無題 2011 > 12 > 23 ◆suJs > LnFxc

 憂鬱な文化祭を間近に控えた、とある日曜日の昼下がり。

今日は涼二がバイトなので暇を持て余している。
 
仕方ないので、今はリビングでコーヒーを飲みながら煙草を吸っているところだ。
すっかり癖になってしまった喫煙習慣をどうにかせねばと思うのだが、ニコチンの誘惑に勝てないでいる。
止めるべき立場にある親が何も言わないどころか、吸い始めたきっかけを作り、その後も俺に煙草を提供してくるのだから手に負えない。
そんな煙草の提供元も今まさに、隣でぷかぷかと煙草をふかしている。
 
さて、最近気になることがあるのだけど。煙草の提供元こと、母さんの腹。
出ているのだ。腹が。
太ったというか…腹だけが、ぽっこりと出ている気がする。メタボというヤツだろうか?
母親の腹なんぞ観察するものではないが、ここ一ヶ月くらいで急に出てきた気がしてならない。
 
「なぁ、母さん」
「あー?」
「最近太った?」
「…!?…あ、はは!そーなんだよ!最近、は、腹が出てきちまってさぁ!いやー、ビールばっかり飲んでるからかねぇ!?」
 
俺がしたのは、何気ない質問の筈だ。
そしていつもなら、「唐突に何を失礼なことほざいてんだコラ」とメンチを切ってくる筈だ。
しかし母さんは汗をだらだらとかき、その目の泳ぎっぷりと言ったら魚のようで。
煙草を持った手はアル中のように震え、貧乏揺すりは16ビートを刻んでいるのだ。
 
あ、怪しい…!怪しすぎる…ッ!
 
「…おい、何か俺に隠してねぇ?」
「か、隠してねぇって!そ、そうだ忍…今日の晩飯、何か食いてぇモンあるか!?よーしママ頑張っちゃうぞー!」
「おいいい!怪しすぎるわ!言えよおおッ!ちなみに今日はカレーが食いてぇけどッ!」
「怪しくねーから!何一つ!よしきたカレーだな!アタシ頑張る!マジ頑張るからッ!」
 
この慌てっぷりは何だ?
腹が出てる、それを太ったと言って明らかにごまかしている、俺には知られたくない…?
ま、まさか…いや、まさかな…?
 
「妊娠…?」
「…………ッ!!」
「…え、マジで?」
「うっ…」
「はああああああッ!?」
 
え?えええええええええ!?!?
妊娠って、え、妊娠って何だっけ?
えーっと、アレだろ?俺に弟か妹ができるっていうアレだろ?
西田家に家族が増えるってこと、だろ…?
 
妊娠って…俺が知らない間にヤってたってことだよな…?
うわぁ…親のそういうシーンは想像したくねえええ!子供ができる仕組みを知る前ならともかく!!
 
と、取り敢えず!まだ頭の中は混沌としているが、とにかく詰問タイムだ!
 
「…で?何でそんな大事なこと、今まで隠してたんだよ?」
「そ、それは…」
「腹が出てきてるってことは、最近の話じゃねぇんだろ…」
「5ヶ月くらいだな…」
「俺が女体化するより全然前かよ!?」
「悪ぃ…」
 
何故隠していたのかを知りたいのに、なかなか口を割らない。ついキツい口調になってしまう。
母さんが言い返さずにしゅんとしているなんて初めてだ。
これじゃ何だか俺が虐めてるみたいじゃねーか…。
 
「ん?何だか深刻そうだね。どうしたのかな?」
 
気まずい空気が漂う中、ひょっこりと親父が顔を出した。
 
「か、克己ぃー!忍がアタシを虐めるんだ!ついに反抗期になっちまったかも…!」
「おいこらああああッ!大事な話を黙ってたのはそっち…、はぁ…とにかく、説明してもらうからな…」
 
何故か俺のせいにして親父の胸に飛び込むロリババァに、いつもの癖でキレかける。
大声を出してしまってから、慌ててボリュームを下げた。
こういうのが胎児に悪影響を及ぼすかも知れないし…くそ、やり辛いな…。
 
「秋代、大事な話って…もしかして『あのこと』かな?」
「うー…そう、だけど…」
「何だ、まだ言ってなかったんだ。てっきりもう言ってあると思ったんだけど…ダメじゃないか。忍に謝らないと」
「…ごめんな、忍」
 
傍若無人な母さんも、苦笑いしながら諭す親父には敵わないらしい。
親父の背中に隠れたかと思うと、顔を半分覗かせて、すまなそうな顔で謝罪を述べた。ガキか。
 
「まぁ良いけどさ…。でも、何で黙ってたんだ?それだけは教えろよな。大事なことなんだし、2回言っても良いくらいだぞ」
 
今さら親が妊娠だなんて、正直勘弁して欲しいと思う俺は酷いヤツなのかも知れない。
しかし…実際してしまったものは仕方ない。
まだ気持ちの整理はできていないが、せめて何故ずっと隠していたのか、そこだけは知る権利があるだろう。
 
母さんは言い辛そうにもじもじしていたが、親父に促されて漸く口を開いた。
 
「お前に今更、妊娠したなんて言ったら…お前に嫌われるかもって…思って…」
 
誰これ。
こんなにしおらしくなるなんて、ホントにうちの母さんか?
 
「妊娠が分かってから、話すタイミングを見計らってるうちに忍が女の子になっちゃってね。
 そしたら母さんが『こういう話は同性の親からした方が良い』って言い出して…」
「お、女同士で腹を割って話すこともあるんだよ…!」
「はは、その割にはなかなか言わなかったね」
「怖かったんだよ!ざけんじゃねーぞクソが!忍のくせにアタシをビビらせやがってよぉッ!」
「どんな逆ギレだよ!?」
 
早くもいつも通り戻ってしまった。
まだ少し照れ臭そうだが、少し大きくなった腹を撫でながら、「ったく、お前はお姉ちゃんみたいになったらダメだかんなー」
と声を掛けている。
 
そっか。
俺…お姉ちゃんになる、のか。
 
おもむろに母さんの腹に触れてみる。確かに贅肉とは違う感触だ。
 
「…すっげぇ。ホントにこの中に人間が一人、入ってんだ…」
「何言ってんだ?お前も元々ここにいたじゃねーか。それに今のお前だって、相手さえいりゃ同じことができるんだぜ?」
「気まずいからそういう話はやめろ!」
 
