TOAのティアタンはメロンカワイイ SS > 直接投下 > turning point

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「静かね……」
 耳に煩いほどの静寂が厭で、ティアは聞く者もいない言葉を思わず口に乗せた。ユリアシティにある住み慣れた家の飾り気のない自室で、ティアは緩慢に流れる時間に耐えていた。瘴気と病んだ泥の大地に埋もれたこの魔界にただ一つ存在する都市は、外界の苛烈な環境をよそに、二千年の変わらぬ静謐を保っている。
 ここは、静かすぎる。
 つい先頃、世界の成り立ちを揺るがす大事件があったばかりだというのに。
 数千の無辜の人々の命が失われたというのに。
 我関せずとばかりに時を刻み続ける街に、ティアは微かな苛立ちを覚えていた。
 ティアの自室には、いつにない客が居た。そして、彼らの存在がよりいっそうこの空間の静寂を深めていた。
 ティアはベッドサイドに腰掛けて、客のひとりである赤毛の青年を見つめた。自分の寝床を占領しているこの青年は、数日前ティアの部屋に運び込まれて以来、一度も目覚めていない。ときどき、ちゃんと息をしているのか心配になるほど密やかに、眠り続けている。
 普段は起きているもうひとりの客も、今は小さな体を丸めて赤毛の青年に寄り添い、眠っていた。青い毛並みの、チーグルと呼ばれる種族のその生き物は、自ら主人と定めたものに対して直向きに忠実で、彼らに同道してここを訪れた者たちが故郷である外郭大地へ帰って行ったときも決して主人から離れようとせず、ただひたすら側に控えて主人の目覚めを待ち続けている。
 いつも、彼らふたりが並んでいるときはいっそ騒々しいほどであったから、今このふたりの間に横たわる静寂が、常ならないこの状況をいっそう際立たせて、ティアの不安をかき立てた。
(早く、目覚めて……)
 いいえ、目覚めないで。
 相反する思いが、ティアの胸に渦巻いていた。
 眠り続ける赤毛の青年に、早く目覚めて欲しいと確かに願っているのに、目覚めたとき何を話したらよいのか、それを思うと、目覚めないで欲しいとも思う。
 彼は、彼自身が望んだことではなくとも、自らの力をもって鉱山都市アクゼリュスの崩落を招き、そこに住む数千の人々を死に至らしめた。あの崩落の瞬間に立ち会った者のうち、アクゼリュスまでの道を共に歩んだわずかに7人と1匹だけが、ティアの歌うユリアの譜歌によって未曾有の災禍を免れ得た。
 彼は、自分の行動がアクゼリュスを崩落させたという事実を、頑なに拒んだ。吹き出す瘴気に病んでいく人々を、助けたかっただけだと。彼の師の――ティアの兄の言うままに、そうすれば絶望に沈みつつある人々を救えると、信じて。
 そうして彼が放った超振動の力により、彼が救いたかったという都市は崩落し、人々は塵になるか、あるいは魔界の猛毒の泥に落ちて沈んだ。
 不幸中の幸いで、崩落に巻き込まれて魔界に落ちた陸艦タルタロスが航行可能だったため、ティアたちはそれに乗ってユリアシティまで逃げ延びることに成功した。
 そこで、アクゼリュスの崩落を受け入れられないまま傷ついていた彼を、もう一つの衝撃が襲った。皆の糾弾を恐れて立ちすくむ彼の前に、鏡写しのように似通った容姿の、もうひとりの彼とも言うべき存在が現れたのだ。ローレライ教団の黒い衣服に身を固めたもうひとりの彼は、激しい怒りと侮蔑を込めて、戸惑う彼に残酷な言葉を叩きつけた。
 自分こそがバチカル生まれの貴族”ルーク・フォン・ファブレ”で、彼はその出来損ないの模造品に過ぎないのだと。
 ティアは目を閉じて、その時のことを思い返した。


「嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だーっ!」
 彼は、ティアが”ルーク”と呼ぶ彼は、喉から絞り出すような叫びを上げた。そのまま、震える手を腰に佩いた剣に伸ばし、渾身の力をこめてもう一人の彼――今は”アッシュ”と名告る彼に振り下ろす。
 その存在を消せば、告げられた言葉をも消してしまうことができる。
