目が覚めて、瞳に映ったのは、知らない天井だった。
染みもなければ埃も無い、蜘蛛の巣なんて以ての外。磨き上げれたような綺麗な白い天井と、漉き立ての紙にも似た白い色の壁紙。
空気中には塵の一つも舞っていない、無臭の気だけが空間の中に充満していた。臭いもなければ塵埃もなく、部屋の中に在る調度も全て、整理整頓されている。
此処は正に、清潔と言う言葉の具現そのものだった。

 番場真昼が先ず思った事は、此処は何処だろう、と言う事だった。
白くて、清潔な空間。病院なのかも知れない、と彼女は思った。改めて、自分の現在の状態を彼女は確認する。
干したてとしか言いようがない程暖かで、柔かい掛け布団を掛けられていた。生綿その物の様な柔かさのマットレスのベッドの上で、彼女は今まで眠っていたらしい。
布団を除け、自分の服装を確認する。彼女は現在白色の病衣を纏った状態で、此処からも、この場所が病院なのだと言う確信を彼女は深めて行く。

「――そうだ、真夜……!!」

 考える内に、真昼は、自分にはより確実な物事についての確認手段がある事を漸く思い出した。
真夜、自分の身体の裡に眠る、もう一人の人格。夜の間だけ自由に動ける、自分の大切な友達。自分の異常性の発露そのもの。
彼女に聞けば、全て事足りる。真昼は彼女に、自分の身に何が起こったのか、その事を訊ねる。

 もう一人の自分とも言うべき人格の説明は、二分程も続いた。
そしてその話を聞いた時、真昼は、瞳に墨でも塗られたように、視界が黒くなるような感覚を覚えた。
途方に暮れる、とはまさにこの事を言うのだろう。自身を取り巻く今の状況が、最悪のそれである事は、鈍く、間の抜けた性情の真昼にですら理解が出来た。

 真夜の情報を整理するに真昼は、聖杯戦争の主従の一人に、死んでもおかしくない程のダメージを負わされ、入院させられたと言うらしい。
後遺症で物を考える事も、歩く事も出来ない筈の損傷、しかし、辛うじて生きている状態に、その主従が調整した理由も、この病院に入院させた理由も、不明。
少なくとも何らかの意図で、自分達をそのような状態にしたと言うのは確かだ。
真昼にとって理解がし難いのは、そんな面倒で遠回りな事をした主従よりも、此処メフィスト病院についてだ。
その名前は、真昼も何度か耳にしている。病院が運営出来るのか如何かすら危うい程の格安の治療費で、およそどんな病気や怪我でも治してしまう場所だと聞いている。
軽い風邪からタチの悪い性病、果ては現代医学でも治せる可能性がゼロに等しい癌や、名前すら聞いた事のない病気ですら、完治させてしまうのだと言う。
当然、その場所がサーヴァントに纏わる所だと言う事は、真昼も真夜も早々に推測していた。そして真夜曰くそれは事実だったようで、サーヴァントでなければ、
到底説明がつかない程の不可思議な治療で、自分の身体の怪我を一切の痕跡すら残さず治療してしまったのだと言う。
何故そんな事をしたのか、真夜にも真昼にも解らない。ただ、此方を治すメリットなど微塵もない事は確実である。
もしも聖杯戦争の参加者であれば、普通はサーヴァントのマスターなど治さないだろう。満身創痍のマスターが目の前に現れれば、何とかして殺そうとするのが筋ではないのか?
その辺りが、真昼達には解らない。果たしてどのような思惑の末に、自分はこうして生きているのだろうか。

 何れにせよ、自分達はまさに、九死に一生を得た状態と言うらしかった。
正に、底なしに運が良い――と言う訳には行かなかった。運が良かったのは、生きられたと言うその点だけだ。
断言しても良かったが、聖杯戦争の参加者と言う観点から見た場合、真昼達の置かれた状況は最悪と言う言葉ですら生ぬるい程、厳しいものなのである。
此方を半殺しにした主従も、流石に何の措置もなく真昼達をメフィスト病院に収容させた訳ではなかったのだ。

 真昼は胸元に刻まれていた筈の令呪の方に、目線を向ける。
病衣の襟を引っ張ってみる。きめの細かい白い肌が、胸元には広がるだけ。途端に顔が青ざめる。
刻まれていて然るべき筈の令呪が、何処にもない。真夜の言った通りだった。頼みの綱の最後の一画すらも、消え失せているのだ。
これが、彼女の置かれている境遇の最悪の理由の一つ。我が強く、少しの契機で暴走するあのバーサーカーを制御する令呪が、今の彼女にはないのだ。
それだけではない、令呪の代用品として活用できる、契約者の鍵すらも奪われているのだ。
つまり真昼達は、あのバーサーカーを御する措置も一切ない状態と言う事になる。これならばいっその事、シャドウラビリスを葬ってくれた方がまだ救いがあると言う物だ。
向こうがそれを狙ったのかどうかは今となっては解らない。一つ言える事があるとすれば、真昼達は今、限りなく詰んでいる状態に近しい、と言う事だった。

「どうしよう……」

 そう口にしたくなるのも、無理はない程の八方塞ぶりだった。
壁に掛けられたデジタル時計に目線を送る真昼。時刻はもうすぐ、九時半を回ろうとしていた。
自分があの主従に痛めつけられた時間は、確かギリギリ、深夜零時を回っていなかった頃合いだと記憶している。
となると丸々九時間は意識を失っていた計算になる筈だが、その九時間の間に、一生後遺症に苦しむレベルの怪我が治っていると思うと、これは信じられない事だった。

【どんな人が治したの……?】

 真夜に訊ねてみる。

【……イカれた悪魔だよ】

 真夜の答えは、要領を得ないものだった。
サーヴァントなどと言う超常存在が跋扈する<新宿>で、一番胡散臭い施設であるメフィスト病院のサーヴァントが治療したと言う事は、だ。
本当に、漫画やアニメの中に出て来るような恐ろしい風体の悪魔が治療したのか、と受け取られてもおかしくない。

【ハッキリ言って、人間みたいな姿をしてるけど、人間には全然見えなかった。人の皮を被った悪魔って言うのは……、あんな奴の事を言うんだろうな】

 真夜をして、此処まで言わせしめるとは、果たしてどのような風体をしているのか。
会うのが怖いどころか、此処まで言われると逆に興味が湧いてくる。
どちらにしてもこの病院は、そのサーヴァントの腹の中とも言うべき空間。此処から外に出る以上は、避けては通れぬ道であろう。

 ――そんな事を考えている最中であった。
患者室と廊下、と思しき空間を繋ぐ、分厚そうな自動ドアが、音もなく左右に開かれたのは。
自分、と真夜以外には誰も存在しない空間に、気配が一つ増えた事に気づき、その方に真昼は顔を向け――表情を凍りつかせた。

「目が覚めたか」

 神が奏でるフルートの音のような声が、風の如くに流れた。
きっと、如何なる楽器がどんなに素晴らしいメロディを奏でようとも、この男の何ら感情も込めぬ単なる会話には勝てまい。内包される美の次元が、違い過ぎた。
だが、本当に美しいのは、声ではない。その顔だった。真昼は、何の準備もなくその顔を見てしまった為に、白痴か痴呆になったかのように、頭の中が真っ白になってしまった。
汚水を眇めれば、忽ちその水は地下から組み上げられた冷たい真水になるだろう。この男に見られれば、汚い姿など見せられない、と言う風に。
吹き荒ぶ風を見れば、その風は忽ち穏やかな微風に変わる事であろう。この男の纏う白いケープを、汚してはならない、と言うように。
月の光を集めて作ったような、この世の如何なる修辞法を以ってしてですら、表現の出来ぬ美貌の男だった。
心も頭も漂白されてしまった真昼であったが、心の何処かで、確信していた。あぁ、この男こそが、この病院の管理者。そして、サーヴァントにして、自分を治療した男なのだ、と。

 実験動物のハツカネズミかモルモットでも見るような目で、魔人・メフィストは真昼の事を観察していた。
彼は、番場真昼/真夜と言う人間の人格や生涯、境遇になど欠片の興味も抱いていなかった。メフィストが興味を抱いているのは、彼女の負った障害、そして肉体的損傷。
実験動物の辿った境遇に研究者が興味を抱かないのに、それは良く似ていた。

「身体に異常はないかね、番場さん」

 訊ねるメフィスト。
メフィスト病院の安全性と、院長自体の美しさの故に、少しでもこの病院にいようと「まだ怪我が治っていない」と嘘を吐く患者も多かったのは、魔界都市では有名な話であった。

「え、あ……う……」

 番場は答えられない。初めて物を喋ろうと頑張ろうとする二歳児の様に、その言葉はたどたどしく、要領を得ない。
とは言え、今の彼女のそのような不様な姿を、果たして誰が笑えようか。彼女の話す相手は、ただの人間ではない。
魔人・メフィストであるのだ。彼の美に直面し、自分の意思を表明させられる人間が、果たして此処<新宿>に、何人いようか。

「どうやら、君に話すよりは、君の中のハイドに話しかけた方が、良いらしいな」

 そう言ってメフィストは番場の方に手をかざした。
彼の、敵か味方かも解らないサーヴァントのその動作の意味すら、忘我の状態にある今の番場には推し量れない。
――次の瞬間、真昼は、全身麻酔でも打たれたかのように、自らの意識が急激に遠のいて行くのを感じる。
パタリ、とベッドの上に仰向けになる彼女であったが、程なくして、ムックリと起き上がり始めた。
やや垂れ気味で、気弱そうで臆病そうな光を奥に隠していた真昼の目は今、人が変わった様につり上がり、剣呑そうな光を宿している。
それは、彼女の中の人格である、番場真夜のそれであった。

「この時間はオレの管轄外の時間だから、お呼びにならねーで御座います?」

「君の事情など知った事ではないな。呆然とした状態の、君の主人格にそれは言いたまえ」

 本来的には真夜は、昼の時間に出る人格ではない。
番場真昼、と言う肉体に眠る二つの人格は、表に出て来るタイミングと言う物がある。
それは時間だ。真昼は名の通り、朝と昼の時間に現れ、真夜はその名の通り、夜の時間に現れる。無論、そんな法則性はメフィストは知らない。
いや、もしかしたら知っているのかも知れなかったが、それを勘案するメフィストではなかった。何故ならば、真昼の傷は、既に治っているのだから。

「私が何の為に此処に足を運んだのか、理解出来ぬ訳ではないのだろう?」

「一応言って貰わない事には解んねぇよ」

「君は退院だ」

 ただ短く、メフィストはそう告げた。
言葉の意味を一瞬理解出来なかった真夜であったが、その言葉の裏に隠れた意味を理解した瞬間、それまでメフィストの美にそっぽを向けていた状態を一気に解き、彼に喰ってかかった。

「じょ――」

「私が冗談を言うように見えるのかね、君は」

 真夜が何を言いたいのか、メフィストは読んでいたらしい。彼女の言葉を、メフィストは遮った。

「まだ、傷が治ってないかも知れないだろ」

「誰が、君の手傷を治したのか、よもや忘れたとは言わせんぞ」

 それは、真夜が良く解っていた。一生歩く事も喋る事も出来ない程痛めつけられた自分を、此処まで回復させた、悪魔的な医療技術の持ち主。
その人物こそ、目の前に佇む、白い闇そのもの。自らをメフィストと名乗る、魔人その人であった。

