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だれでも歓迎! 編集

お疲れ様でした。



レポートはしっかり提出しました。ご心配なく。発表は面白かったと言っていただきました。皆さんよく頑張ってくれましたね。この掲示板がどうなるのかはよく分かりませんがこれを使ってよかったですね。これからはレポート上のバスケではなくコート上のバスケを頑張って来年のスポ大を目指すとしますか。では。




はじめに

バスケットボールはとても面白いスポーツである。このチームのメンバーは、皆バスケットボールが好きだ。そこで私達は、バスケットボールの世界最高峰といわれるNBAについて興味を持った。アメリカでは、日本以上にバスケットボールが盛んで、熱狂的なファンがたくさんいるという。大人気のNBAとは一体なんなのだろうか。私達は、多方面からNBAというものにアプローチしてその全体像をつかみたい、そしてまたNBAはどうして人気を集めるのか知りたい、そう考えてNBAについて調べることとなった。



調査結果

第1章 NBAの歴史

  • バスケットボール自体の歴史

NBAの歴史について述べる前に、バスケットボール自体の歴史についても少し述べておきたい。バスケットボールは1891年、アメリカのマサチューセッツ州スプリングフィールドで、YMCA(Young men’s Christian Association:キリスト教青年会)の体育教師ジェームズ・ネイスミス氏によって考案された。バスケットボールの考案のきっかけは、彼が置かれていた特別な状況にあった。彼は若い宣教師を海外へ派遣するための研修を行っていたが、宣教師が海外で腸チフスや黄熱病といった伝染病にかかることが多かったため、マサチューセッツの長い冬に体を鍛える方法はないものかと考えた。フットボールは体力養成にもってこいだったが、冬の間はできないために室内でできるスポーツが必要だった。当時キリスト教の盛んな時代で、YMCAはその中心となっていたが、彼らは精神活動の向上は肉体活動の向上が欠かせないとも考えていた。こういう背景で生まれたわけである。バスケットボールの誕生と宗教が関っていたのは意外である。初めての公式試合は1892年1月20日に行われている。バスケットボールは爆発的に人気を集め、競技人口を増やしていった。 そして1898年には世界で初となるプロリーグも創立された。これがNBAへと発展していくものであるが、これについては次の項目で詳しく述べよう。
 最初の競技規則は「ボールは手で扱うこと」「ボールを保持したまま走ってはならないこと」「ゴールは高さ約10フィールドのところに水平に置くこと」の三原則をもとにした13条で出発した。わずか13条のルールで出発したその競技規則も、プレーヤーの体格の変化や技術の向上、あるいは時代の流れとともに繁華を余儀なくされ、発祥から百年以上の年月を経た現在では60条ものルールによって構成されるようになった。だが、根底にあるバスケットボールの精神はずっと変わっていない。
ネイスミス氏は、自分の作ったスポーツが宗教・文化の壁を打ち破って発展することを望んでいた。現在NBAには海外からの選手が数多く存在し共に競技している。こうして、彼が望んだことはしっかりと達成されているといえる。(現在主要360選手のうち67人が海外からの選手。)

※ 参考資料:13条のルール
1、ボールはサッカーボールを使用し、片手あるいは両手で、どの方向へパスしてもよい。
2、ボールは片手、あるいは両手でどの方向に叩いてもよい。ただし、こぶしでたたくのは禁止する。
3、プレーヤーはボールを保持したまま走ることはできない。また、ボールをキャッチした地点からパスしなければならない。かなりのスピードで走っている時にボールをキャッチした場合、もし、ストップしようと努力しているならば一、二歩程度は許されることもある。
4、ボールは両手で保持しなければならない。両腕やからだを用いてはならない。
5、どのような方法であれ、相手を小突いたり、捕まえたり、押したり、つまずかせたり、たたいたりすることは許されない。この規則の第1回目の違反は1個のファウルとする。2回違反を犯した場合は次のゴールが成功するまで退場とする。もし、故意に相手を傷つけようとするようなプレーであると見なされた場合は、ゲーム終了後まで退場とする。
6、第1、2、3、4条で述べたことに1回違反を犯すごとに、1個のファウルとする。
7、両チームのどちらかが連続して3個のファウルを犯すと、その相手チームに1ゴールを与える。(「連続」とはその間に相手チームがひとつもファウルをしないという意味である)
8、ボールがスローされるか、あるいは、タップされてバスケット内に入ればゴール成功である。もし、ボールがバスケットの縁に止まったり、ショットした時に相手がバスケットを動かしたりした場合もゴール成功と見なされる。
9、ボールがコート外に出た場合はそののちに最初にボールを保持したプレーヤーなら誰でもスローインできる。
そのとき、スローアーは5秒間だけ相手チームから妨害されないでボールを保持することを許される。もし、どちらのチームのボールとなるか判定がつかないときは副審がその位置からコート内にスローインする。スローインの際に5秒間を超えるとボールは相手側に与えられる。また、スローインの際、どちらかのチームがゲームを遅らせようとした場合、副審はそのチームにファウルを宣告する。
10、副審はプレーヤーを審判し、ファウルを記録し、連続3回のファウルがあったときは主審にこれを知らせる。主審は第5条によってプレーヤーを失格させる権限を有する。
11、主審はボールをめぐるプレーを判定し、いつボールがインプレーとなるか、インバウンズとなるか、どちら側のチームにボールが与えられるのかなどを決定する。また、競技時間を計る。さらに、ゴール成功を確認し、その回数を記録する。これらに加えて、他のゲームで主審がいつも担っているような任務も務める。
12、競技時間は15分ハーフ制とし、5分間のハーフタイムを置く。
13、ゴール成功の多かったほうが勝者となる。


