『未熟な前進』

 今日もまた誰かの人生が変わっていく

 
 
 
 
 
 
 
           未熟な前進
 
 
 
 
 
 
 
                         ◆Zsc8I5zA3U
 
 
 
 
いつもの保健室、怪我をしてくる生徒は勿論のこと礼子の方針で女体化した生徒にも手厚くサポートも対応している。今回の相談者は狼子、いつものように自分の悩みを礼子にぶつけながら人生経験豊富な礼子に教えを請う。
 
「先生、女体化してからどうもしっくり来ないことが多いんです。何でですか?」
 
「どんな風にしっくり来ないの? 結構色々あるわよ」
 
「えっと・・男の時はただの友達だったんですけど、付き合うようになってからなんかもやもやするんですよ」
 
「なるほどね」
 
本来ならタバコで一服していたい礼子なのだが狼子の前であるので代わりにコーヒーを飲みながら一呼吸置くと自身の経験を織り交ぜていきながら優しい口調で回答する。
 
「・・そうね、私も女体化して似たような感覚になったことあるからよくわかるわ」
 
「で、どうしたんですか?」
 
「えっとね、今の旦那と付き合ってたから自然となくなったわ。こればかりは個人差ね、月島さんもわかる時がくると思う。だから今の彼氏を大切にね」
 
「はい!」
 
いつもの笑顔を取り戻した狼子に礼子は安心する、このように女体化した生徒は非常に精神的に不安定なケースが多々あるのでこうして周囲の支えが非常に重要になってくるのだ。自身のような思いは二度として欲しくないのが他ならぬ礼子の願いだからこそ、こうやって相談に乗ったり悩みを聞いてやったりしながら保健室に新たな来訪者がやってくる。
 
 
「よぉ、礼子先生。今日も来たぜ・・って狼子もいるのか」
 
「聖さん」
 
「賑やかになるわね」
 
いつものように聖が来ることで保健室はより一層賑やかになる、女体化しても女3人揃えば何とやら・・様々な話題が飛び交う中でタイムリーな話題もチラホラと出る。
 
「そういえばよ、結局あのポンコツ教師の噂はどうなったんだ? 狼子は何か知らねぇのか?」
 
「どうなんですかね? 骨皮先生は相変わらずですね、聞いても何も応えてくれないし」
 
狼子も担任である靖男の噂に関しては当然気になっており靖男本人に聞いてもはぐらかされるだけなので真相は藪の中、瑞樹に関しては見た目や性格的にも棘がありそうなので聞けないでいる。聖もそれは同様のようでかつての担任の恋バナには驚いたものだ、彼女の中での靖男はあんな感じなのでそういった浮いた話があることに驚いたぐらいだ。
 
「全くあのポンコツ教師も隅におけねぇな。礼子先生は何か知ってるのか?」
 
「さぁね、当人同士が何も言わないから私に聞いても無駄よ。それに事実なら外野がとやかく言うのは変だしね」
 
これまた大人の発言の礼子、彼女も気にしていないといえば嘘になるもののあくまでも本人同士の問題と思っているので関心はあまりない、それだけ男女の間というのは深いものなのだ。
 
「でも最近の橘先生はどこか柔らかくなったというか・・何だか楽しそうな感じですよ」
 
「あの無表情で能面面が標準の橘先生がか? んなわけねぇだろ、気のせいじゃねぇのか?」
 
そのまま聖はばっさりと否定しつつも最近の瑞樹はどこか表情も柔らかくなって気分上々とはいかないものの最近はきつかった物腰も柔らかくなっているとの評判だ、それは普段接している礼子もよく思っており彼女から感じていた哀愁漂っていた背中も今ではどこか穏やかだ。
 
「ま、本人がよければそれでいいんじゃないの? それよりもあなた達、骨皮先生に何か奢ってもらったんですって?」
 
「ああ、狼子達引き連れて焼肉奢ってもらったぜ。狼子がかなり食いまくってたけどな」
 
「聖さんだってかなり食べてたじゃないですか!!」
 
あれから聖は半ば強制的に靖男に焼肉を奢らせると狼子達を引き連れて散々食べまくったのだ、お陰で靖男は聖と狼子の食事の量によって副業で儲けた収入はおろか手持ちの金額も全て吹き飛んでしまって侘しい生活を送る羽目となったのである。
 
「確か聖さんが高級カルビやハラミ5人前ずつを1人で平らげたんですよね」
 
「狼子だって同じぐらい食ってたじゃねぇか。まぁポンコツ教師が奢るっていってたんだからこれぐらいは当然だよな」
 
「まぁ、私は口出しはしないけど少しは相手の気持ちを考えて遠慮するのも大事よ」
 
しかし礼子も生徒に奢りに奢っている靖男にも多少は問題はあると思っているのだが、ここはやんわりと2人にある程度の釘を注しておくのも大事である。
 
 
 
同時刻・屋上
 
「「ハックション!!!」」
 
男2人のくしゃみが同時に鳴り響く、どうやら誰かが自分たちの噂をしているようだ。
 
「誰だよ。妙な噂をする奴は・・」
 
「言うだけ無駄ですよ・・」
 
2人ともこのくしゃみの出所は既にわかりきっているので取り合えて何も言わない、そのままお互いにのんびりと景色を眺める。
 
「なぁ、辰哉。最近椿がどこか変なんだ。何だかドクオみたいな趣味になり始めてよ・・何か知らねぇか?」
 
「さぁ? そこら辺は祈美に聞かないとわかりませんね。最近は椿ちゃんと遊んでるみたいですしね」
 
ここ最近の椿の部屋には少しずつではあるがアニメのDVDや漫画などが徐々に増え始めているのがよく目に付く、翔にしてみれば周囲にもそういった趣味の人間がいるので特には偏見はないのだが自分の身内がそうなってしまうのはいささかショックである。と言っても椿本人も知らず知らずのうちに祈美の趣味に感化されているようで毎日弾いている曲もアニソンが中心となっているようであるが、本人が楽しんでいるようなのである。
 
「まぁ、俺も妹があんなんですけど本人が楽しんだらそれでいいと思います。どうせ言ったって聞きやしませんから」
 
「俺もそこまでは考えてねぇよ。それにしても妹ってのは本当に手が掛かるよな」
 
「そうですよね。俺も毎日苦労してますよ」
 
あくまで一般的に妹に苦労している辰哉とは違って翔のほうはあくまでもこき使っているのでその思考は対照的である、といっても最近はそこまで問題らしい問題も起こしてはいないので今のところは至って平和である。
 
「そういえば先輩は骨皮先生の噂信じてます?」
 
「ああ、あれだろ? 所詮は噂だけどよ・・どうにもミスマッチ過ぎるぜ」
 
どうやら靖男の噂はかなりの範囲で広まっているようで当然ながらこの2人の耳にも入っている、辰哉にしてみれば自分の担任の噂でもあるのでその真偽が気になって仕方ないところだが翔にしてみればあまり関心は薄い、しかし聖が靖男に近い人間なのでどうしても耳に残ってしまうのだ。
 
「しかも相手が堅物の橘先生だろ? よく特進クラスでも授業してるけど隙のないお堅いイメージがどうもあるな」
 
「ですよね、俺もどうも橘先生は敬遠してしまいがちです。悪い人じゃないってのはわかるんですけど・・陸上部でもあんな感じでキッチリとしているらしいですよ」
 
「へー、俺はどっちかというとあの校長に驚きだぜ。あれが校長じゃなかったら完全に小学生だ」
 
「そうそう、それが悩みなのよね~」
 
「「うわッ――!!!」」
 
突然2人の会話に割って入ってきたのは他ならぬ校長の霞、どうやら2人が気がつかないうちに忍び寄ってきたと思われるが・・こんなところで校長である霞と会うなどとは予想外にも程がある。
 
