キリスト教式典礼文
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キリスト教式典礼文
ja
2006-02-22T09:00:36+09:00
1140566436
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第九節 聖餐式
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**第九節 聖餐式
洗礼式と聖餐式とは、新教において二大聖典として行われている。培餐者はどの教会でも洗礼を受けた者に限られている。危篤の病人の希望によっては、病床で行うこともあり得る。
司式者は按手礼を受けた教職がこれにあたる。多くの場合説教語に行われるから、時間短縮のために適宜省略して簡単に行うこともできる。
この式は儀式そのものから、十字架の深い贖いの恵みと十字架の愛とを味わうものであるから、主の臨在を崇めつつ執行するのがよい。
賛美 聖歌 206番 「しみもとがも」
式辞
愛する兄弟姉妹、いま私たちは尊き救い主の贖いの恵みによって神の子とされ、主の定められた尊い聖餐の恵みにあずかろうとしています。それゆえパウロが「ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります」と教え、また「みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります」と勧めておられることを覚え、自ら省みて、自分の罪を悔い改め、信仰をもってこの聖餐にあずかるべきです。
2006-02-22T09:00:36+09:00
1140566436
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第八節 入会式
https://w.atwiki.jp/yoshikuni/pages/15.html
**第八節 入会式
この式は他教会からの転会者に対して、その必要があると認めたとき、また洗礼式後更に入会式を挙行する場合、あるいは幼児洗礼のみで成人し培餐者となる場合に応用する。多くは礼拝後に挙行する。
式辞
私たちの愛する兄弟姉妹、聖書は私たちに対して、教会は神の一家族、すなわち教会は体でキリストがその頭であることを教えています。福音の主旨は、全て信じる者を一つに合わせることにあります。
そもそも教会の交わりは、キリストを中心に神の愛をもって互いに親しみ、互いに喜び、且つ贖いの愛に感謝し、進んで新約の祭司として尊い奉仕の生活をなし、身においても魂においても神の栄光を現すことにあります。
本日、神の尊い御摂理によって、私たちの教会に入会され、共に教会生活をなそうとする兄弟(姉妹)よ、これは信徒としての義務であり、御旨にかなうことと信じます。このような人は主の家に植えられ、私たちの神の大庭に栄える者でありますから、平和を第一にして互いに助け、過ちに陥らないように互いに防ぎ常に福音を信じて共に励まし、礼拝を守り互いに祈り、常に目覚めて、再臨の希望に生き、主の花嫁として豊かな教会生活を歩まれることを望みます。
聖書 詩篇92篇(抜粋)
主に感謝するのは、良いことです。いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌うことは。朝に、あなたの恵みを、夜ごとに、あなたの真実を言い表わすことは。十弦の琴や六弦の琴、それに立琴によるたえなる調べに合わせて。主よ。あなたは、あなたのなさったことで、私を喜ばせてくださいましたから、私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います。主よ。あなたのみわざはなんと大きいことでしょう。あなたの御計らいは、いとも深いのです。
正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。こうして彼らは、主の正しいことを告げましょう。主は、わが岩。主には不正がありません。
聖書 テモテへの手紙第一 6章3-12節
違ったことを教え、私たちの主イエス・キリストの健全なことばと敬虔にかなう教えとに同意しない人がいるなら、その人は高慢になっており、何一つ悟らず、疑いをかけたり、ことばの争いをしたりする病気にかかっているのです。そこから、ねたみ、争い、そしり、悪意の疑りが生じ、また、知性が腐ってしまって真理を失った人々、すなわち敬虔を利得の手段と考えている人たちの間には、絶え間のない紛争が生じるのです。しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。
祈祷