  • NBAの歴史

NBA(National Basketball Association)は1946年の6月6日にアメリカで設立された。当時第二次世界大戦の閉幕がアメリカ社会に大きな影響を与えていた。戦争に当てられていた金が、急激に社会に流れ込んできたからだ。人々は、戦争という大惨事の暗い影から立ち直り、自分達の生活を立て直そうと考え始めた。5年間の犠牲を経て、人々は娯楽を求めるようになった。この時期に数々のものが新たに生産された。ポラロイドカメラ、テレビなどが一例である。同時にこの流れはスポーツにも向けられた。この時期に創立されたスポーツ組織が他にも沢山あるようだが、その中の一つとしてプロバスケットのリーグも創立されようとしていた。
しかしその滑り出しは好調とは言えなかった。ファンは大学のバスケットには群がっていたものの、プロのバスケットボールは別問題だった。チームとしても、そしてこのリーグそのものとしても、資金を集められず苦労していた。少しのファンはひきつけていたが、大部分の人々はこのリーグに関心を示さなかった。メディアもスポーツ欄の端にほんの少しだけ記述するという状態だった。それでも、1946年6月、競技場の所有者やプロホッケーチームの所有者が集まり、11チームから成り立つプロリーグの創立を決定した。彼らは大学バスケットボールのファンをこの新たなリーグに持ってきたいと願っていた。この組織は、BAA(Basketball Association of America)と呼ばれた。
ここでもう一つ、BAAに先行しておこっていたNBL(National Basketball League)というプロバスケットボールリーグの存在もあった。これは先の項目述べたように1898年に創立された世界初のプロバスケットボールリーグで、創立当時は6チームから成り立っていた。1937年には再組織され、13チ―ムで新たなスタートを切っていた。何度か危機に襲われながらも何とか第二次世界大戦を乗り越えたリーグである。
 NBLが小さな都市を本拠地とするチーム中心だったのに対し、BAAは11の主要都市を本拠地とするチームで構成された。また、BAAはチームごとに選手に対して払う給料を5500ドルに制限した。これは、NBLがそういった制限を設けていなかったため、有名大学出身の多くの選手が歴史の長いチームに入ってしまうという問題を抱えていたからであった。しかしこれはまた問題で、選手が集まりにくくなってしまい、解散せざるを得ないチームも出てきた。
このように、NBLとBAAは対立の関係にあった。しかし、リーグ同士の対立は負担を大きくするだけだと考えた両者は、1949年秋に統合の話し合いをした。こうして二つは統合され、新たなリーグとして歩みだすことが決められた。こうして誕生したのがNBAというわけである。このとき、 チーム数は17で、3ディビジョン(第4章参照)であった。
さて、1967年には、ABA(American Basketball Association)という別の新たなプロリーグができた。これはNBAのライバル的なリーグといえる。初めは成功していたものの、NBAがスター選手をひきつけると、次第に衰退していった。1976年にはたったの5チームしか残っていなかった。この年、そのうち4チームがNBAに参加し、ABAは解散した。こうしてNBAはますます発展することになり、この時点で22チーム4ディビジョンまで拡大していた。その後も次第に規模を大きくし、現在の30チーム6ディビジョンに至る。
80年代に入ると、マジックジョンソン、ラリーバードいうスターの登場によってNBAの人気が高まった。84年にはバスケットの神と称されたマイケル・ジョーダンの登場によってさらに人気が高まった。92年のバルセロナオリンピックでは、NBAスター選手で固めたドリームチームで臨み、圧倒的な強さを見せその人気を全世界へ広めた。その後ジョーダンが引退すると、NBA人気も衰えてしまった。しかし数年後彼が復帰すると再び盛り上がりを見せる。だがその人気も、再び彼が引退することで冷めてしまう。近年は、アレンアイバーソン、コービーブライアントなどの新スター登場により人気を回復している。このようにNBA人気は、スター選手の存在に支えられているといえる。現在は、NBAはアメリカでもっとも人気のあるスポーツの一つであり、その地位をほぼ不動のものとしている。

