SS美人版 其の参

 泣き声だった。
 自分より早く届けられていたいくつかのダンボールを開いていたその時に聞いた。
 女の子の泣き声だ。声変わりする前の男の子の泣き声かもしれないが、おそらく女の子の泣き声なのだろう、と適当にジャックは思った。
 泣き声は少しずつ大きくなってきている。
 本人が大きな声で泣こうとしているのではなく、ただ単に相対的な距離が縮まっているだけのことだ。
 ダンボールの山から立ち上がる。

(腰が痛いのは歳だからじゃない、過酷な作業を続けていたからだ)

 体を出入り口の方へ向けると、ちょうど交番の前を通り過ぎる少女の姿が見えた。
 黒髪を腰の辺りまで伸ばした女の子だった。
 彼がこの場所へ来たときの方向、そして先ほどの男の子達が来た方向、つまり向かって右から歩いてくる。
 両手を目のところに当てている。

(やっぱり事情とか聞かなければいけないのだろうか)

 交番から出て、後ろから声をかける。
 その言葉が「君、どうしたの」だったのか「ちょっと、おじょうちゃん」だったのかはその瞬間に忘れてしまっていた。
 振り返ったそのなみだ目の表情が、その言葉にできない魅力にその直前の行動や言動を忘れさせられたのかもしれない。

「やました……いないの」

 ヤマシタ? 何のことだろうか。
 お人形の名前にしては一般的な日本人のような。

「その、やましたっていうのは、お友達?」
「トミーたちとサッカーしにいったままかえってこないの」
「トミー……ああ、さっきの3人組か」
「…………やましたどこにいるかしってるの?」

 目当てはそのヤマシタって子ただ一人なのか。
 おそらく好意があるのだろう。ませているというか、なんというか……。

「こっちの方にお友達と一緒に走っていったよ」
「……いっしょにきて」
「はぁ……え?」
「へなもういやだ。ひとりであるくのいやだ」

 それはできない、と言いたいが……そういう雰囲気ではないか。

(まぁいい、今日はまだ正式に勤務に移っているわけではないからパトロールという名目で歩き回ってみるか)

 この辺りの地理を頭に叩き込んでおかなければならない……気もする。
 少し待っていてね、と一言残し周辺の地図を引っ張りだしてくる。
 なんというか、このご時世に紙面の地図の需要というものはあるのだろうか……いや、ある。自分にだ。
 そんなことを考えながら少女の元へ戻る。
 心配そうな面持ちでジャックが戻ってくるのを待っていたようだ。

「ええと、じゃあ行こうか」
「……うん」



「そうだヘナ」
「何」
「今日、なんか用事があったんじゃねーの? 先生がお前が俺を探してたーっつってたぞ」

 比較的一部の緊張の解けた部室内ではゆっくりとした時間が流れている。
 何人かのイレギュラーはいるものの、部長とOB代表が適当なのだから新入部員の俺にはどうしようもない。
 ……俺、新入部員なんだな。

「……ヘナ?」

 こころなしか、ヘナの表情がこわばったように見えるのは気のせいだろうか。
 自慢ではないが俺は人の顔色を伺うのが苦手だ。
 だが勝手知ったる幼馴染の間柄、なんとなく意思が伝わってくる気がする。
 テレパシー? いいえ、ケフィアです。

「そのことなんだけど」
「お、おう」
「…………二人で話せない?」

 部室内の空気が凍りついた。
 しかしそれが解凍されるのは思いのほか早かった。

「へ、ヘナちゃん、それって、それって……!」
「落ち着け山ちゃん、落ち着くんだ、いいか、今日がお前の年齢イコール彼女居ない歴人生を終わらせる日になるかもしれないぞ……!」
「わ、わわわわわたしはアブドゥル=アルハザード! アブっ! アブドゥ! どぅ!」
「みんな何してるの」
「起爆したのはお前だヘナ。……で、二人じゃないとダメなのか?」
「…………ちょっと、他の人の前だと言いにくい」