兄弟というのは普通、物心ついた頃から一緒にいるものだと思う。
これだけ歳が離れているのに、俺はちゃんと「お姉ちゃん」ができるのだろうか。
女になってから赤ん坊が死ぬほど可愛く見えるようにはなったが、これだけ歳の離れた兄弟の面倒を、俺が上手く見れるだろうか。
不安だな…。
 
「ふん。お前もビビってんだろ?」
「うるせーな…いきなり言われても、どうすりゃ良いか分かんねぇよ…」
「ちなみに今んところ、女の子だろうって。今度は女体化の心配もねぇ」
「厭味か?」
「アタシだって人のことは言えねぇさ」
 
西田家に漸く天然女性が誕生するってわけか。
女体化者な俺と母さん…反抗期になったら馬鹿にされなきゃ良いけど。
 
俺には不思議と今までに反抗期というものが無く、これからも無いと思う。
母さんとは普段からケンカばかりだが、それはあくまでツッコミの延長線上だ。
親子仲は良好だと言えるだろう。決してマザコンでもないが。
もしこれが母さんの教育?躾?の賜物だとしたら、これから産まれる妹に馬鹿にされるなんて心配は、いらないのかも知れないな。
 
「それにしてもまぁ、年甲斐もなくハッスルしやがって…」
「毎度毎度失礼なヤツだな。アタシはまだ34だぞ?あのナントカってグラビアアイドルとタメだ。アイツも最近妊娠したじゃねぇか」
「…あれ?そんなに若かったのか?」
「てめぇは親の歳も知らねぇのか!?高3でお前を妊娠して、卒業してから産んだんだよ!」
「それは初耳なんですけど!?」
 
むしろそういう話って普通聞きたくないよな…。何つーか「親同士がセックスして俺が生まれた」という、
当然だけどあまり考えないようにしている事実を、改めて認識させられるような気がして。
それにしても高校在学中に妊娠とか、どんだけDQNなんだよ。親父は真面目な筈なのに。
 
「大変だったよねぇあの時。危うく二人とも退学させられそうになって」
「そーそー。担任が良い人でさ。アタシと克己を連れて、一緒に校長に土下座しに行ってくれたんだ。どうか退学だけは勘弁して下さいってな。
 あの人と、それを許してくれた校長には頭が上がんねぇぜ」
「ふーん…」
「克己はクソ真面目野郎だったからな。学業が優秀な模範的な生徒だったから、すぐ就職も決まって。
 アタシも出産すんのは高校卒業してからだし…ってことで、何とか見逃してもらったんだよ」
 
安っぽいドラマみたいな話にしか聞こえないが…そんな時に、俺は既に母さんの腹の中にいたんだよな。
何だか変な気分だ。
 
「つーかそれ、ほとんど親父のお陰じゃん。そんなに優秀なら、高卒で就職するより進学したかったんじゃねぇのか?」
「元々はそのつもりだったんだけど…責任は取らないといけないからね」
「ごめんな…あの時、アタシが中に出してって言ったから…」
「え、やめてもらえません?そういう話、俺の前ではやめて?ねぇ!?」
「でも僕は後悔してないよ?何回人生をやり直せたとしても、秋代を嫁に貰って、男の子でも女の子でも『忍』がいる、
 この人生が一番良いって断言できるからね」
 
俺が聞きたくもない話をされて狼狽している間に、この男はクサい台詞を実にさらりと言ってのけた。聞いているこっちが恥ずかしい。
しかし母さんは感極まったように目に涙を溜めて、親父に抱きついた。
残念ながら身長差のせいで、しがみついているようにしか見えないが。
 
「克己ぃ!アタシ…アンタんとこに嫁いでホントに良かったよ!頑張って二人目も産んで、そんでこれからも一生、
 良き妻としてアンタを支えるからな!」
「はは、宜しく頼むよ。よしよし」
「…チッ、二人してノロケやがって…」
 
…悪態をついたものの、不覚にも親父にときめいてしまった。
もしいつか俺が結婚する時が来たら…こういう男が良い、かも知れない。
 
「あ、そうだ。今からお義母さん来るって、さっき電話があったよ」
「げえええッ!あのクソババァが来るのかよ!?克己てめぇ何で先に言わねぇんだ!」
「言おうと思ったら妊娠の話になったんじゃないか」
「くっ…!毎回アタシじゃなくて克己に直電しやがって!こっちにも心の準備ってモンがあるってのに!」
 
母さんの方のばあちゃん。
最後に会ったのは正月だから、結構久しぶりだ。女体化してから会うのは初めてだが、流石にそれは伝達済みだろう。
毎回ばあちゃんが来るときに親父の携帯に直電してくるのは、親父がばあちゃんに相当気に入られているからだ。
母さんが男の頃から向かいの家に住んでいた幼馴染みで、中高時代に荒れていた母さんを見捨てず嫁にまで貰ってくれた親父を、
恩人だと言って全幅の信頼を寄せている。
ちなみに母方のじいちゃん…母さんの親父は母さんが小さい頃に亡くなっており、ばあちゃんは女手一つで母さんを育てた女傑なのだ。
 
そんなばあちゃんが今から来る。久々に面白いものが見れそうだ。
 
 
 
母さんがそわそわしている間に、インターホンが鳴った。
もう来やがったのかよ…とぶつぶつ言いながら、母さんが迎えに出る。
程なくして、二人が話しながらリビングへ近付いて来た。
 
「5ヶ月だっけ?なら腹の出方はそのくらいか。あんた、恐れ多くも克己君の二人目を身篭ってんだからね!
 死んでも赤ん坊だけは無事に産まなきゃ承知しないよッ!」
「アタシは死んでも良いっつーのか!?母ちゃんだって連れ合い亡くしてんのに、よく言えんなぁそんなこと!」
「うるさいよ!大体ねぇ、いつまで経ってもその口の利き方。私ゃあんたの親として克己君に申し訳ないよ…」
 
来た来た。
久し振りに聞くなぁ、こんなやり取り。
いつもケンカばかりしているが、基本的には仲が良いのだ。この二人を見ると、俺と母さんの関係も似たようなものだと思う。
 