  • ダンクシュートの歴史

NBAの魅力といえば、なんと言ってもダンクシュートがあげられる。このダンクシュートには歴史があるので別に述べておこう。
今では、ダンクシュートはNBAの魅力の大きな要素となっていて、オールスターではダンクコンテストも行われ盛り上がっている。信じられないことだが、かつてダンクシュートは邪道なものとされて嫌われていた。リングの上からボールを叩き込むなんて技術も何もないというわけだ。詳しい年号は分からないが、ダンクが禁止されていた時代もある。この認識を変えたのがウォルト・チェンバレンである。彼は一試合100得点という未だに塗り替えられていない記録を1962年に達成した伝説のセンタープレイヤーである。そしてダンクを芸術までに高めたのがドクターJことジュリアス・アービングである。1976年、ABAは初となるダンクコンテストを開いた。その場で彼はフリースローレーンから飛んでダンクをするというレーンアップダンクを初めて決め、観客の度肝を抜いた。彼はその後のマイケル・ジョーダンなど多くのダンカーに影響を与えた偉大な選手である。NBA史上多くの有名選手がいて、名前を挙げればきりがないが、この二人はピックアップするに値するだろう。しかし同年ABAは解散し、同時にダンクコンテストもなくなってしまった。しかし1984年、ファンをひきつける何かが必要だと考え、NBAがコンテストを再開した。ジョーダンの活躍などで大いに盛り上がった。しかしこれも、1997年を最後に、姿を消してしまう。スター選手の参加敬遠や視聴率低迷などの影響である。だがこれでは何かが足りない。2000年、NBAはファンを引き付けるためにコンテストを再開させる。これが、ダンクこそがNBAだ、という人々が忘れかけていた感情を呼び戻す結果となった。



第2章 NBAの記録

  • 過去の優勝チーム

NBAの誕生から現在に至るまでは一章で述べた。ここでは、どんなチームが優勝してきたのかを見てみたい。



この表を見てわかるように、優勝するチームの名前には偏りがある。30チームほどが存在しているが、過去50数回の大会で優勝チームとして残っているのは10数チームである。NBAではチームの力に大きな偏りが生まれないような工夫をしているが(NBAシステムの章参照)、強いチーム弱いチームはあるようである。また、3連勝以上したチームは太字にしてあるが、チームごとに、勢いのあった時代が異なっているとわかる。

  • 各種記録

NBAにはとんでもない身体能力を持った人が集まっている。まずはなんと言っても身長であろう。選手登録などを見ていると、2メートルを越している選手がごろごろいる。NBA関連の書物では、「彼は身長がたったの198センチしかないが・・・」などと書かれる始末である。今シーズンの選手の中で最高の身長はヤオ・ミンの229センチメートルである。また、13歳のときすでに2メートルあったという選手もいるから驚きだ。次にジャンプ力だろうか。垂直とびの記録では、マイケル・ジョーダンの109センチメートルというものや、スパッド・ウェッブの117センチメートルというのが残っている。彼らのこのジャンプ力のおかげで、空中で派手なパフォーマンスをしてダンクシュートを決めることができる。身長とジャンプ力の両方が影響する最高到達点を見てみると、現役のビンス・カーター、引退選手のドミニク・ウィルキンスが381センチメートルというとんでもない記録を打ち出している。ちなみにリングの高さは305センチメートルであるから、この高さもよく分かるだろう。そしてパワー。ディフェンスが前にいようとも、ファールぎりぎりのところでそれを吹っ飛ばしてダンクを決める。ゴールごと破壊されることもしばしばである。このようにNBAには現実離れした記録が数多く残されている。私達にとって夢であることを彼らはやってのけるから、NBAは私達を魅了して止まないのかもしれない。
さて、ここでギネスブックにも登録されているNBAの記録をいくつか紹介しよう。
  • NBA1シーズンでの最多フィールドゴール
:ウィルト・チェンバレン
1961〜1962年シーズン中に1597本のフィールドゴールを記録した。彼はまた、62年に一試合のなかで100得点を決めるという記録も持っている(第一章ダンクシュートの歴史の項目参照)。近年一試合81と点を挙げこの記録に迫った選手がいたが、周りの選手のレベルが上がってきている今、この記録を塗り替えるのは不可能といわれている。
  • NBA1試合の平均得点最多選手
:マイケル・ジョーダン
1試合平均得点30.1点。シカゴ・ブルズ
(1984〜1998年)とワシントン・ウィザーズ(2001〜2003年)に所属している間、1072試合に出場し、3万2292点をあげた。
  • NBA選手の通算最多スリーポイント
:レジー・ミラー
インディアナ・ペイサーズに所属していた
1987~2005年に、2491本のスリーポイントシ
ュートを決めた。
  • NBA通算最多フリースロー
:カール・マローン
通算で9787本のフリースローを決めた。
  • NBA選手の通算最多ブロック
:ハキーム・オラジュワン
ヒューストン・ロケッツ(1984〜2001年)とトロント・ラプターズ(2001〜2002年)でプレーしていた時、1238試合に出場、3830回のブロック(相手のシュートを止める事)を決めた。
  • NBA最多連続試合出場
:A・C・グリーン
1986年11月19日〜2001年3月20日に、ロサンジェルス・レイカーズ、フェニックス・サンズ、ダラス・マーベリックス、マイアミ・ヒートに所属して、連続1177試合に出場した。




