午前の7時。
 いつもより早く目が覚めた一ノ瀬志希は、これまたいつもより早く外出の支度を整え、そしてこれもまた普段よりもいち早く玄関の扉に手をかけドアノブを回そうとしたところで、

【マスター】

 不意に霊体化したアーチャーに呼び止められて、動きを止めた。
 体が跳ねるような錯覚。あるいは、本当に飛び退いてしまったか。
 少しだけ遠ざかったドアノブを未練がましく見つめながら、志希は続くアーチャーの言葉を待つ。

【本当に行くのかしら?】

【……ダメ?】

 返答の念話を送りながら、志希はなんとはなしに肩の後ろの様子を窺った。
 そんなことをしても当然霊体化している永琳の表情は見えないが、なんとなく咎められているような心持がするせいか、志希はついそうしてしまう。

(まるで、先生に怒られてるみたいな気分になるなー)

 永琳本人に怒っているつもりがなくとも、彼女の持つオーラは志希にとっては教師のようで、どうにもやりにくい。
 あるいはこのやりにくさは、永琳がこれまでの人生で会ったことのないタイプ故かもしれない。
 海外の大学で飛び級していた彼女にとっても……いやむしろ、なまじ天才だからこそ、長すぎる年月を生きた永琳の"月の頭脳"とさえ言われる知恵の泉は、未知のものだ。
 文字通りケタが違う。

【否定はしないわ。私達が聖杯戦争に対して持っている情報は、正直少ない。
 手掛かりに成り得るものは、できるだけ拾っておきたいのは確かよ】

【じゃー、呼び止める必要ないじゃんー】

【自覚が必要だと言うことよ。"鍵"の通告は見たでしょう?
 今から外に出れば、何が起きても不思議ではないということ。わかっているわよね】

【……わかってるけどー】

 今からおよそ7時間前。志希を無理矢理ここに連れてきた藍色の鍵は光り、ホログラム投影によって志希と永琳に通達を行った。
 曰く、聖杯戦争の開始。
 曰く、ふた組の主従への討伐令。
 曰く、その主従の罪状は『大量殺人』であるということ。

【今から出ていく街中では、大量殺人犯か、その同類とすれ違うかもしれない。
 ……もっとも、部屋の中にいても何が起こるかはわからないわけだけど】

【ぶー】

【だから、自覚の問題なのよ】

 志希にも一応のところ、永琳の言いたいことは理解できる。
 要は覚悟の問題なのだ。たとえ志希にそのつもりがなくとも、運命は向こうからやってくる。
 ただのアイドルである志希に、容易くそんな覚悟が決められるかは別の話だったが。

【……それでも行くしかないでしょー。ホンモノじゃないって言っても、同じ事務所の子のことだし】

【そ。……少し前に周囲を確認したけど、少なくとも見える範囲には不審なものはなかったわ。
 安心はしていいけれど、もしもの時の警戒は怠らないように】

【……ありがと】

 志希には色々言いはするが、実際永琳は志希のためによくやっていた。
 彼女の自負もあるのだろうが、あるいは永琳の従者としての気質ゆえかもしれない。
 内心にそれを心強くも思いながら、志希は改めて玄関のノブに手をかけた。


 ……時を少し遡る。
 "契約者の鍵"が、その管理者からの通告を志希と永琳に伝える数十分前。
 志希の携帯電話に、ひとつの連絡が入った。

「もしもしー?」
『フンフンフフーンフンフフー♪ あ、シキちゃん?』
「あれ、フレデリカ?」

 電話をかけてきたのは、志希と同じプロダクションに務めるアイドルの宮本フレデリカだった。
 『元の世界』での志希の友人のひとりで、この<新宿>でもその関わりは消えていない、と志希は記憶している。
 志希が休暇を取ると伝えた時は、「似合わなーい、明日は雨振るかもー♪」などと言われてしまった。
 ここ最近は、新曲がヒットしラジオやライブに引っ張りだこになっている、と風の噂で聞いていたが。

「何か用事ー?」
『んー……。ライブ終わって、ついさっき聞いたんだけどさー……チカちゃんがね、倒れちゃったんだって』

 横山千佳。
 志希、そしてフレデリカの所属するプロダクションに同じく所属しているアイドルである。
 年齢は9歳で、志希達アイドルの中でも最年少。
 魔法少女に憧れる、無邪気な女の子。そのはずだ、と志希は思い返す。

