嘗て、マケドニア帝国の版図を極限まで広げさせた征服王・アレキサンダーは、牛の様な顔をした不細工な馬、ブケファロスに騎乗していたと言う。
皇帝と呼ばれる言葉の語源にもなり、比類なき名将と称された、ローマ帝政の礎を築きあげた男、カエサルは、蹄の割れた馬に騎乗していたと言う。
英雄は、騎乗する馬を選ばないのか。それとも敢えて、名馬以外の馬に乗るのか。それとも、彼らが騎乗する馬は、全てペガサスが如き駿馬になるのだろうか。
――では、この男は果たして、如何なのだろうか? 

 ややくすんだ白色の獣毛に、所々に黒い斑点が生じた馬であった。
薹が立っている馬だった。十一歳、獣の世界で考えれば、老齢と言うべき馬であった。真っ当なジョッキーならばまずこれは愛馬にはしないだろう。
しかし、この馬に騎乗する男は憶えている。生前の相棒であり掛け替えのない友人だった男が、この馬を選んだ事は間違った判断ではないと評価していた事を。
そしてこの馬が、三千五百人を超える程参加者が集い、六千㎞もの超長距離を走破する一大レース、スティール・ボール・ランを共に駆け抜け、
弱音も吐かなかったタフな馬であると言う事を。ジョニィ・ジョースターはしっかりと認識していた。
スローダンサーは、ジョニィのもう一人の相棒であった。彼の走りを、ジョニィは己のマスターと同じ位に、信用していた。
信用はしているが……、やはり現実問題として、厳しい物がある事は、否めなかった。

 路地を抜け、大通りへと、灰がかった銅色魔腕を持ったバーサーカーが、弾丸の如き勢いで飛び出した。
数秒遅れて、黒い斑紋が身体の所々に刻まれた白馬に乗ったジョニィ達が、颯爽と大通りに躍り出た。
近場を通っていた通勤途中のサラリーマンが、腰を抜かし地面に倒れ込む。驚かせて申し訳ないとジョナサンは目配せする。
バーサーカーが消えた方向を直に感知したジョニィは、直に鞭をスロー・ダンサーに打擲する。嘶きを上げた後で、馬はその方向に疾駆した。

 馬が走る平均速度は、おおよそ時速六~七十㎞程である。
どんなに優れたジョッキーが鞭を叩こうが、現実問題として馬に時速百八十㎞を出させる事は、不可能である。馬に出せない速度の限界を超えさえる事は、出来はしない。
ジョッキーは、どのような場面で馬に本気で走らせるか、優れた乗馬技術をどう発揮するかと言う人物であるのだから、これは仕方がない。
その当たり前の事実が、今のジョニィにはもどかしい。動く速度の地力に、余りにも差があり過ぎた。

 ロベルタが操る『馬』であるバーサーカー、高槻涼の移動速度は全くデタラメなそれであった。
ほぼ前を見ず後ろ向きで、時速二百km以上の速度で移動しているのである。しかも、ロベルタと言うマスターを抱きかかえながら。
馬と言うものは騎手と言う重石が存在しなければ、例え大穴と称される程勝ちの目が薄い馬であろうとも、独占首位を狙える程の生き物である。
つまり乗馬の世界に於いて、騎手と言うものは馬にとってこれ以上とない邪魔者なのだ。――その邪魔者を二人も乗せているのだから、相手に追い縋れる筈もなく。
スローダンサーの鞍に跨るジョニィの後ろに、黒髪の紳士が騎乗していた。
初夏の日の朝、葉っぱに付いた水滴のように透明(ピュア)な殺意を、ロベルタに向ける礼服のその男は、ジョナサン・ジョースター。
アーチャーのサーヴァント、ジョニィのマスターであり、ロベルタの追跡を彼に下した義の男。

 共にジョースターの名を冠するこの男達は、気付いていた。
ロベルタが駆るサーヴァント、高槻涼には、例え地球の寿命が尽きるその時までチェイスを続けようとも、追い縋れる事はないと言う事を。
余りにも移動速度が違い過ぎる。それに、優れた騎手であるジョニィは薄々ながら気付いていた。相手は、間違いなく本気で移動していないと言う事を。
恐らく本気で移動すれば、ロベルタの身体が無事では済まない程の速度で、本来ならば彼は移動出来るのだろう。
それを敢えて行わないと言う事は、あのバーサーカーも、狂犬を通り越して最早凶獣とも言うべきあのマスターを、慮っているのだろう。
見事な心意気だと、ジョナサンもジョニィも思った。だからこそ、共に葬られねばならない。
ロベルタは<新宿>に、凶禍しかもたらさない存在だから。生きているだけで、人々に涙を流させる存在だから。

【ジョニィ、撃てるか?】

 背後のジョナサンが、自らの『馬』であるジョニィに問うた。
無論それは、ロベルタを、引いては高槻涼を狙撃して葬れるか、と言う事を意味する。

【距離は凡そ百m離れている。狙うには問題ない。命中するかどうかは、別としてね】

 無慈悲にも距離は離されているが、寧ろジョニィやジョナサンとしては、よくもあれだけの速度で移動する存在に、
この老齢に入りかけた馬が喰らい付けるものだと、逆に称賛していた。決して非難される事ではない。

 曲りなりにもアーチャーのサーヴァントとして顕界したジョニィにとって、高々百m程度の距離、ACT2で狙撃すれば相手の眉間すら撃ち抜ける。
それにも関わらずジョニィが爪弾を撃ちこめるか如何か微妙だと判断したのは、相手の反応速度から言って、弾丸を回避される恐れが強いからであった。
ジョナサンも、ジョニィが言わんとしている事を理解している。何故ならば彼も、戦闘に関しての造詣の深い、戦士であるから。

 西新宿と歌舞伎町の存在するエリアの境界線と言っても良い、新宿駅にまで、いよいよ高槻とロベルタの主従は到達せんとしていた。
急がせつつも馬体を全く上下に揺らさせない移動でジョナサンの主従がこれを追う。
凶獣となった女を抱く魔獣の姿は、余りにも速く移動している為に、人々の目には、銅色の残像が帯を引いている様にしか見えないだろう。
つまり何が起こっているのか、解らないと言う事だ。しかしジョナサン達の方は違う。人間の目が捉えられる程度の速度で、
しかも馬に騎乗した状態で道路上を走っているのだ。目立たない訳がない。道行く人の、注目の的であった。無論、これが悪目立ちである事は言うまでもない。

 敢えて人通りの多い所に逃走する事で、相手の正義感を揺さぶり、攻撃の手を止ませると言う、ロベルタの浅知恵は、功を奏していると見て間違いなかった。
現に、ジョナサンの主従は攻撃が出来ずにいる。ジョニィと言うアーチャーの切り札である、漆黒の殺意の凝集体とも言える、ACT4は、
一度放たれれば確実にあの主従を葬り去れる、と言う自負がジョニィにはあった。しかし、このスタンドには欠点があった。
それは、自分自身の、確実に『殺す』と言う目的意識は、ロデオに使う荒馬の如く、その殺意を以て相手を消す対象を選ばないと言う事だ。
つまり、放たれたACT4は、ロベルタだけを確実に殺すとは限らない。無論、ACT4はジョニィの心の海より生まれ出でたビジョンな為、
誰を殺すのかと言う命令を忠実に守る。守っているのに、暴走する時がある。例えばそれは、誰かを盾にされた時。
例えばそれは、ACT4が命中した部位を敢えて『斬り落とし』、誰かに向かってその部位を投げつけた時。
生前ジョニィはスティール・ボール・ランのレースの最終局面の時に、とある天才ジョッキーがACT4に侵食された部位を自らのスタンドで斬り落とし、
ジョニィの方に投げつけた結果、逆にジョニィの方が、彼自身のスタンドの黄金回転で消滅の危機に瀕した時があった。
自分自身ですらも、その殺意に呑まれうる可能性が存在するのである。赤の他人が、呑まれない筈がない。
ACT4を対策するのであれば最も正しい選択は、人ごみの中に逃れる事が一番と言えるだろう。無意識の内に、ロベルタの主従はそれを選んでいた。
それがジョニィには、もどかしい。街路樹と言う自然に黄金長方形を視認している為、ACT4を狙い打てる準備は何時でも出来ている。
しかし、自動車や二輪車、原付が往来を移動し、歩道に大量の人間がいるこの状況、かつ、背後にジョナサンがいるという手前、ACT4は到底発現できるスタンドではなかった。
……尤も、この場にジョナサンがいなければ、迷う事無くACT4を撃っていたのだが。

