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イプソ・ファクト(前編)」(2010/05/12 (水) 15:37:44) の最新版変更点

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**二人の黒い疵男 ◆AO7VTfSi26 「……ふざけたマネをしやがって……!!」 人気がまるで感じられぬ、静かな競技場の一室。 隻眼隻腕の黒い剣士―――ガッツは、自らに殺し合えと告げた者達へと怒りを露にした。 強敵ガニシュカを退け、目的地たる妖精郷へと船を出せると思っていた矢先の拉致。 ようやく見えた光明を潰され、挙句の果てには殺しあえと告げられ……これで怒りを抑えろというのが無理な話だろう。 「何が目的かは知らねぇが……覚悟は出来てんだろうな……!!」 相手が何者であるか、何が目的であるか。 そんな至極当然の疑問も、今のガッツにとってはどうでもいいことであった。 あるのはただ一つ。 例えどの様な事があろうと、主催者をこの手で完全に叩き潰す。 そして、待っている仲間達の下へと帰る。 その強い一念のみであった。 (とりあえず……まずは、武器をどうにかしないとな) 自らの方針を固めたガッツがまず最初に取った行動は、支給品の確認であった。 彼はこの場に立たされた時、これまで身に着けていた武具の全てを奪われていた。 愛剣のドラゴンころしは勿論、左手の義手に仕込んだ矢や火砲、更には狂戦士の甲冑までもだ。 いかに超人的な身体能力を持つガッツといえど、丸腰では流石に戦うことは出来ない。 傍らに置かれているデイパックを開け、中を覗き込んでみる。 (水と食料、ランタンに地図……こいつは名簿か? もしかすると知っている奴がいるかもしれねぇし、後で確認する必要があるな……ん?) 基本的な支給品の下に、黒光りする何かが埋もれているのを見つける。 ガッツはもしやと思い、それに手を伸ばして引っ張り出し……その全体像を見て、微かな笑みを浮かべる。 (……面白ぇもんが入ってるじゃねぇか) ガッツが手にしたのは、ドラゴンころしにも匹敵するであろう全長を誇る、巨大なノコギリ刀であった。 同伴されていた説明書によると、その名は『キリバチ』……アーロンという海賊が用いていた得物との事だ。 よくもまあ、こんなものがデイパックの中に納まっていたものだ。 そう思いつつ、ガッツは柄を握り締めて軽く素振りをしてみようとする。 ――――――その時だった。 「誰か、そこにいるのか?」 「――――ッ!!」 突然、部屋の外から己を呼ぶ声が聞こえてきた。 ガッツはとっさに扉の方へと向き直り、声の主を警戒。 いつでも跳びかかれるよう、僅かに距離を離して相手の出方を伺う。 「……誰だ?」 「そう警戒しなくてもいい……と言うのは、流石にこの状況じゃ無理な話だな。  私はこの殺し合いには乗っていないが、君はどうなんだ?」 「生憎、俺もあんな連中の思い通りになるつもりはねぇが……  あんたが、本当に乗っていないって証拠はあんのか?」 「それはお互い様じゃないか?」 「ハッ……確かにな」 ドア越しに、互いの事を苦笑し合う。 この状況で相手を疑うのは、そのまま自分を疑ってくれと言っているようなものだ。 そしてそれが正しいと判断する材料も無ければ、その逆もまた然り。 ならば、こうして姿も見ずに問答を続けるのは馬鹿げた話だろう。 「いいぜ、入りな。  お互いにおかしなマネをすれば、その時は遠慮なく切り倒すって条件付だがよ」 「ああ、それじゃあ失礼しようか」 返事と共に、声の主はドアを開いた。 ガッツは相変わらずキリバチを構えたまま、その人物を出迎えた。 「私はブラック・ジャックという者だ。  疑う様なマネをしてすまなかったな」 「気にするな、寧ろあれは当然の行動だ。  俺はガッツだ、宜しく頼む」 その男―――ブラック・ジャックは挨拶をすると共に、左手に握り締めていた投げナイフをコートの内ポケットにしまい込む。 そして、無手となった左手をガッツへと差し出してきた。 友好の握手というわけだろう、ガッツもキリバチを置いてそれに応えようとするが、ふと寸前で手を引っ込めてしまった。 「どうした、まだ疑っているのか?」 「いや、そうじゃねぇ。  悪いが俺の左手は義手なんでな、それじゃあ失礼だろ?」 「ああ、そういう事か。  それはすまないな」 ガッツの気持ちを察し、ブラック・ジャックも左手を引いて代わりに右手を差し出す。 これにはガッツも素直に応じ、その手を握り締めた。 互いに空いている手で何かを仕掛けようという様子も無く、どうやら殺し合いに乗っていないというのは信じてもいいと判断する。 ようやく緊張が解け、ここで二人は軽い溜息を着いた。 「しかし、隻腕に隻眼か……顔や手の疵からして、体の方も結構な様子らしいな?」 「ああ、そうだが……よく分かったな。  同じ身の上だからってとこか?」 二人がお互いの姿を見て最初に思ったのは、『自分達はよく似ている』という事だった。 身に纏う衣服は、共通して黒。 同じく黒いその頭髪には、正反対の白髪が混じっている。 そして何よりも、互いの肉体だ。 ガッツは隻眼隻腕という重傷に加え、体中の至る所に癒えぬ傷痕が残されている。 襲い来る数多くの使徒や、自らが扱う狂戦士の甲冑により付けられた、今日まで生きてこれたのが不思議な程の重傷だ。 