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 勇者───その輝かしい名の響きに、人は何を思うのか。
 少なくとも、そこに負の印象を抱く者は皆無だろう。憧れ仰ぎ見ずにいられない対象として認識する場合がほとんどのはずだ。
 理由はいくつか考えられるが、まずは救済や希望を担う者であるからという点は何をもってしても大きい。誰か───自分以外の他者を救うという行為は、例外なく讃えられるに違いない。
 そして、理由ならもうひとつが挙げられるだろう。それは偏に希少性───つまり、十把一絡げのありふれた存在ではないという一点だ。
 まず人々を救うという道。それを目指すこと自体が既に希少であるし、かつ目指したからと言って誰もがなれるものではない。
 志だけでなく継続して貫く実力、困難を乗り越える天与の才能……そういった諸要素の篩にかけられ、選ばれた一握りの者だけが至れる存在。だからこそ勇者は憧憬を一身に集めやすい。
 ならば、勇者を生むその希少性とは具体的にどんなことを意味するのか。
 個人に当てはめてみるならば、それは「皆と同じことをしてはならない」ということが第一条件になるのではないだろうか。
 つまり家族が大事とか、友人たちを愛しているとか、当たり前の職業に就いているとか、些細なことで悩んでいるとか―――
 そういった普通の人々が抱くだろう概念を持たず、そこから離れていればいるほど人はそれを特別に思うはず。逆に常人としては祝福すべき素晴らしい環境や出来事も、勇者を目指す者にとってはその条件たる希少性を大いに毀損する要因となってしまう。
 万人と大差ない道を歩もうとする者が、勇者として認められることはまずないのだ。

 だから。
 もしここに勇者であろうとする少女がいたとして、その一方で個人的な友誼を守ろうと奮闘しているとしよう。そしてそのために近しい友人以外の全てを犠牲にしようとしているのだとしよう。
 すなわち誰もが羨むような典型的な幸福を、歓びをもって彼女がその手に掴もうとしているのだとしたら。
 救済や希望をかなぐり捨てて世界の破滅を寿ごうとしているのだとしたら。
 それは、つまり───





   ▼  ▼  ▼





 夢を見ているような、微睡んでいるような感覚があった。
 一面の闇の中。夢のわたしは蝶になって、セルリアンブルーの翅をひらひらと羽ばたかせた。
 生身の体では決して味わえない感覚。けど、この感覚をわたしは知ってる? 宇宙の中を自由に飛び交う楽しさ。それを、わたしは知っている?

 無明の闇の中を進むと、いつしか一筋の光が見えた。誘蛾灯に誘われるように、ひらひらとそこへ向かう。
 光の正体は扉だった。闇の中にぽつんと浮かぶ、一つの扉。それが微かに、暖かな光を放っているのだ。

 これはなんだろう。わたしは、なんでこれに惹かれたんだろう。

 わずかな疑問が湧いて、でもそれを考えることもなく、わたしは扉を開け放った。

 ───光が、溢れた。

 ………。

 ……。

 …。

 ──────────────────。


「……えっ?」

 ───気が付いた時には、わたしはわたしであって、蝶ではなかった。
 二本の手があり、足があり、いつもの制服を着ているわたしの体が、そこにはあった。

 そして次瞬、わたしは全てを思い出した。
 わたしの名前はすばる。中学一年生で、コスプレ研究会に入ってて、今は聖杯戦争っていうものに参加させられてて、何か凄い衝撃に巻き込まれて……
 みなとくんを、探してて……

「ここ、は……」

 ぼんやりとしていた視界が、徐々に色を取り戻していく。
 焦点が合い、自分がどこにいるのかが分かってくる。

「病、室?」

 そこは、暗がりの病室だった。
 機材が放つ青い光に照らされ、心電図の無機質な音だけが響く、ひっそりとした暗い病室。

 ベッドには、呼吸器に繋がれた男の子が、静かに眠っている。
 その、少年の、顔は……

「みなとくん……」

 すばるが必死に探し求め、追い掛けた少年の姿が、そこにはあった。

 白いシーツに包まれたみなとは、見ているこちらが苦しくなるほどに青白い顔をしていた。今まで見てきた少年とは似ても似つかぬほどに、痩せ衰えて。
 すばるは崩れるように膝立ちになると、横たわるみなとの手をそっと握った。点滴の管が走るその手は、木乃伊のように細く、乾いて。ふとした拍子に折れてしまいそうで。
 折り紙でできた星を、大切そうに握っていた。

「こんなところに、いたんだね」

 それでも、すばるは笑みを浮かべた。
 目の奥が熱くなり、鼻につんとした感覚が宿る。涙が滲んで、上手く前を見られない。

 この状況が一体何で、どのような意味があるのかは分からない。けれど、それでもすばるは、求めた少年に追いつくことができたから。

「みなとくんもわたしも、幻なんかじゃないよ」

 言葉と共に、溢れるものが一つ。
 すばるの裡から、微かな光が漏れだす。それは一つの星となってすばるから湧き出た。
 「わ、わ」という声を余所に、それはみなとの手のひらへと落ちた。すばるがそっと握った手のひらと、折り紙の星。そこに落ちて、光はその輝きを増し───



「君も、ここに来てしまったんだね」



 記憶の中にしかない彼の姿が、すばるの目の前に存在していた。





   ▼  ▼  ▼





【無事だったか、士郎】
【アサシンか……アーチャーの攻撃に紛れる形で、何とかな。そっちはどうだ?】
【腕一本を取った。しかし、仕留めるには至ってないだろう】

 再び戦場と化した街を俯瞰できる場所にて、身を隠し睥睨しながら士郎は念話を行う。
 混沌とした状況だ。先ほどまで自分が戦っていたライダーは、今は乱入した別のサーヴァントと戦闘を行っている。クラスはセイバー、アーサー王と同じく最優の一騎だ。できれば相手にしたくない手合いであった。

【士郎、この状況をどう思う】
【……色々と理屈の分からないことばかりで何とも言えないな】

 士郎の言は事実である。この状況、彼らの視点ではあまりにも不可解なことが多すぎた。
 例えばライダーの継戦状態。例えば乱入してきたセイバーの存在。アーチャーのマスターと思しき人影。不確定要素は多く、軽率に結論を出すには些か混迷に過ぎた。
 しかし。

【それでも一つだけ言えるのは、俺達にとっては都合がいいってことだ。逃げるにせよ、仕掛けるにせよ】

 そういうことだった。今の状況とはすなわち、敵性存在の全てが士郎とアカメからチェックを外した状態にあるというものだ。
 故に逃走は容易である。唯一の懸念点はアーチャーの存在だが、アサシンの言によれば片手を喪失し、こちらから見る限りにおいても既に戦闘能力は失われている。逃げる士郎たちを追撃してくる可能性は決して高くはないだろう。
 ここで最も気を付けるべきは、アーチャーが保有する宝具にあるが。

【そうだな。それとアーチャーの宝具だが、あれは単純な性能強化だった。上げ幅が尋常じゃなかった分、反動も相当なものなのだろう。あの様子を見れば想像がつく】
【だな。俺も同じ意見だ】

