蒼と朱のアリスロッド

 死んでも良い人間とは何だろう。
 物心ついた頃から、自分がその類の人間であることを“父”に教わったが、その理由は未だ
知らない。何故そうなのか、自分なりに納得の行く答えを見つけることこそが、自分に許され
た唯一の自由だとも教わった。以来、時間さえあればそのようなことを考えている。
 自分が人殺しだからだろうか? 違う。生きながらに死んでいるから? わからない。
 同じように答えを探していた“兄”が言うには死んでも良い人間とは単に、その者の価値だ
そうだ。世の中には代替の効く人間とそうでない人間がいて、自分たちは前者にあたるのだと。
 実際、自分を含めた教団の人間は、その程度の命の軽さでしかなかった。
 断罪者という王家に忠誠を誓い、悪に正義を執行するためだけの道具。だからこそ、そこに
自分の意志はなく、ただ正義を為すだけである以上、人としての価値はいかほどもない。
 つまりそれは、使い捨ての人材であるということで、任務の傍ら常々そう思わされてきたか
ら、命令さえあれば命なんて覚悟さえなく捨てることが出来る――はずだった。
 確固とした意志すら持てず、人間から人形に成り下がり、ただ王家から下される死刑宣告を
執行するだけの道具。それだけが自分を語る全てだったはずなのに。

「はぁ……はぁ、はぁ……」
 なのに、もうどれぐらい走ったのかもわからない。酷い雨で頭が霞み、酷使した足はジンジ
ンと痛む。呼吸は乱れて息苦しく、泥濘んだ地面に踏みしめる力がなくなり平衡感覚を失う。
――上下左右がわからなくなるほど何度も転がりながら、激しく地面に叩きつけられた。
 全身を泥で汚しながら、頭より上に投げ出された手を元の位置戻そうと肩に力を入れるが、
自分の意図した通りにはいったりしなかった。

 そもそもの原因は、激しい疲労やケガの程度によるものではない。急速に筋力を失ったこと
によるバランス感覚の欠如、そして身体と魂の不一致から来る一時的な混乱状態――
 人形師の舞台で、不慣れな素人が人形を動かすようなものだろう。このような状況になれば
誰だって為すべき意志を奪われるだろうし、まず満足に戦えるわけもない。
 恐らくこれは『感染』だ。歴史上、最も多くの人を、効率的に殺し尽くした黒魔術――それ
が『感染』。つまり、禁呪指定さえ受けて世界から抹消されたはずの大量殺戮魔術である。
 今回使用されたのはその亜種で、『感染』という属性のみを引き出しているだけの、直接的
な殺傷能力はゼロに等しい陳腐なモノでしかない。肝心の効果は一見滑稽に映るが、しかし王
国の現在を考慮するなら、現存する中で最も恐ろしく災厄に近い魔法と言えるかもしれない。
 何しろ、その効果を自分が身を持って体験している最中なのだから。
 なるほど、確かにこれなら禁呪法にも違反しない。大量殺傷能力もなく世界から制裁を受け
ることもないだろう。しかし、今の王国の戦力ならば[ピーーー]ことなく易々と削ぐことが出来る
――こんな状況にあっても頭は至って冷静に分析を続けており、何度繰り返しても結論は一つ
しか出なかった。