「な、何してるんですかこんなところで!!!」
 
「行動力があるにしても行く場所が間違っているでしょ!!!」
 
「いいのいいの、気にしないで。ちょっと色々溜まってるから吐き出したいのよ」
 
2人に構わずに霞はそのまま2人の間で佇みながら買ってきたコーヒー片手にのんびりと空を見上げ続ける、霞からはロリっ娘の見た目とは裏腹に中年独自の哀愁が広がってくる。
 
 
「ハァ・・この歳になると若い頃と違って身体もあちこちとガタがきて疲れるわ」
 
「あの、とてもそうには思えないんですけど・・」
 
「あのね、中野君。見た目はこんな成りだけどもう私も若くないのよ。同い年の同級生なんか孫が出来たっていってるぐらいだしね、羨ましいなぁ」
 
霞にしてみれば仕事は多忙ながらもそれなりに充実はしているので今のところ不満はないのだが、ある程度子育てを終えた彼女にしてみればそろそろ孫が欲しいところである。何せ孫が生まれたら駄菓子屋に連れまわしてのんびりと遊ぶのがささやかな夢なのだ、息子が小さかった時に親子ではなく姉妹と間違えられた時のあの快感が忘れられないようである。
 
「校長先生、それは高望みというやつでは・・」
 
「木村君も子供を育てたらわかるわよ。それに2人ともそれ相応の生活をキッチリ送ってね」
 
「「はい・・」」
 
霞の思わぬ発言に2人とも思わず言葉を詰まらせてしまう、霞もある程度は2人の生活については熟知しているのである程度の忠告は校長としてさせておくのだ。
 
「ま、少なくとも私はとやかく言うつもりはないわ。それにしても骨皮先生はしょうもない噂ばかり広まっているから困ったものよね」
 
「え・・校長先生も知らないんですか?」
 
「本人達が頑なに話したがらないんだから仕方ないでしょ。ま、個人的には気になるところだけどね☆」
 
「校長先生とは思えない台詞だ・・」
 
霞もあの2人についての噂についてはある程度は熟知はしているものの自分の立場もあるのでとりあえずは静止している、といっても個人的にはかなり気になるところなのでいずれは事実を把握したいところだ。
 
「ま、教師ってのは案外駆け落ちで結婚するケースが多いからね。私も何度も見てきたわ」
 
「へ、へぇ・・」
 
「意外ですね・・」
 
それから意外な業界の裏話を2人は固唾を見守りながら聞き続けるのであった。
 
 
 
放課後
 
珍しく靖男がいない放課後の職員室では瑞樹と礼子がいつものように書類を片付ける、といっても礼子は基本的に普段の日誌をまとめて提出するだけなのと、時々ではあるが多忙を極める霞に代わってレポート作成を手伝っている。いくら霞が優秀な人間とっても1人では限界があるので礼子が代行で行うときもある、幸いにも礼子自身が色んな意味で極めて優秀であるのでかすみも安心して任せられるのだ。
 
「校長先生、いつもの日誌と以前に頼まれていたレポートです」
 
「ありがとう。春日先生は本当に優秀だから助かるわ~」
 
手渡された完璧なレポートに霞も子供のようにご満悦だ、見た目と完全に相まっているのが恐ろしいところである。
 
「これで理事長にもメンツが保てるわ。情けない話だけど仕事がこうも忙しかったら中々手が回らないのよね・・それじゃ上がっていいわよ」
 
「私はいつでも時間はありますから、いつでも声を掛けてください」
 
礼子とて霞の激務を考えたらこれぐらいはお安い御用である、彼女にしてみれば普段お仕事をそつなくこなしているのでしっかりと時間は確保しているし、これぐらいのことは余裕である。そのまま礼子は帰りの仕度をしながらも未だにパソコンと向かい合ってデータを分析している瑞樹に声を掛ける。
 
「橘先生はまだ帰られないんですか?」
 
「ええ、今日の陸上部で行った練習データをまとめなければいけないので」
 
瑞樹の指導方針は他の体育会系とは一風変わっており、分析やデータを主にした科学的手法が濃く取り入れられているのでこういった風にデータを細かくまとめておけば次の練習の目安をとなる。元々スポーツ経験がない瑞樹なので自然とこういった手法になってしまうのだ。最初はギクシャクしていたこともあったが今では全国も目指せるぐらいの水準まで高まっているので周囲からの評判も高い。
 
「大変ですね」
 
「・・ええ、こうしないと支障が出ますから。これが終わったら今日の仕事は終了です」
 
淡々とパソコンの画面に向き合う瑞樹の姿に礼子は瑞樹の生真面目さを感じてしまう、礼子にしてみれば瑞樹は先輩の教師の一人であり女性としても綺麗で性格も現実的な発言が目立つ中で仕事はキッチリと済ませるタイプだ、こんな人物があの靖男と付き合っていたとは礼子にしてみれば到底信じられない。
 
「春日先生は・・生徒達と仲が良いみたいですね」
 
「いやいや、そこまでは・・色々相談を受け持っているだけですよ。年頃でもありますしそれが私の役目ですから」
 
「・・」
 
思えば瑞樹は仕事優先で動いているので生徒間との関わりをあまり持ったことはない、しかし最近は靖男との噂が飛び込んでいるので問い詰められる機会が非常に多いのだ。しかも事実であるので余計にやきもきしてしまうところである、一応前進したかに思える2人の関係ではあるが実態はあまり変わってはいないので未だに元恋人止まりだし肝心の靖男が噂に対してはのらりくらりと流している上に今までと対応が変わらないのが余計にやきもきしてしまう。
 
「さて、仕事が終わったのでお先に上がらせてもらいます。・・お疲れ様でした」
 
「え、ええ・・お疲れさまです」
 
そのまま仕事を切り上げた瑞樹の姿に礼子は少しばかり違和感を覚えるのであった。
 
 
 
龍神商店街
 
 
白羽根学園からそ歩いて3分も掛からないところにある、この龍神(りゅうじん)商店街に珍しく瑞樹がふらっと現れる。いつもならば自宅近くのスーパーで買い物を済ませてしまう瑞樹にしてみれば何でここに訪れていたのがよくわからないが、夕食のメニューを考えながら店を巡りながら食材を吟味しながらいろいろなものを買い込んでく、そんな瑞樹の様子を見つめる人影が2人・・
 
「なぁ、あれって・・橘先生だよな?」
 
「ああ、何でこんなところにいるんだろ」
 
人影の正体は例にも漏れずに狼子と辰哉、2人は夕食の買い物のために自宅から近いこの商店街を利用しているのだが・・まさか瑞樹の姿が目に付くとは驚きである、そのまま2人は瑞樹に声を掛ける。
 
「橘先生、こんなとこでお買い物ですか?」
 
「しかしこんなところで会うなんて珍しいですね」
 
「・・」
 
普段学校でいるのと同じぐらいに無表情の瑞樹に2人少し面食らってしまうが、いつものように気には留めずに会話を続ける。それに学校では無表情で通っている瑞樹とこんな場所で会ってしまったら溢れ出す好奇心を抑えるのは無理な話である。
 