一方ブラック・ジャックはというと、ガッツの様なハンデキャップこそ無いものの、その全身はやはり同様だった。 幼少時に遭遇した不発弾事故が原因による、無数の手術跡が彼の肉体にはある。 その最たるものと言えるのが、左右で色が違う顔面の皮膚だろう。 ――――――こうも共通点が多い相手に、よく出会えたものだ。 二人とも、この事実には苦笑せざるを得なかった。 「それもあるが、私は医者なのでね。  職業柄というものさ」 「へぇ、医者か……そいつは頼もしい相手に出会えたもんだな」 ブラック・ジャックが医師であるという事に、ガッツは少々の安心を覚えた。 この舞台では、いつどの様な傷を負うかは分からない。 故に、もしもの時に治療が行えるか否かでは、身の振り方が大きく違ってくる。 その為、ブラック・ジャックと行動を共にできれば、それは大きなアベレージとなる。 ――――――しかしこの時、ガッツはある重要な事実を失念していた。 「……いや。  残念ながら今の私では、大した事は出来ないだろう」 「何……?」 確かに医師であるブラック・ジャックには治療行為が出来る。 しかし『今の』彼には、それをするのには致命的に足りないものがあるのだ。 ガッツはそんな彼の言葉について、しばし考え、そして数秒程して答えに辿り着く。 「そうか……薬も道具もないんじゃ、どうしようもねぇな」 「ああ……今の私にあるのといえば、この投げナイフぐらいだよ」 ブラック・ジャックは、常備している全ての医療道具を没収されていたのだ。 メスやハサミは言うまでもなく、薬も使い方次第では毒になりうる。 殺し合いに利用させる為、他の誰かへと支給させたのだろう。 そして、ブラック・ジャックにはその代わりとして、投げナイフが何本か支給された。 これで出来ることといえば、精々ランタンの火を利用して傷口を焼き塞ぐ事ぐらいだ。 「ガッツ、君はこれからの行動について何か定めている方針はあるか?」 「方針か……この殺し合いを開きやがった奴を叩きのめすのは当然として、これからどうするかは、特に考えてねぇな」 「そうか……それなら、すまないが少し私に付き合ってはもらえないか?  向かいたい場所があるんだ」 ブラック・ジャックはデイパックから地図を取り出し、ある場所を指差した。 それは彼にとって、必要な物資を入手できる貴重な施設であり、ガッツもその意図をすぐに察した。 「成る程、病院か……確かにここなら、薬なり包帯なり揃っていそうだな」 「ああ、人もそれなりに集まりやすい場所だ。  誰かと接触できれば、何かしらの情報も収集できるだろう……引き受けてはもらえるか?」 ブラック・ジャックは、病院を目指すつもりでいた。 目的は二つ、治療道具の入手並びに他の参加者との接触。 後者はこの殺し合いをどうにかする為。 そして前者は、治療行為をいつでも行えるようにする為だ。 この舞台では、誰がいつ致命的な傷を負うかは分からない。 一介の医師として、彼はそれを見逃す訳にはいかなかった。 言うなれば、これは医師としての使命感だろう。 「いいぜ、断る理由もねぇ」 ガッツはこの頼みを承諾する。 デメリットは一切無い、彼にとっても得な話だ。 これで、今後の方針は定まった。 「よし……それじゃあ、早速行くとしようか?」 行動は早い方がいい。 二人は部屋を出て、競技場の出口へと足を運ぼうとする……が。 その最中、ふとガッツが何かに気がついた。 「あ……ちょっと待ってくれねぇか?」 「構わないが、どうしたんだ?」 「いや、つい忘れていたんだがな……名簿をまだ確認してなかったんでな」 「名簿か……そういえば、私もまだだったな。  確かあの連中は、最初の放送が終わってからやっと見えると言っていたが……」  二人は、自分達がまだ名簿を見ていないことを思い出し、取り出してみる。 もっともゲームが始まって間もない今の時点では、名簿はただの白紙でしかない。 ならば見ても意味がないのではないか、そう言われると……答えは否である。 「最初の放送か……特殊な薬品か何かを使って、時間が経てば浮き出るような仕組みか?」 「さあな……俺には、そういうのはさっぱり分からねぇ。  けど気になるのが、どうして最初から名前を書かねぇのかって事だよな」 「ああ、それがどうにも引っかかっているんだ」 名簿が白紙であるという事実、それ自体に何かが隠されているのではないかと二人には思えたからだ。 ブラック・ジャックは名簿を細かく見てみるが、少なくとも肉眼では、薬品等が使われている痕跡は見られない。 これに関しては、最初の放送とやらを待つ以外に確かめる方法は恐らく無いだろう。 そして、それ以上に二人にとって引っかかっていたのが、何故最初から名前を記さないのかということであった。 態々、こんな面倒な形をとる必要が何故あったのか。 「……殺し合いを促進させる為か?」 「ありえるな。  後になって大事な連中が参加してるって分かれば、混乱しちまう奴が確実に出てきかねねぇ」 これについては、殺し合いを促進させるのが目的ではないかと推測できる。 最初から教えるよりも後になって発覚させた方が、参加者にかけられる心理的揺さぶりは大きくなる。 実に手の込んだ真似をしてくれる……二人は主催者に対し、軽い溜息を着いた。 「ブラック・ジャック、あの広場にあんたの知り合いはいたか?」 「いや、生憎ながら呆気に取られて確認が出来なかった。  君も同じか?」 「ああ……全く、厄介な事になりそうだぜ」 二人とも、自分達の知り合いが参加できていたかどうかを、広場では確認する事ができなかった。 