『イザヤ書13章に曰く』

『"彼らは、遠い国からそれを送る、天の果てからそれを仕掛ける"
 "これは、主自身の怒りの技で、全地の悪を仕留めるために来る"』

『怒りの日において、背徳の都を滅ぼせしは全能者の差し向けであるらしい』

『なんとも───』

『なんとも、滑稽なことだ』

『小さきお前たちの小さき祈りなど、届くはずもないというのに』

『小さきお前たちの小さき悪徳など、響くはずもないというのに』

『お前たちを滅ぼすのは、いつだとてお前たち自身だというのに』

『如何なる時でさえ、人は神を必要とするらしい』

『……滑稽なことだ』

『こんなにも悪夢でしかない世界の中で』

『お前たちは、まだ普通の夢を見ようとするのか』



 ………。

 ……。

 …。

 ────────────────────────────────────。










 ───それは、異空の侵略者たちが鎌倉へ迫る前のことである。



「……」

 遥か高みの空へ浮かんで、その少女は己が後悔の全てを思い出していた。

 影連なる螺旋階段、最奥にて佇む誰か。告げられる言葉の意味。
 知られている。全て、東郷美森が歩んできた全て。あの少女は自分が何たるかを知っている。
 自分が何を為そうとしているか。
 自分が何を目的としているのか。
 その結果として発生する事象が、何であるのか。

 全て承知の上で、自分を呼びだした。

「……くふ」

 はためく風の音に紛れて、声が漏れた。それは笑い声であったか。東郷美森は、その口許に微かな笑みを浮かべていた。
 見渡す眼下、足元には鎌倉の街並みが広がっている。
 人の営み。尊く、守るべき無辜の民たち。
 勇者たちが守り続けてきた世界。

「こんなもののために……」

 笑う。
 笑みは更にその深さを増す。
 しかしその所作とは裏腹に、喜悦や歓喜の情はどこにも見受けられず。

「こんなもののために、私たちは死に続けたというの」

 言葉に憎悪を乗せて、彼女は言い放つ。
 引き攣った嗤いが、顔面にへばり付く。

 あらん限りの激情を湛えて、尚も少女は嗤っている。いいや、反転した彼女はそれ以外の貌というものを知らないのだ。
 言い難い憤怒と絶望は喜劇に似て、悶え狂うほど笑い転げたあとも残滓が消えなかったモノこそがこれだから。

「だったら、全員」

 嗤う少女は腕を振るう。合わせるように、無数の異形が空の彼方より現れる。
 高みに在る誰かはこのために私を呼んだ。私は所詮、世界を壊すための捨て駒に過ぎない。

 ───ああ、それで?

 もう何もかもがどうでもいい。空虚さしか残らない心はとっくに罅割れて、考えることさえ億劫で仕方ない。
 高く掲げた腕を、街に向けて振り下ろす。
 街も人も何もかも、私にとっては無価値でしかないから。



