浜辺から水龍が苦しむのが見えたので、というツヅラオに、イッスンが得意げに武勇伝を語ろうとしましたが、
勢い込んだ様子のツヅラオはそれを途中で遮って水龍がどうなったのか尋ねます。
腰を折られて不満げながらもイッスンが事の顛末を語ると共に、水龍を狂わせていた原因のキツネ管を取り出すと
「そ……それが、キツネ管……」と身を乗り出すツヅラオ。
ツヅラオはこれをヒミコが他国から取り寄せたといい、だからわざわざ沈んだ宝物船にまで行ったのに、
水龍はこれを妖魔の頭領から奪って飲み込んだと言います。
今更ながらの矛盾に気付き……と言うか無駄足を踏まされた事に気付いたイッスンがカンカンになりますが、
ツヅラオはその抗議にも上の空で適当に誤魔化し、事は一刻を争うと妙に焦った様子でキツネ管をよこすよう迫ってきます。
これは妖怪共が血眼になって探しているものだから、ヘタに持っているのは危ないと
イッスンがキツネ管を引っ込めかけたその時、なぜかアマテラスがそれを鼻先でちょいと投げ上げ、ツヅラオに渡してしまいました。
これにはイッスンとツヅラオ双方が面食らいますが、
すぐにツヅラオは「何とも怪しく艶かしい輝きを放っておる」と、手の中の妖器に夢中になります。
「とにかくこれさえあれば、我が法力を極限まで高め―――妖魔どもを片端から退治る事が出来るわ!」
……アマテラスがあんなに苦労した龍宮来訪をアッサリこなしてしまうような法力なら、もう現時点で片端から退治れるような気もしますが。
とまれそう勢い込んだ後にツヅラオはハッと我に返った様子で
「いや……この力でヒミコ様をお守りする事こそ我が本分。
アマテラス殿、ご心配召されるな。このツヅラオ、今より都に馳せ参じ―――命に懸けて己の役目を果たすものなり!」
ぽいん☆とおっぱいを揺らしながら片手を上げて宣言したのちに、とうっと宙へ飛び上がり、そのまま門をくぐって駆け去ってしまいました。
その後姿に「命を懸けてって……だから死んじまったらダメなんだってェ!」と呆れるイッスン。
さて置き、水龍の力はもう借りられないかもしれないけれど、それでもオトヒメたちにとって宝物である龍玉を
彼女らに返してあげるべく、アマテラスたちは玉座の間へと向かうのでした。
さて、オトヒメの待つ玉座の間へと戻ってきたイッスンとアマテラス。
ふたりの無事を喜び、首尾を尋ねるオトヒメに、アマテラスが鼻先でぽんぽんと弾ませた龍玉を投げ上げて寄こします。
頭上で輝く龍玉を見上げ、これで水龍様の力を借り、鬼ヶ島の結界を破ることができると礼を言うオトヒメに「……その水龍だけどよォ」申し訳なさげにイッスンが、これまでの顛末を語り、水龍が龍王であると知ったことを明かすと、オトヒメたちはハッとして、互いの顔を見交わしました。
「つまり―――あの龍王のオッサンはアンタの―――」
続くイッスンの言葉に
「お察しのとおり、水龍に変化していた龍王ワダツミは我が夫にございます」
頷いたオトヒメは、妖魔の軍勢に立ち向かうため、長だけが成しうる変化の儀で龍になったワダツミが、戦に破れて暴龍になり、竟(つい)を待つ身となってしまった以上、世継ぎがどんな困難を排しても龍玉を取り返さねばならなかったと語ります。
オトヒメの気持ちを察してうなだれるふたりに、続いてオトヒメは龍玉は妖魔王の妖器を封じていたはず、とキツネ管の行方を尋ねました。
「あれなら、ヒミコ姉ェの使いが来て持って行ったぜェ。その力で妖魔どもをブッ倒すとかでよォ」
とイッスンが答えると、オトヒメは心配そうに眉を曇らせました。
確かにあれには底知れぬ力が宿っているが、同時に妖魔たちも手を尽くして探しているはず、その者に妖魔の追っ手がつかねばよいが……、とそうオトヒメが懸念を口にするやいなや、突然頭上の龍玉がきらきらと輝きだし、勝手に玉座の上から舞い降りてきました。
驚く一同の中ではっとしたオトヒメが叫びます。
「これは……もしや……龍王ワダツミの、最後の託宣!」
皆が固唾を呑んで見守る中、水晶に映し出されたのは必死に逃げるツヅラオの姿。
どこかの寺でしょうか、その背後から、境内一面を覆いつくさんばかりの巨大な何かが、地響きを立てながら追いすがっていきます。ついに追いつめられ、がたがたと震えるのみのツヅラオの前に、いくつもの尻尾を生やした化け物が迫ったところで映像は終わってしまいました。
「アマ公、急げェ!」とイッスンが叫ぶ間もなく身を翻すアマテラス。
慌てて呼び止めるオトヒメに、イッスンが「悪い予感的中だィ、ひとっ走り餡刻寺へ行って来らァ!」と叫びます。
ふたりの無事を祈りつつ、「いずれ、鬼ヶ島の現れる場所にて落ち合いましょうぞ!」というオトヒメの声を背に、ふたりは大急ぎでツヅラオのもと、餡刻寺へと走ります。
さて、シャチ丸の背に乗って竜宮城から帰ってきたアマテラスたち。
餡刻寺の前までやってきますと、これはどうしたことでしょう、寺の石段を登っていく後姿は……なんと謎の化け物に襲われていたはずのツヅラオです。
あわてて眼を凝らす二人の前で、更に驚いた事にツヅラオはすうっと姿を消してしまいます。どういうことだと後を追うと、ツヅラオは、いえツヅラオの幻は、ちょいちょいとふたりをさし招きながら更に寺の奥へと漂って、やがて寺の裏の壁の中へと溶け入ってしまいました。
招かれるままやってきた二人がその壁の前に立つと、こはいかに、そこにはぽっかりと空いた広間があって、その真ん中には古い井戸がしつらえられておりました。
井戸を覗くとその奥から風が吹き付けてきます。この井戸は間違いなくツヅラオの元へ続いているはず。そう信じて二人が井戸へ飛び込みますと、思ったとおり、井戸の底には水でなく、いずこかへと通じる通路が黒々と口を開いておりました。
じめじめとした暗い中には薄気味悪い事に行き倒れたらしい死体が転がっています。その服装はどこかで見たような気もしますが、随分長い間野ざらしになっているようだし今回の件とは無関係でしょう、気の毒ですが第一今はそれどころではありません。死体のわきを駆け去って通路を抜けた二人はまたまたびっくり、なんとそこはヒミコの神殿ではありませんか。
なぜこんな抜け穴が、と首を傾げつつ、ツヅラオを探して神殿の中を進んだ二人は倒れているヒミコの侍女を見つけます。
駆け寄ると、侍女はヒミコの名前を必死に呼びつつ気を失ってしまいました。
まさかツヅラオだけでなくヒミコの身にまで危険が、とあわてた二人は急ぎ大広間へと駆けつけたのですが、時すでに遅し、そこで目にしたのは床にぐったりと横たわるヒミコと、部屋の隅で怯えるツヅラオの姿でした。
ツヅラオは、身の丈十丈ほどもある化け物が水晶の結界を破ってヒミコを殺してしまった、と震える手で口元を押さえながら言いました。
敵の首領がまさかあのように強大な魔物だったとは、あれほどの妖魔、脆弱な人間では敵うはずもない、と、完全に恐怖ですくみ上がってしまっている様子です。
と、その時です。
じっとツヅラオを見つめていたアマテラスが一声唸るなり……ツヅラオに向かって身構えました。
突然のアマテラスの態度に、イッスンとツヅラオは驚きます。
もしや妖魔の術にかかったのか、とツヅラオは経を唱え始めましたが、皆まで言わさずアマテラスが飛びかかります。危ない!……と思われたせつな、ツヅラオの目に怪しい光が瞬いて、彼女はひらりと身をかわしました。
「……まあ、茶番をあまり引っ張るのも興醒めだろう」
ほくそ笑む彼女の瞳は、いまや真っ赤に染まっています。
「アマテラス……やはりお前は食えぬ奴だ」
そう、宝物船に呼び出され、水龍に襲われたのも、都が毒霧におおわれていたのもすべて彼女の仕業だったのです。しかしアマテラスはそれらの罠をすべてくぐり抜けたばかりか
鬼ヶ島を攻め落とすために水龍さえも味方につけてしまいました。
けれど水龍は死に、ヒミコもまた死んでしまった今となっては鬼ヶ島の結界を破るどころか場所を知ることさえも出来ません。
「全ては水龍に奪われた我が獲物、妖器 キツネ管が我が手に戻ったればこそだ!」
勝ち誇るツヅラオはキツネ管を呼び出し、なおもアマテラスをあざけります。
「アマテラス……お前も愚か者よ!水龍が乱心してまで抱え込んでいたこの妖器をむざむざ手放し、この妖魔王に失われた魔力を呼び戻させてしまったのだからな!」
そう叫び、黒煙を上げてくるくると身をひねり、その身を妖怪のものに変じさせたツヅラオ、もとい化け九十九尾は、キツネ管さえ手にすれば千里水晶の結界などガラス同然、慌てふためくヒミコの最期、貴様らにも見せてやりたかったと笑い、またつまらぬ輩が楯突かぬよう、とヒミコのそばに転がっていた水晶を飴玉ほどの大きさに変えると、ごくんと飲み込んでしまいました。
龍王が最期に見せた託宣は、現在のものでなく過去のもの……つまりここへ来る途中の抜け道にあったあの死体、その正体を悟ったイッスンが怒りに震え、叫びます。
「畜生……うまい具合に今まで妖気を隠しやがったなァ……その上、ヒミコ姉ェまであんな風にしちまいやがってェ!