全ては第一放送を待つしかない……不安の残る形ではあるが、ここで悩んでいても仕方が無い。 二人は名簿をしまい、歩みを再開させた。 ――――――この時、二人は思ってもみなかっただろう。 ――――――黒い医師には、対極に当たる信念を持つもう一人の医師がいることを。 ――――――黒い剣士には、最も憎むべき最大の宿敵がいることを。 ――――――この会場には、それぞれに決して相容れぬ存在がいる事を。 【B-5/競技場内/深夜】 【ガッツ@ベルセルク】  [状態]:健康  [装備]:キリバチ@ワンピース  [道具]:基本支給品一式、不明支給品1個(未確認)  [思考]  基本:殺し合いの主催者を叩き潰し、仲間の下へ帰る   1:ブラック・ジャックと共に病院を目指す  [備考]   ※原作32巻、ゾッドと共にガニシュカを撃退した後からの参戦です。   ※左手の義手に仕込まれた火砲と矢、身に着けていた狂戦士の甲冑は没収されています。 【キリバチ@ワンピース】 魚人海賊団の団長アーロンが扱っていた、巨大なノコギリ刀。 その全長はアーロンの身の丈程ある(恐らくは2メートル程度)。 【ブラック・ジャック@ブラック・ジャック】  [状態]:健康  [装備]:ヒューズの投げナイフ(10/10)@鋼の錬金術師  [道具]:基本支給品一式  [思考]  基本:主催者を止め、会場から脱出する。   1:ガッツと共に病院を目指し、医療器具を入手する。  [備考]   ※コートに仕込んでいるメス等の手術道具は、全て没収されています。 【ヒューズの投げナイフ@鋼の錬金術師】 マース・ヒューズ中佐が愛用していた投げナイフ。 掌に収まるほどの小さなサイズだが、刃には十分な鋭さがある。 **時系列順で読む Back:[[狂った飢餓妖怪]] Next:[[黒い符術師]] **投下順で読む Back:[[狂った飢餓妖怪]] Next:[[黒い符術師]] #divid(table_strip){ |&color(yellow){GAME START}|ガッツ|045:[[焔は選び、闇に消え…]]| |&color(yellow){GAME START}|ブラック・ジャック|045:[[焔は選び、闇に消え…]]| } ----
*イプソ・ファクト(前編)  夜明けの空を嘲笑うかのように鳴り渡る軽やかな着信のメロディ。本郷は荷物の中から携帯電話を探り当てると、それを開いた。  掌の半分ほどしかない画面の中で嫌らしい笑いを浮かべる女の顔が細部まではっきりと見て取れる。その技術には感心というよりは、嫌悪を抱かざるを得ない。  知恵と力とを、歪んだ欲望のために使う悪への怒りだ。  その燃え滾る感情は、次の瞬間冷たい衝撃にかき消される。  呼び上げられた中に、知人の名があったからだ。それも一つではなく、二つ。  一文字の名を耳にすることは覚悟していた。だが、『おやっさん』までもが命を奪われたとは。  恩人であり家族にすら近かった人の名が、凍り付いた手となって彼の心臓をわしづかみにする。息を詰まらせるその感覚を振り払うため、本郷は己の胸に熱い意思を点した。  立花藤兵衛が自分を導いてくれたように、他のライダーたちを導く。仮面ライダー一号ーーーー最初の仮面ライダーとして。  本郷は強く心に決めると、携帯を荷物の中に押し込んだ。朝陽に煌めく一文字の首輪が、今一度彼の心を捕える。  これをそのままにしていれば、一文字を生き返らせることができたーーーー少なくとも放送はそう言っていた。自分のしたことを考えて、気持ちが揺らがないわけがない。  だが、頭ではわかっている。あの連中の手を借りて一文字を復活させるには、誘いに乗って他の参加者を抹殺せねばならないのだ。  応じた所で彼らが約束を守ると言う保証はなくーーーーいや、たとえ保証があったとしてもそれは自ら悪に堕すると言うことであり、己の心が許さない。  一刻も早く首輪の秘密を探り、これを解除して主催者たちを打倒しなければ。本郷は気持ちを改めて地図を見直した。  首輪の解析手段がある場所といえば研究所か、あるいは大学か。いずれにしても地図では北方に記されている。  丸々歩いたのでは時間がかかりすぎる。この状況で、時間は何よりも貴重だ。  先ほどの放送によれば、近いうちに列車が通過するゾーンの一部が禁止区域になるという。つまりその後は、せっかくの交通手段が分断され、北まで抜けるには電車を一度降りて禁止区域を迂回しなくてはならなくなるわけだ。  ならば今のうちに、列車を使って一気に北に抜けてしまった方がいい。  関連施設が北に偏っている以上、首輪を解除しようと考える人間の多くが北に集まって来るだろう。仲間を見つけることも可能なはずだ。  幸い、今自分のいる場所からは駅のありそうな放送局が近い。彼は地図を畳み、目指す方向に向けて歩き出した。  市街地の町並みはこぎれいに整っていて、とても死の遊戯の舞台とは思えない。大都市というほどの賑やかさではないのが、余計に違和感を醸し出す。  四階建ての小さな放送局の前に、駅はあった。  道路を横切る踏切は僅かに錆び付き、鮮やかなはずの黄色は朝の赤みを帯びた陽光に痛々しく濁っている。開け放たれた改札を通ってホームに登ると、壁から半端に剥がされたポスターが目に入った。  彼らは何のために、わざわざこんな大掛かりな惨劇を仕掛けたのだろうかと思う。