「死ね」



 万象、悉くが滑稽なり。





   ▼  ▼  ▼





 けれど───

 けれど、けれども。
 少女の言葉は、その言葉だけは。

 その憎悪は誰にも届かない。
 その願いは誰にも届かない。
 そういう風に、決められてしまっているから。

 誰に? 人ではない。
 誰に? 獣でもない。
 それは人でも英霊でもなくて。

 ただひとりの何者かが決めたこと。
 ただ一柱のいと高きものが定めたこと。

 時間だ。時が。突然、来てしまった。
 誰にもそれは止められない。

 時間が来てしまうから。
 残酷な、時計の音がすべてを告げる。

 終わりの足音。
 終わりの秒針。
 食らう、蝕む、侵食する。
 そうして何もかもが消えてなくなる。

 チクタク。
 音は、静かに告げる。

 チクタク。
 足掻くのをやめろと嗤いながら。

 チクタク。
 それはまるで月のように。
 それはまるで神のように。

 そして、いと高きものは告げるのだ。
 遠く、空の果てから。
 遠く、月の果てから。

 声を───



領域支配(ドメイン)は四象へと広がります》

永劫休眠状態(ルルイエ・モード)は必要なし》

《■■への負荷はあるはずもなく》

《何故なら最初から、人は現実を認識していない》

《世界は目を瞑ったまま》

《潰れた瞳を、それでも瞼で覆ったまま》



 ………。

 ……。

 …。

 ────────────────────────────────────。





   ▼  ▼  ▼





 ───この右目。
 ───黄金色の瞳は、きっと、過去への鍵。

 あたしはそう思っている。
 あたしはそう思うしかなかった。学なんてないけれど、それでも、こうもはっきりと痛みと連結していれば、因果関係を想像してしまうのは仕方がない。

 最初は、ライダーと一緒に本を読んだ時。
 次に、アーチャーと黄金色のサーヴァントの会話を聞いた時。

 それは多分、失ってしまったというあたしの10年を思ったからで、つまりこの痛みとはその10年の何かから来るものなんだろう。

 あたしが忘れてしまったという、10年。
 都市の人々が、あたし以外の人々が口にした《復活》より後の日々のこと。
 都市の外にとっては2年足らずであっても確かに都市の内の人々にとっては10年間だったという、訳のわからない時間。あたしの空白。

 記憶なんて、何もないのに。
 思い出そうとすると痛みだす。

 頭の中で、爪を持った小さな子鬼か鼠か猫が暴れているんじゃないだろうか、とか。
 そんなことまで考えられるようになってきたのは、こういう状況に慣れてきた証なのかも知れない。


「……」


 声にならない溜息ひとつ。


「頼りっぱなしね、あたし」


 ベッドのシーツを、無意識に握りしめる。顔は自然と俯き、こんなんじゃ駄目だとひとり心の中で自戒する。

 アーチャーに曰く、聖杯戦争は早く終わる可能性があるらしい。
 参加者が減ってきているのか、それとも根本的な解決が近いのか。聖杯戦争を最前線で見てきたアーチャーの言うことだから、どちらにしても本当のことなんだろう。
 そのことは純粋に嬉しい、と思う。でも同時に、本当にこのままでいいのか、とも思う。
 あたしは聖杯に何も望まない。そう決めたことに間違いや迷いはもうない。そしてあたしにできる一番の方策は、こうしてじっと身を隠しておくことだというのも分かる。
 けど、なんでだろうか。それだけじゃ駄目なんだという言いようのない予感みたいなものもある。
 理屈ではなく、勘としか言いようがないよく分からないもの。それは記憶の痛みから来るものか、それとも違うものなのか。
 "まだ自分は、自分が生まれた意義を果たしていない"などという、意味の分からない焦燥が、胸の中に沸き立ってくる。

 これは一体何であるのか。
 分からない。果たしてこれは、"解消しても良い謎"であるのかさえ。

 ふと顔を上げ、そこにある鏡を見た。映る顔は青白く、目元には隈が目立つ。
 なんてことない顔だ。おかしなところは何もない。
 けれど───



 ───鏡に映ったあたしの顔。
 ───黄金色の右目が微かに光ったように見えたのは、果たして気のせいだったのだろうか。










 生き延びた。
 笹目ヤヤの今日一日を振り返るなら、まずその言葉が妥当だろう。
 赤いアーチャーに襲われて死にかけて、街一つ消える爆発に巻き込まれて、知らない間にそんなバカみたいな戦いが数えきれないくらい起きて、自分はなんとかそれらを回避できて。
 そして、こうして五体満足のままここにいる。

「……」

 ふぅ、と吐息を一つ。疲れた息を吐く。
 溜息ほど重くなく、呼吸ほど軽くなく。

 ベッドのスプリングに寝転がって、言葉なく天井を見つめる。
 その沈黙はなんだか気まずくて、一人だというのにライダーと一緒にいる時よりも、よほど重くて息苦しかった。

