SS美人版 其の弐

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 ジャックは届いた荷物をすっかり片付けてしまい、ギシギシとうるさい音をたてるデスクチェアに身体をあずけると、肺に溜まったヤニ臭い息を疲れと共に吐き出した。 (狭い)  こんな小さな駐在所で事足りるとは日本は安全な国なんだな、と考える。  その次に祖国の情勢を考え、その次にそれと日本を比べ、最後に自分の愛国心の無さにためいきをつく。  国土の狭さと反比例して、日本人の心の広さに気づかされた。  ここまでたどり着くのに、一体何人の人に道を尋ねただろうか。  そしてその誰もが親切に答えてくれた、それだけでここへ来たことが良かったと思える。  やることも特にないので交番の外に出てみる。立ち上がるときにも椅子は音をたてた。  両手を挙げて背筋を伸ばしながら外に出ようとすると、腕が戸口にひっかかった。 (この国は、何もかもが小さすぎる)  自分の身体に合う制服はいつ支給されるのかと思案していると、小さな子供の声を耳にする。  男の子が3人・・・・・声の方から駆けてくる。地元の子だろうか、と彼は思う。  一人は本人の頭よりも大きいサッカーボールを抱えていて、そのあまりの大きさに走りづらそうだ。あとの二人は手ぶらで走っている。  やがて一人が彼に気づく。  つられて残りの二人もこちらを向くが、3人ともがひきつったような表情をしたまま動きを止めている。 (俺は警戒されているのか……?) 「……こんにちは」 「おっちゃん、けーさつかん?」 「ああ」  一番最初に話しかけてきたのは先頭を走っていた男の子だ。  日本語が分かると知ってなのか、とにかく先ほどとは打って変わって明るい表情になった。 「外人でも公務員になれるモンなの?」 「やまちゃん、こーむいんってなに?」 「……おっちゃんは特別なんだ」  ボールを持っている子が、やや不安げにこちらを見上げながら質問してきた。  なんとなく、目をそらしたくなるような雰囲気だ。それが何故かは分からない 「うーむ……」 「どーしたのとみー」  最後の一人は難しい顔をしていたかと思うと 「見えたっ!」  突然叫んだ。 「な、なにがみえたのとみー!?」 「この人、ここの警察の人だ!」 「トミー、それさっきおじさん自ら言ってたよ」 「すっげーとみー! やっぱとみーのうらないはすっげー!」 「ふふん、やっぱり俺の占いは外れないんだぜ!」 「いやだから占う占わない以前に本人が認めてたんだってば」  彼らの言っていることは早口で良く分からなかったが、とにかく楽しそうなので何よりだ。  そういえば 『ああ、ジャックさん? こういうガキんちょが暴れまわってるときはさ  にこやかに話しかけるだけじゃなくてちゃんと注意もしてあげなきゃ。ああ・・・オーケー?』  東京で先輩にこんなようなことを言われていた気がする。  さて・・・・これを日本語でどう表現すればいいのか・・・・日本語は苦手なジャックである。 「もういいじゃん、行こうよ。早くサッカーしよう」 「ねぇねぇ、おじちゃんぶきとかもってんの? けんじゅうとかもってんの?」 「あ、待てよトミー、つかボール持ってよ不公平だよこれ」 「もしかしてれーざーじゅうとかもってる!? こわっ!」 「おーい、置いていくぞアブドゥル!」 「え? ああ、まってー」  ・・・悩んでいる間に子供達は走り去ってしまったようだ。  意味も無く空を見上げる。千切れた雲が適当に飛んでいる。  日本は雨が多い国だと聞いたが、今の天気をみるとそんな気はあまりしてこないのは何故だろうか。 ****  ウチの校庭の砂はやわらかすぎる。  スパイクが掘り出した土は舞い上がり土煙と化す。  しかしもうそんなことを気にする奴なんていなかった。多分俺も気にしてなんかいない。  頭のどこかが気にしているのだが、のこりのほとんどがそんなことに注意しようとしないのだ。  気になること・・・・地面に凹凸が出来やすいからボールのバウンドが変則的になること位・・・・か。  しかしやはりそれもあまり気にならない。  もしくは、気にする余裕がないのだろうか。  そんなどうでもいいことを考えながら走り続ける。見れば校舎の大時計の針は8時30分を指していた。  あと10分程度で朝の部活は終わる。  ……。  自分が蹴った球はゴールを大きく外れ、ゴールキック。  すばやく自分のポジションに戻るべきだろうか、それとも……。  ふだんはミッドフィルダーだが今日は監督の気まぐれで久しぶりのフォワードにまわされている。  フォワードがミッドフィルダー以上に体力の要るポジションだと知ったのは、ほんの5分ほど前だ。  正直、疲れた。  正直、俺は朝に弱い。  正直、眠い。  ほとんど無意識と惰性で相手のディフェンスをマークする。ゴールキックでキーパーがディフェンスにパスを出しにくくするためだ。  監督の吹くホイッスルの音。試合再開の合図。動き始めるゲーム。  相手のゴールキーパーは遥か遠く、つまり俺のチームのゴールを見ている。  ああ、大きく蹴り飛ばして速攻をかけるつもりなんだな。  俺はあまりトップラインを下げすぎるといけないので、オフサイドトラップに気をつけつつ、このまま相手ディフェンスをマークし続けてバックパスにだけ注意しておこう。  ……それも面倒だな、もういいか、疲れない程度に動くか。今日は調子が悪い。  そんなことを考えていたので、視界の隅から飛んでくる、相手キーパーの蹴り損じたボールに気づかなかったのだ。 **** 「気がついた?」 「……先生」 「さてここで問題です、今何時でしょう」 「……」 「…………いや、ノってきてよ。先生なんか馬鹿みたいじゃん・・・・」 「……頭、痛いっす」 「マジ? なんか後遺症とか残りそう?」  担任の先生が俺が寝ているベッドのすぐ隣におかれた丸椅子に座っている。  ベッド?  そういえば俺、倒れたんだ。 「……今何時ですか」 「もうお昼。だからもうお弁当食べちゃってていいよ、ここで」  先生は立ち上がる。  果たして俺は礼を言うべきなのだろうか。  なんとなく朝レンの途中でぶっ倒れたところまでは記憶を蘇らせることができたが、それ以上はわからない。  何かボールが当たったときの説明やら俺が寝ていた間の授業についてコメントがあることを期待し、先生の顔を見上げる。 「ん? 何?」 「……なんでもないっす」  ウチの学校には校医が居ない。  したがって怪我や病気の生徒をきちんとした医者に診せるべきか否かの最終判断はそれぞれの担任が行う。  大げさに言えばつまり、今の俺の命は、この目の前の若い女教師が握っているというわけだ。  末恐ろしい。 「あれだ、家帰っても痛むようならお医者さんいきな。ここからだとええと……どこが近いんだっけ」  先生は地元民ではないので地理には明るくない。  あとで病院に行くべきだろうか・・・・まぁ、軽い脳震盪ってヤツだろうから大丈夫だろうが。  我ながら情けない。どうしてこうも俺は朝に弱いのか。  母親には毎朝健康的な朝食を作ってもらってはいるのだが。 「あー…………愛しの彼女がお見舞いに来てたぞ色男」 「彼女……って誰っすか?」 「いや、普通に天城だけど」 「ヘナが?」 「ん。なんか用事あったっぽいから後で適当に頑張れ。性的な意味で」 「……適当にってなんすか」 「はいはい、病人は大人しくゴートゥベーッド。オーケー?」 「…………おーけー」 「よろしい、じゃあまぁ、寝とけや」  意外に忙しいのか、先生は早足で保健室を出て行く。  礼を言い忘れたことに気づいた時にはもう扉は閉まっていた。 ****  保健室には、窓がひとつしかない。小さい窓がひとつだけ。  しかも西側……夏場、夕方になると西日で保健室は蒸し風呂状態になる。  このご時世に冷房も完備していないとは・・・・・・さすがというか、やはりというか、うちは公立校なんだと再確認する。  壁にかかった時計を見れば、もう13時を過ぎていることが確認できた。昼ごはんを食べそびれたらしい。今から食べるのも・・・・微妙か。  靴を履き、窓に近づく。  歩くときに少しよろめいた。……長く横たわっていたからだろうか。  窓からは、すぐそこに校庭が見える。  人影はないが、隅にサッカーボールが転がっているのが見えた。 (サッカー部のボールか……?)  おいおい、ボール拾いはきちんとするように言われているのに。こんなの見られたら監督に怒られる。  軽い跳躍で窓を飛び越える。  着地点には雑草がひしめき合うように生えていた。  ボールまではだいたい10メートルくらいかな……いや7メートル……ん? 1メートルってどれくらいだったっけ。  少し歩いただけで靴を包み込むように砂が舞い上がる。  やっぱ柔らけぇな、土。 「あれ? お前山下じゃね?」  どこまでも軽い声だった。それは何度か聞いたことのある声だった。 「……サワラさん」 「おお、何回かしか会ってないのに大した記憶力だ! へへっ」  沢良宜健一郎が背後で微笑んでいた。  どうせ勝手口から入ってきたのだろう。  ……うちの学校の裏門、つまり北側に面した門は下校時刻まで鍵が開きっぱなしになっている。  なぜか南に面している正門は始業時と終業時にしか開いていないのに……なぜだろう。  よって通称『勝手口』。 「勝手口から入ってきたんすか」 「当たり前だろ? 正門は閉まってるし柵乗り越えるなんて面倒だろ……常識的に考えて……へへっ」  どうしてこの人はこうも気持ちの悪い笑い方をするのか。  そして何故常に笑いを絶やさないのか。  三段論法で言えばつまり、サワラさんは気持ちわる 「今、失礼なこと考えてたろ。顔に出てたぞ」 「……今日はなにしに来たんすか?」 「否定くらいしろよ、ひ・て・い……ふひょへっ」  人間、陰口とかそういうのはやっちゃいけないんだなぁ。  「サッカーボール、その辺に転がってね? 蹴っ飛ばしてたら入ちゃってさぁ」 「また始めたすか? サッカー」 「ふへへっ、俺がまだやると思ってんのか? サッカー」 「俺はまた、サワラさんにコーチしてもらいたいです」 「こ、こいつはくせー! ゲロ以下の臭いがプンプン……いやこれは用法が違うな、へへっ」 「……だめですか」 「やなこった……お、なんだすぐそこにあるじゃん」  小走りで目の前を通り過ぎたサワラさんが巻き上げた風は、わずかにタバコの臭いがした。  走り方は以前とあまり変わりないが……少し腹が出ているか。   とにかく変わった、と目に見えて思う。   ……変わったのは俺の見方か。 「珍しい景品もあったもんだと思って思わず交換しちまったんだよこれ……へへっ」 「またパチンコっすか?」 「ったりめぇよぅ、パチスロはライフワークだかんな……ひょほっ」 「たまには、部にも顔出してくださいよ」 「……あひんっ」  ボールを両手で持ち上げ、今度は何も言わずに勝手口の方へ歩いていく。  その目は、やはり以前とは違う、光のない目だった。  もう一度、サワラさん、と呼びかけようとしたがそれは声にならなかった。  追いかけて別れの挨拶でも言おうと思ったが何故か身体は動かなかった。  不自然な絵のように硬直する自分を半ば客観的に観察している自分がいて。  舞い上がった土ぼこりだけが風に流されていく。動かない俺と動き続ける校庭、切り取られたのはどちらの風景なのか。  5限目の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。 ****  俺の名前は富竹ミザル、高校生占い師だ。  幼馴染で1歳年下の天城ヘナと遊園地へ遊びへ行って、黒ずくめの男の怪しげな取引現場を目撃した。  取引をみるのに夢中になっていた俺は背後から近づくもう一人の仲間に気づかなかった・・・。  俺はその男に毒薬を飲まされ、目が覚めたら…… 「身体が縮んでしまっていた!」 「ばーろー」 「ん? ああ、なんだ山ちゃんか」  校庭から校舎へ入る道の途中、壁越しになにかを覗くフリをしたり倒れたりしている富竹ミザルを発見したので、一応つっこみを入れてみた。  どうやら一連の行為や言動自体に大した意味はなかったらしい。  ……俺以外の人に発見されていたらどうなっていたのだろうか。 「高校は?」 「今日は午後の授業なし……ってそっちの方はまだ授業中じゃねーの?」 「保健室で寝てた」 「ああ……今朝の占い通りだ。大丈夫、午後からは比較的運気はよくなるから安心しろ。……朝、サッカー関係で何かあったんだろ?」 「…………毎朝占ってるのか?」 「犬が西向いたら尾っぽが東向くってこった。バイオリズムは常に変動するものだからな」 「他人の分もやるのって面倒じゃね?」 「ま、占い師だし、てか好きでやってるし」 「あーそうですかい」  今からどうしようか、と考える。  教室へ戻ったところで授業も粗方進んでしまっていると思うしやっぱりサボってしまうか。  カバンは保健室に置いてあったので一旦家へ帰るのも悪くないが……。  終業も近いので今から一旦家に帰ったのでは部活には遅れてしまう。 『じゃー解散! また明日っ!』 『明日も行かなきゃだめですか……』 『山下、二日連続でサボりだね、サッカー』  俺がサッカーをサボるべき理由では無い。  もうすぐ大会も始まってしまう。それが俺の中学最後の大会になるかもしれないのだ。  いくら取り返しがつくとは言え、さすがにそれを無視するなんて出来るだろうか。  ……まぁしかし、1日や2日休んだところでどうだ、とも思える。毎朝の練習には欠かさず出ているわけだし。 「……」 「ん? 何? 山ちゃん、俺をじーっと見て……あ、えっちなこと考えてるんだー」  ミザルは俺のこの状況を見越して中学校に遊びに来たのか……? 「な、なんだよ黙るなよ……え? 割とガチなの? あれ? ちょ、おま、待て、俺としても心の準備というものが」  まさかな。 「馬鹿なこと言ってんじゃねーよ」 「っんだよ冗談か。どっか座れるとこでまったりしようぜ」 「座れるとこ、なぁ……」  サッカー部室では座れないこともないが、あの汗臭さの中でのんびり会話を楽しみたくは無い。  かといって校舎の適当なところに居ては先生に見つかって何か言われるかもしれない。   となると……校内では一箇所しか思い当たるところは無いわけで……。 **** 「山下、サッカーやめたんだ……俺らの中で一番サッカー好きだったのに」 「やめてねーよ……ってかその台詞、昨日へナに聞いたよ」  手芸部室目指して無駄にながい廊下を歩いている。  授業中の静まり返った校舎内に響くのは二人分の運動靴の音。そして声。 「あーそっか、ヘナも手芸部だったんだな…………どうだ、ヘナの様子」 「相変わらずだよ……どう扱えばいいのか分からん」 「そうか、まだ治らないか……あれ。もう1年になるのにな…………」  治らない? 何がだ? ヘナは何かの病気にかかってるのか?  何かなかったかと考えてはみるが、少なくともヘナが大きな病気にかかったことなど聞いたことがないと思う。  聞き返すことが、何故か出来なかった。なにかのタブーに触れる気がして。 (1年前? 何の話だ? ヘナに何かあったのか?) 「まぁ、山ちゃんと銀河先輩が近くにいるなら大丈夫かな」 「あれ? ミザルってみっちょん先輩と知り合いだったっけ?」 (怪我? 病気? ……なんだろう、昨日会った感じでは何も違和感は感じなかったような) 「馬鹿、銀河先輩の人気っぷりを知らんのか……?」 「なんだ、名前だけ知ってるってヤツか」 「そりゃそうだろ……実際銀河先輩と話せるとか滅多に無いことだしな……」 (それとなくみっちょん先輩にも話を振ってみるか、なにか気になるな) 「……なんか上の空だな、山ちゃん」 「え? そんなことないぞ?」 「嘘付け、今別のこと考えながら喋ってたろ……ってここ!? 手芸部室……ドアきたねぇ! …………何もいわずに入るなよ! おーい!」  ドアに鍵はかかっていなかった。 ****  ミザルが手芸部室で眠り始めてからしばらく時間が経ったが、チャイムの音は未だ聞こえない。  しん、と音が聞こえてきそうなほどに静かな部室内では空気は流れていない。  夏場は暑くて仕方ないんじゃないだろうか、そう考えて何気なく目線を上に向けると (……)  冷房が付いていた。  空調の前に色々と整えておくべき設備はあると思うのだが。  手芸部の備品などを入れておくのであろうスチールラックには端がボロボロになったダンボールがいくつか口を開けている。  照明をつけていないせいか、中に入っている布切れが少しだけ汚れて見える。  壁を背にして丸椅子に浅く座っていた姿勢から起き上がると、背骨が少しだけ軋んだ。  ダンボールの中身を取り上げると、やはり少しだけ埃が舞った。           ● 「おいヘナ、なにもそんな早足でいかなくてもいいだろ」 「山下はサッカーやってるから大丈夫じゃん」 「……悪い、ちょっと理解できなかった。俺には高度すぎるパスだ」 「でたサッカーネタ。サッカー突っ込み。『俺には高度過ぎるパスだ!』キリッ」 「キリッ って何だよ……お前、腹大丈夫なのか」 「……」 「痛いならペース落として歩いたほうがいいんじゃねーの?」 「いや、いい……出すもん出したから」  いやいや、あんた女の子としてそういうのはどうなんだ。 「出すもんて……あんま無理すんなよ? 明日も学校なんだから」 「何、その飲みすぎた同僚を気遣ういい奴みたいなキャラ」 「いやいや、ほぼ正解だから、たとえになってないから」 「じゃあ……銃撃戦で傷ついた同僚を気遣ういい奴みたいなキャラ?」 「不正解すぎる! そういう不正解じゃなくて……なんつーのかな…………飲みすぎた夫を気遣う妻?」 「それこそ違うよ、どっちかって言うと愛煙家の夫を気遣う嫌煙家の妻」 「うわー……すごい気遣ってない。自分がタバコ嫌いなだけだそれ」 「いやな奴だねーあんた」 「…………ああ、俺の話だったか」           ●  パッチワーク、というヤツだろうか。  様々な材質の小さな布切れがたくさん縫い合わされて一枚の大きな布になっている。  縫い目を指でなぞると、不規則な指ざわりを感じた。  手縫い、か?  こちら側は専門外だ。……これ、何に使うんだろ……。           ● 「妹さん、まだべったり?」 「いや、最近部活で忙しいからあんまり相手してやれてないな」 「満子ちゃん、山下のこと好きだから怒ってるよきっと」 「いやいや、兄貴の俺が遊んであげる歳じゃないだろもう」 「そうだよね、性的な意味で遊んであげる歳になりつつあるもんね」 「……さっきからなんかお前、怒ってない?」 「全然」           ●  ダンボールで見えなかった死角にミシンが仕舞ってあった。  カバーに薄く埃が積もっている。  …………最近はつかってなかったのか?           ● 「じゃあね」 「あれ? お前ん家そっちじゃねぇだろ? 引っ越した?」 「用事があるから」 「腹は?」 「大丈夫」 「……そうか」 「じゃあ」 「ああ、また明日」           ●  甲高い音を立て、ドアが開いた。  いつになったら油が差されるのだろうか。 「山下、ここに居たんだ」 「……ああ」 「なんでミザルがここに?」  ヘナの顔には、昨日の晩に見た気がする影のようなものが消えていた。  ほどほどに仏頂面で、しかし少しだけ人懐こい表情は、今日も天城ヘナの顔に張り付いている。 ****  俺の目の前に差し出された茶色い藁半紙のプリントを強奪したミザルは 「……プッ」  笑みを浮かべてそのプリントを丁寧に俺の目の前に置きなおした。  うぜー。  机の端の方においてある椅子にすわり、足を机の上に投げ出して伸びまでしている。  自分の部室でもないクセによくもまぁこんな大きい態度がとれるものだ。 「山下、ボールペン持ってる?」 「……あるよ」  学年・クラス・名前と、入部を希望する部の名称・代表者の名前を記入。  部の代表者を通じて顧問の教師へとこの紙は渡り、確認印を押された時点で記入した生徒の入部が決定する。  今の俺には半ば名前を書いたらその名前の主の命を絶つことができる某ノートにしか思えない。  もっとも、こっちは紙切れなのだが。 「シャーペンだとだめだってばっちゃが言ってた」 「ばっちゃて誰だよ。みっちょん先輩か?」 「私担任の先生、知らないし」 「え? じゃあこのプリントどうすんの?」 「みっちょん先輩に渡す」  そんなことを言っている間に記入など終わってしまう。  入部手続きなんてものは、その後に続く部活動内容云々の量を無視して短く終わるものだ。  名前を書くだけだしな。 「うん、部長として認めます」 「おめっとさん、山ちゃん」  半分笑いながら、半分挑発するように……つまり馬鹿にするようにミザルが祝福の言葉をかけてくる。  相変わらずの仏頂面のままヘナが拍手を始める。その乾いた音が部室に響く。  身体を椅子と机にあずけてリラックスしているミザルも肩から先を動かして拍手を始める。乾いた音は和音となる。  いつの間にか部室に入ってきていたアブドゥルさんが力強く手を叩く。あんたいつからいたんだ。 「……おめでとう」 「おめでと……プークスクス」 「全ての子供達(チルドレン)へ、おめでとう!」 「誰!? ってかいつの間に? え? あれ? ガイジン?」  2回目なので俺もへナも大して驚かない。  驚いてないわけじゃないんだがな。 「これは自己紹介が遅れました。私はアブドゥル=アルハザード。祝福するもの、同時に祝福されざるもの」 「ヘナか山ちゃんの知り合いか・・・?」 「知り合い、というよりは友人、と表現すべきでしょうか」 「知らない」 「……知らん人だ」 「多数決によりあんた、知らない人にされてるぞ……いいのか?」 「いえ、お気遣い結構です。慣れていますから」  慣れている、ということはやはり別の場所でも似たような登場と振る舞いをしていて、似たように距離をおかれているということなのだろうか。  そのよく見ると中性的とも見える整った顔立ちを眺めていると、向こうもこちらの視線に気づく。 「……」  目が弓のように軽く曲がり、口元が少しだけ上がる。  微笑まれた。 「や、山ちゃん……しばらく見ない間にそっち方面の趣味が……?」 「気にするな山下、私はそんなことで『なんかキモいな、距離をおくか』などと考えたりはしない」  その二人の発言をどう扱うべきかと思案していると、今度はアブドゥルさんが手元のプリントを手に取った。  さきほどの謎の微笑みはただのジョークだったらしい。やれやれ、俺の貞操は守られたわけだ。  ……貞操て、俺はいったいなにをいっているんだ。 「てげいぶ……にゅうぶとどけ、ですか」 「アブドゥルさん、それシュゲイって読みます」 「ああ、なるほど。重箱読みというものですね。どちらも音読み、あるいはどちらも訓読みの熟語の方が多いと教わりました」 「そ、そうですか」 「それで……山ちゃん、その手芸部に入部なさる、と? 