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「声優相撲博物館」エントランスホール
①「常設展示」~初めて来館された方へ~ ・声優相撲博物館 概要 ・声優相撲50年のあゆみ ・更新履歴(2016年) ・声優相撲Q&A(2015年4月12日)
②「本場所」情報 ~2016年~ ・秋場所 ・名古屋場所 ・夏場所 ・春場所 ・初場所 ~声優国技館~ ・優勝額掲額(#06)
③「声優相撲協会」について ・現役年寄名跡一覧(#03) ・年寄名跡変遷一覧(#10)←New ・職務分掌 ・声優相撲部屋と一門(#02)
④「展示物」 ・花相撲 ・地方巡業 ・声優相撲決まり手一覧 ・声優相撲決まり手解説 ・声優相撲用語集 ・異名一覧
⑥「資料室」①号室 『声優力士名鑑』シリーズ ① 『歴代声優横綱24人』 ② 『歴代声優大関30人』(#09) ③ 『現役関脇一覧』 ←New ④ 『現役小結一覧』 ←New ⑤ 『歴代関脇一覧①』 ⑥ 『歴代関脇一覧②』 ⑦ 『歴代小結一覧』 ⑧ 『歴代声優一覧①』 ⑨ 『歴代声優一覧②』 ⑩ 『歴代声優一覧③』 ~現役力士名鑑~ ⑪ 『現役声優一覧①』 ←New
⑦「資料室」②号館 ・各段優勝力士一覧(#01) ・歴代三役力士一覧(#04) ・新入幕・新十両力士一覧 ・『歴代横綱24人』 ・第24代横綱・佐倉綾音(#08) ・歴代幕内最高優勝力士一覧 ・幕内最高優勝の記録一覧
⑧「録画室」 ・声優相撲各場所結果一覧 ~2015年~ ・九州場所 ・秋場所 ・名古屋場所
⑨「外部リンク」 ・Twilog(@yequalrx)
「声優八幡宮」 ・横綱力士碑(#05) ・大関力士碑 ・強豪関脇力士碑
仝小山茉美愛知
この強豪関脇力士碑は、横綱大関には届かなかったものの、上位を苦しめ、声優相撲を盛り上げた強豪関脇を讃え後世に伝えるため建てられました。
年4場所となって以降、横綱大関への昇進が厳格になったことを受け、多くの名力士がこの碑に名を連ねることとなり、総勢30名が名を刻んでいる。
1997年昇進の池澤春菜以降、碑に刻むスペースが無く、1998年の根谷美智子関以降、多くの強豪関脇が誕生しているが刻まれていない。「副碑」などを設けて、21世紀、年6場所制以降の名関脇も後世に伝えられることが期待される。
年2場所制度においては「つかせのりこ」が最多8場所(4年)だった。年6場所時代にさしかかり、桑島法子の13場所を筆頭に、2桁在位を数える力士も増えた。いずれも大関以上を経験しており、その多くが「大関陥落」を経て、関脇在位回数を増やしている。
最高位:関脇の力士としては、7場所の力士が最多であるが、現役の悠木碧も7場所としており、記録を更新する可能性が高い。時代的な意味合いから考えると年2場所時代における「田中真弓」と、年4場所時代における「大谷育江」は特に記録としての価値が高い。
2002年に1年間関脇を守り大関に復帰した「桑島法子」と、年2場所で合計2年半5場所関脇を守った「田中真弓」が印象深い。
年6場所制では、連続する2クールで活躍を遂げた場合、「3場所連続」での活躍は比較的容易なため3場所連続は複数あるが、最低3クールに渡る「4場所以上連続」はグッと難易度が高まる。最近10年間では茅野愛衣と内田真礼が達成するのみである。
8・9勝の場所を織り交ぜ無いと、自然と大関に昇進してしまい、或いは負け越せば即小結以下に陥落するため、「連続」には番付運も必要となる。
関脇優勝は過去14例あり、3人が2度達成している。戸松は大関から関脇に陥落した場所でも優勝を決めている。17年間生まれていなかった関脇優勝を堀江が連続で達成すると、史上初の「6連覇」の起点となった。現役力士を除くと、全員が横綱・大関昇進を果たしているが、悠木碧は場所後の大関昇進を逃している。
調べると上位陣の人数が多い時期でも、比較的達成が多い。横綱・大関戦が後半に組まれやすい関脇だが、寧ろ既に星を落として優勝争いから後退している上位陣が関脇の勢いに圧倒され止められず、その勢いのまま旋風を巻き起こし優勝するといった例が多い印象がある。
また、悠木碧以外の全員がこの関脇から3場所以内に大関に昇進している。「関脇優勝」は大関昇進へ大きな加点、プラスとなるのは言うまでもない。
「新関脇」が新三役という力士は、古くから時折見られたが、2013年以降大きく増加した。年6場所となった2001年以降では、大久保瑠美が6枚目から出世した以外は、いずれも前頭3枚目以内で2桁勝利を挙げたことによった。
関脇が同時に最多在籍した場所は「関脇4人」であり、過去6回ある。
前提として基本的に関脇は2人であり、例外として3人となることは良くある。大相撲では以前は最多5人など三役での付出しが頻出していたが、近年はほぼ無くなった。
声優相撲では、活躍度合いの高い力士を積極的に登用する方針を取っているため、前頭上位での2桁勝利時などで、小結2枠が自動的に決まる場合などは、小結を飛び越して関脇に昇進させる例が多数見受けられる。
関脇4人はそれでも例外的であり、多くは大関陥落と、前述の大勝ち力士が同時に誕生し、関脇を減らせない状況が誕生した際に起こる。以下、過去の具体例を列挙する。
関脇力士4名と、その前の場所での番付地位を色で表示する。(オレンジは大関陥落、緑は関脇維持、青は小結、黒は前頭からの昇進)
6例中4例は前の場所も関脇が3人以上で、かつ大関陥落により人数が4人となった例。2005年九州場所も平幕から2人が押し出される形で関脇となった例である。いずれにせよ、横綱か大関が1名で番付の構成自体が、特殊な時代だからこそ誕生した「4関脇」の場所であることが伺える。
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