「……っはぁ、まだ死ねないのか……自分は……」

 その時ほど、王家を恨んだことはなかった。
 身体と心は既に朽ちている。生存本能すら失って、いかに安楽に死ねるかを求めているとい
うのに、二つを支える芯に打ち込まれた使命と言うやつは、例え命の危機に瀕していようと、
何としてでもこの情報は王国に持ち帰らなければならないと考えている。
 任務が全てであるならば、腐りきった王国の行く末など知ったことではないと思っていた。
だが心身より先に使命があって、自分はそのことに強く辟易したのだ。
 それが王家に忠誠を誓った――自分に課せられた楔であり、呪い。
 この身体に背負わされた呪いが王国の崩壊――つまりこの国の人間の未来などという厄介な
代物であるならば、意志や身体は関係なく、自分はここで動かないことを良しとせず――思わ
ず呪詛を呟きながら、小さな手と腕は壊れてしまいそうな強さで地面を掴んだ。
 病人並の軽い身体に以前とは比べ物にならないほどの重圧がかかっているような、相反する
二つの感覚が混在する矛盾した状況にあって、泥水に顎を付けて辛うじて息を吸いながら、死
ぬ思いをして何とか仰向けになる。その時、自分の顔には直接雨が降り注いだ。
 それは冷たくて、されど身に染みるほどの生を実感するもので――
「――男を女にするだなんて、馬鹿げている……っ」

 敗色の空の下で、ポツリとそう呟いた。


 ――蒼と朱のアリスロッド――


 それは好意や敵意とは違う、どこかに感情を置いてきたような無機質な『視線』だった。
 ひたすら視線が粘りつく状況をさほどの脅威にも感じず、取り敢えず無視しておこうと思っ
た自分はその視線の主の正体を暴くこともなく、優先順位の低い不確定要素として頭の片隅に
でも置くことにした。
 何故なら『確定』でこそないものの、その正体にはおおよその検討が付いていたからだ。
 ――エレメンタル<精霊>。非生物種ながら上位たる彼らにとって知性を持つ人間は特に珍
しい生き物らしく、街里から離れた山や森の中を歩いていると極稀に関心を寄せられることが
ある。
 それが精霊にとっての『視線』だ。彼らの『視る』行為とは、文字通り姿形を視るものでは
なく他者が持つ心の有り様に直接干渉する、生物の常識とは別次元にあるものだ。
 それ故、彼らに視られることとはつまり心を視られることであり、普段は曖昧な視線を感じ
取る感覚も、彼らによると確かな実感に変わってしまうのである。要するに、隠し事が通じず、
すごく落ち着かなくなる状態が彼らの『視線』と言ってもいい。
 普通の人間がそれを体験すれば、精神的な負担は計り知れず、恐慌状態に陥ることだってあ
るだろう。しかしながら、世界を渡り歩く冒険者や行商人は、精霊のソレがあくまで観察行為
でしかなく、害意がないことも常識として知っている。自分もそのうちの一人だから、ある日、
突然強烈な視線を感じたとしても、とりたて不穏を誘うほどのことでもなかったのだ。

 ――そういう投げやりな結論に達してから、三時間ほど経過しようとした今でもその不可解
な視線は纏わりついており、その考えが誤りであったことを自分は認めざるを得なかった。
 というのは、精霊は本来生まれた場所から離れることが出来ないのだ――地の精霊なら木や
岩などを依代にしてこの世に顕現しているため、土地から土地へとひたすら移動し続ける自分
を追い続けるなんて精霊の性質から考えてありえない。
 精霊でないとするなら、魔物にでも憑かれたか……それとも誰かの呪いか。否、だとすれば
その視線には悪意の性質があるはずだ。魔物にしても、また呪いなどという負の感情ありきの
黒魔術体系にしても、普通はそうした側面を感じ取れるのだ。まぁ、黒魔術全てが負の感情に
よって司るものだとは限らないけれど。例えば、初歩級呪紋に悪魔と契約し、呪った対象に視
線を送り続ける術があるのだが、その悪魔と呼ばれる存在は、ただ相手に視線を送るしか能が
なく感情すら持たない非生物種でしかない。その術なら“逆探知”に引っかからなくてもおか
しくはないのだが――しかし、そんな益体のない思惟に耽っている余裕は今の自分にはなくて、
遠くから伝わる蛮声にハッとしたように意識を戻しながら、地を踏みしめる足に力を入れた。

