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 ある男の話をしよう。
 限りある生を尊び、故にこそ唯一無二の死をこそ重んじた、誰よりも真摯に人間の一生を全うしようとした男の話である。

 気付いた時には、男は毒壺の城にいた。
 見渡す限り同じ光景の続く、砂塵と石榑だけが覆い尽くす不毛の大地であった。囲むようにそり立つ巨壁は中にいる者を決して逃がさないという絶対的な隔意のみが感じられた。
 コロッセオ、奴隷たちの剣闘場。男がいたのは最後の一人になるまで殺し合いを強要される奴隷たちの墓場。誉れの欠片も存在しない、薄汚れたヴァルハラだった。

 集められた人間は、幾千幾万にも及んだ。
 その全ては戦場で死したはずの者らであった。各々が譲れぬ思いと共に銃弾飛び交う戦場を駆けぬけ、その果てに命を散らしたはずの死者であった。

 壁の上に立つ影は言った。此処にいる者らで殺し合えと。
 理由は分からない。従う理由もない。しかしそれでも、彼らは何故か互いに傷つけ殺し合うことを強制された。

 真実戦場で終われたのだと確信できればまだ幸せだっただろう。
 だがここは名誉も意味も存在しない愁嘆場。戦士の最期を飾るにしては、あまりにも侮辱した共食いの箱庭でしかなかった。
 故に彼らはこう思う───もう嫌だ。やめてくれ。早くこんなことは終わらせてくれ。
 千人が、万人が、全く同じ思いを抱いて殺し合う。
 国の栄華も家族の無事も、友や女の幸せも、依るべき大義も何もない。
 納得のできぬ死に場所に、ヴァルハラなど降りてはこない。
 そしてそれは、男もまた同じであった。

 自分の名前が分からない。自分が死んだ瞬間を思い出せない。
 ただ胸を焼くのは、奪われたという正体不明の屈辱。残されたのは、生き恥とも言えぬ汚らわしい死者の生。
 駆け抜けた戦場。辿りついたと夢想した安息。
 この手に掴んだと信じた栄光は、次の戦場に挑むための基点に過ぎなかったという愚かしさ。

 要らない。こんなものは要らない。
 血の赤も、骨の白も、焼け爛れる肉の黒も腹から噴き出る臓腑の灰も。
 銃剣の煌めき弾丸のメタル。軋む戦車の振動に塹壕の饐えた臭い。
 避けられぬならもう一度、また全霊を以て殺戮する他はなく。

「俺は、お前を殺さなければ終われないのだ」

 修羅道の蠱毒にて、彼は無限にその呪詛を吐き捨てた。

 そして渇望は利用される。終わらせてくれ(・・・・・・・)と願い殺し合った者らの、未練と怨嗟と嘆きに満ちた血が、魂が、何千何万も集まり錬成される。"核"は更に分けられて、依代となるモノに収められる。
 一人は、とある鋼鉄に。
 一人は、■■の血が満ちたフラスコの中に。

 かくして男は産み落とされた。狂おしく悲嘆する呪いの喚起。蠱毒、狗神に相通ずる外法を以て反魂と成し、黒円卓に残された最後の空席は埋められた。
 第七位、聖槍十三騎士団(Dreizehn)の天秤。物語を左右し、何となれば終わらせることさえできる者。
 "終焉"の渇望を持つ男。

 彼は今も戦い続けている。
 死者の生という耐えがたいイマを絶つために。
 ただ一度だけ取り逃がしてしまった死を取り戻すために。
 未だ終わらぬ蠱毒の儀式を終わらせるため、男は己が片割れとの決着を求め戦い続けている。

 その男の名を───





   ▼  ▼  ▼





 それは、今よりほんの少しだけ前のこと。
 黒の騎兵と剣の英霊が出会うより、数分ほど前のこと。

「……あれ?」

 来たるべき衝撃に備え、思わず目を瞑ってしまったすばるは、しかしいつまで経ってもやってこない痛みに恐る恐る瞼を開けた。

「……」
「あ、気付いたんですねすばるさん。大丈夫でしたか?」

 そこにいたのは、憮然とした表情の青年と、こちらを伺うように覗き込んでくる少女の顔。
 今までずっと探し続けていた、アイとそのセイバーが、そこにはいた。
 一瞬何がなんだか分からなくて、でもこみ上げる感情のままに、すばるは素っ頓狂な声をあげる。

「あ、アイちゃん!? え、なんで、どうしてここに!?」
「それはこちらの台詞です。ド派手におっぱじめたサーヴァントを追って来てみれば、いきなりこんなことになるんですから。私だってびっくりです」

 ふぅ、と一息ついてるアイを目の前に、そこですばるはようやく、自分が元いた商店の一室ではなく、民家の屋根の上にいることに気付いた。
 ついでに言えば、すばるはアイの手で抱きかかえられていた。
 正直びっくりである。

「単刀直入に聞きます。すばるさんは、何が起きてるか理解できていますか?」
「え、えっと……わたしも何がなんだか……」

 屋根上に仁王立ちするアイ。とりあえず恥ずかしいから降ろしてもらって、消え入るように「ありがとう」と返す。
 正直に言って、すばるは現状を全く理解できていない。部屋で黄昏ていたら突然光が飛び込んできて、次の瞬間にはアイに抱きかかえられていて、展開が次から次へと転がるせいで思考の処理が追いつかない。
 と、そこまで考えて。

