TOAのティアタンはメロンカワイイ SS > 直接投下 > 君に歌う歌

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 眠れない。
 ティアは溜め息と共に寝返りをうった。早く眠って、体を休めなくてはならないのに。

 世界に遍く蔓延し、病魔と不安を巻き散らかしていた瘴気は、多大な犠牲を払いつつもこの程ようやく取り除かれた。ディバイディングラインの降下によって無理矢理押さえ込んでいた以前とは違い、今度は瘴気そのものを中和したため、人々はもう病んだ大気が漏れ出てくることに怯える必要はない。

 しかし、世界には依然として破滅へと繋がる脅威が残されていた。そして、その脅威はティアの兄ヴァンとそれに同調する者たちによってもらたされている。新生ローレライ教団と名乗るそれは、本来の目的の隠れ蓑に祭り上げられた”導師”モースが狂信的にユリアの預言を信奉するその裏で、ヴァンに同調する者たちが冷徹な意志を持ってユリアの預言から脱却するための計画を押し進めていた。滅びを詠んだユリアの預言から世界を救うために、被験者とレプリカを入れ替える。結果的に、それは被験者世界の消滅を意味していた。その計画の中心人物がティアの兄ヴァンである。最愛の兄の妹として、ティアは何としてもその馬鹿げたレプリカ化計画を止めたかった。

 王たちが新生ローレライ教団への帰依を拒絶することで一致した今、全面対決が始まるまでに最早それほど猶予はない。激戦となるだろう戦いに備えて、休むべき時には休まなければならない。兵士としての訓練を受けてきたティアにとって、必要なときに眠ることは、それほど難しいことではないはずだった。それなのに。

 眠らなければ。そう思ってぎゅっと目を閉じてはみるものの、膨れあがる不安と焦燥に、いつの間にか瞬きをしている。今ティアから眠りを奪っているのは、新生ローレライ教団ではなかった。

 瘴気の中和。それは、第七音素を利用した超振動によって瘴気を分解することで行われた。そのために払わなければならなかった代価の、なんと大きいことか。

 あらゆる物質を分解し、再構成することができる超振動の力をもってすれば、かつて封じ込める以外になかった瘴気を完全に消すことができる。しかし、世界中に蔓延った瘴気すべてを中和するためには、応じて相当な量の第七音素が必要だった。さらには、それだけの量の第七音素を結集させ操ることのできるローレライの剣。そして、超振動の発動者。その命。いかにローレライの剣の助けを借りようとも、超振動を発動した術者本人にかかる負担を庇いきることはできない。超振動の発動者は、自らを構成する音素を削り取られ、死ぬ。世界でただ二人だけ超振動の発動者となれる彼らは、望まぬ死を提示されながら、どちらもその運命を受け入れようとした。そして。

 瘴気の中和に必要とされた膨大な量の第七音素は、命を宿し、意思を持ち始めた数千人のレプリカによって購われた。超振動の発動者は、争いながら、ティアにとってただ一人のルークとなった。ルーク自身が迷いと葛藤の果てに決めたことだ。ティアには承服しかねる決断ではあったが、同じように世界のために命を削った自分を、彼が苦しみながら受け入れてくれたように、自分もまたその決断を受け入れねばならない。かつて無自覚のうちに犯してしまった大罪を少しでも償うために、彼が重ねてきた苦悩と努力を、自分は悉に見てきた。その果てになされた決断に対して沸き上がる怒りと哀しみを消すことはできなくても、最期の時まで、せめて目を逸らさずに見ていよう。それが、彼の変わる様を見続けると約束した自分の為すべき事だと。

 しかし、ティアは結局その決意を守ることができなかった。ルークがアッシュの手からローレライの剣を奪い取り、超振動を発動しようとしたまさにその瞬間、ティアは悲鳴を上げて走り出していた。このまま黙って見ていたら、ティアにとってのルークが永遠に失われてしまう。私はあの人を失うことはできない!ティアの中で想いが弾け、意図する前に体が動いた。ルークに駆け寄るティアを止めたのは、彼の無二の親友であるガイだった。ガイとてルークの死を望んでいるはずはない。事実、レムの塔へ来る前に、いちばん強くルークを引き留めたのはガイだった。しかし、最終的にガイは自分の意思よりもルークの意志を守ることを選んだ。ルークの元へ行くことを阻むその手の強さに、わずかに残ったティアの理性が自身の愚かさを責める。視界に氾濫する光とは逆に、自分の心から急速に光が失われていくのをティアは感じた。