「「殺せ! 殺せ! 殺せ! 逃がすな! 逃がすな! 逃がすな!」」

 怒声、足音、敵意。それは数十数百にも重っており、全てはこの自分へと向けられているも
のだった。要するに今、自分は追われており、少し後方には軍団から先行している斥候と思し
き二人組が、血相を変えて逃げる自分に食らいついていた。
 想定通りとは言え、さすがに長時間補足を許しているのにも鬱陶しくなった自分は、頃合い
を見てこの辺りで姿を消そうと思い、一枚の札を取り出すと人差し指と中指で挟み、

<<Drittens, Verlust, Brand>>

 呪紋の召喚単語を言葉にすると札は白く輝いて破裂。直後、“自分に対するあらゆる認識”
を敵から奪い取る。続けて強化魔術を詠唱する。

「高貴なる虹が求める代償は時、あらゆる戒め解き放たれん――"奔れ万象"」

 その瞬間、重さを感じなくなった自分は地を踏みしめて跳躍した。音もなく宙に舞ってすぐ
近くに立つ大木の節に足を架けると、走って更に上へと到達し――この森で一番の大木であろ
うトリネコの若木、その枝間に身を寄せる。
 奴らはと言うと一様に常套句を叫び立て、慌てて消えた自分の姿を探していた。
 ――『強制散逸符』。幾つもの呪紋が織り込まれた『魔封札』で、効果は相手に“自分の存
在を一時的に認識外に追いやらせる”こと。我々アサシンが教団から配給されている常備魔封
符のうちの一つだが、事戦闘に関しては戦術すら覆しかねない魔封符であるため門外不出。王
国が誇る主力兵装の一つで、自分とて逃走以外に使用は許可されていない。
 彼らにしてみれば敵の姿が見えているにも関わらず、『敵を追う』という目的そのものを見
失ったのだ。自分はその隙をついて身を隠したため、気づいた時には既に手遅れだ。

「……呪いとかより精霊の方が怖いけど、さすがに負担を感じるな……これは」

 我知らずぼやく。精霊でないとしても長時間、視られているという状況は自分のような人間
からすれば相当なストレスにもなるものだ。そのせいで暗殺にも失敗してしまったし……。
 わりと日陰者には効果があるのかもしれない、ひたすら視線を送る魔術って。
 未だ実体が見えてこない『第三者』の存在に身震いしながら息を潜めて、最小限の警戒をし
ながら、束の間の休息に安堵すると、人心地がついた。
 ――『シュトゥルム』の決起。その難から逃れて息一つつくことなくやってきたのは深山幽
谷の地だった。かつては精霊の都とも呼ばれた世界樹の森だ。願わくばこの場所が、奴を仕留
める好機ともなれば良いものだが、あいにく生まれてからこれまで天から見放されている自分
が運やら成り行きといった事象の流れに身を任せるわけもなくて。