でも鬼ヶ島の現れる位置なんか、知る必要はねェ……今ここで、てめェを鬼ヶ島へ帰れなくしてやるんだからなァ!!」
そして始まった激しい死闘、その末についにアマテラスの攻撃が、ツヅラオの体を柱に叩きつけ、地面に倒れた化けツヅラオはげほりと何かを口の中から吐き出しました。
するとそれは見る見るうちに大きくなって、もとの水晶玉に戻ります。
そして更にアマテラスは飛びかかり、見えない壁に弾き飛ばされつつも水晶玉をくわえて敵の手の届かぬ後ろへ放りました。
それをきっとにらみつけた化けツヅラオの体からは呪文のような瘴気が立ちのぼり、噴き出した八つの影を背負うや否や、その姿は得体の知れぬ巨大な化け物へと変わりました。
「襤褸(ぼろ)畜生メ……調子ニ乗ルナ!」
喚いた化け物が逆立てた八つの尻尾を振るなり、アマテラスは跳ね飛ばされて、ぺしゃんと地面に転がってしまいます。しかし化け物……妖魔王はそれ以上襲い掛かってくることはなく、
「チィッ……コンナ窮屈ナ部屋デハ満足ニ暴レル事モ出来ヌワ……部屋ノ狭サニ救ワレタナ、田舎大神!」と舌打ちしました。
「ダガ、モハヤ貴様ラニハ唯一ツノ希望サエ残サレテハオラヌ。
我ハ今ヨリ鬼ヶ島ヘ戻ッテ妖魔軍ノ兵力ヲ立テ直シ、ジックリコノ世ヲ攻メ滅ボシニカカルトシヨウ!」
そして勝ち誇った哄笑を残して妖魔王の影は消え、後には立ちすくむアマテラスとイッスンだけが残されました。
水龍、そしてヒミコと鬼ヶ島へ渡るための導きをことごとく消されてしまったアマテラスたち。妖魔王が言うとおり、もう何一つ残された手段はありません。
しかし、あきらめかけたその時、なんと千里水晶に死んだはずのヒミコの姿が浮かび上がったのです。
これは夢かと目を疑うイッスンにヒミコがやさしく語ります。
鬼ヶ島が現れる場所を探るには、並の力では到底なしえぬ、だから彼女は自ら魂となって水晶に乗り移り、妖魔王の妖力を利用するためその腹の中に飲み込まれたのだと。
アマテラスが妖魔王にむざむざキツネ管を与えたのも、それを知ってのこと。全てはヒミコの謀りごとだったのです。
そしてヒミコの思惑通り、妖魔王の力を蓄えた水晶は、怨敵鬼ヶ島の場所を暴きだしました。
それは両島原の北西の海岸、天望岬の沖合。
鬼ヶ島は次の日の入りまでのたった一日だけ天望岬に現れる。それがアマテラスたちに残された、唯一つの最後の望みでした。
それを伝えた途端、千里水晶に深い亀裂が走ります。
その表面に映されたヒミコの体にも。
強力な妖力を用いて鬼ヶ島の場所を暴く代償に、水晶はその寿命を使い果たし、ヒミコもまた水晶と運命を共にしたのです。水晶はまばゆい光と共に砕け散り、卑弥呼はその光に包まれて、アマテラスたちの旅路に幸多からん事を祈りながら、静かに天へ上っていきました。
悲しみつつも、命を懸けたヒミコに報いるため、二人はまっしぐらに天望岬を目指します。
岬に着くと、振り返る人影が。
「よォ、ワカメ姉ちゃんじゃねえか。よくこの場所が分かったなァ?」
と驚くイッスンにオトヒメは今わの際のヒミコの無念が伝わったのだと瞑目し、背後の空を仰ぎました。そこにはどす黒く赤い太陽、そしてその下には気味の悪い瘴気に覆われた黒い島……鬼ヶ島が。
今を逃せばどこにあの島が現れるか分からなくなる、とうめく彼女にイッスンがけれども水龍が死んでしまった今どうすれば、と困惑顔で返すと、オトヒメは「イッスン殿、水龍は操るものではありません」とにっこりと笑いました。「全霊をこめて龍玉に祈りを捧げ、この身にその力を借りるのです」
「アマテラス殿!竜神の長たるこのオトヒメ。今より竜神に転じ、幽明を隔つ壁を破りてここに天に架ける神橋となりましょう!」
そう高らかに叫ぶとオトヒメは胸元からあの龍玉を取り出し、それがまばゆい光を放つと、その中から長大な体を持った生き物が天に向かって駆け上がりました。
光が薄れ、巨大な魚のようにも見える龍へと変わるとそれは天高くからアマテラスをじっと見下ろし、そして龍に変わったオトヒメはその体を宙に投げ出して、それは鬼が島を守る光の壁を突き破り、長い長い橋になりました。
我が命が尽きぬうちにとうながされ、アマテラスたちは行く手に待ち受ける鬼が島を見つめます。
「アマ公……残念ながら駄賃のキビ団子はねェが、一匹大神の鬼退治と洒落込もうじゃねェか!」
そうしてやってきた鬼ヶ島は、あちらこちらで溶岩の池が煮えたぎっていたり、ノコギリとかが飛び出してくる場所が鬼の遊び場だったりそこで謎のお札にレース勝負を挑まれたりと予想にたがわぬ恐ろしい場所。
そんな中、二人は、雷雲が垂れ込めた空に向かってそそり立つ、不思議な虎の石像を見つけます。虎の背中には弓があり、その尻尾は何かを引こうと反り返っています。足りないものをひらめいたアマテラスがその背に筆を走らせると……いかづちの矢が波間を蹴立てて空へ飛び、見る見るうちに暗雲を吹き散らしました。
晴れ渡った夜空には例のごとく星の足りない正座。
欠けた星を筆で描くと星座は純白の虎へと変わり、その背の弓から猛烈な勢いで矢が放たれます。二射、三射と地面を穿つ矢をかわし、唸り声を上げるアマテラスに、猛烈な咆哮で虎が応えます。
「おお……我らが慈母アマテラス大神。
妖怪共が跋扈したるこの城に封じられし我が身なれど、御許の通力で我が目ようやく光を宿す事かないぬ。
御許と共に修羅の道歩むとあらば、この撃神、迸るいかづちの力を以って主の御前に一条の光を捧げ奉らん!」
相当に喧嘩っ早いっぽい筆神サマですが、どうやら力は貸してくれるようです。
こうして新たな力を得、札とのレースにも勝って何か妙な友情を築いたりもしながら島の砦の頂上までやってきたアマテラス。しかしそこは再び垂れ込めた雲の下、巨大な屋根の上に巨大な丸い広場があるだけで、どこにも敵の姿がありません。
「出て来い、女ギツネ野郎!どこに隠れやがったァ!ヒミコ姉の仇……このイッスンさまが取ってやるぜェ!」アマテラスの頭から飛び降りたイッスンが刀を抜いて叫びましたが何の反応もありません。と、アマテラスが天を振り仰ぎ、高らかに遠吠えをするや、雲が晴れ、赤い月が現れました。
それは奇妙な月でした。表面には異様な模様があり、禍々しい九つの尾のようにも見えます。その背後の空の雲も晴れ……するとそこにはまたまた星座が現れます。さっき撃神を開放したばかりなのに、それにこんなに妖気が立ち込めている中で……?
訝りながらもかけた星に筆で点を打ち……アマテラスははっと身構えました。
それは九つの尾を持つ巨大なキツネ……いや、九本の尾の先端にそれぞれ筆を持ったキツネの化け物、妖魔王キュウビだったのです!