「……そうだ、アーチャーさん! アーチャーさんがあそこで戦ってて、でもおばさんが……!」
「あの商店のことなら心配ないぞ。見てみろ、その"おばさん"ってのも無事っぽいしな」
「でもお店の二階は滅茶苦茶ですね」
「命があるだけマシって思ってもらうしかないな」

 混乱しかける頭に、すっとセイバーたちの言葉が入り込む。指差すところを見遣れば、そこには往来に飛び出て右往左往するおばさんの姿。その後ろには、二階の窓からもうもうと煙をあげる商店があった。
 アイがいなければ、今頃自分はあそこで……
 そう考えると、途端に背筋が凍るような気持ちになった。ぶるり、と肩を震わせる。それを見て、アイが安心させるかのように、にこりと笑いかけた。

「安心してください、すばるさん。
 私たちが、助けに、来ました」
「……」

 胸を張るアイの後ろで、セイバーはなおも無表情のままだった。
 アイたちがすばるのものへ来たのは、実のところ単なる偶然だった。戦闘が引き起こされているということを知ったアイが、半ばセイバーを引きずる形で現場に向かおうとしていたところ、たまたますばるが目に入ったというただそれだけ。
 セイバーも、何やら件の場所には思うところがあるようで、いつものような反対はしなかった。

「それでですね。私たちはこれからあそこへ向かうわけですが」
「わ、わたしも行く! アーチャーさんを放ってなんかおけないよ!」

 食い気味に懇願するすばるに、アイはやはり困り顔のままだった。





 そうして、すばるはここにいた。
 アイたちから先行する形で、アーチャーを助けるというその一心で、文字通りに飛んできたのだ。

「アーチャーさん、しっかりして!」

 そして今、すばるの思考は焦燥の一色に染まっていた。
 間に合ったと思った。墜落するアーチャーを、それでもすばるは助け出すことができた。それは事実だ。しかし、話はそれで終わらない。

「血が……どうしよう、なんで治らないの……!?」

 地上に降り、脱力するアーチャーを寝かせたすばるは、アーチャーの切断された左腕から止め処なく溢れ出る血液を前に、平静を取り戻せないでいた。
 治癒促進のために魔力を注いでもどうにもならない。普通なら目に見える形で再生が始まるはずの切断面が、けれど全く回復の兆しを見せない。なけなしの思いつきで傷口を押さえつけても、勿論状況は好転しない。
 それも当然の話であった。何故ならこの傷をつけたのはアサシン・アカメが持つ宝具「桐一文字」。受けた傷の快癒を許さぬ再生阻害の刃であるために。
 すばるはその事実を知ることはない。だから致命の現場と理解不能の事態を前に、焦燥だけを募らせて無駄に魔力を消耗する。

「アーチャーさん、駄目……! 死んじゃやだぁ……!」

 どうして治らないのか分からなくて、何が悪いのかも分からなくて。
 すばるはただ、失われゆく現実を拒絶するように嗚咽した。
 それを前に、アーチャーは何ができるわけでもなく、ただ唇開いて。

「―――」

 何かを言おうと、した。





   ▼  ▼  ▼





 ここで一つ、すばるたちの誰もが気付いていない、あるいは気にも留めていない事実が存在する。
 それは、何故美森の放った銃弾がすばるの居住地まで届いたのかという点についてだ。

 普通に考えて、これはあり得ない出来事だ。何せ不可能と断言できる要素が複数存在する。
 まず第一に、逸れた弾丸がピンポイントですばるの部屋を貫くなどという、天文学的にも程がある偶然性。
 第二に、それだけの距離を威力の減衰もなく踏破できるわけがないという物的な限界。
 第三に、そもそも美森の銃弾を迎撃したマキナの拳は、万象打ち砕くが故に「逸らす」などということはまず起こりえないということ。
 第四に、それだけの跳弾がありながら戦場における誰もがその銃弾を見逃したという事実。
 第五に、そうまでして引き起こされたすばるへの誤射が、「偶然その場に立ち寄っただけ」の「数少ないすばるに友好的な聖杯戦争関係者」によって寸でのところで阻まれたということ。

 確率は確かに0ではないだろう。しかしそれが現実となる可能性は、限りなく0に近しく、故に不可能と断言してもいいほどだ。
 ならば何故、この「偶然」は引き起こされたのか?
 そうではない、そうではないのだ。これらは決して偶然などではない。
 手引きした"モノ"が存在する。それは、斯く在れかしと望んだが故に、この事態は引き起こされた。
 それは誰か?
 すばるではない。美森ではない。それはアイでも蓮でも、マキナや士郎、アカメといった当事者たちでもなく。
 当然のように、既に死したみなとでも、彼方に位置する黒衣のアーチャー・ストラウスでも、他の第三者でもない。

 ───それを望んだ者は、
 ───遥か高みからこの舞台を睥睨する……





   ▼  ▼  ▼





 そこはほんの十数分前まで、人々が多く行き交う和やか雰囲気の交差点であったと、果たして誰が思うだろうか。
 夕暮れ時は家路へと着く時間。ある者は学校から、ある者は仕事から、またある者は買い物から、暖かな食卓の風景へと帰ることができるのだと本気で信じていた。多くの者が日常を過ごし、そして幸せな家庭へと帰る、それは幸せの交錯する場所であった。

