率直に言うと、ダガー・モールスはかなり困っていた。
困っているし、那珂がウザかった。何て聞き分けのない奴なんだ、とウンザリするばかりである。

「今のマスターの地位だったら、コンサートに私をねじ込む事は余裕でしょ!? こんな大きいビルとか使いきれないだけのお金があるんだから」

「無理なものは無理だと言っているだろう……!!」

 つくづく、十二時間程前の自分の失言が恨めしいと思うダガー。
舌禍、と言う言葉を人は良くも考えたものである。今のこの状況は正しく、今日の深夜のダガーの発言が招いた事柄であるのだから。

 事の発端は、今日の深夜に、那珂と、ダガーの部下であるオガサワラに下した命令である。
その時ダガーは那珂に対して、『聖杯戦争が今日を以て幕を開けたので<新宿>の様子を見て来い』と言う命令を下した。
無論、これではこの頭の軽いサーヴァントは従わないとダガーは考え、あるリップサービスを一つ付けてしまった。
『アイドル活動を行うに相応しいコンサート場所を選んで来い』、この一言が、完全に余計であった。
そしてその場所を、新しく売りに出すこの上京して来たてのアイドルに軽く<新宿>の街を教えてやって欲しい、と言う建前の命令を下されたオガサワラに、<新宿>を案内されているその時に、見つけてしまったのである。

 新国立競技場。其処が、那珂が目を付けた場所であった。
<新宿>の霞ヶ丘に建造されたそれは、元々の東京都二十三区の新宿区にあったそれとは、趣が少々変わっている。
旧国立競技場、即ち、昔東京オリンピックの陸上競技のステージにもなったあの競技場の歴史については、この世界でも変わっていない。
しかしこの世界の<新宿>は、一度は<魔震>によって壊滅的な被害を負ったと言う点で、通常の新宿の歴史とは大いに異なる。
無論、国立競技場も<魔震>によって異なる運命を歩み始める。<魔震>のせいで一度は、完膚なきまでに破壊されてしまった。
その後復興がある程度進んだ折に、再建計画が浮上、その計画通りに建造されたのが、今の国立競技場、つまりこの世界で言う所の新国立競技場なのだ。
耐震基準や防音措置、耐火・空調・送電と言った、旧来の競技場の問題も全て一新、旧国立競技場の完全なる改良物となったその場所は、スポーツイベントのみならず、
歌手のコンサートにも利用される、日本でも最も高いレンタル料の『ハコ』の一つである。成程確かに、コンサート場所としてはこれ以上となく相応しい場所であるだろう。那珂の目の付け所は、悪くない。

 ――其処でコンサートをさせるのをダガーが無理だと言っている最大の理由の一つは、先客が既に其処でコンサートをする事を予約しているからである。
346プロ、と呼ばれるプロダクションである。国内での評価は高く、近年その版図を広げつつあるようであるが、ダガーからすれば取るに足らない会社だ。
其処が既に、新国立競技場でコンサートを行う予定なのである。日程は今日明日明後日の三日間。ライブの様子は生放送で全国に放映される。
その程度ならば珍しくない。問題は、このコンサートは<魔震>から二十年と言う節目に行われる上に、<魔震>の哀しみや傷を吹き飛ばそうと言う名目で開催されると言う、
いわばアニバーサリー的な意味を持つイベントなのだ。国内は勿論、世界からも耳目が集まっている。このコンサートに、自分を飛び入り参加させろと那珂は言っているのだ。

「いいかよく聞けアーチャー、確かに私の力ならば君をイベントにねじ込む事は容易い」

「なら――」

「だが、それはあくまでも『交渉』と『リハーサルや打ち合わせ』を行えるだけの『十分な時間』がある時に限る。それがないのならば無理だ」

 其処が、ダガーが無理だと思う最大の理由のもう一つである。先約が先に入っている、程度の問題ならばダガーの力でどうとでもなる。
その『どうとでもさせる時間がない』のだ。346プロがライブコンサートを行うのは、『今日』である。

 那珂をねじ込む、と言う言い方では語弊が招かれよう。仮に、コラボや対バンと言う形式で、那珂をそのコンサートに参加させるとしよう。
当然其処には、様々な大人の事情や問題が絡む事になる。諸々の契約及び契約書へのサインを筆頭に、イベントに掛かる費用の負担の割合決め、
イベントで上げた利益は何割得るかなど、と言う経済的な問題だけではない。イベントに参加する歌手やバンドグループにも話を通し、打ち合わせもしなければならないし、
何よりもコラボする側を交えてのリハサールも必要になる。国立競技場とその周辺を貸し切ってのイベント、となれば、動く金は容易く億を超える。
況してや<魔震>の節目の年度に行うと言う一大イベントだ、346側としても失敗は許されない。当然、何か月も前から346は打ち合わせをしているだろうし、
所属しているアイドルも練習を行い続けただろう。そんなイベントに仮に、ダガーが虎の子のアイドルをねじ込むとするのならば、三ヶ月。
最悪一ヶ月前から346プロと話を通しておかねばならない。それだけ、コラボレーションと言う物には面倒な手間が掛かるのである。

 今日開催されるイベント、しかも開演まで後二時間を切っているイベントに、今から那珂を参戦させる。
そんな事、どう考えても不可能なのは目に見えている。金や権力があろうとも、手続きに掛かる時間の前ではこうも無力である。
無論ダガーが、極めて強力な魔術的な催眠術の類が使えるキャスターがツテにいると言うのならば話は別だが、生憎ダガーはそうじゃない。結局、諦めるしかないのだ。

 それを説いているにも拘らず、那珂の態度はこれなのだ。
那珂の本音は、何かしらのコンサート場所で存分に歌いたいと言う事なのは、ダガーも理解している。
が、<新宿>では既に、明らかに聖杯戦争によるものとしか思えない大規模な戦闘が幾つも起っている事を、ダガーは既に知っている。
これでは最早コンサートどころではあるまい。だから折れろ、と、那珂に対して説明した事もあるが、自身の真の宝具である改二を発動する必須条件に、
『敵の前で目立つ持ち歌を歌わねばならない』と言うのがあるのだから、大衆の前で歌を歌うかサーヴァントの前で後から正体がバレる歌を歌うかの違いでしかない。
と、那珂は反論。如何にも頭の軽そうな見た目の癖して、水雷戦隊の軽巡洋艦那珂としての側面である、鋭い頭の冴えを見せる時があるものだから、ダガーとしては実に腹ただしい。

「第一マスター、そんなイベントがあるって解ってて如何して先にナシとかつけて置かなかったの!?」

 ぐぬぬ、と口にしてから、思い出したかのように那珂が口火を切って来た。

「無理に決まっているだろう愚か者!! 時間軸を考えろ時間軸を!!」

 そもそもダガーがサウンドワールドから此処<新宿>に招聘され、聖杯戦争の本格開催までのモラトリアム期間など、実質四日もあったかどうかと言うレベルであった。
つまり、ダガーには殆ど、346プロのライブコンサートの事を知る時間が与えられなかった事を意味する。召喚されてから今日に至るまで、
やって来た事はUVM社の案内と、今後の聖杯戦争についての方針会議、そして魔力回復と言う建前で行われる、良質な音楽が生命活動と魔力増幅に直結すると言う、
ダガーの体質を活かした防音練習室での那珂の歌練習等。これでは、ライブイベントの事を知るのが遅れるのも、無理もないと言う物であった。

「それにだ、アーチャー。君が346プロのイベントに飛び入り参加するとして、どんなパフォーマンスをするつもりだったのか、そのヴィジョンを教えて貰いたいのだが?」

「えっ」

 この反応。何も考えてない事は確実である。まさかアドリブとノリだけでどうにかなると思っていたのだろうか。……実際本当になると思っていたのだろう。

「それはまぁ、サプライズ枠として……」

「名も売れてない無名の分際でか」

「前々からやりたかったの!! 見た事ない? 歌手の歌う物真似してたら、後ろの舞台の袖からご本人が登場する、って奴」

「誰がお前の物まねをすると言うのだ……」

 これはもう此方が折れて、妥協点を那珂に提示するか、彼女の溜飲を下げねば、駄目な流れなのだろうと。
ダガーは本能的に察知した。甚だ面倒ではあるが、そう言った手が、ないわけではない。
彼は那珂と口論を繰り広げていた社長室中央から、バカデカいデスクの方へと近付いて行き、固定電話の受話器を取ってから、電話帳からある男を指名する。
掛けた相手は、1コールで電話に出た。実に迅速な対応であった。