「さて、どうする?」

 今後の作戦を考える。まず、自分の任務は奴らの討伐である。
 群れから離れた獲物を一匹ずつ狩っていくか、それとも一騎当千の騎士のように奴らの前に
姿を表して律儀に豪快に薙ぎ払うとするか――もちろん答えは前者しかなかった。
 自分の能力とこの軽装では一騎当千など不可能に近く、対集団相手などもはやアサシンの本
分を超えている。だからこそ、地の利があるこのような森に奴らを誘ったのだし。
 長期戦や個人戦ならば活躍も出来るだろうが、彼らのような集団を一度に相手にするには自
分では荷が重い。ここは騎士団か、パラディンを引っ張ってくる方が理にかなっているだろう
に、王家にフォローを求めようと無駄だ。それが出来ぬからこそこうやって回りくどい手段を
取っている最中なのだ。
 軽い現実逃避ならぬ現状分析を終えて下界を観察すると、盗賊二人が怒鳴り散らし、いがみ
合いを始めており、どうやら自分を見失った非がどちらにあるかないかで喧嘩に発展している
ようだった。
 ――情報通り、奴らの繋がりはあまりに細い。
 それゆえにこの状況が誰にとって好機であるかも理解出来ていない。賊なんて下賎な地位に
落ちぶれている時点で頭脳になど期待してなかったが、所詮こんなものだろうと思う。
 災厄と恐れられたシュトゥルムの、その内部を垣間見てある意味絶望した。
 彼らのような低俗な連中が悪意の顕現者たるあの“シュトゥルム”なのかと。
 最大の敵の正体があの程度のもので、そんな連中にこれまで王国が辛酸をなめさせられてい
たのかと考えると、言い知れぬ屈辱を感じたのだ。
 最大の敵とは最大の悪意と最強の力を持っているべきだ。
 でなければ、犠牲者全てへの侮辱に他ならない。しかし、彼らの不和を煽ったのは自分だ。
 自分の行動があのような醜い結果を生み出しているのは事実だ。
 そのことに関しては申し訳なく思うが、結局のところ壊すまでが自分の役割ならば、彼らに
対し持ち続ける情も期待も必要はないということか。
「その調子でいがみ合うと良い。組織としても、単なる殺し合いでも、隙を内包する未来は破
滅だけだと知らない貴様らはいずれにせよここで終わりだ。憤怒の内に死ね、賊ども」
 そのような呪詛をこぼした後、しばらく地上を俯瞰して事態の経過を静観する。やがて中隊
規模にもなる後続が二人に追いつくと辺り一面、蛮声に包まれる。
 これが無数の敵意と足音の正体。犯罪者集団、悪意の群体――シュトゥルム略奪兵団。

「――テメェら、そこをどけ」
 蛮声の中、唐突にその無粋な声が上がると、辺りは再び森閑さを取り戻した。
 しかし、何百もの人間がこの場在りながらその異様な静けさは明らかな異常であり、ひょっ
としたら自分の息遣いさえ際立って敵に気づかれてしまうのではないかと思うほどの緊迫を一
瞬で形作っていた。その声に従うように群衆の中央が割れ、それによって出来た一本道を遠く
からこちらに向かい、のそのそ歩き始めた男がいて、自分はその男に目を光らせた。
 遠目に見てもわかるその傍若無人な威容はまさに奴であることの証。死地を何度も潜り抜け
てきたような荒れた面と筋肉で盛り上がった巨体。無骨なガントレットに覆われた右手には鉾
槍を携えているが、奴の巨体から見れば稚拙な玩具にさえ見てしまう。

「……! 身分照会……アンノウン、確認――」
 奴こそこの兵団の首領――無名の王アンノウン。
 名は不明で、彼を指してシュトゥルムとも呼ばれている。奴によって地図から消えた村や街
は数知れず、これまでも数多の国民があれの犠牲になっている。
 目下最大の敵にして、今回の最重要ターゲット――つまり自分が最優先で消去すべき対象だ。

「あのクソッタレはどうした……?」
 アンノウンは周囲を威圧しながら、斥候の二人に歩み寄ると信じられないほど低い声で口を
開いた。同時に、彼らを酷く冷酷な瞳で睨みつけており、遠目に見据えていても無秩序に放出
される殺気はおそらく、それに反応したもの全てを感知する術式さえ付加させている。
 殺気にはそれぞれ個性を感じるものだが、奴のそれは特色も何もない粗野な振る舞いに過ぎ
ない。ただ気に入らない者を殺す、というだけのものでしかなくて、気味が悪く思う。
 ――そして、その場にいた誰もが二人の斥候の運命を理解するだろう。
 あの二人は間違いなく殺される、と。

「ああ、いえ、それは、コイツが――」
 男が言い訳を始めた瞬間、アンノウンは盗賊の一人を鉾槍の刃の部分で切り捨てた。
 右胸からケサ切りされた男は、悲鳴を上げる間もなく地面に伏して、大地を血で染めながら
もがき苦しむ。そんな男を見咎めることもなく、もう一人の斥候に視線を移したアンノウンは、
その容姿には不似合いなほどの笑みを薄く浮かべると更なる判決を下す。