 これこの通り。宝具の種が割れた以上はどうとでもなる。戦闘能力の消失と代償の関係上、短時間での再使用はまずないと言っていい。
 消滅必至と思われたライダーの復帰、未知のサーヴァントの登場、丸裸となったアーチャーのステータス。
 それら要素を加味して、ならば自分たちが採るべき選択とは何か。

【だけど……すまない、アサシン。俺はもう一度奴らに仕掛けたいと思う】

 士郎の選択とは、それだった。
 逃げようと思えば確かに逃げられるだろう、しかしそれを選ぶには余りにも後のリスクが高すぎた。
 ライダーとセイバーが潰し合ってくれる、という展開ならば理想だ。しかしそう楽観はできないし、何よりアーチャーが生き残っているというのは見逃せない。
 端的に言ってしまえば、彼ら三陣営が全騎生存し結託するという最悪の展開が起こる可能性を、士郎たちは否定できないのだ。確かに今はライダーとセイバーが戦っている。しかしアサシンの存在を彼らが知り、かつアーチャーによる裏付けが取れればどうなるか。
 更に言えば、ライダーは放っておいても消滅する……そう楽観もできない状態にあった。士郎たちは、彼が何故復帰できたのかという絡繰りがてんで分からない。その理屈次第では、この戦闘はおろか長期間に渡って現界し続ける可能性もあるし、何よりアーチャーかセイバーのマスターと契約してしまえばその時点で消滅は免れてしまう。
 他の陣営が騒ぎを聞きつける可能性については考慮済みだ。撤退からこの瞬間に至るまで、精査こそできないもののそれなりに周囲を確認する時間は取れた。士郎の視力、並びにアサシンの気配感知能力によってこの一帯にサーヴァントやそれに類する敵性存在がいないことは確認済みである。唯一の懸念材料は先程の黒衣のアーチャーの存在であるが、仮にあれが攻撃を仕掛けてくるのだとすれば、その優先順位は当然としてあのライダーやセイバーらのほうが高くなるだろう。
 それは逆に言えば、黒衣のアーチャーが今攻撃してきてくれたならば、自分たちは何の憂いもなく撤退できるということの裏返しでもあったが……それを期待するのは酷というものか。状況とは常に最悪の想像を現実にするのだから。
 それを言ってしまえば、黒衣のアーチャーが彼らにコンタクトを取る……その可能性だって否定はできまい。そうなればあのライダーが消失すると仮定してもなお最悪の展開だ。確実に、自分たちでは手の付けられない事態となるし、他の陣営との潰し合いも期待できるかどうか。ただでさえ警戒される率が高く同盟を組むことすら忌避されがちなアサシンの主従である自分たちは、少しの不備さえもあってはならない。
 故に、放置などしておけない。狙うならば今、同士討ちが起こっている時を置いて他になかった。

【了解した。その決断に否やはない。士郎の決定に従おう。
 ……と言いたいところだが、その消耗具合はいただけないぞ士郎。私が魔力を融通することも可能だが、まず量は足りるまい】
【……ああ。そこは俺だって重々承知さ。この消耗度合を鑑みれば、仮にここを乗り切っても一両日はまともに行動できないだろう。
 だから、アサシン】

 そこで、士郎は令呪の刻まれた腕を掲げ。

【令呪でお前の継戦状態を補助する。単純、かつ長期的な魔力総量のブーストだ。これなら今回だけじゃなく、これからの行動にも大幅な自由度が生まれるはずだ】

 士郎が提案したのは令呪による回復であった。アカメは現状特筆するような消耗こそないが、その魔力を融通することにより士郎の状態を向上させることも可能である。故にこれは、両者に共通した戦闘リソースの回復に他ならない。
 この場を乗り切るのみならず、後の戦闘でもある程度の余裕が生まれるだろう。この提案を拒否する理由は、アカメにはなかった。

【……分かった。そこまで言うならお前の選択に従おう。ならば、私は誰を狙えばいい?】
セイバーのマスター(・・・・・・・・・)だ。俺はアーチャーのマスター、そしてセイバー自身に狙撃を行う。アサシンはその隙を突いて欲しい】
【了解した。確かにそれが妥当なところだろうな】

 二人は更に襲撃タイミングなどに関わる作戦を十全に話し合い、令呪による補助を行い、念話を継続したまま所定の位置についた。士郎は低階層ビルディングの屋上へ、アカメは戦場近くの物影へ。そして息を潜め、最善の時をじっと待つ。
 轟音が幾度も響く。その度に、瓦礫は崩れ細かな塵が降ってくる。その振動と圧力に耐えて、耐えて、耐えて。
 そして、その時はやって来た。

 発端はアーチャーのマスターだった。
 彼女は何かを叫びながら、一心不乱に戦闘の中心へと突貫した。その速度、長距離移動に限定すればサーヴァント級か、あるいはそれ以上か。士郎とアカメでさえも目を見張るものがあったが、しかし。

(冷静さを欠いたか)

 所詮はそれだけだ。あのマスターはあまりにも素人に過ぎる。サーヴァントを振り切っての単独特攻など、"狙ってください"と言っているようなものだ。
 故に、殺される。
 故に、俺の願いの礎となる。

「───投影、重装(トレース・フラクタル)赤原猟犬(フルンディング)!!」

 詠唱と共に放たれるは、絶対必中の魔剣が一。
 四十秒をかけて魔力を充填させた一矢はセイバーへ、間髪入れずに放った二矢はアーチャーのマスターに。
 それぞれ向かい、距離的に士郎たちと近い位置にいたアーチャーのマスターへとまず到達し───

「───あ……」

 呆けたような少女の顔が目に映り。

「セイバーのマスター、葬る」

 それと同時、物陰から飛び出したアカメが一刀を振りかざし、立ち尽くす異国の少女へと迫ったのであった。





   ▼  ▼  ▼





 弓兵のクラスで呼び出されたが故の視力によって、美森はそれを正確に目撃した。
 遥か遠くで瞬いた光。番えられた鏃。それを引き絞ったと思しき青年の姿と、放たれる螺旋の軌道。
 美森は、その全てを明瞭に認識できていた。
 美森は、その全てを分かりながら、しかし体を動かすことができないでいた。

(すばる、ちゃん……!)