「此方、オガサワラです!!」

「私だ、ダガー」

 ダガーが電話を掛けた相手は、UVM本社で働く従業員の一人、オガサワラだった。
この二名が元居た世界でも、今の様な上司と部下の関係であったなどと、知る者はこの<新宿>には存在しない。

「オガサワラ。休憩中に悪いが、お前に緊急の命令を下そう。今着手している最中の仕事はないな?」

「はい、今はありません!!」

「そうか。さて、オガサワラ。今日の<新宿>で開かれる、UVM社が主催に関わっていないライブコンサートイベント。その中で特に大きいものを上げて見ろ」

「え? そ、それは、346プロ単独運営の、<魔震>復興から二十周年記念の、アレです」

 淀みなく、当たり前のようにオガサワラは答える。流石に同業者である。それ位の事は常識として頭に叩き込まれていなくては困る。

「それ位はお前でも頭に入っていたか」

「それはもう!! それで、そのイベントが何か? 視察ならウチの従業員が他に行くって聞いてますが……」

 UVM社としても、346プロのこのイベントは、放置を決め込むと言う訳にも行かない。
どのようなアイドルがいて、どれ程まで成長したのか、と言う事のデータを纏める為、視察の意味も込めていわば『覆面社員』を数人潜り込ませるのである。
これは恐らくは他のプロダクションについても同様だろう。それ程までに、このイベントは業界での注目度が高いのだ。

「いや、お前に任せた那珂がな、そのイベントに出て歌いたい歌いたいと言って聞かないのだよ」

「ハハハ、それはそれは。ガッツとバイタリティがあって良い事じゃないですか」

「出させろ」

「えっ?」

「は?」

 数秒程、電話のこちら側と向こう側で、何とも言えない無言の空気が漂った。意を決して、その空気を打ち破ろうとしたのは、オガサワラの方であった。

「その、出させろ……と言うのは、一緒にライブを見に行くって意味では……?」

「違うぞ」

「じゃあ、ライブステージで歌って踊らせろって事ですか……?」

「そうだぞ」

 再び、電話の向こう側が無言になった。と、思いきや。受話器の向こう側で、慌ててオガサワラが、何かのページを捲っている音が聞こえてくる。

「その……言い難い事なのですが、ライブは本日の午後二時からでして……」

 オガサワラに言われて、ダガーは腕時計で現在時刻を確認する。

「今の時刻は十二時二十分だな」

「後一時間半ちょっとで346と話を着けるのは……無理、と言いますか……」

「駄目か?」

「これは私の手に余ります……はい」

 これを受けてダガーは、五秒程無言を保った後で、やけに大仰な溜息を吐き始めた。受話器の向こうのオガサワラも、当然その溜息は聞こえている事だろう。

「そうか……そうだな。流石の私も無理を言ってしまったな、すまないな、オガサワラ……」

「いえ、そんな事は――」

「なぁ、オガサワラ」

「な、何でしょう?」

「待ち遠しいなぁ、人事異動が」

 受話器の奥で、生唾を飲む音が聞こえた。

「本当に有能な人物だったら、例え時間が一ヶ月あろうが一日しかなかろうが、優れた結果を持って来るのだがなぁ。あぁだが、お前が無能だと言っている訳じゃあないぞ。仕方のないケースと言うものは往々にしてあるものだからな。ああ、だが残念だなぁオガサワラ。今回のお前の返事が人事に関係させる、と言う訳ではないが、それでもやはり残念だなぁ」

「や、やります……」

「それは本当か?」

「勿論です!! 是非に私に!!」

「そうか、頼んだぞオガサワラ!!」

 其処で受話器をガチャンと切り、その後でダガーは、那珂の方を向いて口を開いた。

「そう言う事だ。後はオガサワラを頼るんだな」

 パワーハラスメントは本当に良くないからやめよう。






【市ヶ谷、河田町(UVM本社)/1日目 午前12:20分】

【ダガー・モールス@SHOW BY ROCK!!(アニメ版)】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]スーツ
[道具]メロディシアンストーン
[所持金]超大金持ち
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯確保
1.那珂をとことんまで利用し、自らが打って出られる程の力を確保する
2.オガサワラには不様に死んで貰う
[備考]
  • UVM社の最上階から一切出られない状態です
  • 那珂を遠征任務と言う名の<新宿>調査に出しています
  • 原作最終話で見せたダークモンスター化を行うには、まだまだ時間と魔力が足りません
  • オガサワラを使って、那珂を新国立競技場のコンサートに赴かせようとしているようです

【アーチャー(那珂)@艦隊これくしょん】
[状態]健康、艤装解除状態
[装備]オレンジ色の制服
[道具]艤装(現在未装着)
[所持金]マスターから十数万は貰っている
[思考・状況]
基本行動方針:アイドルになる
1.何処か良いステージないかな~
2.ダガーもオガサワラも死なせないし、戦う時は戦う
[備考]
  • 現在オガサワラ(SHOW BY ROCK!!出典)と行動しています
  • キャスター(タイタス1世{影})が生み出した夜種である、告死鳥(Ruina -廃都の物語- 出典)と交戦。こう言った怪物を生み出すキャスターの存在を認知しました
  • PM2:00に行われる、新国立競技場のコンサートに赴くようです






◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 UVM社。この名は略称である。
正式な社名は、Unicorn Virtual Music.inc.であるが、社外の人間は愚か、社員・従業員ですらUVM社と略すので、今日ではこの呼び方が主流だ。

 UVM社と言えば、誰が異論を挟もうか、と言う程の国内――否、世界規模から見ても大手の部類に入るレコード会社である。
メジャーとインディーズ、その双方で考えても、この会社程今勢いに乗り、隆盛を誇るレコード会社は存在しないと言っても良い。
UVM社は、自身がプロデュース・制作した音楽や映像作品を配給する独自のネットを持っていると言う意味でも、会社の資産や従業員数と言う観点から見ても、
間違いなくメジャーレーベルと言う分類に分けても良い大企業である。日本を主な活動拠点とするUVMは国内のみならず、アメリカはニューヨークにハリウッド、
中国は北京に上海、イギリスはロンドン、フランスはパリ、ロシアはモスクワ等々、およそ世界の様々な国に支社を持っている程。文句なしの、グローバル企業である。
しかしこの会社の謎な所は、何と言っても世界において『最も新しいメジャーレーベル』であるのに、
『設立からたったの三十年にも満たないと言う余りにも短い時間で現在の規模にまでのし上がった』と言う事である。
簡単な筈がないどころか、不可能な話である。四捨五入を行って兆に届こうかと言う程の資産と、完全かつ完璧な未来予知能力があれば、話も別であろうが。

 UMG、EMI、ソニー、ワーナー。世界の四大メジャーレーベルと呼ぶべきレコード社と並ぶ程の力を得られた理由は、表向きは、UVM社の現社長である、
ダガーと言う男の手腕によるところが大きいとされている。実際それは間違ってはいない。レコード会社は何と言っても、人材が全てである。
どれだけ優れた才能を持った人物を発見出来るか、そして育てられるのか、と言う所に全てが掛かっている。ダガーはそれを発見する天才だった。
ロシア人の美少女三姉妹から成る歌手グループ、Kira★Keira(キラ・キーラ)を見つけられたのも。
骨にすら響くと言う重低音のサウンドを鳴り響かせながら、透るような美声と轟く様な低いシャウトを駆使する歌姫、コスミナも
無尽蔵のスタミナと無尽蔵の声量を駆使し、観客を沸かせるパフォーマンスと魂に響く歌声を両立させる、Deadend ASURAも。
全ては、ダガー主導の下発見された原石であり、そして彼の計画の下育て上げられた世界的な音楽グループであり、歌手である。
彼が発見して来た原石は、数限りないと言う事になっている。それは確かな話だろう、そうでなければ、今のUVMの栄耀栄華は説明出来ない。

 だがこれも、僅かな期間で急成長を遂げた企業と、その関係者の宿命のようなもの。
これだけの大躍進を遂げた企業なのだ。当然、妬みや嫉み、ネガティヴ・キャンペーンの一環として、悪い風聞が立つのは仕方のない事。
暴力団や裏社会と繋がっている、と言う噂があるが、芸能界であるならばそれも珍しくあるまい。
歌手や女優を枕にしていた、と言う噂もある。これも、『大人の常識』とは言え、経歴を洗えば確かにあったかもしれない。

