SS美人版 其の壱


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 それにしても、とジャックは思う。
 静かだ。
 頬をなでる風は木々を揺らすに至らないほど弱い。車の喧騒もない道は静けさに覆われている。
 ショルダーバックの重みで肩が少し痛いがまだ我慢できる程度だ。……少なくとも彼はそう信じている。
 彼は年を感じるのが嫌いだ。退化という言葉も、諦めという言葉も、老化なんてもってのほかだ。
 常に前進すること、常に進化すること、常に若くあること。
 これが彼の信念であり、ポリシーであり、座右の銘でもある。

(これは肩が痛いからじゃない、この田舎の村の空気をより多く肺に取り込むためなんだ)

 ショルダーバックを下ろし、両腕を大きく伸ばすと少しこっていた背中が楽になった気がした。
 深呼吸。
 首の付け根を軽く鳴らすとポケットからタバコを取り出した。

 きっちり5分。

 これが彼のタバコを吸い終える時間だ。
 実際に同僚がストップウォッチで計ったので間違いない……はずである。
 どんな銘柄、長さであってもジャスト5分経つと吸う気がなくなる、と彼は言うし、実際そう感じている。
 あとどれくらいだろう。
 これを吸い始めてから今で何秒だろう。
 このタバコはいつ自分の口元から離れていくのだろう。
 今回も5分で吸い終わるのだろうか、それを確かめる術は今、無い。

 バックを開き、地図を取り出すと、自分の今いるであろう位置から『八開村交番』の位置を指でなぞる。

(道は……あってるはずだ)

 無意識のうちにで口元に手がいき、それをまだ舗装されていない土の地面へと投げ捨てた。
 これが5分なのだ。
 彼の5分は短くも長くもないタバコの長さ。

「ガイジンのおじさん」
「……」

 いつのまにか、少女が立っていた。

「タバコを道端に捨てるのは、関心しないな」
「…こりゃ、失礼」
「うん……わかってる」
「ん?」
「……いとう…この人が…………そう」
「え? 今なんて?」
「……別に」

 少女は空中に顔を向け二言三言小さな声を発したが、思い直したようにジャックの顔を見つめる。
 その眼に、強い光はなかった。しかし全く無いわけではない。どこか興味なさげに、しかし鋭く輝いている。
 まだ幼いその顔つきからは想像もつかない眼光。
 彼は内心、理由も付かない不安――恐怖に近い――感覚を覚えた。

 それが少女の目によるものであるか
 それがただの、知らない場所へ来た事への不安なのか
 それが、これから起こる"何か"を予知したものであったのか
 知る術は無かった。

 固まったように動きを止めている二人と相反して、地面に投げ捨てられたタバコはまだ煙を発している。
 タバコの5分間は、しばらく終わりそうにない。

「先輩」
「んー?」
「俺、今から部活なんすけど」
「こっちも部活は部活だよー」
「……俺、サッカー部なんで」
「兼部すればイインダヨー」
「…………」
「ほら、グリーンダヨーって返さなきゃ! せーの!」

 みっちょん先輩は美人だ。
 その先輩に今腕を引かれている。
 もしかしたら俺はものすごく幸せな状態なのかもしれない。

「手芸とか興味ありませんし……」
「もー、なんでノってくれないかな……よーし、みっちょん一人でやっちゃうぞー! イインダヨー! グリーンダヨー!」

 この人のテンションは独特すぎて付いていけない。
 というか次の話題に移るの早いですね、先輩。

 放課後の中学校の廊下はやや冷えている。
 まるでその熱気を全て生徒達が吸って。
 そのやや埃っぽい空気のなかを手を引かれどんどん進んでいる。目的地は手芸部室だ。
 部員数現在1名。在籍している女子が3年生なので、次の春には廃部が決まるだろう。
 本来ならその一名が新入部員を集めるために奔走するべきなのだろうが、あいにく彼女はそういったことに無気力だ。
 もしかすると自分が卒業した後の部活なんかに興味がないのかもしれない。
 だから手芸部のOBである先輩は、彼女の代わりに部員を勧誘して回っているのだ。
 ・・・成果は今のところゼロらしいが。

