個室の中のあるもの電源をオフにさせながら、結城は、新国立競技場のVIP個室で一人煙草を吸っていた。
切っているものの電源は、個室の中のスピーカーのものだけである。言うまでもなくこの個室に備え付けられたスピーカーは、
この特等席からイベントを眺める者達の為に特別に拵えられたものであり、フィールドでの音声を確実に拾って来る優れたそれである。
此処から聞こえてくるアイドル達のキャピキャピした声が、聞くに堪えなかったので、結城は思わず消してしまった。
しかしそれでも、音は聞こえてくる。単純な話で、閉められた窓からでも伝わってくるのだ。アイドル達の熱唱と、それを応援するファンの声援が、だ。
これが結城には堪らなく不愉快でしょうがない。諸々の事情でこのVIP席は防音対策を意図的に行っていないらしく、窓から大歓声が伝わる伝わる。
良く目を凝らせば、窓ガラスがピリピリと小刻みに動いているのが解るのだ。美城としては、嬉しい程の隆盛ぶりであろう。

 元々、結城はうるさい所が好きではない。
自分を含めた全人類には死んで欲しいと心の底から願っている彼にとって、人の多い所など苦痛でしかない。本質的に、一人の方が好きなのである。
よって、人がこんなに多いイベントには出たくもない。だが、社会的な義理と付き合いと言うものがこれを許さなかった為に、嫌でも出席している状態だ。
唯一の救いは、完全個室のVIP席の為、タバコを吸っていようがスマートフォンを弄っていようが、御咎めがないと言う所だろう。これがなかったら本当に狂死していた所だ。

 ――……そう言えばフレデリカとか言う小娘は今回のイベントの主役格だったな――

 コンサート会場である新国立競技場に移動する前に、フレデリカと言う少女と結城は顔を合せ、軽い挨拶を行った。
綺麗な金髪が特徴的な、如何にもハーフ、と言う風な顔立ちの少女だったが、一言二言話すだけで、結構適当な性格をしているなと言う事が解った。
歳の割には落ち着きがないと言う評価を結城は下したが、これがいざ本番になると、同僚のアイドルは勿論の事、美城も認める程のパワーを発揮する、と言うのだから世の中解らない。そしてその実力は、彼女の人気とも紐付けられているらしい。その証拠に、プログラムの掛かれた資料を見ると、
明らかに彼女の出番が多いのである。今回のライブの目玉ユニットの一つであるクローネにはフレデリカも名前を連ねている為、当然それに牽引して出番もある。
また346プロは、あるアイドルが、別メンバーで構成された別のユニットに名を連ねさせている、と言う形態が驚く程多く、フレデリカもその例に漏れない。
クローネを構成しているユニットは、美城曰くキャラクターとしての人気も高い為、ライブの時間全体を通じても出番が多いと言う。
事実、そのクローネと言うアイドルユニットのメンバーの名前は、プログラムにも良く見られる。成程確かに、彼女らも主役格の一人なのであろう。
それでも、フレデリカの出演数はクローネの他のメンバーに比べて出番が二つ程も多く、そもそも最後の大トリを飾るのは誰ならんフレデリカだ。
この事実からも、宮本フレデリカ、と言うアイドルは今回のコンサートに於いて、兎角346プロダクションから推されているアイドルである、と言う事が解るだろう。

 ――だが、結城の興味は、フレデリカのそんな人気にはない。
そう、結城と、彼の引き当てたキャスターである、ジェナ・エンジェルだけが知っている。
あのアイドルが、ジェナの手によって変性された強壮なチューナーである事を。その彼女の様子を見たいが為に、こうして彼は耐えているのだ。
とてもではないが、結城にはあの少女が恐ろしく強いチューナーであるとは信じられない。包帯を巻いた腕にアートマを隠している事は、ジェナから聞かされている為解る。
解っていてもなお、と言う奴だが、チューナーの変身前の見た目と変身する悪魔の関連性はゼロ、と言うのがジェナの持論である。そう言う事になるのだろう。

 チューナーは、人の生体マグネタイトを摂取し続けなければ、意識しても堪えられない程の飢餓を発症し、これを無視し続けた場合、本人の意思に関わらず、暴走。
最終的には、変身する悪魔の自我に精神が侵食されると言う。この絶対則はサーヴァントになっても変わらず、あのジェナですら、魔力の他にこの生体マグネタイトによる摂取を行わねばならない程である。ジェナは言う、宮本フレデリカと言う少女をチューナーにしたのは今から数えて四日前。
より言えば、結城があのキャスターを召喚してから一日後と言う計算になる。これがどう言う事か、と言うと、もしもこの四日間、検体であるフレデリカが人の肉を摂取していなければ、確実に今日、早くても明日の深夜には暴走を発症させると言うのだ。
実際、一昨日の時点でも相当苦しい筈であろうし、昨日今日ともなれば、死を選んだ方がマシな程苦しい筈なのだと言う。とても、耐えられるレベルのものじゃない。

 ――……その割には、平気そうだったな――

 そう、結城がフレデリカの顔を見る頃には、飢餓に苛まれているようには全然見えなかった。
美城や、同じメンバーのクローネの面々を見ても、全く不自然な所は見られない。如何やらあのフレデリカが、自然体のようである。
結城はチューナーではない為、彼らの餓えと言うものがどれ程の物なのか、及びもつかない。
MWの発作に置き換えて考えてみる事にする結城。あれの苦痛も想像を絶する。眼球をスプーンで抉られるような、筋肉を蛆が食い破るような、あの苦痛。
結城ですら、次の発作に耐えられるか如何か、予測も出来ない。あれに平然とした状態を保ったまま、普段の生活を送るのは、如何な結城とて無理な話。
そんな程の苦痛を、フレデリカは耐えていると言うのであれば、成程。中々健気ではないか。だからこそ、見てみたい。彼女が暴走する様を、この特等席で。

「だから早く終わってくれないものかね」

 ウンザリした様な口ぶりでそう言ってから、結城は、ガラスの灰皿に紙タバコを一本、墓標のように突き立てた。
窓から競技場内の光景を眺めると、佐藤心と言う女性と、安部菜々と言う少女(大嘘)が、見事な歌唱力をダンスを披露していた。
「うわぁキッツいなぁアレ……」、と結城が呟いた。後四年ぐらいで『トウ』が立つんじゃないか、と、結城は推測していた。

 フレデリカの登場まで、後三曲



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 この病院だけは、死んでも敵に回したくないな、と全ての事が終わって永琳は考えた。
謎の存在がメフィスト病院に襲撃を掛けてから、三十分が経過した。熱狂もまだ冷めやらぬ、本当に短い時間。
その短い時間の間に、メフィスト病院――いや、ドクター・メフィストは、諸々の問題に全て決着を着けてしまった。

 たった三十分で、謎の襲撃者、つまり、バーサーカーのサーヴァントであるジャバウォックによって破壊されたメフィスト病院ロビーが、元通りになった。
破壊された待合席や受付、壁に天井、照明類など、シャッターが上がった瞬間、初めて永琳らが踏み入れた時と全く変わらない状態にまで戻っていたのだ。
間違いさがしの要領で永琳らは、本気になって差異を探しては見たが、全くそれが見つからない程であった。

 たった三十分で、ジャバウォックが危害を加えた無関係のNPCを、全回復させてしまった。
曰く、臍の当たりから身体を横に真っ二つにされた老人や、下半身を挽肉より酷い状態にされた者がいたと言う。
何と、メフィスト病院は彼らを完全に回復させてしまったのである。前者の方は完全かつ完璧な手術で、後者の方はメフィスト病院が有する再生治療で。
二人は精々後一時間程度で退院が出来るだけでなく、退院後は慰謝料代わりの金一封が包まれる予定であると言うのだから、幸運なのか不幸なのか良く解らない。

 ――サーヴァントの襲撃、と言う未曽有の一大事件であったのに。
メフィストは、この大事件を『メフィスト病院の中で起った小規模なトラブル』として完結させてしまった。
あの白い魔人と、恐るべき鋼鉄の魔獣との戦いは、そのままであったら<新宿>所か、東京が滅んでおつりがくるレベルの烈しいものであったらしい。
それにもかかわらず、メフィスト病院の被害は軽微であった、いやそれどころか、その被害範囲は結局の所『メフィスト病院のロビーだけ』であったのだ。
これは単純に、メフィスト病院のテクノロジーが凄いと言う事をも意味するが、この病院の古参のスタッフ曰く、
『院長を態々引っ張りだせた上に、あの恐るべき院長から逃げ果せると言うだけで相手も凄い』、との事。此処から導き出される結論は一つだ。
それは、メフィスト病院を与る院長・メフィストは、戦闘能力と言う最も単純かつ明白に凄さが解るパラメーターの他に、問題の解決能力も恐ろしく高いと言う事である。

 嘘のような話であるが、パワードスーツを着込んだ病院のスタッフ達があれ程行き交いしていたと言うのに、メフィスト病院内に収容されている患者のほぼ全員が、あの病院の中で何が起っていたのか、と言う事を理解していなかった。それと言うのも、あのけたたましい警報は病室の中で鳴り響いていなかったのである。
つまり、廊下の方は火事場の如き慌ただしさであったと言うのに、患者が収容されている個室では、いつも通りの日常が送られていたと言う事を意味する。
恐るべき情報遮断能力である。収容されていない、つまり見舞客達についても、メフィスト病院の各要所に展開されていた特殊な力場(フォース・フィールド)で、事件が起こっていたロビーまで赴く事など出来なかった筈で、結局何が起っていたのかも理解していなかったに相違あるまい。
唯一事件を目の当たりにしていた者達と言えば、ジャバウォックが襲撃した際にロビーに待機していたNPC達だろうが、彼らにしたって、何が起こったのかも、解っていないと見て間違いない。
何れにしても、言える事は一つ。あの大事件をメフィストは、病院のロビーと言う極小規模な範囲で起った事件として解決させ、それ以外の場所にはジャバウォックを一歩も動かさなかった、と言う事である。

 事件が収束した現在、永琳から言える事は一つ。
メフィストが厄介、と言う事は出会った当初から解っていた。今回の事件を通じて永琳が理解した所は、メフィストの主従には敵対する理由がないと言う事だ。
メフィスト病院内で出会った、あの謎のライダーが言っていた。メフィストは、敵対するより利用する方が都合が良い、と。
あの癪に障る女ライダーの言に同意するのは、永琳としても抵抗感があるのだが、それは真実に近い見解なのだろうと感じた。
戦闘能力と言う観点から見てもメフィストを相手に戦うのはしんどい事この上ない。あの魔人を本気で叩き潰したいと言うのなら、少なくとも後二体程サーヴァントの手が必要だ。そして、これだけの用意をして、メフィストを滅ぼすメリットが永琳には現状存在しない。これが全てだった。

