この事件に関する管理人の日記のようなもの。
6月8日
- 夕方の渋谷のライブを見に行くために少し早めに家を出た。たしか4時すぎ。駅で電車を待つ間、携帯でニュースを見て、この事件のことを知った。よく知っている場所だったので驚いた。
- 渋谷のライブが終わって、帰宅。
6月9日
- 6月9日2時39分、閾ペディアことのはに、事件の概要と、当該スレッドの内容をアップ。
- 朝、起きてから当該スレッドを再度確認。「究改」の他のスレッドを見ていると、ある人物が立てたスレッドに、加藤容疑者と掲示板上でやりとりをしていたという内容が書かれていた。加藤容疑者が「不細工」と呼ばれていたこともここで知る。そこで、加藤容疑者の立てた別のスレッド(「【友達できない】不細工に人権無し【彼女できない】」)が紹介されており、そこから当該スレッドを閲覧。
- 全部で3000投稿(300ページ)ほどあったため、最新100ページあたりから読み始めたところ(6月3日ごろの投稿に当たる)、文体等から加藤容疑者のものであろうと思われたので、読み進めながら、事件に関係ありそうな記述を抜粋。その結果、6月5日の工場でのトラブル、6日の福井行き、7日の秋葉原行きなどの行動が鮮明にわかった。そこで、加藤容疑者本人の投稿があることが確信できた。
- この抜き書き作業をしている中で、当初は加藤容疑者のコンプレックス的な発言などは飛ばしていたが、逆にその部分が重要な意味を持っているように感じ、改めてしらみつぶし的に記録を残していった。つまり、4日ごろから後の書き込みについては2回読んでいる。そこからさかのぼって6月3日分まで記録したところで休み、翌日に作業を続けようと考えていた。約900件の投稿をチェックした勘定になる。
- 掲示板の最初(5月半ば)から約300投稿分については、友人がピックアップ作業をした。
6月10日
- 朝確認してみると、掲示板はパスワード認証制になっており、閲覧できなくなっていた。そこで、当サイトでは6月3日以降の内容しか載せていないのである。(友人の記録分は後日アップ)
- レンタルサーバーhetemlから、アクセス過大の警告。
- 仕事に出かける。帰り、仕事場から事件現場が近かったので立ち寄る。花や水が捧げられていた。追悼。
- アクセス過多のためサーバーがほとんど閲覧できないので、atwikiに待避所を作ってデータを移す。理由は、ウィキペディア記法がそのまま使えるため(本家・閾ペディアことのはは、Wikipediaと同じMediaWikiを使用している)。データを軽くしたため、本家もアクセス不能になる率が減ったように思われる。
6月11日
- 朝日新聞社、日本テレビより問い合わせあり。友人のまとめた分のデータを送る。
- 夜、朝日新聞社の記者の方とお話しする。
6月12日
- テレビ朝日、フジテレビ、東京新聞、共同通信、NHK、番組制作会社より問い合わせあり。前日提供したのと同じデータを送る。
6月13日
- 読売新聞、毎日新聞より問い合わせあり。11日以来提供しているのと同じデータを送る。
6月14日
- これまでマスメディアに提供してきたログを当サイトにて公開。
最終更新:2008年06月14日 20:07