「ってか手芸って何するんすか?」
「んーとね…………何するんだろうね……」

 なんというか、彼女らしいというか……。
 先輩が手芸部の活動を真面目にしていなかったことは分かった。

「でもでも、ヘナちゃん居るからきっと楽しいよー。だからイインダヨー」
「……」

 突然立ち止まり、俺の手を離してから両手をメガホンみたいにしている。
 辛うじて「グリーンダヨー」といっているのは聞こえるが・・・それは何のサインなのだろう。
 言えと、俺に言えとそうおっしゃいますか先輩

「ぐ……グリーンダヨー……」
「んー……」

 しばらく腕組みをしてから

「47点!」

 微妙な採点をされてしまった。
 減点の53点分の内訳を聞く前に部室に到着した。


 初めて見た手芸部のドアは、どうみても倉庫の扉にしか見えなかった。
 ところどころサビがある鉄扉。
 掃除が行き届いていない校舎の隅。隔離されてしまったかのような空間。
 本来ならサビなど付かないようなドアのノブにもすこし赤茶色の汚れが見られる。やはりこの扉を開ける人間は少ないのだ、と姿もない誰かに言われたような感覚。
 壁にあるいくつかのへこみを眺めていると

「壱くーん、入るよー」

 声をかけられてしまった。
 扉と同じく白く塗装された壁には、汚れのほかに何かをぶつけたような跡があった。
 油をさしていないのか、扉は不快な音を発しつつゆっくりと開く。

「やほー、拉致ってきたよー」

 第一印象は、『狭い』だ。
 我がサッカー部室でさえ、ロッカーを置いても10畳強はあるくらいの広さなのに、この部屋は8畳もないほどの小さな空間だった。
 会議机が二つ、長い面を合わせて部屋の中心においてある。
 丸椅子が3脚。あいているひとつに先輩は座る。

「どうしよ、壱君の椅子ないや、みっちょんうっかり」
「……あの、一個あいてますよね?」
「それ? それはダメー。先客があるんだよね、ヘナちゃん」
「先客?」

 部員の勧誘に成功していたのだろうか。
 仕方なくなにやら毛糸のようなものが詰まったダンボールに腰掛けると、彼女の目線に気づいた。
 ピンで留められた前髪から覗く、にごったような、それでいて光っているような強い目がこちらを向く。

「山下、サッカーはいいの」
「壱君やめちゃんだってー、意外だよねー」
「……やめたんだ」

 この正反対の二人の意見が何故同じ方を向くのか分からない。
 どちらかというと能天気なみっちょん先輩、そして

「ヘナ、実は大体分かってるんだろ」
「まぁね、二人とは付き合いも長いし」
「だめだよヘナちゃん、もっといじめてから素に戻らないとー」

 ヘナはどちらかというと寡黙なタイプだ。
 確か小学校に入る前からの付き合い。親同士の仲が良く、昔はよくお互いの家を行き来したものだ。
 ……それも俺がサッカーを始めた頃までの話。
 22人で白黒のボールを追いかけるスポーツに熱中していくと同時に、いつしか彼女との会話や遊びも減っていった。
 こういう縁ってものはきっと、こうして自然に消えていくものだろうと思っていた。
 思っていたのだが

「どうせみっちょん先輩が無理やり連れてきたんじゃないの」
「ちがうよー、壱君が来たいって言ったんだよー。きっとヘナちゃんに会いたかったんだね」
「なんで嘘つくんですか先輩」
「なんだ、山下は私に会いたかったのか。家も近いのに……」
「お前には突っ込まないぞ、絶対突っ込まないからな」

 なんだかんだで縁が切れない。
 ほとんどの場合みっちょん先輩がちゃちゃを入れるからなのだが。
 自然と出る溜め息を垂れ流しにしながら顔を上げると、ヘナが手招きをするジェスチャーをしていた。
 内緒話だろうか。……この狭い部室内でいくら小さな声で話したって、先輩に聞こえないわけはないと思うのだが。

