『スキャンダル・ティーチャー』

 人のスキャンダルと言うのは聞けば聞くほど沸き立つ探究心と好奇心が働いてしまう、これはそんなお話・・

 
 
 
 
 
スキャンダル・ティーチャー
 
 
 
 
                          ◆Zsc8I5zA3U
 
 
 
 
 
 
 
 
朝、いつものように白羽根学園職員室では学校名物ロリっ娘校長である霞による定例の報告会で幕を開ける。部活の朝連を終えた教師は疲れた顔を切り替えて、朝出勤した教師は眠たい身体を切り替えて社会人としての出勤モードに入るが約一名の例外はいる。
 
「以上で報告を終了します、今日も1日張り切ってきましょう~☆」
 
子供のようにはしゃぐ霞であるが実年齢は熟練した大人なのでそのギャップに慣れるのが白羽根学園に在籍する教師の初めての仕事でもある、そのまま各教師は受け持つクラスのホームルームを行うために教室へと移動したり1時間目の授業を控えている教師も準備をするために移動する。
 
そしてこの学園の保健室を司り一部では陰の支配者とも噂される礼子も必要なものを整えて職員室を後にしようとしたのだが、ここでいつものように霞に呼び止められる。
 
「あっ、春日先生。ちょっといい?」
 
「はい、何でしょうか?」
 
「悪いんだけど前に申請していた薬の納入が遅れるみたいなのよ」
 
霞によると以前礼子が申請していた薬の一部の納入が遅れるということで礼子にしては少し困る話である。何せ申請した薬はそろそろ少なくなってきているので必要な時になくなってしまうのは本末転倒だ。
 
「ごめんなさいね、業者から連絡させて早めに納入させるようにはするわ」
 
「・・校長先生、それは私の授業で使う薬も含まれているのですか?」
 
「橘先生」
 
突然霞と礼子の間に割って入ってきたのは標準的な体型に少しばかりきつそうな視線に金髪のセミロングが特徴である橘 瑞樹(たちばな みずき)、担当は化学で部活の顧問は意外にも陸上部。そんな彼女も例に漏れずに女体化者であり性格は冷静沈着であまり感情は滅多に表さないが言うときは言うしっかりとした性格である、そんな彼女も授業で使う化学の教材である薬品も礼子の薬と同時に納入が遅れているらしいようだ。
 
「校長先生、納入はどれぐらいになりますか? せめて授業の遅れにないようにしたいのですが・・」
 
「そこは善処するわ。業者にも再三言っているから、連絡するわ」
 
「・・わかりました」
 
そのまま瑞樹は素直に引き下がると準備を済ませて職員室へと消えていく、学園内でもそれなりに人気がある瑞樹であるが教員の中では仕事第一がモットーな人間なので言うこともかなり現実的で少々キツイ面がある。
 
「ふぅ・・とりあえず、橘先生にも言っておくけど礼子先生も申し訳ないけどお願いするわ」
 
「まぁ、何とか今の在庫でやっておきます」
 
「頼むわ、ちゃんと業者には言っておくから」
 
そのまま霞は少し疲れ気味にその場を後にする、礼子は少し同情気味に見送るとそのまま保健室へと向かう。幸いにも鍵は壊されておらず室内にも目立った変化はないのでとりあえずは一安心と言ったところだろう、そのまま礼子はいつものように薬をチェックするがやはり少なくなっているのには変わりないので業者が来るまで我慢しなければならないだろう。
 
「やっぱりこれだけじゃ心細いな。あんまり校長には無理言えねぇし」
 
礼子も霞の苦労が知らないほどバカではない、校長というのはそれだけ苦労もするし周囲との軋轢や問題の処理なども考えたら並の人間では出来ない大変な役職なのだ。案外自分はそういったところに向いてはいないと礼子はつくづく思う、もし普通の教師をしていたのかと思うと末恐ろしく思う礼子だった。
 
 
 
 
 
化学準備室
 
一時間目が終わって散らばる生徒がチラホラといながら瑞樹は授業で使う教材をチェックしながら無表情で在庫をしっかりと確かめる。
 
(・・やはりこの薬品を使った実験は少し見直して正解ね、在庫面から考えたら万が一を考えて申請しなければ)
 
一応、学年ごとでは在るが化学の担当の教師はいることはいるのだが化学室の管理などは本人の志願もあってか基本的に瑞樹が執り行っており几帳面な性格も手伝ってか管理は勿論のこと用具のメンテナンスもしっかりと行われている。幸いにも1時間目の授業は先ほど終わったのでやることといえば用具のチェックと使用した器具のチェックぐらいだ。
 
「橘先生、ちょっとここの化学式がわからないんですけど・・」
 
「・・そこは物質の変換についてですから、この式はこういった風にも応用できます」
 
「は、はい・」
 
話しかけてきたのは1年生の綾辻 志菜、友人である樋口 真琴、小松と3人で行動している、最近は女体化した妹尾 勇輝とも交友を育んでいるようでるのが目に浮かぶ・・といっても瑞樹は彼女達の生徒ではないので一介の教師として淡々と志菜の疑問に丁寧に答えるのだがきつい顔立ちが災いしてか志菜はどことなく気まずそうだ。
 
「といった感じです。センター試験でもよく出る問題ですので把握しておいたほうが良いでしょう」
 
「あ、ありがうございます」
 
少しぎこちなさそうに志菜に構わず瑞樹は淡々と作業をしていくが、ここで小松と勇輝も瑞樹に問題の疑問点をぶつける。
 
「先生、さっきの化学式の応用で気になる点が・・」
 
「それにもう少し高度な実験してくださいよ」
 
「・・高度な実験はもう少し授業が進んでからです。それに先ほどの化学式は他にも様々な形で応用できます」
 
淡々と話す瑞樹は容器を片付け終えるのを把握すると時計を目にする、そろそろ2限目に差し掛かる頃合であるが瑞樹の授業は3限目からなので暇潰しにやりたかった実験もやっておきたいし何よりも次の授業を控えているこの4人をさっさと帰しておかないといけないだろう。
 
「あなた方も次の授業があるのではありませんか?」
 
「・・橘先生、過去に2年の骨皮先生と付き合っていたのは本当ですか?」
 
「――」
 
突然の真琴の言葉に瑞樹は一瞬だけ動作が止まる、生徒の間では無表情のリアリストとして通っている瑞樹には実は今のところある噂が広まっている。それが真琴の言っていた靖男との関係、どこでどう広まったのは知らないが教師の噂は生徒にとって絶好のスキャンダルだ。事実、真琴以外にも瑞樹に直接尋ねてきた生徒もいるし教師にも聞かれたこともある、正直言って瑞樹にとっては良い迷惑以外何者でもない。
 
「おい、真琴・・何変なこと聞いてるんだよ」
 
「だって気になるじゃないの?」
 
「それは確かに・・」
 
「この際だから教えて欲しいわね。どうなんですか橘先生?」
 
「・・何でもありません。後20秒後で次の授業のチャイムが鳴りますよ」
 
瑞樹の宣告どおり、チャイムが鳴り響き4人はそのまま蜘蛛の子を散らすようにダッシュで教室へと向かっていく。そのまま取り残された瑞樹は少し溜息をつきながら先ほどの噂を思い返す。
 
(何故? ・・でも本当に今更ね)
 
生徒達の間で持ちきりとなっている瑞樹の噂・・それは他ならぬ事実で瑞樹にとって忘れがたい思い出でもあり、今でも踏ん切りのつかないものであった。
 
もう昔の出来事であるが未だに漂うこの感覚を振り切りながらも瑞樹にしてみれば噂の出所が気になるところである。
 
 
 
 
屋上
 
かつては校内の中でも有数な危険地帯であったこの屋上も聖の出現によって今や別の意味での危険地帯と化している。そのまま聖はのんびりと仰向けになりながら空を見上げる、既に授業は2時間目に突入しているのだが彼女にしてみればあまり関心がない・・これでも以前と比べたら比較的に真面目に参加している部類なのだからまだ良いところである。
 
「やっぱりこうしてると落ち着くぜ」
 
「サボってばっかで授業に出ないと留年するぞ」
 
「やっぱそうだよな・・ってポンコツ教師!!」
 
突然聖の前に現れたのは意外にも靖男、どうやら彼も授業がなかったようでたまたま屋上に足を運んだ用である。
 
「やっぱり屋上でサボってたか。大人しく授業に出たらどうだ? 春日先生も困っていたぞ」
 
「うるせぇな!! 気分じゃねぇんだよ」
 
スパッと靖男の主張を切り捨てる聖であるが靖男となるとやはりしきりに話題になるあの噂の真相を問う。
 
「そういえばよ、てめぇ橘先生と昔付き合ってたんだって?」
 
「お前までその話題か・・」
 
やはり聖も気になるようでツンや狼子と放していると自然とその話題になってしまうのだ、それに靖男は前の自分の担任だったので気になるし以前にも過去を聞いたら丁度良くはぐらかされてしまったので聞けれる絶好のチャンスである。
 