第3章 NBAのルール

  • 現在のルール

現在、NBAは以下のようなルールに基づいて行われる。
試合継続時間・・・12分間×4クォーター
オーバータイム・・・・・・・・・・5分間
第1と第2クォーター、第3と第4クォーターの間隔・・・・・・・・・・・・130秒
ハーフタイム・・・・・・・・・・15分間
コートの長さ・・・94フィート×50フィート(1フィート=12インチ≒30cm)
3ポイントの距離・・23フィート9インチ
ファール制限・・・・・・・・・・・・6回
フリースロー・・・・・・・・ファール5回
フリースローレーンにいられる人数・・5人
(ディフェンス3人 オフェンス2人)
ジャンプボール・・・・・・・・・・・有効
アリウープ・・・・・・・・・・・・・有効
ゴール以上の高さでのボールタッチ・・無効
相手に5秒以上密着・・・・・・・・・禁止
審判の数・・・・・・・・・・・・・・3人
ここで注目したいのが、「ゴール以上の高さでのボールタッチ」と「アリウープ」である。私達がバスケットボールをする上でこの「ゴール上でボールに触れてはならない」というルールはほとんど必要ない。ゴール上など届くことのない世界だからだ。しかし、NBAには身長2メートル以上という選手が数多く存在するため、簡単にゴール上のボールに手が届いてしまう。これを反則としないと、ゴールに入りそうなボールが全てはじかれてしまうため、点が入らなくなる。したがってこのようなルールがある。さて、アリウープとは、NBAのプレーでもっとも迫力のあるものの一つであり、空中でパスを受け取ってそのままダンクシュートに持ち込むというものである。これをよく考えてみると、ゴールより高い位置でパスを受け取っているのだから、これは先程のルールに反するのではないか。実はそのとおりで、これは厳密には反則プレーなのだ。しかし迫力があり場を盛り上げるこのプレーに対しては、審判も黙認という形を取っている。だから実際反則が取られることはない。もちろんNBA以外でもアリウープは見られるのでこの話はNBAに限ったことではないが、NBAではアリウープの回数が他と比にならないほど多いのでこのことが顕著に現れている。

  • 国際ルールとの違い
NBAのルールには国際ルールと異なるルールがいくつかある。そのうち注目すべきものをあげてみる。ちなみに国際ルールを作っているのはFIBA(国際バスケットボール連盟)である。
  • 守備三秒ルール
→ゴール下の制限区域で積極的な守備をしな
いまま3秒以上留まってはいけない
  • 一人6回のファウルで退場
  • フリースローレーンが長方形
  • スリーポイントラインが国際ルールより約1メートル遠い。
  • ボールは、6号球より大きくて7号球より小さい。
  • コートが大きい。
  • 各クォーターが12分
  • 取れるチャージドタイムアウトの数が多い。
  • タイムアウトはコーチではなく選手が請求する。
  • 守備三秒ルールについて
これはもちろん活気のある試合をするために設けられたルールである。オフェンスとディフェンスの激しい戦いが見られるし、無駄なディフェンスがいないことでダンクシュートもしやすいというものだ。
  • フリースローレーンについて
長方形になっている分、国際ルールよりも大きくなっている。攻撃側がゴール下で不利になるように、背の高い選手に少しでもハンディを与えようとしたルールである。
  • スリーポイントラインが遠いことについて
より緻密なシュート力が求められることで、小さく器用な選手がその能力を発揮できるように考えられたルールである。
  • ボールの大きさについて
ボールが小さいことで、選手はボールを片手でつかみやすくなる。これにより、ダンクシュートをする前に空中で腕を振り回したり体をひねったりというパフォーマンスがしやすくなっている。
NBAのルールの根底には、ゲームはよりスピーディーにエキサイティングに行われるべきだという考えがある。バスケットを正しく、楽しく行えるようにできているように思われる。