「実は俺たちも買い物なんですよ、うちの家族が狼子をえらく気に入ってまして今日も一緒に夕飯を・・って痛ててて!! いきなり噛むなよ!!!」
 
「余計なこと言うなッ!! 橘先生も夕食の買い物ですか?」
 
「・・ええ、学校から比較的に近いので」
 
といっても瑞樹にしてみればこの龍神商店街にやってきたのは本当に偶然なのでどう対応していいのか困ってしまう、それによくよく考えてみればこの2人は靖男の生徒なので瑞樹に会えば話題も自然と絞られる。
 
「そういえば橘先生、化学の実験はこれからどんなことするんですか?」
 
「月島産と木村君のクラスでしたら、メタノールの性質実験ですね。危険物質ですから私が執り行います」
 
「おおっ、やっぱり化学の醍醐味は実験だな。辰哉!!」
 
「お前はアルコールランプで炙って遊んでたろ・・」
 
こうも仲睦まじい2人がどこか眩しく感じてしまう瑞樹、前に靖男が強引に転がり込んできた時も結局いつものようにはぐらかされてしまっており、何ら進展はしていないのでどこか複雑だ。それにあの時にもう少し自分が積極的になれば辰哉と狼子のような関係になれたのかと思うと少しばかり後悔してしまう。思えば靖男と付き合っていたときは普通のカップルとは全く違った生活を送ってはいたものの、全てが味気なく先すらが全く見えていなかった当時の瑞樹にしてみればあの靖男との日々を思い出すだけで純粋に胸が締め付けられるような痛みと同時に楽しかった思いでも甦る・・それらが入り混じり、寂しさに身を任せて自嘲気味の溜息を小さく吐く。
 
「そういえば橘先生って料理をされるんですね」
 
「・・ええ、人並みですけど」
 
瑞樹が女体化したのを見かねてた弟は料理と始めとして家事に必要なスキルを授けてくれており、今となってみれば感謝はしてもいいものだ。
 
「でもこんなところで橘先生に会うなんて意外ですよ」
 
「そうだよな。もしかしたら俺達は運がいいかもしれないな」
 
はやしまくる2人に対して瑞樹は何故だかわからないがどこか気まずく思ってしまう、思えば2人と同じ年頃の時の自分は弟の死でどうしようもなくなって前すらも見えていなかったのだ。あのまま靖男と出会わなければどうなっていたのかと考えるだけで恐ろしく思える。あんな別れ方をしたものの、未だに考え込んでしまうのだからそれだけ自分は未だに靖男のことが好きなのだろう。
 
「あの橘先生?」
 
「・・なんでしょうか?」
 
「みんながしきりに騒いでいる噂ですけどすぐに止みますよ。だって人の噂なんて75日って・・ハッ!!」
 
慌てて口を塞いでしまう狼子であったが、既に後の祭り。幸いにも2人が見た限り瑞樹の表情は常に変わらないように見えてしまうがそれが余計に怖く思えてしまう、慌てて辰哉は狼子の口を塞ぐと瑞樹に謝り始める。
 
「バ、バカ!!! すすす・・すみません!!!」
 
「・・いえ、大丈夫です。私は気にしてはいませんから、それでは失礼します」
 
そのまま瑞樹はそそくさと買い物を済ませると2人の前から逃げるように立ち去ってしまう。
 
 
 
同時刻
 
瑞樹たちがいるお店の丁度反対側に位置する行きつけのパソコンショップにホクホク顔の靖男がいた、そんなおんぼろの店内ではいつものように店主が新聞を読みながら常連中の常連である靖男を出迎える。今回は珍しく仕事を残さずに定時きっかりで仕事を終えた靖男はそのままこのパソコンショップで予約をしていたゲームと部品を受け取る。
 
「はいよ、ようやく受け取ってくれたな。予約してから2ヶ月は経っているぞ」
 
「悪い悪い、中々取りにいく時間がなくってな」
 
靖男はこの店主とは既にツーカーの仲なのでかなり融通を利かせてもらっている、自作のPCの部品から通常では入手し辛いゲームソフトなどの手配などをしてもらっている。それに靖男はこうみえてもそんな趣味を活かして副業で修理や自作PCを作っては周囲に売り捌いているので収入的にも比較的には余力はあるのだが、これでも列記とした教員であるのでバレてしまえば懲戒免職に一直線なのはいがめない所である。
 
「これでPCの容量も上がるぜ。副業でもそこそこ収益を上げているから充実しているぜ」
 
「前は客がいなくて嘆いていたろ」
 
「店主の癖に客の痛い所を突くな」
 
靖男も最近になってから副業でそこそこ稼げているもののあまり目ぼしい収入には至ってはいない。それにここ最近は霞も薄々気がついているようで自分に対する視線もちょくちょく厳しくなっているからそろそろ控えないと危ないだろう。
 
「ま、あんたは昔からうちの店を贔屓にしてくれるからな」
 
「精々潰れないようにな。潰れる時になったら教えてくれ、俺が全部買い占めてやるよ」
 
「へいよ」
 
そのまま店主は新聞を読みながらのんびりと次の客を待ち続ける、外に出た靖男はのんびりと身体を伸ばしながら軽く欠伸しながらいつもの平和な龍神商店街を見つめ続ける。前はここで買い物帰りに藤堂の母親と思わず出くわしてしまいとんでもない目に遭ってしまったのだ。強制的に霞と一緒にクビ覚悟で藤堂の実家へと足を運んだのは今でも記憶に新しい、結局は何もなかったものの霞からは愚痴られ続けてたのであの思いは二度とこりごりである。
 
それにここ最近は職場での瑞樹の視線が突き刺さって集中できない日々が続いている、いくら過去に自分が酷い振り方をしたとはいっても毎日こんな生活が続くのは少しきついものがあるが、結果的には自分の自業自得であるのは他ならぬ靖男が一番自覚しているので悩ましいところである、あの噂に関しては一番迷惑しているのは瑞樹でもなく他ならぬ靖男であった。
 
(全くあの噂流したのは誰だ!! 元カノが一緒の職場にいたことだけでも驚きだったのにこんなことになるとは・・)
 
「ウラウラ!! 走れ走れ!!!」
 
「ううっ・・げ、限界だお」
 
「て、手足の感覚がなくなってきた・・」
 
突然靖男の前に現れたのは人力車に乗っている聖とそれを全速力で押しているドクオと内藤という非常にシュールな光景が繰り広げられていた、そのまま聖は人力車を動かし続けている2人に怒鳴り声を上げていく。
 
「てめぇら!! ペースが落ちてるぞ!!!」
 
「だ、だってもう限界だお!!」
 
「そうだぜ!! 何でこんなクソ重い人力車を動かさなきゃいけないんだ!!!」
 
2人が動かしていた人力車は大きさは普通なのだが重さが段違いなので2人掛り引くにもかなり苦労するのだが、以前に聖は手本として2人を人力車に乗っけながら楽々と町内を一周したのだが・・聖とは基本スペックが違う彼らにしてみれば地獄以外何者でもない。
 
「情けねぇな!! 前に俺が手本見せてやったろ」
 
「お前と一緒にするな! こんな人力車で町内一週できるわけないだろ!!」
 
「そうだお! 俺たちでは無理があるお!!」
 
「うるせぇ!!! 女である俺が出来たんだ、てめぇらも男だったら根性出しやがれ!!!!」
 
なんとも無茶苦茶な理論ではあるが、聖から課せられる訓練はそこらへんのスポ根では話にならないほどの凄まじい内容なので彼らからしてみればビシバシと指導する聖など鬼では優しすぎる、まさに修羅と言えるものだろう。
 