失礼ですがあなたはどうも体育会系に見える」 「初対面でその呼び名は失礼に当たりますよアブドゥルさん」  となりでヘナが「でた、サッカー突っ込み……『その呼び名はオフサイドなんだぜ? ブラザー』キリッ」とかつぶやいているが無視しておこう。というかそんなこと言ってない。  ミザルは幼馴染だ。歳は一つ上だがかなり昔からなんだかんだでいつも遊んでいた。ヘナも混じって3人で。  たまに妹も混じって4人で遊んでいたが…………満子はすぐ泣くのでミザルは彼女を嫌っていた。  俺も割りと、彼女と遊ぶことに抵抗を感じていた気がする。  ……なんでこんなこと思い出してるんだろう。 「失敬……しかしなぜこの部活動に?」 「俺が一番知りたいですよ、まったく……」 「話は聞かせてもらったぞ!!」  ドアが軋む音を立てる暇すら与えられないほどの勢いで開いた。  アブドゥルさんが「キバヤシ……!」と意味の分からない言葉をつぶやいているがもう知らん。勝手にしてくれ。  急に入ってきたみっちょん先輩はアブドゥルさんの手から俺の入部届けをひったくり、頷きながらまるで何かの報告書のようにその文章を目で追っていく。  おおげさな。  ガッ、と擬音が出るような勢いでみっちょん先輩はプリントから目を離し、右手の平を上にむけると、 「壱君はサッカー部なのに手芸部に入部した……手芸部に所属しているのは現在2名……部長はヘナちゃん……・つまり壱君とヘナちゃんは恋仲なんだよ!」 「な、なんだって~!!!」  声を出して驚いているのはアブドゥルさんだけだ。  ミザルは何故か顔を紅潮させ先輩の顔を真剣なまなざしで見つめているし、ヘナに至っては興味なし、といった感じで棚のダンボール箱を漁っている。  気に留めている者がいるのかは分からないが、とにかくこれは否定せざるをえない。 「一応否定しておきますね……」 「壱君ホントに入部するんだ! 逃げられんじゃないかと思ってみっちょん内心ガクガクブルブルだったんだよー?」 「名前だけですからね、名前だけ。時間になれば俺サッカーの方行きますから」 「4時からだっけ……あと30分もあるじゃん。がんばれ」 「えぇー壱君ずっといないのー?」 「そ、そうだぞ山ちゃ……山下君、銀河先輩もこう言ってい、いるんだしササササッカーなんていつでもできるじゃないっかー」 「残念だ、私の鍛え抜かれた裁縫技術を披露できると思ったのだが……」  視線をダンボール箱から逸らさないヘナと、視線をみっちょん先輩から逸らさないミザル、右手をちょうど針をつまむような形にしてシャドウボクシングをしているアブドゥルさん。  最後に身をよじるように不満の念を表しているみっちょん先輩を眺めてから、俺はさて、誰から、どこから突っ込もうかと考え、次にサッカーに行ってしまっていいのだろうかとためらった。  おまけのように太く長いため息を口から出した。 ****  結果的に、その日もサッカー部の方をサボった。  そこには部員同士の確執があるとか、陰湿ないじめを受けているとか、アルバイトをしているとか、そういった明確な理由は無く。  目を右に向ければ 「先輩、縫い目の間隔が広すぎます」 「だってあれだもん。みっちょん不器用だもん。自分、不器用ですから」 「だからって1センチはちょっと……」 「そんなヘナちゃんみたいに上手くは出来ないよー」  正面に向ければ 「編み物の極意とは速く、そして正確に……冷静かつ大胆……イメージは…………アンビリカルケーブル切断! 内部電源に切り替わります! ……縫い糸を……食ってる……!?」  左に向ければ 「な、なぁ山ちゃん、銀河先輩のメルアドとか知ってんだろ? 教えてくれよなぁ頼む、この通り! ……いや本人の承諾がどうとかじゃなくて……いやだから直に話すとか無理なんだって……」  下に向ければ、手前から布を食べ、奥へ吐き出していくミシン台が。  上手く言葉に出来ないが、漠然と『俺はこれでいいのか』と考えさせられるのだが……。  サッカー、そろそろウォーミングアップとランニングが終わる時間だな…………やっぱ顔出そうかな……。 「山下、縫い目が蛇行してる」 「お前も大変だな。俺とみっちょん先輩両方の面倒見つつ……何作ってんの?」 「編みぐるみ。ぬいぐるみの親戚みたいなもん」 「そ、そうか」 「なぁヘナ、お前でもいいや、教えてくれよ銀河先輩のメルアド! この通り!」 「トミーは何なの、なんでここにいるの」 「察しろよー。少しでも銀河先輩の近くに居たいからだろうが!」 「帰れ」  まぁ、同感ではある。  だがヘナよ、それを言うなら机をはさんで対面に居るアブドゥルさんに対してはノータッチでいいのか?  本人の知らぬところで話題に挙がっている先輩はというと、あぶなっかしい指遣いで裁縫作業を続けている。  手元に顔を近づけすぎだということを伝えるべきだろうか……。 「もういい、自分で聞いてやるからな、見てろ」 「いや、最初からそうしなよ」  ヘナとミザルの言い合いも終わりを迎えたらしい。  ミザルは、みっちょん先輩に気があったのか。 「銀河先輩!」 「……ん? ああ、みっちょんのことか。一瞬誰のことだかわからなかったよー」  先輩、それあなたの苗字です。 「……みっちょん先輩、それ先輩の苗字じゃないですか」  ヘナと思考が被ったらしい。 「みっちょんのことはあれだぜ? みっちょんと読んでくれなんだぜ?」 「………………ほ、本当によろしいのですか!」  そんな階級の昇格を言い渡された兵隊みたいなリアクションをとらなくても。 「……それじゃあまるで階級の昇格を言い渡された兵隊みたいだぞ、トミー」  またヘナと思考が被ったようだ。 「おーっと、そんなことを言ってる場合じゃなかったかな? なんか用?」  「え……あの…………」  おお、そうそう、みっちょん先輩の暴走に対する一般的なリアクションならそれで正解だぞミザル。 「トミー、言いたいことあるなら早めに言わないと、みっちょん先輩がこっち側に戻ってこなくなるよ」 「マジで!? それってちょっとした病気じゃ……あ……いや…………あの、銀河先輩?」 「だからみっちょんと呼べとなんど言えばかっこ略」 「かっこ……? じゃなくて、あの、メールのアドレスとか教えてください!」 「富竹君だっけか。男友達から名前だけは聞いたことあったなぁ……壱君とかヘナちゃんと仲いいんだよねー」 「そ、そうっす! 昔はずっと3人で遊んでて!」 「壱君もヘナちゃんもみっちょんのアド知ってるし、別に教えても教えなくてもいいかなー」 「じゃ、じゃあ」 「だが断る」  みっちょん先輩の顔の線が太くなった。線が太くなったというか、油臭いタッチになったというか……荒木絵?  荒木って誰だろ。  なんというかもう、俺自身どう表現していいのか分からない。 「うそうそ、ちょっと待っててねー、赤外線送るからー」 「あ、は、はい、じゃあこっち受信で……」 「私も参加してよろしいでしょうか。私はアブドゥル=アルハザード。DoCoMoの信者、しかしすでに亡者」 「……きましたきました。って先輩のアドレス長いですね…………」 「じゃあ次こっち受信ねー」 「……」 「……送れました?」 「おーけーおーけ……ダサっ! 富竹君のアドレスダサっ! メルアドの一部がバンプだ! バンプの曲名だ! しかもちょっと古い!」 「古くたっていいんです! バンプ以外の邦楽なんて糞なんですからどうせ!」 「……」  俺のボキャブラリーの無さでは、どうやらがっくりとうなだれるアブドゥルさんを元気づけることは出来なさそうだ。  ヘナの顔を盗み見る。  微妙な表情。やはり同じ事を考えているらしい。 **** ****