 立ち上がろうとして、失血とバランス欠如から無様に崩れる。
 駆けだそうとして、けれど最初からこの足は動いてはくれない。
 助けたいという思いだけが先行して、なのに体は言うことを聞いてくれない。
 螺旋剣が、不自然なほどゆっくりと流れる視界の中、徐々にすばるのもとへと迫っていく。

 這いつくばったまま、無我夢中で手を伸ばした。
 一生懸命伸ばしたのに、届かなかった。
 涙が、溢れた。

(私は、また……)

 誰をも守れないのか。また、自分一人が残されてしまうのか。
 それが嫌だったから、力を手に入れて挙句に英霊とまでなったのに。
 また、繰り返してしまうというなら───

(だったら……)

 ───だったら、いっそのこと"全部壊してしまえばいい"。
 悪魔が囁いた。諦めてしまえと、諦めて"それ"を使うがいいと。
 東郷美森が備える最終宝具。彼女の望みを疑似的に果たす仮初のラグナロク。

 逡巡していられる時間は、残されていなかった。

(私は───)

 そうして美森は、何かを決意したように唇を噛みしめて、瞬間的に膨大な魔力を放出した。
 ───それは身の破滅を告げるような、昏く不吉な気配を湛えていた。





   ▼  ▼  ▼





 どこかで見たような、景色だった。
 どこかで見たような、星宙だった。
 無明の闇ではない。ところ狭しと星々が煌めき、宝石箱のように輝いている宇宙。

 ───ここは……

 その光景を目にした瞬間、すばるを猛烈な眩暈が襲った。
 くらり、と意識が揺れる。けれど苦しみはそこまでで、次いで思い出されるのは、"何故自分がこの光景を知っているのか"ということ。

 エンジンの欠片集めで宇宙を巡ったから、ではない。
 コスプレ研究会のみんなと眺めたことがあるから、でもない。
 どこを見渡しても似たような景色ばかりと、宇宙をよく知らない人ならそう言うかもしれない。けれどすばるは違う。

 ここは、この景色は。
 そうだ、これは、あの時に───

「そう、僕と君が一緒に見た、あの星宙だ」

 それは過去。かつて共に垣間見た星々の残影。
 思い出の中だけにあるはずの光景だった。しかし、ここは過去じゃない。
 確かな今として、すばるはここにいるはずだ。

 ───遥かな星海の中で、すばると少年は向かい合うように立っていた。

「みなとくん……」
「訳が分からない、って顔をしているね。すばる」

 不安げなすばるとは対照的に、少年───みなとは泰然とそこに立っている。
 彼は手を翳し、どこか遠くを見つめるように言った。

「距離も時間もあやふやになり、我と汝が一体と化し、生と死を超越した境地……
 僕は暫定的に純粋空間と呼んでいるけれど、本当のところはここがどういう場所なのか、僕にもよく分からないんだ」

 赤いセミロングヘアに中性的な顔立ち。
 忘れられない彼の顔。もう二度と会えないはずだった少年の姿。
 今はこうして、すばるは彼と向かい合っている。
 ───けれど、それは生きて再会できたということでは、決してなくて。

「君がここに来れたのは、君の持っている"星"が導いたんだろう。まだ生きている君が迷い込むはずはないから」

 彼は語る。ここは、生きとし生ける者がいるべき場所ではないのだと。
 すばるは、なんとなくだけれど彼が何を言いたいのか分かるような気がした。
 ───分かってしまうから、それを聞きたくはなかった。

「さっき君が見たのが、本当の僕だ。選ばないんじゃなくて、選ぶ可能性すら初めから失われている」

 病室で眠る彼。幼少期から、目覚めることのなかった少年。
 そこから分離した存在なのだと、目の前の彼は言う。何者にもなれず、なることを許されず、ただ消えていくしかない存在として。
 彼は、それを認めることができなくて。
 誰でもない自分自身になることを夢見て。
 そうして、願いを叶えるために、あの世界に来て……
 そして───

「そして、ここにいる僕は」

 すばるの知っている、彼は───

「もう死んでいる。あの鎌倉で、とっくの昔に殺された」

 ───頭を殴られたような感覚が、すばるの脳内を襲った。





「知っているはずだ、すばる。自分で見たか、誰かから聞いたか、それは知らないけれど。
 君は僕が死んだことを知っているはずだ。そうでなければ、こうしてここで会うことはできなかった」

 みなとの言葉は、事実だ。
 すばるは既に知っている。アーチャーの声なき言葉、胸の裡から感じられたみなとの消失、それらが実存よりも尚確かな実感となって、すばるは否応なく彼が死んだことを思い知らされた。
 それで、すばるは自暴自棄になって。
 あのライダーへと突貫して。
 目の前が暗くなって。
 ここに、来てしまった。

「この僕は言わば残影だ。君の記憶から投射された記録の残像。それが一時形を得たに過ぎない。
 本物の僕と同じく、何の可能性も残されていない」

 語るみなとは淡々と、何の感情も見えないように。
 それがすばるには無性に悲しかった。すばるはただ、みなとともう一度会いたかっただけなのに。
 日常を過ごしたかっただけなのに。
 どうして、求めた再会がこんな形になってしまったのだろうと。

「すばる、君はどうしたい?」

 ふと、そんなことを聞かれた。
 あまりにも唐突過ぎて、思わず言葉に詰まった。みなとは更に言葉を続ける。

「君は何かを選ぶことができる。君を導いたキラキラは可能性の結晶だ。だから一つ、そう一つだけ。君は未来を選択できる」

 掲げるように、指を指して。

「生きるか」

 苦難の道を再び歩むか。

「消えるか」

 ここでみなとと運命を共にするか。

「君だけが決めることができる」

 ……何を言えばいいのか、分からなかった。
 ここに至ってようやく、すばるはこの少年のことを何も知らないのだと気付いた。

「わたし、は……」

 絞り出すように、声を出す。
 生きるか消えるか。その二つは、どちらも認めたくない現実だった。
 すばるはみなとのいない世界が嫌で、だからこんなところまで来てしまった。
 すばるはみなとと一緒に生きたくて、だから消えてしまった彼を追い求めた。

 本当はこんなことよりもずっと、話したいことがたくさんあるのだ。
 また一緒にお花の水やりをしよう。また一緒に星を見にいこう。
 お互いの好きなものを語り合ったり、いちご牛乳を飲んでみたり。
 一緒に登下校するのも密かな夢だ。コスプレ研究会のみんなとも仲良くなってほしい。みんな良い子たちだから、きっと上手くやっていけると思うのだ。
 運命も宿命も関係ない、単なる二人の人間として。
 歩いて。
 笑って。
 語り合って。
 たまにはしゃいで、怒られて。
 また明日と手を振って、夜の帳に眠りについて。
 巡る明日が共にあるなら。
 これ以上望むことはない。

 それだけで良かったはずなのに。
 それでも世界はすばるに残酷な選択を迫る。

 一人で世界に取り残されるのも。
 二人で一緒に消えてしまうのも。
 どちらも、すばるは選びたくなくて。

「───……っ」

 だからすばるは悩んで。
 悩んで、悩んで、悩んで。
 噛みしめた唇から、一滴の血が落ちるほどに、悩んで。

 そして。

「……わたしは、生きたい」

 そう、言った。

「……そうか」

 それを聞いたみなとは、安心したように顔を綻ばせた。
 あれほど見たかった彼の笑顔なのに、何故か心が痛んで、とても見てはいられなかった

「なら、ここでお別れだ」

 ぽつり、と彼が呟く。
 呟き、縋るようなすばるの視線に気付いて、寂しげに微笑む。

「もうさよならだ、すばる」
「みなと、くん……」

 すばるは何とか少年を引き留めようと、必死で言葉を探し。

「すばるはすばるの居るべきところへ。僕は僕、君は君だ」

 うん、と呟き、すばるは俯いた。
 俯いて、必死に言葉を探した。
 何か言わなきゃと思うのに、ろくな言葉が浮かんでくれない。

 ───ごめんなさい。
 違う。

 ───ありがとう。
 違う。

 ───さようなら。
 ぜんぜん違う!