規模も大きければ、結果も深刻なものだ。ショッカーと同じかそれ以上の技術と勢力がなければ、発案も実現も不可能だろう。  やはり何らかの形で世界を支配することを目的としているのか。  だとすれば、止めねばなるまい。なんとしてでも。  彼は荷物の中から、鈍色の首輪を取り出した。冷たい表面に指で触れるだけで、友を失った悲嘆が胸に込み上げて来る。その感情を押し殺しつつ、せめて待ち時間を有効に使おうと金属の固まりに目を落とす。  輪の内側は中が見えないほどに細かいメッシュ状になっている。なにより気になったのは、そこにこびりついた白い汚れだった。指でこすり落としてみると、粘りはないがしっとりとした感触がある。灰とも違うし、汗の塩分が固まったわけでもなさそうだ。  試しに匂いを嗅いでみるが、ほのかに甘い香りがするだけで特に刺激臭はない。これを調べれば、何かわかることもあるだろう。そう考えているうちに、列車が到着した。  普通に乗り込もうとした直前、本郷はふと思い付いて車両の連結部に駆け寄った。  車両内では死角が多く、もし悪意のある存在が乗り込んで来た時に気づくのが遅れれば致命的な事態になりかねない。  幸い、この車両にはパンタグラフがない。線路上の警告表示を見ると、地上から電気を供給しているのだろう。となると、屋根の上に潜伏していれば安全に他の乗降客を見定めることができる。  彼は窓枠を手がかりに電車の屋根に登ると、先頭車両の最前部まで歩いてその場に膝をついた。こうすれば、端から見ても目立ちにくいはずだ。  軽やかなチャイムとともに列車が動き出す。静かに揺れ動く町並みは、彼を名残惜しげに見送るようにもみえた。           *   *   *  風のエルは、朝の大気に乾いた唇を今一度舐めた。  そろそろ放送の時刻だが、そのことすら忘れていた。仮に覚えていた所で、誰が死のうと、御使いには関係のないことだ。  彼が求めるのは力ある者、死に敗北するものたちではない。創造主の掟を犯すものを狩り、リヴァイアサンのごとく飲み下すこと。自分はそのために翼を得たのだと、風のエルは血に酔った魂で考えていた。  力持つ者たちの血は、まさに力を持つがゆえに甘い。主がアギトを憎む理由がその力であることを、彼は漠然と理解している。創造主の愛すべき羊として飼われるために生まれた人間どもは、己の足で立つべきではないのだ。  だが……己の足で立つことを覚えた者たちの血は、水よりも濃く、甘い。  墜ちた天使は飢えた猛禽の瞳で、森の木々が途切れる方角を見た。  街灯が一つずつ消えて行く様子で、そこに人の子が歩む道があることを知る。  ならば我は人の前に立ちはだかり、彼らを狩るのみ。  風のエルは浮ついた足取りで、道の開けた方角へと向かう。禁断の果実を味わうために。  その背には、神から授かった翼の名残りが刻まれている。  道路と線路が並走している辺りに、くたびれた駅がある。柵のペンキははがれてまだらになり、ホームの半分ほどを覆う屋根もいくらか破れ穴が空いていた。  風のエルは空を求めるように線路からホームへ、ホームから柵へ、柵から屋根の上へと飛び上がった。さざめく木々の間、水平線から弱々しく漏れ出した暁光に浮かび上がるシルエットは天使とも悪魔ともつかない異形の美しさだ。  耳障りな音を立てて、鋼鉄の蛇が駅へと滑り込んで来る。無造作に屋根に飛び移ったエルを乗せ、列車はゆっくりと走り出した。           *   *   *  立たせたあとも自分の手を握ったままで離そうとしないのは、おそらく不安の現れだろう。 「歩ける?」  訊ねると、真魚は小さく頷いた。そっと手を解きながら、澤田は続けた。 「彼らの後を追いかける。いいよね」  彼の言葉に、少女がはっと目を見開く。やはり恐いのだろう。それはわかっているが、今は彼女の不安を取り除くよりも先を急がなければならない理由がある。  相手が無力なうちに、息の根を止めなくてはならない。  むろん、今は澤田自身も変身出来ない。そのかわりというのもおこがましいが、真魚に支給された銃がある。  ライダーとはいえ所詮は人間。変身を封じられた状態であれば、銃でも殺せるはずだ。問題は、相手がオルフェノクのような怪人であった場合だが……。  不死身の参加者はいない。詳しいことは知らされなかったが、少なくともすべての参加者は殺すことができるということを、彼は村上に確約されていた。  一発で倒せないなら二発。それでも駄目なら三発。すべての弾を使いきってなおとどめをさせなかったとなれば、そのとき改めて逃げればいい。全弾を空撃ちでもしない限り、追走を送らせる程度の傷は負わせることができるはずだ。  現実的な計算を巡らせる澤田と裏腹に、真魚の顔は青ざめている。誰かを傷つけることを恐れるのは、人間ならばありがちの感情だ。 「君のためなんだ。ああいう連中をどうにかしないと、そのうち君が殺される」  ーーーーそんなことになったら困る。君を殺すのは俺でなくちゃいけない。  真魚と自分自身、二人にそう言い聞かせると、彼は真魚の荷物から予備弾を取り出してリボルバーに詰め直した。銃とともに支給された弾はこれが総て。もともと生身の人間にしか効かない非力な武器だが、これでは本当に気休めどまりだ。  その分自分が彼女を守らなければならない、ということになる。  それもいい。それだけ心を砕いた相手すら、自分はこの手で殺せるーーーーそのことを見せつければよいのだから。  