「サッカー、最後の試合近いって言ってなかった?」
「……だってこれもう逃げられないだろ、逃げたら後が怖い」
「ご愁傷様」
「泣いていいですか」
「この後たぶん先輩の喫茶店でおごりになるから、その後にならこの胸を貸してあげましょう」
「おごり?」

 先輩の方へ二人で目を移す。
 目を細めてこちらを眺めているが果たして何を想像してらっしゃるのかこの人は。
 やがてはっと気づいたような表情をし、眉間にしわを寄せ片手で頭を少し掻き、今度はその手で自分の頭を軽く叩いた。
 さらにクルっとそこで一回転し、腕をぐるぐる回し、椅子に座って足を組み「考えるみっちょん」と独り言している。
 これは先輩なりの考えているしぐさなのか。だとしたらオーバーすぎやしないだろうか。

「よし、今日は壱君の入部おめでとー記念日だからみっちょん奢っちゃおう! ヘナちゃんにも! ウチの店で!」

 横目で幼馴染の顔を盗み見る。
 してやったり、という表情で口元をニヒルに曲げていた。
 お前はお前で少し笑う練習をしろ、ヘナ。


「お酒は飲んじゃだめだかんね。それ以外なら何でも注文してオッケー」
「ナゲットプレート一つ」
「なんか悪いっすよ」
「いいのいいの、みっちょんこう見えてリッチなフリーター様なんだから!」
「ストロベリーパフェ、ナッツ抜きで一つ・・・あと本日のオススメケーキ2つ」
「じゃあ、失礼して……」
「先輩、ドリンクバーとか無いんですか」
「ヘナ、一回メニューよこせ。ってか遠慮なく頼みすぎだろ」
「ドリンクバーないよー。けっこうちっちゃい店だからねーここ」
「じゃあコーヒー。ホットで」
「ヘナ、豆とかいっぱいあるぞ、どうすんだ」
「……先輩のおまかせで」
「みっちょんコーヒー飲まないから味とかわかんないよー。でもマスターのお任せにすればノープロブレムなんだぜ」


 今のところ俺が選んで注文したのはコーラ1杯のみだ。
 みっちょん先輩もケーキのようなものとオレンジジュースしか頼んでいない。
 なのに、どうしてこんなに机の上に料理が並んでいるのだろうか。
 ……今回のお財布係である先輩は気にしていないようなのでほっとする。……どうして俺がほっとしてるんだろうな。
 少し腹が膨れてきたのを感じつつ、先輩のマシンガントークを上手く受け流す作業を続ける。
 この人はどうしてこんなにも話題に尽きないのか。

「今2年のA組の……林君だっけ? 図書委員の。そうそう。
 一昨日その子と廊下ですれ違ったんだけどさ、あの子絶対髪の毛にワックスつけてるよね?
 みっちょんが学校にいたときならあんなの生活指導の樋口に首根っこつかまれて二人っきりの教室でアッー!されるレベル……
 え? 樋口もういないの? マジで? え、ちょっとびっくりした。え、ホントに? ちょっと中学校通いなおしていい?」

 午後5時を過ぎた喫茶店で大盛りのミートスパゲッティを抱えてがっつくヘナを見る。
 ……こいつはどうして先輩の話オールスルーなんだろうか。
 おごってもらっているんだから話くらい聞いたっていいだろうに。

「樋口と言えばさ、みっちょんがまだ学校にいて…………3年のときだ。修学旅行行ったから。
 修学旅行のとき、お土産屋さんでみっちょん他の子と騒ぎまわってたら樋口が来て
 『銀河、またお前か。お前がいると他の生徒まで馬鹿な真似を始めるんだ。お前は先にバスに戻ってろ』とか言ってくるんだよ!?
 そのときまだお土産買ってなかったのに……あ、ヘナちゃん、そのスパゲッティ一口ちょーだい。まだ食べたことないんだー」

