もし世界の全てが幸福に包まれたとしたら、それは一体何を意味するのだろうか。
 あらゆる貧困、あらゆる不足は消えてなくなり、人々の間には差別も偏見もなくなる。病も老いも負傷の概念すら消え、危険や不安に怯えることはこれより先は一度たりとてありえない。
 人々の欲求は叶え続けられる。空腹も眠気も性欲も常に満たされ、無償の愛は天より無限に降り注ぐ。娯楽、挑戦、研鑽、冒険の機会も果てなく与えられ、全人類は真に満ち足りた幸福の只中に落とされる。彼らの中に最早恐れも不満もありはしない、あるのはただ水晶のように清らかな幸福感だけだ。

 もしもそんな世界があったとしたら───それはこの世の地獄に相違ないだろう。
 何故なら人は欲求で動く生物だから。食べなくても空腹を感じないなら栄養補給としての食事すら滞り、性欲が無ければ子孫を次の代に残すこともできない。欲望が消えて無くなればあらゆる生産ラインはストップし、一日とかからず文明は麻痺するに違いない。
 それでも、人々は生存のためにすら動こうとはしないだろう。何故なら彼らは”満たされて”いるから。瑕疵のない幸福とはそういうものだし、死の恐怖すら彼らの中からは失われている。
 故に『幸福』は怪物と称される。かつてかの者が地球上に降り立った際、南米に栄えた古代文明は数日で滅亡した。彼らは極めて高度なテクノロジーを有し、天の星にすら手をかけつつある者らであった。現代とは比較にならないほどに高尚な精神活動を行う種族であった。しかし『幸福』が立ち去る頃に残されたのは、満足気な表情で夢死する人々の亡骸だけ。それほどまでに、夢死へと誘う幸福感とは甘美なものだったのだ。

 もし世界の全てが幸福に包まれたとしたら、それは一体何を意味するのだろうか。
 ───『幸福』とは、本当に幸福なのだろうか。





   ▼  ▼  ▼





「な、なんだね君は!? 一体、どうやって……」
「大したことではありません。あなたの部下に『お願い』してみたところ、ここまで丁重に案内してもらえたのですよ。
 ああそれはどうでもいい、本日ここまで足を運んだのは訳がありましてね」

「”あなた方”の力を、是非とも私に貸して欲しいのです」



 ………。

 ……。

 …。



 浅野學峯が警察署員たちの”教育”を終え、外に待たせていた送迎車に乗り込んだ頃には、辺りはどっぷりと暗くなっていた。
 灯を敷き詰めた街を睥睨するかのように、天に届けと言わんばかりにそびえ立つ建造物。石造りの壁、補修用の足場。
 車の中から眺める鎌倉の町並みは、静まり返った穏やかな夜景そのものだった。月明かりを拒否するかのように煌々と灯る街灯が窓ガラスの外を次々と駆け抜けていく。

 バーサーカーを失ってから一時間、浅野の行動は極めて迅速だった。
 手始めに5分とかからず市役所を掌握すると、緊急事態への対処を名目に警察消防各署とコンタクトを取り電話越しに担当者らを洗脳。鎌倉市内に散開していた署員を各署に集めさせ自ら赴いた浅野がこれを”支配”した。
 今や各行政機関並びに交通機関は浅野の手足も同然であった。今更に発令した緊急避難警報で鎌倉市民を誘導し、浮浪者狩りを加速させると同時に一つ場所に留めて鎌倉という街そのものを丸裸とする腹積もりだった。
 浅野の演説により目から光を失い、画一的な思考の元に群体もかくやという忠実さと均一さで”職務”に当たった署員たちの姿が記憶に新しい。彼らは消耗も利害も自らの生存すら度外視して最大効率で職務を遂行するだろう。