「お義母さん、ご無沙汰してます。お元気そうで」
「克己君、久し振り!相変わらずウチの馬鹿娘が迷惑掛けてるだろ?」
「いえいえ、いつも元気を分けてもらってますよ。お義母さん直伝のご飯も美味しいですし」
「克己君は相変わらず本当に出来た人だねぇ…ほんと、克己君とだったら私が再婚したかったくらいだわー」
「おいクソババァ!ハゲたことぬかしてんじゃねぇぞッ!克己もニコニコしてんじゃねぇよッ!」
 
面白いものが見れそう…とはこのことで、母さんがいつもの俺のポジションにいるような感じが愉快でたまらないのだ。
さて、俺も挨拶しなきゃな。
 
「ばあちゃん、久し振り」
「えっ」
「えっ」
「あ、やっべ…!」
「…秋代、お義母さんに妊娠したことは言ったのに…忍が女体化したことは言ってなかったのかい?」
「…アタシに続いて忍も女体化なんて、言い辛くてさ…はは…そのまますっかり忘れてた…」
 
おい。おい?
 
「あんた、本当に忍なの…?」
「…うちの馬鹿母がごめんな、ばあちゃん…俺、忍だよ」
「…。」
「…。」
「こンの馬鹿娘がああああッ!!」
「しまッ…!」
 
ばあちゃんは、そろりそろりと逃げ出そうとしていた母さんの襟首をむんずと掴み、そのままチョークスリーパーに持ち込んだ。
ばあちゃんの必殺技だ。…母さんはアイアンクローだし、俺も何か必殺技があった方が良いのかな。
 
「あんたはッ!子供の頃からいつもいつもッッ!自分に都合の悪い話は後回しにしてッッッ!」
「ばあちゃんいいぞー!もっとやれええ!」
「ぐぎぎぎぎ、ぎ、ギブ!ギブだって母ちゃん!アタシが悪かったよ!忍てめぇ後で覚えとけよコラぁッ!」
「はぁ、はぁ…ッ!大事な克己君の子供に影響が出たらまずいからね、このくらいで勘弁してやるよ!」
 
ばあちゃんはいつだって最高だ。克己君の子供でもあるから、という理由で俺のことも大事にしてくれるし。
「半分は秋代の血が流れてるんだから、その血に染まらないように!」といつも言われるが。
 
ぐったりとした母さんをその場に放り捨てたばあちゃんは、そのまま俺に駆け寄り、抱きしめて頬擦りしてきた。
ばあちゃんの匂いだ。懐かしい。どことなく母さんの匂いにも似ていて、やっぱり親子なんだなと思う。
 
「忍ぅー!私の若い頃にそっくりじゃないの!まぁ可愛らしくなっちまってこの娘は!」
「ばあちゃん、ちょっと苦しいよ…」
「あっ、ごめんよ忍。しっかし、克己君の子供で見た目は私そっくり。まさに完璧じゃないの」
「調子こいてんじゃねぇぞクソババァ!てめぇ似ってことはアタシ似でもあるんだよ!現時点で言ったらアタシの方が忍に似てんだろうがッ!」
「黙りな馬鹿娘ッ!」
「まぁまぁ二人とも…」
 
今にも取っ組み合いを始めそうな雰囲気だったが、親父が仲裁に入り何とかこの場は収まった。
胎児に気を使って大声を出さないようにしていた俺が馬鹿みたいじゃねぇか。
しかも二人で煙草吸い始めてるし…。
 
今になって思うが、俺が母さんの腹の中にいた頃もこんな調子だったのだろう。
女体化したとはいえ、俺もこうして普通に生まれ育っているわけだから…案外どうにでもなるのかも知れない。
 
「やれやれ。妊娠したって言うから様子を見に来てやったのに、まさか忍が女になっちまってるとはね。あんまり年寄りを驚かせるんじゃないよ」
「言おう言おうと思って忘れてたんだよ。悪かったって言ってんだろ?つーか年寄りって…母ちゃん、今年で幾つになったんだっけ?」
「あんたは親の歳も覚えてないのかい!?53だよ!」
「ふーん。別にそんなに歳でもねぇだろ」
 
ハイライトをくわえて文句を言うばあちゃんに、セブンスターをくわえて言い返す母さん。やっぱり親子なんだな。
しかも会話の内容にデジャブを感じたぞ。
 
「つーかばあちゃん、まだ53歳なのか?俺が産まれた頃は…まだ30代だったのかよ!?」
「そうだよ。19で秋代を産んでるからね。わ・た・しは、高校卒業してから妊娠したけどね?」
「ぐっ…!厭味なババァめ…!」
「お義母さん、その節はご迷惑を…」
「あぁ、良いの良いの!どうせこの馬鹿娘が克己君をたぶらかしたんだろ?それに30代でおばあちゃんなんて早すぎると思ったけど、
 お陰で忍がいるわけだしねぇ」
「僕もそう思っていたところですよ」
 
53歳となると、やっと初孫ができて普通くらいだ。
ガキの頃から無邪気にも「ばあちゃん」なんて呼んでしまって、気の毒だったかな。
本人は全然嫌がらなかったが。
 
「まぁ、来たついでだからね。今日の夕飯の支度は私が手伝ってやるよ」
「何だ、たまには気が利くじゃねーか」
「あんたのためじゃないよ。克己君と忍のためだからね!」
「それでもアタシは楽できるから良いや。ちなみに忍はカレー食いてぇって言ってたぞ?」
「そうかい。なら忍、ばあちゃんと一緒に買い物行こうか」
「へ?あぁ、別に良いけど…」
 
材料の買い出し付き合えとの御達示だ。
ばあちゃんと二人で出掛けるなんて、いつぶりだろうか?
どうせ、暇を潰すのが忙しくて困っていたところだしな。
女になって筋力は落ちたが、荷物持ちくらいはしても良いだろう。
 
 
母さんがいつも買い物に来ている近所のスーパーに着いた。
自宅から徒歩5分程だ。最寄りのコンビニより近いので、俺もよく利用する。
もう夕方が近いからか客が多い。日曜だけあって、仲睦まじく夫婦で来ている買い物客が目立つ。
 
