を構えたアサシンの姿。その更に向こう側、赤色の花弁のような盾を張った青年が撤退していく姿。
 仕留めたと思ったはずの、しかし健在であった敵の姿であった。

 ───そんな、あれは……

 墜落する美森の思考は、一瞬にして困惑の海に投げ入れられた。かの絨毯爆撃をアサシンが躱せる道理などなく、ならば何故彼女が生きているのか分からない。

 絡繰りを言えば、それは至極単純な話であった。
 アサシンは美森よりも圧倒的に速い。それは身体の動作速度ではなく、相手の意を読み最短距離を進むという見切りがあまりにも速すぎるのだ。
 確かにアサシンの動作速度では、畳み掛けるように投下された美森の掃射を躱しきることはできないだろう。しかし、"それを放つ"という美森の意識を先読みし、予め爆撃圏内から退避することにより、アサシンは無傷のまま絶命の鉄火場を乗り切ったのだ。

 だがここで疑問が一つ浮かぶ。「攻撃する前から躱される」という可能性を、何故美森は考慮できなかったのか。
 それは。

「教えてやろう、アーチャー。お前は確かに強者ではあった。その類稀なる力の解放も認めよう。
 だがお前は、強くなると同時に弱さも手に入れたんだ」

 それも当然。何故ならあの時の美森は、満開によって向上した出力により荒ぶっているがため、繊細さを著しく欠いた状態にあったのだから。
 それは普段なら気にも留めない僅かな意識の齟齬なのだろう。即座に修正可能な隙は、しかしあの瞬間美森自身の変貌により大きな意味を持ってしまう。
 ほんの一秒にも満たない刹那、光の奔流に呑まれたがために視界で相手を追えない事実(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)を見過ごしてしまった意識の変化が、彼女の技の全てを台無しにした。
 皮肉にもそれは、技を以て敵を射殺す常の美森なら、笑ってしまうくらい稚拙なミスだった。

 この世は遍く表裏一体。何かを得れば何かを捨てなければならないのが道理である。
 剛性を増せば、その分柔軟性が失われる。
 攻撃性を加速させれば、それだけ冷静さは失われる。
 完全な存在など、それこそ天頂に在る神さまくらいなものだが、きっとそれにしたって本当は完全とは程遠いのだ。
 利点あり、欠点あり。だからこそ美森は、過剰な火力と網膜を焼く光量と引き換えに注意力を失った。

「お前はやはり、以前のほうが強かった」

 アサシンは静かに一刀を構える。その銘は桐一文字。先ほど投擲し、美森の砲撃ユニットを切断するに至った一斬必殺・村雨と並ぶアカメの必殺宝具だ。
 その姿に尋常ならざる危機意識を抱いた美森は、反射的に二挺の拳銃を具現。一切の躊躇なくトリガーを引き絞る。
 落下し体勢も整わない状態でのクイックドロウ。それでもなお標的を違わず銃弾を殺到させる美森の技量は、確かに達人域のそれではあった。
 だが狙いが違わないことと標的に命中することはイコールではない。アカメは体幹はそのままに最小限の動きのみで回避、あるいは柄や鞘で迎撃してそれら射撃の悉くを打ち落とす。動作速度と知覚能力が圧倒的だ。アカメは意の早さのみならず、単純な敏捷性でも最高域のそれを誇る。
 相対距離5m───トリガーを引く美森の表情が、避けえない激突を前に蒼白となる。
 相対距離3m───鯉口から桐一文字の白刃が覗く。アカメの表情は変わらず平静。
 相対距離1m───……

「……!」
「づ、あぁ!」

 その瞬間───居合の要領で桐一文字が抜刀され、一直線に美森を狙う。それを前に、美森はなんと"アカメではなく直下の地面を狙い撃った"。
 その意図するところは明らかだ。射撃と着弾の衝撃による上昇気流の確保だ。拳銃ではなく瞬時に具現させた長銃での全力射撃、そして抜刀に前後するタイミングなのが功を奏し、美森の肉体は僅か数センチではあるが、確かに上昇を果たした。
 首を狙った一撃は、美森の決死の行動により逸らされる。
 しかし、それで完全な回避が為されたと言えばそうではなく。

「がッ……!」

 噛みしめられる絶叫、視界を流れる赤い鮮血。美森の左腕が根元から切断される。
 それは脇に構えた長銃により生存のための射撃を敢行した腕だ。地面へ向けたその動作により、僅かな浮遊では避けきれなかったが故の被弾であった。
 痛覚を示す信号が脳内を埋め尽くし、視界がノイズに覆われる。意識が漂白される特有の感覚の中で、目に映るのは即座に次撃を放とうとするアカメの姿。
 それを前に、美森は渾身の力で後方へと跳躍し、即座に自分の失敗を悟った。"これでは先ほどと全く同じ展開だ"、と。
 あまりにも咄嗟の行動故に、距離ではなく高度を稼ぐように高く跳ね上がった美森の体。当然として彼女は空中での移動は不可能であり、着地点で待ち受けるは消耗皆無なアカメの姿。
 最早、美森にはアカメの攻撃を躱す奇策などあるはずもなく。