 今はどうか。
 砕かれ隆起したコンクリートが、最早土塊と同じく無残に無数に転がっている。路面だけではない、砕かれているのは周辺のビルや建物類も同じであった。多くは爆撃でも受けたかのように黒ずんでバラバラとなり、酷いものでは溶解を繰り返して硝子質に変貌したものまで存在する。
 車道、歩道、隣接する建物群に標識や信号といった諸々の設置物に至るまで、全てに等しく破壊がもたらされていた。不幸中の幸いと言えるのは、それでも逃げ遅れた無辜の市民がほとんどおらず、死体となって転がっている者も少なくともこの周辺では見受けられないということくらいか。

 その爆心地もかくやという空間において、二人の男が戦っていた。
 見る者はただ一人。そこには賞賛も感嘆も存在しない。何故なら聴衆たる少女は戦いを嫌うから。暴力を以て他者を否定するという極限の背理を、この世において最も嫌悪しているから。
 だから、例えどれほど膂力や術理が凄まじかろうと、彼女は決してそれを褒めない。
 けれど、例えどれほど嫌おうとも、戦う彼らがその行いでしか語り合えないという事実は、何故か言われるまでもなく理解できてしまった。

 故に少女は、アイ・アスティンはただ見守る。藤井蓮と黒騎士の戦いを、じっと耐えて見つめているのだ。

「セイバー、さん……」

 彼はここに赴く直前、すばると再会するよりも前、アイにこう言っていた。"これから出会う奴は、ともすれば戦いを避けられない相手かもしれない"と。
 彼は直感で悟っていたのだろうか。ここでアーチャーと戦っていたのが、生前より因縁深い宿敵であることを。
 アイはセイバーの過去をほとんど知らない。知っているのは、精々が死者の生を厭うことと、誰かを愛していたことくらい。
 だからアイには、彼らにどのような因縁があり、変遷があり、願いがあるのかを知らない。
 だから待つしかない、というのは分かっていた。無知な自分が手を出していい領域ではなく、実際にそうしているのも確かだ。

 だが、それでも。
 それでも、何もできない無力な自分を見せつけられるのは、あまりにもつらく、悲しいのだと。
 もう何度目になるかも分からない自虐と共に、アイは心の内にそう思ったのだ。





「おおおおおォォォォォオオオオオオオオオッ!!」

 それは大気を───いや、大地を揺るがすほどの鬨の声。音ではなく気の轟哮が、周囲の空間へ黒騎士を中心に弾けたのである。
 単純な"意"の発露。すなわち殺意や戦意といったものを瞬時に爆散させて"威"に変える技術自体は珍しくない。彼のそれは桁外れに強大かつ高密度なものだったが、それさえ歴戦のサーヴァントであるなら狼狽える道理はない。
 故に、ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン───鋼の黒騎士を恐るべしと蓮が思った原因は別にある。
 それは落差。静と動の振り幅であった。
 つい最前まで巌のように静謐であったという絶。そしてこの発。
 彼の内に渦巻く数万の戦士たちの魂群が、咳ひとつ立てずに付き従っていたということ。
 想像を絶する統率力によって支配された軍勢が、今、抑圧の軛から放たれたのだ。

 マキナは今、猛っている。予選期間において名もなきサーヴァントを屠った時よりも、アンガ・ファンダージを一撃のもとに下した時よりも、アサシンと錬鉄のマスターを相手にした時よりも。
 そして、己がマスターの弔い合戦に赴いた時よりも。それら全てを合わせても尚、比較にならぬほどに、今のマキナは史上類を見ないほどに激情を滾らせているのだ。
 それもそのはず、何故なら藤井蓮とはマキナにとって何よりも求め、焦れ、そしてこの手で打倒したいと強く願った男であるために。己を縛る呪われた生、狂った儀式を破壊するための聖戦。その相手はこの男しかいない。この男でしかありえない。
 錬鉄のマスターに抱いた激憤さえ、蓮を一目見た瞬間には忘我の彼方へと追いやられていた。全ては今、この時のために。男同士の戦場に、不純物など必要ないし入り込む余地もないのだ。

 ならばこそ、ここで疑問が一つ。何故マキナは、消滅寸前の状態だったにも関わらず戦闘を続行できているのか。
 その理由は三つある。まず第一に、黄金の獣が近衛たる大隊長が共通して保有するスキル「魂喰の魔徒」の存在が挙げられる。
 このスキルは、彼ら三人の大隊長が生前に行った「とある逸話」とその結果から生じるスキルだ。曰く、第一の黄金錬成。曰く、首都ベルリンの陥落。そこで行われた事実とは、すなわち三人の手による赤軍・ナチスドイツ軍双方の殲滅である。
 無論ただの大虐殺ではない。エイヴィヒカイトの持ち主とは、殺した相手の魂を吸収し、その分だけ物的・霊的に強化される。マキナ、ザミエル、シュライバーの三人はその虐殺で蓄えた魂を以て、エインフェリアに相応しいだけの格を手に入れたのだ。
 すなわち魂喰の魔徒とは、彼ら三人がその状態に関わらずデフォルトで備えているべき、当たり前のスキルなのだ。その存在を前提にしている以上、外的要因によって消失することなどありえない。
 だが実際はどうか。マキナはこのスキルを失った状態で現界している。それは単に、彼の精神性に由来することである。
 マキナは黒円卓において数少ない、真っ当な武人である。無為な殺戮を好まず、逃げる相手は追わず、そうした矜持を抱いている。ならば、そんな彼が黄金の束縛から解放され、サーヴァントとして現界するにあたってどうするか。
 決まっている。己の為した不名誉な行いなど、唾と共に打ち捨てたのだ。戦場を誉れとし、男の本懐としてはいても、血に愉悦する獣性など彼は持ち合わせないから。
 彼が当該スキルを持たなかったのはそういうこと。それは逆説的に考えて、今までのマキナは大隊長に相応しい性能を発揮できずにいたということでもあるが、この話には関係ないので省除する。
 これまでの戦いにおいて魂喰の魔徒を持たなかったマキナは、しかし今の戦闘に限っては、何故かそのスキルを全開に至るまで発揮しているという事実があった。
 何故なのか。それは、二つ目の理由に大きく関係している。