 順調に進むかに見えた瘴気の中和は、収束するはずだった第七音素が拡散しはじめたことで、すべての瘴気を中和しきれないまま終わろうとしていた。しかし、見かねたアッシュが割って入ったことで、逃げ始めた第七音素が再び収束し、瘴気の中和は無事完了した。超振動を二人で行ったことで負担が軽減されたためか、彼らは二人とも生き残った。圧倒的な量の光が収縮して霧散したその後も、ルークは消えずにいた。ティアは、”消費”された数千のレプリカの”死”を悼む一方で、同時に消えてしまうはずだったルークが生き残ってくれたことへの歓喜と安堵感に胸を焦がした。それは、最愛の兄、敬愛する師との訣別を強いられたティアから、ようやく奪われずに残ったものであるはずだった。

 だから、ティアは目を逸らしてしまったのだ。体への負担を調べるために立ち寄ったベルケンドでの精密検査後、やけに明るく振る舞っていたルーク。いつもの自分なら、ミュウに言われるまでもなく気付いたはずだ。彼の嘘に。そこに潜む、怯えに。

 99%死ぬと言われた運命を回避して生き残ったかに見えたルークは、やはり体に深刻なダメージを負っていた。アッシュの手助けによりかろうじて消えないだけの音素は残ったものの、乖離は徐々に進行して、遠からず死を迎える。残酷な現実が、そこにはあった。

目を逸らしていれば、気付かないようにしていれば、その現実を回避できるんじゃないか。そんな思いが、無意識にティアの目を曇らせていたのかもしれない。知らなければ良かった、とも思う。しかし、遅かれ早かれ現実と向き合わなければならない日は来たのだ。それはもしかしたら、ルークが消えてしまった後だったかもしれない。

 ティアは、何度目になるか分からない溜め息をついた。公爵邸の客室に設えられた最高級のベッドも、眠りをもたらす助けとはならない。じっと睡魔を待つのを諦めて、とうとうベッドから身を起こした。隣のベッドではアニスが安らかな寝息を立てている。ティアはベッドから足を下ろし、側にかけてあった打ち掛けを羽織った。上質で手触りのいいそれは、公爵夫人がティアのために用意してくれたものだった。溺愛する息子を苦難の道に引きずり込んだ元凶であるにもかかわらず、夫人はティアを気にかけ、何かとよくしてくれている。ティアは申し訳なく思うと共に、夫人の中に顔も知らないまま亡くしてしまった母を感じて、優しい気持ちになった。

 外気に当たって気持ちを落ち着けるために、ティアは隣人を起こさぬよう細心の注意を払って、そっと部屋を抜け出した。棟同士を繋ぐ渡り廊下は、窓越しに宵待月の柔らかな光が射し込み、思った以上に明るかった。優しい光に誘われ、ティアは窓越しに中庭を除く。
(え……?)
 円形の中庭の中央に、思いもかけず人影があった。それは、このところずっとティアの思考を支配している赤毛の青年の姿だった。彼はこちらに背を向けて、左の手に剣をだらんとぶら下げ、右手を月にかざして立ちつくしていた。
(……ルーク!)
 ティアは鋭く息を呑んで、中庭へと続く扉へ走った。青年に似つかわしくない儚げな風情に、そのまま消えてしまいやしないかと不安になったのだ。寝静まった屋敷に、番の軋みが思った以上の大きな音を立てて響く。
「ティア?」
 かざした右手を下ろしかねたまま、赤毛の青年は肩越しにティアを見た。その目は驚きに軽く見開かれている。良かった、消えていない。ティアは安堵に胸をなで下ろした。

