基本データ

  • 船級:特2TL型護衛空母兼タンカー?
  • 建造場所:三菱重工横浜船渠
  • 起工:1944年09月11日
  • 進水:1944年12月02日
  • 竣工:1945年01月27日
  • 戦没:1945年02月17日

  • 実装状況:未実装

史実情報




山汐丸は特TL型タンカーとして設計変更を受け、航空艤装を持った2TLでした。
特TLの出現は、海上護衛戦と密接な関係があります。
「海上護衛は海軍の仕事」と考えていた陸軍ですが、海軍の不甲斐なさとちっとも改善されない海上護衛に業を煮やして、陸軍独自に海上護衛戦力を整えるようになります。
それもそうです。なんたって戦力を展開しようとしても輸送船が1隻沈むだけで1個師団が壊滅するんですから。
護衛戦力として哨戒機を展開しようと思いつきますが、陸軍だけでは船の設計が出来ないため、発想を海軍に持ち込んで設計してもらおうと思います。
それに食いついたのが、戦況の悪化で新規設計が無くなり暇になっていた設計部門でした。
オマケに海軍内部で「これを機に軽空母として配備しよう」と言う機運も持ち上がり特TLが誕生します。
ただし、高性能で軽空母としても使いたい海軍と、それなりの性能で良いからさっさと空母が欲しい陸軍との間で妥協が成立し、海軍は1TLベース、陸軍は2TLベースとなります。

その特2TLの1隻が山汐丸でした。
大戦末期に竣工して試験航海もしたものの、南方航路もすでに失われていたので岸壁に係留、2度の空襲を受けて船尾から浸水、着底して終戦を迎えました。
GHQの命令もあり、三菱横浜造船所では沈没した山汐丸を浮揚して解体作業をしていましたが、第1第2船台前に移動してさらに解体作業を進めようとした所、突如として船首が脱落、再び山汐丸が着底沈没してしまいました。
これでは船台が使えないが、さりとて2度の浮揚では大赤字必須で二進も三進も行かなくなったのですが、「組立場が狭い狭いとこぼしてたんだから、第1第2船台を潰して組立場にして、山汐丸は艤装岸壁にしよう」という事になり、航空艤装を完全解体して艤装岸壁として造船所が拡張される昭和31年まで存在しました。
その後みなとみらいの工事で、脱落した船首の錨が発見され、センタービル横に展示されています。

オリジナル艦娘の状況


1名

同型船

関連項目


外部リンク


+ タグ編集
  • タグ:
  • 日本陸軍
  • 空母
  • 特2TL型

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2015年08月06日 18:55