(わた、しは……)

 鈍くなる肉体と反比例して加速する視界の中、主観的には酷くゆっくりと空を往く美森。その胸中は、哀絶と遣る瀬無さに満ちていた。
 ああ、自分は負けたのか。脳内にリフレインする敗残の二文字。後悔は先に立たず、自分が為せたことは何もない。

 弓兵の利を生かせず、逆に暗殺者に敗れたこと。
 負け戦に差し込む一筋の光明であったライダーすら、自分の手で排除してしまったこと。
 恐らくは自分の死後に、アサシンたちはすばるをも殺そうとするだろうこと。
 そもそも、自分が消えてしまってはすばるにも未来はないということ。

 それらの過ちが頭の中をぐるぐると駆け巡る。
 後悔と謝罪の念だけが次々と溢れてくる。

(ごめんなさい……すばるちゃん……)

 そして、遅すぎる謝罪の言葉を脳裏に浮かべて。ついに美森はきつく瞼を閉じ。



「───アーチャーさんッ!」



 自分の名を呼ぶ誰かに、全身を抱きとめられる感覚。
 真下に向かっていた体が、突如として真横へと軌道変更を果たす。
 何が起こったのか。首を竦ませ、しかし恐る恐ると目を開き、そこに映ったのは───

「良かった……間に合ったよぉ……」

 心底安心したと言うように、まなじりに薄く涙を浮かべたすばるの姿であった。





   ▼  ▼  ▼





 全てが静寂に満ちていた。
 風も、音も、光でさえ凪いでいた。静まり返った無謬の空間に、マキナは立ち尽くしていた。

 凄まじいまでの光芒が自身を襲ったことを知っている。それが先ほど別れたアーチャーによるものであることも、今まで自身が戦っていた剣製のマスターが赤色の盾を張ることで逃げおおせたことも知っている。
 自身を襲った暴威の程はあまりにも強大で、感覚器の処理が追いつかず一転した静けさを湛えていた。
 防御は不可能。回避は不可能。迎撃など尚更不可能。
 本来であるならば可能だったろう。しかし今は駄目だ。マスターを失い、その力の大半を失った今のマキナでは。
 故に彼は、一身にその光を浴びた。今はもう、指先や足先といった末端から体が魔力の粒子となって解け消えかけている。

 だが、マキナがこうも立ち尽くしているのには、理由があった。
 最早抵抗が不可能であると、諦めたからではない。
 アーチャーやアサシン、剣製のマスターの手管に感じ入ったからでもない。

 気配を感じたのだ。それは、あまりにも懐かしく、狂おしいほどに求め焦がれたもので。

 ああ、それは───


「よう、久しぶりだな」
「ああ、どれほどになるか」


 苦笑したように応えるマキナに、その影は苦々しさだけを湛えた口調で。

「何故、などと今更問うような真似はすまい。俺はこうして蘇り、お前もまたサーヴァントとして現界した。その現実が今の全てだ」
「ああ、腹立たしいことにな。ここに来るまでに何となくだが、お前がいるんじゃないかっていう予感はしていた。そして、お前がそう言ってくることも」
「奇遇だな。つくづく俺たちは、絶対者の掌の上で転がされるのが似合っているらしい」

 剣を抜く。その影は、ただ透徹に見据える瞳を以て。

「お前を殺してやることが、俺のやり残した役目の片割れだ。だから、お前はここで死ね」
「言葉を返すぞ、戦友」

 構えを取る。砕けた拳を握りしめ、なおも尽きぬ戦意のみを携えて。
 聖槍十三騎士団黒円卓第七位、ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲンは立ち上がる。

「決着をつけよう。俺達の戦場は、ここでようやく終わる」

 セイバーのサーヴァント───藤井蓮を目の前にして。

 次瞬、両者の姿が霞のように消え失せたのは、全く同時のことであった。





   ▼  ▼  ▼





 多くの人の怒号が響く、さながら地獄絵図めいた街の片隅。
 数えきれない人の死と数えきれないほどの喧騒に包まれて、ひっそりと散乱した死体があった。
 打ち捨てられた人形のように、力なく放り出された手足。15のパーツに断割され、五体満足であった頃の面影など微塵も感じられない惨殺死体。
 常ならば一目見ただけで恐慌の声が挙げられよう有り様だが、我先にと逃げ出す人々の前では路傍の石と無視される、他にも散らばった多くの死体に紛れて存在感を亡くしたそれ。

 かつて"みなと"と呼ばれた少年。その残骸。
 切り離されたその手には、折り紙で作られた小さな星が握られていた。




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