 本来、浅野とはこの程度の芸当は軽くこなしてみせる男である。それが今まで虜囚のように市長室に閉じこもっていたのは、偏にバーサーカーの存在あってのことだった。
 バーサーカーは優秀なサーヴァントだった。狂化されてなお隔絶した頭脳、電脳を意のままに操ってみせる手腕、実際に破壊を為す暴力性の多寡、そのどれもが一級品であった。
 だからこそ、浅野は自縄自縛の状態に陥った。なまじ優秀なサーヴァントであったがために、浅野が動くことで得られるメリットよりも公に姿を晒すデメリットが上回ってしまった。少なくとも浅野はそう考えた。それだけの力と気風が、あのバーサーカーには存在したのだ。
 実際のところ、それは正解でもあったし不正解でもあった。浅野は決して足手まといではない、彼にしかできないことも数多あった。しかしサーヴァントという巨大すぎる力が、一時とはいえ浅野の目を曇らせた。端的に言えば、彼は己が侍従を扱いきれなかったのだ。だから彼は今の今まで潜伏を余儀なくされた。
 今はどうか。
 彼は今、文字通り解き放たれている。サーヴァントという己が身を縛る枷が無くなった今、皮肉なことに浅野は鎌倉の街を訪れてから初めて、自身が持つ最大の力を発揮できていた。
 肉体は既に限界を超過し、蓄積した疲労は途切れることなく浅野を苛んでいる。常人ならば一秒と保たず気絶するであろう苦痛の中にあって、しかし彼は執念という精神力だけを頼みに活動していた。その有様はまるで気狂いじみて、まさしく意思の怪物と呼んで相違あるまい。

「……すみません、ちょっと停めてください」
「は、はい……」

 余裕の無さをおくびにも出さずシートに腰掛けていた浅野は、ふと何かを見咎めて停車を要求した。
 言外の気迫に声が震えている運転手に構わず車を降り、通りに面した遊歩道へと足を向ける。
 そこには見るからに只事ではない様子の警察官と、彼に庇われるようにへたり込む中年男性の姿があった。

「君、どうかしたのかな」
「はっ! 報告にありました屍食鬼と思しき人物が民間人を襲っていたため、これを鎮圧いたしました!」

 ふむ、と浅野。狂信者めいた眼差しで受け答える警官の手元には硝煙も新たな拳銃が握られ、彼の後ろには屍食鬼と思しき人影が倒れていた。
 肌は腐乱し黒く崩れ、窪んだ眼窩からは目玉の代わりに蛆が大量に顔を出している。浅野も部下や市民の通報により聞き及んではいたが実際に見るのは初めてだった。
 なるほど、と得心する。屍食鬼とは言い得て妙だ。死体が歩き回っているとしか思えないし、普通の人間ならこれを前にすれば腰を抜かしてしまうだろう。襲われて実際に腰を抜かした男性は警官にしきりに礼を言い、対して警官は焦点の合わない目で「問題ありません! 果たすべき職務ですから!」と興奮気味に答えている。”教育”の成果が見られる態度で何よりだ。

(これが、件のランサーとそのマスターが生み出した厄災か)

 警官の大声をバックに考え、しかしすぐに思考を打ち切った。考える意味が無かったからだ。
 ランサーが何を考えていようと、そのマスターが何者であろうとも、そんなもの一切関係ないのだ。先ほどまではランサーに対しその願いの是非を聞きたいとさえ考えていた。けれど今の浅野は、それさえも余分の極みであると断言できた。
 願いの種別? 叶えるべきこと? ───笑止。それを吟味できるのは”勝者”だけだ。勝者だけが、勝った後に掴み取った成果が何であるかを確かめることができる。ならば無様に生き足掻く今の自分にそんな余裕も権利もあるはずがない。あっていいはずがない。

 勝利とは、進み続けること。
 勝った者だけが先へ進む権利を獲得し、負けた者は全てを奪われる。己が息子や教え子たちに語った人生哲学は今も変わらず、故に浅野は止まることなどない。