※ 参考資料:国際ルールとのルール比較

  • ルールの変遷
【BAA】1947年1月
ゾーンディフェンスを禁止。
【BAA】1940年10月
6ファウルで失格。
【NBA】1952年
フリースローレーンの幅を6フィートから12フィートへ拡張。
【NBA】1954年
24秒ルール設定 
【NBA】1954年 
5つめ以降のチームファウルには
フリースロー2投
【NBA】1964年 
フリースローレーンの幅を12フィートから
16フィートへ拡張。
【NBA】1979年 
スリーポイントルールを採用
現在は改定されたが、少し前までイリーガル・ディフェンスという反則
がNBAにのみみられた。このルールは簡単に
言うとゾーンディフェンスを禁止し、マンツ
ーマンで守れというものだ。47年のABAから
その流れがきている。これによって一対一や
二対二というプレーヤーの個性が発揮できる
場面を作り、オフェンスをやりやすくした。
そうなると得点が増えていく。ディフェンス
の面白さよりオフェンスの面白さを重視した
体制がとられていた。
24秒ルールが作られた当時、ジョージマイカンという選手がおり、例外的な身長を活かしあまりにも支配的な存在だったためにルールが変えられた。彼は大学でプレーしていた時にも、リングより上のボールをはじいたために「ゴールディング」のルール導入を招く結果となった。つまりルールは問題が発生すると同時に改定されていくものといえる。今でこそ国際ルールも24秒ルールを採用しているが、以前は30秒だった。NBAでは国際ルールが24秒を採用する前からこれを使っていて、スピーディーでエキサイティングな試合を行っていた。NBAでは、二年くらい毎に細かなところでルール改定が行われていく。常に進化し続けるスポーツだ。


第4章 NBAシステム

  • NBAの構造

NBAは北米のプロバスケットボールリーグでアメリカとカナダに全30チームある。11月~4月末までレギュラーシーズンなる試合を戦う。試合数は82試合。
30チームの分類は以下のとおり。

全体が二つのカンファレンスにわかれ、カンファレンスが三つのディビジョンにわかれ、ディビジョン一つに5チームが配属される。
先程の82試合の内訳は、同一カンファレンスのチームと各3~4試合、別カンファレンスとは各2試合ずつ。 東西の上位8チーム(つまり16チーム)が5月頃開幕するプレーオフに進出できる。
まずカンファレンス内でトーナメント、そして決勝戦で東西の優勝チームがあたる。トーナメントは1位- 8位、2位- 7位、3位- 6位、4位- 5位の順位で始まる。カンファレンス内の順位であるけれど、1,2,3の位置には必ずディビジョン内の首位チームが来る。それぞれ対戦する2チームで勝率が高い方に、(7戦目まで進んだ場合)一方のチームより1試合多くホームゲームを戦える「ホームコートアドバンテージ」が与えられる。たとえば、Aを勝率が高いチーム、 Bを勝率が低いチームとすればAABBABAというホーム開催となる。トーナメントは7回戦、つまるところ4本先取。全てがそうなっている。両カンファレンスで優勝したチーム同士で行われる決勝は「NBAファイナル」(6月上旬~中旬開催)と呼ばれ、世界各地に中継放送されて30億人が観戦していると言われる。
オールスターは1月~2月あたりに一回行われる、ポジション毎にファン投票をし(このあたりは大リーグと同じ)票数最多の選手がスタメンとなり、リザーブはコーチ推薦。これを東西カンファレンスから選ぶ。
NBAオフィスはニューヨーク州マンハッタン島の真ん中、5番街に面したオリンピック・タワーの中にある。メジャーリーグ(MLB)やアメリカン・フットボール(NFL)やアイスホッケー(NHL)のコミッショナー事務局も同じ5番街にある。アイスホッケーはカナダにも本部を置いているが、世界中に支部が広がっているのはNBAだけだ。NBAオフィスに勤務している人間は400人を超えている。現在のNBAのコミッショナー、デビット・スターンは4代目で、1984年に就任。NBAオフィスは3つの大きなパートから成り立ち、それぞれが1つの企業として登録されている。その1つがリーグオフィス、それからNBAプロパティーズ(NBAP)とNBAエンターテイメント(NBAE)で、それぞれのセクションを合計すると20部門にもなる。リーグオフィスには総務課、人事課、経理、運営課、事業部、コミュニケーション・グループ、イベント&アトラクション課、法律課、プレイヤー・プログラム、警備課、チーム・サービスの11部門がある。日本で開幕戦が開催されるたびにコミッショナーのデビット・スターンは来日を果たしているし、ドラフト会議のとき選手と握手している映像や写真を目にしたことがあるのではないだろうか。彼の身長は5フィート9インチ(約1メートル75センチ)。彼は、NBAオフィスから近い9番街とマンハッタンストリートが交差したところで生まれた。