 こんな大事な時にろくに働こうとしない自分の頭が嫌になる。言わなきゃいけないことがあるはずなのに、それが何なのか全然分からない。馬鹿みたいに押し黙ったままで、いたずらに時間だけが過ぎていく。
 みなとは、すばるの肩に手を置き、そっと突き放した。

「すばる、そろそろ時間だ」

 すばるの体が、びくりと震えた。
 俯いたままで、小さく言葉を絞り出した。

「……みなとくん」
「キラキラは、所詮は小さな可能性だ。この世界を長い時間留まらせることはできない。
 もうじきここも崩れる。だから」
「やだ……」
「……すばる?」

 すばるは、猛然と顔を上げた。
 涙で潤んだ瞳でみなとを睨みつけ、声の限り叫んだ。



「───そんなのいやだ!」



「すばる……」

 みなとは、困ったような顔をした。

「そんなの、やだ、やだよぉ……」

 声が震えた。

「わたし、行きたくない……みなとくんをここに置いて、あんな暗い病室にひとりっきりにさせて、わたしだけいけない……」

 なんてカッコ悪いことを言うんだろう、と思った。
 みなとの困り顔に、胸が激しく締め付けられた。
 それでも、溢れ出る思いは止められなかった。

「どうして、どうしてこんなことになったの……だってみなとくん、何も悪いことしてないじゃない! 生きたいって、願ったのはそれだけで! それなのにみなとくんは消えて、なんでわたし一人だけ!」

 涙が次々と溢れ、鼻水に喉がむせた。泣き顔を見られたくなくて勢いよくうつむき、拳を握りしめて必死に嗚咽をこらえた。
 弱弱しく、絞り出すような声で。

「行きたく、ないよぉ……」

 それだけ言うのが、精一杯だった。

「すばる……」

 みなとの手が、そっとすばるの頬を撫でた。
 白く綺麗で、思ってたよりも小さな手。あんなに大きく見えたのに、本当はすばると同じくらいの、小さな子供の手。
 指先を目元まで這わせ、そっと涙をぬぐった。
 こわごわと顔を上げるすばるに、みなとは優しく微笑みかけ、
 こう言った。



「だけど、すばるはまだ生きているじゃないか」



 涙に濡れたすばるの顔を、みなとは真っ直ぐに見つめた。

「僕はもう、ここから先には行けない。本当の僕は眠ったままで、この僕はもう消え去った桃煙の残滓に過ぎないから。
 けど君は違う。すばるはまだ、ここにいる。君は、かけがえのない君なんだ」

 何度も詰まり、考えながら、言葉を紡いでいく。

「……僕は、ずっと苦しんでいた。希望が僕を苦しめた。何一つ希望が無ければ、こんなつらさを感じることも、もしかしたら無かったかもしれない」

 パンドラの箱に残された小さな光。人はそれに縋るが故に、多くの絶望を味わう羽目になる。
 みなともそうだった。微かな光明があったせいで、それに縋って今までずっと苦しんできた。

「でも、希望があったから……僕はこの気持ちを感じることができた」

 それでも。
 それでも、掴めたものがあった。優しいあの日の思い出は、決して嘘ではなかったから。

「君が生きてくれるなら……君が僕や、あのキラキラや、他にもいっぱいいた可能性たちを憶えていてくれるなら。
 そして、時々でいい……こんな愚かな人間もいたんだと、ふと思い出してくれるなら。
 僕は、幸せだ。もう何も望むことはない」

「忘れないよっ!」

 すばるは叫んだ。嗚咽に塗れ、しゃくり上げながら、それでも決然と言い放つ。

「忘れるわけない……みなとくんはここにいた、確かにここにいたよ!
 だからわたし、ずっと……みなとくんのこと……!」
「……ありがとう」

 万感の思いを込めるように。
 みなとは、笑った。

「これで、僕は消えない。僕の全ては、君が証明してくれる……!
 ありがとう、すばる。僕に希望をくれて……」

 すばるの背にそっと手をまわし、抱きしめる。
 すばるは目を閉じ、それを受け入れた。

 腕の中に抱かれて、一つの情景が目の前に浮かぶ。
 思い出が、心を駆け抜けていく。
 こんな時なのに、もっと他にいい思い出がいくらでもあるはずなのに。
 心に浮かんだのは、特別でも何でもない、一緒に園芸をした他愛もないあの日の記憶。


 ───わあ。これ、この前植えた種?
 ───ああ。花が咲くのは、もう少し先だね。


 みなとは手を離し、そっと微笑みかけた。
 すばるは何かを言おうとして、けれどそれを堪えるように、一つだけ頷いた。
 涙は、いつの間にか止まっていた。
 何も言うことはできなかった。

 ただ、またいつか、と。心の中だけで呟いて。
 すばるは虚構の世界から、その姿を消したのだった。





   ▼  ▼  ▼





 消えゆくすばるの姿を見届け、全ての力を使い果たし、末端から消滅しつつある体で、みなとは静かに息を吐いた。
 罅割れる音が断続的に轟き、振動が体を襲う。もう時間がないらしい。世界そのものが軋みをあげて、急速に崩れ去っていく。
 痛みはない。ただ、自分が消えていくことだけが分かる。
 怖い。
 自分が今から消えてしまうであろうことが、泣きたくなるくらいに怖い。
 それでも、今、この時だけは。
 せめて彼女の思い出を抱えた今だけは。
 笑っていたいと思う。

「……そうだ」

 一つだけ忘れていた。
 とても大事なこと。すばるに与えた、可能性の結晶のこと。
 もう全ての力を使い果たしたはずのキラキラ。
 そこに施した、小さな小さな仕掛け。
 それを教えるのを、すっかり忘れていた。

 まあいいか、と思う。
 びっくりさせてしまうかもしれないけど、彼女を守るものに変わりはないのだし。
 それに死した自分でも、一回くらいは好きな女の子を守ったって、罰は当たらないだろう。
 でも。

「自分で言いたかった……いや」

 そこでみなとは、自嘲するようにかぶりを振って。

「もう少しだけ、すばると話していたかったな」

 それだけが、残念でならなかった。

 ……もう何度目かも分からない衝撃が、世界を襲う。
 視界が白み、意識が急速に遠のいていく。

 彼女は、どこまで往ったのだろうか。
 彼女は、どこまで往けるのだろうか。

 僕の分まで生きてくれるだろうか。

 それは分からない。消えてしまう自分には、知る術はない。

「……っ!」

 眼窩の最奥が疼き、瞳を覆った水の膜。視界がぼやけ呼吸が乱れる。
 頬を伝い落ちる雫が涙だと気付いた時には、みなとは嗚咽を殺すこともできないまま、幼子のように泣きじゃくっていた。

