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#contents *や -野球くん(やきゅうくん)[名詞] 我らがアイドル、原田茂の最初のあだ名。自己紹介で「野球です」しか言わない。しかも連呼。という奇抜な行動に躍り出たことが由来。そのあまりの事態に「彼はきっとそういう可哀相な境遇の人なんだ。笑ったらいけない」と同情する女の子が続出。しかしもちろん確信犯。入学式なのに黄色いトレーナー、首にはタオル。さすが。 -野球トーク(やきゅうとーく)[名詞] 蝶野と瀬尾ファイティンがよく廊下で語っていた、野球に関する深い深い話。俺もたくさん参戦したが、何せスポーツに詳しくないので全く付いていけず、常に聞き役になってしまうのであった。日課のようにイチローをほめていた気がする。 -野人岡野(やじんおかの)[名詞] マーブル中村はかっこいいので日本しか使わないというポリシーがあった。そのときに必ずスタメン起用された足の速いキャラ。そのあまりのシュート精度の悪さは何度もマーブルをいらだたせたものである。岡野が注目されなくなってからだいぶたつが、ウイニングイレブンの中では今も元気に走っているのである。 -矢田亜希子伝説(やだあきこでんせつ)[名詞] 二年の時の集合写真の阿部が矢田亜希子に似ているという伝説。似てない。 -谷田部くんはすごい!(やたべくんはすごい!)[成句] 国高野球部VS日鶴戦で八回の最初くらいに俺と徳至がMXテレビからインタビューをうけ、ひたすら谷田部君の賞賛をしたこと。クラスのまとめ役、勉強もできる、かっこいい(言ったかな?)など思いつく限りほめまくった。これを信じた他クラスの親やOBなどは「やっぱり国高野球部のキャプテンはダテじゃない」と感心したそうである。 -谷保(やほ)[固有名詞] JR東日本南武線の駅名で、ここが国立高校への最寄り駅である。朝のラッシュ時の本数が少ないため学生で混雑する。近くに天満宮があり7組はここでロケをした。「天下御免」の玄白による前説冒頭「やっほやっほやっほ」は、この谷保という地名ぬきには生まれ得なかっただろう。 *ゆ -悠ちゃん(ゆうちゃん)[呼称] 悠という名前の人が国高生に多い。男にも女にもいて「はるか」と読む人を含めこの学年各クラスに一人ずつぐらい存在していた。7組の悠ちゃんは、クラスマッチ・バレーボールの立役者でもあった(2年の時優勝したのだ)。 -UFO(ゆーふぉー)[名詞] 上空を飛来するなぞの円盤型飛行物体であり、坂口の呼んでみたいもの。その趣味はどうかなと思う。 -遊宝橋(ゆうほうばし)[名詞] 文化祭のときに坂口くんが作った橋。橋の入り口と裏側に本人直筆、習字二段の腕前で遊宝橋と記載されたが素人の僕には普通の字に見えた。 -那覇の古賀ゆり(ゆりかごのはな)[題名] 早大の学生劇団木霊、2008年新春舞踏公演の題名(を逆から読んだもの、少しちがうか)。内容は、白塗りの古賀彰吾がひとりで踊る。音楽と映像でおやじ君も参加、3幕構成の第2幕で、踊る古賀君の身体に映像が映されるところがよかった。だが、古賀君の踊りは上体による表現に偏っていて、ダンスは足、ステップが命ということを彼はわかっていないと思う。この企画を出したほうも出したほうなら、通した劇団も劇団である。まあ「何をやってもいいんだ」という意味ではまさに早稲田的ではあった。 *よ -読売新聞多摩版(よみうりしんぶんたまばん)[名詞] 2006年の第1回WBC決勝翌日に、国立市谷保の大学生高野徹(19)の歓喜のコメントと写真を載せた新聞。 -弱チーフ(よわちーふ)[名詞] 二年のとき文実販売チーフだった竹田くんのこと。「どうせなんも権力ないヨワヨワチーフだろ」とみんなに言われたため、文実の連絡網まで引っ張り出して自分の重要性をアピールした。しかしその熱意は一般人には伝わらず、結局その後ずっと弱チーフと呼ばれてしまうのであった。 -4(よん)〔数字〕 公務員の入省時など席次が問われることもあるが、クラス内の成績順位など国高ではどうでもいい。でも4は中島さんによくひっつくようだ、府中4中だし。おっと、肝心なのは彼女が第5回ブルクハルト国際音楽コンクールピアノ部門で第4位に入賞したこと、これを忘れてはいけない -42ひく1はゼロ(よんじゅうにひくいちはぜろ)[成句] 卒業旅行で飛び出した真柴最大の名言。幾多の女子が涙した。クラスみんなで一つのまとまりなんだという意味がこめられている。やっぱモテる男はちがうぜ。だしだし。 -四中戦士、一中戦士(よんちゅうせんし、いっちゅうせんし)[名詞] ほとんど使われていないが三鷹四中出身者をまとめて四中戦士という。その後、瀬尾くんが対抗して三鷹一中出身者を一中戦士と呼び始めた。応用編で五組の小林さんを「稲城六中最後の戦士」と呼ぶ。理由は稲六メンバーで徳至が唯一しらなかったから。
