09年平和主義国国政選挙特集


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こちらでは09年の平和主義国衆院選のニュース特集を掲載しています。
情報発信元:PN総合通信社


村上内閣誕生へ(09年8月)

:新党民主会議の村上代表は未来栄光党、社民連合党、無所属クラブ、スポーツ新党の代表者らと党本部で会合を開き連立内閣樹立で合意した。党のポストは今後協議する。


未来栄光党、連立から離脱。新党民主会議との連立政権を模索へ(09年7月)

:未来栄光党は平和自由党との連立を解消し新党民主会議との連立を模索することを発表した。未来栄光党は平和自由党とポストを巡り対立が起きており連立離脱がささやかれてきた。

改革推進党水田改革党新党民主会議に合流へ(09年7月)

:新党民主会議、改革推進党、水田改革党3党の党代表が府内で会見し改革推進・水田改革の2党が民主会議に合流することを発表した。3党は民主労働党が解党して結成され、再合流を水面下で検討していた。事務処理等の問題から合流した後も党名は新党民主会議を利用する。

平和自由党総裁に岸本氏就任へ(09年8月)

:平和自由党総裁選挙が行われ、岸本氏が山崎氏等を破り総裁に就任することが決まった。岸本氏は宇多・岸本派会長を務め、国際派として知られる。また、選挙対策委員長を岸本氏が兼任し、幹事長には岡平氏、幹事長代理に温厚なことで知られる河原氏を起用した他、国対委員長に当選3回の若手議員の猪野氏を起用した。

加藤首相、辞任へ(09年8月)

:加藤首相は平和自由党の総裁を辞任すると発表した。衆院選敗北後も留任する声が強かったが最終的に辞任することを決めた。在任中は野党とも積極的に協力して景気対策に取り組むなどして、高い支持率を誇り衆院選敗北後も62%の支持率を得ていた。ただ公共事業削減や高速道路公団改革などを盛り込んだ行財政改革刷新計画が原因で地方組織と対立したことで、支持母体の反感を買った。

民主改革党、党本部売却へ(09年7月)

:民主改革党は、党本部を売却すると発表した。同党の党本部は10階建てで65年に建築され耐震強度の不足や老朽化が深刻化していた。同党は衆院選敗北で本部職員の4割に当たる48人を解雇するなど財政難が深刻化している。同党は党本部の売却で10億円の売却益を見込んでいる。今後、党本部は付近のオフィスビルに移転することで調整している。


新時代創造党、知名度不足否定できず・・・(09年7月)

:新時代創造党は、2議席減の1議席という結果に終わった。防衛体制の強化や愛国心教育の充実など独自色を出したが、知名度不足で埋没する結果となった。最高顧問に経済通商大臣等を歴任した三田氏を起用し知名度アップを図ったが、選挙資金の不足が影響し候補者の擁立にも苦戦した。


民主改革党、大敗。党首も落選・・・(09年7月)

:民主改革党は公示前議席数の29から4議席と大敗する結果となった。当初は民主労働党基盤の地方組織を継承し今回の選挙では優位に立つのではないのかと予想されていたが、民主労働党の最大支持基盤であった平労連が民主改革党を一切支援しないことを発表し状況は変わった。党の幹部によると、その発表以来、地方組織の離反が相次いだという。とある県連では、所属する地方議員・党員の9割が離党し民主会議や水田改革党等の支持に回った。県連幹部によると「もともと民主労働党の解党を招いた民主改革党に対する不満は大きく、平労連の発表をきっかけに党への怒りが爆発した」と話している。今回の選挙により同党は党首、副幹事長、国対委員長が落選し壊滅的ダメージを受けたが、今後再生に向かうのは大変そうだ。

本田代表、代表辞任へ。後任に村上氏(09年7月)

:民主会議の本田代表は代表辞任を表明した。本田代表は、民主会議の大勝で首相に就任することが有力視されていたが、選挙直前に体調を崩し入院していた。後任は村上幹事長で党内の調整が進んでいる。


衆院選、平和自由党など与党が過半数割れ(09年7月)

:平和自由党、未来栄光党の与党の議席数は233と過半数の250に届かず過半数割れとなった。一方、新党民主会議は132と大躍進となったが、旧民主労働党の支持層の分散で目標としていた単独過半数獲得には届かなかった。また、民主労働党解党の原因となった民主改革党は4議席と大惨敗し、改革推進党、社民連合党、共産新党、無所属クラブは議席数を若干増やし、水田改革党は公示前議席を維持、保守の声と新時代創造党は議席減、スポーツ新党は選挙区で前職の平和自由党候補を破り党首の川野氏が返り咲いた。今後は、政権獲得に向け多数派工作が加速しそうだ
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