「クカカカ……血眼ニナッテ駆ケズリ回リ溝鼠ノヨウニ我ガ城、鬼ヶ島ヘ忍ビ込ンダカ、アマテラス?」
天から駆け下りてきたキュウビは地響きを立ててアマテラスの目の前に着地すると、狐の鼻面に狐面を被った喉の奥でいやらしい笑い声を上げました。
キュウビはそして、気になることを言います。彼(彼女?)は、闇の国の君主、常闇の皇(とこやみのすめらぎ)より力を授かり、両島原の領主となった、と。「ワザワザココマデ来ナクトモ、貴様ノヨウナ邪魔者、イズレ人間諸共喰イ殺シテヤッタモノヲ……アノ女王ヒミコノヨウニナ」
そんなの許した覚えはないし、大体常闇の皇って何だと聞くイッスン。
キュウビはそれはこの世に二つとない古今独歩の闇の象徴、我ら妖魔の絶対の君主、カビの生えた昔話にすがる野良畜生とは訳が違うと嘲ります。
「尼僧に化けたり、こんな紛い物の舞台を用意したり、嘘っぱちのイカサマ野郎はてめえの方じゃねェか!今度こそてめェの化けの皮、引っぺがしてやるぜェ!」
そう啖呵を切ったイッスンに、「クカカカカ!果たしてどちらが本物かな?」真っ赤にたぎる口を開け、キュウビは哄笑をほとばしらせます。
「神の力など遥かに凌駕する我が妖力……ここで存分に味わうがいい!」
そうして死闘が幕を開けます。神の力を凌駕すると嘯くとおり、キュウビの力は強大でした。アマテラスの筆しらべの力は逆に利用され、時には化けツヅラオの分身を操り、またあるいは背中に仕込んだ剣による熾烈な攻撃……しかし一匹また一匹と、分身たちをアマテラスが倒すごとにキュウビの尾は減っていき、しまいに九本尾の化け狐はその身に蓄えた邪気を失い、ただの隻眼の大きな古狐になって、どうと地に伏しました。
それと同時に主を失った鬼が島は音を立てて崩れ、花となって大海原へ散っていったのです。まるで死者への手向けのように……。
しかし、キュウビが身に着けていたあの奇怪な面は、宙でたちまち真っ黒な妖気に姿を変えました。天に昇った瘴気の先にはキュウビに身を捧げた都の悪霊、妖刀金釘の姿もあります。二つの怨霊は絡み合うように空中でうねり、はるか北の地へと飛び去っていきました。
オロチの体から現れた悪霊は全部で四つ……キュウビたちの怨霊は、残る仲間の元へと向かったのでしょうか?それともキュウビが言っていた「常闇の皇」……その禍々しい名前が示すものが北にあるのでしょうか?
それはともかく……イッスンはアマテラスに語りかけます。
「キュウビを倒したところでヒミコ姉は帰ってきやしねェけど……一丁、弔いの雄叫びでその魂を送ろうじゃねェか!」
そうだとばかりにアマテラスは降り注ぐ月光の下、長い長い雄叫びを上げるのでした。
鬼ヶ島の瓦解を見届けたオトヒメは竜宮へと帰り、アマテラスたちもまた両島原の海岸へと帰ってきます。
するとそんな二人の前に……キラァン!ときらめく一条の光。「やあ、アマテラス君。もしかして、鬼ヶ島で狐退治でもしてきたのかい?」
颯爽とウシワカが登場します。
「でも、その様子じゃイロイロと苦労してるみたいだねぇ。キツネ君はそんなに手強かったかな?アハハハハ!」
ヒミコが死んだというのにウシワカのこの態度。腹を立ててイッスンが責めますがウシワカはどこ吹く風。
ヒミコの行動は全て覚悟の上。アマテラスだってそれは納得ずくのことじゃないかというのです。
反論にひるみはしたものの、今はお前の顔も見たくないとイッスンがはね付けると、ウシワカはあきれたように手を広げます。
「……これはこれは、ずいぶんとご機嫌ナナメだなぁ。そんなに怒ってたら……空のお天道さまも悲しむよ?」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、真っ暗な空に雷が遠く響きました。
「ほうら……言った通りだろう?あのカミナリは……神州平原の北の方からだ。正に、風雲急を告げるといったところだね」
なにを知っているというのでしょうか、相変わらず意味深な前フリの後、ウシワカは
「アマテラス君……ミーも忙しいからそろそろ消えるけど、取りあえずこれだけ言ってもいいかい?」
言うや、ビシィッと例の決めポーズを取り、叫びました。
「電撃ビリリで、入り口オープン!」
「フゥ……やっぱりこの予言をしないと落ち着かなくてねぇ!」
更にウシワカはアマテラスたちの地図に勝手に印までつけて、「それじゃ、一瞬でバイバイ!」と消え去ってしまいました。
地図の印はさっきのカミナリの場所……そしてキュウビたちの怨霊が消え去った先です。
ウシワカが言うとおり、確かにここには何かある、行って見なければと思っていた場所でした。
そして地図を頼りにやってきた神州平原。以前の春のような暖かい陽気は消えていて、真っ暗な空に絶えずカミナリが鳴り響いています。印の場所、今までは来れなかった高台の北の奥までやってくると、そこに奇妙な建物がありました。
石造りの台の上にそびえる、枝分かれした剣のような装置。イッスンがいうには、それは大昔からここに建っているけれど、誰も、いつ、何のために、誰がそれを造ったのか、判らないのだそうです。そしてこのナカツクニニにはそういう謎の物体がたくさんあるのだと。
「まぁ……みんな生きるのに必死で、気にも留めてないだろうけど」
ぼやくイッスンを背に乗せて建物の裏へ回ってみると、入り口がありましたが入れません。
ここへ入るにはどうすれば……ふとウシワカの「予言」を思い出したアマテラス。天に走るカミナリに筆を合わせて剣の先に導くと……はたして装置はごろごろと回り出し、閉じられていた扉が開きました。
この先は、あの怨霊たちが飛んでいった北の国へ続く地下道なのだとイッスンは言います。イヤな予感がするというイッスンの言葉にもかまわずアマテラスはさっさと暗い地下道へと進んでいきました。
穴は深く、どこまでもどこまでも続いています。どんどん潜るうちに辺りは白い霧に包まれ、なおも進んでいき……穴を出たそこは真っ白な雪山の中でした。
「ひゃぁ~っ!!さささ……寒ィィィィ!!」
と叫ぶイッスン。ここは極寒の地、「カムイ」。ですがそれにしてもこの寒さは余りにもひどく、異常なようです。
「早いとここの猛吹雪を凌げそうな場所を探してくれよォ!」
とイッスンはアマテラスのふさふさな毛の中に潜りこんでしまいました。
道なりに進んでいき、一軒の掘っ立て小屋を見つけたアマテラス。
リクエストどおり暖かそうなその中に踏み込むと、
「フィーーーーッ!!火、火だ、火だァ!!」
地獄に仏とばかりにイッスンは部屋の中央の石で火を囲んだだけの粗末な囲炉裏に駆け寄り、身震いして雪を払ったアマテラスも早速そのそばに横たわりました……が、それもつかの間、アマテラスはすぐに身をもたげます。
囲炉裏の向こうにいた人物が立ち上がり、ゆっくりとこちらを振り返ったからです。
その顔には奇妙な仮面、ですがあの狐面ではありません。
灰色の犬の面をつけた男はこの寒い中半袖で、服装だけでなくボサボサの蓬髪といい分厚い手甲と言い……やおら腰から抜いた長刀といい、相当にワイルドな人物のようです。
「火に当たるくらいいいじゃねぇかよォ!」
と抗議しかけたイッスンは、しかし何に気づいたのか
「お……お前は……!?」と驚きの声を上げました。
しかし男はイッスンに構うことなく剣を構えてじりじりと動き出し、同じく囲炉裏を挟んで低く身構えたアマテラスと共に部屋を半周したところで身振りで小屋の外を示し、飛び出していきました。
イッスンが驚いたのは男の素性というよりも、むしろその手に携えた剣についてであるようです。
アマテラスが飛び出してくるのを待ち構えていた男は、相手が臨戦態勢に入るのをみるや、雄叫びを上げました。するとなんたることか、その叫びは人のものでなく、まるで野の獣……アマテラスと同じ、狼の咆哮でした。
こうして成り行き上何故か彼と戦うことになったアマテラスは、更に先頭のさなか、男が宙返りしたとたん赤いたてがみの黒狼に変じるのを目の当たりにします。
攻防は一進一退。しかし狼と化した男は途中で動きを止め、元の人間の姿に戻りました。
「やるな……白いの」そう言って戦いの構えを解いた男はオキクルミと名乗りました。
「見てのとおり、オイナ族の戦士だ」
つまりオイナ族というのは人でありながら狼に変身できる種族、ということでしょうか。
さておき、オイナ族とは違う、さりとて唯の狼でもなさそうな謎のケモノに