「……ね、ライダー。いる?」
「いるよ」

 虚空に問いかけると、すぐ返答があった。天井を見つめるヤヤの視界いっぱいに、逆さまになったライダーの顔が映り込んだ。
 その表情は相も変らず明るくて、こいつは不安とかそういうのは持ってないのかと思わせるものだった。

「どうしたんだいマスター。もしかして人恋しくなっちゃった?」
「言ってなさい。まあ、でも……」
「でも?」
「ううん、アンタと話したくなっただけ。なんとなくだから、なんとなく」

 なんて誤魔化すように言って、ぷいと顔を背ける。ライダーはやっぱり笑いながら、ヤヤの横に「よいしょっ」と飛び込んできた。

「……色々あったわよね、今日は」
「そだねー。まさに激動の一日ってやつ。マスターは大丈夫? 気疲れとかしてない?」
「私は別に平気。それよりアンタよ、その……助けてもらった、わけだし?」
「ボクはまあ、この通りピンピンしてるよ。それより問題はヒポグリフのほうかなぁ。まだ傷が癒えてないんだよね」

 ほら、やっぱり色々あったから、とライダーの言。ヤヤはそれに、曖昧に頷くしかなかった。

 思い出す。ヒポグリフ……ライダーの乗る不思議な生き物のこと。あの時私たちを守るために突撃して、身を挺して戦ってくれたという幻想種のことを。
 ライダー共々ボロボロになって、でも彼らは生きている。表立って言葉にすることはなかったが、ヤヤはそれが嬉しかった。
 死んでしまわなかった。
 まだ生きててくれた。
 そして私も生きている。

 連れ去られて、彷徨って、戦って、戻って───そして今、ここにいる。重要なのは、まず何よりも生きているということ。
 今日一日を生き延びたということ。
 そして明日は───

「……っ!」

 そう考えた瞬間、不意にヤヤの体が寒気に襲われた。冷たいナメクジが体の中を這いずるような言い知れない不快感が全身を襲う。
 これは───恐怖だ。
 今までは感じなかった感情。ライダーとアーチャーに守られて、感じることができなかったものが反動のように襲い来る。冷たい手が、べたべたと全身に纏わりつく。

 ───なんで私は生きてるんだろう。

 哲学的な意味でなく、純然たる疑問だった。
 自分は死んでもおかしくなかった。いや、普通に考えて死んでる。
 サーヴァントに襲われて、手も足も出なくて、ついさっきもとんでもないサーヴァントに出くわして……比喩ではなく死ぬかもしれなかった体験を、この一日でどれだけ潜り抜けてきたか。

 死ぬかと思った。
 明日は死んでいるかもしれない。
 そう考えると、震えが止まらなくなった。



「あ、来た来た。オッケー、大丈夫大丈夫! いいかい、キミは生きてる! ボクも無事だ! みんな助かって万々歳、もう心配することなんてない!
 今はそれでOKにしよう、ね?」



 半身を起こしたライダーが、笑いかけながら叫んで手を握る。
 その叱咤が、辛うじてヤヤの意識を繋ぎとめた。嫌な脂汗が消えていく。張り付いた喉に徐々に熱が戻って、どうにか言葉を出せるようになった。

「……ごめん、情けないとこ見せちゃったわね」
「ううん、全然。キミは情けなくなんかないし、とても強い女の子だよ」

 ライダーが笑いながら言う。そこに嘘の気配は一つもない。

「ボクもね、生前似たような経験があったんだ。確かアレだったなー、理性を取り戻した時に戦争に行く羽目になってさ。いつもなら何てことない行動の一つ一つが、やけに怖くて仕方なかった。その時分かったんだ、いつもの怖い者なしの勇気は、理性が吹っ飛んでるからできたことなんだって。そう自覚した時は本当に怖かったよ。一歩間違えてたら死んでたかもしれない、そう考えたら怖くて怖くて、天幕で毛布被って一人でブルブル震えてたっけ」