「俺はよォ、あいつはどうしたかと聞いているんだ」
「み、見失っ……ひぃぃぃぃ、おたすけを……っ」

 恐怖に負け背を向けて遁走を計る男の首を、後ろから尖端で一突き。ワザと苦しむ余地を残
して楽しんでいるのだろうか。地に倒れた二人は、即死することなくのたうち回っていた。
 首を貫かれた男はあの出血量から見てもう助からないだろうが、先に切り捨てられた男の傷
はそう深くない。
 然るべき処置を受ければ助かる可能性もあるが、あの無骨な男がそれを見過ごすかとなれば
別の話だ――アンノウンは傷の浅い男の前に立つと腰を下ろし、侮蔑するように顔を近づけた。

「……助けて欲しいか?」
「お、お助けください……何でもしますから……」
「何でも……だと? 良いだろう、助けてやるよ――苦しみからなァ……!」
「――!?」

 その瞬間、アンノウンから強い殺意が放出され――たと思うと鉾槍を両手持ちしたアンノウ
ンはそれを地面に叩きつけた。破裂音と共に大地は振動し、この大木も大きく揺れた。一瞬の
轟音と振動に耐えながらアンノウンを見ると、奴の周囲は砂埃に薄く覆われおり、それが晴れ
て鮮明になった後の震源地には当然の結果が待っていた。
 助けを乞うた男の頭蓋が縦に“両断”されていたのだ。
「(……衝撃刃? いや、腕力だけであれか……! なんて破壊力……!)」
 鉾槍の刃は男の頭を寸断してなお、地面にめり込んで更に4メートルほどの断裂を縦一直線
に走らせていた。つまり、頭蓋より下にあった男の身体もその衝撃により“縦”に割かれてい
たのだ。脳髄と臓腑は垂れ流され、黒々とした大地はマグマのように湧いて出る赤の侵攻を許
している。その様子に、アンノウンはまるで愉快なものを見るかのようにして、男の頭から
――否、地面から鉾槍を引き抜くと首を一突きされた方も同じように叩き斬る。
 屍二つを見下しながらその次に、狼狽する団員達をも睥睨すると、
「この俺に何でもするなんて命乞いはよォ……ふざけてやがると思わねェか?」
「全ては団長の心のままに……ッッ!」

 恐怖に満ちた団員の呼号が森閑とした静けさの中を木霊していた。

「誰が生かしてやってると思ってる? このシュトゥルムをよォ。こんな惨めな終末を送りた
くなりたくなけりゃあテメエらもキリキリ働けや、俺のためにな」

 悪人には悪人の美徳があるのだと思っていたが――

「(……まったく、絵に描いたような悪人だな)」

 仲間を二人殺したというのに特別な感情すらも帯びていないどころか、彼らを仲間とも思っ
ていないようだ。その態度からよく分かる。奴は兵団を道具としてしか見ていない。
 あの問答は奴にとって余興、最初からあの二人を殺すつもりで――どう答えようと結末は同
じだったはず――しかし、まずいことになった……。
 場が平静さを取り戻した今でも、つい思考が錯綜してしまう。
 あまりに唐突な殺意だったから無視する余裕がなかったのだ。たぶん、今、自分の位置は奴
にとって筒抜けだろう。奴の行動次第で、自分の任務は失敗してしまう可能性が高い。
 つまり、今逃げ出さずに留まれば自分が生存出来る余地はほぼないと見て良いだろう。
 ――だというのに自分は、全く不思議な心境だった。
「(正直、余裕はないが焦りは感じない……何故だ……?)」

 目の前に差し迫った絶対的な死を実感し、ある意味冷静に開き直れているのかもしれない。
 それともその冷静さには何か根拠があるのか――だとするとそれは、自分自身の実力ではな
く奴が次に取るであろう行動を無意識に先読みしているからか……?
 それを安易な言葉で表現するなら野生の勘というやつだ。しかし獣のような非論理的なイ
メージ思考ではやはり言葉にしない限り曖昧でしかなく、意識的な行動を取るのが難しい。
 自分はこの状況を打破すべく奴という人間の心理を徹底的に分析し始めていた。