 大杉栄光にとって不可解なのは、『ダガー社長のある噂』についてである。
大躍進を遂げたレコード会社、誹謗中傷に晒されるのは、何も企業だけじゃない。その社長であるダガー・モールスと言う男もまた、あらぬ噂の矢面に立たされる。
その殆どが、余り頭の宜しくない栄光にとっては良く解らないものだ。粉飾決算がどうだとか、脱税の疑いがどうだとか、地頭の悪い栄光には理解すら出来ない。
しかし、そんな彼にも、これは妙だと言う事が一つある。彼が妙だと睨んだ噂、それは、『ダガーは人間ではない』と言うもの。
経営手腕や人間性を指して、人間ではないとか、怪物であるとか、そう言うのであるのならば、話はわかる。
『黒く、巨大なクラゲの様な頭を持っている』、となれば、無視する訳にも行くまい。そうだと言うのならば本当に人間ではない、真実怪物である。

 真っ当な神経の持ち主ならば、幻覚を見たのだとか、寝ぼけていたで話は通じるだろう。但しそれは、純粋無垢なNPCのみに限る。
聖杯戦争の関係者どころか、完全なる当事者である栄光は、頭からこの話を疑った。
火のない所に煙は立たぬ、とはさても良く言ったもの。何の根拠も理由もなく、こんな荒唐無稽極まりない噂が、発生する筈がない。

 ――噂の真偽を確かめんが為に、栄光はUVMの本社に潜り込もうとしていた。
嘗てはフジテレビの本社が建てられていた事で有名な、<新宿>の河田町。<魔震>によってフジテレビは跡形もなく倒壊し、現在は周知の様に、
港区の台場に特徴的な建造物を建造。昔本社のあった其処を本拠地としているUVMは、<魔震>の復興が始まったと同時に活動を始めた会社であり、
其処からとんとん拍子に業績が上がって行き、現在の立ち位置を占めるようになった、と言う事になっている。
しかし、順平に聞いても、元居た世界にUVM社などと言う会社もないと言う。無論、あの目立つタワーにしても、新宿区に建っていると言う話も聞いた事がない。
そしてそれは、栄光にしても同じ事である。大正時代の人間でありながら、昭和を飛び越え平成の未来の記憶を有すると言う特異な人物である大杉栄光。
記憶を洗ってみても、UVM社と言う会社が存在した記憶はない。繰り返された五つのループの中で、お笑い芸人として活躍していた事も、このサーヴァントにはある。
そのループ時に東京にいた事があるが、UVM社は勿論、新宿区にこんな大それた建物があった記憶もない。

 平行世界と言う概念を知ってからは、寧ろこの建物がある世界の方が、本来的には正統なのかも知れないとも栄光は思う。
かも知れないが、やはり、クラゲの怪物の一件は確認しておきたい。この噂だけは、如何にも引っかかる。その目で栄光は、確かめておきたかったのだ。

 ……尤も、それも叶わなくなった。
念話を通じて、順平から聞かされた一つの情報。即ち、<新宿>は霞ヶ丘町を所在地とする、新国立競技場で開かられるアイドルのライブコンサート。
其処に赴き、サーヴァントやそれを従えるマスターと何らかの話を、栄光も順平も付けておきたかったのである。
ただ、距離的問題から言って、今から向かっておかないと間に合わない可能性が高いと栄光は判断。仕方なく、UVM社の調査を後回しにし、順平との待ち合わせ場所である、
新国立競技場まで足を運ぶと言う計画に変更した、と言う訳である。順平はペルソナ能力と言う戦闘にも扱える力を使えるとは言え、いつまでも一人の状態にさせておくのは不安が残る。だからこそ、調査を打ち切ったのだ。

 とは言え、河田町から新国立競技場等、電車を使えば三十分と掛からず到着出来る距離である。
調査をしてからでも公共の交通機関なら十分間に合うのでは、と思われるが、栄光はそうは考えなかったからこうやって戻っている。
その理由は単純で、電車を使うと遅延の可能性が高いからだ。<新宿>では既に、幾人かの聖杯戦争の主従が鎬を削っている事を栄光も順平も知っている。
一番有名な物で、<新宿>二丁目の辺りで勃発した、あの烈しい戦闘であろう。あの戦闘の余波で、今も自動車交通の便に混乱が生じているのだ。
公道ですらこれなのだ。電車の線路上でこんな事をやられては遅延が発生してたまったものではないし、電車内で戦闘に巻き込まれてしまえば、
ピンチの度合いは道路で戦闘に巻き込まれる比ではない。つまり栄光はもう、電車と言う交通手段を余り信頼していないのだ。

 単刀直入に言えば、栄光は今『徒歩』で霞ヶ丘へと向かっている。
結局、UVM社から新国立競技場まで、二㎞と離れていない。これならば徒歩でも行けるし、栄光のスタミナなら走っても余裕である。
一番確実な到達手段が、科学と文明と交通網の整備が三位一体となって初めて成立する公共交通機関ではなく、自分の脚による移動と言うのだから、お笑い草だ。

「暑っちぃ……」 

 同じ夏でも、鎌倉と<新宿>では暑さの度合いが全く違う。
片や自然と海に囲まれた街、片やコンクリートとクーラーの室外機から放出される熱気が支配する町。これでは体感上の暑さに差が出るのは当然の事。
今年は例年通りの猛暑だと言う。例年の暑さがどんなものなのか、元を正せば大正時代の人間である栄光には理解不能であるが、少なくともこの暑さは異常だ。
そんな暑さの中、一㎞超の距離を徒歩で歩いて行くと言うのだから、どうかしている。真っ当な人間ならば電車やバスを用いる。
実際歩いて五分ほどで、既に栄光は後悔していた。サーヴァントの身の上でも、熱い寒いは当然感じる。
サーヴァントは食事の必要がない為、飢えや空腹は感じないが、皮膚を通して感じる温冷は別と言う事だ。変な所で融通が効かないと、栄光は思う。
どうせならもっと無敵の身の上にでもなって欲しい物だと、栄光はつくづく思うのであった。

 更に歩く事、十一分。
目的地であるところの、新国立競技場まで残り五分程度と言った所で、栄光はおもむろに立ち止まった。
自分が歩いていた歩道の側に、確実に聖杯戦争の主従の手によるものとしか思えない建造物があったからである。

「メフィスト病院、か」

 その方向に身体を向け、ポツりと栄光が呟いた。
栄光は、物思いに耽りながら、その方向を眺めていた。見よ、俗世と汚穢から来る塵埃を跳ね除け、それらとは無縁とも言っても良い、あの白き大伽藍を。
この宇宙の何処から調達して来たのだ、と余人に思わせしめる、完全かつ完璧な白い建材で作られた、その巨大な施設は病院であった。
誰が呼んだでもなく、院長及び其処に従事する医療スタッフ達自らが、この病院の事を『メフィスト病院』と呼んでいる。
病院の名前としてはあり得ない事は、如何に勉強の不出来な栄光でも解る。確かメフィストとは、何某と言う作家の何某と言う本に出て来る悪魔の名前だったとは、記憶していた。

 この病院については、勿論順平や栄光も知っていた。そして、調査も当たり前のように進めていた。
ネット、SNS、口コミ。それら全てをフル動員させて入って来た情報は、皆全て同じ。
『何世紀も進んだ技術で作られたみたいな医療装置や、卓越した医療技術の持ち主たちが、癌を含めたありとあらゆる病気を格安の値段で治療する所』。
誰も彼もが、同じ事を言う。工場で働く期間工やフリーター、果ては上場企業の役員幹部、官僚や一部の政治家ですらそう言っている始末だ。
余りに皆が此処の事を絶賛するので、洗脳でもされているのではないかと栄光らは疑った。実際他の主従の中には、そう思っている者も少なくないだろう。
実際栄光らはこの病院については相当疑ってかかっている。解法を用いずとも、此処がサーヴァントの根城である事は解る。
全く後先を考えずに、自らの拠点を病院として開放し、NPC達の治療の為にその力を奮うなど、栄光ですら頭がおかしいし異常である事が理解出来る。
本当に、タダみたいな値段で病気や怪我を治していると言うのであれば、本物の気狂いだ。何かしらの仕掛けがあるのだろうと、栄光は踏んでいた。

 メフィスト病院は盛況の様子である事が、栄光には窺える。
駐車場に停められた車の数や、入り口を出入りする様々な人間を見れば、其処が隆盛であるかどうかなど直に解る。
やはり、安い値段で患者の病気や怪我を治して見せる、と言う評判が利いているのだろう。<新宿>中の病院から、この調子では患者が奪われかねない。これでは区内の他の病院など、商売上がったりだろう。