 笑いながら、ライダーは過去の思い出を朗らかに語った。それは騎士にあるまじき、普通なら赤っ恥になるような失敗談だが、彼にとって目の前の少女の涙は、そんなつまらない見栄より何倍も重要なものだった。

「眠ってからも怖かったからねぇ。夢にまで見て、起きたら思いっきり吐いてたよ。いやあ、寝ゲロって気持ち悪いよねー。口の中が酸っぱいわ変にザラザラするわ。あ、その時食べてたのが」
「いや、そこまで言わなくていいから」
「あっはっは、ごめんごめん。まあ何が言いたいかっていうとさ、キミのそれは誰でも同じってことだよ。騎士様だろうが誰だろうが最初はそんなもん、どころかボクの場合死ぬまでそうだったし。
 だから情けないなんてことないし、そもそもキミにはボクがいる。キミはボクのマスターで、ボクはキミのサーヴァントだ! ああ全く、こんなことを堂々と言えるなんて騎士冥利に尽きるなぁ!」

 全身で喜びを表現するように、ライダーは今にも跳ねそうな勢いで言い切った。その顔は満面の笑みで、見ているこちらの毒気が抜かれるようなほどだった。

「いやまあ、お前弱いじゃねーかとか言われたら……うん、否定はできないけどさ。でも頑張るから! これでもボクは英雄だ、そう呼ばれたとあったら男が廃る! ってもんさ」
「……本当に、アンタは」

 くすりと笑う。ライダーを見ていたら、不安も何も吹き飛んでいった。
 ちょっと前までなら、気恥ずかしさで素直になれず突っぱねていたかもしれないけど。

「うん……頼りにしてる。私の引いたサーヴァントがアンタで、本当に良かった」
「ふふん、その言葉はまだ早いぜマスター。何もかもが終わって、キミが家に帰れるハッピーエンドを迎えた時に、きっとそう言わせてやるさ」

 ライダーは喜び誇るかのように胸を張る。
 その姿はどこまでも勇ましく、光に満ちて。

「───ボクがサーヴァントで、本当に良かったってね!」





 ───そんなライダーの後ろを、横合いからぶち抜かれた壁が思い切り吹っ飛んでいった。





「……へ?」


 間抜けな声は一体どちらのものであったか。
 振り返った先には、壁を壊して入ってきたと思しき、白くて大きな"何か"がいて。
 その顔が、ぎょろり、と、こちらを向いて。


「────────────!!!!!!!!」


 およそ尋常の生物とは思えない奇怪な絶叫が、辺りに木霊した。










「こなくそ──────ッ!!」

 半壊したホテルの壁面から、人間大の何かが勢いよく飛び出した。
 一対の鳥の翼と、駿馬の如し体躯。その上には二人の人影が騎乗している。
 片側だけで優に3mはある大きな翼をいっぱいに広げ、その幻想種は流星のように空を翔けた。
 のだが。

「うそうそうそ何アレ気持ち悪い! こっち見たなんかもぞもぞしてたぎょろってしてたーーーっ!」
「マスター落ち着いて舌噛むから! って、やっぱり一匹じゃなかったか!」

 そこには予想外の事態に頭を混乱させる少女が一人。何が何だか分からず感情のままに言葉をぶちまけ、それをなんとか制止するライダーは正面に迫るいくつもの影を視認する。
 白く巨大な正体不明の物体。その数三体!

 二人は露知らぬことだが、それらは星屑と呼ばれるバーテックスの一種だった。西暦の時代において人類を殺戮し尽くした天の御使いにおいて、最も低級であり力も大きさも最弱に位置する個体だが、代わりに膨大な個体数を誇る尖兵とも言うべき存在である。

「舐めるなっ!」

 ヒポグリフが一対の翼で風を吐き、羽ばたく力で大気の壁を殴りつける。緩急の勢いを利用してライダーは右手に握る黄金槍を一閃───ただの一振りで、槍の全長よりも巨大な星屑を一刀両断する。
 更に槍を引き戻し中空を蹴るようにして旋回、振り返りざまに後続の二体に槍の穂先を合わせ、一気に突貫。一直線に駆けぬけた騎兵の突撃は二体の異形を同時に砕き、塵として宙に舞わせるのだった。