 同じ様なジレンマを、ロベルタも抱いている事を、彼らは知らない。
遠坂凛、セリュー・ユビキタスの主従二組と、ロベルタの主従の違いは、指名手配の有無である。
この二組が指名手配をされて、自分が指名手配を喰らっていない、その最大の理由は、無暗矢鱈に人を殺しまくったか、と言う事が一種の基準となる。
武器の調達の為にヤクザのみを殺して来たロベルタは、自分以外にヤクザを殺して回る女の話を耳にした事がある。恐らくはセリューと呼ばれる女であろう。
こう言った行為は、表沙汰にならない方が良いに決まっている。だからこそロベルタは、銃に厳しい日本の社会において、
特に銃を所持していそうな武闘派なヤクザのみを敢えて狙って襲撃していたのである。
だがしかし、例え社会のカスであろうとも、殺し過ぎれば制裁が待ち受けているらしい。幸いロベルタはこれを免れる事は出来た。
自らの本名とサーヴァントのクラスが契約者の鍵を通じて露呈すると言う事は非常に拙い。言うなれば、本名と使う武器の情報が漏洩する事と、ほぼ同義なのだから。

 ロベルタの本音を言えば、自身のサーヴァントである高槻涼を用い、ジョースター達を此処で葬りたい所ではある。
しかし、状況が悪い。ロベルタから見た高槻の戦闘力は、どんなに低く見積もっても、核を含めた米国(ステーツ)が保有する全兵力全兵装以上であるが、
その力の程は白兵戦でのみに発揮されるそれではない。多数戦を面制圧する時に真価を発揮するそれであった。
つまり、高槻涼はその戦闘能力の高さが故に、本気を出せば近隣住民は当然の事、至近距離にいるロベルタですら業火で灰にされる恐れが強いのだ。
人を殺し過ぎれば主催者を称する者達からの確かな制裁が下されると知った今、無軌道な殺人は控えておきたかった。
そして、絶対にこのような所でロベルタは死ぬ訳には行かないのだ。主であるディエゴを爆殺した、薄汚れた灰色の狐を縊り殺すまで。
神の子の血を受け止めた黄金の杯が、彼らに神罰を下すその瞬間を目の当たりにするまで、自分は、生きていなければならないのだ。

 時に車線を疾駆し、時に車と人ごみを飛び越え、ロベルタらは遂に新宿駅周辺へと突入、そして時を待たずして、新宿三丁目方面に向かって行った。
既に彼我の距離は、百五十mにまで達しようとしている。馬自体の移動速度もそうなのであるが、所々に存在する信号機がジョナサンらには厄介であった。
時に移動速度を落とさなければ、自動車に衝突する恐れがあったからである。このまま時が推移すれば、誰がどう見てもロベルタらに逃げられてしまう事は明らかだった。

「ジョニィ、提案がある」

 ジョナサンは、そんな事を口にして来た。
最悪ACT2でも良いから撃ちこんで見ようかと考えていたジョニィは、意識をロベルタ達の主従だけでなく、背後のジョナサンにも向け始める。 

「君の宝具のスローダンサーを、僕の波紋で強化してみたいが、構わないかい?」

 ジョニィはスタンド、と言う一種の超能力を持ちこそすれ、彼の能力と言うのはそのスタンドが全てである。
それ以外の、小回りの利いた魔術と言う物を、彼は持たない。此処は役割を分担するべきであった。
ジョナサンが修めた波紋の技を以て、ジョニィの愛馬であるスローダンサーを強化させ、移動速度を跳ねあげようと言うのである。
今までジョナサンがこれを実行に移さなかったのは、波紋による肉体の強化は、慣れた生物以外では負担が掛かる恐れがあり、馬の命をも潰しかねないからだった。
波紋は、人間と勇気、そして生命への賛歌であると、彼の師は言っていた。そんな波紋の技術で、命を無駄にする事は師の教えに唾を吐く様な事なのだ。
それに騎手にとって自らが駆る馬は掛け替えのない相棒の筈。何の許可なく波紋を流すのは、道理がなっていないであろう。

「構わない」

 ジョニイは静かにそう言った。

「僕も、このまま相手を逃がすのは悔しく思って来たな。マスター、君のペースで、その波紋を流してくれ」

「解った」

 言ってジョナサンは、スローダンサーの白色の体表に指先を置く。
この時、果たして彼は気付いていただろうか。自らが呼び出した、自らと同じ名前のアーチャーの瞳に、漆黒のプラズマの様な感情が、瞳の中で閃いていた事を。

 コオオオォォォ、と言う、人間の気道が発する呼吸の音とは思えない、独特の呼吸音が鳴り響いた。
これと同時に、ホースの先端から水が飛び出す要領で、ジョナサンの指先から、波紋の呼吸によって生み出された生命エネルギーが迸る。
優れたジョッキーであるジョニィは、即座にその効能を実感した。彼の愛馬である、十一歳のアパルーサであるスローダンサーは、老いてこそいるが、
だからこそ、経験に裏打ちされた無理をしない堅実な走り方が出来る馬なのである。その走り方が、明らかに若い馬のそれに変貌した。
軽やかで、蹄鉄の音を響かせる若々しいその走り方は、四~五歳馬のそれである。そして、本当に波紋の効能を実感したのは、その次だった。
明らかに、移動速度が跳ね上がっている。おおよそ、馬の平均移動速度に、+時速三十~四十㎞弱がプラスされているであろうか?
どんなに血統の良い名馬が、何の重石もなく馬を疾駆させた所で、こんな速度は出せはしないだろう。どんな鞭で馬体を叩くよりも、これは効果があると言うものだった。

「これ以上は無理なのかい、マスター?」

「馬体を潰す恐れがある。それは僕としても、望むべく所じゃない」

「解った」

 言ってジョニィは引き下がった。今のままですら馬体の影響的にはグレーゾーンなのに、これ以上の速度を出すと言うのなら、
スローダンサーにどんな影響があるのか解ったものではない。此処は大人しく、ジョナサンの言葉に従う事とした。
遅れてジョニィらも、新宿駅の入口にまで漸く到達した。映画の撮影か、とでも言いたそうな程の、道行くサラリーマンやOL、学生の奇異の視線を一挙に集める、注目の的であった。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 東京の夏と言うのは、東南アジアの国々や乾燥帯の砂漠の国、地中海に住む人間達にすら、暑いと言わせしめる程のそれであるらしい。
それは何故かと言われれば、湿気である。地中海や砂漠の国々は湿気がないカラッとした暑さの為に、風が吹けばまだ涼める。
東南アジアの国にしたって、その湿気た暑さは自然由来のそれであるから、まだ耐えられる。
東京の夏はこれに加えて、クーラーの排熱の暑さも加わって、それはもう、外国からの旅行客は愚か、地元住民ですら嫌になる程のそれになるのだ。
地元住民ですらウンザリする程の暑さなのだ。塞が、この気温を嫌にならない筈がなかった。

 イギリスの夏が懐かしいと塞はセンチュリーハイアットの一室で物思いに耽る。
この東京で過ごすには、空調の効いた部屋が必須だった。流石に、世界第二位の先進国の中で、特に等級の高いホテルである。
設備は一通り整っているし、人的サービスも申し分ない。業務を行うには持って来いの環境だ。
書類に目を通したり、聖杯戦争を乗り切るための思案をするには適している。何事も、仕事は楽をするに限る。
だが仕事を楽に行うとなると、相応の努力と金を払わねばならない。そして塞は、金にも努力にも、糸目をつける事はなかった。
警察や、区役所を筆頭とした行政機関に訴えかける努力だけでなく、それ以外。マスメディアや情報屋を動かす為の金だって惜しんでいない。
それらの努力と経費が結んだ果実が、今の塞の下に集まる情報量なのだ。この聖杯戦争においては、それこそ、金十kgよりも、価値がある。

「女の風呂ってのは長いな、アーチャー」

 革張りのクラブチェアに足を組み、肘掛けに腕を下ろすと言う、まるで一国の大統領の様な偉そうな座り方をしながら塞が言った。
部屋の中でも、サングラスと黒いスーツは欠かさない。この男にとっては最早、普段着と仕事着を兼ねた便利な服装そのものだった。

「見ての通りの髪型なんだもの、仕方がないでしょ?」

 ミネラルウォーターのペットボトルをその手に、ユニットバスから姿を見せた鈴仙が言った。
くるぶしにまで届きそうな程の長さをした、薄紫色のロングヘアだ。綺麗であるとは思うが、手入れも大変であろう。
一々風呂に入る度に長くていやにならんものか、と言うのは、男の塞の感想であった。

「……と言うより、部屋の中でもそのスーツ? 部屋着とかないの?」

「お前さんにゃ言われたくないな……」

 鈴仙は、塞が契約者の鍵で彼女を呼び寄せたその時から今日に至るまで、彼がブラックスーツ以外の服を着こなしているのを見た事がない。
無論、塞は一張羅を着まわしていると言う訳ではない。全く同じ型のそれを都度着直していると言う徹底ぶりだ。此処までくると呆れてものも言えない。
……尤も、部屋着がどうのこうのと言っているのに、肝心の発言主の服装とやらが、日本の女子高生が来ているような夏物のセーラーである事が、その説得力を水に帰しているのだが。