「私自身が治した手傷だ。断言する、君があの主従に負わされた手傷は、完治している」

 それは、患者であった真夜自身が理解している事柄だった。
身体の調子が、今まで経験した事もない程に、頗る好調なのだ。身体の中の大小の雑多な不調を全て取り除かれたような感覚。
身体中の古い体液、古い組織を、全て新しい物に入れ替えて見たような。恐ろしく、気分が良い、良過ぎる程だった。自分の身体では、ないみたいである。

「それでも、今日搬入された患者だぞオレは!!」

 此処まで、真夜が食い下がるのには訳がある。
我が身を取り巻く現状のせいだ。令呪もなければ契約者の鍵もなく、リスクを承知で敢行した魂喰いで稼いだ魔力も最早枯渇寸前。
そんな状況で、真夜達は、バーサーカーを連れて外に出なければならないのだ。そんな事になったら、聖杯戦争や魔術の知識に疎い真夜達ですら、
破滅は不可避の物だと考えるのは自明の理。だから真夜は、メフィスト病院のマスターと同盟、最低でも此処で患者として何とか長い期間過ごせるよう、
メフィストと交渉せねばならなかった。如何なる手段を用いてか、この病院はシャドウラビリスを抑え込んでいるだけでなく、如何なる方法で補填されたのか。
真夜は自身の身体に、魔力が満ちているのが良く解る。メフィストが、同盟相手としてこれ以上となく優れた相手である事が、良く解る証でもあった。

 今この瞬間こそが、自分達にとっての分水嶺であると、真夜は確信している。
此処でしくじってしまえば、間違いなく自分達には未来も何もない。必死に交渉するのは、当たり前の事だった。

「此処は、病院だ。番場さん」

 滔々と、メフィストが語り出す。
目線は真夜の方に向けられているが、瞳は明らかに真夜を見ていなかった。彼女の後ろに取り付けられた窓から見える、<新宿>の街並みの方に、今は興味があるとでも言うような空気を醸し出していた。

「当病院は、其処で働く医者とスタッフを除けば、足を踏み入れられる者は、病める者とその関係者だけしか私は許さない。君は、その怪我が治った時点で、この病院に留まる資格を失っている」

「だ、だったらよ、オレとバーサーカーをボディガードとしてお雇いになったらどうだよ!? 此処まで目立つ施設だ、袋叩きに会うかも知れないだろ!?」

 メフィスト病院は、少なくとも真昼と真夜が<新宿>に呼び出されるよりも、前に建てられていた施設だ。
当然、多くの主従がこの施設の存在に気付いているだろう。無論、サーヴァントの息のかかった所であるとも。
そんな場所だ、近い内に叩かれて、早くにメフィスト達が消滅する可能性だって、ゼロではない。……いや、下手をしたら、自分達より早く消滅するかも知れない。
其処で、真夜は、自分達をメフィスト病院のバウンサー(用心棒)として雇ってみないかと交渉をする。用心棒、と言う建前だが、実際にはその関係の在り方は、殆ど同盟だ。
しかも、負担の多くをメフィストにおんぶ抱っこして貰う、と言う形のである。

「間に合っている」

 メフィストの返事は、死刑宣告のそれよりもずっと無慈悲で、無感動だった。

「君は我が病院の用心棒としての基準を何一つとして満たしていない。キャリア、学力、性別、そして、実力。当病院は、弱者に払うサラリーはないよ」

「んだよそれ……」

 余りにも容赦のないメフィストの言葉に、真夜はいよいよ堪忍袋の緒が切れかけていた、と言うよりは……もう切れていた。

「じゃぁ、……じゃあアンタは、何でオレ達を治療したんだ!! 解ってる筈だろ!! もうオレ達が、聖杯戦争を勝ち抜ける状態の主従じゃないって事ぐらい!!」

 メフィストは、何らの反応も示さない。

「アンタ、何の為にオレ達を治したんだ!! まだ、楽に殺した方が納得出来る!! 此処まで不様な状態になり下がったオレ達を、アンタは、如何して!!」

「答えれば満足かね」

 悩む素振りも、メフィストは見せない。目線が、窓の先の<新宿>の街並みから、番場真夜/真昼個人へと向けられる。

「自己満足と、承認欲求を満たす為だ」

 予想すら出来なかった言葉に、真夜は、絶句を通り越して、忘我の状態に陥ってしまった。
敵意と怒りで血走っていた真夜の瞳は、メフィストの言葉を受けて、全ての感情が吹っ飛んでいる。言っている事が全く理解出来ない、と言う事がこの状態からでもありありと察する事が出来る。

「君を痛めつけた主従は、私に、君を治せるかと随分挑発的だったのでね。それだけでなく、対価も向こうは支払った。だから、治した。私は、自分が編み出した医療のメソッドが間違っていなかった上に君にも適応出来たと満足したし、これにより自己顕示欲も満たせた。こう言った結果を望んでいたから、君を治した。それが不満かね」

「な、に仰ってんだよアンタ……。じゃあアンタは、本当に何の他意もなく、治せって言われたから治しただけなのか……?」

「私は、病める者が好きなのだよ。私の技術と、研究の成果に、縋ってくれるからな。これ程、愛おしい生き物はこの世にない」

 その言葉を聞いた瞬間、番場の身体中から血の気と言う血の気が引いて行くのを感じた。
肉が熱を手放す、身体を巡る血液が真水に変わったかのように冷たくなる。本心から、真夜は目の前の白い怪物に恐怖を抱いていた。
真夜がこれまで見て来た如何なる異常者よりも、この男は狂っている。メフィストは、真夜の理解の範疇を越えた所に立つ、人の形をした別の生き物だ。
下心もない、打算もない。ただ、自己顕示欲を満たせると思ったから、治したに過ぎない。たったそれだけの理由の為に、メフィストは、
聖杯戦争の参加者、しかも、バーサーカーのクラスである自分を治療し、それだけでなく彼女を痛めつけたあの恐るべきセイバーも、手放しで見逃した事が明らかな口ぶり。

 人の感情の中で大きなウェートを占めるものの一つ、恐怖。
その恐怖の中で、最も原初的なそれは、未知に対する恐怖だと説いた者は、果たして誰だったか。
今なら真夜も真昼も、その理由が良く解る。打算や公算で動かない、予測の効かない存在が、此処まで恐ろしい者だとは、彼女らは、思ってもいなかったのだ。
彼女らは、メフィストの言っている言葉の一欠片すらも理解出来ていない。この男は、狂っている。骨の髄から、血管の一本一本まで。全て。

「着替えと、サーヴァントを用意してある。速やかに着替えを済ませた後に、私について行きたまえ。君のサーヴァントの下まで案内しよう」

 それだけ告げて、メフィストは番場の部屋から去って行った。
歩いていると言うよりは、流れて滑るようにスムーズな身体の運びだった。白い残像が、まだ真夜達の前に残っているような錯覚を覚える。

 間抜けその物の様に、呆然とした状態で、メフィストが去って行った後の空間を未だ呆然自失の状態で真夜達は見つめていた。
開け放たれ、換気された窓から、ふわりと微風が入って来る。壁に掛けられた、破れた後も血に汚れた痕すらなくなった、綺麗なままの真昼の制服が、風に揺られて踊っているのだった。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「続いてのニュースです。かねてから予定されておりました、中国人民解放軍と自衛隊の若い幹部候補生の交流会イベントが、<新宿>に現れました大量殺人鬼を筆頭とした、
諸々の事件の影響で、中止となりました。これを受けまして、人民解放軍の代表である、戒蒼元(カイソウゲン)中尉と飛露蝶(フェイルーティ)少尉は、次のようなコメントを――」

 白い髪をした優美そうな外見の青年と、亜麻色の髪を後ろ髪に長く伸ばした女性が映った瞬間、荒垣はチャンネルを変えた。

「福利厚生がスゴイ!! 初任給は四十万!! アットホームで実際働きやすい!! 当社はブラックではない!! ラオモト建設は――」

 CMであったので、荒垣はチャンネルを切り替える。ある建設会社のCMであったらしい。
社名とロゴが印刷された巨大な凧を背負ったとび職の男が、高所で作業をしている場面で荒垣はチャンネルを切り替えていた。

「それでは、閣下おん自らが選ばれた御妃様、と言う事でしょうか」

 多数の取材陣が、礼服に身を包んだ男とドレスに身を包んだ女性に取材会見を行っている。
礼服に身を包んだ男は、鼻梁の真ん中あたりに鋭い切傷めいた物が真横に走った男だった。
くすんだブロンドの髪と、鋭い目つき。荒武者を連想させる男であったが、身に纏った服装と、漂う気品が、そこいらの街を闊歩するチンピラとは一線を画した雰囲気を醸している。

「その通り」

 男は大義そうに首肯する。その場面になると同時に、画面下の方に『テオル公爵』と言うテロップと、翻訳された字幕が表示された。

「御妃様をお選びになられた理由の方を、お聞かせ下さい」

「そうだな。敢えて言えば、彼女がとても美しくて魅力的であったと言う事だろうか」

 爽やかで、しかしそれでいて豪放磊落とした笑みを浮かべてそう言ったテオルに対し、取材陣と、隣にいる黒いドレスの女性がつられて笑った。
テオルと言う男の見立て通り、その女性はかなり綺麗な容姿をしていた。青みがかった黒髪を短く纏めた、気の強そうな美女である。

「それでは、カナエ様は、テオル公爵のプロポーズを御受けになられた、その理由の方をお教え下さい」

「おいおい恥かしいな!! オフレコで頼むぞ!!」

 テオルの言葉に、またしても立ち昇る笑い声。無論、本心で言っておらず、半ばそれはジョークめいている。かなり外交や社交の場面を踏んでいる事が明らかな、テオルの態度だった。

「わ――」

 カナエと呼ばれる女性が何かを答える前に、荒垣は液晶テレビのチャンネルを切った。

【ま、テレビ経由やとこんなもんやろな。デカい化物のサーヴァント、早稲田鶴巻町の大破壊、落合のマンションでの一件……サーヴァント絡みの事件が起きた事までは解るが、それ以外はサッパリやな】

 念話で聞こえてくる、聞きなれた自分のサーヴァント、イルの声。
モスクワ訛りの英語だと本人は言っているが、やはり何処からどう聞いても、普通の関西弁にしか聞こえない。
其処はイル曰く、色々と不思議な力が働いているせいだから、らしい。

【元より期待何てそんな出来ねぇだろ。NPCにサーヴァントが起こした現象なんて、理解出来る筈がねぇさ】

【やれやれ、また後手かいな。特殊部隊の名が泣いてまうわ】

 当初の予想通りと言わざるを得ないが、テレビやメディアを通じての、聖杯戦争の情報収集の限界と言う物を、今二人は実感していた。
サーヴァント同士の戦いなど、NPCにその仔細を理解しろと言う事が酷である。早い話、情報の確度と詳細性に欠ける。
八時頃に<新宿>二丁目で起きたとされる、鬼の様な巨躯を持った謎の存在の大立ち回りの件にしてもそうだった。
その事を荒垣達はテレビ経由で知ったが、やはり、真贋様々な情報が、最初から此方を攪乱させようとするNPCのデマの拡散などで、これと言った確証が得られていない。
何も聖杯戦争の邪魔をするのは、その参加者と息のかかったNPCだけではない。無辜のNPCも、『聖杯戦争の勃発している<新宿>で生活している』と言うロールに則っている以上、
その聖杯戦争の渦中となった街で生活するNPCとして相応しい在り方に変じてもおかしくはないのだ。
ハッキリ言ってこれが、邪魔以外の何物でもなかった。特に、情報をどれだけ集めたかによってその立ち居振る舞いが変わる聖杯戦争に於いて、情報集めを邪魔するNPC程、
七面倒なものはない。近代メディアで情報を集めようにも、必然的に事後の情報が多くなる上、起ってからその場所に赴こうにも、野次馬がいると来ている。
社会的な立ち位置も脆弱な荒垣達には、情報収集と言う行動は完全に不利と言うものだった。