「あのなぁ、大人にもいろいろ事情って物があるんだ。飴でもやるからさっさと授業に戻れ」
 
「ガキ扱いすんな!!!! それに別に減るもんじゃねぇしよ、ちょっとぐらいは良いじゃねぇか。ちゃんと黙っててやるからよ」
 
「歴史上そういった奴が一番信用ならないんだぞ。それに今度焼肉でも奢ってやるからそれで勘弁しろ、お前が留年でもした日には俺の評価もガタ落ちで給料にも影響が出る。ちょっとは元担任でもある俺を労れバカ」
 
「誰が留年するか!!! てめぇみたいなポンコツ教師よりマシだ!!!! ・・ま、確かにてめぇにはあいつと一緒に奢ってもらったこともあったけどよ」
 
実のところまだ靖男が聖の担任だったころは辰哉と狼子同様に夜通しの補習のついでにいろいろなものを奢ってやったので今回もそれで収めてもらおうという靖男の魂胆なのだ。
 
「何なら月島たちも連れていいぞ、ちょっとした副業で儲かったからな」
 
「ほんとか!! てめぇ、嘘だったらタダじゃおかねぇぞ!!!!」
 
「ま、お前がしっかり授業に出てテストも全教科高得点だったら奢ってやる」
 
「ポンコツ教師、嘘つくんじゃねぇぞ!! やってやるせぇぇぇぇ!!!」
 
そのまま聖は怒涛の勢いで教室へと戻っていく、これで上手くごまかせたと安堵する靖男であったが今度は思いがけない人物が靖男の背後を取る。
 
「・・あの噂、どういうこと?」
 
「ゲッ!! 相良の次はよりにもよってお前かよ・・」
 
一難去ってまた一難、靖男の前に現れたのは他ならぬ瑞樹であった。瑞樹自身も何故今更靖男の目の前に現れたのかはよく分からないがあの噂で実際困っているのは靖男よりも瑞樹なのでこのまま放っておけば業務に支障が出るのは仕事優先の彼女にしてみれば早いところ断ち切っておきたいのだ。
 
「あなた・・私たちのこと誰かに話したの?」
 
「んなことするかよ。誰がガキ相手に自分の過去語るかっての、これでも列記とした社会人です」
 
「・・・」
 
静かに睨む瑞樹に靖男もたじたじである、そんな中で2時間目終了のチャイムが響くとお互いに授業のために静かに屋上を後にするがそこで瑞樹は静かに呟く。
 
「後で・・話があるわ」
 
「へいへい、どうせロリっ娘校長に残されるだろうから適当に待ってくれ」
 
「・・バカ」
 
そのまま黙って姿を消す瑞樹の姿を尻目に靖男は久々に彼女のやりにくさに内心苦笑してしまう、彼女とはそう短い付き合いではないのは他ならぬ靖男が一番熟知している、何せ“元彼女”なのだから・・
 
 
 
 
数年前
 
2人の関係は大学時代まで遡り、元は靖男の友人が先輩や自身の後輩まで話を広げて打ち立てたサークルから始まる。このサークルは元々単なるお遊びサークルだったのだが、いつしか人が増えるに増えて今ではこのしぃ大学でも有数の巨大サークルに君臨している。
 
そんなお遊びサークルなのだから合コンなどは当然あるのだが、当時大学2年生の靖男はある事情からかそういったことにはあまり興味がなく控えめな青年であった。
 
「おいおい、靖男しっかりしてくれよ。お前卓球やめてから随分変わったぞ?」
 
「・・まぁな。さっさと単位のためにcivとHolしなければならんのだ」
 
「どうせ大学のパソコンだろ? 例のあの教授に付き合うのも良いけど、今のお前は大事なイケメン枠なんだから頼むぜ」
 
そういって友人は靖男の肩を叩くが、当の靖男はあまり乗る気ではないようだ。そもそもこのサークルだって友人の頼みで数合わせ程度にしか入っていないのであまり関心がない。というより靖男にとって大学は将来のための学歴が欲しいので通っているだけ、人付き合いも高校時代の友人や大学で出来た知り合いなどと広く浅い付き合いで接している。
 
「昔からの趣味だからな。歴史ゲーは俺の主成分だ」
 
「頼むからネタは程々にしてくれよ。今日は美人揃いで有名な手芸サークルとの合コンだからな」
 
しぃ大学の手芸サークルは規模は小さいながらも美人揃いで有名なサークルで今回の合コンもそれが肝であるが靖男にしてみればどれも対象外だ。しかし友人の手前もあるのでここはさっさと友人をアシストしながら適当に切り上げたほうが妥当だろう、自分はそういった恋愛感情などもう必要はないのだから。
 
「わかったわかった。とりあえず俺がアシストしてやるから」
 
「本当か! さすが高校時代の友人だ」
 
意気揚々とする友人に靖男は小さな溜息をつくと会場である居酒屋へと入って予約していた席へと着く、どうやら男性陣は自分と友人で最後のようだ。他にも面子はチラホラといるがどれも初対面ばかりお互いに簡単な自己紹介を済ませると同時に目当てである手芸サークルが誇る美女達が続々とやってくる。歓喜している周囲に合わせて靖男も適当に盛り上がってみせる、彼にしてみればこの合コンなど周りをある程度ヨイショするだけでいいのだから・・
 
 
 
 
数時間後
 
 
お互いにお酒が入って合コンもある程度の盛り上がりを見せており、それぞれ男女共に気になる相手を見定めながらアプローチの応酬を繰り広げている。靖男も周りへのアシストをしつつ自分へのアプローチは適当にやり過ごしながら酒を進めると1人の女性が話しかける。
 
「・・ねぇ、楽しい?」
 
「何言ってるんだ、見てわからないのか?」
 
これが2人の出会いで最初の会話、靖男は無表情に疑問を話しかけた女性に只ならぬ不気味さを感じつつもいつものように適当にはぐらかす。
 
「おいおい、折角の合コンだからもう少し楽しもうぜ?」
 
「私は数合わせだから・・」
 
「あっそ」
 
ここまでストレートに言われると靖男もたじたじだ、しかし場の雰囲気を乱すわけにもいかないのでやんわりと話の相手をしながら時間を潰していく。
 
「へー、大学4年か・・だったら俺の先輩だな。あんた名前は?」
 
「橘・・橘 瑞樹」
 
そのまま瑞樹は表情一つ変えずに酒を飲み干す、しかし成りは確かに美人ではあるのだが表情を一つ変えないもの勿体無い気もしてしまうので瑞樹との話を進める所詮は場を取り持つための行為なので大した意味はない、それに話す相手も瑞樹しかいないので時間を潰すには丁度良いだろう。
 
「橘先輩は学部は何を専攻してるんだ?」
 
「教育学部。将来的にも教師が安定しそうだし女体化しているから採用も高い」
 
「へー、あんた女体化してるのか?」
 
靖男にとって女体化は良くも悪くも思い出がかなりある、しかし負の面が強いのであまり思い出したくはないのですぐに話を切り替える。
 
「男と付き合ったことは?」
 
「ない」
 
「友人は?」
 
「いる。・・でもあなたと一緒」
 
この瑞樹の言葉に靖男はどこか引っ掛かりを覚えるのと同時にヒヤリとした不気味さを感じてしまう、まるで自分の心境を見透かされているような感覚だ。
 
「・・私は現実を見据えるだけ、それはこれからも変わりはしないと思うわ」
 
「えらく自分を過小評価してるんだな、周りみたいに歳相応に遊べば良いと思うぜ」
 
「あなたには言われたくないわ。周りは気がつかないと思うけど雰囲気でまるわかりよ」
 
思わず靖男は押し黙ってしまう、自分が言えば言うほど彼女に抉られているような気がして堪らないのだ・・そんなこんなで周りが盛り上がっている中で主催者である友人が二次会の提案をしてくる。
 
「んじゃ、二次会はカラオケで!! 靖男はどうするべ?」
 
「あ、ああ・・俺は明日バイトがあるから抜けるよ。悪いな」
 
「・・私も抜けます。早くにテストと講義がありますから」
 
靖男に同調して瑞樹もこの場から抜け出すようだ、それに主催者の友人は狙っている娘がいるし酒も入っているので2人の間には詮索はしない。
 
「んじゃ、俺達はタクシーで移動するから。ここまでの支払いはしているから後はご自由に・・んじゃ、みんなタクシー止めてるから行くぞ!!!」
 
「「「「「「「「オオオッ―――!!!!!!」」」」」」」」
 
靖男と瑞樹を残して集団は足しげく店から立ち去っていく、残された靖男は少し落ち着くと改めて自身の空腹に気付く合コンでは周囲をプッシュすることに夢中だったので満足にご飯を食べる暇すらなかったのだ。
 