 部室内の空気は加熱された。
 先ほどの硬化とは打って変わってその発言は、部室内の変人達を活性化させていく。

「にん……しん……?」
「あれ……? もうその一線超えちゃったのか……」
「う、うろたえるな! アブドゥル=アルハザードはうろたえないィィィ!」
「……みんなどうしたの?」
「火に油を注いだのはお前だヘナ。……もういい、ちょっと部室出るか」
「そうだね」

 身体を震わせたりきょろきょろ辺りをうかがったり舞い踊ったりそして考えるのをやめたりしている3人を残し、俺とヘナは部室を出た。
 ……けたたましい音を立ててドアは閉まる。
 俺はこのドアを開閉するたびにいつこの蝶番に油が差されるのかと懸念しなければならないのか。
 廊下は少し涼しかった。そうか、狭い部室内で何人も若い男女がいれば室温もあがるわけだ。
 早足で歩き出したヘナを追いかけつつ少しだけ深呼吸する。
 うん、埃臭い。問題なし。

「どの辺で話す? 授業も終わってっし……他の部活も始まってるからなぁ……」
「人がいなければどこでもいいよ」
「…………屋上、とか?」
「じゃあ私は鍵を開ける役やるから、山下は職員室で胸張って『可愛い女の子と屋上でキャッキャウフフしてくるので屋上の鍵貸してください!』って言う役ね」
「はいはい却下却下」
「その辺でいいよ」
「……こだわったわりにはどうでもいいんだな」

 コの字型になっている校舎の、二つ目の曲がり角でヘナは立ち止まった。
 ヘナは振り返る。
 …………すごい重い相談とかされたらどうしよう。

「すごい言いにくいんだけど」

 そういえばこいつに相談なぞ受けたことなんてあっただろうか。
 ……少なくとも覚えている範囲ではないな。多分。
 こいつは意外と自分で抱え込むタイプだと思う。うん。
 天城ヘナはそういう奴なのだ。

「……いなくなった」
「…………何が? 誰が?」
「……いとう」
「………………………………誰?」
「え?」
「え?」

 それは本当に、本当に久しぶりに見た明確なヘナの驚愕の表情だった。
 そして点になっていた瞳は元にもどり、少しだけ泳ぎ、しっかりとこちらを見据えて

「…………忘れちゃったのか」

 少しだけ、本当に少しだけ寂しそうに瞬いた


「オーケー山ちゃん、もう一度言ってみようか」
「だから、魚類で人面魚で幼女でまんまん涙目で無精髭で背が高くてちょっと浮いてる感じの男を見なかったか?」
「何それ」

 部室に戻り、丸椅子に座る。
 どうでもいいが、昨日に比べていくつか増えてないか、丸椅子。
 部屋の中には全部で6脚。全員が一人ひとつずつ座っても一つ余る計算になる。もっとも今アブドゥルさんが壁を背にもたれて立っているので2脚余っているが。
 …………いつの間に運び込まれたのだろう。
 少なくとも昼、つまり俺とミザルが入った時点ではすでに増えていたから、運び込まれたのはそれ以前になる。
 昨日は俺、ヘナ、みっちょん先輩の3人は同時に部室を出て、そのまま解散したしなぁ……。
 まぁ、どうせ朝のうちに先輩がどこからかっぱらってきたのだろう。こんな行動力がヘナにあるとは思えない。

「壱君……いくらへナちゃんと晴れてカッポーになれたことの照れ隠しとはいえそれはないんじゃないかな」
「私はアブドゥル=アルハザード。推理する者、しかし結論には至らない者」
「カップルになんかなってません」
「うっそだぁ」
「いや、俺はむしろ信じるぞ」
「えーつまんなーい」