もしここにラッキークローバーの誰かがいれば、彼女を守ると言う事実そのものが澤田が感情に振り回されている証拠だと指摘したかもしれない。そして、彼はなおさら自分自身への怒りにとらわれたことだろう。  それをする者がいないのは幸いなことなのか、それとも不幸なことなのか。今は誰にも答えようがなかった。  木々がまばらになって来たあたりで、苛立たしいアラーム音が響き渡る。打たれたように足を止めた真魚をそのままに、澤田はポケットから携帯を取り出した。  白々しい女の声が、無造作に死者の名を告げる。澤田は同じくらい無造作にそれを聞き、数を数えた。まだ八割がたの障害が残っている。先は長い。  傍らを見やると、真魚は今にも泣き出しそうな顔をしている。 「知ってる人、いたの?」  少女は黙って首を振った。 「そう。俺は少しだけ安心したよ」 「え……?」  驚いて目を見開く真魚から顔をそらしたまま、澤田は言葉を継ぐ。 「君を傷つける人が減ってくれたんだからね」  それは彼の本心でもあり、本心を偽る言葉でもある。それを聞いて、真魚は足を止めた。  歩き続ける澤田の背後から、苦い問いをぶつける。 「みんな、怪物なんですか」 「そう思わないと、傷つくよ」  少年は、その場に立ち尽くす彼女を振り返った。 「君には、傷ついてほしくない。誰にも殺されてほしくないんだ。だから……」  誘うように腕を伸ばす。  少女はその手にすがるしかないことを、彼はもう確信していた。           *   *   *  駅前へと続く大通りが見えて来た所で、荷物が軽やかな音を立てた。 「デネブ、ちょっと待ってくれ」 「どうした加賀美。忘れ物か?」 「違うって。荷物の中……」  デネブに担がれたまま、バイブ機能を手がかりに携帯を引っ張り出す。サブディスプレイに刻まれた時刻はちょうど六時。放送が予告された時間だ。  急いで携帯を開くと、そこには既に女の無機質な笑顔が張り付いていた。  丁寧に読み上げられる名前。幾つ目かを聞いた所で、加賀美の手から携帯が落ちる。 「……そんな……天道、が……?」  愕然と呟く加賀美を背負ったまま、デネブは黙って携帯を拾い上げた。  放送はなおも死者の名前をがなりたてている。デネブの銀色の指が一瞬反射的に力を帯びたせいで、フレームが僅かに軋む。  が、デネブは携帯をふんどしの中にしまい込むと、そのまま足を速めて駅へと急いだ。  デネブの胸板を、加賀美の握りこぶしが叩く。 「くそっ、天道……お前が……ッ!」 「加賀美……」  デネブは不意に足を止めた。 「ごめん、力になれなくて」  大仰に頭を下げる仕草で、加賀美の身体も揺すぶられて痛みがぶり返す。 「そんなんじゃない」  加賀美は苦しげに吐き出した。 「そんなんじゃないんだ。お前のせいじゃない……」  仮面のせいで、デネブが何かをこらえていることは加賀美にはわからない。自分の痛みにとらわれているせいで、デネブの痛みに気づくことさえできない。むしろ、気づかれたらデネブもこらえきれなかったかも知れない。  何も言わないデネブの心遣いは加賀美を救い、加賀美の幼さはデネブを救っていた。この二人、噛み合っていないように見えて実は相性抜群なのだろうか。  割れ鍋に綴じ蓋、という意味でだが。           *   *   *  本郷の目が、彼方に列車の姿をーーーーそして、その上に立つ影を捉えた。  その姿は遠目にも人間のものではないことが見て取れる。なにより、電車の屋根に立っているなど、正気とは思えない。もっともこの点に関しては、彼の言えた義理ではなかったが。  本郷は全身を緊張させながらも、身を低くして相手の様子を伺った。  互いに速度を落とさずに、二つの列車がすれ違おうとする。  目が合った瞬間、怪人の瞳が朱く煌めき、舌なめずりをするのが見えた。  危険だ。本能的にそう思う。と同時に、あることに気づいて本郷は振り返る。  ーーーーあの怪人は、市街地に向かっている。  どれほどの参加者が市街地にいるのかはわからない。だが、あの瞳は紛れもなく、獲物を求める獣のそれだ。今ここで見送れば、どれほどの被害を出すかわからない。  止めなくては。  彼は頭脳ではなく心でそう判断すると、列車の最後尾に向かって走り出した。間を計り、対向列車へと飛び移る。  その場に手をついて体勢を立て直した彼の目の前で、屋根が軋んだ。  揺れる列車の上、獲物を狩る猛禽の瞳がこちらを見据えている。 「お前の血は、何色だ」  羽衣を風に揺らせながら、その獣は問うた。  朝焼けを照り返す羽は血がにじんだような奇妙な色に染まっている。なによりその瞳に宿す飢えと狂気が、見るものに畏れを抱かせる。  ただの人間であれば、恐怖に駆られて逃げ出してもおかしくない。  本郷猛は決して臆病ではなかった。それでも人ならぬもの、人の手にすらよらぬものの気配に、一瞬たじろいだ。  その隙をつくように、風のエルが飛びかかる。  踏みしめられた列車の屋根が悲鳴を上げる音は、レールの苦しげな呻きにかき消されてほとんど聞こえなかった。素早く身を交わした本郷が、傾いだ屋根に足を滑らせて倒れ込む。最前まで彼が立っていた場所は、風のエルの鋭い爪に貫かれていた。  列車が緩いカーブにさしかかり、その勢いで本郷の身体が流れる。屋根の縁に手をかけてどうにか落下を免れた本郷を、風のエルは冷たく見おろした。  苛むのではない。助けるのでもない。