保守連合党


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1953年に保守政治会、平和政友会が合流して誕生した政党。民主労働党と長い間政権争いを繰り返し2大政党の一翼を担っていた。

しかし、80年代後半からの相次ぐ汚職に十分な解決策を打ち出さない幹部の姿勢に党内で反発の声が相次ぎ92年の首都航空違法献金事件発覚後、若手・中堅議員やベテラン議員の一部が党を離脱し、民主労働党の議員の一部を取り込み社会改革党、改革民主、新党平和の声、政界クリーン党が結成された。

93年に行われた総選挙では相次ぐ議員の離党で地方組織や支持母体が崩壊し議席数は197議席(改選時251議席)と大敗した。その後、離党が相次ぎ94年には同党議員152人が離脱し平和自由党が結成された。

平和自由党結成で、様々な面で同党を支えていた経済団体や業界団体などの支持母体のほとんどは平和自由党への支持に転じた。そのため議員の離党は止まらず99年には中堅議員を中心に未来栄光党が結成され99年の12月には所属議員は衆議院10人、参議院5人にまで低迷した。

また支持基盤の崩壊による党の財政悪化で、選挙対策のために借り入れていた13億円の返済が厳しくなり党本部や選挙カーなどの売却、党職員の解雇に追い込まれた。

負債を返済したが支持基盤の崩壊や今後も財政状況が改善する見込みが薄いことから党の解散が決定し00年に解散した。議員は平和自由党未来栄光党政治改革党などに分散した。


党本部

新都府水田区の国会議事堂付近に立地していた。もともとは新聞社のビルだったが新聞社の支局移転で売却され79年に党が購入した。地下1階、地上5階建てだったが手狭なため何度も増築され最終的に地下1階、地上10階の建物になった。党が分裂すると空き部屋が増大し1階の部分のみ貸し出していた。99年に売却された後は、建物は解体されマンションやコンビ二などが立地している。
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