第6話 迷い猫

2体の石像

ボボッ

霧香「NOIR。 そは 古(いにしえ)よりの定めの名
死を司る2人の乙女
黒き御手は嬰児(みどりご)の
安らかなるを守りたもう」

ブシュッ


ヒュゥゥゥゥ

バン!

バン!

ドサッ

カチッ

バン!


ゴー。キキッ

ミレイユ「ん……」

霧香「よいしょ」

ガチャ

ミレイユ「行くわよ」

霧香「あ」

ニャー

ミレイユ「何してるの。チェックイン、済ませたわよ」

霧香「うん」


男「おい、何してるんだよ、ちゃんと並べ!」

カチャカチャ

老女「ありがとうございます・いつも私達のためによくしてくださり」

老人「うん、うん」

ミレイユ「彼の名前を知るものは誰もいない。一切の報酬を求めず、ただひたすら人のために尽くしてきた。何年も、何十年も、大勢の人が彼を聖者と呼んで慕っているわ。

元KGBのユーリ・ナザーロフ、それが、彼の正体。旧ソ連の強制収容所で少数民族のタシキール人が虐殺された。その実行を指示したのがナザーロフよ。その後、彼はKGBを辞め、全てを捨てて姿を消した。理由は分からない。そして今は、難民達の聖者様。依頼人は生き残りのタシキール人達。本人は罪滅ぼしのつもりなんだろうけど、殺された者の恨みはそんなことでは消えはしない、ってとこかしら。簡単な仕事よ」

霧香「うん」

ニャッ

霧香「あっ」

カチャ(PCを開ける音)

カタカタ

霧香「ミレイユ」

ミレイユ「なに?」

霧香「ちょっと散歩してくる」

コツコツコツコツ

ガラン!

ニャー

ガチャ

霧香「んっ?」


霧香「ただいま」

ミレイユ「遅かったわねー」

霧香「うん」

ミレイユ「何それ、夜食でも買ってきたの?」

ガサガサ ニャー

ミレイユ「あんたねえ、何考えてんのよ」

ニャニャー

霧香「うん」


(笑い声)

ミレイユ「本当に、何考えているのよ」

霧香「うん」

ミレイユ「その猫、まさかパリまで連れて帰るわけじゃないでしょうね」

霧香「この子の名前」

ミレイユ「えっ」

霧香「もし、もしこの子に名前があるのなら、私とは違う。ただ迷子になっただけ。
私には名前がない。夕叢霧香という、嘘があるだけ」

ミレイユ「はあ……私には同じよ。あんたが大きな嘘の一部であることには変わりはないわ。でも、あたしだってあんたと似たようなもんよ。暗闇の中をいいように引きづり回されてる。本当の答えは、奴らに、ソルダに聞くしかない」


バンッ

男「うっ……フッ」

バサッ

オルゴール音


ミレイユ(人の中の人、愛の中の愛、罪の中の罪。隠者は罪人(つみびと)に告げた。ソルダは真実と共にあると。……ソルダ)


ミレイユ「どういう意味だか、全然分からない。でも、必ず突き止めてみせる」

霧香「うん」


ニャー

霧香「あなた、本当に何て名前なの?」

老人「ムイシュキン侯爵」

霧香「あっ。

ムイシュキン侯爵?あっ」

ニャー

老人「そう、ムイシュキン侯爵。この子の名です」

ニャゴニャゴ

霧香「あなたの猫だったんですか」

老人「何日か前にいなくなってしまってね。お嬢さんがこの子を世話してくれたんですか」

霧香「そんな。世話だなんて」

老人「とにかく、礼を言わせてください。ありがとう。では」

霧香「さようなら、ムイシュキン侯爵」

ニャー

老人「侯爵は、さみしいと言っているようだ。
では

うっ」

ニャオ

霧香「あっ。どうしたんですか?おじいさん?しっかり、しっかりしてください。
おじいさん、しっかりしてください。おじいさん!」

アイキャッチ

老人「はあ……はあ……」

ニャァ

医者「長い間無茶をしすぎたんだ。
私は何度も忠告したんです。だが、自分の体のことなど考えもせずひとのために働いて、もう手の施しようがない。この先、長くはないでしょう。長くは」

ガチャン

ニャ

ガチャ

霧香「あっ

バルクーツク、1951年」

トントン

霧香「あっ?」

ガチャ

老女「スベンソン先生に伺いました。このお方を助けてくださったとか。ありがとう。ありがとうございました。本当にありがとう、ありがとう。助けてくださってありがとう」


霧香「あっ?」


ニャア

霧香「やっぱり、今しかない。今やらなければ、私には、もう」


スタッ

霧香「はあ、はあ」

男の子「体、大丈夫?」

女の子「大丈夫?」

男の子「早くよくなってね」

女の子「うん」

男の子「また遊んでね」

霧香「ハッ」

カチャ(銃を構える)

女の子「遊んでー、またお料理を作ってよー。食べたいなー」

男の子「おいしいよー」

女の子「早くよくなってね。ねぇ、あのさ……ん?」

男の子「なーに、どうしたの?」


ミレイユ「うーん、どう見ても家族の写真よね。感じからすると、この男の子がナザーロフかしら。51年だと、ちょうどこれくらいのはずよ。
バルクーツクの地名で検索してみる。でも、これでまたあんたのことが少し分かったわ」

霧香「えっ?」

ミレイユ「殺しの技術に長け、裏社会の事情に精通し、あらゆる言語を話す。でもロシア文学については、知識を持たない」

霧香「ロシア文学?」

ミレイユ「ムイシュキン侯爵は、ドフトエフスキーの白痴の主人公よ。純粋で、無垢な魂の象徴なの」

霧香「純粋で、無垢な魂」

ミレイユ「変ねえ。バルクーツクなんて地名は、どこにもないわ」

霧香「そう……」

ミレイユ「言っとくけど、ナザーロフがどんな人間だったとしても私達には関係ない」

霧香「うん」

ミレイユ「ナザーロフは、馬鹿よ。難民にいくら親切にしたってなんの解決にもならない。ただの自己満足よ。難民の方だってそれは……」

霧香「分かってる。分かってると思うナザーロフも。でも、どうしようもないの。ただずっと雪を待っているだけ」

ミレイユ「雪?」

霧香「そう。雪が降り積もるのを」


ニャー

老人「うん……」

バンッ

少年「あっハアハアハア

バンッ

バンッバンッ

少年「……あっうっ!」


ミレイユ「バルクーツクはノルガ人の故郷だった。スターリンの時代、村はタシキール人に襲撃され、今は地名も残っていない」

霧香「ナザーロフは、ノルガ人ね」

ミレイユ「同じ少数民族でありながらノルガ人とタシキール人は古くから憎み合ってきた。時代が変わっても、ずっと互いに殺し合ってきたのよ。こうなると、どっちが原因でどっちが結果か、もう分からないわね。収容所での虐殺から今日まで長い長い年月だわ。彼が心の奥で何を考えていたかは想像も出来ない。
どうする?この仕事。後味の悪い思いをするのもちょっとね。それに病気で死にかけているなら、わざわざ……」

霧香「やるわ。

ガタッ

霧香「この仕事……やるわ」


ザク、ザク、ザク

カチャ(扉を開ける)

ニャ

カツカツ

カチャ(銃をかまえる)

霧香「くっ」

ドンッ

ニャウッ

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2015年07月30日 07:20