  • NBAの収入

NBAの固定の収入源は主に次の4つが挙げられる。チケット・セールスとテレビ収入と公式スポンサー料とライセンス料である。
チケット・セールスは文字どおり各チームのチケット売り上げで、大部分がチームの直接の利益になるが、一定のパーセンテージがリーグオフィスに支払われる。
次に、テレビ収入。NBCテレビは現在の契約だと年間1億5000万ドルを支払っていて、これにTNTテレビの8800万ドルが加わる。
公式スポンサー料も忘れるわけには行かない。昨年度にNBAと契約していた企業は16社にのぼる。IBMやコカ・コーラなどどれも世界の大手企業ばかり。NBAはスポンサーにCMを売る。国際的な規模のビジネスを展開しているタイプの企業にとって、NBAのようなマーケットに向けてCMを流すことは魅力的なのだ。知名度と信頼度をアップさせ、商品の売り上げをのばすことにつながる。
4つ目のライセンス料というのはNBA関連グッズやロゴの使用料のことで、1つの商品に対して3パーセントから7パーセントがNBAに支払われることになる。それら一切を管理する目的で、1982年にNBAプロパティーズ(NBAP)が創業をはじめた。これは近年もっとも伸びている部門なので、今ではカスタマー・プロダクツ・グループ、クリエイティブ・サービス課、インターナショナル・グループ、マーケティング&メディア、インフォメーション・テクノロジー、NBAテレビ&ニューメディア事業という、6つのセクションから成り立っている。
NBAの総売り上げは下表の通り。


  • NBAの選手

1.選手のドラフトについて
NBAのプレーヤーのほとんどは、大学から来たプレーヤーである。高校出身の者はほとんどいない。それは、選手たちはドラフトによって入団してくるからだ。ドラフトされる選手は大学の4年生と、在学中にアーリーエントリー(プロ入り宣言)した者に限られる。また、最近はルールが改定され、NBA入りできる年齢は19歳以上と決められた。つまりNBAプレーヤーはカレッジで育つということ。大学にはそれぞれ優秀なコーチがいて、そこでバスケットの全てを教わるのだ。ドラフトの具体的な方法はというと、原則的にシーズンの成績が悪かったチームから順に指名していくことになっている。しかしこの方法には大きな欠点があったために一部が変更になった。負ければ最高のルーキーが手に入れられるために、プレーオフに残れる望みのないチームがわざと負け始め、下位のチーム同士で負け合戦が始まってしまった。現在では、上位三番目までの指名権は、下位の12チームに権利を与え抽選を行うロータリーという方式になった。ただし、NBAの選手に選ばれることは大変困難である。少し足が遅い、背が低い、ジャンプ力がたりない、などで選考にもれる大学生は多く、99パーセントの大学生はNBAのユニフォームを着ることが出来ずに終わってしまう。アメリカにはNBAのほかにも多くの独立リーグが存在し、これらの選手の多くはNBA入りできなかった選手、これから目指そうとする選手で、NBAでのプレイを夢見て頑張っている。
2.選手の値段について
選手がもらう年棒は、最低のラインでも40万ドル(2月23日現在1ドル約117円であるから、約4680万円)をやや下回る程度である(今シーズン、推定年棒)。先発5人、即ち期待がかかる選手に支払われるお金は、チームごとに差はあるがだいたい平均して700万ドル(8億1900万円)といえよう。最高額は2000万ドル(23億4000万円)。当然かもしれないが新人は給料が安い。かつてマイケル・ジョーダンというスーパースターがいたが、彼は当時日本円にして4億円ほどもらっていた。神と呼ばれた彼にしては飛びぬけて大きな数字ではないが、これにはNBAのシステムが関係している。NBAにはサラリー・キャップという制度があって、チームにいる12人の合計年棒に上限が設けられているのだ。したがって、ジョーダンの他にも多くのスターを抱えていた当時のブルズというチームは、ジョーダンだけに高額を支払うわけにはいかなかったというわけだ。このシステムは実に巧妙で、各チームの力を均一化し、NBAを面白くするのに役立っている。儲かっているチームはいくらでも金で選手を集めることが出来るが、そういった不公平をなくそうというものなのだ。トレードでは、他のスター選手の給料を上げるために、給料の高い選手を手放さなければならないという事態がしばしば起こることがある。しかし莫大な給料を選手達に払っても、90パーセントのチームは黒字経営。バスケットというスポーツは費用がかからない。体育館は小さいし、選手も12人。しかし人気は抜群で、チケット収入、テレビ放映権料、キャラクター・グッズ、などで相当のお金が入ってくる。あとは収入をオーナー、スタッフと選手で分ければいいわけだ。選手の給料が高いのも当然だといえる。
3.増える外国人選手
近年、NBAでは海外の選手が増えている。2003年の時点で、5年前の約2倍、10年前の約3倍となっている(第1章、バスケットボール自体の歴史の項目参照)。2002-03シーズンでの海外出身の選手は、34カ国および準州から65選手であった。ほとんどのチームに外国人選手の名前がある。たとえば田臥の所属するマーベリックスにはユーゴスラビア出身のアラデン・ショクララックがいる。NBAにとって外国人選手は欠かすことのできない存在となっている。実際、たとえば2002-03シーズンの成績上位3チームにおいても同じことがいえる。優勝したサンアントニオ・スパーズはフランスのトニー・パーカーとアルゼンチンのマニュ・ジノビリの活躍があってこそのものだ。2位のマーベリックスにはドイツのダーク・ノビツキー、カナダのスティーブ・ナッシュら、3位のキングスにはセルビア・モンテネグロのページャ・ストヤコビッチ、ブラディー・ディバッツらがいる。オールスターに選ばれるほどの上手な外国人選手がいなければこのような結果にはならなかっただろう。中国のヤオミンなどの活躍のニュースも聞く。もちろん、外国人選手が増加しているということは、それだけアメリカ人選手が減っているということ。しかし、NBAコミッショナーのデビッド・スターンは「海外選手の数に制限を設けるつもりはない」と宣言している。ビジネスの面で、海外での放映権の収入やライセンス商品の売り上げが大事ということもあるだろう。だが、これはNBAがアメリカ人選手のためだけのリーグではなく、世界のトップ・プレイヤーのリーグなのだ、というNBAの認識ではないだろうか。
  • WNBAについて
NBAは男子のプロリーグであるが、女子にはWNBAというリーグがあり、こちらでプレイしている。これは1997年に創立された、新しいリーグである。このリーグの特徴として、シーズンが5月半ばから9月中旬までと、本来バスケットボールのオフの時期であることがあげられる。この時期はアメリカの人気スポーツのうちMLBしか行われておらず、テレビ放送や観客が入りやすくなる。こんなこともあって着実に発展している。試合はNBAとほぼ同じ会場で行われる。チーム数は14、試合数は34と、NBAより小規模となっている。NBAという名前が入っているものの、NBAとWNBAには実際には深いつながりはないので詳しくは述べない。