 コーラに口をつけ、一息つく。
 しかしこんなに良いお店なのにお客さんが少ないのは何故だろう。
 内装は全体的にレンガ色で統一されていて落ち着きがあり、テーブルをはじめとする家具も肩肘はらないようなデザインだ。
 ……まぁ俺にはこれくらいしか分からないんだけど。
 正直照明が強すぎなければ雰囲気なんて簡単に出るもんじゃないのか、と思ってる人種だし。

「すいません、昨日のオススメケーキってやつあと2つください」
「ヘナ、お前いい加減注文しすぎだぞ……アイスコーヒー二つもあるじゃん」
「…………これはいいの」

 何が"いい"んだろう。
 それを質問しようとすると先輩が立ち上がり

「よぉ~し、ここで恒例のゲームターイム!」

 何かがはじまった。


「げ、ゲームっすか?」
「……」
「そして恒例の~……『叩いて被ってジャンケンポン!』」

 どんなローカルの"恒例"なのだろう。

「俺やりませんよ」
「私も……遠慮します」
「えぇぇえぇええ! なんでなんで~! 盛り上がらないじゃん! ってかゲーム成立しないじゃん!」

「その勝負、私が受けて立とう」

 背後で声がしたと思ったら、後ろのテーブルの男が一人立ち上がり、こちらのテーブルへ向かってきた。
 見上げるほどの高い背、目鼻立ちが整ったやや色白の外国人。
 ローブのような、どこかの民族衣装と思われる衣服を身にまとっているが果たしてそれがどこの国のものなのか察しが付かない。
 そもそもこの人は誰なんだ。

「これは自己紹介が遅れました。私はアブドゥル=アルハザード。美しきものの味方、そして醜きものの敵」

 うわぁ……何か言ってる。

「よぉーし、二人とも相手にしてくれないからみっちょんアブドゥルさんと勝負しちゃうぞー!」

 先輩も何かノってる。

「では、こちらのテーブルで……」
「店長ぉー! ヘルメとハンマー持ってきてくださぁーい!」

「この店、叩いて被ってセットが常備されてるのか……?」
「それよりもあの外人に突っ込むべきだと思うぞ、山下」
「そうそう、あの人何なんだ・・・お前知ってるか?」
「知らない……多分みっちょん先輩とも初対面じゃないのかな」
「……この村にまさか外人が生息しているとは・・・俺も思わなかったな」

 背後のテーブルから聞こえるジャンケンの掛け声と大気を切り裂くピコピコハンマーの素振り音をできるだけ聞かないようにしながらコーラに口をつける。
 ヘナは無関心そうにケーキをパクついている。こいつ、いつのまにスパゲッティを消費したんだ。
 効果音だけを聞いている分には、どうやら先輩の勝ち数が多いらしい。何にでも情熱的になるからなぁ、この先輩は。

「ヘナ、さっきから気になってたんだが」
「な、なに」
「いつの間にか髪型変わったよな、昔はもっと伸ばしてたろ?」
「……」
「あれ? 違った? 違ったらわりぃ・・・」
「いや、確かに間違ってはいないよ。2年の終わり頃に今の美容院行き始めたから」

 なんだろう、一瞬へナの動きが硬直したように見えたような。

「そうか、最近全然会わなかったもんなー……」
「それは何、また一緒に遊びたいっていう遠まわしな意思表示なの?」
「深読みするな。今は俺もサッカーで忙しいの」
「MVPだもんね、フィールドの貴公子だもんね、皇帝だもんね、ピクシーだもんね」
「県大会だからそんな大したことねーよ・・・てかお前よく知ってるな、スポーツとか興味あったっけ」
「……ないけど」

 ですよねー。

 10分経過。
 依然、状況変わりなし。
 徐々にアブドゥルさんの悲鳴が大きくなっているのは気のせいだろうか。
 テーブルの上にある料理郡も次第に数が減っているが、まだ半分程度残っている。
 序盤に飛ばしすぎたのか、ヘナの食事のペースは確実に落ちてきている。
 ちらりと顔色を伺うと