 ――湯上りの服装がそれかよ……――

 サングラスの位置を調整しながら、塞は心中でそう思うのだった。

「ともあれ、単独行動と情報収集、ご苦労様だったな、アーチャー。件の遠坂凛の居場所と、そのサーヴァントのバーサーカーの真名が解って、大収穫さ」

 言って塞は、懐から契約者の鍵を取り出し、それを掌の上で軽く弄ぶ。
渋る鈴仙を説得し、紺珠の薬を使わせたリターンは、十分だった。遠坂凛と彼女が駆るバーサーカーの位置、そのバーサーカーの真名、そして、ステータス。
これだけ得られれば、どのような対策を取れば良いのかも自ずと解って来る。鈴仙の申告したステータスが事実であるのなら、真正面切って戦うような相手ではない。
搦め手を駆使して戦う必要がある相手だ。運よく倒せれば令呪を一画貰えるし、縦しんばそれが嘘だとしても、聖杯戦争の主催者とコンタクトが取れる。
当然塞は、聖杯戦争の裏で糸を引く相手を全く信用していない。顔も見せずに、契約者の鍵から投影されるホログラムを通じて殺し合えと言うような無精者、
ビジネスの世界では信用して貰える筈がない。そんな相手を、塞の会話の土俵にまで引きずり出せれば、それはもう、一大収穫と言っても過言ではないのだった。

「紺珠の薬については、あまり気乗りがしないから、カードを切る場面をもう少し厳選してね」

 鈴仙も、塞が座る様なクラブチェアに腰を下ろしそんな事を告げて来た。
完璧な精度での未来予測を可能とする、紺珠の薬。しかし、未来が解ると言う事は何も良い事ばかりではない。
解らないからこそ良い事もある、と言う事を鈴仙はよく知っている。幻想郷では予測出来る未来の精々が、弾幕勝負での敗北程度だった。
しかしここでは、敗北とはそのまま座への送還――これを死と呼ぶかは微妙な所であるが――か死である。
如何に超自然的な存在と言っても、自分の死が視えてしまうと言うのは、中々にショッキングなのだ。

 元々鈴仙は、臆病な気質の強い女性だった。
今は度重なる戦闘の経験の末、そう言った性格も克服出来た……と思っていたが、あの黒贄礼太郎と名乗るバーサーカーは、別格。
鬼の膂力に天狗の速度、そして、満月が放つ狂気よりもなお狂った性質の持ち主なのだ。思い出すだけで、震駭が止まらない。
しかも、波長を操る程度の能力の持ち主である鈴仙には、解るのだ。アレは妖怪でもなければ、況してや悪魔ですらない。
人間だ。あの時鈴仙が視た黒贄礼太郎と言う男の波長は、人間のそれであったのだ。その事がより一層、鈴仙の恐怖を煽り、掻き立てるのである。

「ま、お前さんの宝具は切り札だ。エースのカードは早々切れるもんじゃないからな、そう言った局面にならないよう手筈は整えるさ」

 鈴仙が切り札を使う事に関して消極的である事は、塞も気付いている。
聖杯戦争ではマスターとサーヴァントは運命共同体の関係と言っても良い。なるべくならば、サーヴァントの意見も、尊重してやらねばならない。

「……さて」

 群青色に澄んだ契約者の鍵を、脇のデスクに置いてあったノートPCの傍に置いた塞は、懐からスマートフォンを取り出しながら言葉を続けた。

「この街で行われてる聖杯戦争についてだが、相当に状況が動くのが早い。正直な所、俺ですら情報処理で頭がパンクしそうな程だ」

「状況が動くのが早い、って言うと?」

「上落合のあるマンションの駐車場で、マンション住民の車のボディが融解し、ある車に至っては車体全体がエンジンなどの内部機関ごと鋭利な何かでバラバラにされた。
だけじゃなくて、そのマンションのある一室が、ハリケーンにでもあったかのように、家財の全てが粉々になる事件が起こったらしい」

「それ、何時の話?」

「十数分前だ」

「うそ!?」

 鈴仙は如実に驚いた様な表情をして見せた。それは、彼女がシャワーを浴びている最中に、塞が浮かべていた表情と全く同じであった。 
<新宿>中に散らした情報捜査の為の記者から、塞がその事実を知ったのは、鈴仙のシャワー中の時であった。
この情報を記者から受け取って、思った事は三つ。一つは、先の通り戦局の動く速さ。二つ目が、<新宿>は狭い街である為、交戦の頻度も多くなるだろうと言う事。
そして最後が、情報面で優位に立てている自分達ですら、最早安心は出来ないと言う事だ。

「聖杯戦争が始ってから時期に八時間になろうとしている。その時点で、それだけの規模の戦いが起きてるんだ。
今はホテルでこうやって話し合いが出来ているが、時間の経過次第じゃいつ俺達もこんな状況に巻き込まれるか、知れたもんじゃない」

「対策は?」

「紺珠の薬を使い続ければ、或いはってレベルだな」

「う~……」 

 実際問題、対策はこれしかない。
塞が打っておいた布石である、記者や行政、公的機関のコネクションを用いれば、ある程度自分に舞い込んでくる危難は予測は出来る。
しかし、塞の持っているコネと言うものは尽く一般NPCのそれである。超自然的な存在の見本市であるサーヴァントとの戦いを、一から十まで認識するには、
限界と言うものも見えてくる。つまり、思いもよらぬアクシデントは、塞の主従にも舞い込んでくる可能性は高いのである。
これが嫌と言うのであれば、紺珠の薬と言う切り札を切るしかないが、これは本当に、ここぞという局面でしか塞も鈴仙も使いたくない。
何度も何度も乱発する類のものでは、断じてないのである。

「NPCにサーヴァントの戦いを認識するのは酷だろう。先ず俺達が優先するべき事柄は、誰がどんなクラスのサーヴァントを引き当てたかと言う情報の収拾。
そしてこれを認識した後で優先して得たい情報は、そのサーヴァントのステータスは? スキルは? 宝具は? この三つだ」

 紺珠の薬を用いれば、こう言った情報収集を行う事は容易い事。
鈴仙の話を聞くに、この<新宿>を跋扈するサーヴァント達は、サーヴァントの近くを直立していた塞を、鈴仙の反応を一切許さず一方的に殺せる者が、
少なくないのである。自分がまさか一切の抵抗も許せず殺されてしまう何て、と塞は何度も思ったが、紺珠の薬で見た確かな未来なのだ。あり得たifなのだろう。
鈴仙と言うサーヴァントは、この聖杯戦争においては、直接相手のサーヴァントを殺して回る、と言った荒っぽい使い方には適さない。
搦め手搦め手で推して行く使い方をせねばならないと言う事を、黒贄と接触を試みた未来の話を聞いて塞はそう考えた。
最悪、紺珠の薬を用いたとて、相手の戦闘力次第では、宝具もスキルも一切認識出来ないかも知れない。
しかし、其処を何とかするのが自分とサーヴァントの仕事である。此処で手を抜けば、待ち受けているのは任務の失敗ではない。文字通りの死だけだ。

「NPC達はサーヴァントやマスターの身体的特徴や、その位置の特定には容易いだろうが、そいつらがどんな戦い方をするのか、と言う事を知るとなると、危険な橋を渡らんとならない」

「直接戦う訳じゃないのよね?」

「賢いやり方じゃないな。危険しかない」

 人差し指をピッと立てて、塞は口を開いた。

「同盟さ」

 成程。確かに、同じ聖杯戦争の参加者同士が同盟を組む事が出来れば、ある局面までは有利に事を運べる事であろう。
だが、そんな簡単に上手く行くとも思えないし、同盟を組む相手にもよるだろう。其処についての見解を、鈴仙は目だけで塞に問うてみた。

「俺が同盟として求める条件は、マスターが適度な無能で、サーヴァントが有能って組み合わせだ」

「理由は?」

「俺達の最終的な目標は聖杯の奪還だ。俺は、この聖杯戦争に参加している人物の全てが、聖杯を求めている、と言う『仮定』でいる。
何でも願いが叶うアイテムなんだ、そりゃ皆欲しがるさ。相手も聖杯を求めていて、かつ俺も聖杯を求めている。目的が同じだ、対立する事になる。
本当は聖杯なんていらない、って連中と組む事が出来ればそれが一番上手く事が運ぶんだが、そいつと組める可能性は低い。組めたらラッキー程度に考える」

 此処で塞は、スマートフォンの代わりに、ノートPC近くに置いてあった烏龍茶のペットボトルを手に取り、一口だけそれを流し込んでから言葉を続けた。

「さっきみたいな組み合わせが良いと思った訳はな、俺達はなるべくなら戦闘をこなさず聖杯戦争を切り抜けたい。んで、そう言った面倒事を全部相方である同盟相手に押し付けられると踏んだからさ」

「都合が良すぎないそれ? 相手も納得いかないと思うけど」

「行かせるのさ。そりゃ普通はそうは問屋が、って所だろう。だが俺達には他の主従にはない武器があるだろ?」

「……情報量」

「そう言うこった」

 口の端を、塞が吊り上げる。

「此処まで金をバラ撒いてバラ撒いて、築き上げた情報網だ。俺達が手中に収めている情報量は決して少なくない所か、最も多い方でなきゃならん。
この情報を餌に、相手に俺達と言う存在が如何に有能かをイメージ付けさせる。相手だって情報は欲しい筈だ、俺達を頼るだろうさ。情報は、戦闘力の高い奴に利用して貰うに限るって事だ」