聖なる御父よ、いま御前に立つ兄弟(姉妹)を世の初めから選び分かち、信仰に導きたもうて今日まで養い育ててくださった恵みに感謝いたします。神の豊かな御導きにより、今回私たちの教会で共に神を拝し、信仰の養いを受けて、豊かな信仰生活を営ませてくださる恵みを感謝いたします。私たち教会員一同は、主にあってこの兄弟(姉妹)を受け入れます。今後心を合わせ、思いを同じくして祈り合い、信仰の戦いの同労者となるなることを思って、なお一層共に励むことができるようにしてください。「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです」とのみことばに従い、教会員一同とともにいよいよ神の国とその義とを求める者とならせてください。主の御名によってお祈りいたします。 アーメン。
祈祷(1名か2,3名。または一同で祈るのがよい。)
主の祈り
賛美 聖歌512番 「みたみよたたかえ」
(最後に、入会者に簡単な挨拶をさせるのもよい。)
2006-02-20T16:28:17+09:00
1140420497
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第七節 入会式
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**第七節 入会式(信仰告白式)
この式は他教会からの転会者に対して、その必要があると認めたとき、また洗礼式後更に入会式を挙行する場合、あるいは幼児洗礼のみで成人し培餐者となる場合に応用する。多くは礼拝後に挙行する。
式辞
私たちの愛する兄弟姉妹、聖書は私たちに対して、教会は神の一家族、すなわち教会は体でキリストがその頭であることを教えています。福音の主旨は、全て信じる者を一つに合わせることにあります。
そもそも教会の交わりは、キリストを中心に神の愛をもって互いに親しみ、互いに喜び、且つ贖いの愛に感謝し、進んで新約の祭司として尊い奉仕の生活をなし、身においても魂においても神の栄光を現すことにあります。
本日、神の尊い御摂理によって、私たちの教会に入会され、共に教会生活をなそうとする兄弟(姉妹)よ、これは信徒としての義務であり、御旨にかなうことと信じます。このような人は主の家に植えられ、私たちの神の大庭に栄える者でありますから、平和を第一にして互いに助け、過ちに陥らないように互いに防ぎ常に福音を信じて共に励まし、礼拝を守り互いに祈り、常に目覚めて、再臨の希望に生き、主の花嫁として豊かな教会生活を歩まれることを望みます。
聖書 詩篇92篇(抜粋)
主に感謝するのは、良いことです。いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌うことは。朝に、あなたの恵みを、夜ごとに、あなたの真実を言い表わすことは。十弦の琴や六弦の琴、それに立琴によるたえなる調べに合わせて。主よ。あなたは、あなたのなさったことで、私を喜ばせてくださいましたから、私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います。主よ。あなたのみわざはなんと大きいことでしょう。あなたの御計らいは、いとも深いのです。
正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。こうして彼らは、主の正しいことを告げましょう。主は、わが岩。主には不正がありません。
聖書 テモテへの手紙第一 6章3-12節
違ったことを教え、私たちの主イエス・キリストの健全なことばと敬虔にかなう教えとに同意しない人がいるなら、その人は高慢になっており、何一つ悟らず、疑いをかけたり、ことばの争いをしたりする病気にかかっているのです。そこから、ねたみ、争い、そしり、悪意の疑りが生じ、また、知性が腐ってしまって真理を失った人々、すなわち敬虔を利得の手段と考えている人たちの間には、絶え間のない紛争が生じるのです。しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。
祈祷
聖なる御父よ、いま御前に立つ兄弟(姉妹)を世の初めから選び分かち、信仰に導きたもうて今日まで養い育ててくださった恵みに感謝いたします。神の豊かな御導きにより、今回私たちの教会で共に神を拝し、信仰の養いを受けて、豊かな信仰生活を営ませてくださる恵みを感謝いたします。私たち教会員一同は、主にあってこの兄弟(姉妹)を受け入れます。今後心を合わせ、思いを同じくして祈り合い、信仰の戦いの同労者となるなることを思って、なお一層共に励むことができるようにしてください。「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです」とのみことばに従い、教会員一同とともにいよいよ神の国とその義とを求める者とならせてください。主の御名によってお祈りいたします。 アーメン。
祈祷(1名か2,3名。または一同で祈るのがよい。)
主の祈り
賛美 聖歌512番 「みたみよたたかえ」
(最後に、入会者に簡単な挨拶をさせるのもよい。)
2006-02-20T16:22:10+09:00
1140420130
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第七節 献児式
https://w.atwiki.jp/yoshikuni/pages/14.html