「すんませーん、一般の席空いてますか?」
 
「ええ、空いてますよ。こちらへどうぞ」
 
「んじゃ、俺は改めて飯食うから・・」
 
「私も一緒じゃダメかしら? おなか減ったし」
 
「あ・・そう。好きにすりゃいいんじゃね?」
 
そのまま2人は店員の案内でこじんまりした一般用の席に着くと改めて酒と食事を頼むと改めて寛ぐ、靖男はそのまま瑞樹の顔色を窺うと少し顔を崩しているのに目がつく。
 
「・・何?」
 
「いや、橘先輩も疲れてたんだなっと・・」
 
「まぁ、嘘じゃないわ。女体化して大学へ入ったけど毎日こういったことの連続・・周りの顔色ばかり窺ってたら嫌でも疲れる」
 
「社会に出てからそれは続くぜ。っと来た来た」
 
店員が酒を持ってくると靖男はいつもの十八番である芋焼酎のロックを一口啜る、さっきまでは周囲の雰囲気に合わせてビールで通していたのできつい酒で気を間際らしたかったのだ、瑞樹には白ワインが置かれておりお互いに乾杯しながらお酒を飲みまくる。
 
「先輩はワインか。てっきりさっきのようにチューハイか梅酒かと思ったぜ」
 
「あなたこそ芋のロックなんて頼んでなかったでしょ? それと同じ理由よ」
 
「へいへい、俺が悪るーございました!!」
 
そのまま焼酎を一気に飲み干した靖男は構わずに次の焼酎を頼み料理を口に運んでいく、瑞樹も同じように靖男と同じペースで酒を飲み続けて食事に手をつける。ただ食べて飲みまくる2人だったがチラリチラリとだが会話も見え始めており、話はお互いの高校の話題のようだ。
 
「へー、先輩は白羽根学園なんだ。あそこ頭良いはずだろ?」
 
「大学が近かったから・・それに私にしてみれば教育学部さえあればそれでいいし」
 
白羽根学園は最近名を馳せている高校で大手の大学の合格者を有数出していることでも知られている名門校であり、それに最近はとても個性的な校長が赴任したと言う噂もある。
 
「白羽根学園って個性的な校長が入ってきたみたいだな」
 
「それは私が卒業してからの話。今はどうなのかは知らないわ」
 
どうやら彼女にとって高校はあまり愛着が少ないようである、そのまま器用に話の主導権を靖男は握っていくのだが瑞樹もワイン片手にタダでは転ばない。
 
「そういえばあなたの高校時代はどうだったの?」
 
「何って・・先輩と同じさ。普通で何の変哲もない高校生活だったよ」
 
少しばかり視線を外して靖男は再び焼酎を一気に飲み干す、そのまま適当に虚実を織り交ぜながら怪しまれない程度に自分の過去を語っていくが、瑞樹の視線はそんな自分の心境を射抜いているようでやりづらいのだ。
 
「ま、俺の高校時代なんてそんなもんだ。さて飲んで腹も一杯になったろ」
 
「・・まぁね。それじゃ支払いは」
 
「俺が持つよ。一応姉ちゃんに“女にケツを持たすな”って言われてるんでね、また学校であったらよろしくな橘先輩」
 
「ちょ、ちょっと・・」
 
そのまま靖男は瑞樹の制止を振り払ってそそくさと会計を済ませて店を出て行く、まともに人に奢られたことのない瑞樹はとりあえずお礼を言おうと慌てて靖男の後を追いかけて必死に引き止めようとするが靖男の姿はどこにもなかった。
 
 
 
 
合コンから翌日、靖男は持ち前の若さのお陰かいつものように大学へ向かうと友人達と講義を受けてノートの交換を繰り返していた。大学においては高校時代と違って人とのコミュニケーションが何よりも重要となるので伝は出来るだけ広げておくのが得策だ、幸いにも靖男は人付き合いの心得方をそれなりに熟知しているし苦手なほうではないのでギリギリながらも単位を修得し続けていた。
 
そして友人達の談笑が終わると同じ廃人ゲーマーであった教授の研究室へと向かっていつものように大好きな歴史ゲームをするといった自堕落な毎日を送る、何となく取ったライフセーバーの資格もあってか夏の日にはバイトでかなり稼いでいるので金銭的には不自由はしないそれに実家暮らしなので比較的に悠々自適な生活ぶりである。
 
「よしっ! 偉人ファームを焼き払った!!」
 
「ぐぬぬぬ・・まだまだ、スパイを潜伏させて」
 
「うわっ!! 何しやがる!!!」
 
どうやらマルチプレイで一進一退の攻防を繰り広げているようだ。
 
「相互結んで何でスパイ使いやがる!! 大商人じゃないのかよ!!!」
 
「ヌフフフ。これでインドに嗾けさせれば・・」
 
「あっ! コラ・・ゲッ、降伏だ」
 
どうやら今の攻防で決定的な決着がついたようだ、ちなみに靖男は未だにマルチプレイではこの教授には勝てたことは一度もなく無事に生き残ったとしても大差で負けてしまうのだ。
 
「クソッ!! シングル競争ではようやく勝ったのに」
 
「マルチとシングルではテクニックが違うのだよ。それじゃ課題として宇宙勝利についてのレポートを上げろよ、環境は群島で難易度はもちろん天帝でな。無事に提出できたら他の教授たちに単位を確保するようにしてやる」
 
「おいおい、天帝でしかも群島マップの宇宙勝利かよ!! 全く大学ではお偉い教授が重度の廃人プレイヤーと知ったらみんな驚くぜ」
 
「まぁ、それでお前の単位確保しているようなもんだろ。次はオブリでもやらんか? 勿論プレイのレポートは提出させるが単位は保障してやるよ」
 
「へいへい、オブリでも何でも付き合ってやるよ。Holでもやるかな・・」
 
そのまま靖男はcivを閉じると今度はHolを起動させる、本来なら大学のパソコンでゲーム三昧などは言語道断であるがこの教授はしぃ大学の中でも学長に可愛がられているかなり有名な教授なのでもし指摘してもすぐに握りつぶされるのがオチだ。そのまま靖男はゲームを続けるが昨日の瑞樹のことを何となく思い出してしまう、あれから酔いはある程度冷めたものの未だにあの彼女の視線が強烈過ぎて忘れようにも忘れられない。
 
(全く、あの視線はもう二度と浴びたくないな)
 
「よし! 今日も圧倒的勝利!! カノン砲が吼える!! ・・ん、何かようかい?」
 
「何言ってるんだ・・――ってお前は!!」
 
教授の実験室の前にはなんと瑞樹が突っ立っていた、教授は電光石火の勢いでパソコンの電源を落とすといつものような口調で来客者を歓迎する。
 
「お嬢さんがこんなみみすぼらしい研究室に何のようだい? 実験ならば他の所でやっているよ」
 
「・・いえ、私は骨皮君に用事がありますので」
 
そのまま瑞樹は軽く会釈をしながらゲーム真っ只中の靖男にある封筒を差し出す。
 
「これ・・昨日の代金」
 
「別にいらねぇよ。昨日は俺の奢りっていったろ?」
 
律儀が良いと言うかなんと言うか・・態々自分を訪ねてまで何かと思えば昨日のお礼とは瑞樹の行動力には少しばかり頭が下がってしまう思いだ。
 
「でも・・」
 
「あのなぁ、そんなことに使うんだったらもう少し服と買ったらどうだ? 折角綺麗な顔で女体化したんだから目一杯オシャレしろよ」
 
「・・・」
 
靖男の言葉に思わず瑞樹は顔をしからめてしまう、ちなみに教授は空気を読んでかいつの間にかどこかへと消え去ってしまっている。といっても瑞樹は女体化してからも最低限はオシャレしているもののまだまだ歳相応ではないようだ。
 
「わかったならさっさと行け、俺は忙しいんだから・・」
 
「・・ねぇ、私がオシャレしたらどうなると思う?」
 
「何を訳のわからないことを・・そりゃ綺麗になるに決まってるだろ。俺が保障する!!」
 
「だったら・・証明して見せて」
 
「はぁ――?」
 
呆れながら上の空の靖男とは対照的に瑞樹は珍しく真剣そのもの、出会って1日足らずの人間にそこまで言うものは摩訶不思議レベルだ。
 
「お前な、聞きたいことは山ほどあるが・・俺じゃなくても良いだろ、それにオシャレものは自分で努力をすれば自然と男は寄って来る」
 
「・・だったら教えて、そういったのは誰かに教えてもらったほうが早いでしょ?」
 
「わかったわかった、付き合ってやるよ。ただ日本を攻略してからな」
 
瑞樹の視線に屈してしまった靖男はオシャレ計画に付き合うこととなる。
 
 
 
