この横綱力士碑は、横綱の顕彰と声優相撲の歴史を伝えるため、第21代横綱沢城みゆきを発起人として、2015年に建てられました。
古くから子どもたちに親しまれてきた声優相撲は、1963年に「鉄腕アトム」をはじまりとし、「テレビまんが」「テレビアニメ」の発展と共に、東京で興行を行うようになりました。古くから電気街として知られた秋葉原に声優国技館が建てられ本場所が定期的に開催、平成時代には「オタクの聖地」として広く親しまれ、声優相撲の発祥地となっています。
威容を誇る「横綱力士碑」は、相撲と声優のつながりを示す展示物です。
平成27年8月 私益財団法人 声優相撲協会
声優相撲における「横綱」とは、声優力士の番付における最高位の称号である。現行制度では横綱に降格はなく、現役引退によってのみ、その地位から降りる。従って、横綱になる力士はその地位にふさわしい「品格」と抜群の「力量」を要求される。
1968年、2年連続本場所で優勝した加藤みどりが横綱に推挙され初代横綱を免許。それ以後は「臨時理事会」「声優審議委員会」を経て横綱に昇進されている。
「せり上がるときに左手を胸の近くに当てて右手を伸ばす土俵入り」
声優相撲においては、「加藤みどり」が初めてこの形で土俵入りを行い、「野沢雅子」が18年に渡り横綱土俵入りを務めることで強く印象づけられた。大横綱と呼ばれる「林原めぐみ」や「堀江由衣」、「花澤香菜」もこの形を継承している。
「せり上がるときに両手を伸ばす土俵入り」
声優相撲においては、「太田淑子」「栗葉子」が創設し、野沢に対する形で、1970年代には「吉田理保子」「横沢啓子」が務めた。以降も、日下開山の大横綱が雲龍型を務める際に、好敵手として、体裁を整える意味合いでも、率先してこの形を選ぶ場合が多い。
沢城みゆきは、「雷」部屋在籍時から流動的であったが、移籍後も加隈亜衣が同一門であるため、幕内に定着している現状「太刀持ち」を務めている。出羽海一門の「佐藤聡美」などが務めてきたが、夏巡業からは一門の佐藤利奈が露払いを務める。
花澤香菜は、時津風部屋力士を中心に太刀持ち、露払いとして据える。幕内在籍時は「久野美咲」を露払いとすることが多かったが、長らく井口裕香が太刀持ちを務めてきた。
茅野愛衣は、フリー時代から移籍前の「尾車部屋」に所属する、「petit milady」の2人、悠木碧、竹達彩奈が一門外ながら参加することが多く、種田梨沙が太刀持ちに定着しているが、露払いは尾車部屋から選出も多く流動的である。
「昇進」
「記録」
「大横綱」
横綱は力量だけでなく、品格抜群とされるからこそ横綱とされる建前である。これは横綱昇進条件ともなっている。
声優相撲協会による「横綱の品格基準」は以下の通り。
一、声優相撲道に精進する気迫二、横綱という地位に対する責任感三、社会に対する責任感四、常識ある生活態度五、その他横綱として求められる事項
声優相撲では、横綱に昇進する際は勿論、横綱昇進後も「品格」を求められる。歴代の横綱は「品格抜群」であり、その素行などで問題となった事例は無いが、大関以下と同様に「引退勧告」などが行われることも全く無い訳ではない。
「横綱は、声優力士の範たる力士」であることが求められる。歴代横綱の中でも、「品格」で高い評価を得た力士を見ていくと、加藤みどり、野沢雅子、林原めぐみ といった大横綱の他にも、能登麻美子、沢城みゆきなどが多くの力士が模範とし、後進の指導に当たった。
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