ガウアス争乱

西方暦703年から708年まで続いたス・ラディ9国の一つ、メールバーデン雄王国王妃マルガルによる出来事である。

メールバーデン雄王国の宰相マン・ハーゲンデンによる内乱で、メールバーデン12世の死去(?~703)に伴い王位を嫡子レーン・ロルトマンか、王妃マルガルのどちらかをつけるかに端をする。

マルガル派とレーン派に分かれるも国内の早期収集を図り、レーンが王位につく。
マルガル派からマルガルを摂生にと声もあったが、以前からマルガルに疑念を持っていたレーン王はこれを認めず、マルガルを国外追放しようと画策する。
しかし、混乱の収集と同時にマルガルはス・ラディの3国とガウディの4国と結び、レーン王を立てる8国に対して宣戦を行う。
さらにマルガルはバリアン神国の教会権力に訴えて、統治者としての正当性を証明させようと試みる。

しかし、レーン王を後一歩で退かせられる所まで来たが、マルガルの魔神崇拝の証拠を発見される。
マルガルは異端審問の結果、有罪となり火刑に処せられた。

この争乱によりバリアン神国は魔女に踊らされた責任を問われて、神聖教会の「特許」を取り消されている。

特許とは神聖ペガーナより、神聖ペガーナ教会を開くことを許されること。
バリアン神国は西方暦678年に最大の教会を持ちガナン・カラル神聖騎士団を派遣をされており、本山に継ぐ権威を有していた。