 
「全く、男の癖に情けねぇ・・これぐらい出来ないと強くなれねぇぞ!!」
 
「あのな相良。ちょっとは考えろ、今時そんなスポ根のような特訓は時代遅れだ」
 
流石に見るに見かねたのか靖男は思わずドクオと内藤に助け舟を出す、一応これでも靖男はそこそこ成績が上昇している卓球部の顧問なので練習の指導のノウハウは持っている・・のだが、相変わらず聖は靖男に噛み付く。
 
「うるせぇ、ポンコツ教師!! 俺には俺のやり方があってだな・・」
 
「お前な、こんな重たい人力車で町内一周なんてお前は別として普通の人間じゃまず無理だ。格闘技は良くわからないが基礎体力つけたいならランニング程度で充分だ、後は適度な休息を取ればいいんだよ」
 
ご大層に力説している靖男であったが、普段の卓球部の練習メニューは部員同士が決め合っているので靖男はあまり大したことはしていない。精々フォームのチェックやら適当にだべっていたり隣の男子バレー部の顧問と揉めているぐらいである。しかし大会となれば普段のぐうたらな態度とは打って変わって的確で奇抜な指導をするので部員達にもそれなりに一目置かれているのだ。
 
「それに無茶して身体壊したら元も子もないだろ」
 
「おおっ、普段はぐうたらな骨皮先生が輝いて見えるお・・」
 
「ああ、さすが卓球部の顧問だけあるぜ」
 
普段の授業とは違って説得力がある靖男の言葉にドクオと内藤は思わず感心してしまう、何せこんな練習など彼らにしてみれば地獄そのものなのでのがれられる手段があればそれに全力で乗っかりたい。
 
「だからお前も格闘技なんてやってないでもっと慎ましく・・ウゲッ!!」
 
「うるせぇ!!! てめぇみたいにチンタラやってられるか!!」
 
「相良ッ!! かっての恩師に何てことしやがる!! ちょっとは敬え!!!!」
 
「誰がてめぇみたいなポンコツ教師の下につくかッ!!!」
 
いつものように聖と靖男から繰り広げられる言葉の応酬に内藤とドクオはいつものように溜息が出てしまう、去年はこの光景が日常だったのだからある程度の耐性はついているもののツンがいなければ完全に止めることは不可能だろう。
 
「それよりも今日は俺達になに奢ってくれるんだ?」
 
「お前な・・堂々と担任からたかるな。先生の経済は基本的に自転車操業なんだ、今の俺にそんな余裕はない」
 
どうやら聖は以前に靖男から焼肉を奢ってもらったようで味を占めたようだが、いくら靖男でも常日頃から聖に奢ってやれるような金銭的な余裕はない。軽はずみに聖と狼子達に焼肉を奢ったのはいいものの2人のとんでもない食欲を甘く見た靖男は副業で稼いだ収入が全て吹き飛んだので以後は自重している。今まで聖に奢ってやった時は翔がいたお陰で自重していたようだ、何気ない翔の偉大さを靖男は思い知るが・・靖男とて一応教師としてのプライドは持ち合わせているのでそう簡単には負けはしない。
 
「だったら噂の真相ぐらい話せ! 今日はそれで勘弁してやる」
 
「お前な!! いい加減にしつこいぞ」
 
「それは俺も聞きたいお」
 
「今までゲームで理不尽な目に合わされているんだから気になるところだな」
 
約一名おかしなものもいるがドクオと内藤も靖男の噂については気になるようであるが、靖男にしてみればとんでもない選択である。ただえさえ今回購入したパーツやゲームで金銭的な余裕がない上に聖達に奢ってしまえば極貧生活まっしぐらだ、あの時は瑞樹の家に転がり込むことで何とか凌げたものの今回はその手は通じないだろう。
 
「さぁ、どうするポンコツ教師ィ~」
 
「・・兵法に従い、戦略撤退を試みる」
 
「あっ!! てめぇ、待ちやがれ!!!!! 
ブーン、ドクオ!! あのポンコツ教師を・・追えええええぇぇぇぇぇ!!!!!!!」
 
こうして龍神商店街をまたに駆けたチキンレースが開催された。
 
 
聖によって龍神商店街では靖男捕獲のための包囲網が張り巡らされながらも靖男は何とかそれらを掻い潜りながら必死に逃げ続けていたが、思った以上に聖の追跡が激しくて時間が経てば経つほど聖たちの追撃は激しくなってくる。
 
「チッ、あのポンコツ教師め・・俺から絶対に逃げ切れると思うなよッ!!!」
 
(相良の野郎、思ったよりもしつこいな。しかしここで相良に捕まってしまえば俺の給料は確実に吹き飛ぶ!! かといって・・逃げるのも難しいな)
 
何とか聖をやり過ごしている靖男であるが、このまま捕まってしまうのも時間の問題だろう。かといってこのままおめおめと聖に捕まってしまえばこの後の展開は確実にわかりきっているので懐具合が常に寂しい靖男としてみれば絶対に避けなければいけない展開だろう、既に自分の馴染みであるゲーム屋は聖の手が回っていてもおかしくはないし商店街といっても広さはかなり狭いので早いところ撤退しないと拙いだろう、そのまま靖男は周囲の様子を探るために外を見るが必死になって何かを探している狼子と辰哉の姿を見つける。
 
「辰哉! 骨皮先生はいたか?」
 
「いや、ここにはいないようだ。しかし骨皮先生を見つけたら焼肉やファミレスを奢ってくれるなんて豪勢だな」
 
「聖さんより先に見つけるぞ!!!」
 
(相良の奴、何てこと言いやがる!!!)
 
どうやら狼子と辰哉も聖と結託したようで靖男を探しているようだ、更に追っ手が増えてしまって逃げ場を失ってしまう靖男であるが易々と捕まるわけにも行かない。そのまま靖男は周囲を慎重に確認しながら裏路地を中心に出来る限り気配を殺しながらゆっくりと移動をしていく、もはや袋の鼠となっているこの状況であったが持ち前の体力とゲームで身に付けた戦術を活かして何とかドクオや内藤に辰哉や狼子といったそうそうたる面々からの追跡をまきながら逃亡を続ける靖男、ようやくあと少しで人が多い大通りへと差し掛かったのだが・・ここで運悪く聖と出くわしてしまう、その表情は既に強張っており並々ならぬ執念がオーラとなって放たれて靖男は思わず後ずさりをしてしまう。
 
「見ィ~つけたぜ・・骨皮先生よォ!!!」
 
「ま、待て!! 落ち着いて話し合おうじゃないか?」
 
「うるせぇ!!! 今日はたっぷりと奢ってもらうぜ・・」
 
もはや絶体絶命としかいえないこの状況であるが元を質せば靖男が何も考えなしに聖や狼子たちに奢りまくった結果といえよう、それに普段から追いかけられていることに手馴れている聖にしてみれば普段と逆のことを考えていれば靖男を見つけ出すことなど容易いことである。
 
 
「さぁ、大人しくお縄を頂戴しろ!! ポンコツ教師ィィィ!!!!!!」
 
(クッ、さようなら俺の財布・・)
 
靖男は覚悟を決めたのか素直に目を瞑るが一向に聖から拳が放たれる気配はない、恐る恐る目を開ける靖男であったが、そこには信じられない光景が繰り広げられていた。
 
「て、てめぇは――!!」
 
「お前は――!!」
 
「・・」
 
聖の前に立ちはだかったのは白羽根学園化学担当の教師であり、靖男の元恋人でもある橘 瑞樹その人である。意外な人物の出現に2人は思わず唖然としてしまうが、一足早く正気に戻った聖は怒涛の勢いで瑞樹を責め上げる。
 