 訪れる静寂に、ヤヤは呆然と目をパチクリとさせ、次いでその表情にじわじわと喜びを込み上げさせて。

「や、やった!」
「へへーんどんなもんだい! 弱いと言われようが腐っても英霊、こんな怪物如きにやられるボクじゃないってね!」

 いぇいと二人でハイタッチ。自分のしたことに気付き顔を赤くするヤヤを後目に、ライダーは槍を虚空へと消して腕を組み。

「けど、おかしな奴だったよなー。サーヴァントじゃありえないし、使い魔にしても見たことないや。マスター、あれ何か知ってる?」
「知ってるわけないでしょ。私は何の変哲もない学生なん、だか、ら……」
「ま、そうだよねー。やっぱりキャスターが召喚した使い魔の類なのかな、戻ってアーチャーにでも」
「ら、ライダー、あそこ……」
「え、何さマス、ター……」

 ヤヤにせっつかれ、その指差す空を見上げたライダーは───その体勢のまま、硬直した。
 空は、黒く染まっていた。
 あれほど月が明るかったはずなのに、今はその光さえ遮られて。

 ───何かが、空を覆っていた。










 その時、夢に沈む少女と夢を失った少女を除く全てのマスターとサーヴァントは、それを見た。

 束の間の安息を享受する二人の聖剣使いも。
 赫炎に身を委ねる赤騎士と天夜叉も。
 相争い食らい合う二騎の暗殺者も。
 狂乱にうち震える白き凶獣も。
 大海にて戦場を俯瞰する戦艦の主も。
 全てを見通すとされる慧眼で以て世を睥睨する、英雄たちの王も。

 皆等しく、それを見上げた。

 蠢く音がする。
 蠢く音がする。

 幾つも幾つも蠢く音。悲鳴のように。
 幾つも幾つも蠢く白。怒濤のように。
 絶え間なく、止め処なく。

 空を埋め尽くすは、白い星屑たちの群れ。
 群れ、群れ、群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ───!

 その数、百や二百では到底きくまい。千か万か、あるいは更に多いかもと思わせる大群は乱雑に絡み合い、その様はまるで蟲の苗床のようで。
 地平線の彼方から水平線の彼方までをも埋め尽くす。

「何よ、これ……」

 呆然と呟かれた言葉は何のためであったか。
 目の前の光景が信じられないからか、それとも何かに救いを求めたが故か。
 どちらでもあり、どちらでもなかった。単純に圧倒されたのだ。その数と質量に、気圧されてしまった。
 確かに一匹一匹は、ライダーでも容易く対処が可能な程度の存在だ。しかしこの数はどうだ。雨粒を振り払うことはできても、ダムの決壊を前にしては押し潰されるが必定である。

 勝てない。どう足掻いても、為す術はない。
 ヤヤは理屈ではなく直感として、それを確信した。

 天蓋を構築する星屑の群れ。その意識が、今、地上を向いた。
 無数の星屑が、規則正しく眼下を向く。

 星屑たちの一角、全体から見ればほんの一部でしかなく、しかしそれでも尚膨大な質量を持つ大群が、こちらを見た。
 今しがたライダーに討滅された個体を感知した一群は、次の瞬間には猛烈な勢いでこちらに迫って。

「ひっ……」
「……逃げよう、マスター。怖がらないで」

 か細い悲鳴をあげるヤヤに、ライダーが声をかける。
 それに辛うじて我を取り戻して、けれど平静さを失ったまま、ヤヤは自棄糞に叫んだ。

「ど、どうやってよ! いくらそいつが速くても逃げ場なんてないじゃない! そ、それに、あいつら……」
「大丈夫。そりゃボクは弱っちいけど、ボクの宝具はみんな強いんだ。まあ魔力がないと何もできないってのはつらいけど」