 永琳は三騎士であるアーチャーであるにも拘らず、下手なキャスターを凌ぐ道具作成スキルと、キャスター以上の魔術スキルを有する、聖杯戦争のサーヴァントシステムに一石を投じる所か、鉄球を全力で投げつけて挑発するレベルのサーヴァントである。つまりは、小回りが凄く利くのだ。
だが上手く出来たもので、一ノ瀬志希と言うマスターの社会的な立ち位置から、永琳は、己の神髄であるその製薬技術を発揮出来る所は、酷く限定されていた。
しかし、ここでメフィストの傘下に入ると言う事で事態が一転する。このキャスターは、霊薬を作る為の材料を当たり前のように所持し、事と次第によっては、それを相手に与えるのも吝かじゃないと言うスタンスなのだ。これを、魔力量・戦闘力共に不安なマスターを抱える永琳が飛びつかぬ筈がない。
そして、これだけ都合の良い存在と、敵対すると言う愚を選ぶ筈がない。とどのつまり、ライダーのサーヴァント、『姫』が言った事と同じである。メフィストは、敵対するよりも利用する道を選んだ方が、ずっと賢いのである。

 永琳と志希達は、メフィスト病院の外で行っていた治療、その為に必要な器具の片付けを、他のスタッフと一緒に行っていた。
その後片付けを終え、現在は労をねぎらうと言う意味で、メフィストから軽い休憩を言い渡されていた。
休憩から即、メフィストの下へ赴き交渉を行っても良かったのだが、休憩もなしのノンストップでは、流石の志希も疲れるだろうと思い、素直に身体を休めていた。

 志希と一緒に、テレビを眺めながら、永琳はこれからの事について考えていた。メフィストとの交渉材料は、ゼロではない。
向こうが自分に対して、それなりの敵対心を抱いている事は永琳も良く解っている。霊薬の材料を工面して欲しいと言って、素直に渡す男でもあるまい。
だが、あの男には理責めが通用する。工面するに足る十分な理由があれば、メフィストは、例え自分にでも材料を与えるだろうと永琳は踏んでいた。
その交渉材料は他ならぬ、これまで多くの患者を救い、そしてジャバウォックの襲撃に際して多くの命を救ったと言う客観的事実である。
要するに、職務の遂行力だ。永琳の見立てでは、先ず霊薬の材料は確保出来ると踏んでいる。問題はその先、メフィストとジャバウォックの戦闘の模様。
つまりは、メフィストと言う男がどう言った戦い方を見せるか如何か。これらを、他ならぬメフィストの口からどう引き出させるかだ。これは、難事になるであろう。
何せ、敵に手札の内を見せろと言っているに等しいのだから。これについても、永琳にはアテがある。あるが、成功する可能性は低いと踏んでいる。
しかし、収穫は常に大きく貪欲に行きたいもの。永琳は何時だって、及第点以上の結果を求める女なのだった。

【マスター】

【うん?】

【何時頃院長の所に同行してくれるのかしら?】

 と永琳は、薬科のスタッフ達の休憩室で、同じく休憩を取る志希に対してそう念話を投げ掛けた。
彼女は、壁掛式の100インチのテレビスクリーンに映されている映像を、じっくり眺めていた。これもまた、メフィスト病院の科学技術で作られた代物である。
毛穴どころか化粧の『ノリ』具合すらも具に見れる程滑らかな解像度だが、同僚のスタッフに曰く、専用のモードに切り替えれば霊体すら視認出来るようになると言う。物騒な品だとしか言いようがない。

【フレちゃんの最初の出番まで見たら、で良いかな~?】

 と、志希が返事をする。彼女の言うフレちゃん……つまりは、宮本フレデリカと言う名前のアイドルだが、曰く、その少女は、
今回のイベントの事実上の主役とも言うべき人物であるらしく、そんな人物と志希は、元の世界でも、そして此処<新宿>においても、昵懇の間柄であると言う。
実は志希はフレデリカや346プロの仲間から、今回霞ヶ丘町の新国立競技場でやっているライブコンサートに誘われている。
この世界でも志希は、有力株のアイドルであるのだから、誘われるのは当然だ。当初は志希も行こうとは思ったが、メフィスト病院での事件で、それ所ではなくなった。
よって、誘ってくれた皆には悪いとは思ったが、コンサートに足を運ぶのは、見送る事にした。その代わりと言っては何だが、TV中継を通じて、彼らの姿を見る事で間を取る事にしたと言う訳だ。

【まぁ、友人のお披露目ぐらいまでなら良いわよ】

 そして、永琳もそれを認めた。元より自由の少ない聖杯戦争、その最中に於いて志希に認められている裁量など下から数えた方が速いレベルだ。
ならば、それ位の自由程度は認めてやろうと思ったのである。激化する一方の、<新宿>の聖杯戦争。
永琳の考えでは、<新宿>が平和なのは今日までで、より言えば、数万人規模であるこのコンサートが、<新宿>最後の活気になるのではと考えていた。
言ってしまえば、このコンサートがある種の区切り、ピリオドとなる。最後の平和の情景を、見届けさせてやるのも、従者の星に生まれた自分の仕事だと永琳は思っていた。

【それで、今出ているのは誰かしら?】

【李衣菜ちゃんとみくちゃんって子で結成されてる、アスタリスクって言うユニットだね。今回みたいな大舞台は、これが初めてじゃないかな。選抜されて良かったと、あたしは思うな】

 そう口にする志希の言葉には、見下しと言った感情はなく、純粋に、液晶の先で踊っている二人のアイドルに対する称賛の気持ちでいっぱいだった。
湯呑に注がれた玉露を呑みながら、永琳は余り興味がなさそうに映像を眺めている。まだ自分は勝てるな、と彼女は思った。何に、とは言わない。

 フレデリカの登場まで、後二曲。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 ムスカもまた、結城同様個室から、アイドル達のステージを眺めていた。
プロデューサーの面々からは、最前列の特等席を用意したと言ったが、彼はやんわりと、紳士的に断った。
アイドルの歌唱力に興味がなくなった、と言う訳じゃない。純粋に、危険があまりにも大きすぎるが故だった。

 今回のライブイベントにおいて、襲撃の要となるのは、黒贄礼太郎に扮したタイタス10世である。
偉大なる始祖の系譜に連なる10世は、アルケアの歴史について記された歴史書及び、後代の如何なる歴史家が、帝国を分裂させた暗君或いは狂王として評価している。
と言うより、暗君とか狂王以前の問題として、この皇帝は玉座に座るべき人物ではなかった事が、初めから解り切っていた。
姉妹の近親相姦からくる、脳の障害。そして、長年の幽閉による精神異常。これら二つを同時に患った人物に、王位を継がせると言う事が、そもそもをしてあってはならない事だったのだ。それ程までに、アルケア帝国の王位継承問題は、当時逼迫していたと言う事を意味する。

 この逸話から見ても解る通り、タイタス10世は、狂化の適性を持つ……いや、バーサーカーとしてしか呼ばれぬ宿命を持つ。
始祖帝の支配下に組み込まれてすら、10世の精神性は健在。同じく乱心を起こしている2世同様、この双王は1世の支配を完全に振り切れており、通常は御す事は出来ない。
だからこそ、ムスカは令呪を使って10世を、何とか制御出来る程度にまでは落ち着かせる事が出来たが、それでも元々がそんな存在。
何時、そのメーターが振り切れるか解らない。そんな存在に、メインステージを襲わせるのだ。アイドルは間違いなく死ぬとして、ムスカとて累が及びかねない。
だからこそ、距離を取った。つまりムスカは、安全圏からこれから起こるだろう惨事を眺めようとしているのである。

 そしてその最高のショーの幕が、間もなく切って落とされる。この時に、人々の想念が光となり、レンズとなり、渺茫たる空にアーガデウムの実像を結ぶのだ。
天空の大帝国――ラピュタ――が、<新宿>の地と人を睥睨し、其処に、始祖帝と己が君臨し、聖杯を獲得するのである。

「間もなく、か」

 この曲が終われば、フレデリカの登場だった。同時に――古の都が、夢から現(うつつ)に変わる、大いなる一歩となる瞬間であった。
口の端を、ムスカは吊り上げた。犬歯を覗かせるその笑みは、酷く邪悪で、紳士の名残など欠片も存在していないのだった。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 そして、今回のライブイベントの主役グループである、プロジェクトクローネが登場した。
個々の人気も高いアイドルで構成されているだけでなく、346プロダクション、そしてアイドル部門の事実上のトップである美城常務の肝入りのグループである。
この、鳴り物入りで登場したグループは決して、ゴリ押しだけで得た人気が全ての張りぼて、と言う訳ではない。実際に、<新宿>での聖杯戦争が始まる前から、様々な実績を積んできたのである。それは、グループ全体で積んだ実績でもあれば、その個々人のメンバーが積んで来た実績でもある。
それが確かな物だからこそ、プロダクションも、346の同じアイドル仲間も、何よりファンも、今回のイベントの主役はクローネだと認めているのである。

 故にこそ、クローネを構成するメンバー十人がステージに姿を現した時、競技場の中が、沸いた。この活況、この歓声。
クローネの人気が本物である事の、何よりの証であった。観客の応援をよく聞いてみると、それぞれに、推しているメンバーがいる事が解る。
あらゆる方向から、クローネのメンバーの名前を呼ぶ声が聞こえて来るし、良く目を凝らすと、アリーナ・スタンド席の双方に、
ここぞとばかりにクローネのメンバーの名前の書かれた幕を用意している観客がいる事が解る。無論そう言った待遇は、一番人気のフレデリカだけではない。
各メンバー全員に見られる配慮だ。このメンバーに関しては、観客も一際強い注目をしていると言う事実を如実に表していた。

「みんな、ライブに来てくれてありがとう!! クローネ――白光の降り注ぐステージに推参したわ!!」

 イベントの大きさと、そもそもどう言う趣旨で行われているイベントなのかよく理解しているのだろう。
位置の都合上、センターを飾る事になっている速水奏が、常よりワンオクターブ高い声で、観客にそう訴えかけた。
声に呼応し、地鳴りの如き大歓声が競技場の中に響き渡る。それを聞いて、クローネの面々の顔に、笑みが花咲いた。
その笑みの裏で蠢動しているのは、緊張か。はたまた、もう後には引けないと言う思いから、既に緊張の全てを置き去りにし、最高の演技をする以外は何も考えていない状態か。