見守る、と言う言葉が一番近いだろう。風のエルは待っていた。見守っていた。目の前の人間がその力を示し、這い上がって来るのを。  本郷は腕に力を込めて身体を引き上げた。目の前に、風のエルの白い羽衣が揺れている。 「そうだ、それでいい」  姿勢を立て直す本郷に、風のエルが腕を延ばす。本郷はそれを振り払い、数歩下がって距離を取った。 「変……身!」  足下を鋭く踏みしめ、宙へと舞う。  再び降り立った時、その身は深緑の表皮に覆われていた。  相手が力を得た人間であることを、風のエルは即座に理解した。  と同時に、自分が今完全な力を出せないことも感じている。今は逃げるべき、その考えは頭にあるが、闇雲に背を向けたのではすぐに追いつかれるだろう。血を求める衝動を完全に押さえ切れていないというのもある。  エルはろくに確かめてもいなかった荷物の中から手に触れたものを引きずり出し、それを握って殴りつけた。  仮面ライダーの力を得た両手が、グレネードランチャーの銃身を押さえ込む。変に力がかかった影響で引き金が引かれ、弾が至近距離からライダーの腹を捉えた。  目立った傷を負うほどではないが、衝撃を受け止めた一号が一歩後ずさる。二人の間に煙が立ちこめ、風のエルが僅かにひるんだ。  厚い煙幕の中、本郷は相手に鋭い蹴りを浴びせた。グレネードランチャーがそれを受け止めた勢いで跳ね上げられ、線路脇へと落ちてゆく。  敵わない。  神の英知を分け与えられた怪人は確信した。辺りに煙が立ちこめているのを幸いに、車輛から飛び降りる。そのまま嫌悪を感じながらも列車が向かうとは逆の方向、市街地へと走り出した。  いまここで危険な怪人を見送る法はない。首輪の解析はまだ頭にあったが、本郷はそれよりも目の前の敵を仕留めることを優先すべきだと判断した。幸い、路線の一部が禁止エリアの一部になる前に、もう一本電車があるはずだ。それが来るまでに決着をつける。           *   *   *  ストーブの消えた駅員室で、加賀美はデネブが自分の手当をするに任せている。  デネブは余計なことは何も言わない。ただ、黙々と消毒をし、包帯を巻き続ける。駅員室に救急箱が置かれていたのは助かった。  最後の傷に包帯を巻き終え、デネブが手を下ろす。空になった救急箱を見つめたまま、加賀美は呟いた。 「デネブ、お前結構器用なんだな」  ……ちょっとやり過ぎだと思うけどな。ミイラと見まごうほどぐるぐる巻きにされた腕を見つめながら、加賀美は思う。怪我したのは腹だが、sp例外も包帯まみれにされたことについて贅沢は言わない。誰かが側にいて、一緒に戦ってくれるだけで心強い。  天道が死んだ。その事実そのものが、彼を絶望的なまでに打ちのめす。  常に孤高を保ち、矜持を抱き、その態度にふさわしいだけの実力を備えた男。傍若無人ぶりに苛立つこともあったが、それでも認めざるを得ないほどの輝きを天道総司という男は放っていた。それが一夜のうちに陰り、墜ちるとは。  この場所はどこまで危険なのだろう。  部屋の隅でお茶を入れ始めたデネブのデイパックはやけにふくれている。ここまでの途上でかき集めた山菜類ばかりではなく、支給品に含まれていた大量の弾丸が場所を取っているからだ。  弾丸。銃すらない状態で。  まだガタックに認められる以前、加賀美は銃だけを手にワームと渡り合ったことがある。小口径の銃は言うまでもなく、特殊部隊用のマシンガンブレードすら、よほど上手に使いこなさない限り蛹ワームを倒すことすらおぼつかない。ましてや弾丸だけで何をしろというのか。  強くならなければ、と思う。誰かを守れるほどに。誰かを信じられるほどに。  デネブがプラスチックのお盆を側のテーブルに置いた。 「なあ、デネブ」  山と詰まれたデネブキャンディーとにらめっこをしながら、加賀美は呟く。 「お前は、一人で戦えって言われたらどうする?」 「戦うよ。当然じゃないか」  デネブは答え、ゆっくりとマグカップに緑茶を注ぐ。 「はい、どうぞ……誰かに戦えって言われることは、誰かが何処かで戦ってるってことだ。だから、その人に出会う時のために、できることをすればいい」 「もし、その人がもういなかったら?」  加賀美の問いの意味を察して、デネブが静かに腰を下ろす。 「天道とはもう合流できないーーーーそれは本当かもしれない。でも、天道と同じ気持ちで戦ってる人は、どこかに必ずいるはずだ。だから、その人のために!」  奇麗事だ、とあしらうのは簡単だった。だが、デネブもおそらくそれをわかって、あえて正論を口にしているのだろう。  なにより、天道は奇麗事すら実現してしまう男だった。ここで諦めたら、あの世で笑われる。  加賀美は湯気を立てるお茶を一気に飲み干して立ち上がった。 「もうすぐ電車が来る。ホームに降りよう」 「あ?うん」  手で口を押さえて駅員室を出て行く加賀美を、デネブが追いかける。 「どうした、加賀美。だいじょうぶか?」  半ば涙目の加賀美は、問いかけられて呟いた。 「……お茶が熱かったんだよ。舌を火傷した」 「そうか。ごめん!」  深く頭を下げるデネブをよそに、加賀美は顔をしかめたまま階段を駆け下りた。           *   *   *  必死に市街地を走り抜け、物陰に身を隠す風のエルをライダーが追う。傍目には奇妙な風景だったが、追われる側に取っては深刻な現実だった。  人間。アギト。アギトではないがそれに匹敵する力を持つ人間。人間でもアギトでもない存在。