 苦笑するライダーの背後では、白亜の天が落ちつつあった。
 まさしく世界の終わりそのものである光景を前に、それでもライダーは常と変らずに。

「だからマスター、悪いんだけど令呪を使ってくれると助かる。そのブーストがあれば、多分何とかなるから」
「……本当に?」
「うん」
「信じて、いいの……?」
「ボクがキミを裏切ったこと、あるかい?」

 あるはずがない。召喚してから今に至るまで、このサーヴァントが自分を裏切ったことなんて、一度だってない。
 ポンコツで、能天気で、何も考えてなくて、どうしようもなく危なっかしくて。
 けれど、こんな何もできない自分を、それでもずっと守ってくれた。
 ライダーは英雄だ。自分を弱いと言い張ろうと、見た目が単なる女の子でも、それでもアストルフォというサーヴァントは確かに英雄なのだ。
 ヤヤにとって、誰より強くて頼れる英雄。
 そんな彼女が裏切るはずなどない。

 そうであるはずなのに、今にも「そんなことない」と叫びたがってるのに、けれど体が恐怖で固まり言うことを聞かない。
 ただ震えるヤヤに、ライダーはにっこりとほほ笑んでみせて。

「ボクはキミの英雄だ。どんなことがあっても、キミだけは絶対守ってみせるから」

 言うが早いか前へと向き直り、その手に黄金の槍と漆黒の長笛を具現させる。
 今にも迫りくる大量の星屑を前に、それでも意志だけは折れることなく。

「遠からん者は音にも聞け!近くば寄って目にも見よ!
 我が名はシャルルマーニュが十二勇士アストルフォ! 武勲詩に誉れ高き騎士の一人である!」

 大見得を張り武装を振りかざす。
 此処に在るは英霊の一角、確かな武勇と伝説を持ち合わせる戦士なれば。

「いざ尋常に―――勝負ッ!!」

 勝ち目のない戦いへと、勇気だけを胸に突撃し───








「散れ」








 背後からの声が耳に届くと同時、轟音と共に視界が一面の白に塗り潰された。

 ………。

 ……。

 …。

 ────────────────────────────────────。





   ▼  ▼  ▼





「あ、アーチャー……?」

 閃光が晴れ恐る恐る目を開いた視線の先、ホテルの屋上に立つ男の姿を、アストルフォは捉えた。
 ヒポグリフを寄せるため手綱を引く。空中を滑るように歩み寄り、アーチャーの隣へと軽やかに着地すると、彼は彼方を見遣ったまま口を開いた。

「ライダー。早速だが、いつかの契約を履行してもらう時が来た」
「契約って……えっと、いざという時はアティを護衛する、だったよね」
「そうだ。もうここに連れてきている、さあ」
「う、うん……」

 抑揚なく頷くアーチャーと、その後ろからおずおずと進み出るアティを前に、ライダーは内心納得する。そりゃこんな有り様なのだ、今が緊急事態だなどと火を見るまでもなく明らかである。
 改めて空を見上げれば、そこには白い異形の群れ、群れ、群れ。文字通り天を覆い尽くす様は視界に収まらず、全体像を把握するには首を右から左に動かす必要があった。
 文字通り世界の終わりにさえ感じられる光景を前に、ヒポグリフで世界の果てまで駆けたところでどうなるのだろうと、あるいは理性の戻りつつある新月の夜であったなら思ったかもしれないが。

「よし来た。アティはボクのマスター共々、ボクが絶対に守り抜いてみせるからね!」

 それでも、根拠もなく大丈夫と言ってのけるのがアストルフォという英雄である。彼は大仰に胸を叩いてみせ、大船に乗ったつもりで任せろと見栄を切る。

「助かる。それと、これは私からの餞別だ」

 と、アーチャーがヒポグリフに静かに触れる。首を撫でるようにした彼の掌から多量の魔力が伝わり、ヒポグリフを通じてアストルフォとヤヤにまで流れ込んでくるのが感じられた。