 そう、僕は消える。けれど。

「僕は確かにあの世界に……君の隣にいたんだ」

 君の存在こそ、僕の生きた証となるだろう。



 そうして、瞬いては消えていく一筋の流星のように。
 みなとという少年の意識は、眩い光に包まれながら途絶えたのだった。





   ▼  ▼  ▼





 そして今、生きたいという想いに応え、至大至高の奇跡が具現した。





   ▼  ▼  ▼





 ───光が立ち昇っていた。
 すばるを守るように、慈しむように、その光は柱となって少女を中心に天へと駆け上がる。そしてその周りには、隙無く囲う万色の魔術方陣。
 金色の光に抱かれて、すばるの纏う服はその色を変化させていた。今までのそれは、彼女の無垢な心を表すかのような純白。しかし今は、遥かな宇宙を体現するような漆黒だった。
 それは、かつてみなとという少年が纏った色だった。
 すばるは目を閉じ、眠るようにして浮かぶ。ふわり、と髪が揺れ動く。

 ───辺りに響くのは、軋むような甲高い破砕音。
 ───すばるに向けて突き進む螺旋剣を阻む、魔術方陣の悲鳴であった。

 光で形作られた幾何学的な紋様の施された方陣が、螺旋剣の暴威を食い止めている。さながら防御結界のように、攻と防が鬩ぎあって火花を散らしている。
 誰が知ろうか。この陣はすばるのものでも、かといってこの場に存在する誰のものでもないのだということを。かつてこれを用いたのは、既に死したとある少年ただ一人であるのだということを。
 その方陣が、今はすばる一人を守るために展開されているのだと。
 知る者は一人もいない。
 そして、剣と結界の間にいるのは……

「───っ」

 言葉なく、吐き散らされる血塊。
 残された右腕ですばるを守るように、その背に庇い螺旋剣へと立ち塞がった人影が一つ。

 それは、他ならぬ東郷美森の姿であった。

 すばるが狙撃された瞬間、美森が行ったのは極めて単純、かつ自殺紛いの行いだった。
 すなわち"魔力の暴走"。あの刹那、美森がすばるを救うにはそれしか方法がなかった。片腕を失い魔力残量もほとんどなく、戦うどころか碌に動けさえしない状況。駆けつけるには遅すぎて、撃ち落すには美森の銃では威力不足。虎の子の満開もゲージは溜まらず、故に彼女はそれを選んだ。
 自身の霊核を炉とした全魔力の意図的な暴発。壊れた幻想にも近しい原理のそれは、動けなかったはずの美森でさえも、すばるを追い抜きその背に庇うことを可能とさせた。
 だが、それだけだ。弾丸での迎撃は間に合わず、生身ではどう足掻いても宝具の一撃に対抗できない。だから、美森はこれで自分が死ぬのだということを、誰よりも正確に理解していた。
 理解した上で、実行に移したのだ。

(今度、こそ……)

 力なく、美森は眦を上げる。
 そこには傷の一つもなく、穏やかに眠るすばるの姿。それを前に、美森は血塗れの顔で慈しむように微笑んだ。

(私は、間に合ったんだ……)

 ……あの瞬間、美森は発動できたはずの宝具を、しかし結局使うことはなかった。
 最終宝具『その願いが、世界を導く(ラグナロッカー・バーテックス)』。世界の破壊を望んだ美森に顕象した偽りの救済。
 比喩ではなく世界を滅亡へと導く、正真正銘最後の手段。
 自分もすばるも死んでしまうならと、一瞬頭をよぎったことは否定できない。
 いずれ使う時が来るかもしれないと、備えていたことも事実だ。
 けれど。

(あなたを、たすけることが、できた……)

 それでも。
 目の前で死のうとしているこの子を見捨てるなど、できなかった。
 自分の大切な人達。その誰をも失いたくないと思った。それのみを願った。
 そんな自分が、今さらできた大切な友人を、殺せるはずなどなかった。

 ───仮に、東郷美森が行動を起こさなかったら。
 すばるは無残にもその命を散らしていただろう。彼女を守る防御陣は強力だが、しかし仮にも高位宝具の一撃である螺旋剣を完全に防ぐことはできない。戦錐の穂先は無慈悲に障壁を貫き、少女の五体を微塵としたはずだ。

 ───仮に、防御陣が存在しなかったら。
 この場合もまた、すばるは命を散らしたはずだ。英霊とはいえ生身の、何の守護も施されていない肉壁一つで宝具の一撃を凌げるほど甘くはない。螺旋剣は美森の体ごとすばるを貫き、諸共に殺していただろう。

 すばるを守ろうとしたそのどちらもが、単独では力及ばず。
 しかし二つが合わさったことで、初めて誰か一人を守ることができたのだ。

 よって全ての因果はここに結実する。
 螺旋剣の消失と同時に、すばるを覆っていた力の奔流もまた消え去った。とさり、と静かに落ちるすばるに、同じく崩れ落ちるように倒れ、美森は右手を伸ばす。
 嬉しそうに微笑む。血に濡れた手で、優しげにすばるの頬を撫でて。

(ごめんなさい……そして)

 ありがとう、と。

 その形に、唇が動いて。
 頬を撫でる手が、滑り落ちた。





「馬鹿、な……」

 驚愕の声は一つ。
 響いた音は、二種類。

「防がれたのがそんなに意外か、アサシン」

 鍔迫り合いの向こう側で、特に驚いた様子もなくセイバーが呟く。
 その右手には、アサシンの刃を防ぐ長剣。その左手には、掴み取られた細身の剣。
 村雨を苦も無く捌き、中空にてフルンディングを鷲掴みにしたセイバーの姿がそこにはあった。

 先の一瞬で、いくつかのことが起こった。

 フルンディングの狙撃を前にセイバーはその身を反転、一挙動に跳ね起きた。超音速の魔弾が唸りを上げ、駆けるセイバーの背に追い縋る。
 アイはアカメの攻撃に全く反応できないまま、しかしその圧倒的な剣圧により訳も分からぬままに体勢を崩す。
 その時には既に、村雨の白刃は大きく振り上げられていた。
 体勢を崩したアイに、鋭い剣閃が襲い掛かる。
 ここに至りようやく自分の身に何かが起こったと悟り、目を瞑るアイの前に、滑り込んでくる黒い影。
 アカメが、驚愕に目を見開く。
 フルンディングの弾速すら追い越すほどの疾走速度で、セイバーが刃の前へと割り込みその剣を受け止めた。同時、全身から放出される魔力を以て左腕が蛇のようにしなり、追い縋るフルンディングの柄を掴み取る。

 そして生まれるは拮抗状態。
 アカメは鍔迫り合いになった村雨を下げることができない。戦闘を放棄し全力で後退したいのが本心だが、仮にそうすれば自由になったセイバーの剣が即座に自分を斬り捨てるだろうと、心眼による戦闘予測が告げていた。
 汗が一滴、頬を伝う。
 何故、ここまで完璧に対応されたのか理解できない。
 アサシンの気配遮断、遠方よりの狙撃弾。双方を同時に敢行したはずなのに、どうして、と。

