ヘサムはこれからのことを考えると心配でならなかった。ジムリア国ではエヴィルに対する偏見は激しい。
ローダン国の降伏の条件として大陸人との法的平等は達成されたものの、エヴィルが被差別民族であることには間違いないのだ。
ヘサムがブレーノフに着くと、グリトラスたちと別れて屋敷へ案内された。昼からジムリア王との接見があるらしい。
――彼は父の仇だ。刺し違えるか…
そんな考えが頭をよぎった。
昼になるとヘサムは城に向かったが、道々出会う人々はヘサムがエヴィルであっても特に反応はしなかった。
どういうことだ。そういぶかりつつもヘサムは宮城に入った。途中、広間から出てくるラスツェイルとすれ違ったが、言葉は交わさなかった。どうやら一人ずつ接見しているらしい。
ジムリア「ヘサム・タヴシュ第3エヴィル騎兵旅団長少将。よく参られた。」
ヘサム「第3エヴィル騎兵旅団長と言いますと?」
ジムリア「そなたをたった今その職に任じるということだ。そなたの父上から引き継いだ騎兵隊であろう。
あの騎兵隊には我々も悩まされたものだ。それが味方になれば心強いことこの上ない。」
ヘサム「ありがたき幸せにございます。」
ジムリア「先に言っておくが、エヴィルに不利な法律はすべて撤廃した。私は間違っていた。」
ヘサム「ありがとうございます。エヴィルと大陸人が平和に暮らせる世の中がまたやってくるのですね。」
ジムリア「ああ。ただし、」
ヘサム「ただし?」
ジムリア「ただし、再びエヴィルが私に反逆したとき、私は領内のエヴィルを皆殺しにさせる。初めからこうすればよかったのだ。やはり私は間違っていたようだな」
ジムリアの顔に狡猾な笑みが浮かぶ。もし今ヘサムがジムリアと刺し違えれば、その1ヶ月後にはこの国のエヴィルは一人残らず白骨と化しているだろう。
ジムリア「そなたたちエヴィルの運命はエヴィル自身の手に委ねる。これが一番正しいのだ。そうであろう。」
ヘサム「………。」
ジムリア「そなたの働きには期待しているぞ。ヘサム・タヴシュ少将。」
その言葉を背にヘサムは退出した。
翌月、ジムリア王は北東のメーダン国への侵攻を計画、母国が傘下に入って少将になっていた名将、ルーベン・ゲリクが総大将に任命された。
議場でヘサムはゲリクを初めて見たが、中肉中背、生え際が少し後退し始めた頭。至って普通の中年男だ。
しかし、そのよく手入れされた口ひげが人を圧するオーラのようなものを醸し出していた。
2週間後、ゲリクの軍勢6万は国境付近でメーダン軍8万5千を捕捉、攻撃を開始した。緒戦はゲリクの策略により有利に進んだものの、
メーダン軍の猛将によってジムリア軍の武将が数人討ち取られると、戦況が不利であると判断したゲリクは撤退を決断、
会戦は敗北に終わり、ジムリア国はメーダン国との講和を強いられた。
同じころ、西方のテッセシスク国の首都ケンプルソンをジムリア軍が陥落させたという報が入った。あのトゥリヒト元帥も投降したらしい。
ジムリアはこれで大陸の半分を手中に収めたことになる。
4月、ヘサムの元に書状が届いた。
「貴下とその配下の第3エヴィル騎兵旅団をウェスベルクの西部方面軍に配属する」
ヘサムは屋敷を父の代から仕える家宰に任せると、騎兵隊とともにウェスベルクへと向かった。
ウェスベルクの将はゲブハルト・ジムローニ大将。武芸に優れ、劣勢になっても命を惜しまない若き猛将だ。
ジムローニ「ようこそウェスベルク城へ。」
ヘサム「これからよろしくお願いします。」
ジムローニ「お前の部隊はエヴィル騎兵だったよな。」
ヘサム「はい。」
ジムローニ「エヴィル騎兵の強さは天下一品らしいな。一度使ってみたかったんだ。」
豪快に笑うジムローニ。周りの武将たちも少し引いている。ヘサムはその中にオットー・グリトラスの姿を見つけた。彼もウェスベルクに配属されていたようだ。
ジムローニ「いやいや。タヴシュ少将、今日は飲み明かすぜ。」
ヘサム「はい。お付き合いさせていただきます。」
ジムローニ「そう堅くなるなよ。人生は短いぜ。」
ヘサム「はい。」
その夜は盛大な宴会となった。ジムローニはヘサムの歓迎会を口実にして大酒を飲むつもりだったらしい。
彼は酔いつぶれて寝ている。ベランダで涼むヘサムにオットーが話しかけてきた。
オットー「タヴシュ少将、久しぶりだな。」
ヘサム「はい。4ヶ月ぶりですね。」
オットー「4ヶ月か…長かったな。」
ヘサム「グリトラス少将、少しいいですか。」
オットー「何だ。」
ヘサムはジムリア王との接見のあらましをオットーに話した。
オットー「王がそんなことを…」
ヘサム「ええ。」
オットー「恐ろしいことだ。もしエヴィルの誰かが反逆したらメーメッツ王のお命も…」
ヘサム「はい。危なくなります。」
オットー「何か手を打たねばな…。」
ヘサム「下手な行動をとるとジムリアの思う壺です。」
オットー「ああ。エヴィルと大陸人の真の平等を実現するためには慎重に事を進めなければな。」
やがて宴会は終わり、諸将はそれぞれ家路についた。
翌日からヘサムは騎兵隊の訓練を開始した。エヴィル騎兵の特徴は長い槍だ。この槍が相手の武器が届く前に相手を薙ぎ倒し、破壊的な突撃力を支えるのだ。
数十人ずつ突撃演習をさせ、遅れる者や槍の使い方のまずい者を指導する。一人では手が回らないので数人の小隊長がヘサムとともに指導に当たる。
ヘサムは訓練の間じゅうオットーの言葉が気になって仕方がなかった。
――エヴィルと大陸人の真の平等を実現するためには慎重に事を進めなければ。
オットーは何かを企んでいるのか。そうだとすれば父親のカルロマン・グリトラス大将も計画にかかわっているのか。彼は自分に何を求めているのか。
訓練が終わると、ヘサムはオットーの屋敷へ向かったが、途中でオットーと出会った。
オットー「やあ。どうした。」
ヘサム「少し内密にお話したいことが…。」
オットー「何だ。」
ヘサム「昨日エヴィルと大陸人の真の平等を実現するとおっしゃっていましたがどういうことでしょうか。」
オットーは周りに誰もいないことを確認すると、口を開いた。
オットー「この手紙を見てほしい。」
手紙はグリトラスからのものだった。旧メーメッツ国の将校が軍の全権を掌握、ジムリア王を暗殺し、全土を接収するという計画が書かれていた。
オットー「お前にもこの計画の話をしようと思っていたところだ。私たちにできることといえば武勲を挙げて上位の階級に昇進することだが、参加してくれるか。」
ヘサム「もちろん。大陸人とエヴィルが平等に暮らせる真の平和をもたらしましょう。」
真の平和――そんなものは何千年も前に失われてしまった。それを取り戻すのは並大抵のことではない。
しかし、たとえそうであっても、誰かがやらなければ。そしてその「誰か」の中に、自分も含まれている。そんな使命感が、ヘサムをとらえた。
最終更新:2008年04月13日 20:22