 ……無論荒垣達に、そんなNPCを歯牙にもかけず、その暴威を振うと言う暴虐性があるのであれば、話も変わってくる。
しかし、この二人はそんな無軌道な輩ではない。それに、如何にNPCとは言え、元居た世界で繋がりの深かった存在を悲しませるのは、胸が痛むのだ。
荒垣は、真田やその妹の美紀。イルにとっては、セラフィム孤児院のシスターの一人であるイリーナが、正にそれだった。

 テレビの電源を落とす荒垣。
学校に足を運ぶ、と見せかけ、一応孤児院の周りをマーク、数周パトロールした後に、荒垣は孤児院へと戻っていた。
場所は、誰もいなくなった食堂。其処で、テレビの音量をかなり控えめにし、情報の収集を行っていたのだ。

 学校に向かうのが面倒と言うのもあるが、同時に、この孤児院が心配だと言うのも本当の話だった。
特に、この孤児院のこれからを心配しているのは、荒垣よりもイルの方だった。
自分のロールと言う物を認識し、自らのカードであるイルと出会い、自分が生活する場所である孤児院に戻り、初めてセラフィム孤児院と、
門限を過ぎてから帰って来た荒垣を叱らんと孤児院から出て来たイリーナの姿を見たイルの顔が忘れられない。
先ず、彼の顔に刻まれたのは、途轍もない驚き。そしてその直後に、イルの顔は、怒りに凄まじく歪んでいた。
後で聞くと、イリーナ自体もそうだが、そもそもセラフィム孤児院そのものが、生前のイルととても深い因縁とあった所であるらしい。
そんな場所であるから、絶対にこの孤児院とイリーナには、火の粉を降りかからせたくないのだ、と言う。

 その意思は、尊重しなければならないと荒垣は思っていた。
自分も、真田や美紀に迷惑を掛けたくないし、イルはそれ以上にイリーナや孤児院の子供達に危難を及ばせたくないと思っている。
こう言った理念の一致があったからこそ、二人は孤児院から余り離れたくなかったのだ。

 だがそうも言ってはいられない。
自分達が此処に長く留まると言う事は即ち、サーヴァントの気配をずっと此処に留めさせておくと言う事も意味する。
この気配を感知し、サーヴァントがやってくる可能性が、無きにしも非ず。
<新宿>は狭く、よりにもよって爆発する火薬が多いと言う事を、テレビの情報で痛い程二人は思い知らされている。
イリーナや真田達の事を思うのであれば、早く此処から立ち去るが吉なのだろう。

 席から立ち上がり、やおら食堂から退室。
……その直後に、ばったりと、後ろ髪を長く伸ばした薄い青色の少女と出くわした。今朝も、ローストビーフを多めに一枚恵んでやった、エンダであった。

「あ」

 騒がれる前に、急いで荒垣は、走って孤児院から抜け出し、外へと躍り出た。
あの少女はこのセラフィム孤児院の中でも特に人の考える事の意図を読もうとしない子供だ。
静かに、と言っても騒ぐだろう。何せ荒垣達は名目上今は学校に行っている筈の時間帯なのだ、それなのに彼らが孤児院にいるのは明らかにおかしい。
加えて彼らは、イリーナが孤児を相手に授業をしているそのタイミングを狙って忍び込んだのだ。当然イリーナに事が露見すれば、本当に大目玉である。
それだけは、彼ら――特にイル――は避けたい事柄なのだった。

 青空の下に駆け出し、急いで孤児院から離れて行く荒垣達。
エンダが果たして孤児院で大声を出しているかどうかは、定かではない。寧ろ聞きたくなかった。

 二百m程の距離を走ってから、流石に此処までくれば大丈夫だろうと思い、荒垣は走るのを止める。
【この辺りで良いだろう】、とイルに念話を行うが、彼から言葉が返って来ない。
はぐれたか、と思う荒垣ではあったが、まさかあの男に限ってそれはないだろうと思う。

【マスター、気ぃ張れよ? 付近にサーヴァントがいる】

 途端に、荒垣の表情が険しい物へと変わる。
孤児院から、余りにも近い場所にいる事になるからだ。相手がどう言った性格の持ち主なのかは、まだ二人にも未知の事柄だ。
ただ、強く意識し警戒しなければならないのは事実である。そしてそれは、恐らくは向こうも同じ事だろう。此方を意識した行動をするに違いない。
相手が聖杯戦争に乗らない主従ならば、此方を無視してくれる可能性もあるが、その逆の可能性も高い。

【此処から距離を取るぞ。孤児院が心配だ】

【おう、りょうか――ってちょっと待ち】

【どうした?】

【……いや、間違いないわ。俺の見つけたサーヴァントの気配が、消えおったわ】

【消えた、ってのはどう言う事だ】

【マスターにも解りやすく言えば、俺のスキルの気配遮断に近いかも知れん。優れた暗殺者とか、秘密工作に覚えがある奴なら皆出来る事やが、やっとる事はそれに近い】

【じゃあ、アサシンの可能性が高いのか?】

【候補の一つではあるが、決定的な証拠にはならんな。そもそも気配を薄める何て言うのは、暗殺者の十八番って訳ちゃうからな。
修行と鍛錬を積んだ奴なら、騎士にだってやってやれない事はない。世に名高い英霊やらが集まる聖杯戦争や、俺ら(アサシン)以外のクラスで気配遮断が使えるサーヴァントも、おらん事はない、かも知れん】

【どちらにしても、まずは此処から距離を離す。離す先は、アサシンがサーヴァントの気配を見つけた所まで。異存は】

【ないわ。流石にイリーナに、此処でも火の粉を被らせる訳には行かんからな】

【よし、行くぜ】

 そう言う事に、なった。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 結論から言って、イルがサーヴァントの気配を感じた所をどれだけ探しても、もぬけの殻だった。
サーヴァントの姿が影も形も見当たらないのは勿論の事、いたという痕跡すらも見つからない。
逃げたか、と思わないでもないが、イル曰くそれは違うかも知れないと言うらしい。
何でもそのサーヴァントの気配は、此方から『遠ざかるように移動した』と言うよりは、『突如消えた』と言うべき物だったらしい。
空間転移の類を用いる存在の可能性も、一応イルは視野に入れている。自身も同じ能力を使えるから解るのだ。転移は使われると恐ろしく厄介なのだと言う事を。
高ランクの気配遮断を保有したアサシンか、それともワープの様な技術を使えるのか。その二つの可能性を視野に入れ、イルと荒垣は行動をしていた。

【上手く逃げおったか?】

 場所は戸塚町の、人通りの少ない通りであった。
その中でも、特にサーヴァントが隠密行動を行うに適している、裏路地の所を具に回っている荒垣達だったが、全くそれらしい姿が見当たらない。

 現在イルは実体化していた。
そもそもイルの服装や背格好は、現代社会に溶け込ませても全く違和感のないそれである。
普段霊体化した状態を貫き通してるのは、孤児院の面々にイルの事を教えるメリットが皆無に等しい事と、荒垣の魔力の消費を抑える為と言う事が大きい。
それを無視して今敢えて実体化させているのは、臨戦態勢と言う所が全てである。相手は気配遮断に類するスキルを扱えるサーヴァントだ、一切の油断は許されず、
常に警戒してなければならない。気配遮断を持ったサーヴァントを相手にする上で、ラグは許されない。
霊体化を解除し実体化してから迎撃するのは、余りにも行動に移るのが遅すぎる。予め実体化してから迎撃に移った方が速い事は、火を見るより明らかである。
そのような意図も込めて、イルは現在実体化。表向きNPCに対しては荒垣の悪友と言った風を装いながら、戸塚町の街を探しているのである。

 付近に挙動の怪しい、もっと言えば、今捜しているサーヴァントのマスターらしい人物は何処にも見当たらなかった。
戸別訪問のサラリーマン、犬の散歩をする老人、井戸端で何かを話していた主婦、大学生らしい年齢の金髪の青年。
すれ違った全員が、荒垣は当然の事、イルの目から見ても、極々普通の一般人で、怪しい挙動や、如何にも『慣れた』身のこなしの者など一人も存在しなかった。

【警戒を怠るなよ、アサシン】

【おうとも――】

 言葉を続けようとした、その瞬間だった。イルの瞳は、頭上で回転する、奇妙な物を認めた。
回転する円盤の様な物だった。それは凄まじい速度で回転し、蒼白く光っており、何よりも、奇妙なギザギザ状の物を携えており――。

「ッ、離れろマスター!!」

 イルがそう叫ぶと同時に、急いで荒垣がイルから距離を取る。
回転していた、手裏剣に似たそれは、初めからイルのみに狙いを定め、凄まじい速度で彼の下に急降下して行くのである!!

 ――シュレディンガーの猫は箱の中――

 イルがそう、脳内に命令を飛ばした瞬間だった。
乱数の偶然によって世に生まれ出で、魔法士達の能力の樹形図にも設計図にもない、彼だけの特別の力が今解放される。

 時速数百㎞の速度で迫る蒼白い手裏剣は、イル目掛けて近付いて行く。
それが、頭から彼に直撃するのであるが――まるで水か、泥かのように、手裏剣は彼の身体をスッと素通りして行く。
カッ、と言う音を立てて手裏剣はアスファルトに突き刺さる。それを受けて、本来ならば両断されていた筈のイルが、左方向に軽く跳躍。
着地と同時に、手裏剣に似た何かはフッと消え去り、後には、地面を穿った痕を残すだけであった。
身体は愚か、イルの衣服一つとっても、傷一つついていない。イルは、全くの無傷だった。

「無事か、アサシン」

「何とかな」

 ――幻影。敢えて、イルの能力に名を付けるとなれば、そう言う事になるのだろうか。これは彼の正式名称である、イリュージョンNo.17の由来ともなっている力だ。
魔法士とは言うなれば、情報制御理論に基づいて世界の情報を書き換える事で、前世紀以前において魔法やら魔術やらと称されていた力の様な物を振う者達、と言う事になる。
情報制御理論とは、世界の全ての事象は物質的に存在すると同時に、情報と言うミクロやマクロを超越した概念としても存在し、
物質的に形を変えれば情報面でも形が変わるのなら、情報面で形を変えれば現実にも影響を与えると言う事が可能になる、という理論である。
現実世界に存在する情報の全ては、通称『情報の海』と呼ばれる空間に集約されており、これをある種の量子コンピューターによって介入。
外部からの情報の改竄に情報の海が対抗する力よりも速く情報を押し付ける事で、世界に不可思議な現象を引き起こさせる者達。これこそが、魔法士なのである。
しかし、情報の海と言うある種の高次空間の中に於いて、人間が操れる情報などほんの一部に過ぎない。それこそ、海の水をコップで掬った程度のものである。
実際魔法士になるにもなった後にも、制約は多いし、魔法士が操れる力の類型も、その限度も、早くから計算されていた。
暴走や致命的なエラーと言う物を除けば、魔法士の全ては、人類が初めから観測出来ていた範囲内の結果に終わっていた、と言うべきなのだろう。