「でもそれも、気付かれない? 私だって戦えない訳じゃないんだし、相手からしたら戦えるのに戦ってないって思われるんじゃない?」

「其処で、俺が求めた条件の、マスターが適度な無能ってところが活きて来る」

 説明を、鈴仙は促した。

「言うまでもなくサーヴァントは令呪と、現界するのに必要な魔力を供給していると言う事実がある以上、マスターにある程度従わなきゃならない。
故に相手のサーヴァントを操るんだったら、そのマスターを操る事が一番理に叶ってる。但し、アーチャー。お前さんの力で直接操るのは露骨が過ぎる。
サーヴァントに不信感と言ういらん種を撒く事になる。だから、マスターである俺が、説得と言う形で相手マスターを誘導する。
アーチャーだから裏方、後方を担当する。戦闘はそれ程得意じゃない。何だっていい、サーヴァントとの戦闘に陥った時、戦闘の比率を同盟側の方に多く押し付けられれば、俺達の得だ」

「要するに、マスター同士話し合っての決定なら、サーヴァントも文句は言わない、って事ね」

「あぁ。人並みの判断力こそあるが、俺の思惑に気づかない程度の無能が良いってのは、こうやって事を運びたいからさ。とびぬけて有能でも、無能でも駄目。それにこの人選にはもう一つメリットがある」

「それは?」

「同盟って言っても、同盟相手だって最終的には聖杯を求めている。当然最後の最後で対立して戦うだろう。
俺達が同盟を組む最大の理由は、聖杯戦争を中~終盤の局面まで無傷でやり過ごしたいからだ。が、そうも行かないだろう。ある程度の手傷は負うだろうよ。
縦しんば計画が上手くいっても、最後に残った主従が、俺達と、有能なサーヴァントとマスターの組み合わせじゃ、最後の最後でしくじる可能性が強い。
これを避けたい。だからこそ、勝率を上げる為に、マスターが俺よりワンランク、ツーランク位無能が良いって事だ」

 ふーむ、と鈴仙は考え込む。
確かに、悪い見立てではない。理屈も理に叶っているし、メリットもハッキリしている。
実行に移せれば確かに、聖杯戦争を有利に進められるかも知れない作戦ではあった。

「ま、そんな都合よく行くとは俺も思っちゃいない。結局俺が一番頼っているのは、俺のサーヴァントとその『宝具』だ。しっかり頼むぜ、アーチャー」

 最終的には、こう言った結論になるらしい。これもある程度ではあるが、鈴仙には解っていた事だ。
彼女の宝具と便宜上なっている紺珠の薬は、そもそも彼女の手によるものではない。彼女が師匠と呼んで尊敬するある女性が作り上げた薬である。
それが、生前自分が使用していたから、と言う理由で現在宝具となったものが、件の薬なのである。その便利さは、鈴仙も良く知っている。
全く、その女性、八意永琳には頭が下がる。こう言った局面においても役に立つものを生み出すなど、中々出来る事ではない。
鈴仙は確かに感謝していた。……生前、紺珠の薬のちょっとした実験台のように見ていた事は、忘れる事とした。

 ――ヴヴヴヴヴ、と、耳に響く程度の大きさの振動音を、塞と鈴仙の聴覚が捉えた。
机の上に置いた塞の携帯が、バイブレーションを起こす音であった。発信者を見ると、塞が<新宿>に張り巡らせた情報網を形成する、記者の一人であった。
携帯を手に取り、電話に出る塞。「もしもし」、と言う定型句を告げた後、塞は黙りこくる。
数秒経たずして、険しい顔になる。その眼が見えない程の遮光性のサングラスで瞳を隠していても解る。予想外の出来事が、起ったのだと。

「情報感謝する」

 言って塞はスマートフォンの通話を切った。

「どうしたの?」

 と鈴仙が訊ねて来た。答えるべく、塞が口を開いた。

「サーヴァント同士の戦いが起っているらしい」

 起った、と言った過去形ではない。現在形だ。「何処で」、と鈴仙が問うた。

「西新宿を通り過ぎて、歌舞伎町に向かったらしい」

 全く、戦局が動くのが早すぎる。鈴仙は愚か、塞だって驚きを隠せない。
自分達が京王プラザの部屋にいる間に、此処周辺で戦いが起こっていたと言うのか?
いよいよとなって、早く同盟相手を探さなければ、早期退場すらもあり得る事であった。
早く同盟相手、と言う名のスケープゴートを、見つけなければならないだろう。

 ……だがそれにしても。

「公道のド真ん中で馬を走らせるかね……」

 記者は言っていた。逞しい乗馬用の馬に、欧米系の青年二人が乗っていた事を。それは比喩でも何でもない。本物の馬に、彼らは乗っているらしかった。
馬に乗ってるその二名は、ドンキホーテか何かかと、突っ込む塞であった。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 依然として、距離は縮まらない。
ロベルタ達の方が九十㎞/h程も速いのだから、それは当然だ。
だが、彼女らを見失う事は、少なくなった。それだけでも、十分な成果である。

 時速百km近い速度で走る馬の上から眺める風景と言うのは、ジョニィもジョナサンも初めてであった。
人もビルも街路樹も、凄い速度で流れて行く。肌と髪の残像が、視界を掠め、消えて行くのだ。
波紋エネルギーは、馬の走る速度を強化している、つまりは、身体能力そのものを強化しているに等しい。
必然――このような芸当も可能になる。

 数十m先を、法定速度を数キロ上回っているか、と言う速度で走るオデッセイがあった。
このまま行けば、スローダンサーは確実にこれに衝突する。ジョニィは鞭で馬の尻を叩いた。
意を得たり、と言った風のスローダンサーは、勢いよく、跳躍!!
街行く人が見れば、夢の中にいるような光景であったろう。スローダンサーが、六m程の高さを飛び跳ねたのだ。
陽光の最中を、ビルの二階程の高さまで跳躍する騎乗馬と、それに跨る二人の男の風景は、叙事詩のなかで一騎当千の勇名を轟かせる騎士宛らであった。
スローダンサーが地面に着地する。飛び越したオデッセイから十m先の地点だった。何事もなかったかのようにスローダンサーは、走る。
遥か前を往く、ロベルタと、高槻涼の主従目掛けてである。

 ロベルタ達は、丸井の大型デパートの存在する交差点を、ジョニィらから見て左に曲がる。
直線状に逃げるよりも曲がり角を駆使して逃げ切る作戦に出たらしい。ジョニィらも、これを追う。
見た時には彼女らは新宿二丁目交差点を、右折するつもりであるらしかった。
馬の性質的に、狭い道を縫うように移動されたら、彼女らを取り逃してしまう。それだけは、ジョナサンは避けたかった。
それに裏路地は、どちらかと言えばあの女性の本分である。表に引きずり出して、あの女性は戦いたい。それが、ジョナサンとジョニィの思惑であった。

 ロベルタらの口の端が吊り上る、これで逃げ切れる、そう、思ったのであろう。
逃げるのはロベルタ達としても癪だった。彼女の目に映るジョニィのステータスは、高槻と比べるべくもない貧弱なそれ。
しかし、それを額面通りに受け取る程ロベルタも愚かではない。腕利き中の腕利きであったゲリラであった時のロベルタの勘が告げている。
あのステータスの裏には、何か途轍もないものが隠されている。少なくとも今この状況で、あの主従と戦うべきではない。
日本は南米やロアナプラと違い、兎角治安にうるさい国。だからこそロベルタも夜、しかも決まってヤクザを狙っていたのだ。
彼らとの決着は、相応しいシチュエーションが整うまで、御預け。それが、ロベルタの計画であった。

 ロベルタらの取った判断は、ジョナサンらから逃げ切ると言う意味では、全く正しい判断であっただろう。
馬と言う移動手段の性質を利用し、狭い路地に逃げ込むと言うのは、確かに間違ってはいない。
運が悪かったとすれば――彼女らが駆け込んだ新宿二丁目には、『聖杯戦争の参加者が一組存在していた』と言う事だろう。

「――――!!」

 瞬間の事だった。高槻は慣性を無視した凄まじい急ブレーキをかけ、二丁目に入る事の出来る交差点の地点で停止。
左腕を凄まじい速度で頭上に振り回した。パァンッ、と言う破裂音が鳴り響く。
すぐにロベルタはその破裂音が、此方に向かって飛来して来た何かを、高槻が迎撃した音だと気付く。
信じられない話だが、高槻、と言うよりサーヴァントには近代火器の類が通用しない。以前襲撃したヤクザの破れかぶれの発砲で気付いた事柄だ。
そんな彼に、迎撃を必要とさせる攻撃……サーヴァント以外に、それはあり得なかった!!

