基本データ
- 艦級:丙型海防艦?1番艦
- 建造場所:三菱重工神戸造船所
- 起工:1943年09月15日
- 進水:1943年12月29日
- 就役:1944年01月30日
- 喪失:1945年11月10日沈没
- 除籍:1945年05月25日
2015年7月2日現在未実装
史実情報
丙型海防艦、それは相次ぐ徴用船撃沈によって戦力増強が急務となった船団護衛用に、今までの造船所では建造できない大型の鵜来型を小型化し、建造できるようにした戦時設計の海防艦です。
1号海防艦はその1番艦で、国民からの献金によって建造されたことから報国第1号海防艦とも呼ばれました。
就役後の訓練もそこそこに南方航路の護衛に投入されますが、この時の手記はありません。
何故なら、その最後はあの”有名な写真”だからです。
フィリピンの喪失と南シナ海への空母機動部隊の侵入は上層部に衝撃を与え、もはや南方航路の切断は時間の問題でした。
まだ航路が生きている間に出来る限りの資源送還を…そうして南号作戦が発動されました。
1号海防艦が護衛した船団はヒ88J船団。ひとつ前のヒ88I船団と共に、輸送船と護衛の海防艦ごと消滅しました。
南方航路最終船団となったヒ88J船団は次々と参加輸送船を喪失し、海南島の愉林に着くまでにすべてを失いました。海防艦と天津風だけとなった船団は日本をめざし北上を続けますが、1号海防艦、134号海防艦、天津風だけとなった船団にB-25が襲い掛かります。
爆弾の直撃を受けた1号海防艦は右舷に横転しながら沈没、海上を漂う生存者に対して機銃掃射が行われ総員戦死、壮絶な最後を遂げました。
オリジナル艦娘の状況
1名
同型艦
関連項目
外部リンク
最終更新:2015年07月02日 01:42