 マキナが戦える第二の理由。それは、彼が戦う相手である藤井蓮の存在だ。
 彼らは同じ魂から分けられた。数千数万の怨嗟渦巻く蠱毒の壺から、一つの核を為しそれを分断された兄弟だ。彼らの個我は明確に個人となってはいるが、ルーツを辿れば同一人物と言ってもいい。
 ならば二人が出会えばどうなるか。"斯く在れかし"と望まれた魂が、彼ら二人の憤激さえ糧にして更なる駆動を果たすのみ。
 すなわち、魂の共鳴現象。マキナは蓮と相対する時のみに限り、全ての力を極限以上に発揮することが可能となる。どころか、彼らのどちらかが覚醒あるいは力の向上を果たせば更にもう片方もつられて覚醒を果たすため、相乗効果となって天井知らずに出力は上昇していく。
 そして全力を出すという都合上、マキナは自ら捨て去ったはずの魂喰の魔徒までをも自動的に取得してしまう。魔力消費の軽減化、霊基消耗の無視。それはこの状況において、何よりも明確なメリットとして具現する。

 そして第三は言うまでもない。すなわち気合と根性、心の力に他ならない。
 現実? 常識? 言い訳など不要、そんなものはねじ伏せよ。ただ聖戦を望む心のままに、規定外の多大な過負荷で肉体を崩壊寸前まで追い込みながら、しかしマキナは何ら躊躇もしていない。
 馬鹿げた話にも程があるが、しかしこれが現実なのだ。そもエイヴィヒカイトとは心の力によって世界を塗り替える術法。術式以前に使用者の常軌を逸した精神が前提であり、それは単独であっても物理法則を捻じ曲げる域に達している。
 ならば、その使徒が揮う心の力が超常の力を発揮するなど言うに及ばず、更にマキナは来る戦友との聖戦に際し狂おしいまでに精神を猛らせている。

 物理的な相性。霊的な相性。精神的な相性。この三つが揃って初めて、マキナは常識外の復活劇を為すことができたのだ。
 いや、復活どころの話ではない。現状の彼の実力は、この聖杯戦争に際して過去最大級の力を発揮していた。
 余命を削るに等しい行い。故に稼働時間は極めて短いだろう。火に飛び入る蛾のように、尽きかけた蝋燭が放つ最後の光のように、マキナは最終最大の力を振り絞るのだ。

「さあ、唯一無二の終焉をくれ……!」

 刹那、全てに先んじてマキナの剛腕が蓮の眼前に迫っていた。
 同時に行動を起こしたはずが先制攻撃の態を為す。それは決して不意をついたわけではなく、宝具の真名を開帳したが故のことでもない。
 両者の速度差は、ただ単純な能力そのものの違いであった。ステータスなどという表面をなぞっただけのカタログスペックの話ではない。戦闘に際する思考速度、状況判断、勘の良さに積み上げた経験則。万事をマキナが上回っているが故、それは状況有利として表れる。
 蓮とマキナでは積み重ねた修羅場の数が圧倒的に違う。60年もの歳月を終わりなき闘争のグラズヘイムに費やすことで研ぎ澄まされた才覚は、最早千年の研鑚すら凌駕する密度となって具現する。ならば修羅道に堕ちることなく現世を生きた蓮が叶う道理はなく、厳然たる結果としてこの場に証明された。
 蓮の鼻先へと飛来する拳は最早回避不可能───このまま為す術もなく、蓮の頭蓋を柘榴の如く弾き飛ばす未来が想起されたその瞬間。

「だったら───」

 ───空を裂く超高速の迎撃が、マキナの右腕へと突き刺さった。
 戦闘者としての技量では敵わない。元よりそれを悟っていた蓮は、破壊力に割くべき力をそのまま迅速へと転換していた。そして放たれた要撃は威力こそ些か劣るものの、マキナの放った拳の軌道を変えるには十分すぎる。
 両者交錯の結果として生まれたのは、空白の瞬間。
 致命の隙を生み出した判断───それはまさしく弱者生存の業であり、戦いの手法とは一つに非ずと雄弁に語っていた。

「お前が、くたばれ」

 右腕を突き穿つ勢いのままに、背中から回転して浴びせるは怒涛の連打。まるで散弾銃のように打ち込まれた突きの連撃が、一切の抵抗すら許すことなくマキナを逆に蹂躙していく。蓮がマキナに劣るだなどと誰が決めたか、彼の技量もまた超越の領域に到達している!
 両腕、体躯、胴、腕、顔面。叩き込まれる破壊の嵐───仮借なく。蓮もまたずっと戦い続けていた。人ではあり得ぬ年月を、人を超えてしまったがために生き抜いて、人では及ばぬ魔人の一切を滅ぼさんがために。故に完成した彼の剣技は銅頭鉄額。その成果こそがこの爆撃じみた怒涛の剣刃乱舞。
 マキナと蓮、共に甲乙付け難き彼らは極めて高い領域において互角の戦いを継続していた。元より彼らは、厳密に言えば同一人物。それ故単純な出力差や能力の性能などで勝負がつくなどありえない。
 互いが互いを知り尽くしている。その存在を、魂を、鮮烈なまでに焼き付けている。それが故に判断まで似通っている二人の明暗を分けるのは力でも技巧でもなく、そこに込めた想いの多寡であるのだろう。