「…………」

 心なしか顔色が悪いように見える。

「ヘナ」
「……」
「……だ、大丈夫か?」
「お腹、痛い」

 なんというか、食べすぎだからな。

「トイレ行ってくる」
「そうだな、君は少し食べ過ぎた、後は私に任せて少し休むと良い」
「アブドゥルさん、先輩と勝負してたんじゃなかったんですか」
「私はアブドゥル=アルハザード。勝利を約束された者、あるいは勝利をもたらす者」
「聞いてません」

 いつのまにか隣にアブドゥルさんが座っていた。
 先輩も続いて席へ帰ってくる。

「ただいまー、87戦56勝でみっちょんの勝ちだったよー」
「87戦、ですか」

 87戦もよくやりきったもんだ。
 というか、どうしてこんなキリの悪い数字で終わらせたんだろう。
 そんな疑問を感じ取ったのか

「ピコピコハンマーがね、折れちゃったんだよ」

 先輩が教えてくれた。

「折れるまでやったんですか」
「……いや、正確には勢いをつけて振り回しすぎた、というのが原因だと思われる」
「えー、みっちょんそんなに強く殴ったつもりないよー」
「ともあれ、これでしばらくはリターンマッチが出来ないことになる……悔しい……!」
「へへへ、たとえみっちょんに勝てたとしてもヘナちゃんには勝てないだろうねー」
「む? ……まさかあの少女、あなたよりも強いのか」

 いつのまにかみっちょん先輩とアブドゥルさんは仲良くなっているようだ。
 まぁ、瞬間的に環境に適応できる先輩なら当たり前といえば当たり前か。

「あなたじゃなくてみっちょんだよ。ヘナちゃん強いよー。みっちょん負けたとこ見たことないもん。ね、壱君」
「なん……だと……・? 本当か、そこの男」

 そこの男扱いされた。
 正体不明のインチキ外国人にそこの男扱いされた。

「え、ああ……まぁ、ヘナですから」
「そうか、私も精進せねばなるまい……」
「ところでアブドゥルさん」
「なんでしょう」
「その……日本語、お上手ですね」
「君は、たとえばその辺りを歩いている人に同じことを聞きますか?」
「は? 何いってんの?」

 だめだ、思わず年上相手にタメ口をきいてしまった。

「いかがですか」
「いや……聞きませんけど」
「それは何故」
「そりゃあ……日本人なんだから当たり前だと思うから……」
「ならその質問を私にするのでしょう」
「え……いや、日本人に見えないし……」
「つまり君は見た目で判断したわけですね。これは失礼にあたると思いませんか?」
「……ごめんなさい………………あれ?」

 俺、何か悪いこと言ったかなぁ。

「あれれ、すっごい余ってるね」

 椅子に座りなおしたみっちょん先輩が机の上の皿を見渡している。
 余らせるのも気がひけるが、正直俺もかなり腹が膨れてきている。……食べきれるだろうか。

「しょうがないな~……みっちょん結構お腹いっぱいなんだけど……」
「俺もけっこう食べましたし……」
「この勝負、私が受けよう」

 何との勝負だよ。

「私はアブドゥル=アルハザード。食の王、もしくは美味なる食物を好む野獣」

 もう自己紹介はいいよ。
 そう突っ込む間もなく箸を持ち、手元のスパゲッティを食べ始めるアブドゥルさん。
 というかスパゲッティを箸で?

「うわー、アブドゥルさん箸使いお上手ですねー」
「ええ、仕事場で同僚が使っているのを真似ていたら出来るようになってな」

 なんだろうこの違和感……。

「へぇー器用なんですねー……日本に来てからどれくらいなんですか?」
「5年程でしょうか」
「5年かー……みっちょん5歳の時にはまだちゃんとお箸持てなかったもんなぁー」
「失礼ですが、5歳児と成人している私を比べるのはどうかと……」

 そうか

「アブドゥルさん」
「どうした、そこの男」
「さっきみたいに聞き返さないんですか。あとそこの男じゃなくて山下です」
「さっきみたいに、とはどういうことでしょう?」
「いや、ですから、見た目で判断とかそういう……」
「では山下君、箸を持ってみてください」
「え? ……はぁ」

