プレイレポート > オストラント年代記 > 私とオストラントのこと

私はラインハウゼンのウォルター。傭兵隊「雷鳴団」の隊長をやっている。
知り合いの馬商人からは傭兵の仕事は割に合わない、とよく言われる。確かにそうだ。
村ひとつ略奪したところで、奪ったものの大半は部下の給料に消えていく。
奴のほうが私などよりもっと稼いでいることだろう。
ではなぜ傭兵をやるのか。手柄を立てて出世し、歴史に名を残すためだ。
そう思いながら、長年この仕事をやってきた。
何度も危険な目に遭い、挙句の果てには右目を失う始末。
敵将を討ち取るだとか味方を危機から救うだとか、そんな功績は皆無。
普通にやっていては歴史に名を残すことなんぞできやしない。
じゃあどうするか。後世に残るものを作ればいい。そう、年代記だ。



我々が暮らすオストラントはかつて西方の山脈の向こうに位置する帝国の属州であった。
その名残としてオストラントの国々は現在も帝国暦を使用している。
峠を越えてきた帝国軍がこの地域を征服したのは帝国暦32年。
オストラントは帝国の属州となり、帝国の支配を受けることとなった。
しかし帝国の統治は緩く、族長たちは国王を名乗ることを許され、代わりに帝国に貢物を納めることを義務付けられた。
貢物といってもその地域の特産物を帝都市民のために供給することが目的であり、
苛斂誅求というほど大袈裟なものでもなかったので、諸国も反乱を起こすことなく平和な時代が続いた。
そこへ新たな脅威が現れた。南西部から荒地の民スィール族が侵入し、帝国軍を駆逐してオストラントに居座ったのだ。
やがて75年、帝国は正式にオストラントを放棄、帝国の方面軍は本国へと撤退していった。
だが、オストラントの民に撤退する先はなかった。彼らはスィール族と戦う道を選ぶ。
このころには中央部を抜けてオストラント東部にまで勢力を伸ばしていたスィール族だったが、
今は亡き名将アーベル・ラベンツラフを中心とした諸国連合軍の大規模な反攻作戦により、大陸中央部はオストラント人の手に戻った。
その後もスィールとオストラントの諸侯はそれぞれに内部対立を抱えながらも戦争を続け、オストラントは帝国暦100年を迎えた。
各地の戦線では膠着状態が続き、勢力の均衡が保たれているが、現在のオストラントを取り巻く情勢は穏やかではない。
帝国の元老院ではオストラントの奪還が盛んに論議され、東方の騎馬民族、ベグルク族は豊かなオストラントを虎視眈々と狙っているらしい。
諸侯は新たな敵が現れる前にオストラントに覇権を確立しようと考えており、均衡が破れるのもそう遠い日のことではないだろう・・・
最終更新:2009年03月21日 10:36
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