 だからだろうか。紫電纏う聖剣の乱撃を受け続け、全身から膨大な火花を撒き散らし鉄の軋む音を鳴らしても尚、蓮の眼前に立つ黒騎士は───

「否、否だ。戦友よ。俺はまだ終われない」

 俄かには信じがたい光景───連撃を受けながら歩み寄る。
 一つ一つが渾身、例えサーヴァントであろうとも防御もなしに受ければ絶死となるはずの斬撃嵐を、さながら豆鉄砲であるかのように受け流して蓮を見遣る。
 無傷であるはずがない。現に全身は軋む音を掻き鳴らし、激突の度に致命の火花が散っている。にも関わらずただ平然と、泰然と、肌を涼風が撫でた程度の感覚だと言わんばかりにマキナは静謐の表情を崩さない。

 そして出し惜しみや躊躇など一切考えることもなく。
 永い時を越えて邂逅した戦友への昂揚さえ、己が運命を破壊する業を前に砕きつくし───

「───俺は、お前を殺さぬ限り終われない」

 鋼鉄を思わせる瞳に浮かぶのは反撃の狼煙。
 自らに拮抗する戦友を完膚なきまでに終わらせるため、黒騎士の渇望が駆動する。


いと高き救いの奇跡よ。我が救済者に祝福を(Hochsten Heiles Wunder: Erlosung dem Erloser)


 ───それは、終わりを宣誓する祝詞であった。
 ───彼が秘めた力の解放、その宣言であった。

 解放と同時、夥しい量の魔力をその身に迸らせる。
 心の底からわき出した歓喜は漆黒の魔力流となって全身を駆け巡り、瘴気が如く昏い波濤となって余人にも目視可能なほどに密度を上昇させる。それに伴い拡大する圧力は無双の極致。彼が戦意を露わにしたというそれだけで、足元の地面は見渡す限り巨大な蜘蛛の巣めいて罅割れた。
 そして、次なる刹那───

「ぬるいぞ。何をいつまでも寝ぼけている」

 剛腕一閃───まるで至近距離で重火砲が放たれたような衝撃。
 驚愕の表情と共に辛うじて身を捻り、蓮は何とかその一撃を躱すも、瀑布にも似た轟爆は周囲の空間そのものを鳴動させる。
 マキナにしてみれば、これでも全力には程遠いのだろう。劣化、損耗、ここに極まれり。何とも無様で滑稽であるとさえその気配は語っている。だが、それだけで内在する破壊力は如何ばかりか。触れてすらいない地面が大きく抉れ、砕け散って宙を舞う。

 続いての二撃目。体勢を崩した蓮を追撃するように放たれた横薙ぎの裏拳は更に身を捻ることにより回避され、その背の向こうにあったビル群を乾いた紙粘土の如くに吹き飛ばす。鼓膜を震わす地響きが一帯の空間を埋め尽くした。
 踏み込んだ震脚に周囲の瓦礫が爆散する。
 構えを取るための所作一つで大気が破裂し水蒸気爆発もかくやという爆発音が轟く。
 マキナの拳が放たれる度、空を切る衝撃だけで周囲の建築物が根こそぎ崩壊していく。
 理解不能な絡繰りを聞いたならば、この黒騎士は答えるだろう。これこそ我が望み、終焉が至る果てであると。

 そう、それはゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲンのエイヴィヒカイト。
 その本質は極端に特化した破壊能力による物質・事象崩壊に他ならない。

 通常、エイヴィヒカイトによる「形成」位階とは核となる聖遺物を武装に適した形で物理的に具現する術法だ。
 朽ち果てた旧世紀の剣であるならば、斬殺に特化した質実剛健な刃として。
 錆びつき動かなくなった銃であるならば、銃殺に特化した魂喰らいの砲として。
 それはすなわち、常態としては聖遺物は形成されないということの裏返しでもあるが、しかしマキナの場合はそれと趣を異としている。
 彼は生きた聖遺物───ティーガ―戦車を媒体に毒壺の魂をくべられた人造物であるために、彼の形成は極めて特殊な発現を為す。
 それが常時発動型。常に渇望を発揮し続けるがために、創造の展開により発揮されるべき終焉の残滓が形成の拳にすら付与されるという異例の事態に陥っているのだ。
 現状の彼は創造を発動できない。マスターの不在に霊基の損傷、拳は終焉として変生することなく、触れたものに幕を引くこともない。しかしそれでも彼はマキナ、鉄腕の黒騎士であるために、振るわれる拳には絶死とも言うべき破壊力が乗せられる。

 故、戦況は一方的な状態へと転じていた。すんでのところで蓮は躱し続けているものの、被弾は時間の問題。そして一撃でも食らったならば、極限域の破壊力が五体を微塵に散らすだろう。
 例え皮膚に掠る程度であっても爆散する衝撃が内部に伝播し破砕する。否、躱し続けているはずの現状でさえ、付随する衝撃波だけでも相当の圧力と破壊が為されているのだ。仮にここで相対するサーヴァントが三騎士クラスの白兵戦能力を持たない場合、それだけで戦闘不能に陥る可能性とて十分にあり得るだろう。
 地に足踏みしめて迫るマキナ。禍々しささえ感じさせる弩級の打撃が蓮に対して殺到する。