 コンサートの開始まで時間がある。栄光は、敵に気付かれない範囲で、メフィスト病院の調査を行う事とした。
今まで行ってきた調査は、遠巻きからメフィスト病院を眺めるか、人伝でその評判や行われていた事を聞くと言った事しかしておらず、
その内部に踏み込んでの調査はしていなかった。つまり正真正銘、初めて栄光は今からメフィスト病院の敷地に足を踏み入れる事となる。
何故そんな思い切った事をしようと思ったのか、と言うと、此方の解法で逃げ果せられる自信があったと言う事。
そしてもう一つ、今のメフィスト病院の様相である。駐車場のスペースと言い、入り口付近と言い、今のメフィスト病院にはNPCが相当数多い。
人の出入りもそうだが、自動車の出入りもかなり多く、駐車場から車が出たり入ったりと、流動が絶えない。
これだけの数だ、当然向こうは荒事を起こさないだろうと言う予測があった。つまり、敵は下手を打てないと踏んだのである。

 駐車場の中に入るなり、栄光は、人目のつかない所まで移動し、解法の力を発動させる。
五感を通して捉える、大杉栄光と言う存在の情報を書き換えさせる。今行っている事は、平時行っている、自分がサーヴァントだと思わせない隠蔽の発展系である。
今の栄光は、サーヴァントだと思われない所か、大杉栄光と言う存在がこの場にいるとすら思われない。今の栄光は他人から見れば、透明な空間に過ぎないだろう。
しかし彼は霊体化した訳でもなければ、解法で身体を透明化させた訳でもない。とどのつまり彼は、他人の認識や感覚を敢えて誤認させ、
『その場にいるのにいないように思わせる術』を行った。対象が大杉栄光ただ一人の、認識阻害の術と言えようか。余程勘の良いサーヴァントでなければ、下手したら三騎士ですら今の栄光の存在には、気付けまい。

 この状態で栄光は、悠々と白亜の大医宮へと近付いて行く。
栄光ともあろう者が、如何してメフィスト病院と言う誰が見ても怪しい施設を知りながら、情報の収集手段を遠巻きから眺めたり、伝手を頼ると言う、
手の抜いた方法で行おうとしたか。それはひとえに、この病院が不気味であったからに他ならない。

 邯鄲の夢。とどのつまり、栄光が操る技能の事を指す。
本来ならば人間の内的、精神的発露であり現実世界にはなんの干渉力も持たぬ『夢』と言うイメージの力を、現実世界で超常能力と言う形で発動させると言う技術である。
無論、精神的な現象に過ぎぬ夢と言う物を現実世界に持ち出す、と言う事は通常不可能な事。それを行うのであれば、盧生と呼ばれる特殊な才能を持った人物か、
その許可を受けた人物しか現実世界で邯鄲は発動させられない。なお、栄光は盧生ではない為、邯鄲を発動するには後者の方、盧生の許可が必要な形となる。
だが、サーヴァント化した事により当然今の栄光はその桎梏から解き放たれ、本来ならば彼のボスに相当する柊四四八と言う盧生の管理から外れた為、自由に邯鄲を扱える。
栄光はその内、五つに大別される邯鄲の技術、その内の解法に特に優れた才覚を示す男。言ってしまえば一点特化だ。
解法は他者の力や感覚、場の状況等を解析・解体する事に優れ、これを極めると、如何なる攻撃もすり抜けさせて無効化出来る上に、
相手の存在を解体させて破壊させる事も出来る。解法に特化した栄光はこれらにも精通しているだけでなく、場の状況や敵の力量、正体の看破に、自らや味方勢力の存在や情報の偽装など、お手の物。この男にとって、チャチな隠蔽スキルや宝具など、何の意味もなさない。全て筒抜けと言う訳だ。

 ――その栄光に、全くメフィスト病院は『情報を認識させないのだ』。
その内部の様子を透視させる事は勿論の事、全力で解法を発動させても、一切情報は入って来ない。
外装は何で出来ているのか? 従業員の数は? 内装は? 全部が全部、まるで栄光に把握させない。
強いて解ると言う事は、此処がこの世の存在ではないと言う事が解ると言う事ぐらい。つまり肝心な事は何一つとして、アンノウン、と言う奴だ。
不気味に思うに決まっている。だからこそ、今までは怪しいと知りつつも距離を取っていたのだが、今は良い状況が揃っている。此方から打って出てやる、と栄光は思ったのだ。

 目が焼けんばかりに白い、メフィスト病院の外壁まで近づき、栄光は其処に手を触れる。
肌触り自体に、特筆するべき所はない。何処にでもありそうな普通の外壁である。外壁に手を触れさせた、この状態で、栄光は解法を発動させた。
頭の中に入ってくる情報。此処メフィスト病院は、邯鄲の夢で言う所の『創法』、つまりイマジネーションを実際に物質世界に形成させる術で創られていると言う事。
ただの創法ではない。恐ろしく高度な、と言う形容語句が付く。創法は此処から、物質の創造や操作を成す形と、環境の創造や操作を成す界に別れ、此処メフィスト病院は、
この二つの合わせ技で形成されている。此処までのものは、栄光とて見た事がない。戦真館學園の同じ特科生である世良水希、
――余り認めたくはないが――同胞である壇狩魔、自分達の宿敵でもあった甘粕正彦。
栄光にとっては創法のプロフェッショナルと言えばこの三名だが、もしかしたらこの三名をも上回っているのではないか? と思わずにはいられない程の技倆である。

 しかし、この病院が、邯鄲の創法に近しい技術で形成されたものである事は、栄光も推測はしていた。それが解っただけでも、大きい収穫だろう。
だがやはり、まだ足りない。もっと他に得られる情報があるだろうと思いながら、解法による解析を行おうとした。そしてもう一つ――奇妙な結果を弾き出した。

 ――これは……?――

 この病院が、極めてレベルの高い創法、物質の形成の術で生み出された物である事は理解した。
だが創法に限らず、イマジネーションを物質世界に形を伴わせて具現化させると言う事は、術者の精神力や魔力と言うものを消費する。
そしてその具現化させたイメージを、ずっと物質世界に留まらせ続けると言うのであれば、それは膨大な魔力が入用となる。
メフィスト病院は少なくとも、栄光が順平によってこの<新宿>に呼び出された時から存在する建物である。
その時からずっとメフィスト病院を展開しっぱなしとなると、当然大量の魔力が其処で消費され続ける事になる。
この病院は、その魔力の消費が全く感じられないのだ。この<新宿>と言う世界に絶えず流出し続け、世界の方から其処に在れと強要されているかのようだった。つまり、この病院の維持に掛かる魔力は、『ゼロ』なのだ。

 奇妙に思いながらも、更に解析を続けようとした栄光である――が。
突如として、夏の炎天下が、荒涼としたシベリアの荒野の冬よりも凍て付いた空気に変じて行くのを、栄光は感じた。
かいていた汗が、一つ残らず凍結し、皮膚の中に埋没して行くような、恐怖とも言うのも躊躇われるような圧倒的な恐怖。魔王・甘粕正彦と対峙した時ですら、こんな身震いは、覚えなかった。

「材質が知りたいのかね」

 銀の剣で突き刺されたような感覚をその声に憶え、バッと後ろを振り返り――忘我の表情を、栄光は浮かべてしまった。

 栄光の後ろには、美があった。白い闇と言う矛盾した表現が、これ以上となく適した、純白の暗黒が。
星の煌めきを編んで作ったと言われても皆が納得しようと言う程、踝まで覆う純白の美しいケープを身に纏った男だった。
だがその男は、そのケープの綺麗さが霞んで見える程に、美しかった。太陽系を遠く離れた、人も何も観測出来ていない銀河で輝く星の光を集めたように、
ケープの男の身体は光り輝いている風に栄光には見えた。その顔は、栄光には直視出来ない。数秒と見つめていれば、自我が崩壊してしまいかねない程美しかったからだ。
人類はきっと、人類自体が存続出来る全ての時間を費やしたとしても、この男の美を表現出来る言葉も技術も、開発出来まい。
目の前の、美の神ですらが妬いてしまいかねない程の、性差など問題にならない美貌の持ち主――ドクター・メフィストの美は、何者も犯せまい、表現出来まい。

「めだったものは使ってない。単なる大理石だ。但し、外部から透視させられないよう、内部に魔術的な刻印を埋め込み、病院内部のコンピューターでカオス処理と情報制御を行っている。少なくとも、君の力では解析は出来ない」

「アンタ……誰……だ」

 その一言を紡ぐのに、栄光は、三十分も掛かった様な錯覚を覚えた。

「この病院の院長を務めている。クラスはキャスター。真名を、メフィストと言う」

 聖杯戦争のセオリーである、真名の露呈を簡単に行うメフィスト。
尤も、この男にとって、その程度の定石の無視など、さしたる問題にならない。いやそれとも、この魔人にとっては、メフィストと言う名前すらも、本来のものではないのかも知れない。