第5章 NBAの経済効果

  • 経済効果の定義

経済効果とは、あることをした場合に、それが経済に与える影響のこと。経済価値に換算できる効果をいう。実現が確実視される効果と、経済的評価が可能であっても、その実現が不確実な効果を含む。一般的には予測されるものであり、実際にそれがどの程度あったのか測定されることは稀である。どれだけ「金が動くか」の指標であって「それだけの富が生まれる」わけではない。祭りなど生産を伴わないものの場合には、経済効果があっても「資金がそれだけ通過した」というだけのことで、そこから富を得られるかは別の話である。ちなみに「経済波及効果」とは、「あること」に少しでも関係あると「計算した人が思いついたもの」を積算したもので、かなり恣意的な運用が可能である。鵜呑みにせず、参考程度にとどめるべき。

  • NBAにおける経済効果の主な要因

以下にまとめた。直接効果とは、イベントに直接関係してくる投資や消費のこと。第1次波及効果とは、直接効果に含まれる原材料等を生産するために出る需要。第2次波及効果とは、直接効果および第1時波及効果による雇用者所得がさらに消費に回されることによる需要。第1次、第2次波及効果をあわせて間接効果という。
1.直接効果…試合の際スタジアムに人が集まることによるもの
食事代、宿泊費、交通費、お土産代、関連商品およびグッズ購入、広告代理店手数料、ツアー料、チケット代、スタジアム整備費、スタッフ賃金、放映権料、広告料、スタジアム建設費用など
2.第1次波及
普段のNBA関連商品の買物、スポーツ雑誌の購入、宿泊ホテルのシーツの洗濯代、飲食の原材料代、スタジアム建設の鉄骨代など
かなり多くの項目を挙げていくことができる。
効果になっていることは確かであるが、把握が難しいため効果の量も不明瞭である。計算者が、関係があるとおもった項目をすべて合算したり、逆に少なくしたりするなど恣意的な運用が可能であるとしたのはこのため。第2次波及についてはさらにわかりづらくなるが、雇用者がお金を得て、レジャーや外食を行うことによる効果が挙げられる。金額の把握は非常に困難だといえる。

  • 経済効果論への批判

もともと他の娯楽その他で使われるはずだったお金がスポーツ観戦に傾いただけで、結局お金の移動が多くおこるだけで富が得られるとはいえないという批判がある。たとえば地域のチームがある場合、地域の人々がいろいろな道で使うお金が地域のチームの試合観戦にまわされただけという考え方である。他の地域からの人々の呼び込みが欠かせない。国外からお金が入ってくるし、金まわりがよくなることから景気が良くなることは少なくとも期待される。

  • 経済効果の計算方法

一般に「産業連関表」を利用する。ここでは簡便的に算出する方法を示す。1年間での物品やサービスの取引などの経済活動を一覧表にしたものである。たとえばスタジアムを建設するばあい、建設時と建設後に分け、建設額と年間所得を設定し、建設時では建設部門が他の部門に与える効果をあらわす逆行列係数(ある産業に1単位の需要が生じると、直接・間接の波及効果により各産業の生産額が最終的にどれくらいになるかを示す係数)と建設投資額をかけたものが直接効果+第1次波及効果となる。第2次効果は求めた各部門の波及額を雇用者所得率とかけ、雇用者所得誘発額を求める。それを地域住民の平均消費性向(可処分所得に占める消費支出の割合)とかけて消費支出を求める。消費支出に民間消費支出の生産誘発係数をかけて第2次効果の額が出る。逆行列係数を用いるなどする方法もあるが簡単のため生産誘発係数を使った。建設後はスポーツ産業部門の逆行列係数をスポーツ産業の係数で割り、年間の所得をかけて直接と1次を算出するわけである。
ただし、これらの係数の求め方そのほかで額が大きく変わってくる。どこまでが関係あるのかを決める算出者によって経済波及効果の額はかわってこよう(恣意的である)。