「相変わらずなんだな、お前は」

 繰り出される拳の弾幕、決して速くはないはずなのに巨岩の崩落が如く怒涛に押し寄せるそれを、手に持つ剣で捌きながら蓮が言う。
 相変わらずだ。その拳から感じられる渇望の種別、その深度。何もかもが昔と変わらない。
 こいつは今でも死を求めている。奪われた物を返せと、それだけを言っている。

 終わり終わりと負け犬のように、都合が悪けりゃ逃げることしか考えない。

「飽きもせずに俺を殺すだなんだのと、要は怖気づいてるだけのくせに偉そうにしてんじゃねえ!」

 叫びと共に渾身の一閃。それはマキナ本体ではなく、振るわれる拳の可動域、すなわち手首を狙ったものだ。
 甲高い反響音と共に火花が散る。それは一瞬ではあったが空白の間隙を生じさせ、更に拳の軌道そのものを捻じ曲げる。
 滑り込む体、振るわれる斬撃は確かな痛覚を伴ってマキナの胴体へと炸裂する。更に追撃、サーヴァントとして備わった敏捷差を生かした連撃がいずれも余さずマキナの肉体を捉えて損壊させる。
 挽回不可能であると思われた局面を、しかし彼は一度の攻撃で退けた。そしてその後も続く追撃の嵐。死角となる横合いからの柄での殴打が脳を揺らし、回転するまま内懐へ入っての突きが鳩尾を抉る。

「死にたがりが、一丁前に吠えるな」
「ああそうだ。俺は変わらない。俺の望みは誰にも譲りはしない」

 すなわち、唯一無二の終焉を。マキナが望むのはそれだけで、たった一つのためだけに彼はその拳を振るう。
 残像すら捉えられぬ波濤の嵐。躱されては引き戻し、一心不乱に敵手の破壊を求め続ける。
 銃砲火器など目ではあるまい。激震する拳と紫電の剣圧が鬩ぎあい、空間に一種の断層すら刻み付けながら踊り狂う。

 口を開くことさえ致命の隙と成り得る剣戟。その最中に、しかしマキナはそれでも尚を口を開き。

「だが、それを言うならお前はどうなのだ。なあ戦友、最早矛盾でしかない在り様を晒す宿敵よ」

 一言だけ、問うた。それを前に、蓮は一瞬の狂いもなく肉体と剣を駆動させながら、その眉を僅かに動かした。
 ああ、その言葉は、決して否定することなどできないもので。

「失ったものは戻らない。死んだ者は生き返らない」
「……戻ってくるなら、それは価値がないからだ」
「そうだ。それだけが、俺とお前が共に抱いた原初の誓いであったはずだ」

 静謐に告げるマキナと、追随するように続きを返す蓮。それを前に、マキナはただ泰然と構えるのみ。

 彼らは共に生を尊んでいる。限りある一生を、人としての生涯を、愛するが故に彼らは対称となる極点へと辿りついた。
 ただ一度きりであるが故に重く、尊い「死」を選んだマキナと。
 ただ一度きりであるが故に重く、真摯に向き合うべき「生」を選んだ蓮。
 かつての戦いにおいては、死を奪われたがために蘇ったマキナを、明日を生きることを望んだ蓮が打ち倒した。それはつまり、二人が共に嫌悪する死者が、共に尊ぶ生者に打ち負けたという順当な結果となったのだ。

「かつてお前は言ったな。生き残るのは自分であると。ああ認めよう。あの時のお前は、俺という死者を打倒するに足る英雄だったと」

 しかし、とマキナは続ける。

「ならば今はどうだ。お前も俺と同じサーヴァント、蘇った死者に過ぎまい」
「───ッ!」

 その言葉に、蓮の挙動が明らかに精彩さを欠いた。弾かれた剣握る右手が、後ろ手に流されて大きな隙を晒す。
 すかさず放たれる鉄拳を、体勢を崩しながら辛うじて回避した。しかしここに、致命の隙を作りだしたが故の趨勢が決定づけられた。

 マキナの言葉は、藤井蓮という一個の人間に突き付けられた矛盾であった。人はいつか必ず死ぬ。死は一度きり、故に烈しく生きる意味がある。だからこそ、失われた命は戻ってきてはならないのだという思想。
 ならばこの場で最も矛盾しているのは、奪われた死を取り返そうとするマキナではなく……

「お前では俺に勝てんよ。何故ならお前も止まっている。ましてここで、このザマで。俺を倒したくば敗北(なっとく)に足るものを示すがいい」

 徐々に追い詰められていく。回避と防御に割くリソースが、一合ごとに嵩を増していく。そうして蓮はいつの間にか、防戦一方の状態へと成り下がっていた。

 彼らは全く違わぬ因子を有した同位体。故に単純な出力や性能差などで勝負がつくなどありえない。
 ならば彼らの明暗を分かつものは何であるのか。決まっている、譲れぬものに懸けた精神の多寡、想いの力以外にない。