「何の用だ!! 俺はこのポンコツ教師を締め上げて狼子達と上手いもん食う予定なんだ、いくらてめぇでも邪魔はさせねぇぜ!!!」
 
「お、落ち着け相良!! それに相手を考えろ、ここでやってしまえば一部の男子を敵に回すことになるぞ」
 
「うるせぇ!!! 俺に歯向かう野郎達もまとめて叩き潰すだけだ!!!」
 
この力説のように身近にいる一般の男子生徒諸君は相良 聖という人物の恐ろしさをよく知っているので立ち向かう勇気などはまずない、そんなものは勇気とは違ってただの無謀であろう。しかし靖男の言うように瑞樹も容姿は美人の部類に入るので男子生徒の間では人気があったりするのだ、事実陸上部の練習は瑞樹見たさに野次馬が多少ながらもいるのだ。
 
聖の闘気がビリビリと放たれる中で並みの不良なら裸足で逃げ出してしまうこの状況にも関わらず、当の瑞樹は相変わらずの無表情を貫きながらも一向に怯みはしない、靖男はヒヤヒヤしながら見守る中で痺れを切らした聖は瑞樹を追い詰めるために更に怒声を上げる。
 
「元カノだか何だか知らねぇが、俺に歯向かう奴は女でも容赦しねぇ!!!!」
 
「・・」
 
「相良、早まるな!! そそそ・・素数を数えながら深呼吸をするんだ」
 
「んなもん知るか!!! それに俺はてめぇみたいな能面野郎が気に入らねぇんだよ」
 
聖にしてみれば無表情で突っ立っている瑞樹がただただ不気味で仕方がない、それに瑞樹のように感情を表さない人間は見ているだけで腹が立つので余計に怒りを増徴させるが・・瑞樹は静かに聖にある一言を述べる。
 
 
「化学のテスト・・」
 
「ハァ?」
 
「・・相良さん、前回の小テスト点数を覚えていますか? 50点満点中3点のあなたには補習を言い渡したはずですが・・」
 
ようやくの瑞樹の第一声に聖は思わずキョトンとしてしまう、前回の化学の小テストの結果は文句なく点数が悪く補習を喰らっていた聖であるが当の本人はサボっていたのでよくは覚えていない。
 
「それがどうしたって言うんだよ!! あんなもん糞食らえだ!!!」
 
「お前、俺のテストでも平然と中野に補習させてたな」
 
聖ほどの人物となると補習を課しても来ること自体が稀で大抵の教師は聖の力押しによって根負けしてしまっている、しかし仕事では一切妥協はしない瑞樹は今でも聖の補習を諦めてはいないし聖の諸事情も把握しているので更に言葉を紡ぐ。
 
「この補習は授業の単位に関わることです、普段の授業日数の少ない貴女ではこの補習を蹴ってしまえば単位修得はなしと思っていいでしょう」
 
「なっ――・・!!!」
 
「・・ただし、これから提示する条件を飲んでくだされば特別に免除という形で保障はしておきます。
条件は一つ、骨皮先生を解放してもらえれば今回の補習は免除しましょう、もし解放しなければ・・明日の放課後に執り行う予定なので来てもらえば補習はやりますが、来なければ単位は保障できません」
 
(なんてエグイ手段なんだ・・)
 
単位・・これがなければ進級も出来ないし、3年生である聖の場合は卒業にも関わる重要なものである。聖も普段から周囲に耳にタコが出来るぐらいに単位については認識させられているので今回の瑞樹の条件は非常にシビアなものだ、元来の負けず嫌いである彼女にしてみれば留年など恥じ以外何者でもない。
 
それに彼女はこれでも無事に卒業して翔と一緒の大学へ進学するという非常に現実的な夢を持っている、だからこそ周囲に助けられながら授業にも出るようになったし学力も以前とは比べ物にならないほど向上しているのだが、瑞樹が単位を認めなければその努力も水泡に帰してしまう。
 
「き、汚ねぇぞ!!! 人の弱みに付け込みやがって・・」
 
「・・私が言えることはそれだけですので、後はあなたの選択次第です」
 
(待て待て!! 先輩は俺に何の恨みが・・あったな)
 
このまま靖男を解放すれば聖の単位は約束はされたのと同然であるが、瑞樹のやり方も気に入らないのも確かである。そして渦中の靖男はこの状況が早く過ぎ去ってくれることを必死に祈り続けていた、彼にしてみれば聖の選択次第で今後の生活が大きく変わってくるので生きた心地がしないが、そんな靖男の心境を知ってか知らずか瑞樹は聖に二者択一の選択を迫らせる。
 
「相良さん、どうされますか?」
 
「てめぇのやり方は正直言って気に入らねぇ!! 人の弱みに付け込んで・・弱っちい奴等がやる俺が最も嫌うやり方だ!!!」
 
「・・・」
 
更に激昂する聖に瑞樹は相変わらずの無表情を貫くのだがそれが余計に聖の怒りを助長させる、そんな緊迫した状況の中でようやく靖男が口を開く。
 
 
「待て待て待て!!! お前らな、俺が言うのもなんだがもう少しスマートなやり方があるだろ。相良も教師相手に無駄な喧嘩を売るな、お前も少し相手の気持ちを考えて行動しろ」
 
「あなたにそんなこと言えれるの?」
 
「元はといえばてめぇが原因だろポンコツ教師!!!」
 
2人同時に責められながらも靖男はめげずに話を続ける。
 
「シャラップ!! とりあえず今回のことは俺の顔を立てて水に流してもらおう、そうだな・・おい、相良」
 
「何だよ」
 
「次の期末で化学の点数が満点だったら何でも好きなのを奢ってやる。それまで我慢しろ」
 
「本当だな!! 嘘だったら叩き潰すからな、首洗って待ってろよ!!!」
 
そのまま聖は怒涛の勢いでその場から走り去っていく、それと同時に靖男はこの状況が丸く収まったことを心から安堵するが残された瑞樹はどこか不満げである。
 
「・・あんなこといって大丈夫なの? 彼女、完璧に本気にしてたわよ」
 
「あいつの頭の悪さと単純さは2年の時に担任していた俺が保障する、そう心配するな。それとも完璧仕事人間の橘先生はテストの問題は手を抜くのか?」
 
「そんなことするはずないでしょ・・」
 
瑞樹の作成するテストはクラスごとにも寄るのだが難易度はかなり高く、特進クラスを含めても満点を出した人間はこれまでに一人もいない。それだけ瑞樹の作成したテストは本格的でセンター試験や某有名大学の入試試験よりも難しい証拠であろう。
 
「んで、なんで先輩はこんなとこにいるんだ。家の方向と全然違うだろ?」
 
「・・たまたま買い物に寄っただけ、そしたらあの光景を目撃したの」
 
実のところ瑞樹もたまたま通りがかったところ聖に脅迫されている靖男を目撃したのだが、何故か身体が反射的に動いてしまったのでああなってしまったわけ。
 
「それともあのまま見逃したほうが良かった?」
 
「・・ま、今回は感謝する。何か礼に付き合ってやるよ」
 
「そう・・なら、晩御飯作ってあげるから付き合ってもらえるかしら?」
 
「おいおい、それは・・」
 
思わぬ瑞樹の提案に靖男は思わず閉口してしまうが、瑞樹にしてみればせっかくのチャンスをそう易々とは逃さない。
 
「付き合ってくれるんでしょ? だったらこれぐらいは当然よね、骨皮先生?」
 
「わーったよ。付き合ってやるから暫くは離れて歩いてろ、他の奴等に見られると厄介だからな」
 
「・・バカ」
 
一応靖男から約束を取り付けたものの瑞樹の自宅に着くまでにその無表情が若干ながらも不満げだったのを靖男は気付かずにいた。
 
 
瑞樹自宅
 
つい先日まで自分の給料日まで瑞樹の家に転がり込んだ靖男であるが、心なしかあまり落ち着かないものである。あの日以来、瑞樹はいつもとは変わらないものの靖男へのアタックは継続的ながらも続いている。とりあえず瑞樹のパソコンでcivやオブリをプレイしながら現実から逃げるように時間を潰していく靖男であるが、どうしても気が散ってしまって今までのようにゲームがプレイできない。
 