 そう思っているかのように、彼はがむしゃらに剣を振るった。激しい剣戟の音が響き、数合、彼らは同じ型で打ち合った。
 そして、わずかに鋭さの上回るアッシュの一撃が、ルークの剣を弾き飛ばした。ルークは、しばし呆然としてから、ティアの足下に転がった剣と、困惑のために動けなくなっているティアに視線を這わせた。恐怖と絶望に満ちた緑の目が、ティアを射抜く。
「っ……うそ…だ……」
 ゆっくりと目蓋が落ちて、糸の切れた操り人形のように、”ルーク”はその場に崩れ落ちた。
「ルーク!」
 止めに入ることもできずふたりを見守っていたティアは、倒れたルークに駆け寄った。うつぶした体を抱え上げ、様子を確かめる。意識を手放したその顔に傷悴の色濃い影を認めて、ティアは反射的にアッシュを詰ろうとした。
「ルーク!どうした!?」
 なかなか来ない親友を案じたのだろう、戻ってきたガイがティアの言葉を塞ぐ。ガイの後ろからは、異変を察した他の面々も駆け戻ってこようとしていた。
「なになに、何があったの?」
 アニスの高い声が響く。
「おまえ……アッシュ……!」
 倒れ伏したルークと抜き身の剣を手に持ったアッシュを見て、ガイは険しい表情を浮かべ、剣の柄に手をかけた。
「心配するな。気を失っているだけだ」
 アッシュは剣を鞘に収め、口の端を持ち上げて嗤った。
「自分が”レプリカ”だって事実に耐えられずにな」
「レプ……リ…カ…?……そいつは、どういう意味だ」
「そのままの意味だよ。そこで転がっている屑は、俺の劣化複写人間だってことだ」
 殺気立つガイの視線を真っ向から受け、アッシュは傲然と言い放つ。
「で、では……あなたは……?」
 ナタリアが、今にも剣を抜いて斬りかからんとするガイとアッシュの間に割って入り、震える声で問いを発した。アッシュは一瞬、何かを言いたげにナタリアを見て、結局目を伏して沈黙した。
 ガイはアッシュより倒れたままのルークを優先させることにしたようだ。剣の柄から手を放し、ルークの側にしゃがみ込んだ。
「ティア、どこかにルークを寝かせてやれる部屋はないか」
「あ……それなら、私の家へ」
 いつの間にかルークを庇うように腕に抱き込んでいたティアは、慌ててガイにルークを譲り渡した。

 目覚める気配のないルークをひとまずティアのベッドに横たえて、一行はティアの家の一室に集まった。
 集まった面々はユリアシティにたどり着いたときと変わりないように見えたが、ルークが居たはずの場所に、今はアッシュがいる。
 ガイはアッシュを見ようとせず、逆にナタリアはアッシュをじっと見つめ続けていた。イオンは階上のルークを少し気にしているようだったが、ジェイドとアニスも、それぞれ興味ありげにアッシュを見ていた。ティアは重い空気に溜息をついた。
 本当は、アクゼリュス崩落の報告と今後の対応の相談をかねて、一刻も早く市長に面会する予定だった。しかし、ティアの祖父でもあるユリアシティの市長テオドーロは、現在緊急会議中のため会うことができない。会議が終わり次第、知らせてくれる手はずにはなっているが、少し長引きそうではあった。それまで、こうして重い沈黙に耐えていなければならないのか。
「お前たちは、あのタルタロスで瘴気の海を渡ってきたのか」
 と、アッシュが沈黙を破った。
「ええ、そうよ」
 言葉が刺々しくなりすぎないよう、ティアは意識した。
「あれは少人数でも動かすことが可能なんだな?」
「最新鋭艦ですからねぇ。4人もいれば、戦闘は無理でも動かすことくらいはできますよ」
 ジェイドが、いつものように重い空気を感じさせない軽い口調で言う。
「あれを外郭大地へ持って行くことはできないか?」
「えぇ~っ!?タルタロスを運び上げるのぉ?それはちょっと無理なんじゃ……」
 懐疑的な声をあげるアニスをよそに、ジェイドはふむ、と考え込んだ。
「セフィロトツリー……記憶粒子の吹き上げを利用すれば可能ではないでしょうか。ティア?」
「……わかりません。市長に相談してみてください」
「よし。お前たちも、いつまでも魔界にいるつもりはないだろう。タルタロスの操縦を手伝え。あれに乗って外郭大地に帰る」