 餓えた獅子ですら、その場で腹を見せ命乞いをするのではないかと言う程の、憎悪と殺意が籠った目線で、高槻はある一点を睨みつけていた。
その方向にロベルタも目線をやる。優れた狙撃種でもあり、ゲリラでもあったロベルタは、常人とは比較にならない程の視力を持つ。
その視力が、下手人を捉えた。高さ十数mのビルの屋上。其処に立つ、鉢巻を付けた、成年男性。
彼の右腕は、明らかにロベルタ達の方に向けられていた。そして、彼の瞳もまた――自分と同じく、憎悪と殺意で、滾っていた。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 アレックスが此方に近付いてくるロベルタ達に気付いたのは、全くの偶然だった。
率直に言えば北上達は幻十の襲撃以降、他の主従について非常に神経質になっていた。
マスターである北上は令呪を失うだけでなく、片腕も、あの美しい魔人によって斬り落とされてしまったのである。
これで、警戒をするなと言う方がどうかしているだろう。アレックスはサーヴァントであるが為に、魔力さえあれば身体の回復速度は速い。
だが、生身の北上は、一度身体の何処かを失えば最早それまでだ。如何する事も、出来やしない。

 北上の気持ちが落ち着くまでは、アレックスは、此処新宿二丁目に誰か他のサーヴァントが来ないかと警戒の為、何処ぞのビルの屋上で街を見下ろしていた。
この際予め、クラスをアーチャーに変更するのを忘れない。本家本元のアーチャーの様な千里眼スキルこそはないが、
他のクラスよりも多少遠くが良く見えるようになるからだ。そうして街を監視していると――妙な物が、明らかに此方に向かって近付いて来るのを見かけたのだ。
灰銅の右腕を持った、鬼の如き風貌の少年が、女を抱えていると言うのが一つ。そしてもう一つが、二人乗りで、黒い斑紋が刻まれた馬に乗った二人組の男。
すぐに、彼らがサーヴァントだと気付いたのは言うまでもない。即座に臨戦態勢に入ったアレックスは、恐らくはロベルタらが近付いて来るであろうポイントを計算。
その近くの建物の屋上で待ち伏せし、彼女らが近付いてきた瞬間を狙って、光の魔術を放った。こう言う事である。高槻が振った左腕が防いだ攻撃と言うのは、この時のアレックスの攻撃であった。

「サーヴァント……!!」

 ロベルタがギリリと歯軋りを軋らせて言葉を漏らす。呼気が、蒸気になりかねない程の怒りが彼女の中で燃え上がる。
ゲリラを行うのであれば、地理の確認など基本中の基本。当然ロベルタは、<新宿>の聖杯戦争を行うに当たり、この街の地理を調べておいた。
狭い街だ。東京で行うのではなく、東京の中の地理区分のほんの一ヶ所で戦うと言うのだから、それも当然だ。
サーヴァント達とぶつかる機会も、一度二度では済まない事は、ロベルタも解っていた。だが、まさかこの局面でぶつかる事になろうとは。
事態は、最悪を極る。此処であのサーヴァントを無視して逃げるか、それとも、戦うか。決断をロベルタは迫られていた。そして、即座に下した。
此処は無視する。そう思い新宿二丁目方面に曲がろうとすると、再びアレックスの腕から光の魔術による光球が、弾丸並の速度で放たれた。
これを、高槻は再び腕を無造作に振う事で粉砕する。あのサーヴァントは、自分達と戦う気だと、ロベルタは考えた。
しかし、アレックスには本来そんなつもりはない。ロベルタらが向かう方向に、護るべきマスターである北上がいるから、アレックスは攻撃を行っただけだ。
此処に、認識のすれ違いが生まれていた。逃げる方向に拘泥さえしなければ、ロベルタは、アレックスから逃げられたのである。
そして――

「追いついた!!」

 ジョニィ達からも、逃げ切れたのである。
真正面の原付を馬の跳躍で飛び越したジョニィ。スローダンサーが地面に着地した瞬間、ジョナサンが道路上に着地する。
交差点の真ん中に佇む、四人の人物。そのうち二人は、アングロサクソンだ。更にその中の一人は、馬に騎乗している。
そしてもう一人は、ジーンズをボトムズに、トップスを安物の白シャツと言うコーディネートを着こなす白い肌をしたヒスパニックと、
少年の面影を残した、人型の『何か』。何か、と言うのは、少年の身体――特に顔面は、人間の物とは思えない程の、憤怒と憎悪の狂相を浮かべているからだ。最早人間かどうかすら、解ったものじゃない。

 このような情景であるから、街行く人々も、車道を往こうとする原付や自動二輪、自動車も、動けない。
信号が青になっても、皆動けずにいた。釘付け、と言った方が良いのかも知れない。
余りにも眼前の光景がそれこそ、ドラマの撮影でも行っているのだろうかと思う程の、非現実性で溢れていたからだ。

【マスター】

【どうしたんだい、ジョニィ】

【この場所に、サーヴァントが一人いる】

 平然とした態度で、ロベルタを睨みつけ続けているジョナサンであったが、内心では驚愕していた。
鉢合わせる可能性も、予測していないではなかったが、まさか本当に現実になるとは思ってもなかったのだ。

 何処にいるのかと、念話で訊ねるよりも速く、件の人物は現れた。
近場の建物の屋上から、鉢巻を額に巻いた、全体的に青を基調とした民族服風の服に身を包んだ青年。
ジョナサンの目から見ても、ただならぬ力に彼が溢れている事が解る。サーヴァント――アレックスが俯かせた顔を上げ、四人の方に目線を向けた。
そしてすぐに、ジョナサンは気付いた。アレックスの瞳に宿る、凄まじいまでの憎悪を。しかし彼のそれは、ロベルタや、彼女が駆る高槻涼のそれとは違う。
言語化しろと言われれば、それは少し表現に困る。唯一ジョナサンが感じ取れた事を上げるとするならば、アレックスの憎悪は、『個人』に対する憎悪なのだ。
世界や境遇、運命に対して憤っているのではなく、特定個人に対して向けられる、とても人間的な憎悪。どちらかと言えば、ロベルタの抱くそれに近しかった。

 となれば、後はジョナサン、ロベルタにとっての関心事は一つ。
アレックスの性質、そして、この二名のどちらの側に着くのか。いやそもそも、二人を敵に回すのか。これであった。

 ――動いたのは、高槻の方であった。
今まで抱えていたロベルタを、自分達から見て後方に放り投げたのである。
一瞬何事かと混乱するロベルタであるが、直に自分が何をされたのかを悟り、空中で縦に一回転。停止線の直前に在ったセダン車のルーフの上に着地。

「アーチャー!!」

 ジョナサンがそう叫んだ瞬間、ジョニィは右手の人差し指と中指をロベルタの方に向け、ライフル弾のトップスピードレベルで、爪弾を射出した。
高槻が二名を睨みつけながら、両腕を広げる。その瞬間、金属に似た光沢を持った紅色をした彼の両腕が、茫と霞み始めた。
急激に嫌な予感を感じ取ったジョナサンとジョニィは、交差点の外まで飛び退いた、その瞬間だった。
ゴァッ!! と言う音を立てて、交差点内にある全ての物質が、粉々に砕け散り始めた。
信号機や電柱は破片以下の小ささの粒となり、標識と電燈は枯れ枝の様に圧し折れた後爆散。アスファルトで堅く舗装された道路は、砂場の様に粉々に変貌する。
無論それは、ジョニィが放ったACT2の爪弾にしても、同じ事だった。高槻に直撃する数m手前で、爪弾は胡粉の様に細やかな粉に変貌、即座に無力化させられる。
両腕を超高速で振動させる事で、文字通りの超振動を空間に発生させ、範囲内にあった全ての物を分子レベルにまで破壊する。これが高槻の行った事だ。
範囲内にいれば、ジョナサンは当然の事、ジョニィですら、無事では済まなかったろう。この攻撃を放ちたかったから、ロベルタを放り投げたのだろう。
つまり、あのバーサーカーは――ここからが、本気と言う事なのだろう。最早彼、高槻涼の思考には、逃げると言うネジは外されている。
目の前の敵を殺す、その気概で、溢れているのが良く解る。

 突如目の前で起った大破壊に新宿二丁目は大混乱に陥った。
街行く人々が蜘蛛の子散らした様に逃げ行く、車を運転していた者も、急いで車内から飛び出し、倒けつ転びつその場から逃走する。
突如として巻き起こった、超自然的な現象と以外表象の仕様がない、高槻の超振動攻撃を見れば、斯様な反応も、むべなるかな、と言うものであった。

「アーチャー、僕はあのマスターを追う」

 高槻から逃げ惑う無辜の一般人に交じって逃走するロベルタを見て、静かにジョナサンは告げた。
抜け目のない女だった。何も知らない人間がロベルタを見たら、『鬼に近い風貌の少年に攫われた哀れな外国人女性』、としか見えないだろう。
実際には違うのだが、この誤解をロベルタは利用した。今ならば、自身が聖杯戦争の主従とは違うと言うアピールも出来るだけでなく、NPC達への波風も立たない。
狡猾な女性だった。しかし、あの女性の本性を知っている以上、ジョナサンは生かしては置かない。ロベルタは、此処で仕留められねばならぬ存在だった。