 
数時間後・居酒屋
 
そのまま靖男はゲームを適当に切り上げると瑞樹の服選びに付き合いつつ適当に何着か服を見繕ってやる。昨日の居酒屋で夕食を食べる。
 
「こんなもんでいいんじゃないか? 後は自分で選べよ、先輩。人任せな国王はいずれ滅びるからな」
 
「今日はありがとう」
 
そのままお互いに料理をつつきながら酒を進める、傍から見れば完璧にデートの閉めである。
 
「ねぇ、なんでそんなに冷めてるの?」
 
「何言ってるんだよ。楽しかったのは先輩だけで俺は別に普通だ」
 
靖男にしてみればただ瑞樹の買い物に付き合ってやっただけで何ら考えることすらない、しかし美人揃いで名高いあの手芸サークルの一員と実質なデートが出来たのだから一つの勲章といっても良いのだろうが・・それにしても瑞樹の言葉は自分の奥底に突き刺さるような感覚を覚えるが不思議と嫌な感じはしない。
 
「あのな、人には色々あるんだ。先輩だって結構楽しんでいたように見えたぞ」
 
「ええ、有意義だったわ。・・明日も良いかしら?」
 
「おいおい、それは俺じゃなくて他の奴に言ってやったらどうだ? きっと喜ぶと思うぞ」
 
「・・あなたがいい」
 
「へ?」
 
そのまま瑞樹は残った赤ワインを一気に飲み干すとたじろぐ靖男を尻目にそのまま追加の注文をとるとそのまま再び料理に箸をつける。
 
「私は・・あなたのような人が喜ぶなら姿を見たい」
 
「先輩、酔ってるのか?」
 
「酔っていない、いたって真面目・・」
 
といっても顔を赤らめていたら説得力も欠片もない、靖男は少し溜息をつきながらいつものように適当に聞き流すとそのまま黙ってワインを頼んで瑞樹に差し出す。
 
「聞かなかったことにしてやるからもっと飲め、それぐらいならいくでも付き合ってやる」
 
「・・・」
 
差し出された白ワインを瑞樹は黙って視線を見据える、その光景がたまらなく不気味に思える靖男であったが適当に飲ませておけば時期に止むだろう。それに自分は異性と恋愛するつもりなど毛頭ない、瑞樹に適当に合わせてやって頃合を見計らったらタクシーなり何なり呼んでそのまま黙って引き返せば良いのだ。
 
「どうした? 明智光秀みたいに刀は飲まなくて良いんだぞ、そんなに後輩の酒が飲めないのか?」
 
「・・刀は無理だけど酒は飲むわ。ついでにあなたの焼酎も貸して」
 
そのまま瑞樹はなんと靖男の焼酎を奪うとワインと混ぜ合わせて一気に飲み干す、とんでもない瑞樹の行動には流石の靖男も驚きの色を隠せない・・何せワインと自分の焼酎はかなり強いお酒なので混ぜて一気飲みしてしまえば下手をしたら急性アルコール中毒であの世行きだ。
 
「おい!! おまえ何考えてるんだ!!!」
 
「これで・・貸し借りない・わ・・」
 
そのままくてんと倒れてしまう瑞樹に靖男は焦るに焦ってしまう、まさかここで置き去りにしてしまえば自分は社会的に抹殺されるだろう。
 
「おい、聞こえるか!!」
 
「・・」
 
「チッ、仕方ない。戦術的撤退だ」
 
そのまま靖男は速攻で会計を済ませると重たい荷物と瑞樹を抱えるとタクシーで住んでいる実家へと向かう、幸いにも時間は夜遅く・・親は葬式でいないし姉も自分と同じようにどこかへ行方をくらませているので今日のところは大丈夫だろう、そのまま自宅に着いた靖男は瑞樹を自室に抱え込んでベッドに寝かしつける。
 
「・・・」
 
「全く、とんだ先輩だぜ。まぁ・・色々考えても仕方ない、俺も寝るか」
 
そのまま靖男も静かに寝静まる、と言ってもベッドは瑞樹に占領されているので仕方なくソファーで眠るのであった。
 
 
 
 
翌日
 
見知らぬ匂い――・・そして同時にくる2日酔い特有の痛みと身体のほてりが動く感覚をなくしてしまう、ふと視線を別のほうに移すとソファで眠っている靖男の姿が目に付く・・どうやら倒れた自分を靖男が運んでくれたらしい、昨日買った服もご丁寧に置いてくれている。
 
(・・・)
 
靖男の寝息が静かに響く中で瑞樹も何とか立ち上がろうとするのだが身体が中々言うことを聞かない、どうやら昨日は相当飲んだのだろう相当酷い2日酔いだ。
 
「んぁぁ・・」
 
(寝言ね。・・でもこんなに綺麗な寝顔も初めてね)
 
女体化してから初めて意識する異性に瑞樹は心なしかちょっとした興奮を覚えてしまう、残る力を全て振り絞って眠っている靖男に近づいてそっと顔を撫でる。
 
(・・)
 
「んあ・・――って!! 何やってるんだ、先輩!!」
 
思わぬ肌の感触によって目が覚めた靖男は目の前に瑞樹がいるという変な状況に完全に目が覚めてしまう、こんな起こされ方をされたのは初めてというのもあるが突拍子もなさ過ぎる。
 
「起こした?」
 
「そんな心臓の悪いすまし顔で見つめるな。・・んで大丈夫なのか?」
 
「・・頭が痛い」
 
「白ワインに芋のロック混ぜて一気飲みするほうがおかしいだろ、2日酔いで済んだのが奇跡だぞ。あれじゃ呂布でも死ぬ」
 
再び頭を抱える瑞樹に靖男は少し呆れながらも自分がいつも使っている2日酔いの薬を差し出す、あれだけの酒を飲んでいながらこの程度で済むとは瑞樹の底知れぬ強さに感心もしてしまう。
 
「それやるからさっさと家に帰れ、4年なんだから余裕なんだろ?」
 
「・・あなたは?」
 
「俺か? 悪かったな、どうせ履修ギリギリですよ。廃人教授のお陰で無駄な外交知識がついてるんだよ!!」
 
なにやら意味不明なことを言いはじめる靖男に瑞樹は少し口を閉ざすものの微笑しながらクスクスと笑う。
 
「面白い人ね。・・また付き合ってもらえるかしら?」
 
「へいへい、もう満足するまで好きにしろ」
 
これが2人の関係を関係を結びつける出来事、この出来事を経緯に瑞樹は度々靖男を連れ出してすようになる。
 
 
 
あれから2人は先輩後輩の関係からいつしか恋人の関係にへとランクアップしていく、無表情であった瑞樹は徐々に靖男の前だけでは少しずつではあるが表情を開いていくのだが靖男に関してはいつも通り・・というよりも出会った頃と全く変わらない、瑞樹にしてみれば靖男の態度には諦め半分もどかしさ半分と言ったところである。
 
「ねぇ、そろそろ進路はどうするつもりなの?」
 
「んぁ? まだ俺2年だし・・先輩は実習済ませて教員の免許取れそうなんだろ? っと、これで文化勝利。単位が掛かってるんだ、これでマルチであの教授を倒してやる!!」
 
「呆れた」
 
いつものように1人暮らしである瑞樹の部屋に転がり込んで靖男は自前のノートパソコンでゲームをする、どうやらあの教授とは単位を掛けて必死に腕を磨いているようである。
 
「2年でも就活に向けてやっている人はやっているわ。あなたも早めに手を打ったほうが良いんじゃないの?」
 
「野望シリーズや無双を控えている俺にそんな暇ありません!! ま、今は将来よりも留年しないためにも単位だ単位!!」
 
靖男にしてみれば自分の将来よりも目先の単位が優先されるので将来についてはまだ具体的には考えてはいない、下手をすれば瑞樹に養われるヒモのような将来へ真っ只中と言っても過言ではないが一応本人は勤労の意志はあるようで一通りのバイトで何とか遊ぶ金を稼いでいるようでる。
 
「ま、先輩と違って俺はゴールドラッシュに夢を持つのさ」
 
「・・あなた、絶対に結婚には不向きね。色んな意味で」
 
靖男と付き合ってそれなりの月日が経つが未だにセックスはしていない、瑞樹が勇気を振り絞って誘っても靖男自身があらゆる手段を講じて拒否してしまうのだ。だから良くても泊って添い寝程度・・一度は自分の女体化が原因かと思いつめたことも会ったが靖男の態度を見ているとそれはどうも違っているような気がする。
 
「俺は多分結婚なんてしないんじゃないのかな? ゲームしたりパソコン自作するほうが楽しいし」
 
「一応あなたの彼女よ私」
 
自分を拒否はしてはいないもののどこか遠ざけているようなこの感じ、最初は少なからず抵抗はしていたのだがいつしか折れてしまったのは何故だろう? 自分はこの自堕落だがどこか純粋な部分を見つめているのは間違いないのだが彼は一帯何を見ているのかは未だに良くわからない。靖男が時折に見せる死んだような顔つきを見るたびに瑞樹はどこか靖男に対する感情を強くさせてしまう、近づくたびに離れられなくなる自分が変に思う。
 