 バッと、周りを見回す栄光。
入口には相変わらず、人が出入りをしているし、駐車場自体も車が出たり入ったりを繰り返している。
全く皆、栄光の存在に気付いていない。そして、『メフィスト』の存在にも。栄光の存在が目立たないと言うのならばまだしも、何故、メフィスト程の男の存在に、誰も気付かないのか。天から降り注いだ隕石めいた存在感を放つ、この男に。

「何でアンタ……俺の存在に……」

「サーヴァントの存在を感知する装置を設置してある。それで、君の存在を知った。特別な手品は使ってない。それがなければ、私とて君の存在を知るのは難しかったかも知れない」

「嘘だろ? だって俺は……」

「どんなに情報を隠蔽した所で、君自身がサーヴァントである、と言う事実は変わらない。それを見抜く性質の装置と言う事だ」

 そう、確かに栄光の解法の技量は凄まじいが、それで自らの存在が変わる訳じゃない。
栄光程優れた解法の持ち主と言えど、出来る事は精々が『偽装』止まり。どれ程腕を上げ、一般人だと誤認させる力を得たとしても、偽装しか出来ない。
自らの存在をサーヴァントではなく、NPCに『転生』させたり、存在自体を変化させる事は出来ない。どんな解法を用いたとしても、自身をサーヴァント以外の存在にさせる事は出来ない。解法の限界である。

「何故、私の存在がNPCに気付かれないのか、と言うような顔だな」

 もう一つの疑問点を言い当てられた。まるでその目は、栄光の胸の中に沸騰した水に浮かぶ泡が如くに沸いて出る、心の言葉を見透かしているかのようであった。

「何て事はないだろう、君のやっている事に似た術を使わせて貰っただけに過ぎん」

 予測出来ていなかった事と言えば、嘘になる。キャスターであると言うのなら、自分に匹敵する程の、解法に似た力を扱えるのも、道理ではある。
道理なのは事実だが、こうも簡単に自分と並ばれると、栄光としても驚きを覚える。いや、今栄光は、目の前の男ならば、それも可能なのではないかと思い始めていた。
この世に君臨していながら、本当はこの世界とは別の次元にその身を置いているのではないかと思えてならない程、浮世とは無縁な風を醸す男。魔人・メフィストならば。

 此処で、ハッと栄光は自我を取り戻した。
今まで自分の身に起っていた、メフィストの美貌による呆然とした状態。それに、覚えがあったからだ。
貴族院辰宮こと、辰宮百合香。彼女が疎んでいた彼女自身の五常楽・破の段とかなり似通っているのだ。
傾城反魂香と呼ばれていた彼女の破段は、洗脳を施された事に相手に気付かせない程極めて高度な精神操作で、術者自体が制御出来てなかった為か、
この力は常に垂れ流しの状態であったと栄光は記憶している。だがその洗脳能力にしても、『邯鄲法』であると言う理由づけがあったからこそ、
その破段自体の強力さも納得が行くものであった。メフィストの場合、その理由づけがない。
解法で解析して見ても、今まで栄光が感じていた『この男ならば仕方がない』と言った感情や、メフィストの美を見て呆然自失の状態にあった事については、
全て神秘も魔術も絡んでない全てメフィストの純粋な美が齎した結果であるのだ。
つまりメフィストは――神秘に頼る事なく、素で辰宮百合香と似たような真似が出来ると言う事だ。だからこそ、栄光は恐怖を憶えそうになった。メフィストはつまり、栄光の思考が鈍っている間に、いつでもこのライダーを殺せる事が出来たと言う事なのだから。

「君の質問がないのであれば、私の質問にも答えて貰おうか。」

 耳が痛い程に静かな夜を思わせる声であった。どんな感情の奔流も、その夜闇の深さと静けさの中は包み込んでしまう事であろう。
その声を聞いた瞬間、栄光は構えた。一瞬で脚部に、車輪の部分が巴紋を成す勾玉になっているインラインスケートを展開させ、腰を低くしメフィストを睨んだ。
逃走の準備は出来ている。此処で事を荒げる気は栄光にもないし、メフィストにもないだろう。だが、後者に関しては予測に過ぎない。警戒をしておくに、越した事はない。

「何の用があって、此処に来た」

「質問を質問で返すようで悪いけどよ、逆に何で来られないと思ったんだ?」

 栄光は、メフィストが逆質問を許容するタイプには見えなかったが、それでも聞いて置きたかった事柄だ。
これだけ目立つ怪しい施設だ、他のサーヴァントが当然足を運んでくるであろう事は、栄光ですら想像出来る事柄。ならば、どんな馬鹿でも考えに至る事だろう。
それを、目の前の白魔が気付かぬ訳がない。気付いていなかったのならば、相当抜けている。

「ただの病院がそんなに気になるかね?」

 ぬけぬけと、メフィストが返答する。

「やってる事は君達の思う病院のイメージから逸脱してはない。生を希求し、病と怪我とを治したい人物を、ただ癒すだけ。それだけの施設を、もの珍しがるのは余程の田舎者だ」

「普通の病院は、外壁に魔術の刻印を埋め込んだり、カオスなんたらだとか情報なんたらなんてものを施さないぜ」

「ならば君の言う普通の病院は、意識が低すぎるのだろう。無能な者が運営しているに相違ない、解体するべきだな」

 こんな院長が運営する病院と比較される他の病院が、堪らなく哀れで仕方ないと、栄光としては思わざるを得なかった。

「サーヴァントが運営する病院。そんなの、疑わない方がどうかしてるだろ」

「その通りではある。だが、当病院の評判は、直接患者だった者に聞いてみるが良いだろう。私が余計な事をせずとも、彼らが証明してくれる」

 この無限大の自信。何処から湧いてくるのかは知らないが、何に誓っても自分は潔癖であると、メフィストは言いたいのだろう。
そして、言葉を交わして栄光は理解した。この男は、断固としたプロフェッショナリズムの持ち主。例えNPCであろうとも、自分の医術を頼る患者であるのならば、
捨てはおけない性分であると言う事を。解法等使わないでも、余人に理解せしめる言外不能の『力』、いわば説得力が、メフィストにはあった。だから、これ以上栄光は追及しなかった。

「私から問いたい事は、もう一つある」

 メフィストが更に言葉を続ける。木枯しが流れるような寒さを、栄光は感じた。

「何処まで知った」

「何?」

「君が解析の術に長けた小賢しいライダーである事は承知している。見事なものだ。彼の魔都においても、君程優れた解析者は滅多にいなかったろう。我が病院にしても、然りだ。それを踏まえた上で、なお、問う」

 目を合せれば、魂すら抜き取られかねない程深遠な瞳が、栄光を捉えた。

「我が病院の秘密をどこまで知ったか」

「……返答次第では、どうするつもりだ?」

「知られたくない事を知ってしまった者に対する処遇は、何時だって一つだ。向かう先を、天国か地獄に定めさせるまで」

 其処まで言った瞬間、解法で自らの身体に透過処理を行った後、栄光が地を蹴った。
彼が踵の辺りに展開させた物は、邯鄲法の一つ、創法で形成された装備であり、サーヴァントの身の上にあっては栄光の宝具の一つである、風火輪。
栄光の移動力を補助するブースター的な機能を果たすこの宝具は、凄まじいまでの移動速を栄光に約束する。その最高速度は音以上。
更に、最高速度をそのままに、栄光自身の解法の才能により慣性や重力と言った諸法則を無視した、三次元的な軌道での移動をも約束させる、
単純な性能以上に凄い宝具だ。その宝具の、勾玉のローラー部分からオレンジ色の光をたばしらせ、栄光はその場からの逃走を図った。
垂直に、栄光が飛び上がる。助走も何もなしで、七m程の距離を、時速三百㎞程の速度で飛び上がった。

 それと同時にメフィストの手が、雪化粧を施された平原の銀世界ですら黒ずんで見える程の、白いケープの中で霞んだ。
その瞬間を目の当たりにし、何か来ると、栄光が思った瞬間だった。予想通りその何かが、栄光の移動ルート上に展開され、それが栄光の移動を阻んだ!!