「どうしたんだ?」
 ルークは声に困惑と微かな不安を滲ませて尋ねてきた。とたんに、ティアは気恥ずかしくなった。
「あ……その……ね、眠れなくて外気に当たろうと思ったら、……あなたがいたから……びっくりして、それで」
 弁解の声がうわずる。赤くなった頬がルークに見えませんように、とティアは祈った。
「眠れない、か。…俺のことで、か?」
 静かな、優しい声だった。事実そのとおりではあったが、否定も肯定もできず、ティアは黙ってルークに歩み寄った。少し冷たい夜の風が、ふたりの間を吹き抜けた。
「ごめんな、心配かけて」
「あなたが謝ることじゃないわ!」
 否定を急いで、固く厳しい声になってしまったことを、ティアは恥じた。ルークは少しうつむいて、軽く鼻の頭をかいた。

「なあ、ちょっと座らないか」
 言いにくそうに、ルークがティアをベンチに誘った。ティアは促されるまま、黙ってそれに従った。少し間をおいて、ふたり並んで座る。
「俺もさ、なんだか眠れなくて、気分転換に剣を振ってたんだよ」
 左手に握ったままの剣を鞘に収めながら、ルークが言った。そう、とティアは気のない返事を返した。他に何か大切なことを話さなければならない気がするのに、思考が上滑りして、何と言ったらいいのか適当な言葉がまったく思いつかない。そうしてふたりは、しばらくの間どちらも言葉なく並んでいた。

 ファブレ邸は、全体として瀟洒な造りで、玄関や大節間こそ華美に飾り立ててあったが、中庭は落ち着いた風情で、植えられている花などもどちらかといえば地味なものがほとんどだった。しかし、寄せ植えなどで様々な工夫が凝らされていて、華やいだ雰囲気も失ってはいない。種々の花を調和よく整えている庭師の腕が窺えた。やや少女めいていながらも品のあるこの庭は、おそらく夫人の趣味に合わせてつくられたものだろう。ティアは改めて、この庭の美しさに感心した。初めてここを訪れたときは、庭の美しさを楽しむ余裕など欠片もなかったことを思い出す。今も余裕はないはずだが、たぶん今は考えることが多すぎるのだろう。だからこうして、思考が逃げていくのだ。

「そう言えば……ティアと初めて出会ったのは、ここだったっけ」
「え?ええ、そうね」
 ティアの思考を読んだように突然ルークが出会いの日のことを切り出したので、ティアは少し驚いた。
「あの時のティアはおっかなかったなー。いきなり家根から飛び降りてきて、『ヴァン、覚悟!』だもんな」
「し、仕方ないでしょう!あの時は追いつめられてたんだからって……もう、その話はいいじゃない」
「うん、でも今考えると、あの時の俺たち、お互い憎んでるわけでもないのに必死で剣を交わしてて、ちょっと笑えるなって」

 他愛のない話をしているはずなのに、少し緊張を含んだ声を不審に思って、ティアはルークを見た。彼はよくやる仕草で耳たぶを触って、そわそわしている様子だった。ちらとこちらを見る目とぶつかる。ルークには何か話したいことがあるようだった。ティアは軽く頷いて先を促した。ふうっと大きな深呼吸をして、ルークはおずおずと語り出した。

「俺さ……ずっとずっと、心の何処かで感じてたんだ。俺はここにしかいられないのに、ここは俺の居場所じゃないんだって。大事に守られているはずなのに、誰も俺と本当には向き合ってくれない。不安だった。怖かったんだ。ヴァン師匠は、そんな俺に剣を教えてくれて、必要な言葉をくれた。師匠だけは、俺と真剣に向き合ってくれてるって思ってた。だから、師匠といるときは嬉しかった」

あの人がいちばん俺を無視していたのにな、とルークは力なく笑った。

「あの日、ティアがここに来てくれなかったら…俺はきっとアクゼリュスで、ヴァン師匠の望む役割を果たして、消えていたんだと思う。そういう意味では、ティアは俺の命の恩人だよ。ティアのおかげで、ここまで生きて来れた。うざいだけだった屋敷の変わらない風景を、こんなにも大切に思えるようになった。視界にも入らなかったこの花を、綺麗だって思える。生きたい、生き続けたい、生きてて良かったって」