「・・ねぇ、教師ってどう思う?」
 
「教師? あまり印象なかったな、卓球部のときは口やかましかった記憶しかない」
 
「そう・・私が教師になったらあなたはどう思う?」
 
瑞樹の一問一答に靖男は少し言葉を詰まらせるも即座にこう答える。
 
「地味じゃないのか? 前に比べればオシャレもして綺麗になったが、先輩って明るいキャラじゃないしな。例え部活の顧問したって変わりはないだろ、俺が生徒なら遠い目で見ている」
 
「酷い言い草ね。もう少しお世辞はないの?」
 
「質問したのはそっちだろ。教師なら1人で暮らしていれば食いっぱぐれもないし、ガキ相手にマジになる必要もないだろ。教育実習でなんかやらかしたのか?」
 
「バカ・・もういいわ」
 
そのまま瑞樹は書きかけの論文を作成する、パソコンの音か静かに流れる。
 
「パソコンの調子がおかしい、見てほしいんだけど?」
 
「ちょっとマルチで立て込んでるんだ。あの廃人教授め、今度こそ今までの鉄槌を食らわしてやる!!!!」
 
どうやら完全にゲームに熱が入っている靖男は瑞樹の言葉は既に聞こえていない、どうやら例の教授と対戦をしているようで状況は白熱しているようだ。
 
「よし、奴は軍を消耗させている。マスケで消耗させて・・取った!! ここでこいつを嗾けてターン終了・・って、文化ボムか、相互が切れてるし次で産業主義が開発される予定だから戦車を開発して教授を嗾けてカウンターでいくか」
 
「・・・」
 
こうなれば靖男は止まらないのを瑞樹はよく知っているので余計な口を挟まずに適当に部屋の周りを掃除したり雑誌を読みながら時間を潰していく、そして数時間後・・がっくりとうなだれた靖男が恨み言のように負け惜しみを呟く。
 
「クソッ! 海上戦に気を取られている隙に核をぶっ放してくるとか・・日に日に進化しているなあの廃人教授」
 
「・・終わった?」
 
「ああ、終わったよ・・単位逃した。んで何の用?」
 
「パソコン・・見てほしいんだけど」
 
そのまま瑞樹のノートパソコンをいじりながら靖男はちょくちょく動作を確認する、常にパソコンと触れ合っている靖男にしてみればこれまで培った経験があるので然程のことがない限りは驚きはしないので物の数分で瑞樹のパソコンを復元させる。
 
「ほれ」
 
「・・ありがとう」
 
「ちょっとハードも見たが、そろそろ寿命だな。フィンや部品周りの反応も遅いし、機種も古いからメーカーも部品も作ってはないだろうよ」
 
「どうすればいいの? パソコンはあまり使わないからよくわからない」
 
「寿命は寿命だからな。俺の前に作ったパソコンでよかったらやるよ、基本的なOSは揃っているからそのパソコンよりは長持ちするのは保障する」
 
よりよく効率的にゲームをするためにも靖男にとってパソコンは重要なアイテムでゲーム目的で始めたパソコンいじりも今や趣味の領域を超えて様々な試行錯誤の末に自作でPCを作るまでの腕前に到達している。しかし処分に困るので適当な知り合いに売りつけて収入源になっているので趣味と実益を兼ねたちょっとした副業だ。
 
「タダで貰っていいの?」
 
「別に良いよ、俺も使ってないし余ものだしな。先輩のために力を貸すさ、天帝で技術を無償提供するようにな」
 
(・・彼女とは言わないのね)
 
「ん、どうした? パソコンなら明日持って接続してやるから我慢しろ」
 
「別に・・何でもないわ」
 
少しばかりの寂しさを感じながらも瑞樹は変わらぬ微笑で論文の作成を続ける、幸せとはいえないがそれなりのカップルをしていた2人にもある転機が訪れる。
 
 
 
 
2週間後、約束どおり靖男は自作パソコンを瑞樹の部屋に持ってくると手馴れた手つきで線を繋げるとインターネットを接続する。あまりの手腕に瑞樹はただただ感心してしまうばかり、自分では満足にパソコンを起動させるぐらいしかできないので未知の世界である。
 
「よし、必要なソフトはインストールしたからこんなもので良いだろう」
 
「・・ありがとう、ご飯作ってるから待ってて」
 
「おおっ、丁度腹減ったから食うか」
 
そのまま瑞樹は作っておいたご飯をテーブルに並べる、靖男も瑞樹で驚かされたと言えばこの料理の腕。何せ靖男は美人は相対して料理がダメと言うワンパターンなイメージしかなかったので最初見たときは驚いたものである。ま、そのときの瑞樹は別に声も荒げることもなく無表情で淡々と食べていたぐらいであるがどこか箸のスピードが遅かったような気もする。
 
「おいしい?」
 
「ああ、美味いよ」
 
そのまま瑞樹の料理を食べながら2人はそれなりに会話をしながら食事を進めていくのだが、靖男はあまり自分の話をしたがらないので瑞樹にしてみればもう少し話して欲しいものだ、絶対に口にすることはないが・・
 
「しかし先輩は誰に料理習ったんだ?」
 
「・・弟」
 
「マジかよ」
 
瑞樹の身内には歳の離れた弟がいるらしく勉強や家事も何でも出来るという若年ながらも結構凄い人であり、瑞樹が女体化した際も色々と便乗を図ってくれてサポートをしてくれており将来のためにと家事などを教えてくれたのだ。靖男も瑞樹からは度々弟のことを聞かされているので自分との境遇を考えてしまう、自分は姉がそういったところはからっきしであるので必然的に家事を身につけてしまったのだ。
 
「俺にも姉ちゃんがいるが、料理なんて教えたことすらないぞ」
 
「そうなの? ・・でも彼はもうこの世にはいないわ、あなたと会う前に病気でぽっくりと逝ってしまったわ」
 
「お、おいおい・・」
 
流石に二の句も告げないとはまさにこのこと、今まで瑞樹からの口ぶりから判断するに実際どんな人物だったのかと勝手に予想していた靖男であるがまさか故人だったとは予想外にも甚だしいものである。
 
「何さっきから黙っているの?」
 
「そりゃいきなりあんなこと言われたら誰だって押し黙るっての。アレだよ、“前を向いて生きてきなさいっ!!”的なことを言いたくなる」
 
しかし靖男を自然と弟とダブらせてしまう自分に瑞樹は内心苦笑してしまう、それだけ性格が似ているのもあるが弟の死にしっかりと向き合っていると言い張りながら自然と逃げている自分に苦笑する。
 
 
「心配ないわ。多分ね・・」
 
(本当に訳の分からん人を彼女にしたもんだ)
 
思わぬ衝撃告白に靖男であるが成り行きとはいっても瑞樹と付き合っている自分をどこか嫌悪してしまう、それにしても瑞樹に関しては自分のわがままとはいえカップルらしいことを何ら一つもしていない自分によくここまで付き合っていられるもんだと思う、自分が瑞樹と同じ立場なら愛想を尽かして浮気して別れている。
 
「なぁ、先輩。どうして俺の彼女になったんだ?」
 
「・・あなたが好きだから、少なくとも私は今に満足はしている」
 
「あ、そう・・」
 
といっても靖男と付き合うようになってから瑞樹は本当に変わった。最初は慣れない手つきであったが徐々にオシャレというものに目覚めて今では人並み以上のファッションセンスを磨いているし化粧もバリエーション豊かになって出会った頃以上に女として魅力的になっているのだが対する靖男の対応はいつもと一緒・・不満や文句を言うことはないが必要以上に褒めてもくれない、瑞樹にしてみれば嬉しくもあるが同時に寂しいものだ。
 
それに靖男も態度は相変わらずなものの特長的であった死に掛けの顔つきはすっかり鳴りを潜めているものの、心なしか視線をどこか遠くを見据えている・・まるで自分以外の誰かを常に見届けているようだし、どこか自分を必要以上に遠ざけているようにも取れる。相変わらずデートには応じてはくれるもののそれ以外の自分への接触は完全に絶っているし、どこか自分を縛り付けて前すら見ているかも怪しいところ。確かに自分も弟が死んでから今までのように前には進みづらくなったものの靖男と付き合うようになってからはゆっくりではあるが将来を見据えることも出来るようになってきたし前に進んで着ていると思う。
 
しかし靖男は完全に自分の歩みを止めているように瑞樹は思う、靖男がいなければまた以前のように淡々とした色褪せた視線でしか物事を見れなくなってしまうのは嫌だ。
 
「ねぇ、あなたはどうして私と付き合ってるの?」
 
「どうしてって言われてもな・・普通に成り行きで付き合ってたら自然とこうなったっとぐらいしか言えないな。変な意味でじゃないぞ?」
 
「・・ねぇ、セックスはこの際多めに見るわ。キス程度もあなたの中ではダメなぐらい潔癖なの?」
 
「女の子がそんなふしだらな単語を口にするんじゃありません!!」
 
靖男の突っ込みはともかくとして・・瑞樹も今の現状としてはこの関係に何かしらの進展は欲しいところ、あれから靖男は友人のサークルにはある程度は顔を出しているものの遊び歩いてはいないので浮気の心配はないが、今までに自分に一切手を出してこなかった経緯を思い出すとそれが却って不気味なところで時々自分には女性としての魅力がないものだと考え込んだこともある。今までは何となく我慢できたもののこれから割き靖男と付き合うことを考えてみればこの関係に耐え切れる自信はない。
 