「倒れたって……なにかの病気?」
『倒れたっていうか、起きてこないっていうか……』

 志希がフレデリカから話を聞いた限りでは、こうである。
 3日ほど前。
 横山千佳は仕事の前日に<新宿>を訪れ、ホテルに宿泊していた。
 翌日。仕事の時間になっても起きてこない千佳を不審に思ったプロデューサーが、彼女の泊まっている部屋を確認したところ、眠ったまま目覚めない姿を発見した。

 医師の診察にも関わらず、原因不明。
 身体的にはなんら異常はないはずなのに、意識は眠ったまま戻ってこない。
 突然の奇病。そう表現するしかないであろう。

 ――だが。志希には、その原因に心当たりがあった。

「……お見舞いとか、いっていいかなー?」
『プロデューサーに電話してみたらいいんじゃない? アタシはちょっと忙しいから、明日はムリなんだけどっ』
「忙しい? あー、最近仕事いっぱいあるみたいだねー」
『そーそー、明日のお昼の2時に市ヶ谷で生中継の野外ライブあるんだよね。シキちゃんも来てくれると嬉しいなー』
「んー、予定がついたらー? それじゃまたねー」
『バイバイ、シキちゃん☆ アーガデウムから、貴方まで!』

 フレデリカの別れの言葉を聞きながら、志希は電話を切る。
 そして――これこそ、彼女を知る者が見れば目を剥いて驚くだろうが――大きな溜め息を吐いた。

「ゆ~めならさ~めればい~いのにな~……」

 つい先日と同じように、小唄でも口ずさむようなリズムで言葉を紡いで行く。
 いきなり発生した、原因不明の眠り病。
 これが聖杯戦争に関連のない事項だとは、志希には思えなかった。


 歌舞伎町・戸山方面、東京医科大学。
 事前に連絡を入れていたからか、早い時間から訪問した志希を、千佳に付き添っていた両親とPは快く見舞いに入れてくれた。
 ベッドで眠ったままの横山千佳の顔は穏やかで、とても奇病に侵されているとは見えない。
 確かめるように志希が軽く頬をつついてみるが、やはり何の反応も見せなかった。
 それを確認してから、霊体化したままの永琳が眠る千佳の顔を覗き込む。

【アーチャー、どう?】

 アーチャー、八意永琳は薬師である。
 であるならば、それが例え原因不明の奇病であっても、診察し病の元がなにであるかを突き止めることが可能なのではないか、というのが志希の考えであった。
 そのために見舞いにやってきたのだと言ってもいい。
 永琳としても、家を出る際の会話で言ったように聖杯戦争についての手がかりを得ることができるかもしれないならば無駄ではないと同意はしている。
 そして永琳の眼は、確かにこの奇妙な眠り病の原因を捉えたのだ。

【これは、呪いね】

【……呪い?】

【ええ。それも、割と大掛かりな部類。この少女の魂を抜き取り、何処か別の場所へと持ち去っている】

 そんな非科学的な、と思いかけて、今自分が置かれている状況が非科学そのものであることを志希は再度自覚する。

 ――彼女も、永琳も知らぬ。
 かつて異世界で復活の刻を迎えようとした白貌の帝。
 その廃都の上に建つ町、帝国の悪夢に襲われた土地で、始祖の呪いを受けた子供達が、菫色の目覚めぬ眠り、忘却界での輪唱へと誘われていたことなど。
 千佳を襲った――そして、この<新宿>で、密かに幼い子供を襲っている――眠り病が、それの再来であることなど。

【治せる?】

【すぐには無理ね】

 期待の色が籠った、志希の念話。しかしそれへの永琳の返答は、芳しくなかった。

 薬。実のところ、聖杯戦争の準備期間中に永琳は幾つかの薬を作り置いていた。
 幻想郷でも、永琳が人間の里の里人たちに売っていたのは基本的に置き薬であり、保存の利く薬を作ること自体は難しくもない。
 市販の栄養ドリンクや医薬品、あるいは天然由来の材料を使って、永琳は傷病に効く薬を見事に作成してみせた。