「行けるか?」

 言外に、万が一あの鉢巻のサーヴァント以外の主従に遭遇した時は、どうするのか、と言う意味合いが込められている。
ジョナサンは何も言わず、右腕の前腕に刻まれた、大きな丸の中に二つの小さな円が二つ入った、同心円状の令呪をジョニィに見せつけた。
水面に小石を投げ込んだ時に浮かぶ波紋の様なその令呪を見て、ジョニィは得心した。「死ぬなよ」。
ジョニィはそう言って、高槻の居る交差点を大きく迂回するルートを選択したジョナサンを見送った。上手くいけば、ロベルタを回り込む形になるだろう。
ジョナサンの意図する所を察知して、高槻が動こうとする。しかしジョニィはこれを読んでいた。左手の人差し指を即座に高槻に付き指し、ACT2を射出させる。
これを相手は腕を振う事で弾き飛ばす。ビル壁にACT2が突き刺さった、その時には既にジョナサンは一同の視界から消えていた。取り敢えずの役目は果たした。
……後は。

「アンタを倒すだけだな、バーサーカー」

 物質的な質量すら伴っているのではと錯覚せずにはいられない程の、凄まじい憎悪を横溢させるバーサーカーを見て、ジョニィが言った。
魔獣と呼ばれたバーサーカーの瞳には、気の弱い者であれば狂死するやも知れない程の、桁違いの殺意で溢れていた。
お前を殺す、と言う意思が、ただ佇むだけで漲っている、桁違いの敵意である。

 しかし、ジョニィの殺意も、負けてはいなかった。

 もしも、殺意と言う物を可視化出来たのであれば、諸人はジョニィの瞳の中に、黒いプラズマめいたものが火花を散らしているのを見る事が出来ただろう。
凄まじいまでの指向性と目的性を伴った殺意であった。目の前のバーサーカーが、アーチャー自身を含めた世界全土に向けて、憎悪と殺意を発散させているのに対し、
ジョニィの方は、バーサーカー自身に対して『のみ』、極限閾の殺意を放射していた。
宿しているものは、同じ殺意。なのに、向けられるベクトルが、違っていた。個人か、或いは、個人を含めた辺土全てか。その違いである。

 ――ジャバウォックが、吠えた。
音の壁にそのまま叩き付けられたような大音響を皮切りに、ジョニィは構えを取り、第三者のサーヴァント――アレックスも動いた。
向って行く先は、狂気染みた姿を取るバーサーカー、高槻涼。彼はジョニィよりも、高槻を狙った方が得策だと、考えたらしかった。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 音の壁を打ち抜いて、ジョニィの右手からACT2の爪弾が、親指、小指、薬指から放たれる。
地面を蹴り抜き、サイドステップをする事で回避する高槻。彼が着地した先で、アレックスは鞘から引き抜いた緑色の剣――ドラゴンソードを振り被っていた。
剣を勢いよく振り下ろした、その軌道上に高槻は右腕を配置。ガギンッ、と言う、剣と生身がぶつかったとは思えないような金属音がけたたましく鳴り響いた。
見た目以上の頑強さをあの腕は有しているらしい。と言う事は、身体全体も、それに準ずる防御力を誇っていると見て、先ず間違いはないだろう。

 防御されると見るや、アレックスは高槻から距離を取ろうとバックステップを行う。
タッ、と砂地と化した交差点内に着地した瞬間だった。アレックスに向けて右腕を向けていた高槻、その伸ばした腕が、比喩抜きで、『物理的に延長した』。
これにはアレックスもジョニィも目を剥く。この様な隠し技があるとは、思っても見てなかった事が、この反応からも見て取れる。
しかし、ドラゴンソードを振う男は、高槻を相手に近接戦闘を仕掛ける気概があった男である以上、ジョニィよりは近接戦闘の心得がある男だった。
ジョニィはすぐに気付いた。まばたきを終えたその瞬間には、アレックスの持っているドラゴンソードが、長さ一m半程の、緑色の『槍』に変貌していたのを。
其処からのアレックスの動きは、速かった。スローダンサーの何倍にも匹敵する速度で、高槻が伸ばした魔腕の延長線上から飛び退いたのである。
目に見えて、敏捷性が上がっている。得物が剣から槍に代わっている事が、その原因なのだろうか。
すぐに対処しようとする高槻であったが、そうはさせじとジョニィが動く。いや、動いたのは――ACT2が生んだ、『弾痕』と言うべきか。

 よく注意を凝らせば、気付く事は出来たであろう。
ジョナサンをこの場から逃す際にジョニィが放った、ビル壁に突き刺さったACT2の弾痕と、
先程高槻が回避した親・小・薬指の爪弾が回避先の車のバンパーに刻んだ三つの弾痕。それらが独りでに動き、アスファルトや砂地を伝って、高槻の方に迫っている事に。
アレックスの方に伸ばした右腕を、高槻が元の長さに戻した時には、彼の足を伝って、弾痕は胸部にまで上り詰めていた。
其処で漸く、高槻が異変に気付いた――時にはもう遅い。ボグオォンッ!! と言う音と同時に、彼の足から伝っていった弾痕上の穴は、本物の、
爪弾で貫かれたそれの様な弾痕となり、高槻の胸部に、四つの血色の風穴を空ける事に成功した。
先程超振動を起こした時に破壊された爪弾は、ACT2の能力が最早使えない程爪が粉々になってしまった為に、このような攻撃が出来ずにいたが、
そうでなければ、これ以上となく不意打ちに適せる攻撃はないだろう。
事実、ステータス差だけで言えば大きく水を空けられていると言うレベルではない程の強さを誇る高槻にも、ダメージを与える事に成功した。

 しかし――この程度では、魔獣は止まらなかった。

「――――――!!!!」

 それは声と言うよりは、稲妻とも言うべき怒轟であった。
間違っても、生物の喉から迸るものとは思えない轟きが、高槻涼の口腔から解き放たれる。振動で、建物が微かに揺れる程の声量であった。
もしも、怒気と言うものが視覚化出来るのであれば、きっと高槻の身体は、紅蓮の炎で燃え盛っているに相違ない。
そう思わずにはいられない程の、怒りの程であった。

 ジョニィは此処で、鐙を蹴って、スローダンサーから跳躍。地面に着地をした頃には、スローダンサーの展開は終わり、<新宿>から消えていた。
ジョニィと言うサーヴァントにとって、スローダンサーと言う宝具は、彼の切り札とも言うべき牙(タスク)の最終形態を放つのに必要な、主軸の宝具と言っても良い。
これを態々解除し、己の足で地面に立った理由は、ただ一つ。馬は乗り物としての速度には優れているが、小回りの観点から言えば、
ジョニィが直に歩くのに比べれば、遥かに劣るからである。ただでさえあのバーサーカーは速度で圧倒的にジョニィに勝る。
ならば、スローダンサーを展開しておく必要はない。このような判断からであった。自分の足で動いた方が、良い判断と言うものだ。

 アレックスが地面を蹴り抜き、一足飛びに高槻の方に向かって行く。
馬と言うよりは隼と形容すべき程の凄まじい速度で、槍の間合いに入った彼は、軌跡を捉える事すら難しい程の速さで、槍を上段から振り落とした。
対する高槻は、その槍が振り落とされるよりも、更に上を行くスピードで、槍の軌道から掻き消えた。

「後ろだ、ランサー!!」

 そう叫んだのはジョニィであった。この男がランサーなのかどうかは解らない。完全に、勘であった。バッとアレックスは反射的に背後を振り返る。
其処には高槻が、先程ロベルタが着地した車のルーフの上で、銃口状に変化させた右腕をアレックスの方に突きだして構えていると言う光景があった。
ドンッ!! と言う音が高槻の銃口の穴部分から響いた。反射的に、緑色の槍をプロペラの如くに高速回転させるアレックス。
アレックスの身体が、数十cmも、浮いた。槍を回転させた状態の直立姿勢のまま、だ。
驚きに彩られた顔を浮かべるも、直に事態を認識し、体勢を整えてから彼は地面に着地する。
コンクリート塊を破壊する程の堅さにまで圧縮した空気を、狙撃銃に倍する速度で高槻が放ったなど、二人はまさか夢にも思うまい。

 懐に備えておいた、ミントやセージ、カモミール等のハーブの生葉を乱暴に口に持って行き、それを食みながら、両手の指の爪の数をジョニィは確認する。
十本の指には既に、爪が完全に生え揃っていた。今日爪弾を撃ち放って初めて解った事であるが、サーヴァントになった事の恩恵か、
爪の生え揃う速度が生前よりも明らかに早くなっている。恐らくは、三十秒かそこらで新しい爪に生え変わる
これに、ハーブを噛む事で、ほぼ数秒の内に新しい爪が生えて来るのだ。齧歯類の歯の様であった。
数秒で爪が生え揃うなど、ジョニィにとってはこれ以上と無いメリットではある。だが、この数秒と言う時間が曲者であった。
あのバーサーカーは、自身の爪が生え揃う間に、数回は此方を殺して退ける程の敏捷性の持ち主である事に、このアーチャーは既に気付いている。
サーヴァント同士の戦いは、ゼロカンマ秒の時間の奪い合いと言っても良い。そんな世界に於いて、数秒のラグと言うのは致命的な隙である。
そんな厳然たる事実の中で、今最も肝要な事柄は、アレックスを此方の味方にさせた状態のまま、高槻を追い詰めると言う事柄であった。
ランサー――と、ジョニィは考えている――のサーヴァントは、少なくともあの恐るべきバーサーカーと多少なりとも近接戦闘を行える程度の力はある。
彼に前衛を任せ、自分は後衛を、と言う作戦を脳内で立てるのは、ごく自然な事柄であった。