 その観測出来た規格の外に君臨する魔法士こそが、イルなのである。
幻影の能力の本質は言ってしまえば、『量子力学的制御を行える』と言う事だ。
フランク、ボーア、シュレディンガー、ハイゼンベルグ、ディラック、フォン・ノイマン。数多の偉大な物理学者がその世界を研究して来た。
そして彼らの没後から優に一世紀を経過してからも、量子力学の世界を操る事の出来る杖を、人類はまだ振わせて貰えていなかった。
イルは、その杖を神から授けられた奇跡の様な男であった。彼は、己の力で量子力学の範囲を自分の身体に適応。
自身の身体は『確かに其処に存在するのに物質的には存在しないもの』と定義。この結果、イルは確かに皆の目に見える所にいるのに、
実際上は外部からは一切物理的に干渉不可能な状態になり、これにより、何処からか飛来して来た手裏剣を完璧に透過出来たのである。

「しんどい相手やで、向こうは」

 しかし、サーヴァント化の影響で、生前は無制限に放っていたイルの『幻影』も、長時間の消費は魔力を消費せねばならないと言うレベルにまで劣化してしまった。
だから、あの手裏剣の存在を認識した瞬間、イルはかなり肝を冷やした。長時間の発動はマスターの負担になるし、後々の事を考えればイルが<新宿>にいられる時間も減る。
此方に向かって行ったタイミングと、幻影の能力を発動させるタイミングが見事に合致して良かった。
だがそれ以上に厄介なのが、向こうの手練ぶりだ。イルのサーヴァントとしての知覚範囲外から、寸分の狂いもなく此方を狙って来るなど、ただ者ではない。
偶然イルが頭上も見て見ようと上を見上げていたから、早くに存在に気づき対処が出来たが、そうでなかったら、イルであろうとも危険だったかもしれなかったのである。

【マスター、なるべく俺の知覚範囲内から出ない所まで距離を離せ。俺が奴さんを迎え撃つ】

【出来るか?】

【善処するわ】

【解った、やれ】

 言った瞬間、イルらは会話を即座に打ち切り、思い思いの所に走って行った。荒垣は路地裏を出、表通りに。イルは、そのまま、真正面の建物の壁の方に走って行く。
壁に衝突する、と言う所でイルの身体は、幽霊のように堅い建材で出来た壁を透過して行く。これぞ、幻影の能力の神髄。
自身の身体を量子力学的に制御出来ると言う事は、その身体に接触出来るか否かと言う確率すらも操作が可能なのである。
今のイルの肉体の存在確率は、0。何物も、イルの身体を害せない状態である。当然、何らの措置を施せていない壁が、量子力学的に存在しないイルに触れられる訳もない。
この結果、本来障害物として機能している筈の建物を、イルは、平地を全力疾走するような感覚で無視出来ているのである。

 イルは決して、当て勘で移動している訳ではない。
落下して来た手裏剣上の飛び道具の軌道を、脳内のI-ブレインで逆算、どのような弾道を辿ったのかを予測、その方向に従い移動しているのである。
建物を二、三、透過するように素通りすると、発見した。今度こそ間違えようがない、サーヴァントの気配だ
イルは今度は、移動の方法を、そのままの素通りから、自らの存在確率の改変を応用し、『短距離間のテレポート』へと変更させる。
厳密には自らの存在位置の改変と言っても良く、これにより、短距離間の空間転移を可能としている。
普通に走るよりも、遥かに移動スピードが速い。相手を追うのならば、此方の方が断然理に叶っている。

 空間転移を行う事、七回程。
向こうもイルから距離を離そうとしていたようだが、遅い。イルは相手のサーヴァントの姿を捉え、向こうの方も、観念したらしい。
逃げる事を止め、イルの方に向き直った。其処は、やはり戸塚町のとある路地であった。人通りは、やはりない。

 鎧とも、装束とも、特撮を撮影する為の専用のスーツとも取れる服装をした者だった。
剣道の防具である面を模したような形のマスクを被った、全体的に鋭角的な印象を与えるスーツで、白を基調とし、アクセント代わりに緑と黄金色を混ぜた姿が眩しい。

「見苦しいだけやから、この期に及んで自分はサーヴァントやない何て抜かすなよ?」

「此処まで来てそんな真似はしないさ」

 瞬間、両者は示し合わせたように構えを取った。
イルの方は、二本の指を中途半端に曲げさせた、奇妙な構えだった。格闘技のセオリー通りの握り方ではない、あの握り方では指を痛める可能性が高いだろう。
一方装束を着たサーヴァントは、腰を低く構えていた。此処から何が飛び出すのか、イルには全く予測が出来ない。この構えすらがブラフなのでは、と思っている始末だ。

 魔法士、と言うよりは、I-ブレインを埋め込まれた存在は、言うなれば頭の中に極めて小型の量子コンピューターを埋め込まれているに等しい。
情報の海へのアクセスし何を改竄出来るか否かと言う事は、先天的に決められ、しかも改竄出来る内容は一人に付き一つだけ。これは、ある例外を除けば、絶対則である。
しかしそれ以外の、一般的な量子コンピューターで行える事柄は、これも、余程の例外を除けばどんな魔法士も行う事が出来る。
例えば戦闘に関する予測や、データの集積、量子コンピューターを活かした計算等々、だ。イルの埒外の思考速度や心眼と言うものは、
頭の中に埋め込まれた量子コンピューターであるI-ブレインが常時計算を行っているからに他ならない。

 元居た世界では、イルにとってそれは重要な生命線として機能していたI-ブレイン。
それが、この世界ではさして過信が出来ない物として、今イルは認識している。世界観の常識が、余りにも違い過ぎるからだ。
先程の攻撃にしてもそうだった。イルのI-ブレインは、あれを攻撃性のそれであると予測するのが遅れた、と言うより予測が出来なかった。
今ならばあれが攻撃だと解っている為予測も出来ようが、基本的にI-ブレインに刻まれているデータ以外のアプローチによる攻撃は、攻撃と予測されない可能性が高い。

 これが何を意味するのか? 正真正銘のオカルトに根差した魔術や、それに類する技術による攻撃が、攻撃として認識されず、不意打ちを貰う可能性が高いと言う事だ。
結局イルは、『そら』で、それが攻撃なのか否かを判断せねばならなくなる訳だ。だから、I-ブレインへの過剰な信頼は、あの時点で彼は捨てた。
銃やナイフを検知出来ない検問機など、何の役に立とうか、と言う事だ。I-ブレインでも攻性のそれであると判断が遅れるような攻撃は、やってくれるな。今のイルの、切実なる願いであった。

「お前の腕前やったら、マスターを狙えた筈やろ? 何で態々俺を狙った? 防がれたり、避けられたりする可能性はこっちの方が高いやろうが」

 思っているよりも、目の前のサーヴァントに隙がなかった為、無理やり隙を作ろうと、イルは会話を試みた。
隙を作りたいと言うのもあるが、イルの聞いた事は事実、興味のある事柄だった。建物が幾つも障害物として立ちはだかるこの場所において、
自分を寸分の狂いなく狙える程の腕前の持ち主だ。それならば、マスターだって簡単に狙えた筈だろう。

「マスターを狙うのは、僕の正義に反すると思った。それだけだ」

「ハハ、物々しいナリして、意外と熱い男やな。結構、損して来たんちゃうん?」

「馬鹿にしないで欲しい」

「しとらんで。お前みたいな奴は、嫌いじゃあないからな」

 無論、それと今敵対している事は別である事は、イルは勿論だが、相手の方も良く知っている事柄だった。
目の前のサーヴァントが本当にマスターを狙うつもりがないのか否かは、イルも流石に解らない。故に、マスターの方面への攻撃には、常に気を配っている。
だがもしも、このサーヴァントの言った事が本当であるのならば、これ程やり易いものはない。

 イルの持つ特殊なI-ブレインは、無敵の盾とすら呼ばれる程の防衛能力を持ち、その攻撃能力においても、対人戦と言う範囲なら右に出る者がいない程の強さを誇っている。
それはそうだ、相手が放つどんな攻撃も素通りするのに、イルの放つ攻撃はどんな防御も貫いてしまうのだから。
しかし、欠点がある。それは、無敵の盾の恩恵に与れるのは、自分だけと言う事だった。そんな事、と思うかも知れない。確かに一対一の戦いならばデメリットにならない。
だが、これがチーム戦や聖杯戦争の様にマスターを守りながら戦うと言う形式になると、話が大きく変わってくる。
どんな攻撃をも素通りする様な相手に、敵がいつまでも構っているだろうか。仮に、勝利条件がイルを含めた一万人の軍勢の内半分を削り切れば勝利、
と言う物であったとして、いつまでも敵がイル個人を相手にしているだろうか。答えは『否』だ。敵は間違いなく、イル以外の人物に攻撃目標を定め、イルを徹底的に無視しようと努めるだろう。

 これが、イルの抱く、自身の能力のコンプレックスだった。イルの能力は、致命的なまでに『チームの防衛戦』に向いていないのである。
どんな攻撃も無効化し、逆にこちらの放つどんな攻撃も相手にとって有効打になり得る。故に、与えられたコードネームは『幻影(イリュージョン)』。
どんな攻撃も無効化してしまうが故に、敵は徹底的に彼を無視し続け、生きているにも関わらず戦場の亡霊になる。故に、彼は実体を持ちながら何ら貢献出来ない『幻影(イリュージョン)』になる。

 生前はその努力の末に、自身の能力を活かしてチームにどう貢献するか、と言う事も当然考えた。
それでもやはり、無視が一番の有効打になってしまう、と言う弱点は結局消せていないままだ。
――この、近未来的な白い装束を纏った男が、本当にイルしか狙わないと言うのであれば、ほぼ勝ったも同然に等しい。
しかし、それでもなお、イルは油断しない。自身の持つ量子力学制御能力すらも、過信していなかった。何故ならば、この能力は生前の時点で、無敵の盾たる資格を、既に失っていたのであるから。

 一触即発の雰囲気が、限界値にまで達しようとしていた。
この時間が始まれば、あとはひたすら、精神が擦り減る様な時間に耐えられるかと言う耐久力が物を言う空間に世界が様変わりする。
夏の暑い日差しが容赦なく、二人に降り注ぐその一方で、場の空気は冬至の夜と錯覚するかのように冷たく冷え冷えとしたものになって行く。
後一秒。そんな時間にまで差し掛かった、その瞬間であった。

 ――敵性不明存在、接近――

 I-ブレインは冷静かつ冷酷に、そう告げた。
愕然とする表情を浮かべようとした、その瞬間だった、それが、頭上から落下、固いアスファルトの上にヤマネコめいて着地する。
イルは、その存在に全く見覚えがなかった。白いスラックスを穿き、上に金糸を織り込んだ如何にもガラの悪い朱色のシャツを身に纏ったこの男を。
佇むだけで、その身体から発散されるカラテ・エネルギーでサンシタ、タツジン、モータル、イモータル問わず震え上がらせる凄味を持ったこの男を!!
イルと装束のサーヴァントの丁度中間点に着地した、ドクロめいた衣装のメンポを被った男が、ディーモンをも震え上がらせかねない程の鋭い瞳をイルの方に向けた。コワイ!!

