リナリア

(投稿者:Cet)



真っ白な部屋の中で

いつも一人


好きな人も一人きりで


手放すことができなかった

抱きしめるものがなにもなくなってしまうから



 物静かな少女だった。
 彼と初めて会った時から、少女は一度として言葉を発したことがない。
 少女はいつも彼に微笑みかける、それに対して、少年も微笑む。
 時たま、少年から少女に他愛もない話をすることもあったが、それは一方的な語りになるだけで、会話として成立することはなかった。
「リナリア、出撃命令だ」
 その担当官の一言で、少年は立ち上がる。
「はい」
「ブリーフィングを行う、一度会議室に行くぞ」
「了解しました、マスター」
 短い会話を交わすと、少年は腰かけていたベッドから立ち上がった。
 部屋を出て行く間際になって振り返ると、少女は少年が先程まで座っていた場所に腰を降ろして、微笑みかけていた。
 少年は彼女に軽く手を振って、その場を後にする。


「今回の任務は海兵隊の一個小隊との共同作戦だ。作戦が行われるのはニュートリントン、目標はこの地域に展開しているGの部隊の撃破だ」
 会議室にいるのは担当官と少年、そしてベレー帽を被った細身の男である。ベレー帽の男はホワイトボードに貼りつけた航空写真に書きこんだ図を、金属の指示棒で指し示すことで作戦を説明していた。
「今回リナリアは特別な行動をする必要はない。現地の指揮官の指示に従うだけだ、通常の兵士以上に過酷な目を被ることはないだろう」
「了解です」
 リナリアの返事に、ベレー帽の男は頷く。
「私はどうすればいいのでしょうか」
「リゼ中尉は現地に同行してもらう、しかし作戦に参加する必要はない。彼女の監督をしてもらえれば、十分だ」
「了解しました」
 リナリアはそのベレー帽の男の言葉に、不服そうな表情を浮かべた。
「リナリア、先に言っておくが」
 それを目ざとく見咎めたベレー帽の男が言う。
「お前が幾ら自分の性別を男だと言い張ろうが、その外見を見てお前の言い分を認めようとする軍人は、多分どこにもいないだろう。これからもそうだ」
「しかし少佐、せめて僕の身近にいる人なら、そう認めてもらってもいいと思うのは、間違いでしょうか」
「私たちは、分かりやすい現実を望んでいるだけだよ」
 そう言いながら、ベレー帽の男は手に持った指示棒を壁に立てかけた。


 作戦領域へと航空機で運ばれたリナリアは、まず荒野に展開された営舎へと赴いた。現地で行われたブリーフィングに参加するなり、彼は小隊の全員に顔を覚えられた。
 それからは個人用の営舎に戻り、表情を動かすことなく、自分の武器のメンテナンスを繰り返していた。
 余念がないというより、その他にやることがないのである。時折、彼に対して好奇の視線を注ぐ者がいるのを無視することもできた。
「リナリア」
 入口の垂れ幕を手で払いのけ、担当官の男が現れる。
「中尉」
「さっきのことだが、気にすることは無いぞ。作戦に対して集中するんだ」
「了解しました」
 リナリアは直立不動だった態勢を崩し、座り込んだ。
 テーブルの上で分解されてある小銃を覗きこみ、沈黙する。
「お前の精神の特殊さは、理解しているつもりだ」
 すると、担当官の男が言った。リナリアが顔を上げる。
「しかしそのありようが男のものであれ、女のものであれ、作戦に対して影響することはない」
「はい、その通りです」
 リナリアの淀みない返答に、担当官の男は頷いた。


 リナリアは走っていた。
 そして、部屋で待っている一人きりの少女を思い浮かべた。
 彼女は恐らく、彼のことを今も待ち続けているだろう。
 そんな風に考えると、生への大きな意欲が湧いてくるのだ。
「よしっ」
 彼は振り返るなり、その腕に抱えた小銃を撃った。ストックを肩に当てた、スタンディングショットである。
 通常の弾丸であれば防いでしまうワモンの頭部がへしゃげ、体液が飛び散った。
 何発もの迫撃砲が撃ち込まれ、固く渇いた地表が掘り返されていく。
 恐ろしく俊敏に動く巨躯を捉え、幾条もの弾丸が突き刺さる。
 元来虫というものが持っている脆弱さを露呈するかのように、その腹部が裂け、体液が迸る。
 突っ込んできたGを、単体ごとに包囲し、各個撃破するという戦法は、歩兵が唯一Gに対抗し得る手段であった。その中にメードがいるというだけで、作戦の強度は格段に跳ね上がる。
 この作戦も、リナリアにとって日常的に行われてきた作戦から逸脱するようなものではなく、それどころかそれどころか今まで経験を積んできた分だけ、その達成は容易であると言えた。
 今日も生き残れる。その事実を噛み締めると、喜びが胸を満たした。
 また、少女に会えるのだ。少年はそれだけを自身に言い聞かせた。


 少年は毎日のように戦い、その分だけ少年の所属する研究施設は平穏であった。
 行きかう白衣姿の人々に、時折オリーブドラフの軍服を着た男が混じる。そんな異様な光景も、ここにとっては日常そのものである。
 そして、リナリアの部屋があった。
 そこは今も昔も、彼の部屋であり、そして彼だけの部屋であった。
 地下のリノリウムの廊下に面した扉を開けると、そこは真っ白な壁紙に囲まれ、無機的な家具がちりばめられている。
 少年が初めてこの部屋に連れてこられた時、彼は担当官にこう問うた。
”マスター、この少女は一体誰ですか?”
 担当官はその言葉にすぐ答えられなかった。当然だが、ここはリナリアにとっての個室なのであり、その他の誰かがいることはありえなかったのである。 そして事実、それらしい人物はどこにも見当たらなかった。
”リナリア、私が思うに、その少女は”
 担当官の男は、少年が視線を向けている方向へと指を差した。
”お前が喪ってしまった心の象なのだと思う。”
 担当官の男の言葉に、少年は何かを答えようとはせず、ただひたすら無機質なパイプベッドがある辺りを見つめ続けていた。



 そう遠くない未来。
 少年は部屋へと帰って来なくなった。
 その部屋は空き部屋で。
 少年は部屋から永遠に出て行ってしまった。

 少女は今どこで何をしていますか?


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最終更新:2009年09月28日 09:19
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