 つまり――男が何でもすると答えた瞬間、かつてない殺意を感じたのは“条件”を提示され
ることが奴にとって侮辱であり、生殺与奪すらも握る“俺”に仲間として振舞って欲しいと言
ったも同然の男に対して、憤りを感じたからだろう。何故なら道具はやはり道具でしかなくて、
自らの行動が道具に変えられるなどということはあってはならないからだ。
 厳罰主義者にして、他者が睥睨の対象でしかない、我の強い快楽殺人者。ここに来るまで相
当数の人間を殺している、この世の許されざる所業。
 そんな男が子鼠一匹殺すのに、数の暴力に頼るのだろうか。奴自身の実力のほどは定かでは
ないがアレは典型的な弱者に力を誇示して陶酔するタイプの人間――
 ――ならば……逃げないで正解か?

「(しかし、恐怖による統治とはな)」

 盗賊共の怯えからもそれは理解する。失敗した者は容赦なく切り捨てるのがあの悪党のやり
方で、奴らのあの覚悟は恐らくその恐れから来ているものだろう。
 恐怖に殺される意思なんてろくなものではないが、後に引けば殺される人間は何かと厄介だ。
生にしがみ付いている連中ともなれば、そんな奴らを前にして数でたたみかけられたら一巻の
終わり。正攻法ではやはり間違いなく殺されるだけだろう。
 弓でも射られたら終わりだが、どうやらそれよりも先に好機がやって来たらしい。

「テメェらは散開しろ。シュトゥルムの威信を賭けて、必ず見つけ出せ。
 ――だが殺すなよォ、半殺しでも良いからよォ、俺の下に連れて来い。必ずな……!」

 号令と共に、盗賊達が各々グループに分かれて広範囲に散って行った。
 それを指揮したのは当然ながらアンノウンだった。アサシンを相手に集団を捨てるとは愚か
にも極まりない行為でしかなくて、自分はその状況をただ呆然と見ていた。
 なぜなら、それはあまりにも予想通りの展開だったからだ。

 略奪兵団の討伐を王家から仰せつかい、王都から北方にある『シュタインベルグ公国』にや
って来たのは今から四ヶ月も前のことだ。
 シュトゥルムという強大な敵をたった一人で討伐せよという任務。
 職業柄、組織の瓦解活動にこそ慣れてはいるが、今任務の本質は瓦解ではなく壊滅。
 つまりどんな手を使ってでもシュトゥルムに属する人間を全て叩けという内容である。あい
にく自分には組織全てを一人で殺せるほどの化物じみた強さはないし、ましてや破城レベルの
大魔法なんて使えやしない。
 そう――百歩譲って幻想の中の英雄ならばいざ知らず、現実は違うのだ。勢いのまま敵拠点
に乗り込み力任せで敵を全て全滅させるなんてこと自分たちの誰にも出来やしない。
 我々が集団を相手にするためには、まず敵内部に侵入し人員の削りを行いながら分断工作、
やがては内部闘争を生み組織瓦解を目指すのが常道であり、そういうこそこそした作戦の性質
上、一つの任務に参加出来る人間は意外と少ない。
 酷ければ個人に全負担を強いられるケースも多く、今回の任務もそうだった。このような事
が多々あるためか、自分が属するシュヴァイニッツ教団の殉死者は王立情報局所属断罪部隊の
中でも群を抜いている。
 たかが反社会組織を潰すのに何故このような回りくどい手段を取り、同胞を徒らに死なせる
のかと以前疑問に思ったことがあった。自軍を動かす余裕がないのなら、せめて歴戦の傭兵部
隊であるドゥーク騎士団でも雇えば確実でいて迅速に殲滅が出来るのではないかと。
 そのことを上官に具申すると、返ってくる答えはいつも一緒だ――清貧を謳う王家様は彼ら
の莫大なレンタル料の前にあっけなく撃沈するのだ。だからこそ、王家の犬にして安上がりで、
それでいてかつリスクの少ない個人レベルでの解決を望まれているのだと。
 有り体に言えば出す金が惜しいが故に、彼らは王国に仕える人間を平然と酷使する。
 そんな現状に不満を抱いている者も当然ながら多く、王家はそんな彼らの造反を危惧して、
忠誠を誓った者には“死の刻印”を与えて締め付けている。そんな情勢からか、この国がもは
やそう長くないことは子供の耳にも入っていることだろう。