「まずは名前を教えてもらおうか」と剣を突きつけたオキクルミに「こ……こいつはアマテラス、ナカツクニの大神サマだィ!」とイッスンが代わって応えました。
すると、剣の切っ先で跳ねるイッスンに「ほう……コロボックル宿し……」と何故か感心したように呟いたオキクルミはすぐに「うん?お前、イッスンか?」と首を傾げました。やはり二人は知り合いのようです。しかし
「このところ、しばらく見ないと思ったら……狼に乗ってぶらり旅とはいい気なものだ」
別に仲良しというわけではない様子。
「一年前、絵を描くのに嫌気が差してこの国から逃げ出したと聞いたが……結局未練があって舞い戻ってきたというわけか」
男の更なる皮肉な言葉に
「な……何ィ……!?」と激昂するイッスンですが
「百年前に、ヤマタノオロチを倒した英雄でも気取っているのか知らんが、そのさま……伝説の白野威と豆剣士の二人組みのつもりなら、笑わせるぞ!」
男の爆弾発言とも言える毒舌は止まりません。図星を突かれたというのでしょうか、自分はただ面白おかしく暮らすためにアマテラスの筆技を盗む、その為に彼女についていくのだと言っていたのに……何故かイッスンは動揺して
「そ……そんな事はどうだっていいだろォ!大体どうしてその剣をお前が持ってやがんだィ!」
と叫びました。しかしそれに返した男の答えは更にイッスンを驚かせます。カムイの民が辺りを包む厳しい自然にも、手強い妖怪(ケムラム)にも屈せず今日まで生きてこられたのは、命をはぐくむ神の双山エゾフジがあったればこそ。
しかしエゾフジの頂上に封じられていたはずの双子の魔神、モシレチクとコタネチクがとつじょ蘇り、その強大な魔力でカムイを覆い始めたのだというのです。結果吹雪は勢いを増し、更に魔神達に襲われて多くのオイナ族たちが命を落としたと。
「大地が精気を失い、神の恵みである有情が滅びれば……カムイは本当に人の住めない国になってしまう」
早く奴らを倒さねば、と拳を握り締めて呻くオキクルミに、国の守り神の宝剣を、こんなところに持って来ちまっていいのか、と叫ぶように再びイッスンが問いました。
エゾフジの麓にある村は、魔神の吹雪をまともに受け、氷付け寸前。それなのに……。しかしそれはこの剣を使うときが来たからだ、とオキクルミは剣を掲げました。
この剣、クトネシリカには青鈍(あおにび)色に輝く時、氷壁は砕かれ、天への道は拓かれん、という救世の伝説がある。
クトネシリカが目覚めれば、吹雪を討ち払うなど造作もない、その為に俺は妖怪共を斬り続け、クトネシリカにその血を吸わせているのだと。
妄執に捕らわれているオキクルミを後に、アマテラスたちは村への雪道を進みます。
やがて二人の前にオイナの村、ウエペケレが姿を現しましたが、一面雪と氷に囲まれた村は人っ子一人の影さえなく、家々はどこも扉を固く閉ざしたままです。
山の斜面にへばりついた村道を上へ上へと登る二人に、「止まれい!……貴様、何者だ?」突然厳しい誰何の声が投げつけられました。
行く手に立つ一軒の家の戸を背に守った男はサマイクル。
オイナ族髄一の戦士で、彼が守っているのはオイナの長老の家だといいます。エゾフジの魔神についてイッスンが話を聞こうとしますが、
「その耳障りなゴニョゴニョ声(自分もゴニョゴニョ声の癖に)……お前、もしや、イッスンか?」
とか言ってた通り、そんなことも知らんのか、今まで何してた、自分の村で聞け、とけんもほろろ。しかし、と言う事は、イッスンの村はどうやらこの近くにあるようです。
ともかく、その後の会話で自分のことをウエペケレの村長と言うサマイクルにイッスンがびっくり仰天、「お前が……村長!?それじゃ、ケムシリじじィはどうしちまったんだァ!?も……もしかして……死んじ」「死んでなどおらんわ、馬鹿者!!」と灰色狼に姿を変えて怒ったサマイクルは、
だが長老は魔神との戦いで弱っていて、魔神達の目論見を挫けるのは長老の山興しの祈祷のみだから、自分が新しい村長として皆を統率し、長老を守っているのだと説明すると、それきり取り付くしまもなく、というかむしろ喧嘩腰で村から出てけとグルグル唸るのみです。
しかたなく村を出ようとしたその時、「ちょっと待ってーっ!」二人を呼び止める声がありました。
振り返ると、吹雪の中を鹿の角飾りをつけた茶色の狼が走ってきます。
「あなたたち……ちょっと待ちなよ!」
「おっとォ!?こりゃまた懐かしい顔じゃねェか!」
イッスンの弾んだ声を聞いて、「やっぱり、イッスン、お前だったのか!」狼もまた嬉しそうな声を上げました。
さすが半分狼、先刻のサマイクルとのやり取りを聞いて追いかけてきたのだというのです。立ち話もそこそこに、二人は茶色狼の家にお邪魔することになりました。
「ふう……家の中なら少しは寒さを凌げるよ。イッスン、本当に久しぶりだね。そして……白オオカミ、はじめまして。私はカイポク……よろしく!」
自己紹介を済ませると、茶色の狼はくるんと宙に飛び上がり、鹿の面をつけた娘になりました。
(オイナ族はみんな人間のときはお面をかぶっていて、狼になると面にちなんだアクセサリーをつけた姿になるようです。
そしてオイナに筆調べ(丸描く奴)をすると人間に戻せたり狼にできたりします。普通の人間にすると喜ばれてなでなでされたりするだけですが)
カムイの荒れ具合、そして魔神の暴れている理由を尋ねるイッスンにカイポクは誰にも原因が分からないと困り顔で首を振ります。
長老が魔神封じに失敗した後、魔神たちは更に暴れだし、エゾフジを氷の山に変えてしまった。殺されかけた長老を何とか救い出したサマイクルが代理の長老となっているけれど、残された者たちではあの魔神にはどうしたって敵わないと。
それからカイポクは双魔神が暴れだす前の日に、南の神州平原から物凄い地響きが聞こえてきたことを語ります。ケムシリ爺は南で起こった邪悪な気配がカムイに流れ込んできたと言ったそうです。カムイは昔から闇が潜む国と言われ、妖怪たちが生まれる国だという言い伝えもあるそうですが、今はこの世のあらゆる邪悪なものが帰ってきているのかしら、とカイポクは顔を曇らせます。何でも、最近も南の空から黒い影が飛んできて、エゾフジにあるイリワク神殿に消え、それ以来吹雪の勢いが更に増したのだとか。
話し終えたカイポクに、イッスンが村の宝剣を持っていたオキクルミの事について尋ねると、サマイクルが長の代理となることが決まった途端、オキクルミは宝剣を持って勝手に村を出て行ってしまい、村人の説得にも耳を貸さずに魔神を倒そうとし続けているのだと教えてくれました。
では先刻のサマイクルのピリピリっぷりはそれが原因かとイッスンが更に聞くと、確かにみんなはオキクルミの行動に腹を立ててはいるけれど、サマイクルは口にこそ出さぬもののオキクルミのことを一番信じているとカイポクは首を振ります。必ず帰ってきて村の力になってくれると思っていると。
ではサマイクルのあの態度は何なんだ、とイッスンが詰め寄ると、「実は……」とカイポクは前にも増してどんよりと曇った顔を両手で覆ってしまいました。なんでも、村が魔神達に襲われた次の日、カイポクの妹のピリカが行方不明になってしまったのだと言うのです。
あんな小さなガキまで襲うのか、と憤慨するイッスンに魔神たちの仕業かどうかは分からないと言いつつも「でも、ピリカが魔神たちに狙われる理由はある!だってピリカは―――ピリカはこの村の運命を握ってるんだから!」何故か確信に満ちた声で断言するカイポク。
この村の運命?とイッスンが疑問の声を上げかけたその時、辺りに狼の遠吠えが響き渡りました。「あれは……ケムシリ爺の遠吠えだよ!イッスン、それに、アマテラス……お爺があんたたちを呼んでるんだ!」
とにかく、失礼のないようにするんだよ!と言うカイポクを後に残して、アマテラスたちは先ほど追い返されたケムシリ爺の家の前まで戻ります。不機嫌そうなサマイクルを尻目に暖かそうな竪穴式住居の中に踏み込むと……床に敷かれた絨毯の上に、狸の面をつけた老人がなんかピクピクしながら横たわっていました。
「こいつが村の長老、ケムシリじじィなんだけど……これ、やっぱりくたばってんじゃねェか?このじじィにゃ散々ゲンコツを喰らわされたんだけどなァ……」とイッスンがカイポクの言葉もどこへやら、失礼な感想を漏らした途端、「ガルッ!?」とケムシリ爺が腹筋だけで跳ね起きました。