(全く、昨日今日初めて来たんじゃないのに・・)
 
「・・できたわよ」
 
「あ、ああ・・」
 
テーブルに出される豪勢な料理の数々、普段の瑞樹なら簡単に済ませてしまうものの今回に限っては別である。以前に靖男が転がり込んできた時も毎日のように瑞樹が腕によりを振って出される豪勢な料理の数々が出てきたので靖男にしてみればどこか気が重い、そのまま2人はゆっくりと箸を進めながら料理を味わって食べる。
 
「・・どう?」
 
「味も昔と変わってない。それにしても相変わらずワインが好きなんだな」
 
「飲みなれてるから・・いつもの芋焼酎あるけど飲む?」
 
「ああ、もらうよ」
 
そのまま瑞樹はいつものように手馴れた手つきで靖男に芋のロックを差し出す。付き合っていた頃と何も変わらないこの日常が懐かしく思えてくる靖男、心なしかいつも飲んでいる芋焼酎がほろ苦く感じてしまう。
 
「・・ねぇ、あなたの副担任は何とかならないの?」
 
「あの音楽馬鹿は知らねぇよ。前だって任せておいた俺のPTAの提出書類が抜けていたからな」
 
「私が言いたいのはそういったことじゃなくて・・それにそんな重大な書類は担任であるあなたが出すものでしょ、副担任に全面的に任せているあなたが悪いわ」
 
普段から靖男は書類整理や提出などといった重要な仕事も全て副担任である葛西に丸投げしているので霞からはたびたび大目玉を貰っている。かつては瑞樹も担任は経験したことがあるもののちゃんと仕事は分担していたし、やることもきちんとやっていたので副担任に全ての仕事を丸投げしている靖男には同情はしていない。
 
「そんな調子だと校長先生の苦労もわかる気がするわ」
 
「うるせー!! あの音楽馬鹿め、いつもいつも人の仕事を余計に増やしやがって・・」
 
「・・その原因はあなたよ」
 
と言っても瑞樹自身は靖男の知らないところでは葛西とは水面下で火花を散らしているのであまり同情はしていない、どうやらあの日以来瑞樹の中で何かが吹っ切れたようでここ最近はアプローチを繰り返しているのだが現実はかなり非情なのか靖男はいつものようにはぐらかしているので散々な結果に終わっているのが瑞樹をやきもきさせているのはご愛嬌と言う奴であろう、そのままお互い酒が進みながら様々な話題が飛び交う。
 
 
「全く今日は散々だったぜ、自分の生徒に追い掛け回されるなんて情けなくてとんだお笑いものだ」
 
「・・あまり交友には口を出したくはないけど、やたら滅多に奢るのはよくないと思うわ」
 
「おっ、ガキンチョ相手に嫉妬でもしたのか? 情けない大人になってしまうぞ~」
 
からかい半分で瑞樹をおちょくる靖男に多少の怒りを覚えたのか、瑞樹はそのままワインを一気に飲み干すと少しムッとしながら更に言葉を続ける。
 
「そんなわけないでしょ。・・どうしてあなたは相良さんを始めとして木村君や月島さんたちにはそういった行為をするの?」
 
「そりゃ・・秘密だ」
 
「卑怯者」
 
とりあえずその場は答えをはぐらかした靖男であるが何故自分が彼らに肩入れしているのかは実際のところ未だに良くわからない、同僚である礼子も何らかの理由で彼らを寵愛しているようである。思えば聖の担任をしていた時は良くも悪くも濃かったので未だに昨日のことのように思い出してしまう。瑞樹も瑞樹で青春そのものを地で謳歌している聖たちを見ていると自分と対比してしまってその存在が眩しく見えてしまう、今日始めて聖と対峙したがその堂々とした風格や佇まいに加えて思いを正直に伝えるストレートな性格がとても羨ましく思える、自分は聖のように人と真正面からぶつかり合うことなどできない。
 
「先輩だって相良達が羨ましいんだろ。対峙した感想はどうだったよ?」
 
「・・あそこまで自分に嘘をつかずに正直にいれるなんて羨ましかった。だから無意識のうちに憧れてしまうのね、よく担任を勤められたあなたには感心してしまうわ」
 
「そうか? あいつはおバカで単純だ、恋人である中野も賢い馬鹿だしな。だけどそれが月島たちに尊敬される理由なんだろう、あいつ等も相良たちに色々感化されているみたいだからよ」
 
思えば聖の担任をしている時は夜通しで翔と一緒に何度も補習に付き合ってやったし、ちょくちょくではあるが何かしら奢ってやったりもしながら時には子供のように意地を張り合いながら彼女がもたらすトラブルを何とか処理したこともあったことを思い出す。
 
「でも・・彼女の担任をしていたあなたは楽しそうだったわよ」
 
「バカ言え、あいつは様々な揉め事よく起こすからヒヤヒヤしたもんだ。あんな思いは二度とごめんだ」
 
そのまま靖男は芋焼酎を一気に飲み干すと自分の食器を片付けて押入れから来客用の布団を取り出すとそそくさと準備をして就寝の準備に入る、どうも瑞樹と一緒にいると心境的にも落ち着かないのでさっさと眠って学校へ出勤したほうが心境的にも楽だ。
 
 
「もう寝るの?」
 
「明日は早いんだよ。卓球部の合宿の準備もしなきゃいかんからな」
 
「そんな気構えは結構だけど・・お風呂ぐらいは入って頂戴、お酒臭いと洗濯するこっちとすればたまらないわ。それとも一緒に入る?」
 
「勘弁してくれ、先に先輩が入ってくれれば後で入るよ」
 
「・・わかったわ」
 
そのままそっぽを向く靖男であるが、瑞樹はそのまま諦めたかのようにしながらも若干不満げな表情のまま浴槽へと消えていく、本来ならばこの隙にとんずらを決め込む靖男であるが飲み過ぎた為に身体が思うように動かないし、下手に瑞樹の不満を買うのはよろしくはないのでこの案は断念せざる得ないだろう。
 
(ハァ~・・何で今でも変わらないのかね)
 
自身の自業自得と知りつつも未だに瑞樹とは一定の距離と保っているようにはしているものの、ここ最近は瑞樹のアプローチが日に日にまして増えているのが靖男の悩みの種である。瑞樹とて女体化しているものの美人には違いないので自分よりも性格的に相応しい相手がいると思うし、そのような相手がいるなら正直応援してやりたい。あんな振り方をした自分を今も変わらずに想ってくれていること自体が有り得ないものだ、自分が瑞樹の立場ならば一生恨んでいるだろう。
 
「・・大体、あの噂も何で広まったんだ? 先輩が自分の過去を話すわけもないし・・」
 
今尚、飛び交っている瑞樹との噂についてはお互いに取り合えて静止しながら事が収まるのを待っている、瑞樹はあの噂によってある種のきっかけになったのでそこまでは迷惑はしていないものの靖男にしてみれば迷惑以外何者でもない。生徒は勿論のことそれ以上に副担任である葛西も事あるごとに真相を聞きたがるので対応に困ったものである、しかし噂が回り始めた時期も唐突だったし何よりも出所が全くの謎なのだ。靖男も噂の出所についてはある程度は調べてみたものの誰がどのように流したのかが全く謎なので犯人探しは諦めている。ただ判っているのは自分はもちろんのこと当事者である瑞樹も何ら感知していないと言うことだけ、それに噂が既に学園内に蔓延していることを考えたら自然に風化するのを待つしかないだろう。
 