 ジャックは届いた荷物をすっかり片付けてしまい、ギシギシとうるさい音をたてるデスクチェアに身体をあずけると、肺に溜まったヤニ臭い息を疲れと共に吐き出した。 (狭い)  こんな小さな駐在所で事足りるとは日本は安全な国なんだな、と考える。  その次に祖国の情勢を考え、その次にそれと日本を比べ、最後に自分の愛国心の無さにためいきをつく。  国土の狭さと反比例して、日本人の心の広さに気づかされた。  ここまでたどり着くのに、一体何人の人に道を尋ねただろうか。  そしてその誰もが親切に答えてくれた、それだけでここへ来たことが良かったと思える。  やることも特にないので交番の外に出てみる。立ち上がるときにも椅子は音をたてた。  両手を挙げて背筋を伸ばしながら外に出ようとすると、腕が戸口にひっかかった。 (この国は、何もかもが小さすぎる)  自分の身体に合う制服はいつ支給されるのかと思案していると、小さな子供の声を耳にする。  男の子が3人・・・・・声の方から駆けてくる。地元の子だろうか、と彼は思う。  一人は本人の頭よりも大きいサッカーボールを抱えていて、そのあまりの大きさに走りづらそうだ。あとの二人は手ぶらで走っている。  やがて一人が彼に気づく。  つられて残りの二人もこちらを向くが、3人ともがひきつったような表情をしたまま動きを止めている。 (俺は警戒されているのか……?) 「……こんにちは」 「おっちゃん、けーさつかん?」 「ああ」  一番最初に話しかけてきたのは先頭を走っていた男の子だ。  日本語が分かると知ってなのか、とにかく先ほどとは打って変わって明るい表情になった。 「外人でも公務員になれるモンなの?」 「やまちゃん、こーむいんってなに?」 「……おっちゃんは特別なんだ」  ボールを持っている子が、やや不安げにこちらを見上げながら質問してきた。  なんとなく、目をそらしたくなるような雰囲気だ。それが何故かは分からない 「うーむ……」 「どーしたのとみー」  最後の一人は難しい顔をしていたかと思うと 「見えたっ!」  突然叫んだ。 「な、なにがみえたのとみー!?」 「この人、ここの警察の人だ!」 「トミー、それさっきおじさん自ら言ってたよ」 「すっげーとみー! やっぱとみーのうらないはすっげー!」 「ふふん、やっぱり俺の占いは外れないんだぜ!」 「いやだから占う占わない以前に本人が認めてたんだってば」  彼らの言っていることは早口で良く分からなかったが、とにかく楽しそうなので何よりだ。  そういえば 『ああ、ジャックさん? こういうガキんちょが暴れまわってるときはさ  にこやかに話しかけるだけじゃなくてちゃんと注意もしてあげなきゃ。ああ……オーケー?』  東京で先輩にこんなようなことを言われていた気がする。  さて……これを日本語でどう表現すればいいのか……日本語は苦手なジャックである。 「もういいじゃん、行こうよ。早くサッカーしよう」 「ねぇねぇ、おじちゃんぶきとかもってんの? けんじゅうとかもってんの?」 「あ、待てよトミー、つかボール持ってよ不公平だよこれ」 「もしかしてれーざーじゅうとかもってる!? こわっ!」 「おーい、置いていくぞアブドゥル!」 「え? ああ、まってー」  ……悩んでいる間に子供達は走り去ってしまったようだ。  意味も無く空を見上げる。千切れた雲が適当に飛んでいる。  日本は雨が多い国だと聞いたが、今の天気をみるとそんな気はあまりしてこないのは何故だろうか。 ****  ウチの校庭の砂はやわらかすぎる。  スパイクが掘り出した土は舞い上がり土煙と化す。  しかしもうそんなことを気にする奴なんていなかった。多分俺も気にしてなんかいない。  頭のどこかが気にしているのだが、のこりのほとんどがそんなことに注意しようとしないのだ。  気になること……地面に凹凸が出来やすいからボールのバウンドが変則的になること位か。  しかしやはりそれもあまり気にならない。  もしくは、気にする余裕がないのだろうか。  そんなどうでもいいことを考えながら走り続ける。見れば校舎の大時計の針は8時30分を指していた。  あと10分程度で朝の部活は終わる。  ……。  自分が蹴った球はゴールを大きく外れ、ゴールキック。  すばやく自分のポジションに戻るべきだろうか、それとも……。  ふだんはミッドフィルダーだが今日は監督の気まぐれで久しぶりのフォワードにまわされている。  フォワードがミッドフィルダー以上に体力の要るポジションだと知ったのは、ほんの5分ほど前だ。  正直、疲れた。  正直、俺は朝に弱い。  正直、眠い。  ほとんど無意識と惰性で相手のディフェンスをマークする。ゴールキックでキーパーがディフェンスにパスを出しにくくするためだ。  監督の吹くホイッスルの音。試合再開の合図。動き始めるゲーム。  相手のゴールキーパーは遥か遠く、つまり俺のチームのゴールを見ている。  ああ、大きく蹴り飛ばして速攻をかけるつもりなんだな。  俺はあまりトップラインを下げすぎるといけないので、オフサイドトラップに気をつけつつ、このまま相手ディフェンスをマークし続けてバックパスにだけ注意しておこう。  ……それも面倒だな、もういいか、疲れない程度に動くか。今日は調子が悪い。  そんなことを考えていたので、視界の隅から飛んでくる、相手キーパーの蹴り損じたボールに気づかなかったのだ。 **** 「気がついた?」 「……先生」 「さてここで問題です、今何時でしょう」 「……」 「…………いや、ノってきてよ。先生なんか馬鹿みたいじゃん……」 「……頭、痛いっす」 「マジ? なんか後遺症とか残りそう?」  担任の先生が俺が寝ているベッドのすぐ隣におかれた丸椅子に座っている。  ベッド?  そういえば俺、倒れたんだ。 「……今何時ですか」 「もうお昼。だからもうお弁当食べちゃってていいよ、ここで」  先生は立ち上がる。  果たして俺は礼を言うべきなのだろうか。  なんとなく朝レンの途中でぶっ倒れたところまでは記憶を蘇らせることができたが、それ以上はわからない。  何かボールが当たったときの説明やら俺が寝ていた間の授業についてコメントがあることを期待し、先生の顔を見上げる。 「ん? 何?」 「……なんでもないっす」  ウチの学校には校医が居ない。  したがって怪我や病気の生徒をきちんとした医者に診せるべきか否かの最終判断はそれぞれの担任が行う。  大げさに言えばつまり、今の俺の命は、この目の前の若い女教師が握っているというわけだ。  末恐ろしい。 「あれだ、家帰っても痛むようならお医者さんいきな。ここからだとええと……どこが近いんだっけ」  先生は地元民ではないので地理には明るくない。  あとで病院に行くべきだろうか・・・・まぁ、軽い脳震盪ってヤツだろうから大丈夫だろうが。  我ながら情けない。どうしてこうも俺は朝に弱いのか。  母親には毎朝健康的な朝食を作ってもらってはいるのだが。 「あー…………愛しの彼女がお見舞いに来てたぞ色男」 「彼女……って誰っすか?」 「いや、普通に天城だけど」 「ヘナが?」 「ん。なんか用事あったっぽいから後で適当に頑張れ。性的な意味で」 「……適当にってなんすか」 「はいはい、病人は大人しくゴートゥベーッド。オーケー?」 「…………おーけー」 「よろしい、じゃあまぁ、寝とけや」  意外に忙しいのか、先生は早足で保健室を出て行く。  礼を言い忘れたことに気づいた時にはもう扉は閉まっていた。 ****  保健室には、窓がひとつしかない。小さい窓がひとつだけ。  しかも西側……夏場、夕方になると西日で保健室は蒸し風呂状態になる。  