**第七節 献児式
幼児洗礼式を行っている教会もあるが幼児は認罪と悔い改めが困難であるから両親が責任を持つ献児式を採用するのがよい。式にはなるべく両親揃って幼児を連れてくること。挙式は礼拝後本人達を前に進み出させて適当な聖歌を賛美し、次の順序で始める。
式辞
主にある愛する兄弟姉妹、今御前にある兄弟姉妹は、神の恵みによって授けられた幼子を今日神の御前に携えてこられました。昔ヨセフとマリヤが幼子イエスを携えて神殿にいたり、神にささげられたように、今この幼子を両親の志と信仰によってささげ、祝福を受けるために御前に来られました。これ、神のよしとされることで、幼子にとってもその家庭にとっても最も幸いなことであることを信じます。主はご在世の時、幼子らを呼び寄せて、彼らの上に手を置いて祝福されました。それゆえ、会衆もこのために心を合わせて感謝し、祝福が豊かにあるよう祈るべきであります。
聖書 ルカの福音書2章22-24節
さて、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子を主にささげるために、エルサレムへ連れて行った。――それは、主の律法に「母の胎を開く男子の初子は、すべて、主に聖別された者、と呼ばれなければならない。」と書いてあるとおりであった。――また、主の律法に「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽。」と定められたところに従って犠牲をささげるためであった。
聖書 マタイの福音書19章13-15節
そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちが連れて来られた。ところが、弟子たちは彼らをしかった。しかし、イエスは言われた。「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」そして、手を彼らの上に置いてから、そこを去って行かれた。
勧告
出エジプト記2章9節を見ると「パロの娘は彼女に言った。『この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私があなたの賃金を払いましょう。』それで、その女はその子を引き取って、乳を飲ませた」とあります。これはモーセが幼児時代、ナイル川に捨てられて、パロの娘に拾われたときの記事です。この時モーセは、姉ミリヤムの機知によって実母の手に帰りましたが、実母は自分の子としてではなく、パロの子として一時あずかって養い育てました。その様に、この幼子も神からおあずかりしたものであるとの考えで、大切に取り扱い、祈りをもって愛と忍耐のうちに注意深く養い育てるべきであります。
祈祷
ご慈愛に冨たもう天の父よ、主が御前にある兄弟姉妹を恵み、この幼子をお授けくださいましたことを感謝いたします。いま両親たちは、この幼子を御前におささげしようとして携えてこられました。
神よ、願わくはこの家庭を祝してください。この幼子が神の御祝福をいただいて、俗悪な世にあっても悪に染まらず、不慮の災い守られ、健やかに成長することができますようお願いいたします。
やがて成人してからは、自分で信仰を告白し、固い信仰に入り、神の子供とならせてください。かくして、世の光、地の塩となり、神の御栄光を現す神の僕とならせてください。
神よ、願わくは親たちを恵んでください。主の再び来たりたもうその時まで、今日の約束を固く守り、みことばに従い、深い祈りのうちにこの幼児を養育することができるようにしてください。かくして主の大いなる御恩寵に報いることができるようにしてください。願わくは家庭を恵み、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」とのみことばの証人となることができるようにしてください。主イエス・キリストの尊い御名によってお祈りいたします。アーメン。
(この祈りは一般的なものである。牧師は幼児を親の手から受けて抱くか、または幼児に按手して簡単な祈りをし、再び親の手に返す。この祝福式は11月15日のいわゆる七・五・三の祝いに応用してもよい。)
2006-02-20T10:24:42+09:00
1140398682
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第六節 献児式
https://w.atwiki.jp/yoshikuni/pages/10.html
**第七節 献児式
幼児洗礼式を行っている教会もあるが幼児は認罪と悔い改めが困難であるから両親が責任を持つ献児式を採用するのがよい。式にはなるべく両親揃って幼児を連れてくること。挙式は礼拝後本人達を前に進み出させて適当な聖歌を賛美し、次の順序で始める。
式辞
主にある愛する兄弟姉妹、今御前にある兄弟姉妹は、神の恵みによって授けられた幼子を今日神の御前に携えてこられました。昔ヨセフとマリヤが幼子イエスを携えて神殿にいたり、神にささげられたように、今この幼子を両親の志と信仰によってささげ、祝福を受けるために御前に来られました。これ、神のよしとされることで、幼子にとってもその家庭にとっても最も幸いなことであることを信じます。主はご在世の時、幼子らを呼び寄せて、彼らの上に手を置いて祝福されました。それゆえ、会衆もこのために心を合わせて感謝し、祝福が豊かにあるよう祈るべきであります。