 ───アカメが知らない事実が一つ存在する。それは、目の前のセイバーは既に一度、アサシンによる奇襲というものを体験しているということ。
 仮にアカメと、かつてセイバーを奇襲したアサシン「ハサン・サッバーハ」を比較した場合、果たしてどちらに軍配が上がるであろうか。
 戦術眼に精神性、剣の技量に経験値……サーヴァントとしての性能を考慮するに際してそれらは確かに重要な項目であろうが、仮に「純粋な暗殺者としての技量」を比較した場合にはどうであるのか。
 アカメは確かに優れたアサシンである。セイバークラスにも比肩し得る剣術を誇り、一打が致命となる無慈悲な宝具をも兼ね備え、格上殺しとも言うべきスキルを持つ。彼女をサーヴァントとして落第と断言できる魔術師は、まず存在しないだろう。
 だがそれは総合的な力量であって、暗殺者としての技量ではない。
 確かに彼女は剣士と暗殺者という二つの特性を高いレベルで兼ね備える英霊ではあるだろう。しかしそれは、逆に言えば一点に特化した者には各々の分野で劣ってしまいがちであることの裏返しでもある。
 剣士としての戦いで、アーサー・ペンドラゴンに後れを取ったように。
 暗殺者としての力量では、彼女はハサン・サッバーハには僅かに及ばない。
 総合的な力量の絶対値としては、両者は互角に等しいだろう。故に生まれるのは、特化しているかどうかという差であり、そこがアカメとハサンの違いでもあった。
 故に。

「同じ手に、二度も引っ掛かると思ったかよ」

 これは単純にそういうこと。"アカメよりも優れた暗殺者の奇襲を経験していたから"という一点が、セイバーの超反応を生み出した。
 彼はかつての失態から、常に気を配っていた。二度と同じ過ちを繰り返さないよう、二度と自分のマスターをアサシンの魔の手に晒さぬよう、エイヴィヒカイトにより強化された五感と第六感を以てして警戒を怠らなかった。
 ならばアカメの奇襲に対応できない道理などなく。

「くっ……!」

 ───目の前の凶手を相手に加減する道理もない。

 呻きを吐き捨て一転して逃走を図ろうとするアカメ。それを前に、セイバーは一言、自らの渇望を生み出す詠唱を紡ぎ。

創造(Briah)───」

死想清浄・諧謔(Eine Faust Scherzo)

 ───そして、具現するは死想の世界。
 万象終滅させる反転の渇望が、魔力の満ちる空間さえ破壊しながら降誕した。

「が、ああああァァァァァァアアアアアアアアッ!!?」

 よって次瞬、既に全ては終わっていた。噴出する浄化の祈りがほんの僅かに触れた途端、アカメを構成するあらゆる力が嘘のように掻き消される。
 躍動する肉体、必殺を誇る一刀、それらを構築する魔力。その全てが蝋燭の火を吹き消すかのように容易く無明へ葬られた。漲る魔力は泡沫の泡と消え、代わりに体を蝕むのは凍えるような喪失感と、心を砕く激痛だった。
 減退、衰退───違う、これはそんな生易しいものじゃない。対象に生存の余地を残す甘いものでは断じてない。
 これこそまさに死者殺し。生を反転させ塵へと還す対消滅の理だ。サーヴァントという蘇った死者である限り、この理から抜け出せる者など一人もいない。
 そう、死者だけだ。この創造が殺すのは死した者のみ。故に死想の世界は、この場に存在するアイとすばる以外の全員を破滅へと追いやった。

 アカメの全身の骨格と筋肉組織がついに崩壊した。膝が崩れ、アカメは倒れる。地面についた両手が破裂し、肘と肩が砕けて粘性の血塊をぶちまける。血と粘液に塗れた肉塊となって、彼女には最早悲鳴をあげる気力さえ残されていなかった。
 力の喪失と同時に肉体と魂をも蝕み崩壊させる終滅の世界。空間そのものに浸透する攻撃故に、如何な速度を持つ者であろうとも回避は絶対的に不可能。
 原型を失いつつあるアカメの口から、か細い絶叫の尾が漏れる。あらゆる拷問に耐えうる訓練を積んできたはずの彼女ですら、痛覚神経を剥き出しにし内部そのものに反粒子を叩き込まれるが如し喪失の激痛には耐えられない。

 全てが塵へと還っていく。
 全てが粒子へと変換される。
 存在情報が抹消されていく。

 その最中、唯一残されたアカメの眼球は、"それ"を目撃した。
 アカメの奇襲に合わせるように、士郎が放った投影宝具。
 それが何故か、セイバーの手に握られたままであることを。壊れた幻想が、何故か未だに発動していないことに、アカメは末期の思考で気付いた。
 そして、それが一体何を意味しているのかに気付いたアカメは、最早消え果てた声帯に声を乗せようとして。


「───赤原猟犬(フルンディング)


 真名解放と共に、セイバーはその手に握った細剣を、全力で擲った。
 その視線は遥か中空の一点、剣の狙撃が行われた場所を睨みつけていた。
 『超越する人の理(ツァラトゥストラ・ユーヴァーメンシュ)』、セイバーの肉体そのものを指す宝具。それが意味するところはすなわち、自身が掴み取ったあらゆる宝具の支配・掌握。
 切り裂かれる大気の振動が、絶望の音となってアカメの鼓膜を震わせた。
 それまで残っていた視覚で、アカメは本意に非ずその一部始終を見届けてしまって。
 潰えつつある脳が、最期の言葉を思考させた。

(士郎……にげ……)

 当然としてそれを言うことなど叶うはずもなく。
 歴史の闇に消え失せた暗殺者は、その逸話と全く同じに呆気なく消滅した。










 ───奪われた。
 そう認識したのは、狙撃が失敗に終わったと確信した半瞬後だった。
 赤原猟犬(フルンディング)。自身の手で投影したはずの宝剣。それが奴に触れられた瞬間、"俺の物じゃなくなった"。

 それが何を意味するか、理解するより先に体は逃げ出そうと無意識に動いた。
 しかし、それよりも遥かに速く、視線の先にいるそいつが、掴み取った剣を振りかぶって───


「───赤原猟犬(フルンディング)


 遠く離れているはずなのに、何故かはっきりと、その宣誓は聞こえたような気がした。
 どうして、と思った瞬間には、既に"それ"はすぐ目の前にあった。
 真っ直ぐに、自分へと向かって突き進んでくる、矢のように細く鋭い剣。

 避けることは、不可能だった。
 アイアスを展開するには遅すぎた。
 迎撃なんて、尚更できるはずもない。
 不自然なほどにゆっくりと流れていく視界の中、士郎はすぐそこまで迫った細剣を、醒めた目で見つめた。

 自分たちの選択は、決して過ちではなかったはずだ。
 戦略、戦術、あらゆる理屈は合理的で、だからこの奇襲も不正解ではなかった。
 実力が足りない───そんなものは言い訳だ。所詮我らは弱卒故に、強者の隙を突いて殺すしか能がない。
 だから、失敗したとすれば、それは不足ではなく選択そのものが間違っていたということに他ならず、ならば何がいけなかったのか。
 セイバーらに奇襲を仕掛けたこと……違う。
 ライダーやアーチャーとの同士討ちを狙ったこと……違う。
 ライダーとの正面対決を敢行してしまったこと……違う。