「自己紹介が必要かい? ドーモ、アサシン=サン。ソニックブームです」

 アイサツは大事である。古事記にもそう書かれているし、就職の為のジコケイハツ・ブックにもそう書かれている。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 バリキやZBRを大脳がスカスカになる程キメた所で、あぁはならないだろうと言う程狂った女性、セリュー・ユビキタスから距離を遠ざけていた時の事だった。
建物の屋上間を、風の様な軽やかさと身のこなしで飛び回っていた頃に、自身のサーヴァントである清音から念話で連絡が入った。
サーヴァントの気配を確認した。それが、清音からの連絡であった。驚きこそしたソニックブームであったが、流石に百戦錬磨のニンジャ。
当意即妙の作戦を即座に清音に命令出来たのは、正しくこのニンジャが優れたニンジャである事の証であった。

 先ず彼が命じたのは、清音と言うサーヴァントをサーヴァント足らしめる、ガッチャ装束、つまりGスーツの事であるが、これの解除であった。
無論、これはヤバレカバレになった訳ではない。ソニックブームなりの魂胆があっての事であった。
Gスーツを解除した清音は、ソニックブームから見ても勿論の事、同じサーヴァントから見ても、サーヴァントとして認識する事が非常に難しくなってしまう。
にも拘らず清音自体はサーヴァントである為に、当然他サーヴァントを発見出来る知覚能力を、変身解除状態でも保有している。これを利用した。
相手は当然、突如としてサーヴァントの気配が一気に消えるものだから、困惑するだろう。そして、高い確率で、見失ったサーヴァントを探そうと動き回る。
此処で、変身を解除した素の状態の橘清音が、そのサーヴァントを捕捉。その動向を逐次観察し、人目につかない所に移動したら、サーヴァントの知覚範囲外から、
無限刀 嵐で一刀両断。それが、ソニックブームの立てた作戦であった。無論清音は、マスターを殺す事には難色を示したが、今回は、
ソニックブームと清音は、サーヴァントのみを狙うと言う事で意見の一致を見た。ソニックブームがこれを承諾した理由は、単純明快。
その程度の不意打ちで殺されるようなサーヴァントなら、同盟を組むのは勿論の事、戦闘をするにも値しないと思ったからだ。
結論から言えば、相手サーヴァントは如何なる手段でか、嵐の遠距離攻撃を回避し、健在の状態をソニックブームと清音にも見せている訳なのだが。

「また特徴的なんが出てきおったな」

 独特の構えを取った状態のまま、イルは言葉を発した。改めてソニックブームは、目の前のサーヴァントを検分する。
白いジャケットと黒いシャツの上からでも解る、鍛え上げられ磨かれた身体つき。相当の年月をカラテに費やした事が解る、見事な身体だった。無駄な所が一切ない。ジツ頼りのニンジャにも見習わせたかった。

「そう警戒するなって、アサシン=サン。先ずは話し合おうや」

「話し合いって、お前達の方から攻撃して来たやろ。どう説明するんや」

「あの程度で殺されるようじゃ、話し合いの価値すらないと思ってたからな。だが、アンブッシュについては、言い訳のしようがねぇ。すまねぇな、アサシン=サン」

 其処でソニックブームは、掌と掌を合掌の要領で合わせ、お辞儀をする。それを、奇妙なものを見る様な目で、イルと清音は眺めていた。

「マスターである俺が、サーヴァントとサーヴァントの間に立って交渉してるんだぜ? そっちも、マスターをこっちに呼んで話し合いをするってのが、スジってもんじゃねぇのか? エエッ?」

「んなもんに従う道理はないわ。何でサーヴァント並に動ける人間の前に俺のマスターを立たせなあかんねん」

「ハハ、確かにその通りだな!! だが、実際マスターも一緒にいた方が、俺もお前も話しやすいってのは事実だ」

「何を話し合うつもりやねん、まさか一緒に組んで戦えっちゅーんか?」

「おっ、話が早いね。そうだぜ?」

 途端に、イルの表情が険しくなるが、ソニックブームは恬淡とした態度を崩さない。

「勘違いをしてもらっちゃ困るが、お前達を一方的に戦わせて俺達は『漁師がカチグミ』、みたいな真似はしねぇぜ? 」

「口でだけは如何とでも言えるで」

「一々言う事が尤もじゃねぇか。良いだろう、そんなに信用が出来ねぇのなら、情報交換を経てから考えようじゃねぇか」

「情報?」

「実は、此処に来る前に一度、お前達以外の主従と話をして来た。そいつについて教えてやる。悪い話じゃねぇだろう。無論お前達も情報を吐き出すって言う事はしなければならんが、それでも、益がお前達にない訳じゃあない」

「……」

 イルが考え込む。この様な交渉の場に於いて、相手が少しでも利益の比較衡量を考えた時、それは、交渉が成立する可能性は0じゃない事を示している。
つまり、付け入る余地があると言う事だった。無論、このようなネゴシエートのタツジンは、この動作すらもブラフとして利用する事があるのだが。

「……マスターから連絡が入った」

「ほう、何だ?」

「情報交換には、応じてやってもええとは言うとる。但し、此方の情報がアンタの情報に比べて確度もなく、そもそもの情報量自体が少なくても、文句を言うなとも言うとる」

「構いやしねぇよ。どの道この情報は、俺らだけの秘密にして利益は俺らだけ獲得する、って言う代物じゃねぇ。<新宿>の主従全員に教えても、俺は問題ないと思ってるぜ?」

「……続いてもう一つ。情報交換を終え、それでも同盟を拒否した場合には、アンタ、どう動くつもりや?」

 此処が交渉のキモだと、清音もソニックブームも理解した。
要するに、同盟を拒否した場合、お前は俺達と戦うのか? 或いは、反目に回るのか? これを問うているに等しい。

「お前らの危惧する所は解ってる。交渉が決裂した場合、お前達と戦うのかどうか、って事だろ?」

 ソニックブームは言葉を続ける。

「お前達が戦いたい、って言うのならば、俺もそれに応えてやる。だが、戦いたくない、平和的に解決って言うのを掲げてるなら、俺もそれに応じてやる」

「信用に欠けるな」

「戦う気のない奴と戦うのは面白くねェんだ。お前達が消耗を避けたい、戦いたくないと言うのなら、それでいい。この場は情報交換だけで済ませる」

 再び、イルは思考。恐らくは念話だろう。
移動している最中、ソニックブームはイルのマスターらしい人物を発見出来なかったが、念話が出来る範囲にいると言う事は、遮蔽物がなければ目視も可能な所にいると言う事なのだろう。

「……此処に来る言うとるで、マスターは」

「ヒューッ、話の分かるマスターで何よりだぜ!!」

 口笛を吹きながら喜ぶような声を上げるソニックブームだったが、瞳は全く笑っていない。
猜疑の目をソニックブームらにイルが向けながら、三十秒程の時間が過ぎた。
ソニックブームと清音は、目線の先から歩いてくる、一人の長身の青年の姿を見つけた。非常に近寄りがたい雰囲気を醸し出す、強面の青年だった。
身に纏う学生服。恐らくは高校生なのだろうが、この時間に学校に行かないと言う事は、戦略上学校による利点を見つけられなかったか、不良のどちらかだろう。
良い目をしている、とソニックブームは認めた。あれ位の年齢の子供にありがちな、イクサの一つも経験した事がないのに強がった風を醸し出して粋がっているのとも違う。
本当に、命が幾つあっても足りない程のイクサを経験して来た者が発散出来るアトモスフィアであった。こう言う者こそ、ニンジャソウルが憑依されるのに相応しいのである。

「二つ程、直接聞きてぇ事がある」

 ソニックブームと直接面を合せても、イルのマスター、荒垣は動じもしない。

「言ってみな、ボウヤ」

「先ず、教えても特に問題がねぇし、利益を独り占めする類でもない情報って言ってたな? どう言う意味だ」

「結論から言っちまうとだな、俺が教える主従の情報って言うのは、セリュー・ユビキタスのそれになる」

「……セリューの?」

 荒垣が反応する。無論、イルについても同じ事だ。流石に、契約者の鍵から投影された、ルーラー達からの直々の指名手配を見逃す程、ウカツで愚かな者達ではなかったらしい。

「だがそれやと、矛盾するんちゃうんか? セリューと、それが引き連れるバーサーカー言うたら、倒したら令呪が貰える主従。これ程美味しい奴らの情報を知ってる言うんなら、余計利益は自分の物、と思うのが筋の筈やで?」

「無論、それはその通りなんだが、俺が出張る程のモンでもねぇと思ったのよ。一言二言会話して確信したが、あの主従は本物の狂人達でな、何てーか……アー……、戦って血で汚れるのも嫌になる位、イカれてた」

「曖昧な言い方をするなよ」

 荒垣が睨みを利かせる。反射的にソニックブームもメンチを切ってしまうが、やはり荒垣は動じない。

「それもそうだな」

 直にソニックブームは形だけの笑みを浮かべて、言葉を続けた。

「だが何れにしても、俺の教える情報って言うのは、ルーラー共から直々に抹殺重点されてる主従だ。後から追加の情報が、向こうから送られて来るかも知れねぇだろ? だったら、今此処で宝物みたいにキープして腐らせるより、早く開示して利益に還元させた方が、良いと思ってよ」

 情報と言うのは性質としては株券に近い。
時と次第によっては、実体を持たないのに本物の黄金よりも価値のあるものに変わる一方で、その時が来てしまえば灰より価値のない物へと変貌してしまう。
情報は、当該事件が到来する以前、または未然の状態の時にこそ最も価値を発揮するのだ。その時が来てしまえば、価値がゼロに変わってしまうのは当然の理屈。
ならば、その瞬間が到来して価値を腐らせるよりも、今放出して利益になる情報と交換した方が、余程扱いとしては上手い。向こうの主従も、その理屈については、納得した様である。

「それよりも、俺が誰の情報を教えるのか、口にしたんだ。お前達も誰についての情報を知ってるのか、名前だけでも言うのが仁義って奴なんじゃないのか? エエッ?」

「言うとるで、マスター」

「ま、名前だけなら教えてやる」

 荒垣は一息吐いてから、その名を告げた。

「こっちも結論から言うと、お前達と同じ、ルーラーからの指名手配犯の情報になる。遠坂凛と、バーサーカーの主従だ」

「ほう、あのマス・マーダーか!! 実際事を争ったのか?」

「いいや。悪いが俺達は戦った事もないし、その主従の事を実際目の当たりにした事もない。ただ、俺のアサシンとしての手際を利用して、奴らの元々の拠点に侵入したんや」

「成程、そこで何かを見つけた、って事なんだな?」

「それを教えるのは、交渉が成立してからやな」

 上手い引きだった。
ソニックブームや清音としても、まさか同じ指名手配のバーサーカー主従と言う共通項で話が被るとは思ってなかったが、それでも、聞いて置きたい事柄ではある。
此処で初めて、荒垣の主従と、ソニックブームの主従は、交換するだけの価値がある情報だと共に認識した。
次のフェーズに移るには、もう一つ。荒垣を納得させねばならないもう一つの事項を、ソニックブームが処理せねばならないと言う事だった。
そして荒垣が、口を開き、言った。