「外郭大地に戻るだけなら他にも方法が……」
「タルタロスが必要なんだよ」
 ティアの言葉を遮り、強い口調でアッシュが言った。それに反応したのか、黙ったまま壁にもたれて目を閉じていたガイがアッシュを睨み付けた。
「なんでお前の都合を聞いてやらないといけない?」
「ガイ!なんて口のきき方をしますの!」
 即座にナタリアがたしなめる。ガイは鼻を鳴らして口を閉じた。しかし、睨め付ける目はそのままだった。
 またしても緊迫する空気に割って入ったのは、いつものようにジェイドだ。
「まあいいでしょう。ずっとここにいても仕方がないのは確かですし、外郭大地に戻ってからの足はあった方がいいでしょう。アクゼリュス崩落で両国間の緊張は一気に高まっているはずですから、定期船が通常通り運行しているとは考えにくい。タルタロスを地上に上げる方法を検討してみましょう。皆さんも、それでいいですね?」
「お任せします」
「あたしとイオン様は、ダアトに帰れればなんでもいいでーす」
「わたくしもそれでけっこうですわ」
「……いいだろう」
 イオン、アニス、ナタリア、ガイがそれぞれ同意の言葉を発する。
「ではティア、ユリアシティの技術者に会わせてもらえませんか」
「わかりました。でも、もしタルタロスを外郭大地に上げることが可能だとして、とにかく一度お祖父様に相談してください。セフィロトツリーの活性化にしても、お祖父様の許可がなければできないはずですから」
「ふん……面倒だな。ともあれ、悠長にしてられる場合でもない。各自、いつでも出発できるように準備をしておけ」
「ちょっと待って」
 ティアは性急にまとまってしまいそうな話を止めた。皆の視線がティアに集まる。
「ルークはどうするの?」
「ルークぅ?だってあいつ、ぐーすか寝てるしぃ、ついてこられてもメーワクなだけだし。魔界でゆっくり休んでもらえば?」
 アニスが嫌悪感もあらわに顔をしかめた。
「アニス、そんな言い方は……」
「イオン様ってほんっと、バカがつくくらいお人好しですね!あんな奴、連れて行ったって役に立たないどころか、足手まといになりますよ」
「アニス……」
 畳みかけるアニスに、イオンは悲しげな顔をして黙ってしまった。
「そうですね。これまではキムラスカとの間を取り持ってもらうために一緒に行動していましたが、こうなってしまった今、わざわざ彼に来てもらう必要性はありません。どうしてもの時は王女であるナタリアがいますしね。出発の時までに起きたら、ついてくる気があるのかどうか聞いてみてもいいですが」
 連れて行きたくない、ということを言外にありありと滲ませて、ジェイドが言った。
「わたくしは、……ルークの意思を尊重したいと思いますわ。ですが、両国間の状態も気になりますし、できるだけ早く外郭大地に戻らなければなりません。出発の時までに目覚めないのであれば、置いていくしかないでしょう」
 ナタリアが少し申し訳なさそうに言う。
 ガイは考え込むように視線を床に落としていたが、返答を待つ皆の視線に気づくと、「置いていくのもやむをえないだろうな」と呟いた。
「そう。わかったわ。ルークが出発に間に合わないようであれば、私が外郭大地へ送り届けます」
「ええっ!?ティアは一緒に行かないの?ルークのため?」
「違うわ。私はみんなと違って、もともと魔界が故郷だもの。今後のことについてお祖父様ともよくお話ししたいから、しばらくは魔界にいるつもりよ」
 ルークのために残るのか、という思いもしなかったアニスの言葉に、ティアはすぐさま否定を返した。
「……タルタロスを動かす人数は足りている。好きにしろ」
 そう言い捨てると、アッシュはルークの眠る部屋に繋がる階段へ足を向けた。
「!アッシュ!?」
 先ほどの激しい斬り合いが頭に浮かんで、ティアは思わずアッシュを呼び止めた。
「様子を見に行くだけだ。心配するな。殺しゃしねぇよ」
 アッシュは一瞬足を止め、横目でティアを睨んでから階上へと上がっていった。
「一時手を結ぶことで一致したんです。ここで新たなもめ事を起こすほど、彼は愚かではないでしょう」
 心配げなティアに、ジェイドが声をかける。