「ふふっ、良いわ。実に良い。全員の心の天秤を、私達に傾けるには絶好の刻ね!!」

 その台詞を契機に、会場中に設置されたスピーカーから、BGMが流れ始めた。会場の活況が、より一層強まったのを、クローネの面々は肌で感じた。

「貴方達の目線も、心も、私達が全員奪ってあげる!!」

 そう叫び終えた瞬間、スピーカーから流れる音楽が一段階大きくなり、それに比例して観客のボルテージも、青天井のように上がって行く。
今まさに歌が始まり、ボルテージが最高潮に達した、その瞬間であった。アリーナ席の最前列と言う、ファンにとっては最高の席。
その一m先の、メインステージとアリーナ最前列席の間に設けられた『あそび』の空間に、数十mも頭上の競技場の屋根部分から舞い降りたものがいた。
その姿に、メインステージの上に立つクローネの面々と、アリーナの最前列近くの観客、そして、運よくその舞い降りた人物の姿が確認出来る位置にいる者達が、固まった。歌う筈だった曲のBGMと、未だ事態に気付けていないが故に観客が上げ続ける歓声が、場違いのように場内を揺るがしていた。

 舞い降りた者は、人間だった。性別は男。そして、その人物の姿を、彼女達は知っていた。
知らぬ筈がなかった。何せこの人物こそは連日、テレビのニュースでその姿を一般市民に映し出されていた、凶悪な殺人犯であるのだから。
自分切ったのだろう、左右がややアンバランスな黒い髪。よれよれの黒い礼服。蝋人形のように白い皮膚だが、屈強その物な骨太でガッシリとした身体。
そして――限りない憎悪と殺意を宿したその黒い瞳。彼の姿は、間違いない。遠坂凛と共に、世界全土で指名手配されている殺人鬼――黒贄礼太郎のそれであった。

「コワレロ……クダケロ……ゼンブ、ゼンブ……!!」

 低い男の声で、たどたどしく黒贄がそう言った。目の前の人物達を、殺さずにはいられない、と言う感情がこれでもかと声から溢れていた。
黒贄の両腕に、紫色の稲妻めいた物が蛇のように絡まり合い始める。二重らせん構造を描くDNAの様に、それは似ていた。
その状態で腕を左右に広げたのを見て、クローネのまとめ役である奏が、驚きと絶望の表情を浮かべた。「逃げっ――」、マイクが、彼女の声を拾った。
メンバーの一人である、チームのムードの貢献に寄与している、ムードメーカーの塩見周子が、直近にいた橘ありすを突き飛ばした。

 ――その瞬間、アイドル達がそれまで歌っていたメインステージと、黒贄の背後のアリーナ席の一部に紫の雷が落ち始めた。
稲妻は頑丈なメインステージを叩き割り、範囲内にいた速水奏を筆頭としたアイドルを、一瞬で、抵抗すら許さず焼死させた。
そして、背後のアリーナ席の方などもっと酷かった。なまじ人が密集していた為に、稲妻に直撃した人間の数がステージにいたアイドルよりも多くなってしまった。
優に、二百人超。今の稲妻の直撃で、即死してしまった事であろう。その出来事は、周子が突き飛ばしたありすに、鷺沢文香が激突し、文香がよろけて倒れ込み、二人のアイドルの小さい悲鳴が会場に響いた瞬間の事だった。

「え……しゅ、周子……さん?」

 ライブの物とは違う、完全に、普段の素の声で、ありすが呆然と呟いた。
白煙が、ステージの一部で上がっていた。ステージに設置されたスモークマシンから噴き上がる、演出用の煙ではない。
その煙は、人の形をした、黒く焦げた物体から放出されており、それを認識した瞬間、焼き過ぎた肉の様な臭いが鼻腔をくすぐった。
この瞬間、ありす達は理解した。破壊され、露出した舞台の基礎骨組みに転がる、三つの黒焦げた人形は、一緒に苦楽を共にした、クローネの仲間であると。速水奏、塩見周子、大槻唯の死体であると。

「ひっ、やっ……いやあああぁあぁああぁぁぁぁあぁッ!!」

 ステージの上のアイドルである、と言う事すら忘れて、ありすが叫んだ。
事此処に至って漸く事態を呑み込み始めた観客と、位置の都合上ステージ付近で何が起っているのか理解していない観客が混ざり合い、忽ち競技場内はパニックに陥った。
惨状を目の当たりに出来る席にいた者達は、我先にとその場から逃走を始め、事態が呑み込めぬ席にいる者は、何をしてよいのか解らず立ち往生。
映画の中でしか見られぬような、民衆のパニックが、国立競技場と言うハコの中で、縮図となって繰り広げられていた。

「此処から逃げろ!!」

 と、ステージの近くで待機していた、恐らくはこのイベントの、そしてクローネのプロデューサー格と思しき男が、叫びながらステージの方に走って来る。

「奈緒、奈緒!!」

 泣き叫びながら、メンバーの一人の身を案じているのは、北条加蓮と言う名前をした少女だった。彼女と一緒に、渋谷凛も、奈緒の名前を呼んでいる。
名前を呼ばれた神谷奈緒、と言う少女は、今も生きている事自体が不思議な状態だった。臍より下が、先程の落雷の影響で完全に炭化していたからだ。直撃こそ受けはしなかったが、代わりにその余波を受けてしまった。死んだ周子が突き飛ばして居なければ、ありすもこうなっていた。

「ふた、りとも……ダメ、逃げ……」

 何かを口にするたびに、奈緒は口元まで血をせり上がらせ、そして吐き出してしまう。誰がどう見ても、奈緒は手遅れだった。

「馬鹿っ!! 置いてける訳ないでしょ!!」

 そう、そんな事出来る筈がない。プロジェクトクローネの仲間も大事だが、この三人はトライアドプリムスのメンバーとして、クローネ外でも多くの仕事をこなし、同じ成功を喜び合い、同じ失敗を悔しがった仲間であり、プライベートの時間を共に楽しみ合った友人なのだ。そんな少女を、命に関わる危機に巻き込まれる、と言う理由で見捨てたくなどなかった。こんな、漫画の中でしかあり得ないような、冗談みたいなシチュエーションで大事な友達を失うなど、堪えられなかった。

「――そうだよ、凛!! メフィスト病院だったよね!! どんな病気でも治して見せちゃう病院って!! 其処に連れてこう!!」

「うん!! ……奈緒、大丈夫。私達は絶対に見捨てないから――」

 遠くで、「お前ら逃げろ!! 頼むから!!」、と悲痛な叫び声を上げる男の声に、彼女らは気付けたろうか。
阿鼻叫喚の叫び声が、あらゆる観客席から聞こえてくる、この競技場の中で。聞こえる筈がなかった。だからこそ、気付けなかった。黒贄礼太郎が、ステージを睨みつけていたのを。

「シネ、キエロ……、ホロベ!!」

 と、掠れ気味の声で黒贄がそう告げた瞬間、彼の周りの空間が歪み、其処から、何かが高速で、奈緒達の下へと飛来して行く。
その何かが、無事の状態だった奈緒の胴体と首に突き刺さる。カフッ、と言う乾いた空気を吐き出し、そのまま奈緒は事切れた。刺さったものは、それ自体か薄く光る、先端の尖った矢の様なものだった。

「なっ、ぎ、ああああぁああぁぁぁぁあぁ……!!」

 奈緒の身体に突き刺さる矢に驚いたのも、束の間。彼女の傍に寄り添っていた加蓮の右脇腹にも、それは突き刺さっていた。
黒を基調としたアイドル衣装が鮮やかな血に濡れているのが遠目でも解る。痛みの方は、推し量る事すら出来ぬ程だろう。自分の身の回りで起っている惨状を見る凛の瞳には、絶望と言う感情が何よりも先立っていた。

「この、離れろ!! 殺人鬼!!」

 先程まで叫んでいたプロデューサーが、舞台の袖に隠していた、警備員が振う為の警杖を持ち、殺人鬼の方に突進して行く。
それを今まさに振り下ろそうと言う時に、プロデューサーの男の身体が、如何なる力を受けてか、爆散した。
原形もとどめぬ程粉々になり、赤、ピンク、赤茶色の肉の破片や、白い骨片が舞い飛んだ。プロデューサーの名を、涙声で叫ぶ声が聞こえて来た。アナスタシアの物であった。

「っ、皆さん、此処は早く逃げましょう!!」

 と、アナスタシアが叫ぶ。もうこうなっては仕方がないと、凛は、脇腹を負傷してしまった加蓮の肩を抱えながら、その場から逃走しようとする。
その状態の彼女に、アナスタシアとフレデリカが加担、急いでメインステージから逃走する。「ありすちゃん、此処から逃げよう」と、泣きじゃくるありすを諭し、無理やりに彼女を引っ張って文香がメインステージから降り、逃げ出し行く。

 アイドル達に追撃を仕掛ける事も、今の黒贄――否、黒贄に扮したタイタス10世には、出来た事であろう。
彼は敢えて、それをしなかった。彼の目的はあくまでも、このコンサートで大いに暴れる事であり、アイドルの殲滅ではないからだ。
そして、10世はまだまだ暴れ足りないと見える。その凶悪な暴力の矛先を、ステージから観客の方に向けた。

 腕を振い、目に見えぬ何らかの衝撃エネルギーを、観客席とアリーナ席の双方に振り撒く。
放たれたエネルギーは、競技場の地面に浅いすり鉢状のクレーターを刻み、観客席に用意された多くの座席を吹っ飛ばす。
その箇所に人間がいれば、最早説明するべくもない。首や手足が、泥を捏ねて作った人形のように千切れ飛び、当たり所が悪ければ内臓や骨を散らせて即死する。
千人にも届こうかと言う程の数の人間が、この十世の振り撒く力によって、死出の道を歩まされ、重軽を問わぬ様々な傷を負わされている状態だ。
この世の全てを憎み、恨んでいるような呪詛の言葉を吐き続けながら、十世は呪力を魔術に変えて放ち続ける。

 ――その十世が、突如として何かの煽りを受け、彼が破壊したメインステージ方向に吹っ飛ばされる。
奇跡的に原形を保ったままのバックモニターに彼は衝突。アイドルの踊りや歌に合わせて煌びやかで華やかな映像を、まだ虚しく流し続けていたモニターの液晶は破壊された。そしてそのまま、十世が衝突した所から真っ二つに破断した。

「ギ、ィ……!?」

 黒贄の姿を模した十世が苦鳴を上げ、吹っ飛ばされた方向に鋭い目線を送る。
その方向には、誰もいない。逃げ惑う観客だけ――違う。始祖帝すらも目を瞠る程の天性の魔力の持ち主である10世、黒贄の姿に無理やり姿を変えさせられても、
豊富な魔力が消える訳ではない。10世は空間に対しての違和感を敏感に捉えた。視線の先の空間が、人の形をした陽炎めいて揺らめいているのを、彼は見逃さないのだった。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「んだよ、これ……」