 ふいにルークの目から涙が溢れた。
「ごめん……ごめんな。こんな、泣くつもりじゃなかったのに……俺やっぱり、消えるのが、死ぬことが怖くて」
 ルークは乱暴に涙を拭った。

「消えたりしないわ!あなたは、消えない……」
 ティアは夢中でルークの手を奪い取り、胸にかき抱いた。
「この手は、こんなにも温かいのに……消えてしまうなんて、そんなこと……、ない」
 存在を確かめるように、ティアはルークの手をきつく握った。細くてやや冷たいその手が、ルークの気持ちを落ち着けていく。
(でもティア、俺はその手が透けて見えたことを知ってるんだ……)
 全身から急速に音素が失われて、存在が稀薄になっていったあの時の感覚。あれを思うと、自分の死が間近に迫っていることを、ルークは自覚せざるを得なかった。

「なあ、ティア。大譜歌を歌ってくれないか」
 おもむろに、ルークは切り出した。
「大譜歌を……?でも私、七番目の譜歌を知らないのよ?」
 ルークの手を握ったまま、ティアはきょとんとして聞き返す。
「イオンの慰霊祭の時に歌っただろ?あれでいいんだ。知ってる限りでいい。ティアの譜歌が聞きたい」
 ルークが望むなら、とティアはためらいがちに譜歌を口に乗せた。すぐに歌うことに集中する。澄んだ声が、夜の張りつめた空気に響いた。ティアは、この歌がルークの不安を少しでも和らげてくれるようにと、祈りを込めて歌った。イオンの慰霊祭で歌ったときもそうだったが、六番目の譜歌の終わりに差し掛かったとき、ティアは続けて七番目の譜歌を歌える気がした。むしろ、歌えないことの方が不思議だった。
(私……やっぱり、七番目の譜歌を知ってる……?)
「ありがとう」
 そんな逡巡を知らず、ルークは満足そうに礼を言った。

「イオンもそうだって言ってたけどさ、俺もティアの譜歌が好きだよ。すごく、懐かしい感じがする。聞いてると、優しくて、温かい気持ちになれるんだ。不安だったり、迷ってる気持ちに、光が差してくるみたいに」
「じゃあ、あなたが迷ってしまったときは、いつでも私が歌うわ。あなたを思って、あなたのために」
 さっきまで辛そうに涙をこぼしていたルークが明るく笑うのが嬉しくて、ティアは幸せな気持ちになった。そんな優しく笑うティアを見て、ルークも嬉しくなった。
「ティアは、すごいよ。ずっと、ティアが見ていてくれるって、そう言ってくれたから、俺はここまでがんばってこれた。ティアは俺の支えだ。ほんとうに、ほんとうに……ありがとう」
「ルーク……」
 そのままなんとなく、ふたりで見つめ合っていたが、ふと互いに握りしめ合った手に気がついて、同時にぱっと手を放した。放してしまってから、ティアはそのことを少し残念に思った。

「さ、さすがにもう寝ないとなー。なんだかよく眠れそうな気がしてきたよ」
 慌てて立ち上がって、ルークは大きくのびをした。気がつけば宵待ちの月が中天に差し掛かろうとしている。確かに、さすがにもう眠らないと明日の活動に差し障りが出そうだ。互いにおやすみ、と告げて、それぞれの寝室に戻っていった。

 ティアはすっかり冷たくなったベッドに潜り込みながら、先ほどここを抜け出したときとはずいぶん気持ちが違っていることに気がついた。胸に抱いた哀しみが消えたわけではないが、不安ばかりが先立ったさっきとは違い、自分の存在がルークの支えとなれるかもしれないという希望が芽生えていた。ルークはティアを支えだと言ったが、ルークを見守ることが、成長して変わっていく彼を見続けることが、いつの間にかティアにとって何物にも代え難い支えとなっていた。強くあろう。もし彼が消えてしまうのだとしたら、その瞬間まで私が彼の支えでいられるように。最期の時まで、彼が諦めてしまわないように。そうすることが、私の希望となるのだから。そう思いながら、ティアはそっと目を閉じた。

 そうして、ティアはその日ようやく眠りについた。




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