「ティア、すみませんが技術者のところまで案内お願いします」
「わかりました」
 一度だけちらっと階上に目をやって、ティアはジェイドを連れて家を出た。残る面々も、めいめいに家を出てユリアシティの各所に散っていく。ジェイドを技術者に引き合わせて家に帰る道すがら、ティアは難しい顔をして歩いてくるガイと出会った。
「ガイ?」
「ああ、ティアか。タルタロスはいけそうか?」
 話しかけてみると、ガイの眉間に寄っていた皺はすっと消えた。
「わからないわ。私は大佐をみんなと引き合わせただけだもの。でも、大佐のことだからなんともならなくてもなんとかするんじゃないかしら」
「……違いない」
 ガイが苦笑いに近い表情を浮かべた。
「ガイもルークを置いていくのね」
 何気ない問いのつもりだったのに、少し咎める口調になってしまったことにティアは驚いた。だが、口に乗せたことで、親友のはずのガイまでルークを見捨てていってしまうのかという、落胆とも失望ともつかない思いを抱えていたことに気づく。
「……ちょっと、確かめたいことがあるんでね」
 ガイは思ったよりも冷静に答えた。しかし、伏し目がちなその目は、気のせいか昏い色に揺れていた。
「でも、ティアが残ってくれて安心だよ」
 その色を振り切るように、ガイはにっこりとティアに笑いかけた。
「わ、私はべつに、ルークのために残るわけじゃ……」
「それでもだよ。目が覚めたときに独りぼっちにされてたら、あいつ、拗ねるだろうからさ」
「……ミュウがいるわ」
「そうだな。ミュウもいたな。とにかくティア、ルークのこと、よろしく頼む」
 真摯な声に、ガイがまだルークを完全には見棄てていないことを知って、ティアは少し安心した。
 ティアが家に着くのと同時に、祖父と面会できる旨の報せが届いた。この機会を逃したら、次に祖父に会うまでにまたしばらく待たされるだろう。ティアは急ぐという一行に面会の機会を譲った。そして、彼らは無事タルタロスで外郭大地に上がった。
 目覚めないルークと、ミュウを残して。


 ティアはゆっくりと目を開けた。
 あれから数日、ティアはまだ祖父とゆっくり会う機会を持てていない。ユリアシティでの雑用をこなしたり、ルークの側から離れようとしないミュウに付き合ってみたり、あまり充実しているとは言い難い日々を送っている。
 ユリアシティに残ったのは、ルークのためではない。ティアは、気がつくとそう自分に言い聞かせている自分に気づいた。しかし、今ティアの足を止めているのがこの赤毛の青年であることに、ティアは薄々気づき始めていた。
 外郭大地の人間を消滅させるという兄ヴァンの愚かな計画を止めるために、祖父と話をし、知恵を借りたいのは本当だ。その祖父がティアとの面会の時間をなかなか割けないほど多忙なことも間違いない。だが、無理矢理にでも会おうと思えばもっと早くに会うことはできただろう。それなのに、祖父と会えないこの状況に甘んじている。
 祖父と会えば、ティアは再び外郭大地へと赴かねばならない。兄は外郭大地のどこかに潜んで、着々と計画を進めているだろうから。
 そして、アクゼリュスまでの長く短い旅のそもそもの目的を、微かにあった迷いのために遂行できなかった使命を、果たさなければならない。
 兄の言葉に、ぬくもりに、安らかな時間に惑わされず、なすべきことをなしていれば、アクゼリュスの崩落は防げたかもしれなかった。
 目の前で眠る赤毛の青年に、明確な殺意を持った敵の命を奪うことさえ厭い、恐れ震えていたこの青年に、幾千人もの罪なき人の命を奪う引き金を引かせた冷酷な兄の姿を見ずに済んだかもしれない。
 最も尊敬と信頼をおいた相手に裏切られ、”ルーク・フォン・ファブレ”という『自分』からも引き剥がされ、絶望にこころ砕かれていく彼の姿を、見ずに済んだかもしれない。
 彼が意識を手放す最後の瞬間に、自分を通り過ぎたその目に宿る光が、ティアの脳裏に焼き付いて離れなかった。
 ルークのことが気にかかるのは、昔の自分を見ているような気持ちがするからだ、とティアは思った。
 彼は師であるヴァンを無条件に信奉し、与えられた言葉をひとかけらの疑いもなく受け入れていた。