 屍食鬼を排除ないし利用するための方策を考えはしても、そこに感傷を挟むことはない。
 躊躇も同情もない。浅野の中で、ランサーはずっと変わらず敵のままなのだから。

(無駄な時間を過ごしたな)
「では引き続き職務に当たってくれ」
「はっ! 誠心誠意尽くす所存であります!」

 軽く会釈して立ち去る。背中越しに警官の声を聞きながら歩みを進めて。


「……む?」


 ふらり、と。
 唐突に視界が揺らいだ。一瞬気が遠くなって塀に手をつく。

 疲労が限界に来たか? しかしここで倒れるわけには……
 いや……いや、待て。何かがおかしい。分からないが、些細な違和感のようなものが。
 視界が白む。意識が沈む。駄目だ、ここで気を失ってはいけない。私にはそんな余裕も遊びの余地もないのだから。
 早く行かなければ。こうしている間にも聖杯戦争は加速している。一歩をしくじるだけで私に未来はない。
 そのはず、なのに。
 ああ、ああだが、これは……

 ───この、懐かしい感触は……


 その思考を最後に、浅野は意識を闇に落として倒れ伏した。
 どさり、と重い音が響く。夜闇の遊歩道に浅野は倒れて。





『人の想いは、儚く』
『幸福へと伸ばす手を、阻むことはできない』




 ………。

 ……。

 …。





   ▼  ▼  ▼





 夢を見ていた。
 強者も弱者も自分のもとを去り、自分自身にさえ裏切られる夢を。

「先生、おーい先生!」

 ……声が聞こえる。
 呼び声に瞼を開けると、私の顔を覗き込む三人の悪戯っぽい表情が見えた。

「やーっと起きたぜ。ったく、先生にしては無防備すぎるんじゃねーの?」
「きっと疲れてたんだよ。先生っていつ休んでるのかも分からないくらい働き詰めだし」
「でも先生が私達の前で隙を見せたのって、もしかして初めてじゃない?」

 あはは、と楽しげに笑う。三人はとても幸せそうに見えた。
 元気の良い溌剌としたスポーツ少年の、池田くん。
 眼鏡をかけた真面目そうな、そして実際にひたむきな性格をした永井くん。
 明朗で明るく笑っている、要領のいい森さん。

 ……ああ、やっと頭のモヤが晴れてきた。どうやら彼らの言う通り、私はいつの間にやら眠っていたらしい。

「すまないね、みんな。まだ授業中だというのに眠ってしまって」
「ほんとーだぜ。あんまり気持ち良さそうに寝ちゃってるから、流石に俺も手出さなかったんだぜ? へへ、偉いだろ?」

 勝ち誇ったような笑い声に、苦笑しながら体を起こす。池田くんとは自分に一撃入れたらその日の授業は遊びにするという約束を交わしている。無論一度も食らってあげたことはなかったのだが。

「そうだね、偉い偉い。少しは素直になってきたんじゃないか?」
「げー、嫌味ー」

 私の言葉に嘘や含みはない。池田くんにとっては千載一遇のチャンスを、しかしこの子は自分なりのモラルを優先して手を出さなかった。それは私の隙をつくなんてことよりずっとずっと素晴らしいことだ。
 私と池田くんは互いに笑い合う。私達の間を、開け放たれた窓から入り込む、春の穏やかな薫風が抜けていった。



 山の上に建つ校舎は私の建てた私塾だ。彼ら三人が、記念すべき第一期生。
 雑音のない山奥で各人の長所を存分に育てる、私の理想とする教育だった。

「しっかし先生って頭いいけど教育馬鹿だよなー。山の上の廃校借りてまで塾開くなんてさ」

 ふと池田くんがそんなことを言った。残る二人も「うんうん」と頷いている。

「海外の一流大学出て、凄い資格だっていっぱい持ってるんでしょ?」
「才能とお金の無駄遣いな気がします。ここに来るの、無駄に疲れるし」

 努めて明るく、何でもないふうに答える。

「世の中に無駄なことなんてないんだよ、永井くん。この山道は君の体力不足を鍛えるにはうってつけだしね」

 痛いところを突かれた、と永井くん。森さんが続けて質問をする。

「じゃあお金は? この塾赤字でしょ?」
「心配ないよ森さん。赤字分は株投資で補填してある。才能あるから適当にしてても稼げるんだ」
「「「完璧超人め」」」

 呆れと驚きと親しみの混じったツッコミだ。なんとも微笑ましい。

「そこまでして俺たちを育てたいっつーんだもんな。期待が重くて潰されそうだぜ」
「まーた心にもないことを……」
「はは、そんな気負うことはないさ。
 ”良い生徒”に育ってくれたらいい。私が望むのはそれだけだよ」

