社会改革党


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1992年に結成された政党。

保守連合党桜政治会の代表であった冬田氏や民主労働党元幹事長の川上氏が中心となって結成された。1993年の総選挙で二大政党を破り、議席数では過半数には届かなかったものの第1党になり改革民主新党平和の声労働の会政界クリーン党共産新党などとともに連立内閣を樹立した。

連立内閣では当初首相に冬田氏を起用する計画だったが冬田氏が拒否したため、川上氏が就任した。就任直後から高い支持率を誇り他の与党との関係に苦しみながらも高速道路公団改革や省庁再編を始めとする行政改革、大規模な景気対策などを押し進め

しかし、97年に銀行の救済策をめぐり改革民主共産新党と意見が食い違うようになり2党が総選挙前に連立政権を離脱した。97年の総選挙で連立内閣議席を伸ばしたが過半数には届かず川上内閣は首相起用を条件に民主労働党への連立参加を打診した。しかし、旧来政治へ戻ることに危機感を抱いた真田氏らが猛反発し民主労働党の連立参加が決まると真田氏らは離党し社会民主改革党(すぐに社民連合党に改名)を結成した。

民主労働党の連立内閣参加で川上氏は辞任し民主労働党の内川氏が首相に就任したが、民主労働党の議員を中心に閣僚ポストを与え、さらに民主労働党の閣僚にスキャンダルが相次いで発覚したことで内閣内での不満が増大し新党平和の声が連立内閣を離脱し社民連合党に合流した。

党は、民主労働党との連立維持を主張し続けたが・・・。



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