新都インターナショナル証券


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2000年に破綻した証券会社。

国内資本初の証券会社「新都株式証券」として1937年に設立された。年々支店や人員を拡大し戦後の混乱や不況を乗り切り70年代には国内4位の証券会社となった。

70・80年代には、海外進出を積極的に推進し海外株運用ファンドである「新都海外株ファンド」を設立した。運用ファンドは、高い運用益をもたらし、この多額の運用益をもとに地方の証券会社を傘下におさめ経営基盤を拡大した。しかし、その一方でゴルフ場の買収や豪華な本社ビル新築など無駄な事業にも利用された。

ファンドの運用は順調に思われたが87年のブラックマンデーで大幅な損失を計上。さらに90年代に入っての不況による国内株の株価低迷に苦しめられ経営悪化に陥り、大幅な増資を実行。アジアの新興国の投資ファンドが同社の大幅増資を引き受け全株式の30%を握った。

増資した資金をもとに大幅なリストラやファンドの再建を進めた。ファンドは東南アジアやブラジルなどの新興国株式の運用を中心にして売上を回復した。97年には社名を現社名の「新都インターナショナル証券」に改称した。

順調な経営再建を果たしたかのように見えたが、98年のアジア通貨危機が発生。アジアの新興国の株式を運用している新都海外株ファンドは1600億円の損失を抱え債務超過に陥った。また株式の30%を出資していた新興国のファンドも経営悪化に追い込まれ同社株を全株売却に動いた。

株式の大量売却で同社の株価は1週間で400円以上値を下げ189円に低迷し、増資を図ることのできなくなった同社は国に公的資産の投入を申請した。その際に新都海外株ファンドが債務超過であることを見られないように粉飾を実行した。

ただ金融庁の特別監査で偽装が発覚し、国が公的資金の投入を撤回。追い込まれた同社は2000年の1月4日に破産を申請し破綻した。

同社の破綻で新大町銀行が貸し付けていた無担保コール資金23億円が回収不能になり、コール市場が混乱し、同じく経営危機に陥りコール市場での資金調達でなんとか経営を続けていた中堅地方銀行の北山県民銀行や信用金庫の新都大町信用組合が破綻に追い込まれた。

店舗や人員は、地域ごとに売却され、国内の大手証券会社や外資系証券などに売却された。また新都府内の社員の一部がベンチャーキャピタルの支援を受けしんと証券を設立した。
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