 ふーん、と得心したように頷いて。

「でも”良い”の基準は人それぞれだ。
 池田くんは元気が良い。
 森さんは要領が良い。
 永井くんは真面目が良い。
 君たちは自分らしく伸び伸び育ってくれたらいい、たまに間違ったりした時にちょっと正してあげるのが私の役目なんだ」

 はーい、と三人の返事。
 自然と笑みがこぼれてくるようだった。



「それじゃあ気をつけて帰るように」
「はーい」
「先生、また明日ー!」

 ばいばいと手を振って、下校する生徒を見送る。夕日に照らされた木造校舎の昇降口、それは毎日の密やかな楽しみでもあった。
 彼らは素直な良い子たちだ。その事実だけで、不思議と報われるものがあった。
 後ろ姿が見えなくなるまで見守ると、さて自分の帰宅準備も整えねばと振り返り。

「よっ、先生」
「池田くん?」

 窓から差し込む夕日をバックに、池田くんが手を振っていた。

「姿が見えないからどうしたのかと思ってはいたけど、忘れ物かな?」
「いや、そういうんじゃなくてさ、なんていうか」

 歯切れの悪そうに視線を逸らし、もじもじと恥ずかしそうに。

「先生と二人でさ、ちょっと話したいなって思って」
「……そうか、遂にこの日が来てしまったのか。大丈夫だ池田くん、私は完璧だから当然女性の機微にも聡い。仮に失敗したとしても骨は拾ってあげよう」
「ばっか、ちげーよ!」

 気を取り直すように一つ、小さく息を吐いて。

「───先生は今、幸せか?」

 そんなことを、聞いてきた。

「……うん、難しい質問だね」
「先生でも難しいことってあるんだ」
「まあね。けど幸せ、幸せか……」

 少しだけ考え込み。

「少なくとも不満はないかな。生徒たちはみんな良い子だし、家庭にも私生活にも不備はない。
 そうそう実は昨日また株で勝ってね、今度は700万稼いだ」
「それ言っちゃうかなー……」
「だから、うん。そうだね」

 ほんの少し微笑んで。

「───私は、幸せだ。うん、断言したっていい」
「……そっか。良かった」

 安心したような声。ふと疑問に思う。

「なんでこんなことを?」
「いやまあ、なんていうか、俺って先生の期待に応えられてるかなーって」
「何を今更。十分だとも」

 十分以上だ。彼は本当に良い生徒に育ってくれた。
 気が早いと言われるかもしれないが、彼らのような教え子を持てたのは私の誇りでもあった。

「ここで学んで、良い生徒になって。卒業しても大人になっても、その時は良い奴になって会いに来たい。そう思ったんだ」
「いいとも。君ならいつだって歓迎だ」
「だから、さ」



「───先生、ずっとここにいてくれるよな?」



「……」
「ずっとここで先生やって、一年が経って何年も経って、みんな笑顔で再会するんだ。だれもいなくならない、強さなんて必要ない。”良さ”さえあれば理不尽なんて降りかからない」

 彼の言葉は今や不可思議な熱さえ帯びて、しかし浅野にはそれを指摘する余裕はない。何故なら……

「だからずっと、”このまま”でいいんだよな?
 だって”幸せ”なんだから。幸せなら、もうそれだけでいいんだ。
 なあ、先生───?」
「……」

 浅野はいつの間にか目を伏せ、ただ彼の言葉を聞いていた。
 じっと、黙って、耐えるかのように。

「もう何も失うことはない」

 これは私が望んだ世界。

「弱くたって構わない」

 私の願う世界。

「悔いることもない」

 私の求める幸せ。

「”ここ”は永遠だ」

 そのことが、良く分かったから。

「ずっと、ここにいようぜ。先生───」
「ああ……」

 猛然と顔を上げて。







「───ふざけるなぁッ!!」







 ───景色が。
 夕焼けの校舎の風景が、一瞬にして消し飛んだ。
 青々とした木々の緑も、陽に照らされる山道も、笑いかける少年の姿もどこにもない。
 あるのはただ、無残に転がる屍食鬼の残骸と倒れ伏す警官や民間人。夜闇に烟る都市の摩天楼。