「単刀直入に言う。俺達は聖杯戦争を企んだルーラーと主催者を倒し、この戦争自体を台無しにするつもりで動いている」

 ソニックブームの瞳に、今度こそ偽りのない驚愕の光が煌めいた。顔全体を覆う兜状のマスクの奥で、清音もまた、驚きの表情を浮かべた。

「頭がおかしいって思うか? どんな願いでも叶えられる聖杯が手に入るのに、それをいらないって言ってるんだからな」

「率直に言えば、かなりヤバイ馬鹿だと思ってるぜ」

「だろうな。……だがそれでも、この方針だけは譲れないし変えられないと思ってる。俺は、この聖杯戦争の主催者を、ただで許す訳には行かない」

 セリューが同じ様な事を言った時は、ソニックブームはメンポの奥で嘲笑の表情を浮かべたが、荒垣達に関して言えば、そんな感情がなかった。
同じ方針でも、荒垣達にあって、セリューにないものを、ソニックブームは確かに認識していたからだ。一言で言えば、それは知性と正気だ。
セリューとの会話でソニックブームは、彼女らから全くと言ってよい程頭の良さと言うべきか、知性と言う物を感じなかった。
正気に至っては、語るべくもなく。あの主従は完全に固定観念の塊とも言うべき者達で、自分達とは違う意見と言う物を受け入れる柔軟性を著しく欠いていた。
自分達とは違う存在、これ即ち悪。そんな者達に、正気も知性もある訳がなかった。

 荒垣達は違う。
セリュー達は自分達の行いがどれ程、この聖杯戦争で主張するには危険過ぎる思想であるかを全く理解していなかったが、
荒垣達は自分達の思想が他参加者の目から見て如何映るのか、シッカリと理解しつつも、それでも、自分の軸を貫こうとしている。
つまり荒垣達は、疑うべくもなく確かに正気であり、そして、確かに己の意思に基づいて主催者に反旗を翻そうとしているのだ。

「これを念頭に入れさせた上で、聞くぞ。お前はそれでも、協力して俺達と戦いたいのか?」

「おうよ、問題はねぇ」

「重ねてもう一つ訊ねる。俺達を後ろから刺さないと言う証拠はあるか」

「ある訳ねーだろ」

 バッサリとソニックブームが切り捨てた。イルが即座に構え直すが、バッとソニックブームが腕を突き出して制止させる。

「ボウヤ、俺がお前と組もうとする最大の理由は、俺とお前の当面の利害が一致するからって事が一番デケぇ。憶えておけ、利害の一致はこの世で一番信用の出来る関係だ。敵の敵は味方って言うのは、この世の真理だ」

「何の利害がある」

「俺には聖杯に掛ける願いってもんがない。と言うより、まだまだ願いは保留の段階だな。だからそれまでは、適当に戦うに相応しいサーヴァントでも見つけて、
イクサでもして過ごそうかと思ってる。一方で、お前の物の考え方は、聖杯使って願いを叶えたいって奴にとってはとんでもないモンだ。
そりゃあそうだ、叶えたい願いを叶えてくれる最後の砦をお前はぶっ壊そうとしてるんだからなぁ、オイ? 当然、お前を狙って多くの主従がイクサを仕掛けるかも知れない。其処で俺が、お前の露払いでもしてやろうかと言う訳さ」

「お前の言い方だと、聖杯に掛ける願いが何か見つかったら、俺達に牙を向く、としか聞こえねぇが?」

「それが俺達の譲れないラインだよ、お前と同じだな」

 言っている事はつまり、この同盟は初めからソニックブームの側が裏切る事を前提にしている、と言っているような物だった。

「だが逆に言えば、その願いが何かしら見つかるまでは、俺はお前と当初交わした契約、つまり露払いをやらなくちゃあいけない。
それに、願いを見つけたからと言って即時裏切る訳にも行かないだろう? 一緒に協力した方が両者のメリットになる案件だったら、二人で取りかかった方が良い。一人より二人の方が効率が良い、態々コトワザにするまでもないだろ?」

 荒垣とイルは、押し黙ってソニックブームの言葉を聞いていた。沈黙に付け入るように、更にソニックブームは続けた。

「冷静に考えろよ、エエッ? この聖杯戦争、聖杯を使って願いを叶えたいって奴と、お前達の様に主催者に義憤する熱血漢、どっちが多いかをよ。
俺は確かにどっちつかずのコウモリなのかも知れないが、今後、お前達の考えに賛同するような奴は、早々現れないと俺は思ってるぜ?」

 此処で、ソニックブームは自分の主張はこれまでだ、と言わんばかりに言葉を止め、胸の前で腕を組み、見下ろす様に荒垣とイルに目線を送る。
これ以上の主張は、もうない。此処まで言って協力関係を結べず、最悪情報交換が出来なくとも、それでも良い。
ソニックブームにとっては、『聖杯を破壊しようとしている主従がいるから注意しろ』と言う情報が一つ増えるだけだ。これも後で、強力な情報カードとして通用する。
どちらにしても、ソニックブームは、自分にとって有利な方向に物事を運べるよう、ちゃんと軌道の修正をしているのである。

「……情報を交換してからだな。その有用性次第では、考える」

「ハッハッ!! 慎重なこったな、ボウヤ!! 石橋をハンマーで叩き過ぎたら壊れたって言うコトワザを知ってるか?」

「知らねぇよそんな意味不明な諺……。どっちにしろ、情報交換だけは先ずは受け入れる。その為の場所を、何処か探すぞ」

「おうよ」

 言って荒垣は、先ずイルを霊体化させる。それを受けて、ソニックブームも清音を霊体化させる。
片方を霊体化させているのに、片方が実体化させている状態では、アンブッシュがし放題である。それを咎められては、信用に関わるとソニックブームが考えたからだった。

【……意外ですね】

【アーン?】

 念話で、清音がそんな事を言う物だから、思わずそんな事を言ってしまうソニックブーム

【僕としては、貴方はあの主従を詐欺同前に言いくるめようとするのでは、と思っていたのですが】

【それをやるのは相手がどうしようもない馬鹿の時だけだ。適度に知恵が回り、その上度胸もある奴相手には、それに相応しいやり方ってのがあんだよ】

 ニンジャのスカウトと言うのは、難しく大変な仕事だ。
人間の性格や信条が多様であるように、ニンジャの性格や信条もまた多様である。ジツの種類やカラテの腕前と同じ程に、だ。
話の分かるニンジャばかりではないのだ。馬鹿なニンジャは、煽てたり金でつったり、時には暴力で訴える事も必要だった。
聡明で自分の軸を持ったニンジャには、腹を割って正直に話して、此方が信頼に値する人物だと思わせる、と言うプロセスを経る事も必要だった。
このような、ネゴシエートを生業とする仕事に付いてつくづく思うのは、交渉の方法が一つしかない者程役に立たないと言う事だ。
様々なアプローチの仕方を知っている者こそが、この業界では強い。今回の荒垣達の場合は、まずは此方がクレジットを稼ぐ事から始めねばならない程の難物であるからこそ、このような手段を取っただけなのである。

【……あまり、敵対したくない主従ですね】

 清音が、少し考えてからそんな事を言った。

【悪い人達では、ない事はよく解りました。そしてその信念が本物である事も】

【だから何だ?】

 清音の言葉に対するソニックブームは、冷徹だった。

【悪い奴じゃない、結構な事じゃないか。だが、善人である事も、信念が本物である事も、俺は評価しない。タツジンか、そうじゃないか? 其処を軸に区別しろ】

【……何が言いたいんです?】

【時と次第によっては、冷徹にあいつ等を斬る覚悟を持てって事だよ、セイバー=サン。
結局この<新宿>じゃ、どう足掻いても最大限に信じて良い奴って言うのは、自分自身かそのサーヴァントのみに限られる。それ以外の奴は、どんな善人でも距離を置いて接する。それが、当たり前なんじゃねーのか?】

【セリューの主従の言葉に同意を示すのは癪ですが、僕も、聖杯戦争の主催者には良いイメージを持ってません。同じ意見でも、これだったら目の前のアサシンの意見に同意しますよ】

【やれやれ、困ったサーヴァントだぜ。まぁいい、取り敢えずは連中の持ってる情報を聞いてからだ】

 そう言ってソニックブーム達は、荒垣達に続く様に、戸塚町の表通りに出た。 
太陽が、とても眩しい。重金属雨とは無縁の、素晴らしいまでの青空が広がっている。
毒々しいネオンもなければ、欺瞞的な言葉を吐き散らす飛行船の類もない。平和な空だ。鳥と雲だけが、自由を主張出来る美しい空だ。

 ――だがこの世界は、確かにマッポーなのである。
重金属の雨が降らないし、暗黒メガコーポもない。それでも確かに、この世界は何れ、マッポーへと様変わりするのである。
それを担っている者こそが、彼、ソニックブームでもあり、荒垣でもある。聖杯戦争によりて、<新宿>と、この世界は、酷く変貌してしまう事であろう。

 蒼い板の様な空の檻の中に、ソニックブームも荒垣もいる。荒垣はその檻ごと、この世界を破壊しようと試みているのだろうか。

 ――だとしたら、気骨があるじゃねぇか――

 自分には、到底出来ない事柄だった。
暗黒メガコーポやニンジャを主たる構成員にした威力組織や秘密結社達が裏で跋扈し、カチグミ・マケグミのレールが厳然と敷かれた、退廃的で閉塞的な世界。
それが、ソニックブームの生きる、ネオサイタマと言う都市と、其処に根差した世界だった。その世界に順応して生きる事を選んだソニックブームには、
荒垣の今の行動原理は、少しだけ眩しく見えていた。そして、考える。ソウカイヤにとってゴッドとも言うべき、ラオモト・カンに、自分は、荒垣の様に反旗を翻せるのか、と。





【高田馬場、百人町方面(戸塚町)/1日目 午前9:30分】


【ソニックブーム@ニンジャスレイヤー】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]ニンジャ装束
[道具]餞別の茶封筒、警察手帳、悪魔(ノヅチ)の屍骸
[所持金]ちょっと貧乏、そのうち退職金が入る
[思考・状況]
基本行動方針:戦いを楽しむ
1.願いを探す
2.セリューを利用して戦いを楽しめる時を待つ
3.セイバー=サンと合流
[備考]
  • フマトニ時代に勤めていた会社を退職し、拠点も移しました(過去の拠点、新しい拠点の位置は他の書き手氏にお任せします)。
  • セリュー・ユビキタスとバッターを認識し、現住所を把握しました。
  • 新宿に魔物をバラまいているサーヴァントとマスターがいると認識しています。
  • 荒垣&アサシン(イル)の主従と、協力関係を結ぼうとしています。結果は、後続の書き手様にお任せします。


【橘清音@ガッチャマンクラウズ】
[状態]健康、霊体化、変身中
[装備]ガッチャ装束
[道具]
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯にマスターの願いを届ける
1.自分も納得できるようなマスターの願いを共に探す
2.セリュー・バッターを危険視
3.他人を害する者を許さない