このご時世に冷房も完備していないとは…………さすがというか、やはりというか、うちは公立校なんだと再確認する。  壁にかかった時計を見れば、もう13時を過ぎていることが確認できた。昼ごはんを食べそびれたらしい。今から食べるのも……微妙か。  靴を履き、窓に近づく。  歩くときに少しよろめいた。……長く横たわっていたからだろうか。  窓からは、すぐそこに校庭が見える。  人影はないが、隅にサッカーボールが転がっているのが見えた。 (サッカー部のボールか……?)  おいおい、ボール拾いはきちんとするように言われているのに。こんなの見られたら監督に怒られる。  軽い跳躍で窓を飛び越える。  着地点には雑草がひしめき合うように生えていた。  ボールまではだいたい10メートルくらいかな……いや7メートル……ん? 1メートルってどれくらいだったっけ。  少し歩いただけで靴を包み込むように砂が舞い上がる。  やっぱ柔らけぇな、土。 「あれ? お前山下じゃね?」  どこまでも軽い声だった。それは何度か聞いたことのある声だった。 「……サワラさん」 「おお、何回かしか会ってないのに大した記憶力だ! へへっ」  沢良宜健一郎が背後で微笑んでいた。  どうせ勝手口から入ってきたのだろう。  ……うちの学校の裏門、つまり北側に面した門は下校時刻まで鍵が開きっぱなしになっている。  なぜか南に面している正門は始業時と終業時にしか開いていないのに……なぜだろう。  よって通称『勝手口』。 「勝手口から入ってきたんすか」 「当たり前だろ? 正門は閉まってるし柵乗り越えるなんて面倒だろ……常識的に考えて……へへっ」  どうしてこの人はこうも気持ちの悪い笑い方をするのか。  そして何故常に笑いを絶やさないのか。  三段論法で言えばつまり、サワラさんは気持ちわる 「今、失礼なこと考えてたろ。顔に出てたぞ」 「……今日はなにしに来たんすか?」 「否定くらいしろよ、ひ・て・い……ふひょへっ」  人間、陰口とかそういうのはやっちゃいけないんだなぁ。  「サッカーボール、その辺に転がってね? 蹴っ飛ばしてたら入ちゃってさぁ」 「また始めたすか? サッカー」 「ふへへっ、俺がまだやると思ってんのか? サッカー」 「俺はまた、サワラさんにコーチしてもらいたいです」 「こ、こいつはくせー! ゲロ以下の臭いがプンプン……いやこれは用法が違うな、へへっ」 「……だめですか」 「やなこった……お、なんだすぐそこにあるじゃん」  小走りで目の前を通り過ぎたサワラさんが巻き上げた風は、わずかにタバコの臭いがした。  走り方は以前とあまり変わりないが……少し腹が出ているか。   とにかく変わった、と目に見えて思う。   ……変わったのは俺の見方か。 「珍しい景品もあったもんだと思って思わず交換しちまったんだよこれ……へへっ」 「またパチンコっすか?」 「ったりめぇよぅ、パチスロはライフワークだかんな……ひょほっ」 「たまには、部にも顔出してくださいよ」 「……あひんっ」  ボールを両手で持ち上げ、今度は何も言わずに勝手口の方へ歩いていく。  その目は、やはり以前とは違う、光のない目だった。  もう一度、サワラさん、と呼びかけようとしたがそれは声にならなかった。  追いかけて別れの挨拶でも言おうと思ったが何故か身体は動かなかった。  不自然な絵のように硬直する自分を半ば客観的に観察している自分がいて。  舞い上がった土ぼこりだけが風に流されていく。動かない俺と動き続ける校庭、切り取られたのはどちらの風景なのか。  5限目の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。 ****  俺の名前は富竹ミザル、高校生占い師だ。  幼馴染で1歳年下の天城ヘナと遊園地へ遊びへ行って、黒ずくめの男の怪しげな取引現場を目撃した。  取引をみるのに夢中になっていた俺は背後から近づくもう一人の仲間に気づかなかった・・・。  俺はその男に毒薬を飲まされ、目が覚めたら…… 「身体が縮んでしまっていた!」 「ばーろー」 「ん? ああ、なんだ山ちゃんか」  校庭から校舎へ入る道の途中、壁越しになにかを覗くフリをしたり倒れたりしている富竹ミザルを発見したので、一応つっこみを入れてみた。  どうやら一連の行為や言動自体に大した意味はなかったらしい。  ……俺以外の人に発見されていたらどうなっていたのだろうか。 「高校は?」 「今日は午後の授業なし……ってそっちの方はまだ授業中じゃねーの?」 「保健室で寝てた」 「ああ……今朝の占い通りだ。大丈夫、午後からは比較的運気はよくなるから安心しろ。……朝、サッカー関係で何かあったんだろ?」 「…………毎朝占ってるのか?」 「犬が西向いたら尾っぽが東向くってこった。バイオリズムは常に変動するものだからな」 「他人の分もやるのって面倒じゃね?」 「ま、占い師だし、てか好きでやってるし」 「あーそうですかい」  今からどうしようか、と考える。  教室へ戻ったところで授業も粗方進んでしまっていると思うしやっぱりサボってしまうか。  カバンは保健室に置いてあったので一旦家へ帰るのも悪くないが……。  終業も近いので今から一旦家に帰ったのでは部活には遅れてしまう。 『じゃー解散! また明日っ!』 『明日も行かなきゃだめですか……』 『山下、二日連続でサボりだね、サッカー』  俺がサッカーをサボるべき理由では無い。  もうすぐ大会も始まってしまう。それが俺の中学最後の大会になるかもしれないのだ。  いくら取り返しがつくとは言え、さすがにそれを無視するなんて出来るだろうか。  ……まぁしかし、1日や2日休んだところでどうだ、とも思える。毎朝の練習には欠かさず出ているわけだし。 「……」 「ん? 何? 山ちゃん、俺をじーっと見て……あ、えっちなこと考えてるんだー」  ミザルは俺のこの状況を見越して中学校に遊びに来たのか……? 「な、なんだよ黙るなよ……え? 割とガチなの? あれ? ちょ、おま、待て、俺としても心の準備というものが」  まさかな。 「馬鹿なこと言ってんじゃねーよ」 「っんだよ冗談か。どっか座れるとこでまったりしようぜ」 「座れるとこ、なぁ……」  サッカー部室では座れないこともないが、あの汗臭さの中でのんびり会話を楽しみたくは無い。  かといって校舎の適当なところに居ては先生に見つかって何か言われるかもしれない。   となると……校内では一箇所しか思い当たるところは無いわけで……。 **** 「山下、サッカーやめたんだ……俺らの中で一番サッカー好きだったのに」 「やめてねーよ……ってかその台詞、昨日へナに聞いたよ」  手芸部室目指して無駄にながい廊下を歩いている。  授業中の静まり返った校舎内に響くのは二人分の運動靴の音。そして声。 「あーそっか、ヘナも手芸部だったんだな…………どうだ、ヘナの様子」 「相変わらずだよ……どう扱えばいいのか分からん」 「そうか、まだ治らないか……あれ。もう1年になるのにな…………」  治らない? 何がだ? ヘナは何かの病気にかかってるのか?  何かなかったかと考えてはみるが、少なくともヘナが大きな病気にかかったことなど聞いたことがないと思う。  聞き返すことが、何故か出来なかった。なにかのタブーに触れる気がして。 (1年前? 何の話だ? ヘナに何かあったのか?) 「まぁ、山ちゃんと銀河先輩が近くにいるなら大丈夫かな」 「あれ? ミザルってみっちょん先輩と知り合いだったっけ?」 (怪我? 病気? ……なんだろう、昨日会った感じでは何も違和感は感じなかったような) 「馬鹿、銀河先輩の人気っぷりを知らんのか……?」 