 ───そして目の前に立つ、白に染まった少女の姿。

『どうして?』

 少女は問う。何の邪気もなく、心底から不思議そうに。

『幸せになりたいのでしょう? 幸せになっていいのよ、貴方はもう苦しむ必要なんてないの』
「抜かせぇッ!」

 だからこそ───こいつは悍ましく、汚らわしく、許し難かった。

 浅野は激情に打ち震えていた。怒りと屈辱で顔面の血管は太く隆起し、噛み締められた歯は今にも砕けんばかりに音を鳴らしている。
 浅野を知る者がこの光景を見たならば、目を疑うに違いない。彼はおよそ人間的な感情とは無縁な男であった。狂死寸前まで達した悔しさを抱こうが決して表情一つ変えなかった男が、しかし今は只人のように激している。

 怒りの感情などと、そんなもの。彼が弱さを悔いたあの日に置いてきたはずなのに。
 鉄の心を持った強者は、今だけは理想に燃えたかつての弱者に戻っていた。

「これが幸せだと、これが私の望みだとお前は言うのか。ふざけるなッ!
 私は二度と、私の弱さを許しはしない!」

 だから───あれが幸福の景色だなどと、どこまで愚弄すれば気がすむのだという。
 あれは浅野の罪の証だ。過ち、喪失、悔恨。かつてあった浅野の”弱さ”そのものに他ならない。
 それを手前勝手に掘り返し、これがお前の幸せなのだと押し付けられた……許せるはずがないだろう。

「私は負けない! 私は強者だ! 二度と誰も取り零しなどしないッ!
 知った風な口を聞くなよサーヴァント! お前のような都合のいい幻など、私は求めてなどいない!」

 周囲の空気が震えていると思えるほどの怒気。それほどの拒絶を浴びせられても、『幸福』の無垢な表情は変わることはなく。

『どうして?』

 ただただ不思議そうに、純粋なまでに浅野の幸せだけを願いながら、彼女はその姿を霧散させた。
 後に残ったのは倒れる人々と、その只中に一人だけ立つ、肩で息をする浅野だけだった。

「……」

 言葉なく、浅野はふらふらと帰路へ着く。
 倒れる者らには目もくれず、細い路地を抜けて表通りに戻って。

 そこには地獄が広がっていた。

 静謐な夜の街並みが、根こそぎ崩れ去っていた。車は皆路肩に突っ込み大破している。一切スピードを緩めず衝突したのか紙玩具さながらに大きくひしゃげ、煙を噴いた車の残骸が点在していた。引きずったような血の跡は、歩行者を文字通り引きずった跡か。
 そうした凄惨な事故が見渡す限りに広がっていた。先ほどまでは多くの車が行き交う路上でしかなかったこの場所は、今では戦災地もかくやという破壊に満ちていた。

「……これは、あのサーヴァントの仕業か」

 そう当たりをつける。あの少女の姿をしたサーヴァントが現れた瞬間、浅野を含めあの場所にいた全ての人間が眠りに落ちた。詳しい絡繰りは不明だが、つまりはそういうことだろう。
 見渡す限りにいた全ての人間が、あのサーヴァントによって覚めない夢に落とされたのだ。都市にいる人間が瞬間的に意識を失えば、こうした光景が生まれることにも納得がいく。

 浅野は言葉なく、未だ無事であった送迎車に近寄る。案の定意識を失っていた運転手を席から道路に引きずり出すと、代わりに自分が運転席へと座った。

 ───約束だからな。

 ───最後までやり通せよ、先生!