「いまワシの悪口を垂れた奴は誰だッぺ!痛ぇゲンコツをしこたま喰らわしてやるッぺや!!」と、今まで死にかけていたとは思えない勢いで理不尽にボコられるので、お返しに一閃を喰らわしてやると(さりげに酷い行動……)「何だッぺ……ワシ夢でも見てたッぺか?」とどうやら正気に戻ってくれたらしい老人は「夢ん中でもゲンコツ振り回しやがってェ!」と怒り狂うイッスンに「お前……イッスン坊主だッぺか!?暫く見ないうちにお前も随分……大きくなってないッぺなぁ……」やれやれと首を振りました。
「余計なお世話だィ!」と更に怒りながらもイッスンが呼びつけた理由を促すと「おうっ!?そ……そうだッぺそうだッぺ、話があるのは……白いの!お前さんの方だッぺ」と
アマテラスに向き直ったケムシリ爺は恐らくもうカイポクに聞いていることと思うが、と前置きしてから行方不明になったピリカの事を切り出しました。
長らく留守にしていたイッスンは知る由もなかったのですが、ピリカは今やケムシリ爺を凌ぐほどの霊力を身につけていて、その霊力で山興しの祈祷を執り行ってもらい、エゾフジを噴火させて動物や草花達のための熱を山から頂かなければこのカムイは氷漬けの国になってしまうと言うのです。
祈祷が必要ならじじィがやったらいいじゃねーか、とあっさり言うイッスンにこの猛吹雪の中で祈祷する力はワシにはもうないッぺ……とケムシリ爺はうな垂れてしまいました。ピリカがこの村の運命を握っている、とカイポクが言ったのはこういう事情からだったのです。
「……それでピリカを探すアテはあるのかよォ?」と尋ねるイッスンに「それだっぺ!」ケムシリ爺はぴょこんと顔を上げました。
八方手を尽くして探し回った彼らが一箇所だけまだ探していない場所……それは人を惑わすあやかしの森、ヨシペタイ。どんな匂いでも嗅ぎ分けるオイナ族の鼻が、そこからうっすら漂ってくるピリカの匂いを嗅ぎつけていると聞き、イッスンが「じょじょじょ……冗談じゃねェ!言っておくけどオイラぁあんな森には絶対―――」と何故か猛烈な拒否反応を示しましたが、それを遮ってケムシリ爺はなおも必死に訴えかけます。サマイクルは村を守らねばならず、オキクルミは村を出て行ってしまった。
「頼めるのはもう、お前さんだけなんだッペ!」
明らかにこちらの正体をわかった上での話しぶりに、イッスンが「この毛むくじゃらを知っているのかァ」と尋ねると、ケムシリ爺は「フン……ワシを馬鹿にするんじゃないッぺ」と鼻を鳴らしました。「あの伝説のオオカミ、白野威の名はこのカムイにも轟いているが、まだ生きとったとは知らんかったッぺ」
……確かにそれはアマテラスのまたの名とも言えるのですが。ほんのちょっと惜しい勘違いをしているケムシリ爺の家を後に、ヨシペタイへ向かうべく村の入り口まで戻ってきたアマテラス。そこで所在なさげにしていたカイポクが、ケムシリ爺との話について尋ねてきました。ヨシペタイへ向かうことになったと聞いて、確かにあそこは誰も探していなかったと頷くカイポクですが、ふと「でもイッスン……お前、あの森へ戻るのか?」と気遣わしげに尋ねます。案の定、「ケェーッ、誰が戻るもんかィ!」と叫ぶイッスン。案内人無しに迷い込んだら出られない異界の森だと言いながら、だけど道案内なんかしないとそっぽを向いてしまいました。
するとそれを聞いてしばし黙り込んでいたカイポクが、「……それなら私が道案内するよ」と意外なことを言い出しました。「イッスンの気持ちもわかるけど、私たちにはもう、時間が無いんだ」
驚くイッスンに、カイポクは魔神たちの狙いを語ります。彼らの狙い、それは百年に一度の玄冬の蝕。ただでさえ極寒のカムイに魔神たちの吹雪が吹き付け、そこに丸一日太陽が射さない日食が起これば、一日も経たないうちに生き物はみんな死に絶えてしまう。その日があと数日先に迫っているというのです。
さすがに言葉も無いイッスンと、彼を頭に乗せたアマテラスを見て、カイポクは、お爺が頼みごとをするなんて只者じゃない、伝説の白野威の生まれ変わりだったりして、と冗談めかして言いました。「イッスンを宿しているのも、何だかサマになってるしね」それを何故か慌てた様子で「そ、そんな話はどうだって―――」と、イッスンが遮ろうとしたところで時間が無いことを思い出し、カイポクは先に森で待ってるから、と大急ぎで走り去っていきました。
ヨシペタイへの入り口は森を妖怪から守るため、オイナの封印で封じられているからよそ者には入れない、とイッスンは仏頂面で言いますが、そういえばここに来る途中、ラヨチ湖の畔でお守りを受けるのを忘れるな、と説教をぶちつつサマイクルが教えてくれたのを思い出し、村の北へとやってきたアマテラス。
エゾフジを眼前に望む巨大な湖の畔には祭壇があり、イッスンが言うにはこれは宝剣クトネシリカを祀り、エゾフジへの祈祷を行う場所であると同時に凍りついた湖の奥に埋まっている巨大な箱舟「ヤマト」をも祀っているのだそうです。
大きな箱舟を見下ろすように湖の淵の坂を上っていくと、巨大な門がでんと鎮座していて、その脇に小さな番小屋のような板造りの建物がありました。中に入ると炎の炊かれた祭壇の前に、二羽のフクロウを仮面の両端にたからせた女性が立っていて、アマテラスを見るや「その神妙なる姿……もしかして、あの伝説の白野威では!」ぴょこんと驚いた風に跳ねました。
「確かに海を渡ったこのカムイでも白野威の名は通ってるけど、やっぱり神の姿が見えるオイナ族にはぴんと来るもんなのかィ?」と尋ねたイッスンにも「無事だったか!」と驚いたこの女性の名はトゥスクル。オイナ族の祈祷師なのだそう。これまでの事情は聞いたとイッスンが水を向けると、頷いたトゥスクルは、魔神が甦ったのは長老も察しているように、南の国、つまりナカツクニでヤマタノオロチ復活がなって、その強大な闇の力がこの地に流れ込んできたせいであること、それはカムイが昔から魔の発祥地と言われていることも合わせて、この地にあるラヨチ湖との繋がりが深いように思えてならない、と語りました。それはひとえにあの湖に沈む箱舟ヤマトによるものなのだと。
「……オイラのじじィが話してたっけェ」と、イッスンが昔話を始めました。誰も知らない神話の時代、天にあるタカマガハラという国から鉄の箱舟が落ちてきて、あの湖に沈んだと。その国には天神族と言う神様が住んでいたけれど、彼らはまるで何かに追われるように、あの箱舟で下界に降りようとしたといいます。けれど船の中には既にたくさんの妖怪がいて、彼らは皆食い殺されてしまった。
その後ラヨチ湖に落ちた箱舟から妖怪たちが次々に湧いて出て、この世が妖怪で溢れかえった今も彼らはあそこから湧き続けているのだと。トゥスクルは頷き、昔話を引継ぎます。ただ一人生き残ったという、天神族の話を加えて。その男は地獄と化した箱舟ヤマトから逃げおおせ、この下界のどこかに姿を消した。今も箱舟から妖怪が湧き続けているのは、そこに潜む闇の君主が、彼を探しているからなのだと。
それは初耳だと驚くイッスンに、まあ神話のことだ、氷に閉じ込められたあの船の中を見たものは居ないし、真意の程は判らない、と肩を竦めた所でトゥスクルはふと何かに気づいたように声を上げました。「うん?つい話し込んでしまったが……お前たちがここへ来たという事は、もしかしてケムシリ爺にヨシペタイへ入る許しを得たのか?」そういうことらしいなァ、オイラはどうでもいいんだけどこのアマ公がと不機嫌そうに言うイッスンの言葉もそこそこに、トゥスクルはあの森の入り口は私が封印している、解くことはできぬが長老の命なら、と笛のような人形のような物体を差し出しました。これは、オイナのお守り「セワポロロ」。これを持っていればオイナの封印をすり抜け、その奥のヨシペタイへと入ることが出来ます。
「白野威……長老の見立てならば間違いはあるまい。このカムイが氷付けになる前に、ピリカの捜索……頼んだぞ!」
こうして不承不承なイッスンを乗せて、アマテラスはカイポクが待つ森の入り口へ向かいます。
ヨシペタイ……「胃袋の森」の異名の通り、道を知らない人間が入り込むと、飲み込まれたまま出られなくなる。オイナが封印を施すまでもなく、この森はそうして妖怪たちから身を守っているのですが、国中が妖怪に覆われてしまった今、ここもまた変わってしまっているのかもしれない。そんな不安を抱きながら森の入り口までやってきたアマテラスたちですが、先に来ているはずのカイポクを探して道を進んでいきますと……薄暗い森の細道に、何だか見覚えのありまくる背中が……