 呆然、と言う言葉がこれ以上となく相応しい程の状態で、伊織順平は、繰り広げられている惨状を見つめていた。
友近から貰ったチケットが、対して上等ではない席。即ち、アリーナ席ではない観客席、しかもメインステージから遠い所にある、と言う点が幸いしていた。
つまり、それだけあの黒贄礼太郎から距離が遠く、あの男の狂行が及ばない事を意味するからである。
国立競技場内から逃げようと思えば、速やかに逃げられる場所だ。実際順平の座っていたエリアの席の殆どの観客は、この場から逃げ出そうと、我先に行動を起こしている状態であった。――そんな中で、この順平と、彼のサーヴァントである実体化した大杉栄光だけが、逃げ出さず、視線の先で起っている恐るべき事態を見つめていた。

「何が……何が起ってんだよッ!!」

「俺が知るかよ!!」

 混乱と焦燥、そして繰り広げられる悲惨かつ無惨な光景を見た事による怒り。この三つが乗せられた順平の言葉に対して、栄光が荒げた声でそう返した。
彼らしくない反応だったらしい。順平は一瞬ハッとした表情を浮かべ、直に栄光も、らしくない態度だと考え直したか。顔を勢いよく左右に振るい、一つ息を吐く。

「俺は頭が悪い。だから正直言って、あそこで繰り広げられてる光景見て混乱してるし、何であのバーサーカーがあんな事してるのか俺にだって良く解らねぇ!!」

 「だがな」

「一つだけ言える事がある。この大人数がいる中で、本当に虐殺を行う馬鹿がいたって事だ……!!」

 栄光の言う通りだ。今の二人には、判断材料がなさ過ぎる。
何故、聖杯戦争においてルーラー達から指名手配されている、遠坂凛の従えるバーサーカー・黒贄礼太郎が此処にいて、そして無意味な虐殺を繰り広げているのか。
単なる愉悦の為にやっているのかも知れないが、その意図が欠片も理解も出来ない。しかし、確かな事は、栄光の言った通りの事。
それは、ありはしない、起きはしないと思っていた、ライブコンサートでの波乱が本当に、しかも最悪の形で起こってしまったと言う事だ。
こんな所で、サーヴァントが暴れればどうなるか、さして頭の良くない順平や栄光ですら、どうなるかは簡単に予測出来ていた。
しかし、実際に事が起ると、それは予想を超えて凄惨な物であると、改めて二人は思い知らされた。
競技場には既に、黒贄が暴れた事によって大量の死体が転がっており、しかもその殆どが原形を留めていない程バラバラ、酷い物となると粉々だ。
死体が転がっているのは、アリーナ席の方だけではない。スタンド、つまり観客席もまた、黒贄の暴威が届くのであれば問答無用でそれが襲い掛かる。
現に、幾つものスタンドには死体が転がっており、地獄めいた様相を示していた。席に座ったような姿勢で死んでいる者、階段に倒れるような姿勢で死んでいる者など、その死に様は枚挙にいとまがない。

 更に性質の悪いのは、NPCを殺すのはサーヴァントだけではないと言う事だ。
NPC達は今、パニックの状態にある。皆が皆、我先にとこの場から逃げ出そうと必死である。自分の命が助かれば良い、と言う生命における最も基本的な本能の一つ。
それが、この建物の中で繰り広げられている。NPCが転ぶ、その転んだNPCを踏みつけて多くのNPCがその場から距離を取るが、転んだNPCは勢いよく、大勢の人間に頭などの急所を踏みつけられる為に、そのまま死に至る。
また、一時に多くの人間が、ビールの泡の如くに溢れかえって移動する為に、高階席からそのままフィールドに転げ落ち、打ち所を悪くして死んでしまう、など。この建物の中では、集団心理の負の側面――群衆のパニックと言う現象が、終わる事無く繰り広げられていた。此処はまさに、この世の地獄そのものだった。

「――マスター」

 初めて聞く声だと、順平は思った。栄光の声音が、順平の聞いた事のないそれに変わっていた。
声自体が、別人のそれに変わった訳じゃない。語調が、変わったのである。それまでの栄光の声音は、順平と同年代の、何処にでもいる普通の青年のそれ。
何の特徴もない、十代後半の若造のものであった。だが今は違う。声自体は何時も聞いていた大杉栄光のそれであるのに、内包されている感情は、順平ですら驚く程真率で、厳粛なそれであったからだ。これが本当に、普段軽口を叩きあい、一緒にゲームをしあい、同じ番組を見て笑っていたパートナーが出す声なのかと、本気で順平は思っていた。

「お前は、如何したいんだ?」

「如何、って……」

「言っちゃ何だが、お前の引き当てたサーヴァントは、逃げ足だけには自信があってね。お前一人を抱えて、此処から逃げ出す何て、お茶の子さいさいな訳だ」

「……OK。言いたい事は解った。――ライダー」

 緩そうな顔から、引き締まった男の顔で、順平は言葉を紡いだ。

「あのバーサーカーをぶっ倒せ」

「……お前はそれで良いのか? マスター」

「本当を言うとさ、俺も解らない。此処から急いで逃げるべきなのは解ってる、そして此処にいるNPCを全員無傷で逃げ出させるのが、どれだけ良い事なのかも解ってるんだ」

 「――だけどよ」

「現実問題として、俺とお前の力じゃ、此処にいる数万人のNPCを逃げださせる力なんてないし、傷付いて死んだNPCを元に戻す何て事も、出来やしないんだ」

 卑屈な意見、と言う訳ではなかった。実際、順平の口にしている事は何処までも正しく、そして彼の突いている所は、栄光にとっては虫歯のように痛い所であった。
栄光の能力は、他者を救える癒しの力がある訳でもない、他人の勇気を奮い立たせる共感能力もなく、見る者に希望を与える雄々しい姿を演出する派手な物でもない。
ただ、能力やもの・こと・人を解析する事に長け、相手からの攻撃を自分だけがすり抜けられる、と言う地味で、手前勝手な能力だ。
切り札である、破段・急段にしても、これは同じ。栄光は、戦闘に際する個人プレーと言う観点から見れば、上等とも言うべき実力を持つ戦士だ。
だが、それが補助や、傷付いた仲間のアシストとなると、話は変わる。それは、嘗ての仲間である晶の仕事。つまりこの場に於いて栄光は、多くのNPCの命を救うには、何処までも適していない男だった。

「だけど、何でだろうな……。逃げるべきだって頭じゃ理解してるのに、俺……とってもこれに、従いたくねぇんだ」

「……」

「お互いどうしようもない馬鹿だけどよ、俺もお前も、こう思ってるに違いない。俺達に事態を良くする力はない、けどよ、事態を食い止める力は、ある。……あのイカレ野郎を倒せば、これ以上事態は悪くならねぇ!!」

「お前の意思か、順平?」

「前さ、お前に話しただろ。世界を救う為に、自分で勝手に遠い所に行っちまった、友達の事。そいつの事よ、俺、今でも尊敬してるよ。アイツは、絶対に出来ないって思われてた事を、奇跡を起こして成し遂げちまった」

 息を吸い、言葉を選ぶ事もせず、ただ、栄光は、己の中の思いを吐き出した。

「アイツがやった事は、絶対に出来ない事を成し遂げたっていうすげぇ事で、今俺の前に用意された試練は、頑張れば出来る事だしそれを何時でも実行に移せる事だ。こんな事もしないで逃げ出す何て、アイツに顔向け出来ねぇよ……!! ライダー、アイツを倒してくれ!!」

「……了解、解った」

 其処で栄光は、自分の後ろにあった座席の上に土足で立ち、其処で己の足元に、宝具・風火輪を展開。
そして、解放の力を用い、己に透明化の処理を行わせる。これで余人は、栄光の姿を見る事は出来ない。NPCは視認など出来ないし、サーヴァントでも見るのは難しいだろう。
こう言う処理を施したのは、単純明快。己の両足に展開させた、勾玉をローラー代わりにしたローラースケート、それによって起こる現象を認識させなくする為だ。

「聖杯戦争を生き残るって意味じゃ、俺達のやる事は間違いなんだと思う。だけど俺は、お前がそう決断を下してくれて、内心とても嬉しいよ」

 席の上で屈伸しながら、栄光が口にする。

「如何してだ?」

「奴を倒せ、って言ったな?」

「ああ」

「その言葉を、聞きたかった」

 グッと、膝を屈ませた後で、栄光はこう言葉を続けた。

「俺も、アレをぶっ倒したかったんだ」

 その瞬間、栄光は席を蹴った。プラスチック製のスタンド席は一瞬で粉々に破壊され、それだけの力を生み出す脚力と風火輪の推進力は、
大杉栄光に時速六百キロと言う殺人的な加速を与え、彼を黒贄礼太郎の下まで一っ飛びさせた。

 順平の言った通り、栄光の能力は、人を救うには適した能力ではない。どちらかと言えば、戦闘に向いた力である。
だが、戦闘に向いた力を有していると言う事は、その力で恐るべき敵を打ち倒せる、と言う事を意味する。
今、その力を振わねば、自分の存在は嘘だと思った。戦真館の特科生としてではなく、人間・大杉栄光として。
この場から逃げ出さず、あの凶漢、黒贄礼太郎を倒してやりたかったのだ。サーヴァントの暴威を、無辜のNPCを甚振る為に振うと言う事に対する義憤を、奴にぶつけたかったのだ。大杉栄光と言う青年が、雑魚で、臆病だが、卑怯者ではないと言う事を、証明する為に。

 ――向イテナイカラ止メロ――

 黒贄の下へと向かう最中、ボロ布を纏い、能面を被った怪物との逢瀬の映像が栄光の脳裏を過った。燃え盛る、戦真館の学園の教室の中での出来事だった。
これも、覚えのない記憶だった。これも、メフィストの治療によって捏造された記憶だとでも言うのか。やかましい、と一喝し、そのイメージ映像を振り払う。
俺は、自分だけが助かれば良いと思う様な、肝っ玉もケツの穴も小さい男じゃないんだ、と心中で叫んだ。

 迫りくる栄光に気付かず、暴威を振い続ける黒贄。そんな彼目掛けて栄光は、時速六百㎞の加速を乗せた右足による前蹴りを、
空を滑るように移動しながら彼の背中に見舞った。一切の抵抗すら許させず、黒贄は、蹴り足の伸びた方向に吹っ飛ばされ、アイドルの踊っていたメインステージに備えられた巨大なバックモニターに激突した。