【荒垣真次郎@PERSONA3】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]召喚器、指定の学校制服
[道具]遠坂凛が遺した走り書き数枚
[所持金]孤児なので少ない
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争を企む連中を叩きのめす。自分の命は度外視。
1.ひとまずは情報と同盟相手(できれば魔術師)を探したい。最悪は力づくで抑え込むことも視野に入れる。
2.遠坂凛、セリュー・ユビキタスを見つけたらぶちのめす。ただし凛の境遇には何か思うところもある。
3.襲ってくる連中には容赦しない。
4.人を怪物に変異させる何者かに強い嫌悪。見つけたらぶちのめす。
5.ロールに課せられた厄介事を終わらせて聖杯戦争に専念したい。
[備考]
  • ある聖杯戦争の参加者の女(ジェナ・エンジェル)の手によるチューナー(ギュウキ)と交戦しました。
  • 遠坂邸近くの路地の一角及び飲食店一軒が破壊され、ギュウキの死骸が残されています。
  • ソニックブーム&セイバー(橘清音)の主従と交渉を行う予定です。結果の方は、後続の書き手様にお任せします。


【アサシン(イリュージョンNo.17)@ウィザーズ・ブレイン】
[状態]健康、霊体化
[装備]
[道具] 
[所持金]素寒貧 
[思考・状況]
基本行動方針:荒垣の道中に付き合う。
0.日中の捜索を担当する。
1.敵意ある相手との戦闘を引き受ける。
[備考]
  • 遠坂邸の隠し部屋から走り書きを数枚拝借してきました。その他にも何か見てきてる可能性があります。詳細は後続の書き手に任せます。






◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 憔悴しきった様子と態度で、少女は街を歩いていた。
日の当たらない洞窟の中で長年過ごしてきたように白い肌。それが今は、血色も良く、皮膚自体が白く輝いているかの如く綺麗な風になっていた。
フィジカル面も健康そのもの。未だかつてない程に、少女のコンディションは万全かつ健康のそれだった。
ただ一つ――メンタルだけが、少女が未だかつて経験した事もない程、黒く、濁っている事を除けば。彼女、番場真昼は、健康と言うべき少女だったのだろう。

 メフィスト病院の退院措置は、実に速やかであった。
真夜を痛めに痛めつけたサーヴァント、シャドームーンの攻撃によって、襤褸切れ同然となった彼女の制服は、如何なる手段を用いてか、
血や体液による汚れが完璧に抜き取られていただけでなく、切られた所も、やはり如何なる手段を用いたのか完璧に復元されていた。
メフィスト曰く元々の服を修復しただけに過ぎないと言うのだが、明らかに、新品を買い直したとしか説明のしようがない程完全かつ完璧な状態の制服だった。
そしてその後、メフィストは真夜を、メフィスト病院地下二階、即ちシャドウラビリスを閉じ込めている部屋へと案内した。
あのバーサーカーは、ニッパーでも持ち出せば簡単に切断出来るのではと言う程の細い針金に全身を縛られ、地面に転がされている状態だった。
針金を解除した瞬間、シャドウラビリスはメフィストに対し襲い掛かろうとしたが、真夜には到底理解の出来ない何らかの措置で、あのバーサーカーは動きを停止させられた。
メフィスト曰く、『金縛り』と呼ばれる初歩の初歩の魔術で動きを止めたらしい。その後真昼は、シャドウラビリスに、メフィストを攻撃するなと言う事で、
何とか大人しくなった。極めて限定的とは言え、真夜がシャドウラビリスに下した、『真昼を守れ』と言う旨の命令は、まだ生きていたのである。
対魔力のないバーサーカーだからこそ、強い効き目を未だに有している、とは真夜も真昼も知る由もない。

 そして本当に、シャビリスを解放した後に、真昼は退院させられた。
その手には、メフィスト病院を退院した患者に渡される煎餅の入った紙袋を持った状態で、真昼は、<新宿>の余丁町を歩いていた。
幸いにもシャドームーン達は、真夜達から金銭の類を奪わなかった為に、ちゃんと持ち金はあるにはある。
あるのに、信濃町から余丁町まで、公共の移動期間を用いず、自分の脚で移動すると言う事をしてしまった。其処まで考えが回らない程、真夜は今何も考えられない状態だった。

 当初危惧していた、魔力の枯渇の問題についてだが、意外にも、この問題はクリアしていた。
これは何故かと言うと、シャドウラビリスを消滅させては元も子もないと言う理由で、メフィストはこのバーサーカーが現界出来る程度の魔力を彼女にシャドウラビリス、
及び番場にある程度補填していたと言うらしいのだが、そのメフィストのある程度と言うのが、番場には十分過ぎる程の量だったのだ。
全く笑える話であった。そして、格差と言う物をいやと言う程実感させられる話でもあった。リスクを承知であれだけ魂喰いをして獲得した魔力よりも、
メフィストが適当に込めた魔力の総量の方が、遥かに多いのだから、これ程泣けてくる話も無い。

 だが逆に言えば、魔力が多いと言う事は、それだけシャドウラビリスが暴れ回る機会を多く用意してしまったと言う事を意味する。
加えて、このバーサーカーを御する為の令呪も無い、契約者の鍵だって、奪われている。
そして何よりも、夜が来てしまえば、真昼と言う人格は、真夜と言う人格と交代してしまう。つまり、なけなしの令呪で命令した、『真昼を守れ』と言う命令がこの時点で消える。
この結果何が起こるのか? 真夜が殺されてしまうかも知れないのだ。そうなれば当然の事、真昼も死ぬ事になる。

 残り十時間にも満たないかも知れない命。それが、番場真昼と、番場真夜に与えられた現実だった。これで、気を強く持てと言う方が、どうかしてる。
それを認識していたからこそ真夜は、メフィストと同盟を組もうと最後まで食い下がったのだが、あの男は冷徹にその要求を袖にした。
患者と言う立場も失い、令呪も全て失い、頼る者も縋る者もなく、魔力と言う火薬だけを積まされた状態で、<新宿>にほっぽり出されたこの状態。
現実を認識すればする程、足取りも重くなる。そしてそのまま、膝を折り、崩れてしまいそうだった。

 そうこうしている内に、番場達は、余丁町のとある路地に来ていた。
目の前には、表面が赤さびた手すりを伴った、石の階段。本来意図していたルートとは、全然違う所に足を運んでいたようである。
余りにも考えなしに歩いてしまった為に、大分デタラメな所に行き着いてしまったようだ。

 ……それにしても、妙な空間である。驚く程、人の通りが少ないのである。
昼の余丁町であれば、どのような所でも、人が歩いているような気もするが、それが全くない。
妙に思って、階段を上ってみる。左側から、話声が聞えて来た為に、そっちの方に反射的に顔を向けて、驚いたような顔を、真昼は浮かべてしまう。

「オイ!! ナムリス将軍閣下ハヤッパリ……!!」

「間違イナイ、殺サレタラシイゾ……」

「信ジラレン……アノ無敵ノ、ドンナ攻撃デモ死ナナイ将軍閣下ガ……」

 やけに聞き取り難い声だと思ったが、納得した。
背丈の異様に低い、矮躯の鬼の様な存在と、力士の様な大兵漢の鬼が、何かを話していたのだ。
話している内容は、全く分からない。だが、話の内容を考えるに、<新宿>でのノーマルな話題とは到底思えない。となれば……聖杯戦争の関係者、と見るのが適切か。
何とかして、この場から立ち去ろうとする真昼だったが、しかし、遅すぎた。最初に真昼に気付いたのは、小鬼の方。後に、大柄な鬼が此方に目線を送った。

「コイツ、何時ノ間ニ!!」

「殺シテオクゾ!!」

 小鬼の方が、懐から船の櫂に似た棒を取り出し、大柄な鬼の方が、馬鹿でかい棍棒を取り出し、構えた。
ひぅ、と情けない声を真昼が上げる。即座に傍に、シャドウラビリスが実体化する。鬼達の顔に、驚きが刻まれた。
まさか目の前の存在が、このような凶悪そうな存在を従えているとは、思えなかったのだろう。

「だ、駄目……!!」

 此処で暴れられては、本当に拙い。
確かにシャドウラビリスは真昼を守れと言い渡されているが、それはあくまでも直接殺すなと言うだけであり、戦闘の余波については全く勘案されていない。
この場所で暴れられれば、本当に何の余波で死ぬのか、解った物ではない。必死に止めようとするが、シャドウラビリスは聞かない。
懐から、馬鹿でかい大斧を取り出し、それを構えた、その時だった。

 ――ドゥンッ!! と言う音と同時に、二mもあろうかと言う鬼の身体が、爆ぜた。
その音が鳴り響いてからゼロカンマ一秒程経って、隣の子鬼の身体か、頭から股間まで真っ二つになった。
二人の鬼は血や臓物の代わりに、汚泥と塵とを撒き散らし、この世から消えてなくなった。
何が何だか解らない、と言った真昼であった、明らかにそれを齎した者達が、直に表れた。

 真昼から見て右の路地に植えられた植え込みを飛び越えて、それは姿を見せた。
先程の大鬼に勝るとも劣らない大きな体躯を持った、白いワニだった。それは二本の脚で直立しており、ワニと言うよりは、人とワニのハーフとでも言うべき存在だ。
だが何よりも奇妙なのが、そのワニの服装である。それは、何処ぞの野球のチームのユニフォームめいた物を被っており、頭にはご丁寧に小さな野球帽も乗っけている。
着ぐるみなのか、と思うだろうが、真昼にはそれが違うとよく解る。何故ならば、見えているのだ。
目の前の白いワニの、クラスとステータスが。クラスはバーサーカー――聖杯戦争の参加サーヴァントだ。
こうなると余計に、その手に持った金属バット状の鈍器が、恐ろしい物に見えてくる。

「■■■……!!」

 シャドウラビリスが斧を構えた。それを見てバーサーカー、バッターは、その白い瞳に、何らかの感情を込めた。

「黒く濁った霊の波動を辿って来てみれば、餓えた鉄の豚か。敵対すると言うのであれば、俺も容赦はしない」

 驚く程闊達な喋り方で、バッターは言葉を発した。逆に真昼の方が驚いてしまう。
明らかに声帯も、言葉を発する器官も持って居なさそうなのに、実に見事に、そのサーヴァントはコミュニケーションを取って来るのだ。

「もう、駄目ですよバッターさん!! まずはお話を聞きましょうよ!!」

 そう言って、元気の塊のような明るい、陽性の女性の声が、バッターが飛び出て来た茂みの方から聞こえて来た。
茂みを飛び越えて、その女性がバッターの傍に着地する。線の細い、華奢そうな身体つきの女性だ
ややオレンジがかった茶髪が、彼女の溌剌とした雰囲気を助長させている。顔立ちも、幼さの名残を残しつつ、大人の色香を香らせており、悪くない。
セリュー・ユビキタスは、実に気の良さそうな笑顔を、真昼と、シャドウラビリスの方に向けた。

「セリュー、お前も解っている筈だろう。最早俺達の事を知らぬ主従など、この街にいる筈がないと言う事を」

「それでも、話し合えばきっと、解ってくれる筈ですよ!! 駄目だったら、『それは仕方ありません』けど!!」

 バーサーカーであると言うのに、何て上手く会話が出来るのだろう。
そして、如何してこうも、コミュニケーションがうまく取れているのだろう。真昼も真夜も、目の前の主従が、とても羨ましくなってしまった。

