プレイレポート > エーインランス帝国正史 > 第2章

102年

4月
ビュベルク参謀長が篭城していたラインツラフ城救援のためヒンデンディー宰相率いる救援軍が出撃、城を包囲しているタスクベルク軍と交戦。
冬の寒さとビュベルクの散発的な奇襲攻撃により消耗していたタスクベルク軍は撤退を開始し、救援軍の追撃を振り切って脱出した。
これを機会に帝国はタスクベルク軍との講和条約を提示し、タスクベルク軍は消耗した兵の回復のためこの条約を呑んだ。
城を守りぬいた功績により、ビュベルク参謀長はラインツラフ伯の爵位を与えられる。また、この戦いに参謀として参加したレイムビアウ中将は大将に昇進する。
6月
ゲッテンバーク軍の首魁、逆賊オリトーバル・ゲッテンバークが病死。養子のアウグスオーネが後を継ぐ。
7月
ラインツラフ伯ティレイオス・ビュベルク参謀長が、2年前オーバランスの戦いで負った傷がもとで病死、享年57歳。帝国のために知略を尽くした彼の死は国葬をもって弔われた。
参謀長の後任には大将に昇進したばかりのヘルンナ・レイムビアウが任命された。ラインツラフの守備はマールヴァルト・ケススタン中将に引き継がれる。
名声73
8月
わが軍がテッセソン侯領ジムウィルに侵攻。マールヴァルト・ケススタン中将の3万4千は敵軍5万1千と交戦。
しかし戦力に勝る敵軍の素早い行動に帝国軍は圧倒され続け、この戦いは敗北に終わった。
テッセソン侯はこれを機に和平を提案し、帝国はこの戦い自体には敗北したものの、今回の戦争は帝国が3城を得る勝利となった。
10月
東方公コンエンナ・ヒンデンディー宰相が病死、享年58歳。40年にわたり帝国を支え続けた名将がこの世を去った。彼もまた盛大な国葬で弔われ、陛下も涙して彼を送った。
軍司令官には参謀長であったレイムビアウ大将が昇格、代わって参謀長にはマールヴァルト・ケススタン中将が任命された。
適任な人物がいなかったため、宰相の位は空席となった。
名声102
11月
逆賊アウグスオーネ・ゲッテンバーク討伐のため、レイムビアウ大将はゲッテンバーク軍本拠地フランビアウの攻撃を提案する。
ビュベルク参謀長、ヒンデンディー宰相を相次いで失った帝国は、彼らがいなくとも十分戦えることを大陸に知らしめておく必要があった。
そのためケススタン参謀長もこの作戦に同意し、陛下もこれを承認した。レイムビアウは4万8千の兵を率いてフランビアウへ向かう。敵軍は2万3千の兵力でこれを迎撃する。
ヒンデンディー宰相と同じく機動力を活かした戦術を重要視していたレイムビアウは右翼に騎兵隊を配置し、敵軍の本陣を攻撃するとともに敵の背後を断つ戦術をとった。
敵軍の本陣は騎兵隊の突撃により崩壊、退路を断たれた敵部隊は包囲殲滅された。敵の総大将ビュスタン中将は捕らえられ、見苦しい命乞いの末我が軍に登用された。
帝国軍は余勢を駆ってフランビアウ城を陥落させ、ゲッテンバーク軍の占領地区は再び帝国に併合されることとなった。帝国万歳!

103年

1月
クリストル・パトテルク中将が南西部方面軍の司令官として旧ゲッテンバーク領の行政と防衛を任せられる。
3月
反乱軍の首領であったボードマ・バルハルトがタスクベルク軍の脅迫を受けてその傘下に入る。
かつて山賊の頭目として北部一帯を荒らしまわり、猛獣と呼ばれた彼だったが、その猛獣はついに鎖に繋がれることとなった。
4月
タスクベルク軍が再びラインツラフへ侵攻。レイムビアウ司令官率いる帝国軍4万8千がラインツラフへ向かい、敵軍2万7千と交戦した。
レイムビアウは両翼の騎兵隊で敵軍の後詰部隊を衝いて敵の退路を断ち、包囲殲滅しようと考えた。
しかし悪天候で左翼のクウェベルク少将の部隊の突撃が遅れ、冷静になった敵に退路を断たれて逆に包囲を受けた少将は戦死。
その一方で右翼からの攻撃は首尾よく進み、敵の退路の遮断という目的は果たされた。
結果帝国軍は敵を半包囲することに成功、この戦いは帝国の勝利となった。これを機に帝国はタスクベルク軍と停戦した。
5月
旧テッセソン侯領であったバイエツェの地方司令フリントが反乱を起こし、テッセソン侯に庇護を求める。
テッセソン侯は帝国との講和条約を遵守してこれを断り、フリント軍は孤立する。
6月
未だ抵抗を続けていたバルハルト軍、ゲッテンバーク軍の残党がタスクベルク軍に完全に降伏する。
これでタスクベルク軍は大陸北辺を完全に制覇したこととなる。
8月
帝都のすぐ北、ロイエンミニヨンの地方司令がタスクベルク軍に城を明け渡し、タスクベルク軍との停戦が無効となる。
10月
モンテフェンの地方司令ヒンデンマイヤーが反乱を起こした。
11月
タスクベルク軍の指導者、ヒューアーン・タスクベルクが病死。養子であったパスハルトがあとを継ぐ。
タスクベルク軍は強烈なカリスマ性を持つヒューアーンを教祖とする宗教で団結した反乱軍であり、パスハルトは占いによって決まった後継者であった。
そのため当然諸将の支持も薄く、人々の心も教団から離れつつあった。
12月
レイムビアウ司令官がフリント軍を鎮圧する。この戦いの功績によりケススタン参謀長は大将に昇進、ビュベルクの後任としてラインツラフ伯に封じられる。

カルロスバイトの地方司令ファレンビアウが反乱を起こした。

画像、能力値

▲レイムビアウ司令官は人並みの才能はあるが、傲慢で名将気取りな面が反感を買っている。
▲そのため、人望のあるケススタン参謀長はレイムビアウ司令官が諸将との間で問題を起こしたときにその仲裁に奔走するのが常であった。
最終更新:2009年01月23日 21:44
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