この世は主が破滅を望むのも無理ないほどに汚れている。だがその穢れは禁断の蜜の味。人が溺れても不思議はない。  力あるものの血の味を知った御使いは、そう考える。  エルは荷物から戦いに使えそうなものを一つだけ引きずり出し、残りを捨てた。翼を折られた身には僅かな道具も重荷になる。  羊の皮を被ったこの狼たちを屠るためには、主から与えられた力を出し切らなければならない。その状況に畏れと同時に喜びを抱く風のエルは、もはや御使いと呼ぶにふさわしくないのかもしれないが。  畏れ、怒り、恐怖、歓喜、あらゆるものの入り交じった陶酔感に浸りつつ、エルはその場を見渡す。  辺りは何の変哲もない市街地だ。つぎはぎだらけの塗装を施された道路の所々に、かさぶたよろしくマンホールが埋まっている。淡い光の中、風景はモノクロの写真のように沈黙していた。  研ぎすまされた五感を駆使して、本郷は地に落ちた天使の居場所を探る。  市街地の入り組んだ道路と建造物が視界を遮り、わずかな足音も人が消えた町の生命反応を維持する生活音に紛れて満足に聞きとれない。  僅かになにかが軋むのを聞き、振り返る。  朝日を背に負った影が剣のようなものを振りかざす姿に、本郷は地を蹴った。風のエルが振り下ろしたパーフェクトゼクターが、アスファルトに当たって深い亀裂を刻む。  ライダーは空中で体勢を整えると、足を突き刺さんばかりに延ばして舞い降りた。とっさに剣で受け止めた風のエルが、一瞬の後衝撃で背後に吹き飛ばされる。  本郷が駆け寄るより先に起き上がった風のエルは、身を翻して脇の路地に消えた。本郷も即座にそれを追う。  が、角を曲がった先には誰もいなかった。  次の交差点まで走り抜け、目を凝らして確かめるが、どこにも人の気配はなかった。疑念を抱いたその時、変身が解ける。  無防備になったのでは仕方がない。本郷は一旦追跡を打ち切り、駅へと戻ることにした。逃げた所を見ると、おそらく剣のほかには戦う手段も限られているのだろう。同じように戦う手段を断たれた自分が追いかけても、時間を無駄にするだけだ。  彼は状況を見誤るほど冷静さを失ってはいなかった。  途中で出会ったものたちには、あの怪人に警戒するよう伝えるとしよう。そう心に決め、再び駅を目指して歩き出す。小一時間の無駄ならば、そこまで致命的な事態も起こすまいと信じながら。  彼がまたぎ越したマンホールの一つが、僅かにずれていることには気づかないまま。           *   *   *  一本目の列車には誰も乗って来なかった。このまま待ちぼうけになるのは困るが、とはいえ加賀美も傷を負って疲れている。次の列車までは待ってみることにして、加賀美はホームの椅子に腰を下ろした。  線路を吹き抜ける風は僅かに湿っていて冷たい。それが傷の痛みを打つおかげで、却って頭が冴えて来る。  それは現実の厳しさを思い知らせる感触でもある。  奇跡は起こらない。希望は叶わない。ただ待ち続け、望むだけでは。  だからこそ、この手で掴まなければ。天道が、自らその手で未来を掴んでみせたように。 「なあ、デネブ。せっかくだから、お前の仲間たちのことをもっと話してくれないか」 「いいとも!」  腰に手を当て、胸を張って話し始めるデネブの言葉に、加賀美は全力で聞き入った。柄じゃないのはわかってる。そんな器じゃないかもしれない。でも、早く、たくさん仲間を集めて脱出する。それが、一人では道を切り開けない自分の戦い方だから。                *  腰に刺した銃に違和感があるのか、真魚は時折ベルトの辺りに手を当てている。澤田はそれに気づかぬ振りで歩き続けた。彼女が不安ならむしろ好都合だ。自分だけを頼り、信じるように仕向ければいい。  先ほどは高速で離脱されたとはいえ、青いライダーの消えた方角とその場にある道から方角は北東だろうと見当をつけた。道なりに森を抜けると、東から湿った大気が吹き付けて頬をねぶり始める。  向こうの方に見える明かりは駅だろうか。もし他の参加者が合流していれば厄介なことになる。接触の際は気をつける必要があるだろう。なにより、真魚が疑いを抱かない方法で殺しを受け入れさせたい。  一旦足を止めて振り返ると、真魚が心配そうにこちらを見つめる。 「心配しないで。君は俺が守るから」  自分に言い聞かせるように呟いて、再び歩き出す。真魚は小さく頷いてあとを追った。  駅前の通りには店が建ち並び、その明かりと朝陽に照らされたロータリーの花時計が鮮やかに空を仰いでいる。改札口にも、その付近にも人の姿はない。  駅員室の扉が開いたままになっていることに気づいていれば、澤田も真魚を置いてホームに降りたかも知れない。気づかなかった結果、彼らは連れ立って跨線橋を降りることになった。  ゆっくりと入線する列車のせいで、彼らの足音はかき消されている。だがそれは他の音についても同じだった。  最後の数段を残した所で、ようやく澤田が人影に気づいて立ち止まった。  ホームには黒装束の怪人が突っ立って、なにやら誰かに話しかけている。気取られないようにと壁に張り付いたところで、気づいた真魚が小さく悲鳴を上げた。  怪人とベンチに座っていた男が同時にこちらを見る。 「お前……ッ!」  男の声で発砲の体勢を取ったデネブを見て、澤田はとっさに真魚を庇った。次の瞬間、愚かだったと自嘲する。が、今更突き放すわけにも行かない。  腕の中でぐい、と真魚が自分の服を握りしめるのがわかった。