聖書 ルカの福音書2章22-24節
さて、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子を主にささげるために、エルサレムへ連れて行った。――それは、主の律法に「母の胎を開く男子の初子は、すべて、主に聖別された者、と呼ばれなければならない。」と書いてあるとおりであった。――また、主の律法に「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽。」と定められたところに従って犠牲をささげるためであった。
2006-02-20T09:39:07+09:00
1140395947
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第六節 洗礼式
https://w.atwiki.jp/yoshikuni/pages/9.html
**第六節 洗礼式
洗礼には下の3種類がある。
1 浸礼・・・・・川かプールで全身を浸す。
2 注礼・・・・・水を器に入れて頭部から注ぐ。教会堂で執行するときはビニールの上に座らせて、その四隅を持ち上げ、水がこぼれないようにする。
3 滴礼・・・・・通常教会で行われる方法。水の入った器に指先を浸し、その手を受洗者の頭上におく。
(浸礼を採用する教会でも、場所のないときは注礼を、病床では滴礼を用いるのがよい。なお、受洗希望者に対しては準備教育をして、洗礼志願書に住所、姓名、職業等を記入させ、受洗後それを教会名簿に記入する。)
洗礼式順序
賛 美 聖歌481 「ほむべきかな」
賛 美 聖歌428 「とうとき泉あり」
賛 美 聖歌205 「罪にけがれしこの身をば」
祈 祷 (前祷)
式 辞 (司式者である正教師は会衆に向かって言う。)
愛する兄弟姉妹よ、人は皆罪のうちに生まれ、肉に属する者でありますから、そのままでは神の御心にかなうことはできません。思いや、言葉や、行いによって神の戒めに背いている者でありますす。そこで救い主イエス・キリストは「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。」と言われました。
また「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」と命じられました。
それゆえ、私たちはイエス・キリストの十字架上の贖いの恵みによって父なる神を仰ぎ望み、神があわれみをもってこの兄弟(姉妹)をキリストの聖なる教会に受け入れ、その御体の生きた枝としてくださるように祈りましょう。
祈 祷
永遠にして全能の神よ。必要なものを満たし、みもとに走りて助けを願うものを救い、信じる者にいのちを与えてくださる神よ。いま御前に進みてひたすら恵みを求めている兄弟(姉妹)をあわれんでください。私たちの主イエスのとうといき十字架の贖いの恵みによって、その罪の赦しを与えてください。過去に犯した一切の罪と、今までの不信仰の生涯とを全く悔い改めて、その赦しを祈り求め、尊い洗礼の恵みを受けようとするこの兄弟(姉妹)をあわれんでください。この兄弟(姉妹)が水の洗いを受けることによって、キリストの死と一つにされ、よみがえられたキリストともにその霊性のよみがえりを得ることができるように。かくして新しいいのちを受けた者として、ふさわしい信仰生活を全うすることができるよう、尊い主イエスの御名によってお願いいたします。アーメン。
聖書
ヨハネの福音書3章1-8節
さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。
この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行なうことができません。」
イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。」
イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。
肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」
マタイの福音書28章18-20節
イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
ローマ人への手紙6章3-11節
それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。死んでしまった者は、罪から解放されているのです。もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。
(受洗者に対しては、その準備として適当なときにローマ人への手紙6章、8章を熟読させるとよい。)
勧告