 
「やれやれ、酒が進んでしまうな。俺も歳かな・・」
 
「・・だったら付き合ってあげるわよ。その前にさっさと入って、下着や着替えは前のがあったから置いてあるわ」
 
「へいへい用意周到なこった。んじゃ、ご好意に甘えて一風呂浴びてくるわ」
 
そのまま靖男も浴槽へと消えてゆく、そのまま静かに見守った瑞樹は髪を乾かしながらふと鏡に視線を移すが心なしか微笑している自分の姿が目に映る。
 
(・・何年ぶりかしらこの感覚、思えば付き合っていたころもこんな感じだったわね)
 
思えば靖男と付き合っていた頃はこれが当たり前の日常だったので、ふと懐かしさが思い浮かんでしまう。他のカップルと比べたら味気のない地味な生活だったものの今まで味気なかった生活を送っていた瑞樹にしてみれば新鮮で華のあるものであったので今でもより鮮明に覚えている。思わぬ形で破局を迎えて大学内でも疎遠になってしまい、全ての時が止まってしまったかのように何ら変化もないままで大学を卒業して白羽根学園へ勤務してからもそれは変わる事はなかった、それでも靖男のお陰で化粧も覚えて人並みのファッションセンスを身につけたおかげで容姿はマシになっており、それに惹かれてか言い寄ってくる人物もいたものの全て断っている。自分を変えることが重要なのは一番わかっているものの、何故か拒否してしまう・・その答えが何故か判らぬままずるずると過ごしていた矢先に運命の悪戯か靖男の赴任、常に表情が死んでいた付き合っていた頃と違って破天荒でありながらも実直な生活を見につけた靖男の変化には驚いたものだ。自分と付き合っているときは見せたことすらなかった靖男の変化には複雑な想いがあったもののそれと同時に惹かれていく自分を見つけてしまったのだ。しかし元来の不器用な性格に加えて仕事のポジションも違ったのもあってか靖男とは仕事以外での会話もする事はなくやきもきしたまま時間だけが過ぎようとした矢先にあの噂である、最初は切り捨てていた瑞樹であったが湧き上がる周囲に加えていつもとは違ったもどかしさを見せる靖男に好奇心を覚えたのか・・結果的にはそれが功を奏して関係が一歩前進している。
 
「でも・・もう少し素直になって欲しいわね」
 
瑞樹が気になっているのは靖男が礼子と霞に洩らしたとある昔話・・あの時は偶然にも職員室の前にいたのだが、その衝撃的過ぎる内容に礼子と霞は一蹴していたものの瑞樹はどうもその内容が嘘に思えなかったのだ。靖男が転がり込んできた時にさり気なく聞いてみたものの本人がはぐらかすのでその真意は未だによく分かっていない、しかし時折靖男が無意識に見せる虚ろな視線がその事実を物語っている。しかし靖男が今の自分をどう思っているのかはよく分からないが、出来ればこの微妙な関係を一気に縮めて復縁したいものである。それにここ最近は葛西とは水面下で争うことが多くなっていたので早い段階でも決着をつけておきたいのだ。
 
そのまま髪を乾かし終えて服を着替えた瑞樹はワインを飲みなおすと靖男が出した来客用の布団を片付けると靖男から貰ったパソコンを起動してcivをプレイする。このパソコンも元は靖男がゲーム用に組み上げた自作パソコンなのでcivを始めとして多種多様なゲームが最初から入っている、ワインを飲みながらこうしてゲームをプレイしていくと温もりを感じてしまうのだ。
 
「おっ、civしてんのか? 本当にゲームしてるんだな」
 
「おかげさまで・・あなたが夢中になった理由が少しだけわかるわ」
 
「それにそのパソコンだってそろそろガタが着てるだろ。いい加減に新しいの買えよ」
 
瑞樹が使っているパソコンは付き合っている頃にあげたもので既に相当ガタが着て当然なのだが今でも当然のようにネットは当然のことゲームも余裕で稼動しているのである意味凄い代物だが、所詮は自作のパソコンなので相当ガタもきているはずようだが瑞樹は頑なにパソコンを変えようとはしなかったのだ。
 
 
 
「・・イヤよ、気に入っているもの」
 
「ま、充分に動いているしな。パーツもガタがきていないようだし・・って変な風に市民を配置するんだな」
 
「ええ、こっちのほうが効率がいいわ。・・向こうの研究速度が速そうね」
 
「ちょい貸してみ。・・ああ、こりゃ上手い具合に技術を転がしてないな。典型的な中級者のパターンだ、こういった場合は変にケチらずにこういった感じで技術を転がしてスパイで他国の新規技術を奪っていくのがセオリーだな」
 
そのまま靖男は焼酎片手に手馴れた手つきでゲームを進めていく、瑞樹はただただその光景を見守るばかりである。
 
「ま、こういうやり方もあるんだ。難易度的に不死じゃないんだろ、だったら最初は貴族を余裕でクリアできないと話にならんし、先輩が天帝プレイしたら瞬殺されるだろうがな・・ってそういや俺達明日も仕事だったな」
 
「・・そうね」
 
「それじゃ、何で俺が出した来客用の布団が片付けられているんだね、瑞樹さん? 俺に廊下で眠れって言うんじゃないだろうな」
 
「ベッドならあるじゃないの」
 
瑞樹が指差したのは普段から使っている自分のベッド、どうやら今日は一緒に寝ろと言うことなのだろう。どうせ強引に布団を出したところで片付けられるに決まっているのでここは大人しく観念して瑞樹と一緒に寝るしかないだろう。
 
「・・わかったよ、明日も早いんだから寝るぞ」
 
「ええ、陸上部の朝練があるから朝食は作って置いてあげるわ」
 
そのままお互いにベッドに入ると明かりを消してすぐに就寝に入る、普段ならばここで甘ったるい空気が流れるところなのだろうが残念ながらそういった雰囲気など微塵もなく付き合っていた頃と同様に添い寝程度に収まってしまう。いつものように瑞樹は靖男にしがみつきながら眠ろうとするのだが、身体が興奮してしまって眠れるものも眠れない。
 
 
「・・ねぇ、眠れないんだけど」
 
「んなもん適当に羊でも数えたら眠れるぞ、貴重な睡眠時間を無駄にするんじゃありません」
 
「私としてはもう少し刺激的な夜が欲しいんだけど・・」
 
えらく直球の瑞樹の言葉に靖男は思わず頭を悩ます。前に転がり込んできた時はそういったのは付き合っていた頃と同様にしながら切り抜けていったのだが、あの時と同様に瑞樹もそう簡単には退きはしないだろう。
 
「女の子が変なこと言うんじゃありません。お父さんそんな娘に育てた覚えはありませんよ!!」
 
「悪いけど育てられた覚えも無いわ。・・言ったでしょ、あなたが望むならセックスフレンドでも構わないって」
 
「そんな趣味はない、先輩も俺以外にも他にいい奴でも見つけろよ? 何なら紹介でもしてやろうか」
 
このまま自分と付き合っても何らメリットはない、それに自分以外にも他の人間と付き合うことも大事だと靖男は常々思う。いくら自分が状況を作り出したとはいってもこのままでは瑞樹があまりにも不憫でならない、それに自分は人並みの幸せすら享受してはならない人間なのだ。
 
