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その時、世界が揺れた。
私を取り巻く空気が、風が、そしてあの恐ろしい心地が激しく揺さぶられ、瓦解し、崩壊してゆく。
——これはきっと、目覚めの予兆。ならば私は、やっと此処から抜け出せる——
覚醒へと近づく意識。靄と疲労感に包まれる私がその夢の中で視た、最後のモノ。

それは、あの赤い禍々しい瞳から、透明な涙を一条頬に伝わせるノエの姿だった。

「……兄様。兄様——」
遠慮がちな声が、聞こえた。何か嫌な夢を視ていた気がして、その声に安堵する。
「——私は、そうか……眠ってしまっていたのか……」
重い頭を無理矢理に起こして、一度だけ目を瞬かせる。ぐるりと首を巡らすと、徐々に眠る直前の行動が蘇ってくる。
「あんな所でお眠りになられるからです。入浴して強張りが取れたせいで、疲れが出たんでしょうね」
ルークの冷たい手が、額に乗せられる。それがとても気持ちよくて、私はもう一度目を閉じてしまう。
「……兄様。ノエさんの着替えが終わりました。是非見てあげてください」
躊躇いながら、しかし明確な意思を持った口調。ああ、そうか、ルークに服を買って来て貰ったのだった…まだ頭がうまくまわらない。
「ああ、御苦労だったな……礼を言うぞ、ルーク」
ルークは本当に嬉しそうに微笑んだ後、まるで悪戯でもしたかのように頬を緩ませて私に耳打ちした。

「ちゃんと使用人衣装、買ってきましたから。もちろん、カチューシャ付きです」

カチューシャ。あの髪留めか。なるほど確かにノエの髪の長さなら、それも必要となるだろう。
だがルーク、なぜそこに含みを持たせる。確かに男にカチューシャは似合わぬかもしれぬが、ノエならば問題はあるまい。
「じゃあノエさん、入ってきてください」
ルークが声を掛けると、呼応して扉が開いた。ほう、黒を基調としたデザインか、などと思った次の瞬間、私は全ての自由を奪われた。
「……しまった……」
ルークが呟く。何がしまったのだろう。これは——私にしてみれば、何と言うか——何なのだ、この胸の高鳴りは——

黒地のシャツはノエの身体の寸法通りの大きさで、少し窮屈そうに見える。…だがそれが、細くしなやかな身体の線を一層浮かび上がらせる。
黒地のシャツの上にはエプロン。何、エプロン?炊事や洗濯をするのだから当たり前だろうとお思いの諸兄、侮ってはいけない。
この単調なモノトーン、黒と白のコントラストが生み出す魔力(或いは磁場)のようなものを侮ってはいけない。
飾り気の無いエプロンは、それ自体はフリルだとか華やかな刺繍があるわけではない。だが、それがかえって私の胸の高鳴りを助長する。
エプロンは足の付け根までの長さで、つまり下半身の内股間の部分を覆っているのだが、私は見てしまった。

——ルーク、これは拙い。この組み合わせは拙い。

一見すると何の変哲も無い半ズボンだ。これを着用する少年は多々いる。
だが靴下との組み合わせが拙い。——膝丈よりも長い靴下、オーバーニーソックス。これと組み合わせてしまったのが、運の尽きだ。
何故それがここまで私の胸を高鳴らせるのかは解らない。解らないが、事実として私は今、悶絶の最中にある。

ルークがその顔に後悔と失敗の念をありありと浮かべて頭を抱えていたことなど、知りよう筈も無かった。