 わざわざ混乱の中をかいくぐってまでヘナが俺を呼び出した理由はこうだった。
 『友達がいなくなったので探して欲しい』
 たとえば、ぬいぐるみがなくなったのなら自室をひっくり返して探せばいい。教科書がなくなったなら学校の教室を探し、なければ自室を探し、それでもなければ間違って持って帰ってしまったものがいないかたずねればいい。
 しかし、生身の人間が居なくなったとなればそうはいかない。
 その場でどうすることも出来なかったから他の奴に言ってもいいか、と聞くと簡単に首を縦にふったヘナ。
 というか別に知られてもいいことならわざわざ呼び出す必要はなかったと思うのだが。

「……というか、そんな人間いんのかよ」
「俺に聞くな。ヘナに聞け」
「いる」
「言い切ったよおい……」
「ヘナちゃんへナちゃん、その……人? とはどんな関係だったの?」
「…………言えない」


 言えないような関係……あまり簡単な仲では無いらしい。だから先に俺だけに話したのだろうか。
 気にならないと言えば嘘になる。
 しかしなぜ俺に相談を持ちかけたんだ? 相談事なら年上のみっちょん先輩に…………無いか。
 ならミザル…………もないな。残りの一人は論外とすると消去法で俺になったのか?
 俺も人の事言えないくらいには頼りないつもりだが。

「それはともかく、本当に行方不明になったのならば大変ですね。警察へは?」
「ってかその……人? の親御さんは?」
「……知らない」

 良く分からないが、あまり親しい仲ではないのだろうか。……いや、ヘナの友達になるくらいだからな、やはり無口で相手のことをあまり詮索しない性格なのかもしれない。
 だいたい探すってどういうことなのだろう。

「こういうのは山ちゃんに任せるわ。俺はパス」
「そだねー。みっちょん難しいことよくわかんないよー。パス!」
「私はアブドゥル=アルハザード。探求するもの、さらに追求するもの」
「みんなパスかよ……とりあえずヘナ、そいつが居なくなったのはいつ頃からなんだ?」
「いや、あの、私はパスをすると言っていないのですが」
「さっすが山ちゃん! もうあれじゃね? 名探偵じゃね?」
「壱君のハイパー推理タイム始まるよー!」
「いやだから私は」

 なにやらテンションの上がりだしている3人はとりあえず放っておこう。

「……で、いつ?」

 ヘナの顔を見ながら問う。
 …………どことなく不機嫌に見えるのは俺の気の持ちようなのだろうか。
 何か文句の一つでも言いたそうな顔をしていたが、やがてその仏頂面は普段のポーカーフェイスへと変化し

「昨日の晩」

 ほとんど口だけを動かし6音の言語を発した。

「昨日の晩か……ああ、どっか行くっつってたな。あの後そいつの家行ってたのか」
「あれ、昨日壱君へナちゃん家まで送ったんじゃないの?」
「いや、こいつが寄るとこあるっつーから……」

 俺はどちらかというと、空気が読める方だ。
 発言するときにはその内容を話す前に脳内で反芻し、周りの前後の会話の流れを汲んでから吐き出す。
 空気が読めなかったり、下品だったり失礼にあたるようなことはあまり無い。
 それが当たり前だと思っている位だ。
 だからこそ。
 だからこそこの室内の肌で感じられそうなほどの所謂、場の温度みたいなものの急激な低下に免疫がない。
 軽口を叩いていたミザルはどこから引っ張り出してきたのか分からないほどの不機嫌なオーラを発しているし、さきほどまではしゃぎまわるあまり地面から数センチ浮上していたみっちょん先輩も少し悲しそうな表情をしている。
 アブドゥルさんに至っては…………まぁこの人はいいか。

「俺…………なんかまずいことしました?」

 沈黙。
 やばい、なんか俺がイジメにあってるみたいだ。口の中が乾いて何も言えない。
 いつもの悪ふざけとは明らかに違う空気の悪化が俺の心を締め付ける。

 その時だった。


「と、ここでネタばらし。なんとここにいる全員仕掛け人だったのだ」
「何言ってるんですかアブドゥルさん」
「これには山ちゃんもおもわずにっこり、してやったりである」
「してねーよ。にっこりしてねーよ」
「じゃあもっこり」
「じゃあって何だよ。俺はどこのシティハンターだよ」
「今週のザ・ベストは、こちらでーす」
「先輩、なんか次のコーナー的なものに進んでいくのやめてください」
「私は台湾の屋台とか周る感じのリポートがいいな」
「ヘナ……俺、主にお前のことで真剣になってたんだが」
「ぷぎゃー」
「…………」
「ぷぎゃぎゃー」