「……そうだ。私は最後まで勝ち続ける。止まりなどしない」

 蘇るのは笑顔の記憶か。理想に燃えていたあの日、あの時。刻み付けられた敗北の痛みは決して消えることはない。

 分かっている。弱者をふみつけてでも理不尽に負けぬようにというこのあり方が、最早彼の望んだ姿とはかけ離れているのだということなど。
 けれど、それでも。
 それでも、自分はもう引き返すことなどできはしないから。

「永劫、贖い続けるのだ……私が死に果てる、その時まで」

 感情の見えないはずの浅野の声は、ただ悲壮感のみを湛えた決意の再認であった。


【D-2/交差点/1日目・夜】

【浅野學峯@暗殺教室】
[令呪]無し
[状態]魔力消費(極大)、疲労(極大)、執念、サーヴァント喪失
[装備]防災服
[道具] 送迎車
[所持金]豊富
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争に勝利する。
0:私は勝利する。
1:ライダーのマスター権を手に入れる。
2:辰宮百合香への接触は一時保留。
3:引き続き市長としての権限を使いマスターを追い詰める。
4:ランサー(結城友奈)への疑問。
5:『幸福』への激しい憤り。
[備考]
※傾城反魂香に嵌っています。百合香を聖杯戦争のマスターであり競争相手と認識していますが彼女を害する行動には出られません。
ライダー(ドンキホーテ・ドフラミンゴ)と接触。表向き彼らと同盟を結びましたが状況次第では即座に切るつもりです。
ランサー(結城友奈)及び佐倉慈の詳細な情報を取得。ただし真名は含まない。
サーヴァントを喪失しました。このままでは一定時間の後、消滅します。


D-2にて『幸福』が一時顕現、周囲数百メートルに存在するほぼ全ての人間が昏睡状態に陥りました。





   ▼  ▼  ▼





 鶴岡八幡宮は異様な静けさに包まれていた。
 夜の静寂は街全体を覆っているが、しかしこの場所においては意味合いが違っている。
 そこはあまりにも静か過ぎた。まるで世界からも現実からも、その場所がぽっかりと抜け落ちているようだった。
 暗がりとなった境内には人の気配はなく、明かりの一つすらない。それは常に人の監視があるべき施設において明らかな異常事態であったが、その事実を咎める者の気配すら、この地には存在しなかった。

 ───それは、静寂の奥底にいた。

 散りかけの桜並木、はらはらと無数の花びらが舞い散る月明かりの下。照らされる桜で天地が真っ白に覆われた情景の中にそれはいた。
 姿は見えない。だがそいつは確かにそこにいるのだ。幻想的な景色の中にあって、何もいないはずの空間から脈動じみた大気の揺れが辺りに木霊している。

 その者には、確たる名が存在しない。
 精霊とも、夢魔とも、あるいは悪魔とも称されることもあった。ある時には救いをもたらす神とも、ある時には世界を滅ぼす化け物とも呼ばれた。そのどれもが正解であり同時に不正解であり、彼とも彼女ともつかぬそれは、自らを呼んだ全てを区別なく救済してきた。

 その者には名前がない。
 しかし、共通して呼ばれるある呼称が存在した。
 其は人間によって望まれた、外宇宙より飛来せし夢幻の大災害。

 ───名を、『幸福』。
 七つの■■■から零れ落ちた欠片の一つ、『■■』の理を持つ獣である。


【B-3/鶴岡八幡宮/1日目・夜】

【キャスター(『幸福』)@地獄堂霊界通信】
[状態] ???
[装備] なし
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:幸福を、全ての人が救われる幸せな夢を。
1:みんな、みんな、幸せでありますように。
[備考]
『幸福』は生命体の多い場所を好む習性があります。基本的に森や山の中をぶらぶらしてますが、そのうち気が変わって街に降りるかもしれません。この後どうするかは後続の書き手に任せます。
軽度の接触だと表層的な願望が色濃く反映され、深く接触するほど深層意識が色濃く反映される傾向にありますが、そこらへんのさじ加減は適当でいいと思います。
スキル:夢の存在により割と神出鬼没です。時には突拍子もない場所に出現するかもしれません。



前の話 次の話
052:葬送の鐘が鳴る 投下順 054:夢より怪、来たる
049:夜を往く 時系列順 057:半透明少女関係

BACK 登場キャラ NEXT
044:深蒼/真相 浅野學峯 0:[[]]
039:落魂の陣 『幸福』 0:[[]]

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