「アデルロッド・フォン・シュヴァイニッツよ。そなたの働きを見込んでの任務だ。近年、巷
を騒がしておるシュトゥルム……彼の賊共の討伐をそなたに頼みたい――」

 謁見の間にて。王座の隣に立つ宰相から発せられたその言葉は自分への死刑宣告にも等しい
ものだったが、それでも特別感情が揺らぐこともなく、自分はその任を謹んでお受けした。
 ――ただ、出立前に上官から言われた、
「光栄ではないか。王家が貴様を信頼しているのだと真摯に受け止めよ。彼の国の未来は全て
お前の肩に掛かっている……が、残念だったな、成功率はほぼ0%だ。お前が死んで作戦が失敗
すれば、さすがに彼らも気づくだろうよ。シュタインベルグが落ちれば次はこの王都だとな。
 そうなれば金を惜しむわけにもいかなくなる。ここは我が同胞のため、我が王国の安寧のた
め安心して彼の国と共に死んでくるがよい」
 ――という激励には苛立ちを禁じ得なかった。
「お、どうした。珍しく感情を出しているではないか?」

 これから最短でも半年は掛かるであろう命を賭した大仕事をさせられるというのに、出立前
にそれが全く無意味なものだとわかり、しかもそのような気休めにもならぬ激励などかけられ
れてはさすがに感情も出したくなるだろう。

「――自分の成否によらずとも結果は変わらないのでしょう。シュタインベルグが墜ちたから
と言って、王家が本格的に諸国防衛に乗り出すことなどあるわけがない。例え自分がシュタイ
ンベルグを救えたとしても、体の良い外交道具にされるだけです。そうなると肝心のシュタイ
ンベルグは衰退を免れ得ず、結局のところ彼らだけが私腹を肥やして終わりです」
「何が言いたいのだ?」
「自分が死んでも死ななくても王家は何も変わらない。それをよく知っているあなたは……つ
まり、任務の成否なんてどうでも良いのでしょう。そのような戯言は今後のやる気にも関わり
ますので止めて下さい」
「……また人の思考を。いい加減その癖を直したらどうだ、アリスよ」
「自分はアデルです。人のことをどこぞの小娘みたいに……嫌がらせですか、殺しますよ?」
「いや? その方が可愛いだろう?」
「…………」

 どう返しても想定していない切り返しが来そうだったので、ここは潔く負けを見て沈黙を貫
くことにした。自分のそんな姿を見て上官はくつくつと笑ったあと反転、冷酷な表情を取り戻
して否応ない現実を自分に突きつけた。
「まぁ、悪意が潰えるのであればそれに越したことはない。我々は元々、そのための道具なの
だからな。だが、一つ言っておこう。アリスよ、お前は特別じゃあない。どれだけ類まれなる
才能を持っていようが所詮は人形に過ぎんお前の代わりなどいくらでもいるのだよ。それを
常々、忘れないでおくことだ」
「――承知」

 ただ任務漬けの日々を送る、その連続性のついでのように受けたシュトゥルム討伐。
 それ自体はこれまでの任務と比べても特別な違いはなかった。だがそれが、あらゆる意味で
苦難の始まりになろうとはこの時はまだ思いもしなかった。


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最終更新:2012年03月11日 17:22
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