「こうして二人でいると、親子に見えてるかも知れないねぇ」
「普通に見たらそうじゃね?ばあちゃんだって、若く見えるんだからさ」
 
ばあちゃんの見た目は40代そこそこくらいだろうか。
天然女性としては割と「若く見えるタイプ」の人と言えるが、あくまで常識の範囲内だ。
女体化者であればもっと若く見えてもおかしくないのだから、やはり俺たちは普通じゃない。
 
「私もどうせなら男から女になりたかったよ。秋代なんて、ちっとも老ける気配がないからねぇ」
「俺も母さんも、なりたくてなったわけじゃないよ…」
「そりゃそうだろうけどさ。女としては羨ましいんだよ」
 
…という具合に、妬まれる原因になったりもする。
 
「秋代もそうだけど、女体化した連中は悪阻が殆どないって言うしねぇ」
「悪阻って…そんなにキツいのか?」
「人それぞれだけど、私はキツかったよ。飯を食っても吐いちまうしさ」
「ふーん…」
 
実は女体化という現象について、最近少し調べてみたのだが…初めて知ったことが幾つかある。
そもそも女体化とは、「一番サカっている時期に童貞=男として欠陥品→子孫を残すために産む側になる」という説が有力らしい。
女体化者が漏れなく美少女になったり、感度が異常に良かったり、なかなか老けなかったりするのは、男に末永く欲情してもらうため。
天然女性と比べて、避妊をしっかりしないと妊娠する確率が非常に高かったり、生理痛が軽かったり、悪阻が殆どなかったりするのは、
「産むための身体」に特化して、余計な苦痛を排除するため…だそうな。
 
確かに俺も生理の時は出血こそ多いが、痛みはそこまで酷くない。
それは確かに有り難いのだが、女体化させられたのがこんな動物的な理由だったのなら、実に屈辱だ。
しかも若い期間が長いって…どこの戦闘民族だよ。
 
「さて、カレーと言えばニンジン、じゃがいも、玉ねぎ、肉だね。肉はいつも何が入ってるんだい?」
「うちは豚かな」
「私がいつも作るのと同じか。ま、秋代にカレー教えたのも私だし…そうだ、忍」
「ん?」
「今日のカレー、あんたが作りなよ。教えてあげるから!」
「はあ!?」
「覚えておいて損はないじゃないか。それに秋代の悪阻が軽いにしても、まぁ…これからどんどんデカくなる腹を抱えて、
 もたもたと家事されるのもアレだろうし…」
「俺が母さんを手伝えってことか。何だかんだ言っても、実の娘が心配なんだろ?」
「…あはは。まぁ、そう受け取ってくれても良いさね」
 
ばつが悪そうに、はにかんだ笑いを浮かべている。
やれやれ、素直じゃないよな。
まぁ、前から料理くらいは覚えようと思ってたんだから、丁度良い機会かも知れない。
 
「じゃあ俺がやるよ。今後も母さんが落ち着くまでは、手伝いくらいはしようかな」
「さっすが克己君の息子…いや、娘だね!良い子に育ったよ!」
「そんなんじゃねーよ…」
 
俺も、素直じゃないな。
 
「何だかこうしてると、秋代の時を思い出すよ」
「母さんの時って?」
「あの子の妊娠が分かって、克己君のとこに嫁に行くって話になった頃さ」
「あぁ、まだ高校生だったんだろ?」
「そうそう。あんな気が強いだけで何の取り柄もない馬鹿娘、せめて家事くらいはできるようにしてやらなきゃ、
 恥ずかしくて嫁に出せないからね。花嫁修業にって、無理矢理叩き込んだんだよ。秋代を連れてよく買い物に行ったっけ」
「母さんが妙に家事全般が得意なのは、そういう経緯があったんだな…」
「そうさ。それで初めて作らせたのもカレーだったねぇ」
 
デビュー作も俺と同じか。まぁカレーなんて、日本人的には鉄板だしなぁ。
 
どうもばあちゃんは、俺と母さんを重ねているような感じがする。
当時の母さんとは状況も年齢も違うが、見た目的には似たようなものだろうし。
今となっては、ばあちゃんにとって大事な想い出だ。孫として、それを再現してあげるのも…やぶさかではないかな。
ちょっと話を振ってみるか。
 
「ふーん…じゃあさ、例えば野菜の選び方のコツなんかもあったりすんの?」
「あるある!まずじゃがいもは…」
 
ビンゴだ。
ばあちゃんは、懐かしそうに、嬉しそうに説明してくれた。
 
 
 
ばあちゃんのうんちくを聞きながら材料を一通りカゴに放り込み、後は会計を済ませるだけだ。
ばあちゃんは満足げだが、まだこれから作る作業が待っている。まだ暫くはハイパーばあちゃんタイムだろう。
 
レジへ向かうために弁当コーナーを横切る。
すると、非常に見覚えのある人物を発見した。
 
「涼二じゃん。何してんの?」
「おう、忍!…と、その横の人は秋代さん…じゃないですよね。そっくりだけど…」
 
まさかの涼二だ。いや、まさかという程でもないか。
このスーパーは俺の家と涼二の家の、丁度中間くらいにある。
別に打ち合わせたわけじゃなくとも、こうして出くわすことがたまにあるのだ。
そういや、ばあちゃんとは面識がなかったな。
 
 
 
「うちのばあちゃんだよ。見ての通り、母方のな」
「忍の祖母で、秋代の母です。忍のツレかい?」
「道理でそっくりな…俺、忍の幼馴染で中曽根涼二って言います。いつも忍をお世話してます!」
「うっぜーなコイツ!そんな自己紹介聞いたことねぇぞ!」
「だって事実だろ?おぉん??」
「あはは!面白い子だねぇ!」
 
ばあちゃんは、どうやら涼二を気に入ったらしい。
コイツ、人当たりが良くて初対面の人間とも打ち解けやすいんだよな…。
 
「今日は親がいないから飯が無くてさ。兄貴はツレと飯食いに行くって言うから、俺は弁当でも買おうかと思って」
「何だ、そうだったのか」
「中曽根君、もし良かったらうちで食ってくかい?今日は忍がカレー作るんだ」
「!?ばあちゃん…ッ!」
「マジっすか!?忍が!?行きます!」
「おいいいッ!何で勝手に決めてんだよ!?」
「審査員は多い方が良いだろう?」
「そういうことだぜ忍。諦めて、飢えたこの俺にカレーを食わせるんだな」
「ぐぬぬ…!」
 
くそ、コイツに話し掛けるんじゃなかった…!
まともに料理するのも初めてなのに、いきなり身内以外に食わせるのか?
せめて、もっと練習してから…!
どうせ食わせるなら、美味しいって言ってほしいっつーか…。
…あ、いや、不味くたって良いじゃねーか。そうだよ、毒味をさせると思えば…!
 