 
「ねぇ、どうなの? ・・今までは聞くのを控えたわ、けどこの状態をこれから続けるのは辛い」
 
「あのなぁ先輩、今は恋愛もグローバルなんだ。俺は武士タイプなの、元服したからといっても操は守り続けるの」
 
普段ならばここで諦めて折れるのだが今回の瑞樹は決して退かない、やっと勇気を振り絞って言葉にしたのだからそれ相応の事を聞かないと自分が納得しない。
 
「私はそんなに相応しい相手じゃないの? ・・いつも傍にいるのにあなたが遠く感じる、それだけが聞きたい」
 
「・・悪いが俺はそういった関係は好きじゃないんだ、これ以上言い続けるなら」
 
「抱いて、これ以上は我慢できないわ」
 
「おいおい、何もキスやセックスだけが形じゃないんだぞ。それに軽々しく・・」
 
「軽々しくないし、真剣よ。・・お願い、これ以上私を遠ざけないで」
 
「・・・」
 
思わぬ瑞樹の行動に流石の靖男は押し黙ってしまう、今までとは一味違う瑞樹には唖然としてしまうばかりである。
 
「あのなぁ、先輩は確かに俺の彼女なのは認める。だけど俺は」
 
「言葉はもう嫌よ、ちゃんとした証を見せて」
 
(女って奴はなんでこうも難しいのかね・・特に女体化した奴に限ってよ)
 
靖男は少しばかり目を瞑ると少しばかり心を整理するが、あの時の自分をタブらせると決死の末に自分に課した“覚悟”が踏み躙られることになる。あの悲しくも悲惨で愚かな自分をいつまでも痛めつけるためにもあの覚悟は無駄にはしないし、裏切りたくはない・・何せ自分は人1人の人生を完全に台無しにしてしまった人間だ、殺されたところで文句は言えないのでそれを甘んじて受けれるための覚悟なのだ。いくら時代が流れて歳を重ね続けていてもこの想いは決して変わることはないし、復讐の末に殺されるまでは惨めに生きるだけでいいので前に進む必要もないし誰かの背中を見据えるだけで良いのだ。
 
(俺は・・生きているだけでもおかしい人間だしな)
 
「・・私はね、あなたと出会えて本当に良かったと思うわ。彼が死んでから今まで霧の様にぼやけていた未来があなたと付き合うようになってから少しずつだったけどハッキリしてきてるの。結果的には私は誰かに依存しなきゃ生きていけないような人間だけどそれでも前に進めてるのよ」
 
「俺は人を良い方向に導けられる大層な人間じゃない、それは先輩が現実を見て前を見据えて向き合った結果だ。俺の力ではない」
 
「いいえ、あなたは自分では気がついてないでしょうけど・・誰よりも優しい人よ。だから私みたいに寄り添いたくなるの、もっと甘えさせて・・」
 
徐々にではあるが瑞樹は積極的に靖男との距離を縮める。たった一つの我が儘のためだけであるが、それだけ身体は正直に反応しているのだ。
 
「ほんの僅かな時間だけでいいわ・・私だけに意識して欲しい。お願い・・」
 
「お、おいッ!! 馬鹿な真似はよs―――・・」
 
想わぬキス、そこから2人がどうなったのかは言うまでもないが・・2人の関係に引き金を引いたのは瑞樹であった。
 
 
 
翌日、珍しく昼過ぎに目が覚めた瑞樹であるが隣には靖男は既にいなくなっていた。しかし昨日の甘美な感触はまだ残っている・・このまま2人の関係に弾みがついたと想っていた瑞樹であるが1本の電話によって無残にもほんの小さな想いは砕かれる。
 
「もしもし・・」
 
"あ~、先輩か? 話したいことがあったんだが、大学にいなかったんでな”
 
「あなたのお陰でよく眠れたわ。・・それで何の用事?」
 
心なしか言葉が踊っている瑞樹であるが、靖男からは瑞樹の想いとは正反対の言葉を伝えられる。
 
“あのさ先輩。・・突然で悪いんだけどさ、俺たち別れよう”
 
「え――・・」
 
靖男からは予想外にも甚だしい衝撃の言葉・・意図が全く見えず、呆然と突っ立ってしまう瑞樹にいつもの声が響く。
 
“あれから色々と考えたんだけどさ。・・やっぱり俺は人と付き合う才能ないわ、このままだとお互いに関係に溺れていいことなさそうだし”
 
「なん・・で・・」
 
“そりゃ、先輩は魅力的だから俺には勿体無いさ”
 
はっきりいって理由にすらならない、もう少し明確な理由が欲しい・・というか瑞樹にしてみれば別れる理由などこれっぽっちも思い当たる節すらない。昨日だって自分が無理に事を運んだものの、お互いの合意があってのセックスだったとしか考えられない。
 
“俺達は恋人じゃなくて普通が一番なんだよ、悪いな”
 
「私は今でもあなたが好きよ。・・お願い、考え直す気はないの?」
 
“・・ああ、俺はある人間の人生をぶち壊して台無しにしてしまった幸せになっちゃいけない人間だからな。先輩も俺よりもいい人見つけろよ、んじゃな!!”
 
「ちょっと――・・切れちゃった」
 
強引に切られた電話、無常にも鳴り響く中で瑞樹は声を殺して泣き続けた。こうして2人の関係はあっけなく終わり、以後は瑞樹の心のしこりとなっていくのだった。
 
 
 
 
保健室
 
「んで、俺はどうすればいいの。春日先生?」
 
「知らないわよ。授業がないなら職員室へ行ったらどうなの、骨皮先生」
 
そして時は現代に戻って白羽根学園保健室、思わぬ珍客に礼子は頭を抱える。同僚の好と思って訪ねてきた靖男にコーヒーを差し出したのがそもそも間違っていたと今更後悔しても遅い、聖や翔はともかくとして靖男まで自分に愚痴をこぼされても困る。
 
「いいじゃねぇか! 中野や相良や月島に木村が相談してくるように担任である俺にも平等にしてくれ!!!」
 
「あのね、そういったことはちゃんと橘先生と話してちょうだい。もういい大人でしょ?」
 
2人の噂については礼子も人伝ではあるが一応把握はしている。ようやく薬の調整をし終えた矢先に思わぬ靖男の来訪だ、いくら授業がないからといって保健室よりも溜まっている書類を片付けに職員室へと向かったほうがいいと思う。
 
「コーヒー飲んだら職員室へ行ったらどうなの? 早く書類片付けないとまた校長先生にどやされるわよ」
 
「いいの、いいの! どうせいつものように上手いことやってくれるさ」
 
「・・校長先生には同情するわ」
 
靖男を見ていると霞の過労ぶりに同情してしまう、たかが書類1枚といえども期日に遅れてしまえば周囲には多大なる迷惑が掛かるのはわかりきっているのだが、靖男のようにギリギリに提出されるとただえさえ多忙である霞の仕事が余計に増える。あの瑞樹と同じ大学に出ているのが信じられないぐらいだ、彼女はそういった仕事もきちんとこなしているし過去に担任をしていた時も穴がなかったのを礼子は良く覚えている。
 
「それにあのロリっ娘校長はもう少し多めに見てくれたらいいんだよ。それに最近はあの音楽野郎がヘマするから・・って、どうした春日先生?」
 
「骨皮先生。少し言いづらいんだけど・・後ろ」
 
「えっ――」
 
「何、油売ってるのかしら骨皮先生。授業がないなら職員室で待機しなくて良いのかしら?」
 
靖男が後ろを振りかえると、仁王立ちしている霞の姿が嫌でも目に付く・・表情や雰囲気から察するにどうやら理事長にこってり絞られたようだ、だから声付きも自然と低くなる。
 
「骨皮先生、卓球部の合宿申請書! あれ書き直し、それと今月の副担任経過観察のレポートも骨皮先生だけが出てないわ、あれ今日までよ。もちろんやっているわよね・・」
 
「い、いや・・ちょっと休憩を」
 
「なに余裕ぶっこいてるのよ!!! さっさと書き上げないとまた理事長にどやされるのよ、一緒に理事長室に行きたくなかったらさっさと書き上げなさい、さっさと職員室に戻るわよ!!!」
 
「お、俺にもペースが・・うわああああぁぁぁ」
 
無理矢理霞に引き摺られて連行されながら靖男は保健室へと姿を消す、礼子は暫く呆然としながらも再び落ち着きを取り戻すといつものように周囲と換気を入念にチェックするとタバコを吸い始める。
 
「・・やっぱり、骨皮先生を入れるのはやめよう。毎度毎度校長が来られたら俺の身が持たねぇや」
 
「礼子先生、ちょいと腹の調子が悪いんだが・・」
 
「てめぇは・・んなもん、我慢すりゃ治るんだよ!! 薬やるからさっさと授業に戻れ!!!!」
 
(俺・・なんかしたのか?)
 