 故に蓮は敗北する。大義を失い、名分を失い、今や彼自身が忌避すべき生ける死者と成り果てた以上は。
 藤井蓮が勝る道理など、何処にも見当たるはずもなく───

「させんがなァッ!」

 轟、と武威が放たれる。
 大気を貫く爆轟と共に撃ち出された正拳が、一直線に蓮の顔面へと吸い込まれて───



「───ああ、そうだ。確かに今の俺は矛盾してる」

 けれど。
 違わず蓮の頭蓋を粉砕するはずの拳は、しかし何をも穿つことなく軌道上に配置された剣の腹に阻まれた。
 そしてそのまま、両者は鍔迫り合いにも似た鬩ぎあいへと移行する。ぎりぎりと上げられる刀身と拳の軋む音は、両者が叫ぶ悲鳴に他ならない。

 限りある生を重んじる蓮の渇望は、今も彼の戦闘力を支えている。それはつまり、彼は一度きりの死を否定せず、故に蘇りなど肯定するはずもないということを示していた。
 そう、彼は蘇りたくなどなかったはずなのに。

「それでも、放っておけなかっただけだ。
 あいつがまだ生きている。だったら俺だけ逃げるわけにはいかないだろう。こんな偽物(おれ)を、それでも大切な(せつな)だと言ってくれるなら尚更に」

 語られた彼の真意に、マキナは眉根を寄せた。彼には分かったからだ、蓮が一体誰のことを指して言っているのか。
 それは彼らの後方。この戦いが始まってから、ずっとそこで事態を見守り続けていた、一人の小さな影。
 ───アイ・アスティン。藤井蓮の、マスターだった。

「理屈じゃないんだよ。例えそれが、どれだけ矛盾したことだとしても。お前には狂ってるようにしか見えないだろうけどな」

 自分以外の誰かのため、己を曲げて戦場に居座ること。それは矛盾していても正しいことで、人足らんとするならば自然なことだと蓮は断言した。
 彼女のため、そして何より己のため。余人の目にはどう映ろうと、彼の中では釣り合いが取れている。利他と利己、どちらも必須のものであり、どちらにも傾かない無謬の天秤。
 ともすれば不整合なその在り方こそ、人の真であるのだと。

 そして、マキナは見た。驚愕と共に、それを目の当りにした。
 今、目の前にいるこの宿敵は……

 ───笑った、のだろうか。
 夢か幻か、それとも見間違いか。ほんの僅か、蓮から滲んだものは確かな苦笑の念だった。

「あいつは、夢見がちな奴だったよ」

 言いつつも、自らもまた夢見る者であるかのように、蓮は少女のことをそう語る。

「そして、俺はそんなあいつだからこそ、死想を曲げてでもサーヴァントとして振る舞おうと思えたんだ」

 思い返すのは召喚されたあの日のこと。少女の歪みを垣間見た時のこと。
 世界を救う己は救われてはならないと決めつけて、報われぬ道程に足を踏み入れた。
 それは呪いだ。その歪さを肯定すれば、彼女を蝕む呪縛は未来永劫解けはしないだろう。
 だからこそ───

「そんなあいつが、生きたいと言っている。だったら俺も死なねえよ」

 神としての永遠ではなく、人としての一生を。
 歩ませたいと願うがため、今の自分に迷いはない。明日を生きる人間として、藤井蓮はアイ・アスティンを生かして帰すと決めたのだ。

「マスターのため、か。繰り返すのが好きな男が、なんとも殊勝なことだ」
「そういうお前はどうなんだ。自分を喚んだ奴一人さえ、お前は報いず死なせたのか」

 蓮の問いかけに、マキナは一瞬の無言。微かに表情が揺らぐ。
 しかし代わりに構えたのは幕引きの鉄拳一つ。

「……知らんよ、そんなものなど。俺の望みは俺自身の力で完遂する───他力などには頼らん」
「ああ、そうかよ」

 吐き捨てて、蓮もまた剣を構える。これより先は、もう言葉で問う領域を脱すると分かったから。

「問答は終わりだ、戦友。今こそ幕を引くとしよう」
「言ってろ。勝つのは、俺だ」

 先に進むのは、俺達だ。
 幕引きになど囚われない。どう死ぬかではなく、どう生きるかを考える俺達が、明日さえ見ようとしないお前に負けるものか。

 そうして二人は目線を合わせ───
 両者の姿が霞のように消え失せたのは、次の瞬間であった。





   ▼  ▼  ▼





「……え?」

 すばるは、それが何を意味しているのか分からなかった。

「何、してるの、アーチャーさん……?」

 分からず、目の前のそれを見つめる。ぱくぱくと、水面で喘ぐ魚のように口を開閉し、しかし彼女は何をも言うことはない。
 何かを伝えたいということは分かる。けれど、何故彼女がそうしているのか、すばるには理解できなかった。