「なっ!?」

 激突したそれは、例えるなら防球ネットに近いものだった。激突した衝撃自体は、それ程強いものではない。
しかし、栄光にとって驚きだったのは、そのネットの様な物を、『すり抜けられない』と言う事だった。
十万の剣林、百万の弾雨の中を悠々と歩いて見せられる程の、栄光の解法による透過が、まるで意味を成していないのだ。
何だこれは、と思いながら目線を上に向けると、銀色をした細い糸が、格子状に広く展開されているではないか。太さは凡そ1mm。
解法を用いた所、それが針金である事を栄光は知った。しかもただの針金ではない、表面に、到底理解出来ない内容の文字が、人間には視認不可能な小ささでビッシリと刻まれているのだ。

 針金は栄光を勢いよく地面に弾き飛ばした。
慌てて体勢を整え、地面に着地する。それと同時に、例えようもない恍惚とした感情を、栄光は感じた。
――メフィストの左手が、栄光の左肩を掴んでいたからだった。石英を削り、滑らかに磨いた様な繊指が、栄光の衣服に掛かっていた。
それに気付いた瞬間、栄光は急いで解法を行おうとしたが、全く発動させられない。簡単な話だ。
メフィスト自身が、栄光に匹敵する程の解法に似た力で、栄光の解法を無効化させているからだ。では風火輪で逃走を図ろうとしても、まるで見えない巨人の手で握り締められているかのようにその場から動けない。これに関しては、栄光の解法ですら解析不可能なのが、堪らなく恐ろしかった。

「疾しい事がなければ、解放する」

「あったら死ぬんだろ!!」

 返答しなかった。自分の都合を優先する男らしい。それとも、都合の悪い事は答えない性格か。
栄光の眉間に、右手の人差し指を当て始めるメフィスト。「クソ、何てベタな記憶の読み方だよ!!」、と悪態を吐く栄光。
無言を貫く白い魔人であったが、何故だろう。栄光は、無感動と冷静さを煮詰めた様なメフィストの黒い瞳に――驚きと、興味の光が煌めいた様に見えたのは。
メフィストが、スッと人差し指を離した。相変わらず左手は栄光の肩に乗せられた状態。これがあるせいで栄光は、全くその場から動けずにいた。

「君は病気だ」

 メフィストは、敵を断罪する魔人としての表情から、冷徹な医者の顔になっていた。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 先ず、メフィストが思った事は、今まで自分が見た事のない症状だったと言う事だ。
記憶を読み解く術を用い、目の前のライダーの真名が大杉栄光と呼ばれる、異なる大正時代の英雄の一人であり、夢を用いる戦士である事を知った。
無論メフィストにとって、栄光の辿った道程などまるで興味がなく、メフィスト病院の何を知ったかだけが興味の対象――であった筈なのだ。

 メフィストの興味を引いたのは、大杉栄光の記憶に生じている、奇怪な空白(ブランク)だった。
記憶喪失の人物の記憶を確認した時の症状と似ている、と一瞬メフィストは思ったが、実態は全く別の物だと直に思い直した。
記憶喪失の人物と言えど、その記憶が完全になくなる訳ではない。父親の事が思い出せない人間がいたとして、その記憶を眺めてみると、
断片的に父親の情報の一部を記憶に留めていたり、父親の記憶の混濁が起っていたりなどと言ったケースがよく見られる。
これらはつまり、記憶喪失とは言っても、『完全に当該記憶の事を忘却している訳ではない』と言う事を意味する。

 栄光の記憶は、完全にそれだった。彼の記憶に生じている奇怪な空白とは、その記憶が完全に消失している事の表れだった。
このライダーのそれは記憶喪失ではなく『記憶消滅』と言うべきもので、魔界医師と言われたメフィストにですら、消滅した記憶が元々何であったのか、
悟らせないし理解もさせない程完璧に、記憶がなくなっているのだ。この世界から物質が自然と完全消滅する事があり得ないように、
人間の頭からも記憶が自然に完全消滅する事はあり得ない。外部から手を加えればそれも可能ではある。但しそれには、メフィスト病院レベルの設備と、メフィストレベルの魔道の知識が必要になるのだが。

「俺が、病気? 頭が悪いとか抜かすなよ」

「馬鹿は病気じゃない、君の努力不足だ」

「(何で其処まで言われなきゃいけないんだろう)身体がおかしいって言うのか?」

「身体は健康そのものだ。君の記憶に、問題がある」

「記憶? 俺は見ての通りの脳も若々しいティーン・エイジャーだぜ? 英単語全然わからねぇし、数学もお察しレベルだが、生前の友達達との記憶は、忘れた事はねぇ」

 メフィストが病気だと判断したのは、これだった。 
大杉栄光は確かに記憶の消滅が過去にあった筈なのに、『栄光自身がその事に気付いていない』ばかりか、『記憶の消滅した現在の状態が自分にとっての本来正しい状態』、
と誤認している状態なのだ。記憶の空白が、小さい物だったり、空白の数自体が極端に少ないのであれば、今の栄光の状態も説明出来る。
だが、メフィストが見た栄光の記憶の空白は、恐らくは今の様な記憶の消滅が起こる前の栄光にとって、かなり重要なウェートを占めていたものであろう事が解るのだ。
空白自体がかなり大きいだけでなく、その数もかなり多い。これだけの空白があるのなら、日常生活を送る内に、何処かで絶対に奇妙な感覚に襲われるものであろうが、
栄光にはそれがない。だからこそ、メフィストは病気だと判断した。

 そして、メフィストがこの病気――と暫定的に定義する――に興味を抱いたのは、何故もたらされたのかと言う事。
こんな奇特な現象、自然に起こる筈がない。外部から意図的に手を加えられた事は確実だが、それが何による物なのか、推測すら出来ない。
記憶に関する病気は、メフィストは幾度も目にして来たし、治しても来た。魔界都市に於いては、外宇宙の邪神の記憶と運悪く繋がってしまい、
発狂を引き起こした患者まで見て来たが、そんなメフィストですら栄光の症状は、未知。だからこそ、この場でもっと栄光の今の記憶の事を、知りたかったのだ。

「今一度訊ねるが、自身の記憶におかしなところは、ないのだな」

「だから、ねぇって!! そんなに俺はヤバい事を知ったのか?」

「君自身は、我が病院の秘密は触れられなかったようだ。其処は良い。だが、別の所で興味が湧いた」

 其処で、栄光の左肩から、おもむろにメフィストは左手を離した。
その隙に逃げようとする栄光だったが、まるで追う気配を見せないメフィストを、逆に奇妙に思い、その選択を敢えてやめた。
あの不思議な針金も展開されるかもしれないと言う警戒心も、当然ある。

「取引をしよう」

 不意にそんな事をメフィストが言うと、ケープの裏地から何かを取り出した。
宝石だった。見事なカットの成された、血赤色をした惚れ惚れする程綺麗な宝石。陽の光を浴びて、地面に鮮やかな赤い光を放っている。
その宝石が取り分けて美しい物に見えるのは、偏にそれを摘まんでいるメフィスト自身の美のお零れを、宝石が貰っているからかもしれなかった。

「ルビー……?」

「スピネルだ。魔力を内包させてある」

 言われて栄光は、解法を用いて宝石を解析する。
見ると、栄光が二回は全力で戦っても問題がないレベルの魔力が、宝石に込められているではないか。
それ以外の細工は、ほぼゼロ。手に持ったとて、栄光が不利益を蒙る小細工は、込められていない。

「君の記憶の障害を私に治させてくれると言うのなら、この宝石を君にやろう。無論、入院を選んでくれても構わないが」

「……貴重な物じゃないのか? それ」

「命と魂より貴重な物はこの世にない」

 宝石商が見れば、今のメフィストの持っているスピネルは、言い値で、それこそ億の値段を付けられても買うと言う人間が出て来る程のクオリティとカラットを持っている。
そんな宝石でも、メフィストからすれば、何らの価値もない小石同然。余人はきっと、メフィスト自身が、宝石よりも美しいからそんな事を言えるのだと、思うかも知れない。
だが何て事はなく、メフィスト病院に設置された分子・原子構成変換機により、ただの小石をこのような宝石に変える事が出来るのだ。
つまりこの病院では、宝石などそれこそ何の価値もない。従業員が作って欲しいと言えば、メフィストの機嫌次第では作ってくれるのだ。
聖杯戦争のマスターやサーヴァントにとっては黄金よりも貴重な魔力にしても同じ。院長であるメフィスト以外誰も知らない所に設置されていると言う、
動力と燃料なしで平均的な原子力発電所の七百倍の発電効率と発電量を可能とする発電装置と、電力を魔力に変換するコンバータにより、実質上の魔力は∞である。
魔界医師にとっては、最早魔力の多寡など、何の問題にもならないと言う事だ。

