プレイレポート > エーインランス帝国正史 > 第5章

111年

4月
ブラウヒルトのバイエデンバー地方司令が反乱を起こす。
8月
タスクベルク軍から孤立して暫定自治を行い、主君に勝る勢力を誇っていた同軍のサンジュハルト元帥がついに自立する。
サンジュハルトは自らこそ前教主ヒューアーン・タスクベルクの正当な後継者であると称し、教主パスハルトを異端として糾弾した。
もはやタスクベルク軍の落日は誰の目にも明らかとなり、サンジュハルト軍はタスクベルク軍に取って代わる存在となった。
しかしこの内紛に民はうんざりしており、情報庁はサンジュハルト軍もその領地を治めきれずに崩壊するのではないかとの報告書を陛下に提出した。
10月
陛下の次男、ダンベスター親王がご成人。帝国軍大将を拝命。
11月
ブラウヒルトで反乱を起こしていたバイエデンバー地方司令が病死。この情報をいち早くつかんだ帝国軍はブラウヒルトへ進駐、そのまま支配下に復帰させた。
12月
ダンベスター親王がブラウヒルト大公の爵位を受ける。

テッセソン侯の残党を纏め上げ、任地を守り続けたレトゥス・ケルンブルク元帥が病死、享年62歳。
ビュベルク、レイムビアウ、ケススタンなど、帝国の名だたる武将を翻弄し続けた不屈の名将がこの世を去った。
ブルタン陥落以来行方不明の養子フィラデルジヤに代わって縁戚のアグゴリィが後を継ぐ。
名声147

112年

4月
レトゥス・ケルンブルク亡き後、後継者アグゴリィ・ケルンブルクが率いるテッセソン侯の残党は帝国にとって非常に目障りな存在となった。
名将といわれたレトゥスは帝国に歯向かうことが自滅につながるということを弁えており、帝国に侵攻することはなかったが、
とくに有能というわけではないアグゴリィが先代と同じ考えを持っているとは限らなかったからである。
そこでケススタン宰相はある作戦を陛下に提案する。
すなわち両国の間に位置する反乱軍、アドルッツ軍を逆賊としてこれを討つようアグゴリィに勅命を出し、彼の態度を試すのである。
陛下はこれに賛成し、陛下の詔書を携えた勅使がアグゴリィの元に向かった。アグゴリィはすんなりとこの勅命を受け入れ、帝国に敵対する意思がないことを示した。
7月
ローエンクナーの東部方面軍を率いるエドバーン・ローフェン少将は帝都の評定にて、

「タスクベルク軍が瓦解して北方の脅威が去った今、帝国が矛先を転じるべきは東である。名将レトゥス・ケルンブルク亡きケルンブルク軍、恐るるに足りず。
これを滅ぼして東方への道を開き、東方を平定してしかる後に西方の大国ラスケルン軍と戦うべきであり、そのために今一度、我が東部方面軍は増強されるべきである。」

との主張を展開。これに対しケススタン宰相は、

「ラスケルン軍の兵力を考慮すると東方に積極的な攻勢をかけるに足る兵力は割けず、仮に全力をもって東方を平定したところで消耗した戦力でラスケルン軍に対抗できようか。
その上ケルンブルク軍は先に帝国の勅命に従うことで誠意を示しており、それを攻撃することは諸国からの信頼を失うことになり、愚策である。」

と反論、陛下はケススタン宰相の意見を正論とされ、東部方面軍の増強案は否決された。
しかし陛下の側近からはローフェンは今回の決定に不満を抱いており、何らかの処置をとらなければ謀反を起こす可能性もある、との意見が上がり、
陛下はこれを聞き入れてローフェンに中将の位をお与えになった。しかし当然諸将の納得は得られず、ローフェンが賄賂を贈ったのではないかとの憶測まで持ち上がった。


この年、タスクベルク軍と訣別したサンジュハルト軍が反乱によって分裂し、ついに教祖ヒューアーン・タスクベルクが築き上げた大国は脆くも崩れ去った。

113年

1月
ゲッテンバーク軍、テッセソン侯併合の功労者であり、帝国の復興に大きく貢献したマールヴァルト・ケススタン宰相兼参謀長が病死。享年59歳。
盛大な葬儀が行われ、エーインランス大学の学生たちによって彼の銅像が作られた。参謀長の後任にはダンベスター親王が選ばれる。
名声88
2月
空席となった宰相の位をめぐってはケススタン宰相が後継候補を選んでおらず、ケススタン宰相の派閥に属していた武将の中では対立が起きていた。
たとえば、ローフェンはケススタン派に属していたが、先の一件から諸将に疎まれ、候補にはなれなかった。
その他の武将も他国の出身である、階級が低いなど決め手を欠いており、月が替わっても有力な人物は現れなかった。
結局次期候補は擁立されず、混乱を避けるため、陛下は有能でどの派閥にも属さないモム・ハスリア少将を抜擢する形となった。

アルフェルトのトルバーク地方司令が反乱を起こす。

5月
ジムリヒトのビュメッツ地方司令が反乱を起こす。これによりラウジェン、ダンベスター両殿下の所領は孤立し、それぞれ反乱鎮圧に当たる。
6月
世間はサンジュハルト軍の宰相であるセラザク・カースタンのことを「北の飢えた鷲」と呼ぶようになる。

反乱を起こしていたアルフェルトのトルバーク地方司令がダンベスター親王の説得に応じて降伏。ダンベスター親王は帝国に無事合流を果たした。

7月
ダンベスター親王はトルバークを伴って帝都へ帰還、陛下はトルバークの身柄を保証し、准将の位をお与えになった。
トルバークはその後も大公の任地ブラウヒルトで親王に仕えることが決まった。

画像、能力値など

▲ダンベスター大公は兄ラウジェン皇太子とも親しかったが、殿下も同様乗馬がおできにならなかった。
▲ハスリア宰相は謀略家であった。ケススタン派の内部対立も彼が煽った節があり、警戒すべき、いや、しなければならなかった人物でもあった…
▲若干人望に欠ける主君サンジュハルトを陰からよく支え、タスクベルク軍との決別の際も迷う主君の背中を押すなど、よき相談相手でもあった。
最終更新:2009年02月09日 12:24
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