 高槻の姿が、足場にしていた自動車のルーフの上から消失する。
踏込の勢いで、足場にしていたそのセダン車は、あっと言う間にスクラップよりも酷い鉄屑に変貌した。
生身の人間であるジョニィには、如何にも危険そうなあの右腕は勿論の事、あのバーサーカーの、人間としての面影を残した部位による一撃ですらも、
致命傷になり得るほどの勢いであった。一発も、最早もらってはならない。

 高槻は、ジョニィの前方で、右腕を振り上げていた。振り下ろせば、猛禽の如き形状の爪が、彼の身体を挽肉に出来る間合いである。
狂化をしている、とは言え、積み重ねてきた戦闘の経験は、消える訳ではないらしいとジョニィは悟った。
狂化によって理性を欠落させられた存在とは言え、戦闘では後衛から狙った方が良いと言う原則は、頭で理解しているらしい。
拙いと考える時間もない。ジョニィは反射的に左人差し指と中指を、己のこめかみに向ける。
今まさに右腕を振り下ろそうとした、その刹那。高槻はすぐに背後を振り返り、その勢いを利用して右腕を振り抜いた。
クリーム色の光の粒子が、彼の腕の辺りで細雪の如く舞い散っている。アレックスが放った、光の魔術を砕いた残滓であった。
ゼロカンマ二秒程遅れて、弾が肉を貫く音が鳴り響く。ジョニィの方からである。

 軽くサイドステップを行い、高槻が距離の調整を行い、先程の音源、つまり、ジョニィの方に軽く目配せをする。
其処に、ジョニィの姿はなかった。代わりに、彼がいた場所の地面に、黒色の渦が回転している。まるで溜まった水が排水口で渦を巻いているかのようであった。
これは何だと、疑問に思う暇すら、高槻には与えられない。アレックスが地面を蹴って、「あ」、の一音を口にするよりも速く間合いに到達したからだ。

 中段の刺突が、高槻の胸部を穿たんと放たれる。
身体を左半身にする事で難なくこれを回避する彼であったが、即座にアレックスは槍の石突部分で追撃を加え入れようと試みる。
これも、軽くバックステップを行う事で高槻は回避した。着地を終えた瞬間には、彼の右腕は先程圧縮空気を放った時の様な銃口状のそれに変貌を遂げており、
この銃口をアレックスの方に向けていた。防勢に回るのは今度はアレックスの方であった。右方向に大きく距離を取るようステップを刻んだその瞬間、
銃口からドンッ!! と言う音が鳴り響き、圧縮空気が放たれた。スカを食った空気の弾丸は、軌道上の、鉄筋コンクリートのビル壁を砂糖菓子の様に砕いた。

 圧縮空気を乱射する高槻、これを、風の如き速度で走って回避するアレックス。
ガラスを薄氷の如くに粉砕し、鉄筋コンクリートの壁を飴のように破壊し、車体を見るも無残にへしゃげさせる。
歴戦の英霊猛将の類と言えど、直撃すればひとたまりもない一撃を、呼吸をするかのように乱発する高槻もそうであれば、
既に攻撃に慣れたと言わんばかりに、攻撃を回避し続けるアレックスもまたアレックスであった。

 聖杯戦争とは時として、神代の時代を生きた大英霊どうしが、現世に於いて、神話の再現を繰り広げる可能性すらあり得ると言う。
もしもそれが本当であれば、それはとても叙事詩めいていて。幻想譚めいていて、どれ程美しかったであろうか。
しかし、この魔都<新宿>で繰り広げられる、サーヴァント同士の戦いは、どうか。
其処には高尚さも神秘さも、華麗さも無い。憎悪に長ける魔獣と、魔人と化した勇者が繰り広げる戦いは、隠し切れない血香で、匂い立っていた。

 銃弾状をした、光の魔力を固めた弾丸を音速超の速度で射出するアレックス。
埒外の耐久力を誇る右腕で、それをガードするのはバーサーカーのサーヴァント、高槻涼。
まだまだ攻勢は高槻の方にある。言うなれば、余裕は彼の側にあると言っても良いと言う事だ。
その間高槻は、ずっと探し続けていた。渦と同時に消えた――いや、正確に言えば、『渦となって消えたジョニィ』の姿を。
これを探そうとした矢先に、アレックスが槍による中段突きを放って来た為に、彼の所在を探す事は不可能となってしまったのである。

 光の魔力で構成された球体を放つ魔術、セイントを放ちながら、アレックスは突進してくる。
クリーム色の光の球体を、圧縮空気の弾丸で粉砕する。続けて、その球体の後ろを追うようにに接近して来たアレックスに、続けて圧縮空気を放つ。
すると彼は、地面を舐めるような低姿勢の体勢を取り出し、そのまま接近。圧縮空気は外れ、ガードレールに衝突。脆い飴細工の様にそれを破壊する。
目に見えて頑強な、バーサーカーの右腕がダメであれば、生身の人間としての部位を攻撃する。そう考えるのは、自然な事であった。
今回アレックスが狙う部位は、脚部、特に脛だった。生身の人間同士の戦いなら、損傷を負ってしまえばそれだけで勝負があったも同然の箇所である。
そこを目掛けて彼は、ドラゴンスピアを横薙ぎに振るった。しかし、高槻の瞳には槍の軌道が見えている。穂先を回避しようと、跳躍、一撃を回避した、その時であった。

 腹部と左肩部、右脹脛を、何かが凄まじい速度で後ろから突き抜けて行く感覚を、高槻は憶えた。
そして、遅れてやってくる激痛。視界の先で、突き抜けた三つの何かが、十数m先の横断歩道の標識部分に衝突。
金属板部分は薄いベニヤ板みたいに切断され、ポール部分は抉り取られた。凄まじい運動エネルギーだ。

 高槻は地面に着地するが、貫かれた痛みでこれが覚束なくなる。
地に足を付けた瞬間身体がよろけた、その瞬間を狙いアレックスはドラゴンスピアの穂先を脳天目掛けて振り下ろした!!。
そうはさせじと、瞬間的な速度で右腕を銃口状のそれから手の形に戻し、ガッキと穂先を掴み取り攻撃を防御する。
目線だけを、突き抜けた何かが飛来して来た方向に向ける高槻。攻撃の原因は、直に見つかった。
誰かが乗り捨てて行った、原付のスピードメーター部分から、人差し指と親指と中指の爪が剥がれた『手が生えている』のである。
よく見るとその腕は、先程ジョニィを巻き込んだ黒い渦から出ているのが解る。そうと解った瞬間、高槻は吼えた。
右手で掴んだ槍の穂先を強く握り締め、ドラゴンスピアを、今それを握っているアレックスごとその原付の方に投げ飛ばした。
時速数百㎞の速度で投げ放たれたアレックスは、成すすべなく背面から原付に衝突。ハンドルやサドル、メーターのガラス片や針などが空中に飛び散る。
アレックスにこそダメージを与える事は出来たが、黒い渦は既にその原付から逃れており、其処から数m離れた地点で、ギャルギャルギャルギャルと言う音を立てて、ジョニィが渦から現れ出でる。

 タスクACT3と呼ばれるこの能力は、黄金回転の力を自らに射出する事で、螺旋回転の究極の地点、無限に渦巻くどんな点よりも小さな最後の場所で、
自分の肉体を巻き込む事が出来るのである。その究極の地点とは『根源』の一部と言っても過言ではなく、つまりこのスタンド能力は、
爪弾の回転が停止する間、自らの肉体を根源或いは其処に近しい地点に潜航させる事で、ありとあらゆる攻撃から逃れられるのだ。
潜航させる肉体は何も身体全体と言う訳ではなく、身体の一部のみを外部に露出させる事も出来る。
こうする事で、根源に身体を潜らせつつ、攻撃をも可能とさせる、攻防一体となった強力な能力なのだ。

「チュミミミ~~~~~ン……」

 ジョニィの背後に、奇妙な霊的ビジョンが浮かび上がっていた。
胴体はボディビルの上半身宛らに大きい逆三角形なのに、脚部と腕部は極端に細いと言うバランスの悪い体格。
顔は出来の悪いモアイを何処となく思わせる、滑稽なそれ。所々に、星の意匠が凝らされているのが特徴的である。
これこそが、牙の進化の第三形態。嘗て、黄金回転と言う技術について誰よりも詳しかったある男をして、自身とその系譜に連なる者達が積み上げて来た経験値の上を行くとすら思わせた能力の具現であった。