主イエス・キリストは、その御名によって水の洗礼を受ける者の罪を赦し、神の国と永遠のいのちとを与えることを約束なさいました。また使徒パウロは「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです」と教えられました。
ですから、これからはあなたがたも正当な信仰を持ってその証しをし、救われた者としてのふさわしい歩をなすべきです。あなた方は洗礼を受けたことによって教会の正会員とされたのですから、常に教会を愛し会員としての義務を果たすべきです。すなわち、教会の定期集会(礼拝、祈祷会等)に出席して信仰上の養いを受け、祈りを重んじ、伝道に励み献金も各自の分に応じて充分に成すべきです。かくして忠実な教会員になるべきであります。
使徒信条
(我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて、生ける者と死にたる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、とこしえのいのちを信ず。アーメン。)
祈祷 (以下は一般的な祈りの例)
永遠から永遠にいます全能の父よ。いま御前において尊い洗礼の恵みにあずかろうとするこの兄弟(姉妹)の上に豊かな御恵みを垂れてください。願わくは主よ、この兄弟(姉妹)が自分の罪を全く悔い改め、主イエス・キリストの十字架を信じることによってその罪を一切赦してください。かくして、その霊性が流したまえる血潮の恵みによって生まれ変わり、過去の一切の罪と肉の生活とを捨てて、信仰による新しい生活に入れるようにお祈りいたします。
ご慈愛深い神よ、願わくはこの兄弟(姉妹)のうちなる古い人、すなわち肉性が死んで、新しい人として復活することができるようにしてください。アーメン。
願わくは、この兄弟(姉妹)の肉属するすべての欲心が死に、霊に属するあらゆる特性を生まれさせて、ますます成長できるようにしてください。アーメン。
願わくは、この兄弟(姉妹)に聖霊による力と権威とを授けて、悪魔と世の罪悪、また肉の欲やすべての誘惑と戦って勝つことができるようにしてください。アーメン。
願わくは、いま御前に立つ兄弟(姉妹)がこの暗黒の世にあって地の塩としての歩を全うして、御名をあがめることができるようにしてください。アーメン。
願わくは、今後の信仰生活において常に聖霊の御導きを受け、みことばの光に照らされ、主の花嫁としての信仰的貞操を守り、再び来たりたもう主を待つ者としてください。アーメン。
全能の父よ、主は私たちの罪を赦すため十字架上にその贖いを全うされた後、その弟子たちに「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授けなさい」と命じられました。こい願わくは、私たちの祈りを顧みて、今ここにバプテスマを受けようとするこの兄弟(姉妹)を主の選ばれた忠信な子たちの一員としてくださいますように。私たちの主イエス・キリストの御名によってお願いいたします。アーメン。
授洗 (司式者は本人の名を呼び、次のように言いながらバプテスマを授ける)
【 】、我、父と子と聖霊の御名によりなんじにバプテスマを授く。アーメン。
感謝祈祷(例1)
あわれみ深い父なる御神よ、大いなる御恩寵のもとに、今日尊い三位一体の御名によって洗礼を受け、新しく生まれさせて、この兄弟(姉妹)を神の子とし、キリストの教会の生きた枝としてくださったことを感謝いたします。主はこの兄弟(姉妹)を世の造られる前から選び分かち、世の誘惑から救い出し、信仰の道に進ませ、今ここに主イエス・キリストの死にあずかるバプテスマを受けさせてくださいました。願わくは御子が父の栄光によって死人の中から復活されたように、その復活にあずかって新しいいのちに歩み、私たちとともに御国の相続人とならせてください。かくして主の花嫁として主に対する貞操を守り、主のご再臨を待ち望む者とならせてください。父と聖霊とともに永遠に生きたもう御子、私たちの主イエス・キリストの御名によってお願いいたします。アーメン。
感謝祈祷(例2)
あわれみ深い父よ、願わくは今、私たちが主の御名によってバプテスマを施して御教会に受け入れた兄弟(姉妹)に聖霊の力を与えてください。かくして今日から、十字架にくぎ付けられたキリストを恥としないで、大胆に信仰を告白し、勇敢に罪と悪魔と戦い、ご再臨の時までキリストの忠信な証人とならせてください。「夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざをうち捨てて、光の武具を着けようではありませんか」とあるように、光の子、昼の子供として神の栄光を現しつつ、神の国と神の義とを求める者にならせてください。かくして選ばれた新約の祭司として主の御前に奉仕し、その使命に生きる者とならせてください。
主イエスよ、速やかに来て下さい。悪魔を滅ぼし御国を来たらせて下さい。主の御名によってお祈りいたします。アーメン。
主の祈り
賛美 聖歌 231番 「うれしきこの日よ」
(式後、受洗者に下記の注意事項を読み聞かせてもよい。)
[受洗者に対する注意事項]
1.受洗者は教会の正会員として入会する。(入会式を別に行う教会もあり、受洗者を直ちに正会員と認める教会もある。)