「…ゲロマズでも知らねーからな」
「ないない。私と秋代でしっかり教えるからね」
「そりゃ楽しみですね!いやぁ、弁当買う前で良かったー!」
「つーか、何でそんな嬉しそうなんだよ?」
「そ、そりゃ単に…美味いもんが食えそうで、それが楽しみなだけだぜ?」
「…ふぅん」
 
これは女の勘だが…コイツ、何か誤魔化してる感があるな。妙にウキウキしやがって、何だってんだ?
うーん…あ、そういや前に、飯作ってくれって言われたことがあったっけ。
 
もし、もしもだ。俺が作ってやるのが楽しみでテンションが上がっているのなら。
俺が作る物に何を期待しているのか知らんが、ちょっとくらいなら…頑張ってやっても良いかな?
 
「さぁ、話は決まったんだ。飯食わせてもらうんだから、荷物くらいは持つぜ?何なら材料費も出すか?」
「良いんだよ、カレーなんざ普通に作ったら余るモンなんだ。食い盛りの若いのがいて丁度良いくらいじゃないかね」
 
西田家は食い盛りの若いのが女体化しちまったからな。
今となっては唯一の男である親父も、そんなに食う方じゃないし。
 
「ばあちゃんがこう言ってるから金はいらねぇ。荷物は持ってもらうけどな!」
「へいへい。それ貸せよ、重そうに持ちやがって」
 
カレーの材料と、ついでのペットボトル飲料やら何やらが入ったカゴは結構重い。片手じゃ持っていられないくらいだ。
涼二はカゴを俺から軽々と取り上げると、そのままレジへと歩き出した。
その背中を見て、やっぱり男は力があるんだな…などと、今更なことを実感させられたのだった。
 
「中曽根君は、男の頃の忍と背格好が似てるねぇ?見てくれよ忍を。こんなにこぢんまりとしちまって」
「これは母さんに似たからで、そんな母さんはばあちゃんに似たからだろ…」
「男の頃の忍は俺と身長同じくらいでしたねー。今じゃ頭一個分違うどころじゃないっすよ」
 
スーパーを出て、同じ道を戻る。涼二にとっては真逆の方向だ。
 
幼馴染の定義が何なのか知らないが、少なくとも俺と涼二の家はそこまで近所ではない。歩いて10分程だろうか?
たまたま幼稚園が一緒で仲良くなり、そのまま小中高と同じ進路を生きてきた。
小中は学区制だったが、高校は相談した上で一緒の学校にした。
そっちの気があるわけじゃなかったが、涼二がいない学校生活はつまらないと思ったし…恐らく涼二もそう思ったのだろう。
二人とも成績は中の中。無理しなくても受かりそうなレベルの高校を選んだ。
 
今は同じクラスだが、これだけ付き合いが長ければ違うクラスになることもあった。
そんな時でも、待ち合わせて登下校をしたものだ。
小学校の頃は集団登校だったが、同じ集団で登校し、帰りも一緒だった。
中学は涼二の家の方が学校に近かったから、毎朝涼二の家に寄っていた。
今は俺の家の方が近いから、涼二が毎朝、俺の家に寄る。
 
身長は二人とも常に同じくらいで、いつも同じ目線で景色を見ていた筈なんだけど。
今となっては確かに身長差は頭一個分どころじゃない。
すっかり慣れたこの身体だが、久々に170cm台の世界を見たくなった。
 
…そこの縁石に乗ったら届くかな?
 
「よっ、と。これでどうだ!?」
「そんなところに乗ったら危ねぇぞ、ガキかお前。しかも全然届いてないし」
 
歩道と車道を隔てる縁石に乗る。
縁石は20cmくらいだ。145cm+20cm…言うまでもなく届かないな。
 
「くそっ、背伸びを…してもダメか…はぁ。もっと身長ほしいな…」
「私も秋代もこの身長だからね。諦めるしかないよ!」
「そうだぞ忍。お前は一生その身長で生きていくんだ」
「うるせ…あ」
 
突然、強い風が吹いた。
平均台ほどしかない縁石の上で背伸びをしていたせいで、バランスを崩してしまう。
運悪く、車道側に。
振り向かなくても分かる、背後から迫る大型トラックの轟音。
 
ダメだ、死…!
 
「…ッ!」
 
気が付いたら、歩道でへたりこんでいた。
何が起きたのか理解できない。目を丸くして固まっているばあちゃんと、散乱したカレーの材料、引き攣った表情の涼二。
それと、腕が…千切れそうに痛い。
でも…。
 
「…あれ、俺、生きて…?」
「…。」
「ぁ…涼二…?」
「こ、の………馬鹿女がぁぁッ!目の前でツレが踏み潰されるなんて冗談じゃねぇぞッ!!」
「痛ぇッ!?」
 
涼二のゲンコツが頭に振り下ろされた。この腕の痛みと、涼二の興奮っぷり。
…コイツが引き戻してくれたらしい。どんだけ力を入れたらこんなに痛くなるんだ?火事場の馬鹿力ってヤツか?
 
