1,生涯(800.1~803.5)

800年1月勢力図(ベイシンフェルト国は大陸東部中央の紫色)

800年1月、当時 48歳のレオリアン・マニウス・ベイシンフェルト(以下マニウス)は大陸の歴史ある国、ベイシンフェルト国の君主であり大陸に勢力を誇る群雄の一人であった。

同年2月、嫡子のなかった彼は継承者としてダンピクス・オピテル・ベイシンフェルト(旧姓不詳)を養子に迎える。

しばらくは外交や内政に力を注いでいたが、翌年の801年1月、後の世まで、その名声を轟かせることになる戦いがおこる・・・
サムソラー領ケルンラークに侵攻。後にケルンラーク会戦と呼ばれた戦いにおいて、サムソラー軍と対戦。陣頭に立つ。

「皆久方ぶりの戦だが各隊油断せず奮闘してくれ!」
ベイシンフェルト国は久しく戦争をしていなかったがかつては君主であるマニウスの軍事センスで数々の勝利を得ていた。
しかし、少々独断に走り気味の彼は己の軍事センスによってしばしば部下とは作戦計画などでぶつかっていたため人望に厚いとは言い難かった。
「全軍、サムソラー軍は数は多いが弱兵の集まりだ!突撃し一気に蹴散らせ!突撃!」
サムソラー軍は昔から弱兵の集まりと評判だったので久方ぶりとはいえ軍事強国ベイシンフェルト軍の突撃に恐れおののいて崩れると確信していた。
ウォォォォォォォォォ・・・
自らも陣頭を走り敵陣に突っ込んでいく。
「べ、ベイシンフェルトの軍だ・・・」
「ひぃ、逃げろ―!」
サムソラー軍は恐慌に陥り見る見る陣が崩れていく。

その後崩れた敵陣を蹂躙しマニウスひきいる軍は大勝利を得た。
彼の予想は的中し見事ケルンラークを制圧したのであった。

しかし出兵から帰還する前にセウェルス軍の来襲を知らせる使者が来た。
急いで首都の西のレイテデンバーに向かったが間に合わず、大陸中央への交通の要衝レイテデンバーを取られてしまった。

801年4月、レイテデンバーを取られ大陸中央への街道を断たれて以来外交、通商に支障が出た。
そしてセウェルス国にからの出陣の脅しもかかったため遂に彼は降伏を決断した。
旧領は没収されたが、セウェルス国君主のセプティミウス・セウェルスに軍事的な才能が認められ上級大将として迎え入れられた。
後に彼は
「国は失い失意に暮れていたが彼― セプティミウス・セウェルス ―の人物に惚れこんでしまった。また働こうと思ったのも彼の人物に触れたからだった」
と語っている。

801年7月、セウェルス国首都のハスウィルに配属されていたが故郷の隣接地であるレイテデンバーの地を拠点とする、マーヴェン・ジムタン元帥揮下の南東部方面軍に配属される。
故郷に近く自らの旧領であるところへ配属と知った彼は大層喜んだと伝えられている。

801年8月、この月の人事で、セウェルス国、文官として処務にあたる任を司る。軍事センスを買われて登用された彼だったが何よりも故郷の旧家であったベイシンフェルト家の一族であるので半年後から故郷の隣接地であるローデンツラフの地への赴任が決まる。

801年11月、内政へ赴く準備にあたっていた彼は宰相であるナイエイン・アクスブレに出会い意気投合。
歳の差は25歳もあったが二人は今後とも協力していくことを誓う。

802年3月、君主の指示どおり、住民の支持を得るべくローデンツラフの地へ赴任する。
任期は五カ月、到着した際は住民の歓迎を以って迎えられ上々な滑り出しだった。

802年8月、才より努力を持って住民支持向上のまずまずの成果は上げた彼はローデンツラフの地をあとにし故郷のビュへ帰る。

803年5月、君主の指示によって、首都ハスベラムの内政を担当することになった。
しかし、翌月に病を得て任務を降りた。そして故郷へ引退することとした。

隠遁し療養のため自宅へこもっていたが803年8月、故郷のビュの自宅において病が悪化し逝去。

享年 52歳。死に際して宰相で友人であったナイエイン・アクスブレは深く悲しみビュの地に彼の石碑を建てたとされる。

最終更新:2012年11月29日 20:55
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