  • 経済効果のデータ

スター選手による効果がまず挙げられる。
「エアー」と呼ばれ、バスケットボール史上最高のプレーヤーと称されることもあるマイケル・ジョーダン。彼は商業においてもかなりの成功を収めたスポーツ選手の一人だ。1998年の時点では、大手ビジネス誌であるFortune誌は、ジョーダンがプロのバスケットボール選手になってから100億ドルの経済効果を上げたと書いた。バスケットボールだけでなく、ナイキ、マクドナルド、コカ・コーラ、ゲータレード、ヘインズなどの会社とのスポンサー契約が大きいといえる。特に1980年代に、スパイク・リー監督の指揮によるナイキのバスケットボールシューズ、「エア・ジョーダン」シリーズのCMが成功したことが大きな要因であろう。ナイキのシューズは、これの欲しさに殺人事件まで起こってしまったという。この莫大な売り上げのおかげでナイキは傾きかけていた経営を立て直した。歩合制の契約により、シューズがうれるにつれてジョーダンの収入もあがった。ナイキ、マクドナルド、コカ・コーラ等の企業がジョーダンをCMキャラクターとして使った結果、彼の収入は44億円に至ったそうだ。これだけのお金をはたいてもそれ以上の宣伝効果が見られたようだ。現在のNBA選手の中にもこのような契約を結ぶ選手がいる。
今日ではレブロン・ジェームスの人気による効果が注目されている。彼はCleveland Cavaliersに所属する2004年のNBAドラフト1位ルーキーである。ジェームスはチケット販売の促進によって儲けが年間1200万ドル隆起し、さらにジェームスの存在は雑収入について、少なくとも1800万ドルの価値があった、とスポーツビジネスアナリストのハドリアヌス・ショーは見積もっている。ジェームスの名前を使った衣服が7200万ドル売れているという。ナイキはジェームスと契約し、LBJと商標をつけて10万点以上を売り上げた。コカ・コーラは年間200万ドルの6年契約を結んでいてコマーシャルに登用している。ジェームスの最大のスポンサー、Upper Deckによれば、彼の商品は飛ぶように売れるようだ。大衆文化のアイコンとなっているという。彼による経済効果は無視することができない。ジェームス・ジャージもよく売れる。NBAのジェームス効果は、試合の夜に、更に40〜70の部屋がアリーナの向かいのラディソンホテルでいっぱいになるということもある。ヴァーンフラー(1964〜1970年からインディアンズでプレーしたホテルの所有グループの理事長)によれば、それはおよそ300,000ドルの総収益であるそうだ。
次に、地域にチームを持つことによる効果が挙げられる。例としてメンフィスの場合を述べる。メンフィスにNBAのチームを持つことは、最初の年で8億8147万ドルの経済効果(半分は都心部アリーナの建設に関連)
を得ることになる、とメンフィス商工会議所によって火曜日に発表された。
たとえば、NBAのために新しい2億5000万ドルのアリーナを建設することによる経済効果は、4億3290万ドルである。建設に関係する少数派会社には5888万ドルの利益が出る。ドル数字は、建設において使われる労働、必需品と建設装置に費やされるお金、それらの支出からの税収入と労働者が、彼らが建設プロジェクトと関連して得る収入の結果としていろいろな小売購入品に費やすもので算出されている。1ドルの価値を割り当てられる他の経済影響要因は、チーム、補助発展、外国からの訪問客出費とメディア/広告影響から直接的な影響を含む。建設関連の影響は一回のみの影響だが、NBAとそのチーム関連のコミュニティイベントを通しての潜在的効果は、毎年50万ドル以上と推定される。

おわりに

NBAは設立当時から人気が高かったというわけではなく、はじめのほうは苦労していた。だが数々のスター選手の登場により、NBAの人気は高まりその人気は今や不動のものである。NBAが人を惹きつけるのはやはり鍛え上げられた選手達から放たれる豪快かつ現実離れしたプレイに圧倒され夢のような世界を見るからだろう。ルールも、より試合を盛り上げるように工夫されている面が見られる。システムも、チーム間の力の均衡を図りNBAを面白くするように考えられているところがある。こうして人気の上がることにより、たくさんのお金が動きNBAの収入も大きくなる。そしてそのお金がスター選手に使われ、スター選手が育つというものだ。そしてまたスター選手は、人々に夢を与える。
このようにしてNBAは高い人気を保っていると考えられる。






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