「……俺は今でも、自分が記憶の病気だって言う自覚はねぇ。だが、仮に、アンタの言った事が正しい事柄だとして……如何して、俺に其処まで肩入れする?」

「未知の事柄を知る事は、楽しい事なのだよ。勉強の楽しみとはつまるところそれだ」

 要するに、今のメフィストは、医者として患者を治すと言う使命感や責任感、正義感の類がある訳ではない。
ただ、栄光の今の症状に甚く興味を覚えたから、それをもっと詳しく知りたいだけ。その程度に過ぎない。
そして、今メフィストの言った事が一切の嘘偽りのない真実だと、栄光も本能的に察知したらしい。狂人を見るような目で、メフィストの事を見つめていた。

「……条件を二つつけさせて欲しい」

「伺おう」

「一つ。今俺は単独行動中だ。マスターと離れてる。今マスターの所に向かう最中だから、治療するならなるべく時間のかからない方法で頼む」

「どれ程の時間なら良いのだね」

「一分だ」

「良かろう」

 栄光が目を剥いた。本人としては、無理難題を吹っ掛けたつもりなのだろう。一分で記憶の障害を治せる治療など、前代未聞にも程がある。
だが、その前代未聞はあくまでも、普通の医者に限った話。魔界医師・メフィストならば、ものの数分で記憶の病気を治せる術、心得ている。
但し、栄光の症状はかなり特別の為、病院のあらゆる装置を使ったとしても、治らない可能性の方が遥かに高い。
況してや一分程度の治療では、完治など不可能である。しかしそれでも、最低限の事は出来るだろうと、メフィストは踏んでいた。

「……も、もう一つ。俺はまだアンタの医療を信頼してないし、俺のその記憶って奴が、戻っちまったら大変な事になる奴だったら、俺としても難だろ?」

「そうだな」

 記憶が戻る事が、必ずしも良い事なのかと言われれば、それは違う。
人間の脳は時たま、思い出したくもない程嫌な記憶に封をすると言う意味で、記憶を混濁化させると言う事を行う時がある。
その混濁や記憶の喪失を治すと、人は、死を選んだり、破滅の道を自分から歩こうとする時がある。記憶の喪失は、本人にとってプラスの結果に繋がるとは限らないのである。

「治療するって言うのなら、ごく簡単な誰にでも出来そうな方法で。記憶が戻るって言うのなら、一気に戻るんじゃなくて徐々に徐々にって感じの奴で頼む」

「承った」

 言ってメフィストは、摘まんでいたスピネルを、栄光に手渡す。
その瞬間逃走をしようかと思った栄光であったが、今は不思議とそんな気になれなかった。余りにも、メフィストは真面目に記憶が云々と言う物だから。
ひょっとしたら、本気で自分は何かを忘れたのでは、と言う疑惑を憶えてしまったのだ。

 ――変な事したら即逃げる――

 あの針金を展開させようが、関係ない。今度は、針金の展開が無意味に成程烈しく動き回るだけだと、栄光は心に決めた。

 メフィストはそっと、向こう側が透けて見えるのではと思う程の白い指を栄光の額に当て、スルスルと謎の軌道を描いて行く。
眉間を動かし終えると、今度は眉間に指を持って行き、同じ様に、謎の動きを行い、再び額に指を持って行き、また動かす。
それを行う事一分、メフィストは指を額から離した。

「ごく簡素だが、治療を終えた」

 メフィストはそう告げた。本当かよ、と栄光が思うのは無理もない。誰がどう見たって、いまメフィストが行った事は、単なる悪ふざけの延長線上にしか見えなかったからだ。
指先に、極めて薄く少量の魔力を纏わせていた事は、栄光も解る。が、本当にこれで何かが変わるのかとは思えない。念の為解法を使って、己自身を解析して見ても、全く問題も異常も、刻まれた様子はなかった。

「で、治りそうかい? ドクター」

「君の思っている所感と概ね同じだ」

 要するに、治らないと言う事だ。

「もし、本格的な治療を望むと言うのならば、此処を訪れ、受付で私を呼びたまえ。それ相応のもてなしを約束しよう」

「おう、考えとくよ。……それじゃ、もう帰って良いか?」

「結構。お大事に、大杉栄光君」

「どうも、ドクター・メフィストさん」

 言って、メフィストの左手の袖に、銀色の針金がスルスルと戻って行く、
案の定と言うか、頭上だけじゃなく、栄光の背後、左右にまで配置していたらしい。つくづく、抜け目がない。

 栄光はメフィストに背を向け、スタスタと歩んで行く。その様子を眺めながら、この白魔人は、栄光の病気についての考察を行っていた。
自分自身、今の栄光の様な症状の者を治療に当たった事はない。しかし、確か過去にあれに似た症状の者について記された書物があった筈。
その事を考える事、二秒。メフィストは思い出した。栄光の今の記憶障害に近い者について記された、メフィスト病院の秘密の図書館に内蔵された一冊の本の事を。

 ――『生贄、それについての考察と論考』だったか――

 それは、かのイエズス会の創始者の一人にして、此処日本においても著名な宣教師である、フランシスコ・ザビエル。
彼と共にインドや日本、中国と宣教の旅を行った、あるカトリックの宣教師の男が記したとされる、ラテン語の論文である。
その宣教師はアフリカやインド、モルッカ諸島や中国、そして日本と言う長い航路を旅する内に、土着の諸宗教に興味を持ち始め、それについての研究を行っていたと言う。
尤もその研究を纏めた論文自体は、当時のカトリック宗教界にとっては興味を抱かせるようなそれではなかったらしく、これを受けて宣教師は、それまでの研究を放棄。
論文も散逸したと言うが――何故、その論文の一つを、メフィストが持っているのか。それはまた、不明である。

 今メフィストが想像した論文は、タイトルの通り、生贄と言う文明の意義について考察したものである。
その中でもメフィストは、超自然的存在が求める生贄についての考察の項を、思い出していた。
生贄を何故、神や悪魔、邪龍に妖獣は求めたのか? 諸人は連想する。祟りを鎮める為、その土地に福を齎して貰う為、そして、怒りと暴虐を抑えて貰う為。
それ自体は正しい。この論文は、何故彼らは、人を喰らわねばならなかったのかと言う事を考えた。
生娘や戦士の血肉が、美味である筈がない。人の肉の味よりも、品種改良された鳥獣の肉の方が、美味いに決まっている。なのに何故か、彼らは人を求めた。
何故――? 答えは、超自然的な存在が喰らっているのは、『人の肉体ではない』。彼らが食べているのは実は、『生贄にされた人間の幸せな精神と、過去未来を含めた運命』なのだ、とその宣教師は説明した。

 宣教師は論文中で語る。巨大な化け鯨に捧げられたアンドロメダは、彼女が王女であり美しい外見をしていたからと言う理由で生贄に捧げられたのではない。
ヤマタノオロチに喰らわれる事を運命づけられていた、地祇の夫婦の娘である櫛名田姫は、神の娘だからという理由で喰らわれかけたのではない。
『彼らの運命が輝かしいものである事を怪物や神が知っていたから、彼らは生贄として選ばれたのである』。
その証拠にアンドロメダは英雄ペルセウスに助けられ、後のギリシャ神話に於いて名を残す英雄達の大母となり、死後は星座にまで祀り上げられた。
櫛名田姫は記紀神話に於ける大神霊・素戔嗚尊に後に助けられ、偉大なる神の妻にまでなった。
そう、怪物が美味としたのは、彼らの肉ではない。彼らの輝かしい運命と、豊かになりつつある精神をこそ、彼らは至上の甘露として好んだのである。

 更にその論文中に於いて、宣教師とその一団は、日本滞在時にある農村が行っていた、土地神に捧げる生贄の少年少女とそれに纏わる儀式を見た時の事を記録していた。
その村においては人と言う資源は大変重要なそれであり、一々生贄を捧げていては如何にもならないと考えていた。
其処で村長は村の巫女と相談を行い、その後巫女が土地神に、人を失わない生贄について何かないかと神宣を乞うた事があると言う。
そしてその日以降から、生贄の在り方が変わったと言う。生贄に捧げられた少年少女は確かに、命に別状もなければ身体の何処かが欠けたと言う訳でもなく。
五体満足の状態で戻って来られたのだが、何故か彼らは、どんなに顔が良くどんな働き者でも、結婚も出来ないばかりか、
少年ならばあれだけ仲の良かった少女と関係が冷え込み、少女ならばその逆、と言った現象が頻繁に起こった。
その時、その宣教団が生贄にされた事のある少女の一人の事を精査した所、恐ろしい事実に気づいてしまったのだ。
神は確かに、人の肉を喰らう事を止めた。だが神は、その人物が誰かと結ばれる『可能性』と、『親しかった人物との記憶』だけを、的確に喰らっていたのだと言う。
この時記憶を確かめたところ、奇妙な空白が幾つもその少女には見られた、と、その論文は語っていた。