彼自身も覚悟を決めて身を堅くする。  次の瞬間聞こえたのは、火薬がはぜる爆音ではなくーーーー何かが崩れるような轟きだった。           *   *   *  人は恐怖に襲われたとき、世界を否定しようとすることがある。  もともと生まれたばかりの赤ん坊は、己の欲求が満たされない時には世界にその原因を求める。成長するうちに少しずつ彼我の距離を覚え、悲しみを受け入れるようになって行くものの、受け止めきれない重荷にぶつかった時には理性ではなく感情が爆発するのも時には避けられないことだ。  彼女を襲った感情も、それだった。  怪物への恐怖、死の不安、そしてなにより今の状況に対する絶望と怒りが胸を貫き、胃の腑を激しく焼き焦がす。そこにたまった痛みを、彼女は全力で吐き出した。  大気が冷たく震え、背の高いフェンスを揺さぶる。そよ風すら吹いていないにも関わらず広告が歪み、擦れ合った金属が忌々しい音で辺りを引き裂いた。  隣のホームに入って来た列車が、輪をかけて空気を軋ませる。  それが頂点に達した時、一瞬の青い閃光に続いて、耳をつんざくような轟音が響いた。  何かが爆発でもしたかのようにホームの天井が崩れ、降り注ぐ破片で一瞬視界が塞がれる。 「加賀美!」  瓦礫の山を振り返ったデネブが慌てて叫ぶ。  先ほどまでベンチのあった場所は、完全に瓦礫に埋もれていた。  完全に動転した様子の怪人が、一歩一歩こちらへと近づいて来る。 「お、お前たち、何をしたんだ??一体、何がどうなって……」  身体を離して辺りを見回した澤田の目に、銃に絡まる真魚の白い指が映った。  少女は震える手でコルト・パイソンを構え、威嚇するように黒装束の怪人に向ける。その動きだけで、相手は動きを止めた。  ほっとしたように、真魚の緊張が緩む。  澤田は素早く彼女の身体を後ろから抱き寄せると、銃を握る手に自分の指を重ねた。 「え……!?」  悲鳴のような喘ぎを無視して、彼は引き金を引いた。  一発目は肩に。  二発目は腹に。  三発目は胸に。  四発目は崩れ落ちた相手の額をかすめ、五発目と六発目は屈んだ相手のどこに当たったかもわからない。  澤田はトリガーが虚ろな音しか響かせなくなったことに気づき、弾を込め直そうとした。が、倒れ込んで来た少女の身体の重さに拒まれる。  黒い人影はホームに倒れ込んだまま動かない。彼は片腕で真魚を支えてベルトに銃を返すと、床に落ちた相手のデイパックを拾い、彼女を抱き上げてその場を離れた。  相手は攻撃の態勢を取ったが何もできなかった。とすれば、ちょうど弱体化している時間だ。あの距離から銃弾を複数打ち込まれれば、無事ではすまないだろう。  胸元を引っ張られる感触に視線を落とすと、真魚が彼のパーカーを掴んで顔を埋めているのが見えた。           *   *   *  真魚はロータリーを望むベンチに腰掛けたまま黙りこくっている。その頬を伝う涙が服に落ち、膝の辺りに大きな染みを作っていた。  怪人とはいえ、自分が殺した。その考えに苛まれているのだ。  他人を殺すことで胸のつかえを下ろしてきた澤田にとって、彼女の苦しみは理解出来ないーーーーいや、理解出来るからこそしたくないものだった。  誰かの死に痛みを感じるのは人間の心を持つからこそ。そんな感情はもはや人ではない自分には必要ない。  ……その心を持つならば、自分という存在は許されない。  憂鬱な思考にまどろむ意識を振り払おうと、彼は荷物を探った。  今手に入れたバックパックから、泥まみれの山菜と一緒に弾丸のケースが出て来る。どうやら手持ちの銃に使える弾もあるようだ。これで少しはマシになる。  他にも使えそうなものを選んで自分のデイパックに移す。  作業をしている間、真魚はずっと黙ったままで俯いていた。  どう言葉をかけたものかと考えて、ふと自分に支給されたくだらない道具を思い出し、それを引っ張り出す。  参加者への粗品と言うにはあまりに場違いな、最新型のiPod。裏にはご丁寧にスマートブレインの社章が刻印されているが、携帯電話と違って記念品というわけではないだろう。  あらかじめ結構な数の曲が入っていることを確認すると、澤田はイヤホンの片方を差し出して訊ねた。 「何か、聞く?」  真魚は頷いてそれを受け取り、黙ったまま耳に挿す。  彼はもう片方のイヤホンを自分でつけ、適当に指を動かした。流れて来た静かなピアノの旋律は好みではなかったが、彼女が大人しくしているのでそのままにしておく。  ポケットに残っていた紙を深い考えもなく折っていると、真魚が自分の方にもたれかかって来るのを感じた。出来上がった紫陽花の花を差し出すと、細い指がそれを受け取る。  一瞬触れ合ったときの体温には、痛みと同時にかすかな懐かしさがあった。 ---- |051:[[戦いの決断]]|投下順|052:[[イプソ・ファクト(後編)]]| |051:[[戦いの決断]]|時系列順|052:[[イプソ・ファクト(後編)]]| |039:[[太陽背負う闘神]]|[[デネブ]]|052:[[イプソ・ファクト(後編)]]| |039:[[太陽背負う闘神]]|[[加賀美新]]|052:[[イプソ・ファクト(後編)]]| |039:[[太陽背負う闘神]]|[[澤田亜希]]|052:[[イプソ・ファクト(後編)]]| 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