「なんだ、名前だけ知ってるってヤツか」 「そりゃそうだろ……実際銀河先輩と話せるとか滅多に無いことだしな……」 (それとなくみっちょん先輩にも話を振ってみるか、なにか気になるな) 「……なんか上の空だな、山ちゃん」 「え? そんなことないぞ?」 「嘘付け、今別のこと考えながら喋ってたろ……ってここ!? 手芸部室……ドアきたねぇ! …………何もいわずに入るなよ! おーい!」  ドアに鍵はかかっていなかった。 ****  ミザルが手芸部室で眠り始めてからしばらく時間が経ったが、チャイムの音は未だ聞こえない。  しん、と音が聞こえてきそうなほどに静かな部室内では空気は流れていない。  夏場は暑くて仕方ないんじゃないだろうか、そう考えて何気なく目線を上に向けると (……)  冷房が付いていた。  空調の前に色々と整えておくべき設備はあると思うのだが。  手芸部の備品などを入れておくのであろうスチールラックには端がボロボロになったダンボールがいくつか口を開けている。  照明をつけていないせいか、中に入っている布切れが少しだけ汚れて見える。  壁を背にして丸椅子に浅く座っていた姿勢から起き上がると、背骨が少しだけ軋んだ。  ダンボールの中身を取り上げると、やはり少しだけ埃が舞った。           ● 「おいヘナ、なにもそんな早足でいかなくてもいいだろ」 「山下はサッカーやってるから大丈夫じゃん」 「……悪い、ちょっと理解できなかった。俺には高度すぎるパスだ」 「でたサッカーネタ。サッカー突っ込み。『俺には高度過ぎるパスだ!』キリッ」 「キリッ って何だよ……お前、腹大丈夫なのか」 「……」 「痛いならペース落として歩いたほうがいいんじゃねーの?」 「いや、いい……出すもん出したから」  いやいや、あんた女の子としてそういうのはどうなんだ。 「出すもんて……あんま無理すんなよ? 明日も学校なんだから」 「何、その飲みすぎた同僚を気遣ういい奴みたいなキャラ」 「いやいや、ほぼ正解だから、たとえになってないから」 「じゃあ……銃撃戦で傷ついた同僚を気遣ういい奴みたいなキャラ?」 「不正解すぎる! そういう不正解じゃなくて……なんつーのかな…………飲みすぎた夫を気遣う妻?」 「それこそ違うよ、どっちかって言うと愛煙家の夫を気遣う嫌煙家の妻」 「うわー……すごい気遣ってない。自分がタバコ嫌いなだけだそれ」 「いやな奴だねーあんた」 「…………ああ、俺の話だったか」           ●  パッチワーク、というヤツだろうか。  様々な材質の小さな布切れがたくさん縫い合わされて一枚の大きな布になっている。  縫い目を指でなぞると、不規則な指ざわりを感じた。  手縫い、か?  こちら側は専門外だ。……これ、何に使うんだろ……。           ● 「妹さん、まだべったり?」 「いや、最近部活で忙しいからあんまり相手してやれてないな」 「満子ちゃん、山下のこと好きだから怒ってるよきっと」 「いやいや、兄貴の俺が遊んであげる歳じゃないだろもう」 「そうだよね、性的な意味で遊んであげる歳になりつつあるもんね」 「……さっきからなんかお前、怒ってない?」 「全然」           ●  ダンボールで見えなかった死角にミシンが仕舞ってあった。  カバーに薄く埃が積もっている。  …………最近はつかってなかったのか?           ● 「じゃあね」 「あれ? お前ん家そっちじゃねぇだろ? 引っ越した?」 「用事があるから」 「腹は?」 「大丈夫」 「……そうか」 「じゃあ」 「ああ、また明日」           ●  甲高い音を立て、ドアが開いた。  いつになったら油が差されるのだろうか。 「山下、ここに居たんだ」 「……ああ」 「なんでミザルがここに?」  ヘナの顔には、昨日の晩に見た気がする影のようなものが消えていた。  ほどほどに仏頂面で、しかし少しだけ人懐こい表情は、今日も天城ヘナの顔に張り付いている。 ****  俺の目の前に差し出された茶色い藁半紙のプリントを強奪したミザルは 「……プッ」  笑みを浮かべてそのプリントを丁寧に俺の目の前に置きなおした。  うぜー。  机の端の方においてある椅子にすわり、足を机の上に投げ出して伸びまでしている。  自分の部室でもないクセによくもまぁこんな大きい態度がとれるものだ。 「山下、ボールペン持ってる?」 「……あるよ」  学年・クラス・名前と、入部を希望する部の名称・代表者の名前を記入。  部の代表者を通じて顧問の教師へとこの紙は渡り、確認印を押された時点で記入した生徒の入部が決定する。  今の俺には半ば名前を書いたらその名前の主の命を絶つことができる某ノートにしか思えない。  もっとも、こっちは紙切れなのだが。 「シャーペンだとだめだってばっちゃが言ってた」 「ばっちゃて誰だよ。みっちょん先輩か?」 「私担任の先生、知らないし」 「え? じゃあこのプリントどうすんの?」 「みっちょん先輩に渡す」  そんなことを言っている間に記入など終わってしまう。  入部手続きなんてものは、その後に続く部活動内容云々の量を無視して短く終わるものだ。  名前を書くだけだしな。 「うん、部長として認めます」 「おめっとさん、山ちゃん」  半分笑いながら、半分挑発するように……つまり馬鹿にするようにミザルが祝福の言葉をかけてくる。  相変わらずの仏頂面のままヘナが拍手を始める。その乾いた音が部室に響く。  身体を椅子と机にあずけてリラックスしているミザルも肩から先を動かして拍手を始める。乾いた音は和音となる。  いつの間にか部室に入ってきていたアブドゥルさんが力強く手を叩く。あんたいつからいたんだ。 「……おめでとう」 「おめでと……プークスクス」 「全ての子供達(チルドレン)へ、おめでとう!」 「誰!? ってかいつの間に? え? あれ? ガイジン?」  2回目なので俺もへナも大して驚かない。  驚いてないわけじゃないんだがな。 「これは自己紹介が遅れました。私はアブドゥル=アルハザード。祝福するもの、同時に祝福されざるもの」 「ヘナか山ちゃんの知り合いか・・・?」 「知り合い、というよりは友人、と表現すべきでしょうか」 「知らない」 「……知らん人だ」 「多数決によりあんた、知らない人にされてるぞ……いいのか?」 「いえ、お気遣い結構です。慣れていますから」  慣れている、ということはやはり別の場所でも似たような登場と振る舞いをしていて、似たように距離をおかれているということなのだろうか。  そのよく見ると中性的とも見える整った顔立ちを眺めていると、向こうもこちらの視線に気づく。 「……」  目が弓のように軽く曲がり、口元が少しだけ上がる。  微笑まれた。 「や、山ちゃん……しばらく見ない間にそっち方面の趣味が……?」 「気にするな山下、私はそんなことで『なんかキモいな、距離をおくか』などと考えたりはしない」  その二人の発言をどう扱うべきかと思案していると、今度はアブドゥルさんが手元のプリントを手に取った。  さきほどの謎の微笑みはただのジョークだったらしい。やれやれ、俺の貞操は守られたわけだ。  ……貞操て、俺はいったいなにをいっているんだ。 「てげいぶ……にゅうぶとどけ、ですか」 「アブドゥルさん、それシュゲイって読みます」 「ああ、なるほど。重箱読みというものですね。どちらも音読み、あるいはどちらも訓読みの熟語の方が多いと教わりました」 「そ、そうですか」 「それで……山ちゃん、その手芸部に入部なさる、と? 