 ガァッ、と声を上げ、高槻は右腕を、アンダースローの要領で振り上げた。
超振動によって分子レベルにまで破砕された、アスファルトの砂粒が、右腕とぶつかった。
凄まじい速度で薙ぎ上げられたその砂粒は、摩擦熱により莫大な熱量を帯び始めた。優に五百度は超えていよう。
そんな熱砂が、指向性を以てジョニィの方に殺到したのである!! しかし、アレックスがこれを許さなかった。
すぐにジョニィの眼前まで飛んで行き、槍を高速で回転させる事で全てを弾き飛ばす。

「――やれ」

 アレックスはジョニィに対して言葉を投げ掛けた。此処に来て初めて、共闘関係が生まれた瞬間であった。
黄金回転は、止まらない。ジョニィの右腕が、消失した。消えたと言うのは、正確な言い方ではないかも知れない。
身体の一部を、渦に巻き込ませたのである。高槻は地面を蹴り、一直線にアレックスとジョニィの下へと向かって来る。

 右腕を横薙ぎに振う高槻、これをドラゴンスピアの柄の部分で防ぐアレックス。
積荷を限界まで搭載したトラックの衝突ですら、生ぬるいのではと思わせる程の衝撃がアレックスに叩き込まれる。
それを、浪蘭幻十と言う名のアサシンへの憎悪と、自身のマスターである北上を護ると言う意思、そして、勇者としてのちっぽけなプライドで何とか防ぎきる。
その間、ACT3の渦は、地面を移動し、一番近い位置にあるビル壁の三階部分まで伝い上り、その位置から、右腕がニュッと飛び出して来た。
三本の爪が中頃まで再生し始めているその手の小指と薬指から爪弾が放たれる。その事実に高槻が気付いた時には、首と腰を、ACT2で撃ち抜かれていた。

 血色の風穴から、ビューッと、凄まじい勢いで血が噴出して行く。
一瞬思考がフリーズした高槻の腹部をアレックスが蹴り飛ばし、その右肩に、ドラゴンスピアの穂先を超高速で叩きつけた。
ジョニィも、そして武器を振ったアレックスも、クリーンヒットであると、思わざるを得ない一撃。

 ――二人は、そう思っていたのだ。この時は、であるが。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 軍用ヘリから射出される機銃とミサイルが、子供と、その親たちの身体を吹き飛ばして行く。
柔かいパンのように、頭や四肢が千切れ飛んで行く。悲しさと怒りに、涙を流した。

 球体状のロボットに追い詰められていた彼は、己の中に眠る魔獣の力を駆使し、その立場を逆転させた。
遂に相手を追い詰め、力尽くで操縦者がいるであろう機械のハッチを抉じ開けた。体中に点滴針を刺し、穴と言う穴にチューブを入れていなければ、
数秒と生きられない程痩せ細った少年が其処にいた。彼はハッチを開けられた瞬間、延命が効かなくなり、醜い金属の塊へと膨張した。悲しさと怒りに、また涙を流した。

 全ての元凶であると思っていた黒の男を殺したと思ったら、訳も分からず、黒の中に眠っていた白の人格が目覚め始めた。
日本を出、アメリカにまでやって来た目的である、大事な幼馴染の死を以て計画の完了と成す、と言った男の野望を頓挫させるべく、己の力を揮った。
――その力で、彼は、彼女を殺してしまった。神の卵が取り込んだ空間転移、それを以て白は、まんまと彼女を彼に殺させて見せた。

 深い『絶望』と『憎悪』、『悲哀』と『仁愛』が爆発した。
皮膚が張り裂け、筋肉が断たれるような感情の大渦の中で、一つの声が脳裏に響いた。その時の事を、今彼は思い出していた。

 ――我は汝……、汝は我……――

 そう、その声は、今の彼の脳裏にも響いていた。 

 ――嘗て我は、“汝と共に生き、汝と共に滅びる”と言った……あの時の事を憶えている……――

 声は、彼に告げる。

 ――今のお前にも、我は従おう――

 続けて、声は言った。

 ――選択の時だ。我は、汝の意思に従おう、高槻涼!!――

 ……この力は、昔、自分が何よりも恐れた力ではなかったのか。
進化の果てに、地球ごと全ての人類を葬り去る力を内に秘めた、危険極まりない力ではなかったのか。
思い出せない。思い出せないが、負けたくはなかった。だから彼は――高槻涼は、声に対して、肯んじた。

 ――『審判』の時は来たれり!!――

 人格が、高槻から声の主のそれに切り替わる。
高槻の人格の泡沫は、己の身体から湧き上がる、メルトダウンするような力の奔流を感じた。
後は、頑張ってくれ。声の男よ。自分の代わりに、この場の『闘争』を制してくれ。その猛々しい『勇気』を以て、事態を制してくれ。

 ……狂化した高槻には、魔獣の力を抑制する意思などなかった。

 『希望』は、死んだ。



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 高槻がジョニィ達との戦いで上げた声は、理性も悟性もなく、狂暴な感情のみに任せた咆哮ではあったが、それはまだまだ、人間としての名残を思わせる、
まだ人間が上げている声である事が解る。そんな声ではあった。

 しかし、今の高槻が上げている声は、全く違う。
数百トンもある様な金属塊と金属塊がぶつかり、勢いよくすれ合うような、轟音。
思わず耳を防ぎそうになるジョニィ達であったが、何とか塞がずにいられたのは、潜り抜けて来た死線の故であった。
いや――それだけではなかった。声帯の代わりに、雷雲がその位置に収まっているのではないかと言う程の爆轟を声から轟かせている高槻もそうだが、
それ以上に驚くべき変化が、彼に起っていたが為に、耳を両手で覆うに覆えないのである。

 高槻の身体が、少年の面影を残した体躯から、三mもあろうかと言う程の巨躯の何かに変貌して行っていた。
皮膚を裂き、筋肉を切り裂く様に現れたその怪物に変化するのに、高槻は苦しむ様子一つ見せない。
まるで皮膚の一枚下に、身の毛の逆立つようなその怪物が、初めから潜んでいたとしか思えない程変身はスムーズであった。
これが、本来の姿だった、と言われても、ジョニィもアレックスも、納得したであろう。

 二秒弱で、変身が終わった。
そして、其処に現れたのは、高槻涼の姿とは似ても似つかない、『鬼』としか言いようがない風貌の怪物であった。
身体の色は、変身前の高槻の右腕の様な灰銅色。しかし、体格も容姿も、変身前とは別の生き物であった。
極めて完成度の高い上半身と下半身の筋密度と、その大きさの釣り合いの比率。肩から伸びる、プロテクター上の部位。
触れただけで、人の皮膚は愚か、その筋肉まで切り裂けると思わせる程鋭利な爪を生やしたその手。
人間の時の高槻は、それは右腕だけにしか発現していなかったが、今の彼にはそれが両腕に発言している。
何よりも恐ろしいのは、その顔つき。これこそが、日本の伝承の中に語られる鬼の真実であると言われても、万民が納得する程の、厳めしく、恐ろしい風貌。
髪は、金属で出来た針を思わせるような質感を持った突起が何本も生えていると言う、剣山を思わせるようなそれである。
と言うより、その質感は毛髪――と思しき部位――のみならず、彼の身体全体を表した特徴と言っても良く、今の高槻は、生きた金属の生命体を思わせる姿であった。

「我は破壊の権化――ジャバウォック」

 高槻の口から、明白に、言葉が出て来た。
ジョニィもアレックスも瞠若する。今までの高槻は、明らかに、高ランクの狂化と引きかえに言語を失った事が見て取れる相手であったのに、
今の彼の口ぶりの、何と闊達な事か!! 狂化スキルが完全に消滅してるとしか思えない程、彼は見事に言葉を操っていた。

「よくもつまらぬ攻撃で我を滅ぼそうとしたな」

 その言葉は何処までも尊大で、威圧的で、自分こそがこの世で最も強い存在なのだと言う自負に満ち溢れた言葉であった。
先程、ジョニィのACT2で首を撃ち抜かれた痛みなど、初めから存在していないかのような喋り方。
人間の時のバーサーカーが負った傷は、今のバーサーカーには引き継がれないのか。
世界で一番高い山から投げ掛ける言葉の様な高慢さで溢れたその言葉はしかし、その風貌と、事実身体から溢れ出る、言葉に恥じない圧倒的な鬼風のせいで、全く虚勢を思わせない。

「魔獣の業火で、灰になるがいい。雑魚共が!!」

 高槻涼――いや、ジャバウォックが咆哮を上げた。 
戦端は、新たなる局面を迎えるのであった。



時系列順


投下順



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03:さよならレイ・ペンバー 佐藤十兵衛 16:かつて人であった獣たちへ
セイバー(比那名居天子)
10:ウドンゲイン完全無欠 16:かつて人であった獣たちへ
アーチャー(鈴仙・優曇華院・イナバ)
03:さよならレイ・ペンバー ジョナサン・ジョースター 16:かつて人であった獣たちへ
セイバー(ジョニィ・ジョースター)
03:さよならレイ・ペンバー ロベルタ 16:かつて人であった獣たちへ
バーサーカー(高槻涼)
12:SPIRAL NEMESIS モデルマン(アレックス) 16:かつて人であった獣たちへ