#contents *や -矢川(やがわ)[固有名詞] JR南武線谷保の西隣の駅名。駅南すぐに肉の万世あり。谷保のヤは谷(ヴァレイ)で矢川のヤは矢(アロー)で紛らわしい。ならば、やたべのヤといえば、谷のほうが7組では正解、野球のヤというべきだったか、たにっている男というべきだったか、だんだん矢川からそれる。 -野球くん(やきゅうくん)[名詞] 我らがアイドル、原田茂の最初のあだ名。自己紹介で「野球です」しか言わない。しかも連呼。という奇抜な行動に躍り出たことが由来。そのあまりの事態に「彼はきっとそういう可哀相な境遇の人なんだ。笑ったらいけない」と同情する女の子が続出。しかしもちろん確信犯。入学式なのに黄色いトレーナー、首にはタオル。さすが。 -野球トーク(やきゅうとーく)[名詞] 蝶野と瀬尾ファイティンがよく廊下で語っていた、野球に関する深い深い話。俺もたくさん参戦したが、何せスポーツに詳しくないので全く付いていけず、常に聞き役になってしまうのであった。日課のようにイチローをほめていた気がする。 -野人岡野(やじんおかの)[名詞] マーブル中村はかっこいいので日本しか使わないというポリシーがあった。そのときに必ずスタメン起用された足の速いキャラ。そのあまりのシュート精度の悪さは何度もマーブルをいらだたせたものである。岡野が注目されなくなってからだいぶたつが、ウイニングイレブンの中では今も元気に走っているのである。 -矢田亜希子伝説(やだあきこでんせつ)[名詞] 二年の時の集合写真の阿部が矢田亜希子に似ているという伝説。似てない。 -谷田部くんはすごい!(やたべくんはすごい!)[成句] 国高野球部VS日鶴戦で八回の最初くらいに俺と徳至がMXテレビからインタビューをうけ、ひたすら谷田部君の賞賛をしたこと。クラスのまとめ役、勉強もできる、かっこいい(言ったかな?)など思いつく限りほめまくった。これを信じた他クラスの親やOBなどは「やっぱり国高野球部のキャプテンはダテじゃない」と感心したそうである。 -谷保(やほ)[固有名詞] JR東日本南武線の駅名で、ここが国立高校への最寄り駅である。朝のラッシュ時の本数が少ないため学生で混雑する。近くに天満宮があり7組はここでロケをした。「天下御免」の玄白による前説冒頭「やっほやっほやっほ」は、この谷保という地名ぬきには生まれ得なかっただろう。 *ゆ -悠ちゃん(ゆうちゃん)[呼称] 悠という名前の人が国高生に多い。男にも女にもいて「はるか」と読む人を含めこの学年各クラスに一人ずつぐらい存在していた。7組の悠ちゃんは、クラスマッチ・バレーボールの立役者でもあった(2年の時優勝したのだ)。 -UFO(ゆーふぉー)[名詞] 上空を飛来するなぞの円盤型飛行物体であり、坂口の呼んでみたいもの。その趣味はどうかなと思う。 -遊宝橋(ゆうほうばし)[名詞] 文化祭のときに坂口くんが作った橋。橋の入り口と裏側に本人直筆、習字二段の腕前で遊宝橋と記載されたが素人の僕には普通の字に見えた。 -那覇の古賀ゆり(ゆりかごのはな)[題名] 早大の学生劇団木霊、2008年新春舞踏公演の題名(を逆から読んだもの、少しちがうか)。内容は、白塗りの古賀彰吾がひとりで踊る。音楽と映像でおやじ君も参加、3幕構成の第2幕で、踊る古賀君の身体に映像が映されるところがよかった。だが、古賀君の踊りは上体による表現に偏っていて、ダンスは足、ステップが命ということを彼はわかっていないと思う。この企画を出したほうも出したほうなら、通した劇団も劇団である。まあ「何をやってもいいんだ」という意味ではまさに早稲田的ではあった。 *よ -読売新聞多摩版(よみうりしんぶんたまばん)[名詞] 2006年の第1回WBC決勝翌日に、国立市谷保の大学生高野徹(19)の歓喜のコメントと写真を載せた新聞。 -弱チーフ(よわちーふ)[名詞] 二年のとき文実販売チーフだった竹田くんのこと。「どうせなんも権力ないヨワヨワチーフだろ」とみんなに言われたため、文実の連絡網まで引っ張り出して自分の重要性をアピールした。しかしその熱意は一般人には伝わらず、結局その後ずっと弱チーフと呼ばれてしまうのであった。 -4(よん)〔数字〕 公務員の入省時など席次が問われることもあるが、クラス内の成績順位など国高ではどうでもいい。でも4は中島さんによくひっつくようだ、府中4中だし。おっと、肝心なのは彼女が第5回ブルクハルト国際音楽コンクールピアノ部門で第4位に入賞したこと、これを忘れてはいけない -42ひく1はゼロ(よんじゅうにひくいちはぜろ)[成句] 卒業旅行で飛び出した真柴最大の名言。幾多の女子が涙した。クラスみんなで一つのまとまりなんだという意味がこめられている。やっぱモテる男はちがうぜ。だしだし。 -四中戦士、一中戦士(よんちゅうせんし、いっちゅうせんし)[名詞] ほとんど使われていないが三鷹四中出身者をまとめて四中戦士という。その後、瀬尾くんが対抗して三鷹一中出身者を一中戦士と呼び始めた。応用編で五組の小林さんを「稲城六中最後の戦士」と呼ぶ。理由は稲六メンバーで徳至が唯一しらなかったから。

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