 違う。違う。そうではない。自分たちの戦略は間違ってはいなかった。
 なのに、目の前の現実は自分たちを殺しに来る。

 俺は、どこで道を間違えたのか。
 俺は、どこかで道を間違えたのか。
 そんなことを、ふと思った。


 ───腹部を抉り抜いた細剣が、血と肉と臓腑のコントラストを螺旋と散らした。






   ▼  ▼  ▼





「……お前、なんで手を出さなかったんだ」

 語りかける声は敵手の命を奪った直後とは思えないほどに小さく、静謐なものだった。
 蓮がアサシンとそのマスターを相手にしていた時間は、10秒もないほど短いものではあった。しかしそれは、戦闘の最中であることを考慮すれば、隙どころの話ではないだろう。
 しかし目の前の男は、マキナはその間、蓮を攻撃することはなかった。千載一遇のチャンスであったはずだ。にも関わらず、何故この男は静観を選んだのか。

「深い理由などない。単に奴らの尻馬に乗るのが気に入らなかっただけのこと」

 語るマキナの身体は、今や満身創痍という言葉すら生温い状態となっていた。
 全身の至るところが罅割れ、砕け、無事な部位など一つとしてない。末端は既に空気中へと魔力の粒子として消失しかかっており、半透明になった肉体は徐々にその嵩を減らしつつある。
 限界であった。あらゆる要素を総動員して最後の聖戦へと挑んだ男は、それでも耐えられぬほどに消耗していた。

「俺達の聖戦は、俺達自身の手によって完遂されるべきだ。他力などには頼らん。
 それに、な」

 そこで、マキナは、自嘲するように口元を歪めて。

「奴らの勝利など、俺は認めんよ。それで今更何が変わるというわけではないが……俺は、みなとに何も報いてやれなかったのでな」
「それは……」

 言葉を続けようとして、しかし思い直し口を結ぶ。その先を言うのは最早野暮であり、今さら言葉にするまでもないことであることが分かったから。

 片膝をついていたマキナは、会話を打ち切るように立ち上がる。それだけで鋼の軋む音が辺りに反響した。いっそ痛々しいほどの損耗の大半は、紛れもなく蓮の創造によって刻み付けられたものだ。
 死に還れ、死に還れ、死んだ者は蘇らない───その侵食は当然ながらマキナも一身に浴びており、致命傷などとうの昔に10も20も負っている。
 ならば何故、彼は今もなお立ち上がるというのか。

「最早、俺がやるべきことも、残されたものも何一つ存在しない。だから、兄弟」

 決まっている───まだ死ぬわけにはいかないからだ。至高の死を求めるということは、逆を言えばそれ以外では死ねないということだから。
 何よりも優先すべきは聖戦。その先にこそ彼の求める地平があり、他の選択などありえないのだ。
 消えればいい。塵と還ればよかろう。呪われた機神と化した身体になど、端から一片の愛着もない。
 大事なのは魂。守るべきは誇りである。
 己が己だという確信を持ったまま、至高の敵と相対して取り逃がした極点へ至りたい。
 故に今こそ、積年の想いを拳に込めて───

「俺は、お前がいい。誰よりも真摯に生きた、お前にこそ」

 それは、あるいは彼の吐露した、たった一つの───

「俺の生に、幕を引いてくれ」

 言葉と同時、マキナと蓮は、共に己が武装を構えて。
 刹那、二人の影が交錯した。
 一瞬の停滞。無言。
 静寂を切り裂いて響くのは、何かが崩れ落ちる音。

 倒れたのは、マキナの側だった。

「……これで終わりだ。もう二度と、お前に会わないことを願うよ」
「ああ、俺とて二度と蘇りたくはない。しかし、もしも次があるとしたら、その時は……」

 倒れる彼は、胸に深い亀裂を刻み、もう半ばまで消滅していて。生き残る道理など消え去っているというのに。
 敗北したというのに。

「俺の名を呼んでくれ、戦友。
 それによって、俺も確固たる真実を取り戻し……この忌まわしい世界から解放されると信じている」

 蓮に向けられた、いっそ穏やかな表情は、紛れもなく勝利を確信している顔であった。

 ───そうして男は最期の瞬間まで、静穏な気配を崩さぬままに、ただそうであるかのようにしてこの世から姿を消した。

 ……。

 ……。

 ……。


「……」

 マキナの消滅を見送った蓮は、そのまま膝から崩れるように、地面へと倒れ込んだ。

「セイバーさん!」

 慌てたような声と、駆け寄ってくる音が聞こえる。今まで尻餅をついたままだったアイは、しかしすかさず起き上がると、一直線に蓮のもとへと駆けてきたのだ。

「ああ、お前か……大丈夫か、怪我とかないよな」
「私はどうでもいいんです! でもセイバーさんは、また……また!」

 蓮の肩を縋るように掴むアイ、その声には微かに、嗚咽のようなものが混じっていた。
 彼女が見下ろす蓮の姿。彼の身体は、右腕を中心に大きく罅割れているのだ。流血もなく、崩壊もなく、けれど鉄が壊れたように刻み込まれた亀裂の数々。
 それが、蓮の右半身を覆っていた。

「悪いな。約束、破っちまった」
「もういいですそんなこと! それよりセイバーさんは、こんなに傷ついて……」
「……心配ねえよ。致命傷ってわけじゃねえし、治らないわけでもないんだ」

 そうして彼は、彼方を指差して

「それより、これは流石に目立ち過ぎだ。向こうに倒れてるあいつ連れて、さっさとずらかるぞ」
「でも、セイバーさん……」
「俺は平気だ。何度も言わせるな」

 アイは何度か逡巡し、すばると蓮を交互に見返していたが、やがて何かを決心すると一目散にすばるへと駆け寄って行った。
 蓮はそれを見送ると体を起こし、立ち上がる。
 静かに息を吐く。倒れるすばると、抱き起すアイを見遣る。
 その目は、彼女たちを見ているようで、しかしその向こうの誰かを見ているようでもあった。

「アーチャー……」

 呟かれるのは、すばるのサーヴァントであった少女か。

「正直、俺は最後までお前を信用できなかったよ。腹の内に何を隠していたのか、それはもう分からないけどな」

 アーチャー、東郷美森は蓮にとって猜疑の対象であった。最初からこちらを騙すつもりで接触し、何を企んでいるのか分かったものではない。故に、セイバーはこの戦場に来た当初から、アーチャーのことを救うつもりなど欠片も存在しなかった。
 けれど。

「それでも、お前は自分のマスターを守り通したんだな」

 結局のところ、自分たちに残されたアーチャーの面影とはそれ一つだけだった。
 彼女が何を思い、何を願って戦っていたのかは、最早永遠の闇の中だけど。
 最後に己が主を庇い命を散らしたという、それだけが彼女の真実だから。