 ――なんだ、コイツ!?――

 蹴りを見舞った瞬間、栄光は己の解法を以って、真っ先に目の前の黒贄礼太郎を解析した。
そして解った事が一つある。『この黒贄礼太郎は、黒贄礼太郎ではない』と言う事だ。おかしな事を言っている訳ではない。事実だ。
目の前にいる黒贄礼太郎は、その見た目を本物の黒贄礼太郎に魔術的な手法で近付けさせた傀儡だと、栄光は一瞬で見抜いた。
恐ろしく高度な術法で、その在り方が改竄されている。令呪の補助も借りたのだろうか。それを抜きにしてもこの見事な手腕は、キャスターでもなければありえない。

「ギ、ギ、……」

 破断されたモニターの中で悶絶している黒贄礼太郎――もとい、タイタス10世は、明らかに此方の方に目線を向けている。
如何やら、解法で透明化処理と認識誤認処理を施した栄光に気付いていると見える。今の栄光の気配に気づくとは、向こうは魔術的な技術の芸達者なのかも知れない。
栄光は解放の力を使い、無理やりに10世に施された処理を引っぺがした。他者の力の『解』体は、解放の十八番である。
解法の力に直撃し、黒贄礼太郎のものである顔つきが変化して行く。ゴキゴキと、偽黒贄の全身の骨格が嫌な音を立てて変形して行く。
皮膚や筋肉が波を打ち、粘土を捏ねるようにして身体つきも顔付きも変わりだす。二秒後、そうして露になった黒贄――10世の姿は、大層醜い異形であった。
鋭い刃で端を斬ってみせたように口は大きく裂け、瞳は既に見えていないのか黒めの部分がない完全な白目。髪の毛の一本一本は針金の如く太く、それが方々に伸びている。
とても、神楽坂で大量殺人をして見せた黒贄とは似ても似つかぬ姿。成程、魔術の力を用いて無理やり姿を変えさせる必要があった訳である。

「ガァッ!!」

 10世は叫び、栄光の方に雷光――所謂天雷陣の呪文を成立させ、それを落として見せるが、解法の達者である栄光に、魔術で攻撃するのは愚の骨頂。
稲妻が轟いた瞬間、それは、栄光の脳天を穿つよりも前に砂糖菓子めいて砕け散り、そのまま虚空へと無害な魔力になって溶けて行く。解法による魔術の解体である。
一瞬驚いた様に目を丸くする10世だったが、直に第二陣である、念動力を用いた不可視のエネルギーを栄光目掛けて放射する。
が、栄光はこれを勢いよく右脚による回し蹴りで粉砕した後、地を蹴って10世の下へと移動。時速数百㎞の加速を乗せたドロップキックは、10世の胴体に直撃。
両足の衝突部分から十世の身体は千切れ飛び、分離した上体が宙を舞った。いきなり勝手に、十世の身体が千切れ飛んだとしか常人には見えないだろう。透明化処理を施している為、栄光の姿は余人には見えないのだから。

「ガ……ア……タイタス……シソ……シネ……ェ!!」

 今わの際、10世は、恨みを込めた声でそう言葉を絞り出し、そのまま、上半身と下半身が蒼白く炎上、灰も残らず其処から消え失せた。
偽黒贄と認識している10世、最後に口にした言葉の意味を、栄光は理解していない。始祖とは? タイタスとは? 
解らないが、そのサーヴァントが、事件を引き起こした他ならぬ張本人なのだろう。

 仮に、そのタイタスが事の主犯だとして、何故黒贄の姿を真似た尖兵を、此処に派遣する必要があったのか。
決まっている、本物の黒贄をスケープゴートにする為だ。黒贄は聖杯戦争の参加者であるなら全員、NPCの間でもその姿は有名になっている程の殺人鬼。
それの姿を真似させた存在が、此処に来て大量殺戮を起こせばどうなるか? 決まっている、誰の目から見ても、黒贄が犯行を引き起こしたとしか思えないだろう。
勘の良いサーヴァントならば異常に気付くであろうが、TV越しで映像をみたり、ラジオ経由で情報を見聞した程度では、間違いなく今の黒贄が偽物である等、解る筈がない。
栄光は解法と言う解析技術の達人である為、今の10世のカラクリは全て見抜けた。だが、自分とそのマスターがタネに気付けた程度で、趨勢は変わらない。
多くのNPC及び聖杯戦争の参加者は、今の犯行を黒贄の物と誤認するであろう。これは最早避けられない事柄だ。否応なく今後の事態は、犯人=黒贄と言う方程式で進んで行く事になるだろう。

 黒贄を外見に模倣させた尖兵を送る事で、その送った存在は、自らの正体を隠匿させると同時に、自分の行った行為の罪を全て黒贄に擦り付ける事が出来るだろう。
だが此処で一つ、極めて大きく、そして当然の疑問が浮かび上がる。――そもそも、その黒幕は『何の為に偽黒贄を此処に派遣したのか』?
如何に黒贄に濡れ衣をおっ被せるとは言っても、これだけの大事件と大虐殺、起こす意味がなさ過ぎる。リスクが大きいからだ。
しくじれば良くて指名手配、最悪はルーラーからの粛清も考えられるかも知れない上に、見た所魂喰いを行っていると言う訳ですらない。
完全に、ただ虐殺を行っただけ。本当に、そんな事があるのか? ただ面白おかしいと言う理由だけで、此処まで人の命を無碍にさせられるものなのか?

 ――いや、出来るだろうと栄光は直に考え直した。
人の命何て知った事ではない、手前の阿呆で馬鹿な理屈の為に多くの命を危険に晒した、馬鹿と言う言葉を使う事すら馬鹿に対する冒涜となる男を、栄光は知っている。
その男は人類に対する限りない『愛』を行動原理にしていた、理解も出来ない愚か者であった。そんな男が、世の中にはいるのだ。
利得を度外視して虐殺を行う存在も、いないとは言えない。そんな愚物……盧生・甘粕正彦の事を考えて、先程順平と念話していた内容を、栄光は電撃が閃いた様に思い出した。

 そう――『人の想念を一挙に集めてパワーアップを図る存在の事』を。

「まさか、マジでいるのか……!?」

 無論、順平に偉そうに説教した手前、予測していなかった訳がない。そう言った存在はマークしていた。だが、実際本当にいるとなると、驚きを禁じ得ない。
栄光の知る『盧生』の特性にドンピシャ当て嵌まる存在と言う訳ではないだろうが、盧生に類似した能力と言う点で既に厄介である。
況して、このようななりふり構わぬ大虐殺を行う程のサーヴァントだ。最早話し合いなど通じる訳がないし、栄光としては、話したくもないし寧ろ叩き潰したい程だ。
そしてもしも、栄光の予想した通りの存在ではなかったとしても、だ。黒贄礼太郎を模した今の尖兵を制御している存在が、この競技場内の何処かにいる筈である。
見た所あの偽黒贄は、正気を保てているような存在ではなく、常時狂気に囚われている者であったし、誰かの付き添いがなければ到底この競技場まで誘導出来なかった筈。
つまり――アレを倒したからと言って、まだ事件は終わっていない、と言う事を意味する。そして、栄光のこの勘は、何処までも正しかった。

 また真新しい悲鳴が、遥か前方で蟠っていた人ごみから上がった。
既に、天然芝を植え込んでいるインフィールド内のアリーナ席には人が殆どいない状態で、あるのは死体と、
運よく生き残れてはいるがじきに死ぬであろうと言う重体のNPCばかり。多くのNPCは、アリーナ席へと向かう為に解放された通用口の方に、雲霞の如くに集まっていた。

 ――その人海が、真っ二つに割れた。
栄光は、良く目を凝らす。競技場のインフィールドを隔てた、百m近く距離を離した向こう側。
其処に、二振りの大剣を両手に持つ、黒灰色のローブを纏う偉丈夫が佇んでいた。
男の持つ、栄光の身長程もあろうかと言う巨大な大剣の腹は、真っ赤な血で濡れているのであった……。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 始祖帝・タイタスが、配下の魔将ク・ルームに命じた内容は、大きく分けて三つである。
一つ、自身の最大の目的を成就させる為の第一歩となる計画、これに必要な最大のピースである、黒贄礼太郎を模したタイタス10世を安全に目的地に運ぶ事。
二つ、タイタスの現状のマスターであるムスカの護衛。狂気に囚われた10世から保護する事と、他サーヴァントからの思わぬ危難からムスカを遠ざける事も仕事だった。
三つ、襲撃計画の推移が芳しくない時のフォローである。戦略・軍略についても目覚ましい才能を持つタイタスは、この計画が絶対に完遂出来る、とは思ってはいなかった。
大なり小なりの妨害行動にあい、及第点の結果を残せない可能性も、彼は読んでいた。
そうなった際のフォローを、始祖帝は、配下にして最大の友である、討竜の勇者である魔将ク・ルームに命じていた。これは魔将の中で最強の実力を誇り、かつタイタスが全幅の信頼を寄せるク・ルームにしか出来ぬ事柄だった。

 そして、今がまさに、そのフォローを入れる時だろうとク・ルームは踏んでいた。彼、そして始祖帝の思う以上に、計画の進行具合が芳しくなさ過ぎる。
本当を言えば、10世にはもっと暴れ回って貰う予定であった。仮にサーヴァントとの交戦になっても、数分は持ち堪えてくれるだろうと思っていた。
余りにも、10世の退場する時間が早過ぎた。十分。そう、十分持ち堪えてくれれば言う事がないと思っていたが、その半分の五分しか十世は持たなかった。
それ程までに、10世を退場させたライダー・大杉栄光が厄介な事の証左であった。10世が消えたのなら、計画は失敗か? 違う。
とどのつまり、この襲撃計画の要旨は何なのか。それは、黒贄礼太郎に扮したタイタス10世をその場で、或いはメディアを通じて目にする事で、アルケアの印象を強めさせ、アーガデウムの顕現を早めさせる事であった。極端な話だが、つまり、この計画による襲撃の実行犯は10世でなくとも良かったのだ。

 ――ク・ルームは、新国立競技場の襲撃、そして其処で行われた虐殺の首謀にして実行犯の汚名を、敢えて被る事にした。
襲撃の実行犯は、帝国の流れを色濃く組む人物ならば、誰でも良い。つまり、始祖帝の無二の友人にして、始祖帝が最初に魔将にした人物である、ク・ルームなら。
今回の襲撃のフォロー役――二の矢――に、相応しい人物であるのだった。

 新国立競技場の開閉式屋根の上から、ク・ルームは飛び降りた。
優に五十mは超えているであろう高さから迷いもなく飛び降りたこの勇士は、着地予定点に密集している人間の頭の上に着地する。
当然彼のグラディエーターサンダルに踏みつけられた人間は無事では済まない。
飛び降りた高さによる位置エネルギーと落下の勢いをもろに受けたその不幸な二名は、頭蓋骨を破壊され、首はあり得ない方向に捻じ曲げられ、顔中の穴から血を噴いて即死した。
ク・ルームの足場となった二名はもんどりうって倒れだす。そして、突如として二名を殺して現れた謎の男に、一同は困惑する。ク・ルームは競技場から逃げ出そうとするNPCに取り囲まれるような形になっているが、その事について全く臆した様子も見せない。
逆に彼を取り囲むNPCの方が、彼の放つ恐るべき鬼風に当てられ、怯んでいる程であった。

