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ノエ(4)

なんと一言も言わずに行なってしまったのか。ああ、真実の愛とはそういうものなのだ。
真実は言葉で飾るより以上に実行を持っているのだ。
                                         ―-ウィリアム・シェイクスピア


梟の鳴き声と駿馬が蹄を鳴らす音が聞こえた。
馬車の不快な揺れが止まっている事でようやく自宅への到着を知った私は、血の滲む唇を袖で拭いた後、ノエに声を掛けた。
「さあ、降りよう。今日からノエが暮らす家を紹介するよ」
私の毛皮を抱き締めるように纏うノエは、どうやら眠かったらしい。私の声に驚いた様子で、眼を擦りながら、勢いよく立ち上がった。
「…………!」
咄嗟に手を伸ばすも、遅い。決して高くない馬車の天井に思い切り頭を打ち付けたノエは、両手で頭頂部を押さえて屈み込んでしまった。
大丈夫か、声を掛けると、瞳の端に涙を浮かべながら笑顔で私を見上げ、おどける様に舌を出した。
その一連の動作、余りの可愛らしさに、今度は此方が屈み込みそうになる。ノエはそんな私を、不思議そうに見ていた。
「行こう。腹も空いているだろう、何か作らせよう」
照れ隠しに少し胸を張り、馬車の短いタラップを飛び降りた。今度は私が、ノエを見上げる。
ノエは恐る恐るといった足取りで、鉄製のタラップを一段ずつ降りる。その足がゆっくりと地面に触れた時、私の中である欲望が鎌首を擡げた。

「…ノエ。足は、平気か?」
屋敷までの僅かな道を歩きながら、そう問い掛ける。裸足のノエにとってこの砂利道は歩きづらかろう。
だがノエは首を縦に振る。大丈夫、平気だ、と。…夜道、月明かりを頼りに、大きな石に蹴躓かない様に慎重に歩を刻んでいた。
その様が歩くことを覚えたばかりの乳児の様で、何とも愛らしい。
「……!!」
苦悶の呻きを上げ、ノエがしゃがみ込んだ。…空に天井はない、だとすれば――見下ろすとノエは、左足の親指を掌で包み込むようにして
しゃがんでいた。その直ぐ前には、掌程の大きさの石。…注意に注意を重ねても、不可避の石は確実にそこにあり、人は気付かずに転んでしまう。
「触らないほうがいい。どれ、見せてご覧」
ノエの足に触れ、その柔らかさに驚き、今はそんな事を考えている場合ではない、と気持ちを切り替えた。
外見上は特に問題は無い。爪が割れたとか、何かが刺さったといった類の怪我ではないようだ。
二本の指でその親指を抓み、上下に動かしてみる。
「……ッ!!」
途端、ノエの顔に苦悶が浮かぶ。どうやら捻挫の様だ。或いは打撲傷か。どちらにせよ、大事でなくて良かった。
――問題は、歩く事が困難な怪我を負ったノエを、どのようにして我が家まで連れて行くかだが……

私は何とか立ち上がろうとするノエの頭にぽん、と手を置き、彼の直ぐ傍まで歩み寄った。
揃えていた両の膝の下に手を廻し、もう片方の手をノエの背中に添える。
「動くと、落ちるぞ」
そのまま持ち上げた。先日初めて知ったのだが、これは「お姫様抱っこ」という名前らしい。
断っておくが、私はこの行為を男の浪漫などと思ったことはないし、あくまで仕方なく、ノエの傷病の為を思って、
これが最善手であると思ったからこそこの「お姫様抱っこ」という形式を取ったのであり、兎に角、疚しい気持ちは一切ない。本当だ。