 戦慄、というものを感じていた。
 むしろ自分がこんなにノー天気な受け答えをしていることにも驚くくらいだ。
 さきほどの完全に死んでいた空気が、何の前触れも無く復活している。まるで示し合わせていたかのように。
 まるで、触れてはいけないものに触れさせまいとするように。

「ヘナちゃん、ぷぎゃーってのはこうだよこう、右手で人差し指を……」
「ぷぎゃー」
「そうそうそう」
「ぷぎゃー」

 蒸し返すか。
 このまま流れに乗るか。
 もしかしたらさっきのは俺がさっきへナから聞いた話によって少し神経質になっていたから感じていたのかもしれない。
 もしかしたら4人とも皆冗談のつもりでやっていた、いつものやりとりだったのかもしれない。
 もしかしたら。
 もしかしたら。
 もしかしたら。

「私はアブドゥル=アルハザード……挑発する者! ぷぎゃー!」
「ええい、やかましいエセ外国人!」
「あ、山ちゃんがキレた」
「きっと行き場のない性欲が暴走したんだな」
「壱君もなんだかんだで男の子だもんねー」

 思考ってものはどうしてこう、らせん状になりやすいものなのだろうか。
 俺は神経質すぎる。ただそれだけのことだろう。
 視界の隅でうなだれているアブドゥルさんをとりあえずスルーしてヘナの方を見る。右手の人差し指がまだこちらを向いているが知ったものか。

「ヘナ、とにかく警察には届けてないんだよな?」
「うん」
「……警察には届けない方がいいか?」
「……というか、まともに取り合ってくれないだろうし。私いとうのこと苗字しか知らないし……本名なのかも知らない」
「とりあえず行かないよりマシだろ、こんなとこで燻ってないでとりあえずジャックのとこ行こう」

 自分でも割りとすんなり身近な頼りになる大人の存在が口から出たと思う。
 人に頼ってはいけない、なんてルールはないからな。

「そだねー。ジャックならたぶんへナちゃんの人探しも手伝ってくれるよー」
「ジャックか……俺はいいや。なんつーか外人は苦手なんだよな……」
「外人キャラ……だと…………? 私と被るではないですか…………私はアブドゥル=アルハザード。異邦人、そして来訪者。行かないわけには行きません」
「いや、本人が許諾してないのにそこまで盛り上がるのはどうなんですか……」

 俺の正しい意見を無視してミシンやら布やら針やらを片付け始めている4人。

「……いいのか、ヘナ」
「うん」

 とりあえず相談主の意向にはある程度沿っているようだ。
 安心をする反面、先ほどの冷めた空気を思い出してしまう。
 気に、しすぎなんだよな。

「ほーら、壱君も片付けてよー。このミシン年代物でけっこう重たいんだからー」
「私はアブドゥ……ふんっ! お……おも……」
「みっちょん先輩、これってどこに仕舞っとけばいいですか?」
「名前書いた紙を軽く縫い付けてー……一番したの右から二つ目のダンボール、かな?」
「先輩、そのダンボール園芸用品入れです。練習用の布とかは全部上から二段目の箱に入れてますよ」
「あ、あれ? そうだっけ」
「ホントだ、スコップとか入ってる。園芸とかもするんすね」
「園芸部が出来る前はやってたんだけどねー」
「へぇ……裁縫よりこっちのが面白そうなのに……」