「正真正銘、お前は英雄だったよ、アーチャー。
 こんな俺とは、比べものにならないくらいに」

 その言葉だけを彼方に残して、蓮は罅割れた体を引きずるようにして歩き出すのであった。





   ▼  ▼  ▼





 夜空を見上げるように倒れ、瞼を閉じる少女が一人。
 アイに肩を揺さぶられながら、目尻から雫を一つ落とす。
 その手には、今まで持っていなかったはずの、折り紙でできた星が、固く握りしめられていた。

 アルデバラン。プレアデス星団「スバル」に続いて空へと上がる、おうし座の一番星。
 その星が意味する言葉は、『希望』。



【ライダー(ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン)@Dies Irae 消滅】
【アサシン(アカメ)@アカメが斬る! 消滅】

【みなとの星宙 Quod Erat Demonstrandum…】



【C-3/崩壊した街並み/一日目・夕方】

【すばる@放課後のプレアデス】
[令呪] 三画
[状態] 気絶、サーヴァント喪失
[装備] ドライブシャフト
[道具] 折り紙の星
[所持金] 子どものお小遣い程度。
[思考・状況]
基本行動方針: 聖杯戦争から脱出し、みんなと“彼”のところへ帰る……そのつもりだった。
0:……
[備考]
C-2/廃校の校庭で起こった戦闘をほとんど確認できていません。
D-2/廃植物園の存在を確認しました。
ドライブシャフトによる変身衣装が黒に変化しました。
使役するサーヴァントを失いました。再度別のサーヴァントと契約しない限り半日ほどの猶予を置いて消滅します。



【アイ・アスティン@神さまのいない日曜日】
[令呪] 三画
[状態] 疲労(中)、魔力消費(中)、右手にちょっとした内出血
[装備] 銀製ショベル
[道具] 現代の服(元の衣服は鞄に収納済み)
[所持金] 寂しい(他主従から奪った分はほとんど使用済み)
[思考・状況]
基本行動方針:脱出の方法を探りつつ、できれば他の人たちも助けたい。
0:すばるさん……
1:世界を救うとはどういうことなのか、もう一度よく考えてみる。
2:ゆきの捜索をしたいところだが……
3:生き残り、絶対に夢を叶える。 例え誰を埋めようと。
4:ゆきを"救い"たい。彼女を欺瞞に包まれたかつての自分のようにはしない。
5:ゆき、すばるとは仲良くしたい。アーチャー(東郷美森)とは、仲良くなれたのだろうか……?
[備考]
『幸福』の姿を確認していません。
ランサー(結城友奈)と20時に鶴岡八幡宮で落ち合う約束をしました。


【セイバー(藤井蓮)@Dies Irae】
[状態] 右半身を中心に諧謔による身体破壊、疲労(大)、魔力消費(中)
[装備] 戦雷の聖剣
[道具] なし
[所持金] マスターに同じく
[思考・状況]
基本行動方針:アイを"救う"。世界を救う化け物になど、させない。
0:アイ、すばる両名を連れてこの場から離脱。
1:聖杯を手にする以外で世界を脱する方法があるなら探りたい。
2:悪戯に殺す趣味はないが、襲ってくるなら容赦はしない。
3:少女のサーヴァント(『幸福』)に強い警戒心と嫌悪感。
4:ゆきの使役するアサシンを強く警戒。
5:市街地と海岸で起きた爆発にはなるべく近寄らない。
6:ヤクザ連中とその元締めのサーヴァントへの対処。
[備考]
鎌倉市街から稲村ヶ崎(D-1)に移動しようと考えていました。バイクのガソリンはそこまで片道移動したら尽きるくらいしかありません。現在はC-2廃校の校門跡に停めています。
少女のサーヴァント(『幸福』)を確認しました。
すばる、丈倉由紀、直樹美紀をマスターと認識しました。
アーチャー(東郷美森)、バーサーカー(アンガ・ファンダージ)、バーサーカー(式岸軋騎)を確認しました。
アサシン(ハサン・サッバーハ)と一時交戦しました。その正体についてはある程度の予測はついてますが確信には至っていません。
C-3とD-1で起きた破壊音を遠方より確認しました。
ライダー(ドンキホーテ・ドフラミンゴ)を無差別殺人を繰り返すヤクザと関係があると推測しています。
ライダー(ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン)及びアサシン(アカメ)と交戦しました。










   ▼  ▼  ▼










 とある少女の話をしよう。
 独りになるのが嫌で、だからこそ自分一人が残されてしまうのを厭んだ、他の人間よりほんの少し心が強かっただけの寂しがり屋な少女の話。

 彼女はサーヴァントとして現界するにあたり、一つの願いを抱いた。
 "現世界の破壊"。少女たちの犠牲なくしては成り立たない、悲劇と不条理が満ちる世界の終焉。
 もう二度と誰も勇者にならなくて済むようにという、それは自らが置いていかれることを恐れたが故の逃避の願望であった。

 けれど、忘れてはいないだろうか。サーヴァントとは死後に信仰によって精霊種へと昇華された英霊の魂を分け御霊として召喚する術法。それが意味するところは、英霊は己が死の瞬間までに至る全ての記憶を持ち合せるということ。
 彼女は生前、確かに世界滅亡の願いを抱いた。しかし同時に、彼女は最も近くにいた"大切な友人"によって確かに救われているのだ。
 故に本来、サーヴァントとしての彼女が斯様な願いを抱くことなどない。既に真の意味で救われている以上、世界の破滅などという偽りの救済に逃避することなどありえない。

 ならば、何故彼女はその願いを抱くに至ったのか。

 それは、世界の果てに坐する者が決めたこと。紫影の果て、遥か高き世界塔の頂上におわす者が決めたこと。
 あるいは、桃煙の向こう側から嘲笑する無貌の■■たちによって"望まれた"がため。
 勇気と共に戦い、一度は絶望し、しかし再び勇者となった少女が"今度こそ堕落する姿を見たい"という下卑た願望。
 "こうなればきっと面白い"という手前勝手な願いが引き起こした結果が、この地において顕象された少女の有り様であった。
 それは例えば、満開を以てしても倒し得ぬ敵の存在であるとか。
 それは例えば、彼女が己が主の危機を目の前にしなければならなかったことであるとか。
 それは例えば、そもそも彼女の主が死地に赴く原因となった、本来終焉の拳に掻き消されて然るべき攻撃の残留であるとか。
 全ての因果は彼女に滅びを顕象させんがために動いていた。ただそのためだけに因果は歪められ、本来在り得ざる事象までもが引き起こされた。

 しかし。
 しかし、その彼女は最後にはどうしたか。

 見たはずだ。かの地に集いし全ての人間は、遥か高みより睥睨する■■たちは知ったはずだ。
 世界を壊すことを望まれ、勇者から堕することを願われ、斯く在れかしと強いられた少女は。
 それでも、ただ一人の主のために己が命を散らしたのだと。世界の破滅を願わなかったのだと。

 故にこれは少女の勝利であり、世界から押し付けられた因果を乗り越えた最たる証でもある。
 顔も知らない誰かではなく、大切な皆のために。
 今こそ少女は、皆を救えた勇者となれたのだ。

 その少女の名を───


【アーチャー(東郷美森)@結城友奈は勇者である 消滅】





NEXT:星に願いを


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