 言われたとおり目の前にある自分が使っていた割り箸を持ってみる。

「山下君、箸の持ち方が綺麗ですね」
「え? あ、ありがとうございます」
「これだけで会話が成り立つでしょう? 見た目とかそういう理屈っぽいこと抜きにして、何かを褒めあうだけで十分会話は成立するのです」

 へー。
 箸は良くて、言葉はダメなんですか。

「……」
「ははは、山下君には少し難しすぎましたか」
「壱くん結構バカだもんねー」

 おかしそうに笑う二人を目の前に、俺はこの状況が納得できずにいる。


「……」
「だ、大丈夫か」
「……生まれた。いろいろ、生まれた」

 出産おめでとう。
 …………なんて冗談を言っていられないに位トイレから帰ったヘナの様子が芳しくない。
 普段から良い方ではない身体の姿勢は3割り増しに猫背気味で、白い肌もどこか青白くみえる。
 そうとうに調子が悪いらしい。

「ヘナちゃんやっぱ食べすぎだよー……食いしん坊も8分目にね」
「調子悪いなら先帰ったらどうだ?」
「あ、壱君ひどーい、そこは送ってあげるべきでしょー」
「……そんなもんなんすか?」

 視線を先輩からもう一度席についたヘナに向ける。
 なるほど、たしかに一人で帰るにはなにかと危険に見える。
 帰り道もほとんど同じだし、送ってやるべきなのはやはり俺か?

「ヘナさん」

 アブドゥルさんが立ち上がった。

「勝負しませんか」

 なんか言ってる。

「…………何の」
「さきほど、私とみっちょんさんがやっていたゲームです」
「……ハンマー折れたんでしょ」
「ヘルメットはあります。手を、手をハンマーの代わりに使ってやりましょう」
「……本気ですか」
「もちろん、私はアブドゥル=アルハザード、嘘を吐かざるもの、むしろ真実の盲者」

 さすがに俺は立ち上がる。

「いやいや、無理でしょう!」
「む、なにがでしょうか」
「今のヘナ、明らかに辛そうじゃないですか」
「しかし私は確かめたいのだ、彼女の実力を」
「……いいよ、相手してあげる」
「お前も何ノってんの!? 無理してんじゃねーよ」
「どうせまだ家に帰るほど動きたくないし……軽く遊ぶ程度なら」

 一見無表情に見えるが、お分かりいただけるであろうか。
 そう、彼女の目に恐ろしいほどの闘気が満ちていることに。
 今夜はそんな不思議な彼女の世界を紹介していか・・・・ないない。

「なんかよくわかんない……みっちょんどうしたらいんだろ……」
「先輩、ヘルメット持ってきてください」
「あいよ了解っ! てんちょぉおお~、ヘルメもってきてぇぇええ!」

 だめだこいつ……早くなんとかしないと……!

「さぁ始まりました第1回叩いて殴ってジャンケンポン、実況はみっちょんでお送りいたします。解説の山下さん、よろしくお願いします」
「え、え? えーと……よろしくおねがいします。ってか俺解説なんすか?」
「場内は水をうったような静けさに満ちております……この緊迫感がまたいいんですよね」
「まぁ閉店時間ですし、客は俺達以外いないから静かなのも当然なんすけどね」
「さて両者礼…………いま開始! ついに始まりました!」
「とりあえずヘナが心配です」
「おっ……これは山下さん問題発言ですよ……!」
「いや、あいつ下痢じゃないすか」
「最初のジャンケン……勝ったのはアブドゥル! そしてっ!」
「……あれ、ふたりとも動かないっすね」
「で、出た……」
「はい?」
「ヘナ選手の……『アイギス・ガード』……ッ!」
「あいつヘルメにちょっと触ってるだけっすよ?」
「なんて大きなヘルメットなんだ……これは幻覚か……? 私の目には直径1メートルは軽く超えそうなほどの大きさのヘルメットが見えます!」
「俺にゃ見えないんすけど……」
「あれだけ大きければ工事現場でも安全に作業を進められそうです!」
「直径1メートルもあるヘルメなんか被ったら重くて危なくてしゃーないと思うのは俺だけですか?」
「それにしてもなんて大きな闘気……あまりの熱気にヘナ選手が揺らめいて見えます! ほらほら、壱君も解説解説っ!」
「え? ああ……っと……対するアブドゥルさんは握りこぶしを作ったまま動きませ……ってあいつ殴りとばすつもりだったのか!? ひでぇ!」
「さすがのみっちょんも平手だと思ってましたっ! これはひどい!」
「あ、ヘナがヘルメから手ぇ離した」
「あ、ヘナちゃんが平手でアブドゥルさんを叩いた」
「あれ反則じゃないんすか?」
「アブドゥルさんはがっくりとうなだれています……これは……TKO? 勝者、ヘナちゃん!」
「なんつーか……いろんなもやもやが残る試合でしたね」
「そうですねー、やはりガードを解くタイミングが少しシビアですから……」
「俺にはただ単に下痢してる女子中学生をゲンコで殴り飛ばそうとする外人のオッサンが逆にはたかれたって流れにしか見えなかったんですけどね」