「…な、殴ることねぇだろ…」
「うるせぇッ!女を殴る趣味はねぇが、馬鹿女には鉄拳制裁ッ!それが俺のジャスティスッ!」
「中曽根君の言う通りだよ!あんた、死ぬところだったんだからね!?頭叩かれただけで済んで良かったと思いな!」
「わ、悪かったよ…ありがとな、涼二」
 
…確かに、すぐ横をびゅんびゅん車が走っている縁石に乗るなんて、どうかしてた。涼二がいなかったら、確実に死んでいただろう。
そもそも涼二がいなかったら縁石に乗りたいテンションにはならなかったんだけど…まぁ、結果が全てだし。
何だか俺、いつもコイツに助けてもらってる気がする。
 
「あー、カレーの材料、ばら撒いちゃいましたね。これ、使えます?」
「大丈夫大丈夫!卵とかじゃダメだったろうけど、野菜だしね。元々土ん中にあったんだから、洗えば食えるさ」
 
二人が地面に散乱した野菜を拾い始めた。いつまでもへたりこんでないで、俺も手伝わないと…。
 
「よいしょ…痛っ!」
「…?どうしたんだ?」
「足、挫いたっぽい…」
 
無理に引っ張られて負荷がかかったのか、足首が痛い。歩けない程ではないし、死んでいたかも知れないことを考えれば全然マシだ。
酷い捻挫ではなさそうだし、このくらいなら放っておけば治るだろう。
 
「…しょうがねぇな。ほら、乗れよ」
「…は?」
 
拾い終えた物をビニールに詰め込んだ涼二が、俺に背を向けてしゃがむ。
この姿勢で、乗れよって…おんぶってことか!?
 
「え、いや、大丈夫だって!歩けるし!」
「軽い捻挫でも、応急処置もせずに動き回ると悪化するって、兄貴が言ってたぞ。兄貴、運動部だったからさ」
「でも…!」
「こういう時は甘えときな、忍。ここまでしてくれる殿方に、恥をかかせるもんじゃないよ!」
「殿方って…はぁ、分かったよ。落とすんじゃねぇぞ」
 
ばあちゃんに煽られ、渋々涼二の背中に乗る。涼二は既にビニールを持っているのに、軽々と俺を持ち上げた。
コイツの背中、こんなに広いんだな…。恥ずかしいけど、温かくて、涼二の匂いがして…何だか安心できるような気がする。
 
「お前、めちゃ軽いなぁ。ちゃんと飯食ってんのか?」
「ちゃんと朝昼晩食ってるわ!…まぁ、重いって言われるよりは良いけどな」
「軽いとは言えおぶってもらってんだ、もっとサービスしてやんなよ!」
「うわ!?何だよばあちゃん!?」
 
何故かばあちゃんが俺のケツをくすぐり、反射的に涼二にしがみつく。
つまり、胸を押し当てている状態になったわけで。
 
「ぬぅ!?この背中の感触は…『ち』で始まり『ち』で終わる物体かッ!?」
「その二文字だけだっつーの!おいてめぇ前屈みになってんじゃねぇよッ!何考えてんだコラッ!」
「あえて言おう、役得であるとッ!」
「うわっ!フラフラしてんじゃねーか!落ちる落ちる!」
「うおおおッ!」
 
背中から落ちそうになり、より強くしがみつく。それがまた逆効果なのだが。
ばあちゃんが「若いって良いねぇ…」と、呟いた気がした。
 
「んぁ?涼二君じゃん。どうしたんだ?何だか大荷物を背負ってるけど」
「賑やかいと思ったら、何かあったのかな?」
「ちわっす、秋代さん。おじさんも」
「大荷物で悪かったなちくしょう!」
 
家に帰ると、母さんと親父が玄関先まで顔を出した。
取り急ぎ親父に救急箱を持ってきてもらう。
兄貴に教わったという涼二の応急処置を受けながら、このカオスな状況を説明する。
 
ばあちゃんに言われた部分は伏せたが…今後は時間があれば、家事の手伝いをすること。
そんな話をしていたら飢えた涼二を拾ったこと。帰りに馬鹿やって怪我をしたこと。
悪化すると不味いので、おんぶしてもらったこと。
話の流れで、涼二も母さんが妊娠したことを知った。当然、半端ない驚きっぷりだった。
 
「はぁーっ、秋代さんがご懐妊とはねぇ!つまり忍が姉貴になるってことか。大丈夫か?縁石乗ってはしゃいでる場合じゃねぇぞマジで」
「ビッグなお世話だッ!…そういう訳だから、今日のカレーは俺が作るし、今後も家にいる時は手伝うから。ちゃんと教えてくれよ」
「アタシだって不味い飯は食いたくねぇからな。ちゃんと教えてやるよ、スパルタで」
「先行き不安だな…いてて!おい涼二!女の身体はもっと丁寧に扱えよ!」
「命拾いしたくせに文句言うんじゃありません!それにしても小せぇ足だなぁ……ほら、これで良し、っと。歩けるか?
 つーか、怪我してんのに料理できんのか?」
 
涼二が手を離してすぐ、逃げるように立ち上がる。
そのまま、湿布とテーピングを施された足で床を踏む。少し痛いが、庇いながら歩けば何とかなるレベルだ。
元々ごく軽いであろう捻挫だし、涼二のくせにしっかりと固定してくれてあるので、この分ならすぐに治るだろう。
 
実は捻挫よりも、裸足を涼二に触られることが非常に気になっていた。
リアルな話でアレだが、臭ったりしてたら嫌だし。
これも女体化者の特徴なのか、不思議と無駄毛は一切生えないので、そこに関しては問題ないけども。
こういうことを気にするようになったあたりは「女」だな、俺…。
 
「…ん、大丈夫だろ。飯くらいなら作れそうだ。サンキュな」
「おう。こりゃ相当美味いモン食わせてくれねぇと、割に合わんぞ?」
「調子に乗りやがって…!い、今から作るからちょっと待ってろ!俺の部屋でゲームしてて良いから…!」
「いや、忍が作ってるとこ見てみてぇ。見学してるわ」
「うぜーよ!気が散るんだよッ!」
 
学校の調理実習とかではなく、初めてマトモに挑戦する料理。
コイツはそれの、ただの毒味係だ。美味いモンを作ってやる必要はない。
…が、何故か妙に気負ってしまう。
俺も食うんだから…美味い方が良いに決まってるさ。二人も師匠がいるんだ、大丈夫。失敗することはねぇ。
 
密かに拳をぐっと握り締めて、台所へ向かった。
 
 
二人の師匠に手取り足取り教えてもらいながら、ついにカレーが完成した。
米もつやつやに炊け、付け合わせのサラダも完璧だ。
 
…ぶっちゃけ、かなり自信がある。
というのも、ほぼ師匠の命令を忠実にこなすロボットと化していたからだ。この二人の言うことに従っていれば間違いはない。
不慣れな包丁で切った野菜なんかの形は…不格好だが、肝心なのは味だからな。
味見はしていない。皆で一斉に食ってみて、初めてジャッジが下る。
 