 ミザル、お前部員でない以前にこの学校の生徒じゃないだろ。


 『校門を出るときは右足から出る方が良い』との富竹ミザル大先生のありがたい助言、もとい占いを受けた俺は堂々と左足から校門を出ることにした。
 宣言通りジャックに会いに行くことを拒否した自称占い師が抜けたとは言え、4人の大所帯。細い田舎道では横一線に並んで歩くことは出来ない。
 ところどころアスファルトを割りながら生える雑草の不規則な感覚が奇妙な感じだが、普段通っている道なので大して気にもしない。
 目の前を歩くアブドゥルさんとみっちょん先輩の後姿を眺める。一体何を話しているんだろうかこの二人は。

「ジャック、相談に乗ってくれるかな」
「大丈夫だろ。……たぶんな」

 視線を目の前の二人から離さないまま答える。
 なにやら華麗なフットワークでシャドウボクシングらしきものを繰り広げているアブドゥルさんと、それをよこで何か言いながら笑っている先輩。
 この二人は傍からみればけっこうお似合いなカップルではないのか。
 ……そう考える俺はまっとうな思春期ボーイですね、わかります。

「あれ、こんなとこにコンビニなんかあったっけ」
「結構最近出来たんじゃなかったかな」
「……お前、コンビニとか行くんだ」
「基本的にスーパーだけどね」

 そういえば普段、ヘナは何をしているんだろう。
 …………なんて曖昧な質問をしたいときはどうすればいいのか俺には分からない。
 考えているうちに面倒になってくるから結局何も言わずじまいなんだが。
 学校の勝手口を出てすぐの通りを右に曲がってまっすぐ。川を越えてすぐの大通りを右にまがってすぐ。そこに交番はある。
 なんてことない、我が校の生徒なら誰でも知っていることだ。
 ただ、知っているだけで行ったことのない生徒の方が圧倒的に多いのは、駐在の警察官が外国人であるから、という理由が圧倒的に多いからだろう。
 ……我が村の名物警官、ジャックには俺達が小学校に入った頃にお世話になったものだ。
 日本語が達者な金髪のイギリス人男性だが、れっきとした日本の警察官。警察手帳をみたことがある気がする。
 外国人が日本で公務員になれるのか、なんて俺達にとっては些細な問題にすぎない。金髪碧眼でどこぞのハリウッド映画に出ても不思議ではないほど整った顔立ちの男が、我が村の交番で職務についていることがただただスリリングだった。
 子供にやさしく、気さくでタバコ臭い。それが彼の印象だ。 

「最後に会ったのは……いつだったかなぁ……」
「山下はたぶん覚えてないよ、ずっと前のことだったし」
「ずっと前って?」
「中学校に入る……ちょい前」
「小六? ……何してたかな」

 久しぶりに見る川が見えてきた。名前なんて覚えてないけど。


「オー、山下くん、背がノびましたね」
「年の暮れに親戚のおっちゃんに言われました、その台詞」
「山下、背が伸びたね」
「たしかにお前とは最近関わってなかったが今更感がすごい漂ってるぞ、ヘナ」
「ヘナさんはどんどん美人になッていきますね」
「……」

 ストレートにおだてられると少し照れるヘナに思わず吹いてしまう。
 そんなヘナの弱点も知り尽くしている昔馴染みの金髪おっさんは豪快に笑う。この根元がやや黄ばんだ歯を見るのも久しぶりだ。
 手芸部室と比べてもやや狭い交番に入っている人数は見える限り5人。奥から取り出されてきた丸椅子が2脚と安っぽいデスクチェアが2脚、この建物の主はやや奥の座敷に脚を崩して座っている。
 初めての場所だからか、はたまた相手が相手だからか、みっちょん先輩もアブドゥルさんも口数が少ない。
 その姿を見止めてジャック・ギーメイ巡査は両手の平を上に掲げて