 その姿が、かつての自分と重なる。
 優しい兄をただ慕っていればよかった日々は、ティアにとってかけがえのない思い出だ。ティアも、ずっと兄を信じ、敬愛し続けていたかった。
 しかし、ティアは知ってしまった。兄が大量殺戮者となろうとしていることを。


 兄とティアの師リグレットがその恐ろしい計画について話しているのを聞いたとき、ティアにはその言葉が理解できなかった。
 めまいと吐き気がして、全身が理解を拒否した。
 そんなはずない。
 何かの間違いだ。
 拒絶を無視して言葉が徐々にティアを浸食していった後は、何度も何度も、否定の言葉を繰り返した。そして、優しい兄の言動のひとつひとつを思い返した。
 だが。
 思い返せば、いくつかの符帳はあった。
『ホドを見棄てた世界を絶対に赦さない』
 ティアが見知らぬ母のことを尋ねたとき、ヴァンが吐きだした言葉。怒りと憎しみが綯い交ぜになった声と、目に宿る昏い色の炎に、ティアは恐れ戦いた。外郭大地へ行ってしまう前の兄は、そうして時々、抑えようにも抑えきれない憎しみを見せることがあった。
 しかし、外郭大地に上がり神託の盾兵士の任に就いた後は、優しさと毅然とした物腰だけが残り、消えてしまったのか、あるいははじめからなかったもののように憎悪を垣間見せることはなくなった。ティアも、兄がかつて見せた憎しみを記憶の底にしまい込んだ。
 ユリアシティでリグレットからの修練を受けていた時、神託の盾兵士の一人が、ティアの命を狙ったことがあった。リグレットが庇ってくれたおかげで事なきを得たが、あの時向けられた強烈な殺意の名残は、しばらくティアにまとわりついて離れなかった。
 リグレットは嫉妬ゆえの行動と断じ、ティアもその時はそれを信じたが、あれは本当に嫉妬だったか?自らの命を投げ打ってまで、会ったこともない小娘を、嫉妬だけで殺しに来るものだろうか。
 違う。
 ティアには、兵士から吹き出していた感情に覚えがあった。あの時自分に向けられていた感情。それは、憎しみだ。
 相手を滅ぼし、自身の身さえ焼き尽くさんとする炎は、少年の日のヴァンが抱えていたものと同じものだ。
 自分に向けられていた憎しみに気付いた後、ティアは何かに突き動かされるように、兄ではなく、”ヴァン・グランツ謡将”について調べた。
 ヴァンは、年に似合わぬ異様な早さで神託の盾騎士団を束ねる主席総長の座に就いた。人望を集め、実力が認められての就任だったという。実際にダアトに上がってみて、ヴァンの支持者の多さに、ティアは驚いたものだ。
 だが、一方で、ヴァンが頭角を現す以前に、相当な数の教団の実力者が消えていたことを知った。教団内の保守派と改革派が血みどろの抗争を繰り広げていた時分だ。
 ヴァンが何かをした、という証拠はない。
 一度だけ、改革派の先導であったモルテンド詠師が何者かに殺された折に、警護に当たっていたヴァンを怪しむ噂が立ったことがあるというだけだ。
 その噂も、後日ヴァンが暗殺者を仕留めたことであっさりと消えた。暗殺者としてヴァンに殺された男は、生粋の保守派で、以前からモルテンド詠師の排除を声高に唱えていた者だった。モース詠師も、ヴァンがモルテンド詠師殺害の犯人を仕留めたことに謝意を表明した。ヴァンが台頭し始めたのはその後だ。
 だが、噂は消えたのではなかった。むしろ、一層の真実味を帯びて密かに囁かれていた。少なくとも改革派の一部にとって、ヴァンのモルテンド詠師殺害は真実だった。
 一時期、故モルテンド詠師のシンパにヴァンは命を狙われていた。そのことごとくを返り討ちにすることで、ヴァンは強さを存分に印象づけた。そして、実力を買われて出た戦場で数々の軍功を立てることで、一足飛びに主席総長にまで上り詰めた。
 謡将の任を拝する頃には、ヴァンの命を狙う者はいなくなっていた。
 しかし、一部の改革派からは、相変わらずヴァンについての黒い噂が流されていた。ティアの命が狙われたのも、その頃だ。
 だが、保守派とも改革派とも立場を明確にしていなかった導師イオンが改革派よりの言動を始め、大詠師となった保守派のモースに軽んじられるようになった後も、ヴァンが導師イオンの意向を重んじたために、改革派の矛先は大詠師モースへと向かった。