「完敗だ……負けた……まさかこの私があんな負け方で…………」

 顔に深く影を落としている外人のオッサンを無視して今はヘナを気にかけることにする。
 先ほどより少しだけすっきりした表情に見える。

「ヘナ、腹どうだ」
「マシになってきた」

 腹の辺りを少し摩りながら普段通りの覇気の無い声で答えてくれる。
 なんというか、安心していいのか悩むが、まぁ大丈夫だろう。
 見た目より頑丈な奴だからな。

「そろそろ帰るか?」
「私はそのつもりだけど……アブドゥルさんどうすんの? さっきから身動き一つしないよ?」
「なんかぶつくさ言ってるし大丈夫じゃねーの?」
「山下、アブドゥルさんに冷たいね」
「あんなの無視だ無視。大人気ない大人ほど面倒なモンはないしな」
「ふーん」
「なんだよそのリアクション」
「……もう、外暗いね」
「無視かよ……」

 そう言いながら窓の外に目を向けると、そこにはもう店に入ったときの光はなかった。
 道路に面した南側の壁は全面ガラス張り、外には店内が丸見えにならないように背の低い木が規則正しく植わっている。
 外壁の上側に取り付けられたいくつかのスポットライトが木と、歩道を照らしている。
 その一本一本が造りだす影は……なんと言えばいいのだろう。
 貧弱な俺の国語力ではちょうど当てはまりそうな例えや形容詞が思い浮かばない。
 店は静かだ。
 目だけを動かしてヘナの顔を覗き見る。彼女はまだ外を眺めている。
 また視線を外に向ける。大して人が通るわけでも、雨が降っているわけでもないただの景色にしか見えない。
 足音。
 先輩か。

「たっだいま~! さ、今日はお開きにしましょー! ヘナちゃん調子はアーユーオッケー?」
「たぶん」
「オーケーィ! 壱君帰り支度はオーケーィ?」
「あ、はい」
「オーケィオーケーィ! じゃ、さようなら!」
「あれ、先輩帰らないんすか?」
「うん、駅前のスーパー行ってくるからー」

 先輩は一人暮らしいし、食材の調達に行くのだろうか。
 よく分からないがとにかく素早いステップで出入り口へ向かう先輩と、やはりまだ辛いのかゆっくりと歩くヘナ。
 そのどちらにも歩調をあわせることが出来ず俺は歩き出した。

「じゃー解散! また明日っ!」
「明日も行かなきゃだめですか……」
「山下、二日連続でサボりだね、サッカー」

「明日もちゃんと来ないとだめだよー? 明日は本格的に活動するから」
「……活動って、なにするんすか?」
「フフン、内緒なんだぜ」
「内緒なんだぜって……っておい、ヘナ、ちょっと待てよ、置いていくな!」
「じゃーねー二人ともー!」

 ヘナを追いかけ、喫茶店の前を横切ったとき、
 視界の隅に素でパフェをパクついてるアブドゥルさんを捉えた気はしたが、気のせいだろう。

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