2.受洗者の教籍はその教会の会員名簿に記入される。移転した際本人の申し出があり、適当と認められたならば、その希望教会に転籍させることができる。
3.受洗者は聖餐式に参与する死確を持つ。
4.教会は受洗者に対して、霊的・信仰的方面の責任を負い、その指導に当たる。それゆえ、会員は常に教会と連絡を取り、牧師に相談してその助言を受ける必要がある。
5.受洗者は所属教会に対して下記の責任を果たすべきである。
①定期の諸集会に出席して、霊的向上に励むこと。
②聖日厳守。什一献金をささげることは信仰生活上祝福を受ける道である。(聖日厳守とは、日曜日を最も聖なる日として礼拝を守ることである。什一献金とは、収入の十分の一を聖別して神にささげることである。→マラキ書3章)
③毎月の月定献金、集会献金、特別献金等は分に応じて喜んでささげること。
6.聖書を読むこと、祈りを常にすることは、クリスチャンの生活に最も必要なことである。
7.友人、知人、特に家族者を主イエスに導くように常に祈り、あかしをし、伝道すること。
8.教会生活においては、愛の実行者となって信徒間の交わりを保つこと。
9.人事、結婚等の問題は、なるべく所属教会の牧師に相談すること。
10信仰を持ち続けるためには、多くの犠牲を払う覚悟が必要である。また、全ての信者は、神の御前に喜ばれる生活態度を常に取るべきであるから酒やタバコを飲まないのがよい。
[付記]
<転会、入会及び除名>
転会、入会及び除名については、各教団にそれぞれの規約があることと思う。それに従うことはもちろんであるが、双方の教会関係を充分考慮して取り扱わなければならない。このことについては、同教団の信者であっても、教会の所在地と信者の住所などを考慮すべきである。その動機が牧師、役員、または信徒間の感情問題にならないよう、公平且つ親切に取り扱うべきである。
転会は本人から申し出るものであり、牧師は本人とよく相談して転会状を出すべきである。
転入希望者に対しても、牧師はその事情をよく聞き、愛をもって取り扱うべきである。
除名処分は教会規則によって処置すべきものであり、牧師一人ですべきではない。役員会および責任を持つ教職者に計って充分検討した上、処理しなければならない。
2006-02-18T11:20:12+09:00
1140229212
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式典礼文
https://w.atwiki.jp/yoshikuni/pages/1.html
*基督教式典礼文
**序文
各教団はそれぞれ式典用礼文を発行しているが、本書はまた別な使命を帯びて刊行したものである。すなわち、聖書的純福音信仰の立場から千年期前再臨信仰を表明する式文の必要を痛感して編集を企てたものである。先に、昭和26年に出版したものの、実際に使用して不備、不便の点の少なくないのを遺憾とし、それらの点を補足、修正して、完璧を期したものである。
昭和35年9月森五郎
2006-02-11T09:45:14+09:00
1139618714
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第五節 礼拝順序
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**第五節 礼拝順序
前 奏
賛 美
主の祈り
賛 美
交 読(短いものを選ぶ。聖歌中にあり)
祈 祷(牧会的な礼拝の祈り)
使徒信条
賛 美
聖 書(説教に適した聖句)
賛 美(説教の援助となる歌詞の歌)
説 教
祈 祷(説教者自らの祈り)
賛 美(歌いつつ献金するのもよい)
献 金(奏楽するのもよい)
感 謝
報 告(教会の一般報告以外は、閉会後が適当であろう)
頌 栄
祝 祷
後 奏
礼拝についての注意
1 開会時間の厳守
2 前奏中に心を静め、礼拝にふさわしい態勢になること。
3 交読文は、なるべく説教に関係のある文を選ぶこと。
4 聖書朗読は、十分注意して明瞭に読むこと。
5 祈祷は、教会の直面している諸問題、病人、信者の霊的向上のために祈る。広くは祖国の救いから神の国の完成までの祝福を祈る。時としては、一同で短時間祈る事もよい。
6 献金が礼拝の大切な部分であることをよく知ってもらい、喜んで献金するように導くこと。
7 説教後の賛美には、その時の説教を更に力説するような歌を選ぶとよい。
8 祝祷には、按手礼を受けた教職者が当たること。多くの教職者が出席している場合は、最年長者か最年功者にお願いするのがよい。按手礼を受けてない牧師とか、役員の場合は、頌栄の後に主の祈りを一同で唱えるか、黙祷で終わるのがよい。
参考(礼拝の祈祷)
祈祷
全能にして聖なる三位一体の御神よ。私たちがこの主の日の朝、尊いキリストの御名によって御前に相会し、流されたまいし御血のゆえにみもとに近づき、霊とまことをもって礼拝をささげることのできる恵を深く感謝いたします。
ご慈愛深い御神よ、私たちの心からの礼拝を受け入れて下さい。贖われた者の感謝、賛美、祈りを主の御名のゆえに受け入れてください。