 飛び降りている最中に取り出した、刃渡り一五〇cmを優に超す二振りの大剣を無造作に横に振るい、一瞬の内に十人以上の人間をク・ルームは斬殺する。
忽ち、悲鳴が立ち昇った。恐怖は印象を艶やかに人間の脳に刻み込む。NPCの多寡が重要となるタイタスの宝具に於いて、NPCを無暗に殺す事は愚の骨頂だが、敢えて殺す事で印象を強めさせる事は、寧ろ『アリ』なのである。突如現れた謎の男の行動にNPCは恐慌状態に陥り、彼から距離を取る。
その様子はまるで、数千年前紅海と言う海を渡る際にその海を割って迫りくるエジプト軍から逃げて見せたモーセ宛らだった。

 ク・ルームは握っている二振りの大剣が雄弁に物語っている通り、剣術に於いては天稟とも言える才能を示す。
尾の一振りは大地を叩き割り、咆哮は雲を吹き飛ばさせ、溶岩流にも例えられる程の焔を吐く竜種の王を相手に、何日も持ち堪えたと言う逸話からもそれは窺えよう。
そしてク・ルームは優れた剣士であると同時に、魔術王タイタスから直々に魔術の手解きを受けた人物である為、魔導の才覚にも優れている。
その才能を以ってク・ルームは、目線の先百余m程先に、優れた隠形を行っている勇士がいる事を認識した。
ク・ルームにすら完全に姿を視認させられないとは、恐るべき手練だ。相手は、此方を誘っている。
恐らくは彼の周りに、大量のNPCがいる為、迂闊に攻撃を仕掛けられないのだろう。目で見えぬその相手は、勇者の心を持つらしいとク・ルームは悟った。
卑怯と罵られようが、相手がそう言った良心の持ち主ならば、今NPCが周りに多くいると言う状況を利用し、事を有利に運ぶのが兵法と言う物だろう。
この魔将もそれは理解している。だが、ク・ルームは相手の誘いに乗った。状況は此方の方が有利なのに、その有利を敢えて捨てる道を選んだ。
音を立てずに彼は、蟠っていたNPC全員よりも前に出た。まだ、相手――大杉栄光は動かない。

 其処から更に一歩、歩を進める。栄光はやはり微動だにしない。

 更に一歩。まだ動かない。

 また一歩。栄光は石像のように動く気配を見せない。

 一歩。空の天気でも眺めて呆けているのかと思わずにはいられない。やはり栄光は動かない。

 この地点で、ク・ルームは歩を止めた。
その場で立ち止まり、逆に、ク・ルームの方が微動だにしなくなったのである。彼は、栄光のいるであろう地点を、目深に被ったフードの奥で光る、鷹の目の如き鋭い目つきで睨んでいた。
栄光は唸った。魔将の睨む地点に栄光がいるからではない、自分が戦わねばならぬ魔将の武練の冴えに、だ。
栄光はあと一歩、ク・ルームが近づけば、亜音速で接近、蹴りを見舞う筈だった。それを見抜かれてしまったのだ。

 ――野郎……――

 其処で、十秒程の睨み合いが続いた。
たった、十秒。煙草に火を付け、紫煙を吐き出す時間と殆ど同じ。そのたった十秒で、栄光は、相手の技量を悟った。解法を使って調べるまでもない、恐るべき男。
サーヴァントではない。これも、解法で得た情報だ。サーヴァントではないのに、強い。
栄光がどう動くかを読み、自分の攻めを見立て、更にこちらが如何反撃するかを見越している。
栄光がそうであるように、ク・ルームも、先の先の先を読む手合いの猛者だった。いや、こと武術の冴えと言う点では、ク・ルームの方が一枚上手か。
夢を操る戦士・栄光は、邯鄲の夢と言う技術と、サーヴァントならではの宝具がある分、有利に立てているに過ぎなかった。
水を打ったような静かさだ、五分前まで此処が、アイドル達が煌びやかに歌い、踊っていた場所と説明されて、誰が信じようか。

 ――その、静かすぎて鼓膜が破れそうな程の静寂の中で、ク・ルームが左足を上げたのを、栄光は見逃さなかった。
それを見た瞬間、反射的に栄光は地を蹴り、時速一一七八キロで魔将の下へとカッ飛んでいた。だが、それがすぐにミステイクだと、移動しながら栄光は気付く。
ク・ルームはただ、左足を上げただけ、移動する気など初めからなかったのである。栄光は、完全にフェイントに引っかかる形になってしまった。

 栄光が滑り出したと殆ど同時に、小枝を振う様な容易さでク・ルームは左手の大剣を勢いよく薙ぎ払った。
栄光の身長程もある大きさの大剣を、竹刀でも振うような感覚で、この魔将は振う事が出来るのだ。何と恐るべき膂力よ。
このまま推移すれば、栄光の胴体は大剣の腹で真横から真っ二つにされる、それを防ぐ為に、風火輪を展開させた右足で大剣を蹴り抜き、迎撃を行う。
凄まじい音響が響いたと同時に、ク・ルームの身体は仰け反り、空中を浮遊しながら移動していた栄光は、斜め上へと吹っ飛ばされた。
亜音速の勢いを乗せた蹴りに対して、体勢を崩しもしないク・ルームの恐るべき体捌き。次の行動に移れる体勢に、彼の方が早く転じられたのは当然の理屈だった。
地を蹴ってク・ルームは、解法により一種のステルス迷彩を自身に施した栄光の下へと、正確に跳躍。そしてその位置は、ビンゴ、であった。
漸く体勢を整え終えた、と言う栄光に対し、ク・ルームは大剣を勢いよく振り下ろす。避けられない、栄光はそう思ったし、ク・ルームも仕留めたと思った。

 ――ク・ルームの顔が驚きに彩られる。肉を斬り、骨を断つ感触も伝わらない。血の一滴も空中にたばしらない。
素振りでもした様に、なにも存在しない空間をただ切り裂いた感触だけが、この魔将の太い腕に伝わるだけであった。
解法には物・事の構成要素を解体して攻撃を行う『崩』と、逆に己自身を解体する『透』と言うものがある。
栄光はその、解法の透を用いた。己自身の身体を解体する、と言うと物騒だが、噛み砕いて言えば己の身体に迫る物理的・魔術的アプローチを素通りさせるのと同じ。
つまりは、干渉を幽霊のようにすり抜けさせる、と言った方が解りやすい。栄光はこれを使って、ク・ルームの、鉄すら両断する程の一撃を回避したのだ。
内心ひやひやしていた栄光、透は失敗すれば大惨事に繋がる高度かつ危険の多い技術、ク・ルーム程の男の一撃を透で防ぐのをしくじれば、即栄光は戦闘不能だ。成功して良かったと、彼は思った。

 ク・ルームの一撃が空ぶったのと同時に、栄光はいつでも攻撃に移れる体勢に整え終えていた。
無論、攻撃を直に行った。フードに覆われた魔将の顔面に、栄光は勢いよく風火輪を装備した左足による前蹴りを放つ。
しかし相手も凄い、攻撃に使っていなかった左の大剣の腹で、栄光の一撃を防御。だが、不安定な姿勢に空中での防御だった為か。
蹴り足の伸びた方向にク・ルームは吹っ飛ばされる。それを栄光が追う。重力と慣性を解法で制御、尋常の物理法則下では有りえない程の初速で、彼はク・ルームに追い縋った。

 インフィールドの天然芝の上に、ク・ルームが着地する。それと同時に栄光が、魔将の顔面に膝蹴りを叩き込もうとするが、彼はそれを芝の上を横転する事で躱す。
蹴りが回避されたと栄光が思うと同時に、彼は直角に折れ曲がるような軌道を描いて移動すると言う、慣性の法則を馬鹿にしているような変態的軌道修正を行った。
修正先は当然、ク・ルームの方である。剣による迎撃が間に合わないと悟った、この恐るべき魔将は、タイタスより学んだ魔術の奥義を一瞬で発動させる。
ク・ルームの到達まで後十m程、と言う所で、突如として空間に迸り始める黄金色の超高圧の放電現象が迸る。
蜘蛛の巣の如く張り巡らされた、稲妻の巣を、栄光は解法の『崩』と言う技術を用い、解体。ク・ルームの放った雷の魔術は、千々に砕け散り無害化された。
これで仕留められるとは、ク・ルームも思っていない。崩で魔術を解体する際、栄光は一瞬ではあるが移動速度を落とし、その際にこの魔将は一呼吸つく事が出来た。
その、一呼吸吐くと言う動作が重要なのだ。武人にとって、一回呼吸を入れられるだけの時間は、己の身体のリズムを整える為に必要な最小単位。
ク・ルーム程の勇士が行う一呼吸の間は、彼を防勢から攻勢の姿勢に変じさせるには、十分過ぎる程のものがあった。

 迫る栄光にク・ルームが大剣を振う。右だ。右の大剣を、垂直に一閃させた。
栄光は慣性を制御し、物理法則を無視した急ブレーキをかけ、大剣の範囲外で急停止。ク・ルームが大剣を振り終えた、その隙を狙い、再び栄光は彼の下へと突進する。
そして、蹴りの間合いに入った栄光が、その胴体に右足による蹴りを行い、それが――クリーンヒットした。

「ごぉ……ッ!?」

 距離を思いの外とる事が出来なかった為に、突進の際の速度は時速二百キロ程と、風火輪の最高速の十分の一を遥かに下回る勢いしか出せなかった。
勢いが出せなかった代わりにしかし、栄光はその一撃に解法の崩を纏わせていた。物質や事象を解体――崩壊――させる一撃を、生きた人間に放てばどうなるか? 
当然、生きたまま身体を解体される為大ダメージ、或いは致命傷を負わせる事が出来る。屈強な肉体を持っているとか、物質的に頑丈な程度では、解法は防げない。
ク・ルームとてそれは同じ。栄光の解法の事を知らない彼は、余りにも不自然な程の大ダメージに目を見開き、その口腔から大量の血を吐き出していた。

 ――こいつ、嘘だろ!!――

 解法により、ク・ルームがサーヴァントでない事は解っていた。
そして今初めて生身に触れた事で、この男が一種のアンデッド、より言えば幽鬼に近い存在だと言う事も知った。
だが、本当の驚きは、そんな事じゃない。この男――解法の崩を、これ以上となく完璧に打ち込んだのにまだ――――