 その論文が語る、生贄の少女についての事と、今の大杉栄光の症状は、似ている気がしてメフィストにはならない。
仮にもし、あの少年のサーヴァントが、過去に何かを生贄――いや、何かを代償にしたサーヴァントであると言うのならば。
何に対して、そして何を引き換えに、奇跡を成させたと言うのか? 神に捧げた物は、何があっても戻らない。メフィストであろうとも、取り戻せない。
自分は、凄まじい何かに対して、挑戦状を叩きつけようとしているのではないかと、考えるメフィスト。

「好奇心は猫をも殺す、か」

 ポツリ、とメフィストが呟く。その頃には栄光は、駐車場を出て、大通りを歩いていた。

「それで死んでみるのも、また面白いだろう」

 言ってメフィストは、懐から取り出した一本のメスを振り下ろし、何もない空間を切開し、其処に身を投げた。
切開した空間が閉じて行き、切断した跡も完全に消滅させると、後には誰も、その空間にはいなくなる。
世界から色彩が落ちた様な錯覚を、今まさに退院し、入口を歩いていた家族連れの両親と子供は、覚えたのであった。
間違いだろうと、思い直す事とした。空はあんなにも、蒼く瑞々しい色を世界の果てまで広げているのであるから。






【四谷、信濃町(メフィスト病院)/1日目 午前12:30分】

【キャスター(メフィスト)@魔界都市ブルースシリーズ】
[状態]健康、実体化
[装備]白いケープ
[道具]種々様々
[所持金]宝石や黄金を生み出せるので∞に等しい
[思考・状況]
基本行動方針:患者の治療
1.求めて来た患者を治す
2.邪魔者には死を
[備考]
  • この世界でも、患者は治すと言う決意を表明しました。それについては、一切嘘偽りはありません
  • ランサー(ファウスト)と、そのマスターの不律については認識しているようです
  • ドリー・カドモンの作成を終え、現在ルイ・サイファーの存在情報を基にしたマガタマを制作しました
  • そのついでに、ルイ・サイファーの小指も作りました。
  • 番場真昼/真夜と、そのサーヴァントであるバーサーカー(シャドウラビリス)を入院させています
  • 人を昏睡させ、夢を以て何かを成そうとするキャスター(タイタス1世(影))が存在する事を認識しました
  • アーチャー(八意永琳)とそのマスターを臨時の専属医として雇いました
  • ジョナサン・ジョースター&アーチャー(ジョニィ・ジョースター)、北上&モデルマン(アレックス)の存在を認識しました
  • 浪蘭幻十の存在を確認しました
  • 現在は北上の義腕の作成に取り掛かるようです
  • ライダー(大杉栄光)の存在を認知しました。
  • ライダー(大杉栄光)の記憶の問題を認知、治療しようとしました。後から再び治療するようになるかは、後続の書き手様にお任せします。
  • マスターであるルイ・サイファーが解き放った四体のサーヴァントについて認識しました(PM1:10時点)






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「俺が病気だってよ、あのヤブ」

 独り言だと解っていても、つい悪態を吐いてしまう。
メフィスト病院から離れて、国立競技場駅に着くなり、栄光は思わずそう言ってしまった。
自分の記憶の事だ。自分自身が一番良く解ってるに決まってるだろう。そんな当たり前の事すら解らないのか、あのイケメンは、と、思い出すだけで苛々が溜まって行く。

「俺が忘れる筈ないだろ、全部……大事な記憶だ」

 そう、忘れる筈がないのだ。初めて邯鄲の夢に潜った時の、地獄のような艱難辛苦も。
一度は甘粕正彦に敗れ、想定していなかった邯鄲のループの周回し直し、其処で経験した、栄光だけの二十一世紀の人生も。
大正時代の日本――いや、世界の平和を護る為に、甘粕正彦とその眷属と死闘を繰り広げたあの時の事も。生まれてから死ぬまで栄光は、忘れた事がなかった。

 ――何も知らない真っ新な状態で、相模湾の砂浜で朝っぱらから見当違いな事を誓った事もあったな……――

 自分達の本当の目的と記憶を失い、朝の相模湾で、若さだけで全てを乗り切ろうと皆で誓っていた事を栄光は思い出す。今にして思えば、苦笑いしか浮かばないが。

 ――四四八の親父に、恵理子さんを殺された事もあったな……――

 初めて自分達のリーダーである柊四四八の父親、柊聖十郎と出会った事を栄光は思い出す。
あんな傲岸不遜で最低な男が、四四八の父であるだなどと、血の繋がりのない栄光ですら思いたくなかったが、あの男もあの男なりの、事情があったのだと思うと、複雑な気分になる。

 ――狩摩の馬鹿が勝手に俺達と争った事もあったっけな……――

 今にして思うとあの男の精神や考える事は、全く理解不能も良い所だった。
一時のノリで、よりにもよって眷属が主である盧生を本気で殺そうとするなど、本当に頭がどうかしている。マジでめくらだったんじゃないのかアイツ。

 ――本当の戦真館で、今度こそ皆と甘粕を倒そうと誓った事もあったよな……――

 四四八が真の盧生になり、自分達も記憶の全てとやるべき事を思い出し、思い出の詰まった教室で、仲間達と誓い合った事もあった。
クソが付く程真面目な四四八が、机に小刀で文字書きをしている所は、今思い出しても笑ってしまう。まさかあの謹厳実直を絵に描いた男が、ジュブナイルドラマみたいな真似を行うとは、思ってもなかったから。

 ――また、■■るかな――

 ――何……?
栄光は思わず、ポカンとした表情を浮かべてしまった。ふと、心の中に浮かんできた記憶。それは確かに自分のものでありながら。
『思い出す事自体に、堪らない違和感を覚える内容だった』からだ。

 ――ええ、きっと――

 ――■■はまた、■■後にでも……――

 ――ええ、■咲く■■■で■■■しょう――

 酷く、声にノイズが掛かる。自分の声は、聞き間違えようがない。一方の男の声が、自分の物である事は解る。
もう一方の方だ。この声は、女性のもの。そして、その声も、聞き間違えようがない。あの甘粕との戦いの時にずっと一緒だった、戦真館の同じ仲間。

「……野枝、さんか?」

 そう、この声は、戦真館學園の同じ生徒であり、壇狩摩の部下である、伊藤野枝のものだ。
だが何故、彼女の声が、思い出されるのだ? 深く、その時の、自分と野枝とのやり取りの事を思い返してみても、酷くイメージがボヤけて、見えやしない。

 ――クソ、あのヤブ、変な記憶植え付けやがって――

 軽く舌打ちして、心の中に湧いて来た記憶と言葉を振り払い、栄光は、待ち合わせ場所で順平を待った。
街ながら、夏のギラつく太陽が浮かぶ空を見上げながら、栄光は物思いに耽る。

「……野枝さんかぁ」

 ポツり、と呟く。

「あの人、綺麗な人ではあったけど……。素っ気なくて、俺苦手だったなぁ……」

 国立競技場駅を行き交う人の波をボーっと見ながら、栄光が呟いた。
何で四四八や晶、鳴滝達は、彼女と俺を、いつも一緒にいさせようとしたのだろうかと。栄光は生前の最期まで、そして今に至るまで、解らずにいるのだった。






【四谷、信濃町方面(霞ヶ丘町、国立競技場駅前)/1日目 午前12:50分】

【ライダー(大杉栄光)@相州戦神館學園 八命陣】
[状態]健康、覚えのない記憶(進度:超極小)
[装備]なし
[道具]宝石・スピネル(魔力量:大)
[所持金]マスターに同じ
[思考・状況]
基本行動方針:マスターを生きて元の世界に帰す。
1.マスターを守り、導く
2.昼はマスターと離れ単独でサーヴァントの捜索をする。が、今は合流を優先
3.UVM社の社長にまつわる噂の真偽を後で確かめてみる
4.何で野枝の記憶植え付けるんだよあのヤブ
[備考]
  • 生前の思い出す事が出来ない記憶について思い出そうとしています。が、完全に思い出すのは相当困難でしょう
  • キャスター(メフィスト)の存在を認知。彼から魔力の籠った宝石を貰いました
  • キャスター(メフィスト)から記憶に関する治療を誘われました。判断は後続の方々にお任せします



時系列順


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14:アイドル学概論 ダガー・モールス
アーチャー(那珂)
29:軋む街 ライダー(大杉栄光)
45:インタールード 白 キャスター(メフィスト) 33:黙示録都市<新宿>