願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。私たちは今心を合わせて神の国とその義とを求めます。主イエスよ、とく来たりて悪魔のわざを全くこぼち、全天全地に御名の勝利を現してまください。願わくは主よ。ご恩寵を私たちの国と社会の上に豊かに注いで下さい。この国の政治のつとめに選ばれた者が、正しい政治をすることのできるよう、恵のうちに導いて下さい。私たちの国民を顧みてくださり、真に拝すべき神を拝し、信ずべきキリストを信じてその御救いにあずからせてください。
私たちは、過ぎし週間それぞれの仕事に携わり、この世の生活に疲れを感じ、弱さを覚えていますので、主よ、あわれんでください。神を礼拝し、主を待ち望むことにより、新しいいのちの霊に満たされて、溌剌とした信仰生活を歩むことができるようにしてください。
私たちの教会に属する、主にある兄弟姉妹を恵み、その信仰を強くしてください。いろいろな誘惑に打ち勝ち、信仰の戦いをよく戦い、限りないいのちを得ることができるようにして下さい。病床にあるものに慰めと癒しを与えて下さい。悩みのうちにある者を顧み、あらゆる悩みにもかたせてください。聖霊とみことばによって、霊的に更に成長することができるようにしてください。
今からの時を聖別し、神との親しき交わりに入らせてください。尊きみことばの光をもって暗き心を照らし、霊の糧をもって私たちを豊かに養ってください。かくして再び来たりたもう主の御前に、主の花嫁としての備えを全うし、主を待ち望む者としてください。特に御用に当たる御器の上に、聖霊の注ぎを豊かに与えてください。「神がお遣わしになった方は、神のことばを話される。神が御霊を無限に与えられるからである」とのみことばを信じます。語る者も聖霊に導かれて語り、聞く者も聖霊をあがめつつ教えられることができますように。かくして私たちの霊が今日新に燃やされ、聖霊に満たされ、神の武具をもって新に装われ、信仰の戦いに勝利しますように、主の尊い御名によって祈ります。
アーメン。
2006-02-06T09:00:44+09:00
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第四節 祝祷
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**第四節 祝祷
例1
願わくは主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わり、なんじらすべての者とともにあらんことを。アーメン。(コリント後書13章13節)
例2
願わくはとこしえの契約の血によりて、羊の大牧者となれる我らの主イエスを、死人のうちより引き上げたまいし平和の神、その喜びたもうところを、イエス・キリストによりて我らのうちに行い、みこころを行わしめんために、すべての善き事につきてなんじらを全うしたまわんことを。代々限りなく栄光かれにあれ。アーメン。(ヘブル書13章20・21節)
例3
願わくは平和の神、みずからなんじらを全く清くし、なんじらの霊と心と体とを全く守りて、我らの主イエス・キリストの来たりたもうとき責むべきところなからしめたまわん事を。なんじらを召したもう者はまことなれば、これを成したもうべし。アーメン。(テサロニケ前書5章23・24節)
2006-02-05T09:23:19+09:00
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第三節 ニカヤ信条
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**第三節 ニカヤ信条
我らは、天と地と、すべての見えるものと見えざるものとの創造者にして、すべての主権を持ちたもう父なる神を信ず。
我らは、唯一の主、イエス・キリストを信ず。主は神の独り子、万世のさきに、御父より生まれたるもの、光よりの光、真の神よりの真の神、造られずして生まれ、御父と本質を一にし、万物は彼によりて造られたり。主は我ら人類のため、また我らの救いのために天よりくだり、聖霊によりて処女マリヤより肉体を受けて人となり、我らのためポンテオ・ピラトのもとに十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書にしたがって三日目によみがえり、天にのぼり、御父の右に座したもう。主は生ける者と死にたる者とを審くために栄光をもって再び来たりたもう。その御国は終わることなし。
我らは、主にしてかついのちを与えたもう聖霊を信ず。聖霊は父よりいで、御父と御子とともに礼拝せられ、ともに栄光を帰せられたもう。また聖霊は預言者たちによりて語りたまえり。
我らは、使徒よりの、唯一の聖なる公同教会を信ず。
我らは、罪の赦しのための唯一のバプテスマを信じみとむ。
我らは、死者の復活と、来るべき世のいのちとを待ち望む。アーメン。
2006-02-05T09:04:08+09:00
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