「やあ、アマテラス君じゃないか!こんな森へやって来るなんて、また何か探し物かい?」爽やかに振り返ったウシワカは「ミーも例の物を探してるんだけど、このカムイの寒さは結構厄介でねぇ」と実際そんな様子は微塵も見せずにやれやれと首を振りました。
「例のもの」。いかにもいわく有りげなキーワードですが、イッスンはこれをまるっとスルーして、いいかげん正体を現せとウシワカに詰め寄ります。「お前が良からぬ事を企んでるのは分かってんだよォ!」と、息巻くイッスンにウシワカは肩を竦め、「ミーは純粋にある一つの道を目指しているだけさ。永遠なる天道の探求者としてね……」また含みのある台詞を口にしました。
イッスンは「天への道を目指す」とは、アマテラスの寝首を掻いて、天の座を奪おうということだろうと受け取って、「キレイ事を並べてるんじゃねェや!」と怒りますが、ウシワカは天の道とはそんな下種なものじゃない、と首を振ります。
「天への道、それは―――このカムイに眠る、天の箱舟さ」
このカムイで氷に覆われ、人知れず眠っている鋼鉄の舟。それを彼が手にする時がいよいよ近づいてきた、というのです。「ユーも分かっているんだろう?……アマテラス君」何故かそう問いかけてくるウシワカに戸惑うイッスンですが、アマテラスはいつも通りのぽあっと顔。そしてそれ以上核心に触れることはなく、ウシワカは「もう予言は必要ないだろう?……シーユー!!」(ついさっき予言しないと落ち着かないとか言ってた癖に)さっさと消え去ってしまいました。
鬱蒼と並ぶ木々の間で二人を待っていたカイポクが言うには、この森の木々が振りまく花粉には獣を惑わせる力があって、オイナ族はもちろん、アマテラスも長居はできないのだそうです。子供の頃ちょっとした縁があって、森への抜け道を知っているのだと、何故か意味深にイッスンに目をやって(イッスンは知らん顔をしていましたが)遅れずにしっかり付いて来るんだよ、と叫ぶやカイポクはぴょんととんぼを打って茶色の狼に姿を変えました。
「空と土と海の精霊たちよ。どうか聖なる力で私たちを守り給え!」ちらつく雪を蹴散らして、まっしぐらに駆け出したカイポクの後を追って、アマテラスも森の奥へと走ります。
薄暗い森の中、道は凍りつき、毒をはらんだツタや妖と化した木々がアマテラスたちの行く手を阻みます。幾つもの障害を掻い潜ったのち、やがて一向は森の中にぽっかりと開いた窪地に辿り着きました。
「着いた……実は私も久しぶりだから、本当に辿り着けるとは思わなかったよ」狼から人へと戻り、何気に恐ろしい事を言いながら、カイポクは辺りを見渡して感慨深げに息を吐きました。「あの時から……全然変わってないんだなあ!」
詳しい事はイッスンに聞けば分かるとカイポクは言うのですが、イッスンは不機嫌そうに黙り込んだままです。見守るカイポクを後ろに、アマテラスは窪地の中に鎮座する、もとはそこそこ大木だったらしい切り株の前に立ちました。確かにその根元に開いた穴からは何やら不思議な光が漏れ出てきてはいますが……でもこれをどうしろと?
「変らねえなァ、この村もよォ……」アマテラスの上でイッスンが何やら複雑そうな声を漏らしました。
「アマ公……この切り株の中がコロポックルの里、ポンコタンさァ。中へ入って連中の話を聞きたいんだろうけど―――残念ながらお前が入るには狭すぎらァ」
しかし「ですよねー」と相槌を打つ間もなく、イッスンが言い終わるが早いか、待ってましたとばかりに何かが空からひゅるひゅると降りてきて、二人の目の前でぴょこぴょこ跳ねだしました。「こ……こいつは……打ち出の小槌じゃねェか!」
そうです、それはかつて西安都で二人を宝帝の屋敷の内へと侵入させ、エキビョウ退治に一役買った、あの打ち出の小槌でした。
「なんだって急にこんな所に……まさかこいつ、アマ公に恩返しでもしようってつもりかよォ!?」あー、そういやカグヤが「使いの小槌」とか言ってたね。家来みたいなもんなんだろうけど、帰星する彼女に一緒についてかなかったようです。なるほどご主人様の恩人(狼?)であるアマテラスのなんか役に立ちたかったのかも知れません。なんとも感心なアイテムですね。
という訳で「ケェーッ!ご苦労なこったァ!」と盛大に吐き捨てるイッスンをよそに、アマテラスは小槌の力を借りて村の中に入れてもらうことにしました。
「こんな辛気臭ェ村に入ったら、自慢の兜が曇っちまわァ!」とイッスンが頑なに里帰りを拒否るので、しかたなくアマテラスのみが小さくなって、切り株の根元に突入します。
小さく縮んだアマテラスにとって、切り株の中は大層広い空間と化しておりました。壁のあちこちから流れ下る水の上を、どこからか湧き出した不思議な光が舞っていて、とても幻想的な雰囲気です。ツタで出来た縄梯子を渡っていくと、茎をくりぬいた家が幾つも立ち並んでいます。枯葉で出来た扉を開けると、中にいた蝶々の羽のような髪をした女の子が驚いて目をみはりました。
「あら、なあに?キミ随分ちっちゃいオオカミねぇ。それにヘンなお化粧もしているし……」
彼女……「ミヤビ」が言うには、コロボックル以外で村に入ったのはアマテラスが初めてだそうですが、この間、外の世界から迷い込んだ女の子が森の奥の幽門扉へ吸い込まれてしまったのだとか。幽門扉というのはさらに森の奥にある遺跡で、全く別の場所や時間に通じている不思議な扉なのだとか。
……これはひょっとするともしかして。とにかく更に情報を得るためアマテラスは村を巡ります。(ちなみに他の女の子から昔オイナ族の女の子が森に迷い込んでしまい、イッスンという子が村の外まで案内して助けてあげて、以来その子と仲良くなったイッスンはしょっちゅう絵の練習をサボってオイナの村に遊びに行くようになり、長老に叱られていたという話を聞くことが出来ます)
さて、村の中心に向けて道を進んでいきますと、太い茎の根元に開いた戸口にカブトムシの胴体に筆を三本重ねて置いて、足に見立てたある意味ちょっとブキミな看板がかかった家があります。ツタの紋がついた扉を開こうとしますと……「待つナリ!」入り口に控えた二人の側近に止められてしまいました。このポンコタンに入り込むとは只者ではない、名を名乗るナリ!と、彼らはこのおかしな「オオカミ」に向かって大真面目に問いかけ、それは動物の言葉が分かるコロポックルゆえの言葉だったのですが、何故かアマテラスについては違うらしく、二人して首を傾げて考え込みます。
と、そこで彼らはこの妙な隈取と神器を身につけたオオカミがこの家に住むコロポックルの長「イッシャク爺」の部屋に飾られている掛け軸に描かれているものと同じと気付き、アマテラスを通してくれました。
「爺様はお年を召して体が弱くなっているナリ。特に……目がもう不自由になっているナリから、中では暴れたりしないよう、気をつけるナリよ」そう促されて扉をくぐったアマテラスでしたが「……ウヌ?ウヌヌヌヌヌ!?この匂い……どこかで嗅ぎ覚えがあるぞい!?誰じゃ!!」目が衰えた代わりに嗅覚が鋭くなったということなのでしょうか、奥にいた老人は素早く来訪者に反応してぴょこんとこちらを振り向きました。
それに応えて「わん」と一声アマテラスが鳴くと「……ま……まさか……そのトボけた鳴き声……」とわなわな震えたイッシャク爺は「お主まさか……ア……アマ公か!」よほど驚いたのか小さな体に似合わぬ大声で叫びました。
ん?ていうかこの呼び方は何だかさっきまでしじゅう聞いていたような……。
わん!とそれに応えてアマテラスが吠えると、「おお……おお、アマ公!!お主、本当にあのアマ公か!」イッシャク爺は感極まり、
「あの戦いで身を滅ぼし、この世を去ったお主が、まさかこうして再びワシの前に現われてくれようとは……!!ワシの目はもう役に立たなくなってしまったが―――感じる……感じるぞ!お主の鳴き声が、こみ上げる熱い涙で上ずっているのを」
と頷きました。が、それに対するアマテラスはいつもどおりのポヤっと顔を返すだけです。
「お主……相変わらすじゃな……」
がっくりと肩を落としたイッシャク爺でしたが、しかし、すぐに気を取り直して今の自分は青ガキだった昔とはワケが違う、今やずいぶん出世して、この里を束ねる伝説の剣士なのじゃと胸を張りますが、やっぱりアマテラスはいつもどおりの以下略。