「■■……ッ」

「ま、待って、バーサーカー!!」

 漸く真昼が、言葉を絞りだし、シャドウラビリスに静止を求めた。
構えた斧を振おうとしたシャドウラビリスだったが、真昼の命令を受け、非常に渋々、と言った様子で言葉に従った。

「一つ、答えて貰おうか」

 バッターは、地面に散乱した砂や塵の方に、爬虫類の様な白い瞳を向けさせて、言葉を続けた。

「この辺り一帯に、子供騙しな人払いの術法が掛けられていた。そして、今しがた俺が浄化したこの出来損ないは、お前のものか?」

「ち、違、違う……ます……」

「だろうな。バーサーカーはこのような細かい芸当は不得手だ。況してやお前の従える物では、猶更だ」

「バッターさん、どう思いますか? この危険種の様な怪物は」

「魔術師の手による物、としか思えんな。身体を構成する物は、見ての通りの砂や塵だが、与えられた性質としては、食人鬼等の、鬼のそれに近い」

「こんなのを<新宿>に放って、人々の生活を脅かす何て、許せませんよ、バッターさん!!」

 少女は強く義憤の意をバーサーカーに表明する。真昼にはそれが、実に輝いて見えた。

「落ち着けセリュー。お前の気持ちも解るが、やはり情報が少ない。もう少し、探索を続ける必要があるだろう。闇雲に動き回るのは賢者のやり方ではない」

「了解しました!!」

 ビッ、と敬礼を行い、バッターに恭順の意を示すセリュー。
それを見て、真昼は、藁にもすがる思いで、口を開き、その意思を表明した。

「あ、あの……!!」

「ほへ?」

 敬礼を解きながら、真昼の方に向き直るセリュー。バッターも、怪訝そうな瞳を、そちらに向けている。

「わ、私を、た、助けて下さい……!!」

「助ける……?」

 小首を傾げるセリュー。疑いのオーラを強く放つバッター。
それを見て、シャドウラビリスが唸りを上げた。如何も彼女は、バッターその物もそうであるが、その周りの空間にも、何故か、強い警戒の意を示しているのだ。

「わ、私――」

 実にたどたどしく、どもりも酷い話し方で、真昼は全てを話した。自らの境遇もそうであるが、此処に至るまでの経緯も全て。
昨日の日を跨ぐがどうかの時間に、銀鎧のセイバーに痛めつけられた事。その時に契約者の鍵も奪われた事。そして、令呪も無い事。メフィスト病院での事。
全てを包み隠さず、正直に、目の前の存在に打ち明けた。真面目にそれを聞くセリューと、やはり疑いの念を隠せぬバッター。
話を粗方聞き終え、ややあって、セリューが口を開いた。

「そのセイバー達は悪ですね!!」

 その一言は、真昼にとってそれは強い救いの一言になった。

「聖杯戦争が始まる前に、番場さんのようにか弱い少女を、其処までして痛めつける何て、許せませんよ、バッターさん!!」

「……その身に、二つの分裂した精神を宿す女よ。お前に問う」

 黒い所などない、完全な白一色の瞳を、番場に向けて、バッターは言葉を続ける。

「お前は、聖杯戦争の本戦が既に始まった事を知らないのか?」

「……え? も、もう始まって……?」

「そうか、解った」

 其処で、全てが納得行ったと言う様子で、バッターは目線をセリューの方に向けた。

「セリュー、お前は如何したいのだ?」

「わ、私ですか?」

「目の前の女は、セイバーとそれを率いる悪漢に全てを奪われ、途方に暮れていると言う。……此処で、この主従を無視する事も、俺がこの主従を葬る事も、俺は吝かじゃない。だが、お前の意思は如何なのだ。お前は、この女達を、如何するつもりだ?」

「むむ……」

 うんうんと唸りながら考えるセリュー。
普段はバッターの意思に従い行動しているのだろう。故に、自主的に行動する機会を与えられると、少し戸惑ってしまうらしい。十秒程考えてから、「よしっ」、と言い、真昼の方に向き直った

「真昼さん!! 一つ、聞いても良いですか!?」

「え? は、ひゃい!!」

「私達は、この聖杯戦争を仕掛けた主催者達を倒して、この世界を正義と平和と調和に満ちた素晴らしい所にするつもりなんです!! 貴女は、その事を、如何思いますか?」

「え、あ、う……」

 考え込む真昼。この質問は、何を意図しての物なのだろう。
普通に考えれば、その様な世界が良いに決まっている。本当にこの世界が正義と平和と調和に満ちていたのなら――。
自分は心無い男に監禁される事もなく、虐待も受ける事もなかった。そんな優しい、淡くて甘い世界が来るのであれば、それは、どれだけ良い事なのか。

「私は、その、友達が多く出来て、みんなと仲良く出来る世界が来れば……」

「解りました!! バッターさん、この人と同盟組みましょう同盟!!」

 バッターのユニフォームを引っ張りながら、自分の意見をバーサーカーに主張するセリュー。
ユニフォームを引っ張るセリューの手を除けながら、「良いのか?」とバッターは訊ねた。

「こんな優しい人、放っておけませんよ!! それに、困ってる人は助ける必要がありますから!! ね、ね!! 大丈夫ですよね!?」

 まるで子供が親に、捨て犬や捨て猫を飼っても良いかと催促するような、セリューの態度だった。
改めてバッターは、セリューと、それの率いるバーサーカーに、冷たい目線を送り、少し間を置いてから、口を開いた。

「……良いだろう。俺達の浄化への道のりには、人が多ければ多い程良い」

「やったぁ!! 良かったですね、番場さん!! 今日から仲間ですよ仲間!!」

 そう言って真昼の下へと近付いて行き、その手を両手で握るセリュー。
実に真っ直ぐで、実に、明るい性格。そして、キラキラ光るその瞳。初めて、頼れる友達が出来た様な感覚を、真昼は憶えた。
目薬でも差されたように、瞳が暖かい水でうるんで行くのを真昼は感じる。そして、崩れるように泣き始めた。

「ば、番場さん!? ど、如何したんですか……?」

「う、え……うえええぇぇぇん……」

 漸く安心して頼れる味方を見つけて、安堵の涙を流す真昼。
当初は混乱していたセリューだったが、今まで辛い境遇だったので、初めて安心出来るような所に行き着き、感動の涙を流しているのだと、セリューは察した。
「大丈夫、怖かったんですよね」と優しく言いながら、片膝を付き、セリューは番場を抱き寄せる。
真昼はこの時初めて、絶対に生きて、<新宿>を出るんだ、と、真夜と共に誓い合う事が出来た。絶対に生きて、此処を出る。それが、今の真昼と真夜の、行動原理になった。

 ……真昼と真夜、と言う名前のこの少女達は、何処までも運の無い、運命の神に見放された少女達だった。
契約者の鍵を奪われていなければ、セリュー・ユビキタスなど絶対に頼るまい。何故ならばこの少女こそ、ソニックブームと言う悪漢をして、狂人と思わせしめる気狂いなのだ。
この少女こそ、ルーラーが直々に他の全主従に『殺せ』と通達を送る程の凶悪な性情を内に秘めた悪鬼羅刹なのだ。

 ――そして、真昼も真夜も、そして、セリューすらも知るまい。
バッターが、真昼達が契約者の鍵を奪われ、自分達が指名手配をされていると言う事実を知らないと看破したからこそ、同盟を受け入れたのだと。
もしも真昼達がそれを知っていたら、何とか言いくるめ、彼女らを殺していたなどとは、誰も知るまい。

 草木も溶けるような熱い夏の日差しが、四人に降り注いでいた。
何が涙で何が汗なのか解らない程ぐしゃぐしゃに泣いている真昼は、今この瞬間の、偽りにも程がある安堵の時間を、噛みしめるように大切にしているのであった。





【歌舞伎町、戸山方面(余丁町)/1日目 午前10:00分】


【セリュー・ユビキタス@アカメが斬る!】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]この世界の価値観にあった服装(警備隊時代の服は別にしまってある)
[道具]トンファーガン、体内に仕込まれた銃 免許証×20 やくざの匕首 携帯電話
[所持金]ちょっと貧乏
[思考・状況]
基本行動方針:悪は死ね
1.正義を成す
2.悪は死ね
3.バッターに従う
4.番場さんを痛めつけた主従……悪ですね間違いない!!
[備考]
  • 遠坂凛を許し難い悪だと認識しました
  • ソニックブームを殺さなければならないと認識しました
  • 主催者を悪だと認識しました
  • 自分達に討伐令が下されたのは理不尽だと憤っています
  • バッターの理想に強い同調を示しております
  • 病院施設に逗留中と自称する謎の男性から、<新宿>の裏情報などを得ています
  • 西大久保二丁目の路地裏の一角に悪魔化が解除された少年(トウコツ)の死体が放置されています
  • 上記周辺に、戦闘による騒音が発生しました
  • 番場真昼/真野と同盟を組みました


【バーサーカー(バッター)@OFF】
[状態]健康 魔力消費(小)
[装備]野球帽、野球のユニフォーム
[道具]
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:世界の浄化
1.主催者の抹殺
2.立ちはだかる者には浄化を
[備考]
  • 主催者は絶対に殺すと意気込んでいます
  • セリューを逮捕しようとした警察を相当数殺害したようです
  • 新宿に魔物をバラまいているサーヴァントとマスターがいると認識しています
  • 自身の対霊・概念スキルでも感知できない存在がいると知りました
  • 番場主従が、自分達が指名手配されている主従だと気付いていない事を看破しています
  • ………………………………


【番場真昼/真夜@悪魔のリドル】
[状態]健康
[令呪]残り零画
[契約者の鍵]無
[装備]学校の制服
[道具]
[所持金]学生相応のそれ
[思考・状況]
基本行動方針:真昼の幸せを守る。
1.<新宿>からの脱出
[備考]
  • ウェザー・リポートがセイバー(シャドームーン)のマスターであると認識しました
  • 本戦開始の告知を聞いていません。
  • 拠点は歌舞伎町・戸山方面住宅街。昼間は真昼の人格が周辺の高校に通っています。
  • メフィストを退院しました。おめでとう
  • セリュー&バーサーカー(バッター)の主従と同盟を結びました


【シャドウラビリス@ペルソナ4 ジ・アルティメット イン マヨナカアリーナ】
[状態]健康

令呪による命令【真昼を守れ】【真昼を危険に近づけるな】【回復のみに専念せよ】(回復が終了した為事実上消滅)

[装備]スラッシュアックス
[道具]
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:全参加者及び<新宿>全住人の破壊
1.全てを破壊し、本物になる
[備考]
  • セイバー(シャドームーン)と交戦。ウェザーをマスターと認識しました。
  • メフィストが何者なのかは、未だに推測出来ていません。



時系列順


投下順



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23:唯我独善末法示離滅烈 ソニックブーム(フマトニ)
セイバー(橘清音)
19:心より影来たりて 荒垣真次郎
アサシン(イル)
23:唯我独善末法示離滅烈 セリュー・ユビキタス 43:推奨される悪意
バーサーカー(バッター)
21:餓狼踊る街 番場真昼/真夜 43:推奨される悪意
バーサーカー(シャドウラビリス)


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最終更新:2018年11月02日 21:16