「そんナに緊張しなくてもイイですよー。今日はジャックしかいマせんので」

 ワイシャツで活動範囲が狭められている肩を大きく動かしてボディランゲージ。積極的に自分から緊張を解こうとする姿勢にはどこか真似できないものがある。
 ……ベルトできつく締め上げすぎているせいだからだろうか、腹がかなり出っ張って見えるのだが……太ったなこりゃ。
 しかしまぁ、ジャックにこのての話をふるとすごく機嫌が悪くなるから言い出さずに腹のうちに収めておこう。
 何も言うなよ、ヘナ。
 再び二人の方へ視線を移す。

「みっちょん先輩が固くなってるね」
「俺も大概先輩に弄られてきたがこんな先輩を見るのは初めてだ」
「網膜に焼き付けておくんだよね、山下。そして夜中一人のベットでこのイメージを再生しつつゆっくり手を股間へと」
「しねーよ。仮にするとしても丁重に否定させて頂くよ」

 急ににじり寄ってきて何を言うのかと思えば。
 互いにジャックには慣れている俺達はいつも通りの軽口を叩き合えるが、いくら順応が早いといってもやはりこの二人は居づらいだろうか。
 早めに用件を済ませて退散したほうが互いのために

「じゃあじゃあ、ジャックさんって壱君とかヘナちゃんがちっちゃい時のこと知ってるってこと?」
「イェス、そうなりマすね」
「うおお! きたこれ! テンションあがってきた!」

 環境への適応がいくらなんでも早すぎる先輩を視認。

「ジャックさん」
「はい?」
「外人丁寧口調属性は私一人で十分だ!」
「…………は?」

 若干おかしい方向ではあるが同じく環境に適応している外人を視認。

「勝負しろ、私と! そしてどちらが残るかを決めるのだ!」
「……はぁ」
「勝負方法はそちらが決めていい! 私はアブドゥル=アルハザード、戦い続ける者、そして怒り狂う者!」
「勝負……ねぇ……」

 救いを求めるような目で見ないでくれジャック。ある程度免疫はついてきた俺でもかなり手間取ってる奴なんだ。
 ……というこちらの意図を察したのか察してないのか、とにかく何かを諦めたように大きなため息を付いたジャックは

「山下くん、そこにある私の上着の中から、煙草を取り出してくレマせんか」

 またしても何かが始まった。

「さて、始まりました警察官ジャック対フリーターアブドゥルの『時計を見ずに5分を測る試合』一本勝負、審判はヘナちゃん、解説は壱君、実況は私みっちょんがお送りいたします」
「俺はもう解説で定着なんですね」
「二人とも準備は」
「……いいでスよ」
「私はアブドゥル=アルハザード。引き金に指をかけられた拳銃、または弾丸」
「じゃあ……開始」
「さぁ、始まりましたが解説の山下さん、心境の方はどうですか!」
「え、俺の? 俺の心境でいいんですか?」
「ええ、もう何も言わなくても両者の考えるところはだいたい分かる気がします!」
「……そ、そうですね。んー、とりあえずジャックが負けないわけないと思います」
「お、それはまたどうして」
「ジャックの特技なんですよ。煙草を吸いながら5分間を正確に測ることは」
「なるほど……尚、今回の試合はタイミングが命なので本人には事前に5分が経ったことを知らせる合図が決まっております」
「まぁ、見りゃわかりますけどジャックは『煙草をもみ消す』……ヘナ、アブドゥルさんは何がサインなんだ?」
「手を挙げる」
「…………何のひねりも無いな」
「これはひどい! みっちょん的にも微妙です!」


「ねぇヘナちゃーん、あと何秒くらい?」
「先輩、それ言っちゃったら意味無いと思うんですけど」
「5分は長いよー」
「……耐えましょうよ、もうちょっとかもしれないじゃないですか……おいへナ、お前なにくつろいでるんだ」
「大丈夫、ストップウォッチは見てるから」
「そういう問題じゃないんじゃ……」


