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明治維新と立憲政治

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【社会ー歴史】近代史(明治〜現在)

明治維新と立憲政治


五箇条の御誓文(1868)

政治の基本方針。政府の要人向けに出された。
※五榜の掲示は庶民に対して出された、政治の基本方針。どっかに看板として掲示され たよーな気がする。

版籍奉還(1869)

藩主が土地・人民を政府に返した。

廃藩置県(1671)

文字列
し、を、いた。読んで字のごとくですな。
そして、各県に府知事・県令を任命。中央集権の基礎を築き上げていくわけです。

四民平等(1871)

皇族以外を華族・氏族・平民として平等とする。
※開放令なんつーのもあり、差別されていた人々を平民とした。

学制発布(1858)富国強兵政策その①

6歳以上の男女に小学校教育→教育により高レベルの技術を求めた。

徴兵令(1873)富国強兵政策その②

満20才以上の男子に兵役の義務

地租改正(1873)富国強兵政策その③

地価の3%土地の所有者現金で払う。
⇒米だと豊作の年や、不作の年があったりして、政府の収入にムラが出来てしまうが、現金で納めさせることによって政府の収入が安定すると考えた。

殖産興業(1874頃)富国強兵政策その④

郵便・貨幣制度の整備、鉄道の建設、官営模範工場(群馬県の富岡製糸場など)

ここいらでの外交について

条約改正交渉・・・岩倉使節団を欧米に派遣、が、失敗。
樺太・千島交換条約・・・ロシアと結ぶ。千島を日本領に。
日朝修好条規・・・1875年の江華島事件後に結んだ不平等条約。
琉球処分・・・1879年、琉球藩を沖縄県とする。

ここいらから立憲政治の流れが始まる。藩閥政治(薩摩・長州藩の藩士が府の要所の大半にいたこと)を行う政府への不満も大きくなってくるわけでありまして・・・

自由民権運動

民選議員設立の建白書(1874)
板垣退助が、藩閥政治を批判、国民の参加政治を求め建白書を提出。

西南戦争(1877)

鹿児島の士族が西郷隆盛を中心に反乱→敗退

国会開設の勅諭(1881)

んま、国会開きますよー。っていうお知らせですな。

政党の結成

自由党(板垣退助/1881)・立憲改進党/1882(大隈重信)の結成→秩父事件が起きる→政府が自由党弾圧

内閣制度創設(1885)

んま、内閣制度が出来たっつーことっすね。
内閣は君主に対して助言するだけの諮問機関だべ。
初代総理大臣は、伊東博文。

大日本帝国憲法発布(1889)

ついに、大日本帝国憲法が発布された。ドイツの憲法を参考に君主は天皇で主権は天皇にあるとされた。(ちなみにワイマール憲法はもっと後だべ。)

帝国議会(1890)

衆議院と貴族院の二院制。
選挙権は、直接国税年15円以上納める満25才以上の男子
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