中野 翔・・まともな理由で保健室に来たのにとんだとばっちりである。
 
 
 
放課後
 
部活動をしている人間もちらほらと帰り始めている中で職員室では礼子がいつものように日誌をまとめて靖男は霞の監視下の元で溜まりに溜まった書類作成を恨み言を吐きながら必死に片付けていってた。
 
「まずいな・・今度はこの薬を申請しないといけないわね」
 
(チクショウ、あの音楽馬鹿!! 自分のレポートぐらい書きやがれ!!!)
 
靖男が手がけている副担任経過観察レポートとは本来担任が副担任の適正をまとめなければいけない重要な書類なので指導する靖男が書かなければ話しにならないのだが、それを副担任本人に書かせようとしたのだから呆れるより感心させられてしまう。
 
「校長先生、なんで合宿申請がやり直しなんですか? ちゃんと提出したのに不公平だと思います」
 
「あのね・・場所はいいけど宿が高級ホテルだったら1泊でも予算オーバーするに決まってるでしょ。それで散々理事長に怒られたんだから」
 
部活動の合宿については基本的に霞から提出されて理事長の承認を貰うことで初めて手配などが出来る、あくまでも生徒会では職員会議を経て決まった予算を元に動かして運営していくのでそういった手配などは主に教師が中心となって動かさなければならないのだ。
 
「すみません校長先生、日誌は出来ましたが今度はこの薬を申請したいんですけど」
 
「あらら・・もう少ないの?」
 
「ええ、体育祭が終わったのである程度はマシになったんですけど・・部活動が活発なんで薬の減りが激しいんですよ」
 
やはり部活動が活発なのがこの白羽根学園の特色の一つであるのだがそれ故に薬品の使用量も激しいので管理をしている礼子にしてみれば少しばかりの悩みである。
 
「弱ったわね、遅れている分とまとめて業者に持ってこさせるからもう少し我慢してね」
 
「わかりました。今ある分でカバーして見せます」
 
礼子にしてみればいざとなったら泰助の伝を借りれば当面は解決するだろう、病院の院長である彼は当然としてそういった製薬会社との伝もあるので少し口聞きはしてもらえるだろう。
 
 
「それじゃ、春日先生は上がっていいわよ。薬に関しては何とかして見せるわ、今日もお疲れさま」
 
「校長先生! 同僚なのにこの差はあんまりです」
 
「骨皮先生はさっさと出すもの出しなさい!!! ハァ・・この分だと遅くなりそうだから守衛さんに話をつけて置くわ。逃げるんじゃないわよ」
 
そのまま霞は溜息を吐きながらうな垂れて守衛に話をつけるために職員室を後にする、見た目は完全に小学生な彼女も中身は立派な大人なので度重なる過労で倒れてもおかしくはないだろう。
 
「・・さて私も帰るわ、後は頑張ってね骨皮先生」
 
「えっ・・ちょっとそれはひどくね? タバコでも買ってやるからさ」
 
今回も靖男の魂胆は礼子に何とか溜まっていた書類を手伝ってもらうことなので帰られると非常に困る、何よりも礼子は車出勤なので帰りを考えても非常に便が良いのだ。
 
「悪いけど校長先生に手伝ったの見つかったら私もどやされるから遠慮するわ。それじゃ、お疲れさま」
 
「NOOOOOOOOOOO・・・」
 
靖男の悲痛な叫びをバックに礼子は帰る仕度を整えるとそのまま職員室を後にする、毎度毎度いいように靖男の書類を手伝ってしまえば癖になるといけないので丁重に断っておく。そのまま職員室を後にした職員用の駐車場に止めてある自分の車へ向かう道中で礼子はジャージ姿の瑞樹と出くわす、どうやら顧問をしている陸上部の練習が終わったようでスプレー独特の匂いが礼子の鼻を刺激する。
 
「あっ、橘先生。お疲れ様です」
 
「お疲れ様です、そういえば今朝の薬の件ですけど・・進展はありましたか?」
 
「変わってないですね。橘先生はこれから帰りですか?」
 
「いえ、今日の分の陸上部のデータをまとめて練習の見直しをします。・・県大会が近いので」
 
瑞樹の指導法は主にデータを主にした科学的手法を主にしており、データを充分に取ってから選手のコンディションや本人の適正に合った練習を元にメンタルや体調などを第一に管理をしていくといった現実的かつ効率的な方法である。現にこの方法が功を奏したのか陸上部は上位の大会に入賞を果たしており県代表も充分に狙えるレベルにまで向上をしているのだが、瑞樹にしてみればそういったことよりもデータ収集をして次の練習や不足している薬のほうが影響が出やすいのでそちらのほうが優先される。
 
「春日先生はお帰りですか?」
 
「ええ、これから主人の病院に向かおうかと思います」
 
「そうですか・・」
 
礼子にしてみれば瑞樹は先輩の1人であるのだが、同じ先輩である由美と同様に仕事はきちんとこなしていく印象だ。ただ表情豊かな彼女と違うのは普段は寡黙で発言するにも少々現実的な発言が多いところだろうか、ただ悪い人間ではないと思うのは間違いないのだがこのような人物が過去に靖男と付き合っていたとは失礼ながらも到底思えない、あの噂も所詮はタダの出任せと思ったほうが自然だろう。
 
「薬に関しては校長と話し合って春日先生の分も含めてこちらから問い合わせてみます。薬が遅れると私も授業の実験を控えて困りますから」
 
「すみません、お願いします」
 
「・・夫婦水入らずを楽しんでください。ではお疲れ様でした」
 
「ええ、では・・」
 
そのまま瑞樹はスタスタと立ち去っていくのだが礼子はその背中姿にどこか哀愁を感じざる得なかった。
 
 
 
一方、職員室では相変わらず靖男が真面目に書類整理を続けていた。さっきの保健室での一件があるのでおめおめと油断は出来ない、といっても普段から仕事をしていればこんな目に合わなくても済む話なのでここまで毎日のように取り残される靖男のほうがおかしいのだ。
 
「チッ、音楽馬鹿に廻しとくべきだったか・・」
 
「・・本当に取り残されてたのね」
 
「これはこれは、優秀な橘先生じゃないか。まだ仕事残してたのか?」
 
「陸上部のデータをまとめるだけです、後は各学校の傾向もまとめないといけませんから」
 
そのままいつものように靖男を軽くいなしながら瑞樹はパソコンで陸上部のデータをまとめていく、2人が別れて数年後に運命の悪戯か・・新人教員として靖男がこの白羽根学園に配属された時は本当に驚いたのを瑞樹は未だに覚えている。かつて付き合っていた頃の雰囲気は残しつつもよく見せていた死人のような顔つきや冷めた視線は今や見る影もなく、表情もどこか活き活きとしている。それに1人で様々な問題をやり方は無茶苦茶ながらもしっかりと適切な方向へと解決させていく靖男に自分との教師としての差を度々思い知らされたものだ。
 
「骨皮先生~、守衛さんに話しつけてきたわよ。夜食は何が・・って、橘先生もどうしたの?」
 
「ちょっと明日のために部活のデータをまとめないといけないので」
 
「まぁ、それは構わないけど・・あまり遅くならないようにね、労働云々で最近は結構五月蝿いから」
 
霞は瑞樹の力量はしっかりと認めているものの真面目過ぎるのが少々悩みのタネである、最近は教員に関しても労働に関して結構厳しいので本音とすればあまり居残って欲しくないのだ。
 
「んで骨皮先生は書類できた?」
 
「何とか・・」
 
一応靖男はできている書類を霞に提出する、書き直し部分も含めての提出なので当然としてメスが入る。
 
「合宿に関してはいいわ。・・だけどね、こんなレポートじゃ理事長が納得するわけないでしょ!! もう少し内容を詰めて具体的に書きなさい」
 
「はぁ・・」
 
そのまま霞はペンで文章を添削したり見本を出して再び靖男に突き返す、今回の副担任経過観察レポートと言うのは理事長以外にも教員の組合のお偉方が見るものなのでこれまでの書類と違って手抜きは許されないのだ。
 
「一応大まかな部分は添削してあげたわ。後はこの見本貸してあげるから参考程度に書きなさい。決して丸写しはしないようにね!!」
 
「わかりました・・」
 
「頼むわよ、これしくじったらいくら私でも庇いきれないからね。クビ覚悟で必死に書きなさい・・私はちょっと資料室にいるから出来たら声を掛けて頂戴。橘先生は切りのいいところで上がっていいわよ・・って言いたいところだけど申し訳ないけど骨皮先生が逃げないように監視してね」
 