「フン……驚いているクセにトボけおって!」
ご機嫌斜めなイッシャク爺は、それにくらべ、アマテラスの放つ神の威光は随分と衰えてしまった、と気落ちした様子です。
それはあの時十三に分かれた力をまだ取り戻していないせいもありましたが、かつて彼らが共に戦った頃に比べ、人々の神に対する信仰心が薄れてしまったせいでもあると。恐らく今のアマテラスでは闇の力に打ち勝つことは難しいだろう。
と、そこで、一緒に旅をしている相棒はいないのか、と唐突にイッシャク爺が尋ねましたが、なんだかイッスンのことを言い出しにくい雰囲気でもあるアマテラスは特にノーリアクションのままで
「な……何じゃ、ここまで一人旅か!?」
驚き、ぴょこんと跳ねたイッシャク爺は別に誰かといるのを期待しとったわけではないぞい!と何故か慌てて首を振りました。さて、それが誰だったのかは置いておくとして、闇の到来を察知した彼らコロポックル一族は伝説の神仰伝道師、天道太子の推戴を進めていたのだといいます。
天道太子……それは、神の威光をこの世に知らしめ、人々の信仰を集めて神の力を強める為の伝道師。この世で唯一、神と交信できるコロポックルたちは神の威光を人々に伝える為の手段として絵師としての修行を続けています。その彼らの中で最も優れたものに与えられる称号。それが天道太子というわけなのです。
六代目の天道太子としてアマテラスと旅をしたイッシャク爺でしたが、今はもうアマテラスと旅をするには衰えきってしまいました。そこで彼は自らの全てをこの村の者たちに教え込み、今や誰もが天道太子を名乗ってもおかしくないほどの腕前となったといいます。この村を見て回り、七代目の天道太子としてふさわしいものを選べというイッシャク爺に、しかしアマテラスはちらりと背後を振り返り、答えようとしません。
かのじょの考えているのがピリカの消えた幽門扉のことだと見抜いたイッシャク爺は「あんなものに興味を持つでない!」と怒ります。開ければ不吉な妖気が噴き出してくるろくでもない扉、よって彼はそれを自身の宝刀「電刃丸」でないと開けられぬように封じたのです。ん……?電刃丸?何だかどっかで聞いたような名前ですが……。
そんなことよりはやく次の天道太子を選べと迫るイッシャク爺にアマテラスはやはり答えず、再びもの問いたげな表情で背後を振り返りました。
「な……何じゃ、その何か言いたそうな沈黙は?」
すると何故か狼狽した様子でイッシャク爺が叫びだし、
「言っておくが、ワシには孫なぞおらんぞい!辛い修行を投げ出した挙句、ワシの大切な美人画をかっぱらって不届きな輩ならおったが……そんな不孝者とは、とうに身内の縁を切っておるわ!」
聞いてもなかった衝撃の真実を激白しました。
……って言うかまあ、今までのウシワカのセリフとかイッスンの態度とか、この村の子達の話で何となく分かってはいた事ですが。
ですがこれ以上粘っても取り付く島はなさそうです。イッシャク爺を放っておいて、とりあえず村の入り口まで戻ろうとしたアマテラスは、途中でどんぐりの帽子をかぶったクヌギという子に出会います。
クヌギはアマテラスを見て「外を遊び回って楽しいだろうなあ」と、うらやましげです。
毎日絵の練習ばかりさせられて飽きちゃうし、神様を助けるにはボクの腕なんてまだまだなんだよね、とボヤくクヌギは
「あーあ、ボクもイッスンみたいに上手く描けたらなあ」と溜息をつきました。長老の孫であるイッスンは、たいそう絵が上手かったのですが、長老はイッスンだけにはとても厳しく、毎日毎日、イッスンがどんなに上手な絵を描いても絶対に褒めなかったのだといいます。するとある日イッスンはもう絵を描くのはイヤだと言い出して、長老と大ゲンカの挙句、村を飛び出してしまったのだというのです。
「長老さまが厳しかったのは、きっとイッスンを見込んでたからだよ。だって長老さま……絵の苦手なボクにはすごくやさしいもん」
長老さまは、本当はイッスンに帰ってきて欲しいんだろうな、と言うクヌギの言葉を背中にして村の入り口へと戻ってきたアマテラスに「何だいお前……その何か言いたそうな顔はよォ」とイッスンがムクレっ面を返します。
それはともかくとして、アマテラスの顔から次の目的地が幽門扉である事を読み取ったイッスンですが、やはり案内なんかしないとそっぽを向いてしまいます。
「どうしてもって言うなら、イッシャクのじじィにでも……」
と、そこまで言ったところで「イッスン……やっぱりイッスンなの?」かわいらしい声に遮られてしまいました。
切り株の中から跳ねだしてきたミヤビはアマテラスの頭上のイッスンを見て、ついにみんなの期待に応えて天道太子になってくれたの、と喜びますが「うるせェや!」とイッスンに怒鳴られて驚きに目をみはりました。
そんなモンになったところで世の中が良くなるわけでもない、だったら自分は面白おかしく暮らすだけだと言い放つイッスンに、じゃあもう絵は描いていないの?と信じられない様子のミヤビ。彼らがそれをしなければ、神様は永遠に力を失ったままなのに……。
しかし、それならお前らが神さまの面白マンガでも描いてその辺で売り歩けばいい、オイラは幽門扉に行かなければならないからそんなヒマはないと啖呵を返すイッスン。おやおや、というわけでさっきまでの言葉とは裏腹に、結局彼と共に幽門扉へ向かう運びとなりました。
こうしてイッスンの案内で幽門扉へとやってきたアマテラスとイッスン。
白く凍りついた谷の奥、いつ、誰が作ったのかもわからない、神話の時代から建っていると言われるその石扉は、それが呼び寄せる災いを防ぐ為に代々コロポックルの長の一族が番人をつとめているのだといいます。
「まァ、どんな災いが吹き出してくるのかは知らないけど、ピリカの奴がこの向こうにいるって言うなら仕方ねェ」とイッスンは腰の刀を抜きました。「開かずの扉をこじ開けるとするかァ!」
ジャンプ一番、飛び上がったイッスンの刀は扉の隙間を一刀に断ち切り、暫くののちにそれは重々しい音を立てて左右に開いていきました。
中から漏れ出すまばゆい光を眺めて
「……やっちまったィ。これがバレたら、イッシャクのじじィに大目玉喰らっちまわァ」
ため息をつくイッスンの背をじっと見つめるアマテラス。「な……何を見てやがんだァ?」とぴょこんと驚くイッスン、しかしそのアマテラスのさらに背中立つ人影に再び驚き、眼をみはりました。
「お前たち……中々面白そうなことをしてるじゃないか。こいつが開いたところを見るのは俺も初めてだ」
半人半獣の彼らにも厄介なこの森を、宝剣クトネシリカに守られて抜け、オキクルミがここまでやってきたのです。その目的は、更に多くの妖怪達をほふるため。
青鈍色の光を放つとき、氷壁を砕き天への道を開くというクトネシリカ。
クトネシリカが目覚めれば、魔神どもを払うなどわけもない。
災いを呼ぶという幽門扉をくぐった先こそ、クトネシリカの味を磨くのにおあつらえ向きの世界だろう。
そう言い残して扉の先へ足を向けたオキクルミをイッスンが呼び止めます。
ピリカがその扉へ吸い込まれたらしい。そこには只事ではない何かが待ち受けているだろうと。
しかしそれも刀を強めようとするオキクルミの執念を揺らがせるものではありませんでした。
「そう願いたいな。宝剣、クトネシリカのために!」
剣を掲げてオキクルミは叫び、光の向こうへ消えていきます。
それを見たアマテラスもぐるぐると唸りだし、前足で勢いよく凍った地面を引っかきました。
「お……おい、ちょっと待て、アマ公!オイラはここで―――」
慌ててイッスンが叫びましたがそんなことには耳も貸さず、アマテラスは勢いよく一飛びしてオキクルミの後に続きます。
すると扉がごろごろと動き出し、この何百年間と同じよう、まるで何事もなかったかのように閉じられてしまいました。
こうして幽門扉をくぐったアマテラスとイッスンでしたが、二人の前に待ち受けていたのは、思いもよらない光景でした。真っ黒な空、あたり一面に広がる緑、けれどその下に広がる、どこか見覚えのあるこの景色は……。
「も、もしかして……神木村かァ?」
イッスンが素っ頓狂な声を上げるとおり、連なる鳥居と桜並木(なぜかまた桜が散ってしまっていますが……)、その向こうに見える小さな家々は、神木村に間違いありません。
「神木村と言えば、確かヤマタノオロチ伝説発祥の地と聞く……」
隣に立っていたオキクルミが呟きました。