「カレーの匂いで俺の腹がやべぇぞ忍!早く食わねぇと死んじまう!」
「うるせーぞ!もう出来てんだから大人しく待てよッ!」
「ま、味は問題無いと思うよ。アタシとクソババァが、ちゃんと見てたからな」
「偉そうに言ってるけど、主婦歴16年そこそこの小娘がカレーを語るなんざ片腹痛いよ」
「こうやって家庭の味は引き継がれていくんだね。いやぁ、楽しみだ」
 
食卓に座ってガヤガヤと騒いでいる皆の分を皿に盛り、各自の前へ置く。
色合いとか、匂いとかは…いつも母さんが作るカレーと同じだと思う。ちょっとした隠し味とやらも伝授してもらった。
 
これで不味いわけがねぇ、不味いわけが…!大丈夫だ…!
 
「よし、全員分揃ったね。じゃあ…忍が初挑戦したカレー、頂きますか!」
 
親父が音頭を取り、皆で一斉にスプーンでカレーを口に運ぶ。
俺は…皆の反応が気になって、微動だにできない。手に汗を握り、とりわけ涼二をガン見してしまう。
 
「…どうなんだよ…?」
「…ッ!うんめええッ!超うめええええッ!!」
 
突然目を見開いて叫んだ涼二が、二口目、三口目と次々に口に運び出した。ガツガツというか、動物のような食いっぷりだ。
…あ、何か…嬉しい、かも…。
 
「大体こんなもんだろ。悪くねぇんじゃねぇの?」
「うん、秋代の味と似てるよね。少し違う気がするのは何だろう?凄く美味しいけど」
「それが『忍』の味じゃないかね。私と秋代でも、少し違うだろうし」
 
他の面々からの評価も上々だ。同じ材料、同じ手順で作っても、分かる人には分かる味の違いがあるらしい。
 
安心して、自分でも一口食べてみる。
…まぁまぁ、美味いんじゃないか?
馬鹿みたいに興奮する程じゃないと思うけど、涼二は何であんなにがっついてんだ?うわ、もう食い終わってる!?
 
「いやぁ美味ぇわマジで!やるなぁ忍!秋代さんすんません、お代わりしても良いっすか?」
「若ぇのは食いっぷりが違うねぇ、どんどん食ってよ!よそってやるから、皿貸しな」
「お、俺がやるからっ!皿よこせ!」
 
涼二が母さんに渡そうとした皿を、横から掠め取る。
皿にカレーを盛るという口実で皆に背を向ければ、顔を見られずに済む。つい綻んでしまっている顔なんて、恥ずかしくて見せられない。
それに、自分が作った物のことは自分がやりたいし…。
 
「何だぁ?早くも主婦気取りか?」
「違ぇよ!つ、作ったのは俺だから、このくらいは…!」
「良い心掛けだな。まぁ、お前が主婦なんて100万年早ぇけど」
「馬鹿だね、100万年も待ったら行き遅れどころじゃないよ。それに私から見りゃ、あんたもまだまだひよっこだけどねぇ?」
「んだとクソババァッ!」
 
騒がしい背後のことなど気にならなかった。
自分が作った料理を美味しいと言ってもらえるのが、すげぇ嬉しい。
前に母さんの作った焼きそばをマヨ盛りにしようとして拒否られたが、今ならその気持ちもよく分かる。
どうしよう、ニヤけ顔が戻らねぇぞ…。
 
 
結局、涼二は計3杯を平らげた。
流石に苦しいらしく、帰る前に少し食休みだとか言って勝手に俺のベッドに横になっている。
コイツは俺が男の頃から散々俺のベッドでごろごろしていたし、今更気にする間柄でもない。…筈なのに、少しそわそわする。
多分、カレーを美味いと言ってもらえてテンションが上がっているからだと思うけど。
 
「あ゛ーっ、食いすぎた!でも美味かったわー。見直したぜ?」
「…ふんっ!カ、カレーなんて、誰が作ったって美味くできるもんだろ?」
「謙遜すんなって。師匠が良いってのもあるだろうけど、その辺の店で食うよりよっぽど美味かったぞ?」
 
上体を起こした涼二が、枕元に腰をかけていた俺の頭をくしゃくしゃと撫でる。
まぁ、悪くない気分だ。
 
「ま、また気が向いたら、何か作ってやるよ」
「お前は神か?超期待しとくわ」
「ハードル上げんなボケッ!」
 
…もうちょい練習してから、な。
そう決意を固め、煙草に火をつける。
煙を吐き出して高揚した気分を落ち着かせるが、それでもやっぱり今日は気分が良い。
涼二も催促してきたので、ライターと一緒に投げ渡してやった。
 
コイツのお陰で命拾いしたし、もうちょい何かサービスしてやっても良いかな…。
何をしてやろうか。乳揉みとかそういう系は無しだ。
元男ならではの、男の感覚で考えよう。
エロ無しで、女にしてもらって嬉しいこと。うーん、えーっと…?
 
「…耳かき、とか?」
「は?唐突に何言ってんだ?しかもそんな魅惑のワードを…」
「し、してやろうか?俺で良ければ、耳かき…」
「ぶはっ!?げほっ、げっほッ!お前が変なこと言うから変なとこに煙が入っちまっただろうが!」
「んなこたぁどーでも良いんだよ!してほしいのかッ!?してほしくねぇのかッ!?」
「そりゃしてくれるっつーなら喜んでしてもらうけどよ…何でまた?」
「…お前のお陰で命拾いしたし…それに今日は何となく、気分が良いだけだ」
「んじゃ、折角だしお願いするか。相手が忍とはいえ、女の子に耳かきしてもらえる機会なんてそうそうないしな」
「一言多いんだよ!素直に喜べ!」
 
わざわざ言うほどのことではないが、俺は耳かきが超好きだ。
毎日やるのは良くないとも聞くが、ついつい毎日やってしまうくらい好きだ。
好きというのは勿論、自分で自分にするソロプレイなので、他人にやったことはないが…何とかなると思う。
ベッドのサイドテーブルに置いた、愛用の耳かき棒に手を伸ばす。
 
「耳かき棒、俺がいつも使ってるヤツだけど平気か?」
「俺は気にしねぇよ。こういうのは何て言うんだろうな、間接キスじゃなくて…間接耳?」
「お前は何でそうやって、いつもいつも意味分かんねぇことばっかり思い付くわけ?」
 
呆れながら、自分の太股をぽんぽんと叩く。頭を載せろの合図だ。
 
「んじゃ、お邪魔しますよっと」
 
ごろりと横になった涼二の頭が太股に載る。膝枕というヤツだ。
何やってるんだろう俺。
これじゃ…第三者から見たとしたら、まるで恋人同士みたいじゃないか?
 