「え、わわ、何これすごい!」
「正午の戦闘で負った損耗は把握している。ヒポグリフについた傷のことも、な。それでは君達も真価を発揮できまい」

 軽く笑ってみせるアーチャーに、ライダーは感極まったように。

「~~~~~っ、ありがとうアーチャー! アティのことは心配しないで、きっと無傷で送り届けるよ!」

 笑うライダーは分かっている。自分たちの傷を把握した上で、今の今まで手を付けなかった理由。簡単なことだ、いつ敵になるかも分からない相手にそこまで施しを与えてやる必要なんてない。それは当たり前のことで、アストルフォは自分はやらないにしても他の誰かがそうするのは至極当然だと考えていた。
 だからこのことに怒るつもりなんてない。むしろ逆だ。今まで最低限の警戒をしていた彼が、本当の意味で自分たちを信用してくれたのだ。アストルフォにとって、それが嬉しくないわけがなかった。信頼には成果で応える、それが英雄たる彼の矜持であるために。
 先ほどよりも尚硬く、彼の覚悟は固まった。

「アーチャー……」
「大丈夫だとも。心配する必要はない。マスターは彼らを良く信じ、良く付いていくといい」

 駆け抜ける刹那、アティとアーチャーはそんな会話を交わして。
 再び空へと飛びあがったアストルフォは、声高々に叫ぶのだ。

「さあ、行くぞヒポグリフ! 例え世界が終わっても、ボクらの疾走は誰にも止められない!

 さあ行こう、どこまでも駆けよう。
 先に待つのが絶望だけだったとしても、それでも笑顔だけは絶やさずに。
 この異形蔓延る魔都と化した鎌倉を、一陣の風となった彼らは一直線に飛翔していくのだった。





   ▼  ▼  ▼





 一瞬のうちに遠く飛び去っていくライダーたちを見送って、ストラウスは視線を横にずらす。
 そこでは、白亜の天空を構成する星屑のうちの何%かが蠢動し、再び地上へ降りようとしているところだった。
 目標は鎌倉全土、しかし決して少なくない数の星屑が、同胞を消し飛ばしたストラウスを脅威と認め、排除するために殺到しようとしていた。
 猛る異形の白色が、膨大な群れを成して漆黒の弓兵を食いつくさんと迫る。

「……さて」

 余人ならばその光景を目の当たりにしただけで恐慌に陥るであろう状況に置かれて、しかし彼は声を乱すことなく彼方を見遣る。
 そう、それはアストルフォを此処へ迎え入れた時と変わらず。ただ一点のみを見つめている。
 そしてそれは、先ほどよりもずっと近くへと来ていて。

「お前を呼んだ覚えはないのだがな。白騎士、フローズヴィトニル」














「へえ?」















 ───彗星の如く飛来した何者かが、星屑の群れさえ貫いてホテルの屋上へと突き刺さった。

 衝撃に弾け飛ぶ群れとホテル建築、遅れるように鳴り響くは爆轟する大気の悲鳴か。
 天高く舞い上がった砂埃は上空100mにも達し、十数秒の時を経て砂塵が収まった頃には、瀟洒であったホテルはどこにもなく、ただ無残に崩れ落ちた大量の瓦礫が散乱しているのみであった。

「ま、君の事情なんてどうでもいいんだけどさ」

 その中心、たった今できたのであろう半径数十メートルにも及ぶ巨大なクレーターの只中に立つのは、ひとりの少年。
 白い頭髪とトーテンコープの眼帯を下げ、両手に持つは剣呑な輝きを放つルガーとモーゼルの二挺拳銃。
 狂的な笑みに彩られた顔を上げ、見開かれた碧眼は決して満たされぬ飢えと渇きに狂った凶獣。
 異形と化した月夜を睥睨して、彼は呟くのだ。

「───こんばんは。僕が、君の"死"だ」

 清廉なる月の光を一身に浴びて。
 大隊長ウォルフガング・シュライバーは、喜悦にも似た殺意を放出するのだった。




NEXT:目醒めのルサールカ(後編)

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