「───! ……!?」
「アーチャーさん、もしかして、声が……」

 必死に何かを言おうとして、縋るような目をする美森に、そこでようやく、すばるはこの事態が何なのかを理解した。

 ───満開という術法には代償が存在する。
 古今、万物にある程度共通するように、大きな力にはそれ相応の対価というものが付随する。等価交換は世の原則であり、身の丈に合わぬ力は持ち主に必ず破滅をもたらしてきた。
 何かを得るには何かを失う必要がある。それは満開に限ったことではなく、通常の宝具とて、発動には莫大な魔力の消費が要る。しかし満開とは、得られる力と反比例するように魔力消費は極めて軽微で、故に他の要素で埋め合わせが求められた。
 それが"散華"。"満開"に付随する代償であり、美森たち勇者が強大な力を揮うことに課せられた宿業でもあった。
 満開を決行した勇者は、その発動が終わったと同時に肉体の一部を永遠に失う。喪失する肉体部位は基本的にランダムであり、視覚や聴覚といった五感から手足の動作、あるいは記憶といった概念的なものまで含まれる。
 実のところ美森が抱えていた下半身の失調も、生前に敢行した満開の代償であるのだ。サーヴァントとなった現在ですら引きずるほどと言えば、その代償がどれほど重いかは想像に難くない。
 そして今、彼女は何を散華したのか。
 それは"声"だ。彼女は、他者へと語りかける機能を永遠に失った。言葉を紡げず、語りかけるという概念そのものの剥奪であるため念話による会話も不可能。それは奇しくも、生前における彼女の友人と全く同じ代償であった。
 咲き誇る徒花は、いずれ散華するのが定め。満開となった花の寿命は短く、遠からずその花弁を地に落とす。
 それは皮肉なことに、すばるへ伝えなければならないことがある今の美森にとって、何よりも重い代償であった。

「……!」
「アーチャーさん、何を……」

 美森は残った右腕ですばるを引き寄せると、その背を抱いて指でなぞった。その動きは、文字を示していた。すばるもそれを遅まきに理解すると、黙って美森に身を任せた。
 彼女には何としてもすばるに伝えなければならないことがあった。みなとという少年のこと、ライダーのマスターであったこと、そして何より……アサシンの存在のこと。
 それらを、一字一句丁寧に、美森は文字にしていった。

 ───この時、美森は一つ重大な失敗を犯した。
 状況が混迷しているがために言葉に迷ったということもあるだろう。左腕の喪失という、極限状態にあったこともあるだろう。それら要因が重なってか、美森は常の冷静さを欠いており、彼女らしからぬ不手際を犯した。
 それは、伝える事物の順番。この状況において真っ先に伝えるべきなのは未だ近くに潜伏しているアサシンの存在だ。第三者の視点から見れば、それは明白なことである。
 しかし美森は当事者で、しかも混乱と激痛と血液不足による思考の鈍麻の只中にあった。だから彼女は、時系列を整理することなく「自分が体験した順番通りに」すばるへと語り聞かせたのだ。

「アーチャーさん、いま、なんて……?」

 すると、どうなるか。
 未だ話の途中であるというのに、すばるの顔は驚愕と困惑に満ちて。

「みなとくんが、死んだ……?」

 信じられないといったすばるの言葉に、ここでようやく、美森は自分がしでかした失敗を悟り、ただでさえ蒼白となった顔を更に蒼褪めさせた。

「うそ、だって……みなとくんは、え……?」

 渇いた哂いが漏れる。違うのだと伝えようにも、美森の声帯は機能しない。指でなぞろうにも、もうすばるはそれを認識できていない。

 確定ならざる情報、しかしすばるには何故か、美森の言葉が真実であると確信できていた。
 それは予感だ。かねてから感じていた予感。それは彼女の裡に眠る可能性の結晶が紡いだみなととの縁であり、廃植物園で彼の花を見つけた時に確証へと変わった。
 そして今、すばるの裡にあったはずのみなととの繋がりは、途絶えていた。理屈では分からずとも、無意識で理解していた感覚として、すばるはどうしようもなく、みなとが死んでしまったのだと分かった。

「みなとくんが、死んだ……殺された、なら……」

 かくり、と。幽鬼のように力の抜けた相貌で、すばるは彼方を見遣る。
 こうしている間にも断続的に響く、轟音と激震。何かが崩れる音が耳に痛い。そんな破壊が為されている中心を、すばるは睨む。

「みなとくんを殺したのは、あいつ……!」

 違う! と、美森は叫びたかった。違うのだ、そうではない。
 みなとを殺したのが、すばるの睨む黒騎士ではないというのもそうだ。しかしそれ以上に、"今集中すべきはそれではない"!

 すばるは身に抱く杖を強く抱きしめる。何かが弾ける音と共に、彼女の姿が純白のそれへと切り替わる。

「よくも、よくもみなとくんを───!」

 あっ、と言う暇もなかった。
 縋るように伸ばされた美森の手をすり抜けて、すばるは一直線に黒騎士へと突貫した。涙ながらに絶叫する相貌は悲壮で、だからこそ美森は、後悔と遣る瀬無さに苛まれた。
 すばるは元来、あまりにも優しすぎる心根の持ち主だ。エンジンの欠片集めに際する邪魔にも落ち込むことこそあれど憤ることはなく、怒気を露わにすることに至っては人生において数えるほどしか存在しない。怒りよりも悲しみが先に立つ、すばるとはそういう少女だった。
 そのすばるが、今は怒りと敵意に染まっていた。
 それほどまでに大切な存在だったのか。彼女は今まで見たこともないほどに眉根を釣り上げて。一心不乱の突貫を果たす。
 それは逆に言ってしまえば、心理的な最大の隙を晒すと同義であり……

 ───違う、違うの。すばるちゃん、逃げて───!

 声なき美森の叫びは、当然届くはずもなく。


「―――あ……」


 遠くから、小さな光が放たれた。
 瞬時に目の前まで迫った"それ"に、すばるは頓狂な声をあげた。
 それは、夕闇に白く光る、巨大な戦錐の形をしていた。
 身を裂くような衝撃が全身を襲い、すばるの意識は闇に包まれて───

 ───その刹那。
 ───すばるの胸に、一筋の光が輝いた。





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