 が、この呪いは話が別だ。
 肉体を離れ、連れていかれた魂を呼び戻すような霊薬など、容易く作成できるわけもない。
 幻想郷の永遠亭ならばそれでも材料の確保はそこまで難しくはなかったろうが、この<新宿>では彼女が薬を作るのには手間がかかる。
 既に神代を捨て去り、幻想を置き去ったこの現代の街は、神話の霊薬を作るには不適切だ。
 無論、永琳にかかれば、不可能ではない。必要なのは、材料か時間。
 だが同時に、その2つの制約がある以上、効力の高い霊薬を作れる数は限られている。
 ただでさえ既に聖杯戦争は始まっているのだから。永琳が霊薬を作るとすれば、それは仮主である一ノ瀬志希のためにのみ使われるのが望ましい。

【プロデューサーの話じゃ、『メフィスト病院』に移すのも考えてるって話だけどー……】

【……『メフィスト病院』、ね】

 志希の念話に現れたその名前に、永琳の念話に溜め息のような色が混じった。
 <新宿>に突如現れた、冗談のような名前の病院。
 まるでその名前の通り悪魔への願いの如く患者を治療し、そして名前に似合わぬ破格の安値の対価しか請求しないという、それこそ御伽話の名医のような存在。
 それがサーヴァントの所業であることは、志希にも永琳にも自明の理だった。
 だが、何故そのような業を行うのか、という理由は皆目見当がつかない。
 診療に訪れる一般人を相手に魂喰いを行っているのではないかとも考えたが、『患者として来たならば、あらゆる者を治療する』――つまり、全ての患者があの病院から戻ってきているということ――という評判から聞くに考え難い。
 永琳としてはその神の如き業前には興味こそあったが、同時にその得体の知れなさを警戒し手出しはおろか、近づくことも避けてきた。

【大丈夫かなー、サーヴァントが関わる病院なんて行って】

【評判から聞く限り、安全だと思うけれど。あるいはその方が私よりも早く済むかもね】

 いっそ志希が付き添い、あるいは見舞いとして潜りこむというのも考えたが、おそらくはキャスターの陣地であることを考えると永琳が霊体化していても察知される危険が大きい。
 向こうの思惑が読めない以上軽率な行動は慎むべきか、あるいは思惑を読むために敢えて虎口に跳び込むか。
 どちらもメリット・デメリットは存在するが――

【……行ってみる? メフィスト病院】

【それもいいかもしれないわね。相談って体ならば、ひとりで行っても邪険にはされないでしょう】

 志希のその決断を、永琳は否定しなかった。
 どちらにしろ、手がかりはほとんどないと言ってもいい。
 危険を避けて安全策をとり続けるのも一種の戦略ではあるが、それは同時に"取り残される"危険をも孕む。
 『<新宿>からの脱出』という志希の目的から考えても、他の主従との接触は悪いことばかりではない(それが敵対的でなければ、という話だが)。
 仮主とはいえ、永琳にマスターである志希を蔑ろにするつもりはなかった。
 それは元々の永琳の在り方が、従者であるが故。
 そして従者の優秀さとは、主の我侭をどれだけ通し、目的を達成させられるかなのである。






【歌舞伎町、戸山方面・東京医科大学/1日目 午前8:30】

【一ノ瀬志希@アイドルマスター・シンデレラガールズ】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]
[道具]
[所持金]アイドルとしての活動で得た資金と、元々の資産でそれなり
[思考・状況]
基本行動方針:<新宿>からの脱出。
1.メフィスト病院に接触し、情報を得たい。
2.午後二時ごろに、市ヶ谷でフレデリカの野外ライブを聴く?(予定が入らなければ)
[備考]
  • 午後二時ごろに市ヶ谷方面でフレデリカの野外ライブが行われることを知りました。




【八意永琳@東方Project】
[状態]十全
[装備]弓矢
[道具]怪我や病に効く薬を幾つか作り置いている
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:一ノ瀬志希をサポートし、目的を達成させる。
1.周囲の警戒を行う。
2.移動しながらでも、いつでも霊薬を作成できるように準備(材料の採取など)を行っておく。
[備考]
  • キャスター(タイタス一世)の呪いで眠っている横山千佳(@アイドルマスター・シンデレラガールズ)に接触し、眠り病の呪いをかけるキャスターが存在することを突き止めました。ただし、明確に呪いの条件を理解しているわけではありません。



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00:全ての人の魂の夜想曲 一ノ瀬志希 24:絡み合うアスクレピオス
アーチャー(八意永琳)