「カムイから海を渡ってナカツクニへ来たのは初めてだが、それがこの神木村とは……やはりクトネシリカの導きに違いない!」
一人合点するや、オキクルミはイッスンが止める声も右から左、この地の妖怪を求めて駆け去ってしまいました。
やれやれと辺りを見回したイッスンは、以前とは何だか変わってしまった周囲の雰囲気に加え、もう一つ、おかしなことに気付きます。
この間過ぎたばかり筈なのに、満月が今また空に輝いているのです。アマテラスが空に描く月は三日月なので、これは筆業によるものではありません。首を捻りつつ見上げた視線を地面に戻してみると、更にまた一つ、異変を見つけました。
天に高々と枝を伸ばしていたサクヤの神木、コノハナさま。それがなくなっており、代わりになんとも頼りない、幼い木がぴょこぴょこと芽をうごめかせているのです。
「こんなチッポケな芽、オイラ達のお呼びじゃないぜェ!」
と、困惑したイッスンが叫んだ声に「……ん?あなたは……もちかちて、えらい神しゃまでしゅか?」可愛らしい返事がありました。
鳥居の傍に立っていたのは薄いピンクと緑の、どっかで見たような色の組み合わせの着物を着た少女……というか幼女です。頭のてっぺんでお団子に結った長い黒髪を揺らしつつ、「わたちはこの苗木の精霊、シャクヤって言いましゅ」と舌っ足らずに名乗るのに、「何か、どこかで聞いた名前だなァ」と首を傾げながら、イッスンはサクヤの神木の行方を尋ねましたが、幼女は相変わらずかわいらしいしぐさで「だから……シャクヤなら私でしゅよ?」などと言います。なにげに衝撃の告白なのですが、「ああ、ハイハイ。シャクヤちゃんだろォ?」忙しいからあっちで遊んでな、とイッスンは受け流してしまいました。
アマテラスを神様だと看破する時点でこの幼女がタダモノではないことは明白なのですが、玉虫しゃん、と呼ばれたイッスンはサクヤにもそう呼ばれていた事にも思い当たらず激怒するだけです。
とりあえず幼女の事は脇に置いといて、村へと向かったイッスンとアマテラス。
しかし彼らはそこで更に面食らう事態に陥ります。
神楽舞台で今更「コノハナ様の成長」を祈っていたミカン爺にファイティングポーズを取られたのを皮切りに、村の少年、ムシカイの母親に追い回されたり、ムシカイ自身にも殴られたり。ミカン婆には怯えて「後生だからこれで許しておくれ」と桜餅をバラ撒かれるし、クシナダに至ってはスサノオとの仲の進展を冷やかす暇もなく家の中に逃げ込まれてしまいました。
どうやらみんな、アマテラスのことを白野威と勘違いしている模様。確かにそれはアマテラスのもう一つの姿ではありますが、でもそれは百年も前の話のはずでは……。
しょっちゅう大根を引き抜いてイタズラしているムシカイの母はともかくとして、みんなの態度(&ビミョーに変わっている服装)に釈然としないものを感じつつも、スサノオの家の前までやってくると、だらしない大いびきが聞こえます。「相変わらずこの調子かィ」と庭先で大の字になっているのを眺めていると、「イザナミちゃん……我と一緒に……ムニャムニャ」聞き捨てならない寝言を聞いてしまいました。「まさかこの野郎……浮気なんて身の程知らずな真似を……!?クシナダの姉ちゃんを差し置いて……!アマ公、一発喰らわせてやりなァ!!」
義憤に駆られたイッスンの叫びに従い、合点だとばかり、アマテラスが頭突きをかまします。
タイコ腹に一撃を浴びせられ、ガフッ!と叫んだスサノオ?は大あくびをして「白野威退治の為の鍛錬中に、そのまま眠ってしまったようだ」やっぱりみんなと同じように、おかしな事を言いながら起き上がったところで叩き起こされたことに気付き、「この古今無双の大剣士、イザナギ様に何用―――」言いかけて、「お、お、お、お前は……白野威!!」驚きにくわっと目を見張りました。
夢の中で英雄ごっこかィ、とイッスンが呆れるも、スサノオ?はまったく耳を貸しません。「ついに現われたか、妖怪白野威め!!」と刀に手までかけるので、いつの時代の話をしてんだィ!と寝言?に怒るイッスンでしたが、イザナギを名乗ったスサノオそっくりの男が「……訳の分からぬことを言うでないわ。見ろあの満月を!今夜は年に一度の……十五夜の満月が昇る夜。ヤマタノオロチが生贄を召し取ろうという日ではないか!」と抜き放った大剣で空を指すのと同時に辺りに溢れた禍々しい気配に「ちょ……ちょっと待てよォ、何だこりゃ!」愕然となりました。
何故ならそれは、間違えようのないヤマタノオロチの妖気。激闘の末、彼らが滅ぼした大妖怪の気配が、どういうわけか辺り一面にふんぷんと漂っているのです。
「フン……いまさらトボケようとも遅いわ」
身構える二人にイザナギが大剣を向けました。
「毎年オロチの生贄の品定めに現われる、白き妖怪、白野威……今年こそ、このイザナギ様が貴様の息の根を止めてくれるわ!」
「ア……アマ公、こんな事ってあるのかァ……?」
「開けば災いが噴きだしてくる」その扉の向こうにあったものにようやく気付いたイッスンが、震える声で言いました。
「オイラたちが、百年前の神木村に来ちまってるなんて事がよォ!!」
(イッスンだけ)混乱しつつもイザナギを思いっきり伸してしまったアマテラス。イザナギがスサノオに……というかイザナギ石窟にあるイザナギ像にそっくりである事や、村人達のこれまでの態度なんかを思い返し、本当に百年前に来てしまったことを実感していたイッスンですが、そうなるとこの時代にいたはずの本物の白野威(というか過去のアマテラス)はどこにいってしまったのでしょうか。いや、それともイッスンたちがここに来たことでタイムパラドックスが……などと考えても混乱するだけで埒があきません。
そんなこんなしていると、イザナギの家の前に村人達が集まって騒ぎ出しました。
どうやらアマテラス(……というか白野威)が姿を現したことでいよいよオロチが生贄を……と怯えた村人達が彼を頼ってやってきたようです。
いやそれ勘違い……などと弁明する間もなく、なんという偶然というかバッドタイミングというか、周囲にあの恐ろしいオロチの雄叫びが響き渡り、宙に八つの光がおどろおどろと輝きました。光はやがて不吉な一本の矢を産み、解き放たれたそれは宙を走り、屋根飾りをはっしと撃ち抜きました。大きな酒樽の飾り、百人目の生贄に選ばれたのは、クシナダ……いえ、イザナミの家です。
「い……忌まわしき骨鏃の破天矢で……契りの贄を選り出でむ」
わなわなとミカン爺……ではなく、ハッサク爺が声を絞り出します。
「おお、イザナミよ……お前まで送り出す事になろうとは!」
肩を落とし、俯くハッサク爺とは対照的に、イザナミはしばらく無言で屋根に撃ち込まれた矢を見つめていましたが、やがてきりりとイザナミの家を振り返り、叫びました。「わたし、信じてるから!あなたがオロチ退治のために鍛錬し続けたその腕を―――」
しかしあいにく、当のイザナギはアマテラスのせいで昏倒中です。
それはともかく、オロチの元へ行くことなど怖くない、とイザナギは気丈に呼びかけました。「だってあなたが忌まわしいオロチ伝説に終止符を打つんだもの!」
そう言うや、イザナミはみんなに家の中へ隠れておくよう言って、生贄の白装束に着替える為、駆け出していってしまいました。
「何度見ても胸糞悪ィ真似しやがるぜェ」とオロチの非道に改めて怒りが込みあげるイッスンでしたが、「……あれェ?ちょ……ちょっと待てよォ?」実は今マズイ状況に陥っていることに気付きます。
確か言い伝えではイザナギが生贄の身代わりになってオロチ退治に乗り込むはず。しかしそのイザナギは今、アマテラスの足元で伸びています。アマテラスに伸されて。ひょっとしてこのままでは、歴史が変わってしまうのでは……?
ピリカには悪いけど、ちょっとそれどころではなくなってきたかもしれません。
とにかく、ここでゴチャゴチャ考えていても仕方がない。言い伝えどおりになってないなら、言い伝えどおりになるようにすればいいのです。
「つまりええと……まずは―――そうだ!イザナミの姉ちゃん……生贄の白装束に着替えるって言ってたよなァ?」
それをかっぱらってきてイザナギに着せ、オロチの所まで連れて行けば一応言い伝えどおりになります……多分!
と言う訳で全く起きる気配のないイザナギを放置して、アマテラスは自業自得ながらソフト追い剥ぎというか衣泥棒をする羽目になったのでした。