「はい、監視しておきます」
 
「申し訳ないわ、それじゃ何かあったら資料室に立ち寄ってね」
 
そのまま霞は再び職員室へと去っていく、そのまま瑞樹はコーヒーを淹れるとデータをまとめる作業に移る。靖男も随分減ったとはいってもレポートの量はそれなりにあるので添削された部分と霞から渡された見本を見ながらレポートを書き直していく、職員室ではパソコンの音が静かに響き渡る。
 
「ハァ~、あのロリっ娘は鬼か!! オマケに監視までつけるとは」
 
「・・放っておいたら逃げ出すでしょ」
 
「ガキじゃないんだからするか!!」
 
かつての恋人と2人きりで過ごすのはかなり気まずい、暫くはギクシャクしながら書類を作成する靖男であったが多少は顔つきは変わったものの相変わらずの瑞樹の姿がどこか懐かしく思える。久々に再会した時もかつてのファッションで大学時代から変わらない髪型に化粧を施していた瑞樹の姿には驚かされたものだ、思えば理不尽とも思える振り方をした自分に恨み言の1つや2つは覚悟していたのだが、付き合っていた頃と変わらぬ態度に靖男は少し面食らってしまったぐらいだ。
 
 
「陸上やってたんだな。いつからなんだ?」
 
「本格的にはやってないわよ。前任の先生が転勤して頼まれたからやってただけ・・指導も有名なコーチ達の手法を組み合わせて私なりにしているだけよ」
 
「それで全国狙えるぐらいのレベルかよ。毎年、大会そこそこの俺とは出来が違うね」
 
と言いつつもがちがちの体育会系な靖男も瑞樹の指導方法には思わず舌を巻いてしまうぐらいだ、付き合っていた頃にはそういった素振りは見せなかったものの、瑞樹にこういった一面があるということには素直に感心してしまう。
 
「・・あっ、パソコンがおかしい。悪いけど診てくれない?」
 
「またかよ。相変わらず機械には弱いんだな」
 
そのまま靖男は瑞樹のパソコンをチェックすると瞬く間に不自然な箇所を的確に直していく、懐かしの光景に瑞樹は思わず微笑してしまう。思えばこうやって靖男にパソコンを直してもらったのは何も1度や2度ではない、あれ以降も靖男から貰った自作のパソコンは今でも現役で一つ変わった点といえば靖男が過去にインストールしてあったゲームをやっているということだ。
 
「ねぇ、エリザベスってなんであんなに使いやすい指導者なの?」
 
「おいおい、話がそれかよ。そりゃ勤労思考だからだろ・・って、お前civやってるのかよ」
 
「ええ、あなたから貰ったパソコンに入っていたから暇潰しにやっているわ。今ならあなたがハマった理由もわかるわね」
 
「まだあのパソコン使ってるのか。よく持ってるな・・っと、直ったぞ。学校のパソコンまで壊すなよ」
 
靖男の手によってパソコンは今まで通りに稼動しているのだが、靖男にしてみればかつて上げた自作パソコンが今でも現役なのに驚きだ。瑞樹と別れてからは完全に接点を絶っていたのでメンテ不足でてっきり壊れていたものかと思っていたのだが未だに現役なのは驚きであるがまさかゲームまで手を出しているとは思いも寄らなかった。
 
 
「なぁ、先輩。今でも俺を恨んでるのか? 当たり前だよな、処女を奪った上にあんな振り方したんだからヤリ逃げもいいところだ」
 
「・・最初は恨んだわ、そして教員としてあなたと再会した時はもっと驚かされたわ。昔と違って表情が活き活きとして生徒と一緒に問題に真髄に向き合っていく姿には感心させられっぱなしよ」
 
「んなの、俺は大したことしてない。あいつ等が納得して解決してただけだろ」
 
「だから。私はそうやって変わっていったあなたを見続けると悔しかったわ。あの時の私にもっと力があればってね・・結局私はあなたの役に立ってあげることは出来なかった、私はこうして変われたのにね」
 
「あの時は明らかに俺が悪い。先輩に責められても文句は言えない、自分を責めるなら俺を責めろ」
 
淡々とパソコンを打ちながら瑞樹はどこか悔しそうだった、あの時の自分の無力さからくる後悔に何度も押しつぶされそうになったのだろう、そう考えたら靖男はあの時の自分の浅はかさを今更ながら思い知らされるばかりで今更瑞樹に責められても文句は言えない、どんなに瑞樹が言い繕っても自分が想いを踏み躙ったのは確かなのだから。
 
「ねぇ、前に春日先生と校長先生に話していた・・真帆って誰?」
 
「ブッ――!! 何をいきなり言い出すかと思えば・・あれは演劇部に売りつけるためのネタだ。もれなく却下されたけどな」
 
瑞樹からのとんでもない質問に靖男は思わず飲みかけのコーヒーを噴出してしまう。以前に礼子と霞に話していた自称演劇部のネタをどうやら瑞樹は聞いていたようである。
 
「まさかマジになったんじゃないだろうな?」
 
「詳しくは聞かないわ、だけどあの話でようやく昔のあなたが別れた時に言った言葉について納得がいっただけよ。
あなたと別れてから私に言い寄ってくれる人はいたけど全部断ったわ、どれもしっくり来ないの・・それで気がつかされたの、私は今でもあなたを想い続けてるってね」
 
「・・・」
 
「ねぇ、私を慰めて・・あなたと結べるならどんな関係でもいい、あなたが望むならセックスフレンドでも構わないわ。
思えばあなたと付き合っていた頃から全く変えていなかったのもこの為だと思うの、生徒達がしている噂も最初はあれだったけど今では昔を思い出して心地よく思えてくるのよ。
 
噂を聞くたびに純粋に恋をして充実していたあの時の思い出が今でも甦るのよ」
 
時を越えて、かつての恋人からのとんでもない告白に靖男は呆然としてしまう。あの時の自分は一種の死亡状態だったし瑞樹と付き合っていたころもただの成り行きというか何ら変哲のない味気ないものだったのだが徐々に変わっていく瑞樹を見ながら好奇心旺盛の子供のように楽しんでいた節しか思い出せない。
しかし瑞樹にしてみれば靖男と付き合いがきっかけとなって最愛の弟の死という事実と向かい合うことも出来たのは事実だし、ここまで教員をやって1人で生きてこれたのも靖男のお陰である。
 
本人が頑なに否定しても瑞樹の中でそれは変わらない・・
 
 
「弟の死を自然と背けていた私に向き合う力を与えてくれたのは他ならぬあなたよ。・・それに私を泣かせてくれたしね」
 
「月島や相良みたいに痛いことをストレートに言いやがって・・俺の自慢の生徒に感化されたのか」
 
「あの2人はスペックは兎も角として真っ直ぐね、眩しすぎて羨ましく感じるわ。彼女達のような明るくて純粋な関係を私はあなたと送りたい・・答えを聞かせて、どんな回答でも私の中でようやく諦めもつくわ」
 
「・・言葉と表情が一致しないぞ」
 
よく見ると自然と涙を流し続けている瑞樹は手鏡で改めて自分の表情を見てみる、既に涙で化粧は崩れかけていて見るに耐えないボロボロの顔つきであったが自然とそれがたまらなく美しく感じてしまう。
 
「また・・あなたに泣かされてしまったわね」
 
「みたいだな。涙は女の武器・・女体化が浸透してもそれは変わらんらしい」
 
「え――」
 
「・・どんなに時が流れようとも俺は“ある人間”の人生を台無しにしてしまった男だ。復讐されて殺されても納得して見送ってくれるなら勝手にすればいい、俺も若くないしこれ以上誰かを泣かしたら身体に悪いんでな」
 
そういって靖男は再びレポートを作成するが、瑞樹は気がつかないうちに涙でぐちゃぐちゃになった表情のまま嬉しそうにしながら仕事に取り掛かるのであった。
 
 

 
おまけ
 
あれから数日後、大量の荷物を抱えた靖男が瑞樹の家へと訪ねてきた、思わぬ靖男の来訪に少しウキウキしていた瑞樹であるが靖男はどこか申し訳なさ下であった。
 
「何・・その荷物?」
 
「頼む、金がないから少し住まわせてくれ」
 
「・・詳細は?」
 
「相良と月島たちに焼肉奢ったら副業の収入分キッチリ食べられた」
 
思わぬ理由に瑞樹は唖然としてしまう、靖男は度々に自分の生徒達に奢っているのは知っているがまさかここまでとは思いも寄らなかった、どうやら自分が知らないうちに気前が良すぎる性格になったようだ。
 
「だから次の給料日までは住まわせてくれないか? ほら、先輩も俺との関係を結びたいといってたしよ」
 
「・・バカ、暫くそこで頭冷やしなさい」
 
「お、おいおい!!! そりゃ、あんまr・・」
 
そのまま瑞樹はドアを閉めてご丁寧にチェーンもするが、暫くほくそえみながら楽しげだったという。
 
 
 
 
fin

 

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最終更新:2012年01月12日 23:11
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