失礼ですがあなたはどうも体育会系に見える」 「初対面でその呼び名は失礼に当たりますよアブドゥルさん」  となりでヘナが「でた、サッカー突っ込み……『その呼び名はオフサイドなんだぜ? ブラザー』キリッ」とかつぶやいているが無視しておこう。というかそんなこと言ってない。  ミザルは幼馴染だ。歳は一つ上だがかなり昔からなんだかんだでいつも遊んでいた。ヘナも混じって3人で。  たまに妹も混じって4人で遊んでいたが…………満子はすぐ泣くのでミザルは彼女を嫌っていた。  俺も割りと、彼女と遊ぶことに抵抗を感じていた気がする。  ……なんでこんなこと思い出してるんだろう。 「失敬……しかしなぜこの部活動に?」 「俺が一番知りたいですよ、まったく……」 「話は聞かせてもらったぞ!!」  ドアが軋む音を立てる暇すら与えられないほどの勢いで開いた。  アブドゥルさんが「キバヤシ……!」と意味の分からない言葉をつぶやいているがもう知らん。勝手にしてくれ。  急に入ってきたみっちょん先輩はアブドゥルさんの手から俺の入部届けをひったくり、頷きながらまるで何かの報告書のようにその文章を目で追っていく。  おおげさな。  ガッ、と擬音が出るような勢いでみっちょん先輩はプリントから目を離し、右手の平を上にむけると、 「壱君はサッカー部なのに手芸部に入部した……手芸部に所属しているのは現在2名……部長はヘナちゃん……・つまり壱君とヘナちゃんは恋仲なんだよ!」 「な、なんだって~!!!」  声を出して驚いているのはアブドゥルさんだけだ。  ミザルは何故か顔を紅潮させ先輩の顔を真剣なまなざしで見つめているし、ヘナに至っては興味なし、といった感じで棚のダンボール箱を漁っている。  気に留めている者がいるのかは分からないが、とにかくこれは否定せざるをえない。 「一応否定しておきますね……」 「壱君ホントに入部するんだ! 逃げられんじゃないかと思ってみっちょん内心ガクガクブルブルだったんだよー?」 「名前だけですからね、名前だけ。時間になれば俺サッカーの方行きますから」 「4時からだっけ……あと30分もあるじゃん。がんばれ」 「えぇー壱君ずっといないのー?」 「そ、そうだぞ山ちゃ……山下君、銀河先輩もこう言ってい、いるんだしササササッカーなんていつでもできるじゃないっかー」 「残念だ、私の鍛え抜かれた裁縫技術を披露できると思ったのだが……」  視線をダンボール箱から逸らさないヘナと、視線をみっちょん先輩から逸らさないミザル、右手をちょうど針をつまむような形にしてシャドウボクシングをしているアブドゥルさん。  最後に身をよじるように不満の念を表しているみっちょん先輩を眺めてから、俺はさて、誰から、どこから突っ込もうかと考え、次にサッカーに行ってしまっていいのだろうかとためらった。  おまけのように太く長いため息を口から出した。 ****  結果的に、その日もサッカー部の方をサボった。  そこには部員同士の確執があるとか、陰湿ないじめを受けているとか、アルバイトをしているとか、そういった明確な理由は無く。  目を右に向ければ 「先輩、縫い目の間隔が広すぎます」 「だってあれだもん。みっちょん不器用だもん。自分、不器用ですから」 「だからって1センチはちょっと……」 「そんなヘナちゃんみたいに上手くは出来ないよー」  正面に向ければ 「編み物の極意とは速く、そして正確に……冷静かつ大胆……イメージは…………アンビリカルケーブル切断! 内部電源に切り替わります! ……縫い糸を……食ってる……!?」  左に向ければ 「な、なぁ山ちゃん、銀河先輩のメルアドとか知ってんだろ? 教えてくれよなぁ頼む、この通り! ……いや本人の承諾がどうとかじゃなくて……いやだから直に話すとか無理なんだって……」  下に向ければ、手前から布を食べ、奥へ吐き出していくミシン台が。  上手く言葉に出来ないが、漠然と『俺はこれでいいのか』と考えさせられるのだが……。  サッカー、そろそろウォーミングアップとランニングが終わる時間だな…………やっぱ顔出そうかな……。 「山下、縫い目が蛇行してる」 「お前も大変だな。俺とみっちょん先輩両方の面倒見つつ……何作ってんの?」 「編みぐるみ。ぬいぐるみの親戚みたいなもん」 「そ、そうか」 「なぁヘナ、お前でもいいや、教えてくれよ銀河先輩のメルアド! この通り!」 「トミーは何なの、なんでここにいるの」 「察しろよー。少しでも銀河先輩の近くに居たいからだろうが!」 「帰れ」  まぁ、同感ではある。  だがヘナよ、それを言うなら机をはさんで対面に居るアブドゥルさんに対してはノータッチでいいのか?  本人の知らぬところで話題に挙がっている先輩はというと、あぶなっかしい指遣いで裁縫作業を続けている。  手元に顔を近づけすぎだということを伝えるべきだろうか……。 「もういい、自分で聞いてやるからな、見てろ」 「いや、最初からそうしなよ」  ヘナとミザルの言い合いも終わりを迎えたらしい。  ミザルは、みっちょん先輩に気があったのか。 「銀河先輩!」 「……ん? ああ、みっちょんのことか。一瞬誰のことだかわからなかったよー」  先輩、それあなたの苗字です。 「……みっちょん先輩、それ先輩の苗字じゃないですか」  ヘナと思考が被ったらしい。 「みっちょんのことはあれだぜ? みっちょんと読んでくれなんだぜ?」 「………………ほ、本当によろしいのですか!」  そんな階級の昇格を言い渡された兵隊みたいなリアクションをとらなくても。 「……それじゃあまるで階級の昇格を言い渡された兵隊みたいだぞ、トミー」  またヘナと思考が被ったようだ。 「おーっと、そんなことを言ってる場合じゃなかったかな? なんか用?」  「え……あの…………」  おお、そうそう、みっちょん先輩の暴走に対する一般的なリアクションならそれで正解だぞミザル。 「トミー、言いたいことあるなら早めに言わないと、みっちょん先輩がこっち側に戻ってこなくなるよ」 「マジで!? それってちょっとした病気じゃ……あ……いや…………あの、銀河先輩?」 「だからみっちょんと呼べとなんど言えばかっこ略」 「かっこ……? じゃなくて、あの、メールのアドレスとか教えてください!」 「富竹君だっけか。男友達から名前だけは聞いたことあったなぁ……壱君とかヘナちゃんと仲いいんだよねー」 「そ、そうっす! 昔はずっと3人で遊んでて!」 「壱君もヘナちゃんもみっちょんのアド知ってるし、別に教えても教えなくてもいいかなー」 「じゃ、じゃあ」 「だが断る」  みっちょん先輩の顔の線が太くなった。線が太くなったというか、油臭いタッチになったというか……荒木絵?  荒木って誰だろ。  なんというかもう、俺自身どう表現していいのか分からない。 「うそうそ、ちょっと待っててねー、赤外線送るからー」 「あ、は、はい、じゃあこっち受信で……」 「私も参加してよろしいでしょうか。私はアブドゥル=アルハザード。DoCoMoの信者、しかしすでに亡者」 「……きましたきました。って先輩のアドレス長いですね…………」 「じゃあ次こっち受信ねー」 「……」 「……送れました?」 「おーけーおーけ……ダサっ! 富竹君のアドレスダサっ! メルアドの一部がバンプだ! バンプの曲名だ! しかもちょっと古い!」 「古くたっていいんです! バンプ以外の邦楽なんて糞なんですからどうせ!」 「……」  俺のボキャブラリーの無さでは、どうやらがっくりとうなだれるアブドゥルさんを元気づけることは出来なさそうだ。  ヘナの顔を盗み見る。  微妙な表情。やはり同じ事を考えているらしい。 **** ****

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