「おおっと、アブドゥルさんが手を挙げました!」
「ジャックはまだ吸ってますね」
「この表情! アブドゥルさんのこの余裕の表情!」
「勝敗も決まってないのに恍惚としてますね」
「まさにへヴン状態!」
「お、ジャックが煙草を吸い終わりましたね……あんなにギリギリまで吸わなくても……」
「ここで試合終了、結果がヘナ審判員から伝えられます」
「アブドゥル3分30秒。ジャック5分2秒」
「決まったーーーー! 勝者ジャック・ギーメイ巡査!」
「ジャックの2秒は煙草を口から灰皿へ持っていった時間でしょうね」


 ジャックの体内時計の優秀さを知っていた俺とヘナは大して驚きもしなかった。
 わけのわからない5分強のゲームタイムが終わってから更に数分が経過している。
 俺とヘナの昔話をジャックから全力で聞き出そうとしているみっちょん先輩とは対照的にアブドゥルさんは奥の座敷で横になっている。
 おそらく精神的な何かで落ち込んでいるのだろうが……誰も気にしていないのはやはり可哀想なのだろうか
 ヘナは隣で眠そうにジャックと先輩の方を見ている。
 ……自分では言い出しづらいのだろうか。

「ヘナ」
「……なに」
「なんでそんな眠そうなんだよ……例の件、ジャックに相談しねぇの?」
「…………やっぱりいい」
「いいって何だよ、いいって」
「きっと信じてくれないから」

 表情も全く崩れていないし、視線も二人の方を見ているままだが俺には分かった。
 ヘナはどこを見るともしておらず、ただそこにぼーっと座っているだけだ。
 これが意味するところは『飽きた』『諦めた』『どうでもよくなった』……とこの辺りだろうか。
 とにかくここまで来たのだ。俺が一人で張り切ってもしょうがないので当事者に頑張るよう促すことにする。

「だから大丈夫だって、ジャックなら」
「……昔みたく私も子供じゃないから、冗談と取られて終わっちゃうよ」
「月並みな返しだが、お前まだ十分子供だと思うぞ」
「それは何、厭味?」
「いやいや、イヤミも何も俺達同い年だから」
「とにかく無理だと思うな」

 ……。
 ヘナは無口ではあるが、その本質は何事にも猪突猛進する一途であることの裏返しだと思っていた。
 ……いや、過去形じゃないな。今でもそうだと信じている。
 何がこいつをそこまで引き止めるのだろうか。俺にはとても分かりそうもない。
 とにかくこんなにネガティブなヘナを見て居たくない、と思う。

「…………まだ何もしてないうちから諦めてんじゃねーよ。もう行動する先は目の前まで来てるじゃ…………あれ?」

 前にも一度、似たようなことがあった気がする。
 もっとも、俺から言ったのではなかったし、その相手はヘナでもなかったはずだ。
 部活の先輩……後輩…………違う。みっちょん先輩でもミザルでもなかった。
 …………サワラさん? だったかなぁ……。

「山下」
「…………」
「山下」
「……ん、何?」
「いい感じのこと言ってると思ったら『あれ?』って……」 
「ああ、悪い悪い。とにかくまぁ当たって砕けろ、だ」
「急に適当になった」
「気にすんな」

 砕けたら意味ないだろ、と呟いてから彼女は深呼吸を一つ……いや、二つしてから我らが金髪の駐在の方へ目の焦点をあわせた。
 とりあえずは様子見だ。こいつに好きなだけ話させて足りないところは俺が補ってやればいい。
 暴走すれば突っ込んでやればいい。
 どちらかというと我先にと前へ突き進んでいくタイプのヘナとは違い俺は"押しが弱い"ところがある。
 その分周りの奴の手伝いとか縁の下の力持ちになれるように努力してきたつもりだ。……こう思うようになったのもヘナのおかげだろうか。
 少し前までだが俺とヘナはこうやってバランスをとってきたんだ。今回も、これからも、ずっとこのバランスが続けばいいと思ってる。
 …………こんなことをこいつに言ったらマゾ、と切り捨てられるだろうか。
 ヘナは口を開いた。

「ジャック」
「ん、何デすか?」
「私の背後霊が殺された。犯人を捜してほしい」

 …………………………は?

最終更新:2008年06月22日 19:56