…いや、違うだろ。今日はコイツに助けてもらって、飯を美味いと言ってもらえて、それで気分が良いだけなんだ。
別に恋人とか、そういうんじゃないからな…!
 
耳が隠れる程度に伸ばされた涼二の髪をかき分けるため、指先で触れる。それだけなのにドキドキしてしまう。
それを悟られないように、少し手荒に髪をどかす。
 
そうだ、他人に耳かきをするのなら…照明が欲しい。
生憎近くに懐中電灯は無いが、こんなときのためのスマートフォンだ。フラッシュライトアプリがある。
携帯を手に取り、耳元へ持っていく。今となってはすっかり見慣れたストラップ型防犯ベルが、涼二の頬に落ちた。
その感触に違和感を持ったようだが、涼二からは死角の位置だ。見えていないらしい。
 
「んぁ?何だこれ?」
「前にお前がよこした防犯ベルだよ」
「あぁアレか。へぇ、ちゃんと着けてたんだな」
「…外すのが面倒くせぇだけだっつーの」
 
アプリを起動し、耳の穴を照らす。
…あるわあるわ、大物がごろごろと。これは掃除のし甲斐があるというものだ。腕が鳴るぜ。
 
「お前、耳ん中すげーことになってんぞ。ちゃんと普段から耳かきしてんのか?」
「そういや最近してなかったな」
「安心しろ、俺が全て駆逐してやるからな!動いたら命の保証はしねぇぞ!」
「くしゃみとかはどうしたら良いんだよ!?」
「知るか!気合いで我慢しろ!お前のちっぽけな命は俺が握っていると思えッ!」
 
腕まくりをして気合いを入れ、耳かき棒を少しずつ差し込んでいく。
取り敢えず、まずは大物からだ。痛がらせたいわけではないので、探り探り慎重に。
目に付いた耳垢を片っ端から取って、次々とティッシュに置いていく。
 
「うあー…めっちゃ気持ち良いわ…」
「そ、そうか?」
「あぁ、自分でするより全然良い…お前、耳かきの才能あるんじゃね?」
「大袈裟なんだよ…」
 
少し照れる。
脱力しきった声だが、それだけ気持ち良くてリラックスできているということなのだろう。
イケメンの間抜けなツラというのも、なかなか可愛いものじゃないか。何だか楽しくなってきた。
 
他人の耳垢なんて気持ち悪いかな、と若干思っていたのだが…不思議とそうでもない。
今日は気分が良いからだろ。と、勝手に納得することにした。
 
「よし、これで終わりっと。かなり綺麗になったぞ!」
 
仕上げに綿で細かいカスを取って、完了だ。
ごっそり取れた耳垢は、ティッシュごと丸めてゴミ箱へポイする。
達成感が半端じゃない。やられる方も気持ち良さげだったが、俺にとってもある意味快感だった。
 
「サンキューな、気持ち良かったぜ!何か、耳の聞こえも良くなった気がするぞ」
「これも、気が向いたらまたやってやるよ。精々それまで耳クソを溜めとくんだな」
「そうするわ。さて、腹も落ち着いたし帰るかな…あ、その前に。今日ずっと気になってたんだけど…」
 
急に涼二が顔を近付け、俺の耳元の髪をかき上げた。
心臓が止まるかと思った。かぁっ、と一気に顔が熱くなる。
 
何だ!?いきなり何だよ!?か、顔が、顔が近いって…!
くそ、身体が動きやしねぇ…!
 
「お前、ピアスしてんだ?しかもよりによって、猫のピアスかよ!はは、似合ってんぞ!」
「の、典子に貰ったんだよ…!お、お前っ、絶対面白がってるだろっ!」
「いやいや、面白がってねぇよ。似合うってマジで。可愛いと思うぜ?」
 
そういえば、涼二にはピアスを開けたことを言っていなかった。
学校に行くときは透ピだし、休日だって毎回着けているわけではなく気が向いたときだけだ。
今日はたまたま着けていた、典子に貰ったピアス。
別にコイツに見せようと思っていたわけではないが、しっかり見られていた。
 
コイツ、案外気が利くというか…目ざといんだな。
こういうところに気付いてもらえるのって、女だったらやっぱり嬉しいもんだろうし。
俺はどうなんだ?嬉しい…のかな?一つ、確認してからにしよう。
 
「どっちが、だよ?」
「ん?何が?」
「『可愛い』って、どっちがだよ」
「あぁ、どっちもだ。ピアスも可愛いし、可愛いピアスを着けたお前も可愛い」
「ピアスをしてない俺は可愛くないとでも?」
「見た目で言えばピアスしてなくても可愛いぞ。何つーか中身は『忍』なのに、可愛いものを身に纏うところが、より可愛いっつーのかね?
 上手く言えねぇけどさ」
 
意味不明だ。
何が言いたいんだ?未だに男っぽい俺が、可愛らしいものを着用するのが微笑ましいってことか?
でもまぁ、涼二なりに褒めようとしているんだろう。そこは評価してやっても良い。
 
「…ふん。よく分かんねぇけど、女の扱い方としてはまぁまぁだろ」
「あぁ?お前何様なわけ?ちょっと褒めただけで調子に乗らないでくださーい」
「うるせーな!さぁ、とっとと帰れ!オラオラァ!」
「うわっと!?そんなに押さなくても帰るって!何なんだよオイ!」
 
…嬉しくて赤くなった顔を見せたくねぇだけだよ。
 

 

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最終更新:2012年01月12日 22:45
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