 首根っこを何かに掴まれる感触。栄光の首は、大蛇の身体で締め付けられているかの様な、信じられない力で抑えられた。
ク・ルームだった。地下水が湧き出るように、口から大量の血を流しているこの魔将が、大剣を持っていない左の手で栄光の首を抑えているのだ。
気付いた時にはもう遅い。ク・ルームは、わざと栄光の攻撃を受けてから、カウンターの要領で彼を迎え撃つつもりだったのだ。
唯一にして最大の誤算は、この青年の勇者が纏わせていた解法の崩が、ク・ルームの予想を超えて凄絶な威力を誇っていた、と言う事だが。

 ク・ルームの握力は凄まじいものだった。気道が完全に塞がれる形となる栄光。呼吸が出来なくなって解法による迷彩の安定が難しいのか、その姿を露にさせてしまう。
想像以上に幼いではないか、とク・ルームは評する。理想の成就に燃えていた時の、神の子の如く聡明で、そして若かりし時代のタイタスをク・ルームは思った。
本気で握れば、この青年の勇者の喉を抉り取る事が可能であろう。そして実際、ク・ルームはそれを行うつもりでいた。
栄光の行った解法が効いている。恐らく後十秒程で、自分の命が一つ尽きると彼は考えていた。しかし、ただでは命を一つ失わない。このまま栄光を殺し、道連れにする心算なのだった。

 いざ、と左腕に力を込めようとするが、左腕に力が入らない。
代わりに、どさっ、と言う、天然芝に栄光の転がる音が聞こえて来た。彼の喉元には、ク・ルームの左手が掴まれたままであった。
そして、ク・ルームの左腕の、肘から先が存在しない。何と、見事な切り口だと、ク・ルームは内心で唸りを上げた。
痛みと流血すらも遅れさせる程の、恐るべき剣捌き。そう思った瞬間には、ク・ルームの身体は、数百のパーツに斬り崩されていた。
右手に持っていた大剣をもお構いなしに、豆腐の如く切断するその剣技。痛みを感じる間もなく、こうして魔将の一人は第一の命を終えた。
斬り崩されたク・ルームの身体。彼の身体から流れていた血液は、彼の命が潰えたと理解した瞬間、液体から灰になり、彼の身体もまた、骸を晒す事を由としなかったか。うず高い灰の堆積となり、風もないのに何処かへと舞い散って行った。

 漸く塞がれていた気道が確保され、呼吸が漸く可能となる栄光。
しかし、安心など出来る筈がなかった。解法を用いて実力を解析するまでもない程の圧倒的な脅威が、目の前に佇んでいるからだ。
栄光の目の前には、気障そのものとしか言いようのない蒼コートを己の身体の一部の如くに着こなす、銀髪の美男子が、鞘に刀を優雅に納刀していた。
槍の穂先よりも遥かに鋭いその目線で睨みつけられれば、狂犬ですらが己の腹を見せる服従のポーズを辞さないだろう。それを栄光に向けているのであるから、堪らない。少年漫画のインフレみてーだ、と、頭の何処かで栄光が思った。目の前に佇む、蒼コートのアーチャー――バージルは、あのク・ルームを超える程の武錬の持ち主であるからだった。こんな奴らが当たり前のように招かれる聖杯戦争に、己が召喚された事実を栄光は心の底から呪うのであった。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 率直に言うと、あかりやバージルですら、今競技場内で起っている事態については予測出来なかった。
聖杯戦争の関係者同士の接触は、予測はしていた。だが、リスクを考えれば、戦闘になど絶対に発展し得ない。それが、二人の見解だった。
当たり前だ。こんな所でサーヴァント同士がぶつかればその余波だけで、討伐令が下る程の数の死者がすぐに出てしまう事は、想像に難くないのだから。

 そのあり得ない事態が、現実に起こっている。
突如として現れた黒贄礼太郎――を模した偽物の何かとはまだ気付いていない――は、千人にも届こうかと言う程のNPCを、十分足らずで殺害して見せた。
アイドル達の姿が良く見えるボックス席、それもメインステージに近い側の席に案内されていたあかり達は、その時の惨劇を余す事無く目撃出来た。
心底、胸糞の悪くなる光景だった。聖杯を狙う以上、あかりもバージルも、人を殺す事に何の躊躇いもない。だが、無差別の殺人となると、眉を顰める。
道理を無視した、無軌道な殺人に対しては、二人は良いイメージを抱かない。遠坂凛やセリュー・ユビキタスの時だってそうだった。
要するに、現状に於いて黒贄礼太郎とそのマスター遠坂凛は、あかり達にとっては殺しておきたい敵なのだ。令呪が手に入るのだから猶更だ。

 では、今すぐ襲いに掛かるか、と言われれば、それは愚かしい選択だと言わざるを得ない。
そもそも此処はつい数分まで、アイドルのライブコンサートを実況生中継していた会場である。つまり、テレビやネット配信がリアルタイムで行われている状況だ。
恐らくだが、カメラは今も回り、各種メディア媒体に、黒贄の暴れ回る姿が放映されているに相違ない。そして黒贄も、その姿を見られる事を目的としている。
何故、見られる事を目的としているのか? あかり達の今いる場所、即ち、他の観客席より高い場所に位置するボックス席から見れば一目瞭然。
あの黒贄は、明らかに『カメラマンに対する攻撃を避けている』。意識して自分の行動を衆目に晒しているのはこの点から見ても明白だ。
このように、カメラが回っている現状でバージルが出向き、大立ち回りをすると言う事は、己の戦いぶりの一部を全国に晒すに等しい。これは避けたかった。
そのカメラを破壊してから戦うと言う選択肢もあるが、それを行う必要性もないし、今黒贄と事を争う必要性も、あるかどうかと言えば、是が非でもと言う程ではない。

 つまりあかり達は、NPC達を見捨て、此処から退散するするつもりなのだ。
NPC達は、突如として大震災や台風などと言った、自然災害に見舞われたと思ってこの状況を諦めて欲しいと、あかりは思った。
今から入口に戻っても、大量のNPCでごった返してる最中だ。自分の周りにいたNPC達は既に元来た場所へと逃げ出している。あかりだけがボックス席に残っていた。
バージルの力を使えば無理やり脱出出来なくもないが、それだと目立つ。数分程経過してから、遅れた体を装って脱出しよう。そう考えていた。

【随分余裕な態度だな】

【アーチャーがいるんだったら、そりゃ強気の態度にもなるわよ。いなかったら遁走するけど】

 サーヴァント、それも誰の目から見ても強い事は明らかな、バージルを従えているのである。
彼が語ったような、余裕にも程がある脱出作戦を実行に移すのも、当然の事と言えよう。
後どれ程で、NPCの混雑が減るであろうか。そんな事を考えながら、競技場内での光景を見て、あかりは目を見開いた。バージルも、同じようなリアクションだったに相違ない。

 黒贄礼太郎が、目に見えぬ何かに吹っ飛ばされ、その後、何か抵抗をしていたらしいが、抵抗も虚しくそのまま消滅した。
あかりの目には、そう見えた。客観的にはそう見えるだろうが、明らかにおかしい点があり過ぎる。そもそも何故あの黒贄は、何も無い空間に対して暴れ出したのだろうか?

【何も無いと言うのは違う。あの黒礼服のバーサーカーは、明らかに何者かの手によって処理された】

 念話で、バージルが捕捉を入れる。やはり、サーヴァントの目からは、今の光景の異常さが明白であるらしい。

【今の一件で解った事だが、今のバーサーカー、討伐令の対象であるあのバーサーカーではないらしい】

【? どう言う意味?】

【遠くから見ただけで確証はないが、討伐令のバーサーカーを何らかの手段で模倣した怪物、と言う言い方が正確か。俺にはそう言う印象を受けた】

 模倣した怪物、と言う言葉に引っ掛かり、あかりは先程の光景を思い出してみる。確かに、バージルの念話内容と合致する点があった。
一瞬だけ、黒贄礼太郎としての顔が崩れ、醜い顔面を晒していた時間が、あの時存在した。あれが本来の姿で、黒贄としての姿は、一種の上っ面。
テクスチャの様なものであったと言うのか。だが此処で問題となるのは、如何して黒贄の姿を真似る必要があったのか? そして、今回の事態を引き起こした主犯格は?
この二つだ。前者の方は容易に理由が推察出来る。黒贄は聖杯戦争の参加者どころか、NPCにも名と顔が売れている凶悪殺人鬼だ。
ならば、あの殺人鬼が今回の事態を引き起こしても何らの異常性もないし、寧ろ皆やりかねないと思うであろう。つまりは、濡れ衣を着せる事が出来るのだ。
黒贄と言うサーヴァントを隠れ蓑に、本来意図していた事柄を達成させる腹づもり、此処まではあかりも理解出来たし、それを説明してもバージルは異論を挟まなかった。

 だが最大の問題は、誰がどんな目的で、今回の事件を引き起こしたのか?
悦楽目的で終らせるのならば話は簡単だ。だが、そうではないだろう。討伐令を発布されると言う事は、もう同盟と言う有効的手段が使えないのと同義。
リスクが高すぎる。そのリスクを何の考えなしに犯すと言う事が考えられない。つまりは、何かしらの目的がある筈なのだが、それが理解出来ない。

 ――そんな事を考えていると、またしても、予期せぬ展開が続いた。
新国立競技場の、観客席部分を覆う屋根、その上から黒灰色のローブを纏った、蛮族風の出で立ちと背格好の大男が飛び降り、NPCの上に着地。
その後、手に持っていた大剣を振ってNPCを何人か斬殺した後、黒贄礼太郎――に扮したタイタス10世を消滅させた、サーヴァントと思しき存在と、男が激突。
触手細胞を埋め込まれた事と、エンドのE組での訓練によって、常人を遥かに上回る身体能力を得た筈のあかりでも、目で追うのがやっとと言うレベルの戦闘が始まった。
目で追うのがやっとと言うが、実際には何が起っているのかてんで理解出来ない。何せ、黒灰色のローブの男、ク・ルームの相手。
即ち大杉栄光は、魔術の適性のない人物から見たら透明な状態であるのだ。傍目から見れば、ク・ルームが一人で凄まじい演武を行っているようにしか見えないのである。