「そりゃあの時は俺が自分の勝手で先輩を振ってしまった、だから先輩には他の奴と付き合って幸せになって欲しいんだよ。
 
このまま俺といたところで何ら変わりはしない、だから自分の幸せを見つけ――」
 
「イヤよ――・・私は今でもあなたが好きなの、それだけは変わらない・・変えたくはない」
 
更に瑞樹は力いっぱい靖男にしがみ付く、自分でも分かってはいるのだけどもやはりそれ以上に靖男が好きなのだ。
 
「私は・・もう決してあなたを離したくはない。あの時のように自分から逃げたくはないの、弟が死んでからの私を甦らせてくれた彼方を・・決して離したくはない――」
 
「もう俺達は何でもないんだ。それに俺は・・人並みの幸せはいらないんだよ。先輩も俺の存在で自分を縛るな、この先の人生を無駄にしてしまうことはないんだ」
 
「自分を縛っているのは・・あなたよ、過去に何があったかなんて問わないわ。・・けど、そんな生き方は悲しいわ」
 
「・・それだけ俺のやってしまったことは取り返しのつかないんだ。償っても償いきれない・・だけど贖罪はしないといけない、俺は決して幸せにはならずに惨めで悲惨な最期でも生温いほうだよ」
 
自嘲気味に靖男は瑞樹を突き放そうとする、彼は決して自分の幸せを望まない。それがただの自己満足だと判っても自分の生き方を縛る以外の方法を知らないのだ、2人の人生を奪い生き地獄を見せているのだからそれだけでも生温い話なのだ。
 
「だから俺はこれからも幸せには決してならない、これから俺の命はある人物に殺されるためだけのものだ。そのための過程は常に惨めで嫌悪されてなければならないんだよ。
 
先輩はそんな男の元にいちゃいけない・・自分が産んだ業は自分で背負わなきゃいけないんだよ、詭弁だって判っているんだけどな」
 
「付き合うわ、その中途半端で笑えるぐらいの自己満足の詭弁。・・あなたが殺されるなら黙って見守って悲しんであげる、彼方が惨めで嫌悪されるぐらいの存在になれば私も一緒に汚れてあげる。
 
だから、もう私を決して離さないで―――・・」
 
更に瑞樹は力いっぱいに靖男の身体を抱きしめる、ようやく掴んだこの温もりを決して離したくはない・・そんな瑞樹の決心が身体を通して伝わってくる。
 
「ようやく掴んだ彼方の存在を私はもう離したくはない。だから・・彼方の業を一緒に背負ってあげる」
 
「zzz・・」
 
「・・バカ」
 
寝息を立てている靖男に瑞樹は少し呆れながらも静かに口付けを交わして眠るのであった。
 
 
 
翌日
 
靖男は唇の妙な感覚が気になりながらも瑞樹が用意してくれていた食事を綺麗に平らげるとそのまま学校へと向かう、瑞樹は陸上部の朝錬があるので早く起きて自分と靖男の分を作るとさっさと出かけてしまったようだ。そのままいつものように遅刻ギリギリで職員室へと向かって恒例である朝礼を終えた靖男を待っていたのは霞の小言である。
 
「うぃ~っす・・」
 
「骨~皮~先~生ィ~、前に頼んでおいた懇談会のまとめは!!」
 
「え? あれはもう少しで・・」
 
「なに悠長なこと言ってるの、あれ今日が提出期限よ!? 出てないの先生のクラスだけよ!!」
 
霞が言っているのは前に行われた保護者とで行われた懇談会の事後報告書である、懇談会はクラス単位で行われるため事後報告書の提出も各クラスの担任の教師に一任されている、学校としても事後報告書は最近の保護者の傾向を知るための資料として扱うのでかなり重大な書類なのだが、例に漏れずに靖男のクラスだけが提出をしていないので重大な問題なのである。
 
「あの・・もう少し時間が欲しいんですけど」
 
「んなこと出来るわけないでしょ!! 授業終わったら職員室で書き上げて放課後までに私に提出しなさい!! い・い・わ・ね?」
 
「へ、へい・・」
 
靖男の空返事と同時に霞はいつものように大きな溜息を吐きながら理事長室へと向かっていく、恐らく説教覚悟で理事長に出来る限りの延期を頼むのだろう。
 
(放課後までに書類出せとか、あのロリっ娘は鬼か!!)
 
といても懇談会から提出期限である今日までには結構余裕があったので他の教師も仕事をしながらも優先順位をしっかりと決めてさくっと作成をして提出していたのだが、どうも靖男は提出期限に余裕があると判断して放置してたので未だに殆ど手付かず状態である。幸いにも今日は授業が少ないので書類を書き上げる時間は充分にあるのだが、懇談会が終わってからかなり日が経っているので記憶との戦いである。
 
「春日先生、なんかいい方法ないっすか?」
 
「養護教諭の私に言われても・・メモとかは取ったりしてるの?」
 
「一応、しかし自分の字なのにさっぱりなんだよな。これが」
 
「ま、まぁ・・頑張ってね」
 
礼子もいつまでも職員室にだべっているわけにもいかないので必要な書類だけを持ってそのまま職員室を後にして保健室へと向かう。礼子の助力を借りようとした靖男であるが、ここ最近はそのパターンも霞に見抜かれているようでちょくちょくであるが監視もされている。礼子に頼れないとなると靖男は市場を捨てる覚悟に出ると、そのまま授業の準備を終えて実験室へと向かう瑞樹を捕まえる。
 
「橘先生、ここなんですg・・」
 
「・・骨皮先生、申し訳ありませんが授業が控えていますのでお答えする時間はありません。それに私は先生のクラスの保護者の方々は面識がありませんので」
 
そのまま瑞樹は容赦なく靖男をばっさり突き放す、いくら元恋人とはいえ瑞樹は仕事に対しては非情に辛辣なので容赦はない。ましてや元の原因は靖男の怠慢なので瑞樹が手を貸す必要もないしクラスの担任を任されている以上はそれ相応の責任も当然あるのだ、そういった部分では瑞樹は仕事とプライベートをキッチリと分ける人間である。そのまま失意のどん底に落ちる靖男であるが今朝のあの感覚について今度は小声で瑞樹に尋ねる。
 
(そういえば・・先輩、今朝から唇が妙な感覚なんだが?)
 
(――! ・・気のせいよ、それに書類のことで困ったら後で私のパソコンでも見てみたら?)
 
「な、何言って――・・」
 
「それでは、私は授業がありますのでこれで失礼します」
 
そのまま瑞樹も職員室を後にして授業をするために実験室へと向かう。職員室で1人になった靖男は仕方なしに瑞樹のパソコンを開くと自分の名前の書いてあったファイルに目が付く、そのまま開いてみるとそこには今回の書類に関するデータが事細かに記載してあった。
 
「おっ! これは前に先輩が担任してた時に提出していた事後報告書のデータか、これならば何とかなるぜ」
 
そのまま靖男は瑞樹が残してくれたデータを基に書類の作成を始める、流石に丸写しでは霞にばれてしまうので事細かに変えていきながらも順調に報告書を作成していくのだが最後の文面にこう記してあった。
 
“追記、このデータを元に書類を作成したら1ヶ月の間は私と同棲をすること。すっとぼけても書類を見れば判りますし、校長に暴露しますのであしからず  橘 瑞樹”
 
「ま、マジかよ・・」
 
思わぬ瑞樹の要求に靖男は暫く呆然としていたと言う。
 
 
 
 
 
fin
 

 

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最終更新:2012年03月11日 17:30
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