 そして、いつの間にか神託の盾騎士団内部はヴァンの支持者が多数を占めるようになっていた。
 ヴァンに対する疑いを持つ前だったら、ティアはヴァンの経歴にある黒い噂について、謂われのない嫉妬ゆえのことだと気にも留めなかっただろう。だが、疑ってみれば、ヴァンが座っている主席総長の椅子は、血で染めて手に入れたものではないか?表だって立つ前に有力者を排除し、その後、ヴァンの命を狙った者を返り討ちにすることで、結果的に粛清に近いことを行っている。次々と命を狙われても生き残るだけの実力がなければできぬこととはいえ、ヴァンはそれをやり遂げたのだ。
 ティアには、どうやって兄を信じていられたのかが分からなくなっていた。思い悩む中で、『外郭大地の人間を消滅させる』というヴァンの言葉が、ティアの中で日に日に大きくなっていった。早く動かなければ、いつ計画が発動するか分からない。やると決めたことを断行するだけの意志を兄が持っていることは、ティアにもよく分かっていた。
 ヴァンは今、ダアトから離れ、一人キムラスカ王国の王都バチカルにいる。ダアトに戻った後では、六神将や外の兵士たちの手前、ユリアの譜歌を使ったとしても命を狙うのが難しくなる。バチカルにいる間しかチャンスはない。
 そして、ティアは運命へと向かう一歩を踏み出した。


 ティアは、眠るルークの顔を覗き込んだ。出会った直後に、エンゲーブの宿で、同じように寝顔を覗き込んだことがある。あの時、彼は覗き込む気配に目覚め、ティアの顔を見てひどく慌てていたものだ。
 今は起きる気配がない。
 彼は、本質的には優しい人だ。横暴な振る舞いが目立つものの、危急の際には身をはって他人を守ることもした。精神の未熟さ故に、すぐに見失ってしまいがちな美点だけれど。
 目覚めた彼が、アクゼリュスの崩落と、”ルークレプリカ”という自分とどう向き合うのか、それともまた逃げてしまうのか。できれば向き合って欲しい、とティアは思った。立ち止まらずに、前に進んで欲しいと。
 ティアは、ルークのために自分に何ができるのかを考えていた。
 理由を与えてあげるのでは駄目だ。与えられた言葉に従って生きるのでは、同じ事の繰り返しになる。
 優しく庇ってあげるのでもない。成長のために必要な試練からすら庇護され続けてきたために、彼の精神は研磨されないままにあった。
 彼に必要なのは、自ら考え、自ら判断する力だ。彼にそれが備わっていれば、アクゼリュスの崩落はなかっただろう。
「ティアさん……?」
 ルークに寄り添って眠っていたミュウが目覚めた。眠そうに目蓋を擦って、それからすぐにルークの顔を確認した。
「ご主人様、まだ起きないですの……?」
 しょげかえるミュウに、ティアは「もうじき起きるわ」と言ってなぐさめた。同じ会話を、何度しただろう。
「少し、風に当たってくるわね」
 そう言って、ティアは部屋に隣接するセレニアの花畑に出た。ティアの心に安らぎをくれる場所だ。薄暗い中に、白い花びらが浮かび上がって見える。瘴気を除去した外気が吹き込む場所であるため、常に風が吹いていて、ティアの長い髪を優しく揺らした。
 眠るルークを思う。このまま眠り続けるようなら、ティアはルークとミュウを他の人に頼んで外郭大地に戻らなくてはならない。ヴァンを止めることは、ティアにとって最優先の使命だ。
 だが、一方で恐れながらも、ティアはどうしても目覚めたルークと話をしたかった。彼のために何かしたかった。それは、彼を造り、心をずたずたに引き裂いて捨てた兄の妹としての贖罪の意識から来るものかもしれない。
 逡巡の中にあるティアの耳に、ふと草を踏む音が届いた。振り返ると、慌て気味に歩いてくるルークの姿があった。
 ようやく目覚めたのだ。
 嬉しい。
 不安だ。
 彼は何を話すのだろう。
 自分は何と答えるのだろう。
 ティアはルークに背を向けたまま、その言葉を待った。




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