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7月20日(金) その一」(2006/10/17 (火) 17:01:02) の最新版変更点

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橙来(とうらい)神社。島のほぼ中央に位置し、建造物としては、島の最も高い位置にそびえている、島唯一の神社である。 神社。と銘打ってはいるが、葬儀も行い、社の西にしばらく行くと墓場も存在する。 社の裏。つまり南側には槍集(そうしゅう)山がそびえ、東側には木々に覆われた斜面があり、北側の眼下には読夜町が広がる。 現在、この広い社には姫宮家の兄妹二人だけが住んでいた。兄・雪人と妹・鈴音。 突然の母の死に対し、二人はしばらく茫然としていた。受け入れることができなかったのである。 そんな時、鈴音が突然おぼつかない足取りで何処かへ行こうとし、雪人が散々探した後、鈴音は裏山の山頂で倒れているところを保護された。 それ以来、雪人は高校に通いながら神主として務めを果たす一方、口数が少なくなった鈴音の世話。そして家事全般を請け負っていた。 それが一ヶ月も続いた頃、鈴音はふと、今の境遇を顧みる。そうして気づく。 ─私は何て愚かなのか──と。 おおよそ半日、謝りながら泣き続け、家事全般を引き受ける。と申し出た。 しかし、雪人は頑なに「自分は大丈夫だから」と彼女の提案を退けようとしたが、 鈴音が自分を想ってくれる心、そして彼女の正論の山の前に、炊事と掃除は一日交代で。という約束とした。 要求が全て受け入れられなかった鈴音は、「ならばお仕事も半々」と主張。またも言い合いに発展し、 結局、雪人のほうが先に折れ、手伝いとして働くことと決まった。 その後、雪人は高校を卒業し、神主に専念することとなる。 その神主、姫宮雪人の朝は早い。 午前五時半に目を覚まし、彼は掃除に取り掛かる。 その十分後。廊下に軽い足音を立てながら、小走りで鈴音は台所に向かう。 彼女は自身に、兄より早く起きること。を課している。そのため雪人はなるべく遅く起きようと、頭では承知しているが、 どうにも生活リズムが安定し、それが実現できないでいた。 一通り掃除を済ませた雪人は郵便受けまで出向き、新聞を取り、居間で読みながら鈴音を待った。 六時半には鈴音が朝食を運んでくる。 姫宮家の朝の日常がそこにはあった。 「そうか…そういえば今日だっけ」 雪人は壁にかけてあるカレンダーを見ながらそう口にする。 「はい。夏休みになったら精一杯兄さんをお手伝いさせてもらいます」 まだ寝巻きのままの鈴音は、嬉しそうに答える。 「いや、俺の手伝いとか、家の手伝いよりも友達と遊んで思い出をだな」 「兄さんは。そんなに私がいると迷惑ですか?」 鈴音が、きっ。と視線を送ると、雪人は困ったような表情で目をそらし、ごまかすように味噌汁をすする。 「私は私の意志でお手伝いいたします。兄さんの心配は嬉しいですが、お気持ちだけいただきます。  そうではくなて本当に迷惑なら、いっそ言ってくださいね」 笑顔でそう締めくくると、鈴音は両手を合わせ、「ごちそうさま」と小さくつぶやき、台所へと向かった。 急須と湯のみを二つ。それだけを持って鈴音は再び居間に帰ってくる。 何処か嬉しそうな表情で、鈴音は急須からお茶を注ぎ、雪人に手渡す。 雪人は受け取った急須を机に置き、一つ咳払いをし、軽く照れながら、 「いいか。兄さんは迷惑と思ったことは無いぞ。むしろ鈴音が居てくれて助かるなー。と思ったことはしょっちゅうだ。  いいか。だけどな。若いときにはだな」 「兄さんもまだ若いでしょ」 「ま、まぁそうなんだろうけど。って、話を折るな。  いいか、若いときには友達と遊んで思い出を作ってだな、二度とない青春を…」 「そうですか。兄さんは私の友達に会いたい女の子が居るんですね。きっとそうなんですね」 「……えーと、鈴音クン?」 「嗚呼。一体兄さんは誰と会いたいのでしょうか。恵子ちゃん?陽子ちゃん?それとも澪ちゃんや雫ちゃん?」 「鈴音!いい加減にしろ!」 トリップしたかのように友人の名前を挙げていた鈴音は、雪人の怒声に微笑で、はい。と答える。 「ええ。兄さんの言いたいことは承知してます。ですから時々はちゃんと海に行ったり友達と遊んだりしますよ。  兄さんの優しさは物凄く嬉しいです。でもそれに甘えてばかりじゃ私は私自身を許せません」 鈴音は真剣な表情で雪人を直視する。雪人はあきらめたようにため息をつき、肩をおろす。そうして笑顔を向け、分かった。と口にする。 「しかし、お前にもクラスでいいなー。と思う男の子の一人や二人くらいいるんじゃないか?言い寄る男もいるだろう?  兄馬鹿かもしれんが、鈴音は可愛いんだから」 今まで快活に受け答えしていた鈴音だが、『可愛い』の一言に虚を付かれる。 一部を除いて、あまりそういうことを言われたことがないため、耐性があまりないのである。 それでも、咳払いを二回し、平静を取り戻してから雪人に向き直る。 「そういうことは…無いですが……兄さんのほうこそ、女性の影が見えませんが。いいんですか?」 雪人は苦笑いをしただけで答えない。ふと手に持っている湯のみに視線を落とし、場を保たせるためにそれを口に運ぶ。 しかし、いくら傾けても空っぽの湯飲みからはお茶が出る道理はない。 鈴音が無言で手を差し伸べ、雪人が持っていた湯飲みを渡すと、鈴音は急須に入っていたお茶を注ぎ、それで空になった急須を台所へと持っていった。 残された雪人きは、はぁぁ。と声を出しながら、大きくため息をついた。 午前七時二十分。雪人は外の掃除へ、鈴音は学校へ向かうためにそろって玄関にいた。 「ちなみに兄さん……その…」 鈴音が何か、恥ずかしがるような表情で雪人を見上げる。そして、右手でスカートの布を弄り始める。 彼女は、言いにくいことをいうときや、嘘をつくときはこうして手の近くにある布や髪を指先でくるくると弄っている。 雪人は軽く腰を曲げ、次第にうつむいていく鈴音の顔を覗く。鈴音は決心したように、一度目を強く瞑り、鋭い目つきで正面の雪人の顔を見、 「兄さんは女性が嫌いということは……ない…ですよね?」 と、訊ねる。 『嫌い』あたりまでは威勢がよかったが、『ですよね』あたりでは、すぐそばに居る雪人ですらぎりぎり聞こえるくらいの声量になっていた。 「そうだね。まぁ、兄さんにはそういう出会いが無かったんだよ。あはは…」 乾いた笑いで、勢いで言った冗談を笑ってもらおうとしたが、鈴音は可笑しくて。ではなく、心から嬉しそうな笑顔を雪人に向けた。 「じゃあ、行ってきます兄さん。日射病や不慮の事故には気をつけてくださいね」 そういい残し、長い黒髪を翻しながら鈴音は玄関から出て行った。 「はぁ。…しっかし。あと何年位かしたらこれも真剣に笑えなくなるんだなぁ…」 どこか遠い目をして独白した後、雪人も玄関から外へと繰り出した。 季節は夏。照りつける日差しが肌に当たる。今日も暑くなりそうだ。そんなことを考えつつ雪人は歩き出した。

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