【見える? アーチャー】

【余程の手練だな、直感的に位置を割り出せはするが、姿がまるで見えん】

 アーチャーですらこれなのだ、如何なる技術を用いていると言うのだ、相手のサーヴァントは。

【どちらにしても、言える事は一つだ。今あの男と戦っているサーヴァントは、競技場での殺戮に義憤を抱き、こうして戦っている可能性が高いと言う事】

【つまり?】

【……『正義感』がある、と言う事だ】

【――あ、同盟が組めるって事?】

【そうだ】

 考えてみれば、誰でも連想出来る。
ドライな性格の持ち主であれば、例えこの場でNPCの殺戮が起ろうとも、知らぬ存ぜぬ風を装って、何とか此処から脱出するのが当たり前だ。
何せ、衆目の前で戦うと言うのは、先に述べた通りリスクの方が大きいからだ。それを承知で戦うと言う事はつまり、正義感に溢れる者か、或いは、馬鹿か。
どちらでも良い。そう言う存在ならば、同盟を組む相手としてはうってつけと言う事を意味する。
あかりとバージルの主従の言う同盟とは、文字通りの意味ではない。自分達が聖杯を手にする間までの露払い、用が終わればお役御免の盾に過ぎない。
正義感の強い者ならば、あかりの演技で相手の望む風に振る舞って操れるだろうし、馬鹿でも結果は同じ。同盟と言う名の盾役としては、うってつけなのだった。

【このまま、あの男と戦っているであろうサーヴァントに恩を売る事が同盟への近道だろう。だが、それだと俺が衆目に姿を晒すと言うリスクを負う。いざとなればそれも已む無いだろう。後は……お前の返事だ。どうする】

 あかりは考える。
自分の引き当てたアーチャー・バージルを、彼女はかなり信頼している。油断出来ないサーヴァントであるし、今でもこの男の真意は量りかねる所がある。
だが、強い。そして今のように、自分の意見もそれなりに聞いてくれるし、尊重もする。無論、あかりと言う人間が彼のマスターだからと言うのも大きいだろう。
その程度でも良い。一応は、自分の事をマスターだと認めてくれている事の証なのだから。バージルは間違いなく、優秀なサーヴァントだった。

 そんなサーヴァントが、苦戦する程強い存在が、此処<新宿>の聖杯戦争には何体も招かれている事をあかりは知っている。
バージル曰く、強壮な悪魔が人間に化けていると言うランサーと、先程新しく討伐令を公布された、バーサーカー、クリストファー・ヴァルゼライド。
彼らは強い。バージルは口でこそ彼らの強さを認めてはいないが、内心では唸る程の強敵だと認識している事が、あかりにも伝わってくるのだ。
この聖杯戦争、ただ己の力を誇示するだけでは間違いなく詰む。ある程度の搦め手を行う必要があると、あかりは踏んでいたし、バージルもその必要性を認めていた。ならば――

【アーチャー。貴方に任せるわ】

【ALL right。危機に陥ったら、俺を呼ぶか、安全な所まで非難しろ】

 其処でバージルは、一瞬で実体化した後、ボックス席から跳躍。
フィールドまで高さ何十mもあろうかと言う所から、何の迷いもなく空中に身を投げ、それと同時に、己の周りに浅葱色の魔力剣、即ち幻影剣を展開させる。
それをバージルは、殺戮が起っているにも拘らず、逃げ出さずに豪胆過ぎるTV局の関係者が回している放送カメラ目掛けて射出。
速度を抑えに抑えて、時速三百キロ。幻影剣が、この場の全ての放送用カメラに突き刺さる。「うわっ!?」と言う声が聞こえてくる。慌ててカメラを落とす音も。
これで、此方の姿が放送される心配はなくなった。無論、スマートフォン等のカメラ機能などで撮影される可能性もあるが、それが問題にならない程激しく、素早く戦えば良いだけの話だ。

 高度三十m程の所から、バージルが落下運動を始め出した時には、ク・ルームは大杉栄光の喉をその手で掴んでいる最中だった。
ク・ルームが、わざと力を加減して嬲り殺しをするような、意地の悪い性格をした男だとはバージルは思っていない。だからこそ急いだ。
瞬間移動を繰り返し行い、一瞬でク・ルームの背後に回ったバージルは、閻魔刀による神速の居合を何度も彼の身体に走らせ、彼を握っていた大剣ごと割断、百数十以上の肉片に変えて即死させる。閻魔刀が魔力を喰らい、己の魔力が満ちて行くのを感じる。あかりがバージルを動かすのに、多少の足しにはなるだろう。

 チンッ、と、閻魔刀の刀身を鞘に納刀する、小気味の良い音が響き渡る。
バージルがカメラを破壊してから、ク・ルームを斬り殺すまでの時間は、ゼロカンマ三秒掛かったか否かと言う程の、恐るべき短さであった。

「……アンタ、何者だ?」

 せき込む事も忘れて、栄光が口にする。距離の問題か、掠れた念話がバージルの脳内に木霊する。クラスは、ライダー。

「物の道理が解りそうなサーヴァントだったのでな、助け船を出したまでだ」

 その事については嘘はない。道理が解らないサーヴァントであれば、閻魔刀の錆にし、サーヴァントの身体を構成する魔力を喰らい尽くしていた。

「っ、イヤそれより気を付けろアンタ!! アイツはまだ死んでない!!」

 何、と怪訝そうな顔を浮かべるバージル。だがすぐに、栄光の口にした事が事実だと理解したらしい。鞘に納刀していた閻魔刀の柄に、手を掛ける。
栄光はク・ルームを解析する際に、彼の正体の他にもう一つ、彼が有している不思議な代物の正体も解析していた。
それは、宝具ではないのに、下手な宝具よりも遥かに強いと言う理不尽が形を成したような代物である。それは即ち、ク・ルームの纏う外衣。
彼らは知らないが、始祖帝・タイタスが口にする所の、魔将の外衣である。ク・ルームの持つそれの効果は――『死んでも蘇る』、と言うもの。

 風を孕んで、バージルが切り刻んだ魔将の外衣が空中に散っていた。炭になった葉が、風に煽られ散っているように見える。
だがある瞬間、散っていた魔将の外衣の布きれが一点に集中して行き、それが元の外衣の形状に完全に戻ってしまう。縫い目などと言う不細工な物は、当然見られない。
そして、外衣の内側に再生されて行く。内臓、骨格、中枢・末梢神経、血管、リンパ管、筋繊維、皮膚。順繰りに超高速で再生して行く。
一秒かからずに、元のク・ルームが、十全の状態で復活していた。バージルが破壊した、両の大剣も、健在であった。

 両手に大剣を握った魔将ク・ルームが、四m程の高さから芝生の上に着地する。バージル達との距離は、六m程の所。
バージルが黒灰色の戦士の姿を一瞥した、刹那。ク・ルームが勢いよく左方向にステップを刻み、今いる所から更に七m、距離を取った。
彼らしくない焦燥の色がその動作には見えた――と見るや、先程までこの魔将がいた空間に、青色に光る空間の断裂があらゆる方向に走り始めたのだ。
スパーダが遺した三振りの魔剣の一つ、閻魔刀。これにスパーダの息子であり、超絶の技量を持つバージルが振う事で初めて成立する奥義・次元斬。
閻魔刀によって行われる空間切断は、物理的特性・魔術的特徴に関わらずあらゆるものを切断する威力を持ち、何よりも発動する際に音も光もない。
放たれた瞬間に命中が殆ど確定する魔剣だが、これを野性の勘で避けるとは、ただ者ではないと、バージルはク・ルームを評価した。

 約十m近い距離を、一足飛びでゼロにする程の速度で、ク・ルームがバージルの方へと迫る。大剣の間合いだった。
彼の首目掛けて刺突を放つク・ルームだったが、何とバージルは、閻魔刀の切っ先を寸分の狂いもなく、この魔将が突き立てた大剣の剣先と衝突させ、拮抗させる。
何たる、神技か。ク・ルームは元より、栄光ですら目を剥く。このサーヴァントは明らかに、栄光の知る中で最強の剣士である、幽雫宗冬よりも格上だった。

「こいつは俺が仕留めておく。貴様はこの事態を眺めている首謀者を殺して来い。その後、話をする」

 閻魔刀の剣先で、大剣の剣先を押し返しながら、バージルが言った。二人で戦った方が、早いだろうと栄光は思う。
しかし先程、サーヴァントでもないク・ルームに殺されかけると言う失態を見せてしまった上に、バージルと言う存在が余り信用できない為、一緒に戦うのも憚られる。
そして何よりも、バージルの提案はかなり理に適っている。バージルは知るべくもないが、栄光の神髄は解法を用いた戦闘の他に、卓越した解析技術がある。
これがあれば、新国立競技場にいるかも知れない、ク・ルームを操る本体を割り出す事など造作もない。仮にいなかったとしても、相手がかなり遠い位置から、
このような遠大な計画を実行に移せる程の技者である事が解るだけ。どちらにしても事態は進展する。そしてその事態を進められる役は、現状栄光が一番適している。

「オーケー、急いで探してぶっ倒してくる。それまで生きててくれ!!」

 言って栄光は、脚部に装着した風火輪からバーナーファイアーを迸らせ、別所に待機させていた、マスターの伊織順平の下まで向かって行く。
移動の最中、解法の力を用いて再び認識阻害と透明化を己に施させた後、順平の下で何かを話し、その後、順平は栄光を引き連れて別所に移動を始めた。
順平が移動を始めた頃には、彼の周りの席にいたNPC達は粗方移動を終えており、随分と通りやすい状態になっているのだった。

 ――栄光の姿が消えたその瞬間、大剣の切っ先と閻魔刀の切っ先が密着している箇所が、両者の力で爆発した。
一時に多量の力を込め過ぎたせいで、お互いが思いっきり後方に吹っ飛ばされる形になった。
互いに天然芝の上に着地し、お互いの得物を構える。ク・ルームは両手に持った大剣を、身体の前で交差させるように構えた。
バージルは納刀された状態の、半身にも等しい愛刀・閻魔刀の鞘に手をかけていた。
互いが互いを睨みつけていた。彼我の間には、恐るべき殺意が嵐の如くに荒れ狂っており、地面の芝ですら枯死する道を選びかねない程の、圧倒的な緊張感である。

「You dared to challenge me?(勝てるとでも思っているのか)」

「……」

 挑発に動じる程、ク・ルームは愚かではない。だが、彼も認識していた。
バージルは、抱いている自信に相応しい程の実力を誇る、恐るべき魔人である事を。
自分がこれから矛を交えようとしている存在は、始祖のタイタスですら膝を折りかねない程の、屈指の強敵である事を。

 バージルの右腕が霞んだのを、辛うじてク・ルームは捉える事が出来た。彼程の烈士ですら、バージルの居合の瞬間を捉える事が出来ない。
右方向にステップを刻むと同時に、次元斬がク・ルームの佇んでいた空間に縦横無尽に走りまくり、それに左腕と其処に握られていた大剣が呑まれた。
この魔将の技量も合わされば、鋼の塊ですら切断する程の大剣であるが、関係ない。次元斬に巻き込まれた瞬間、左腕は二頭筋の中頃から、大剣は剣先から柄まで全て、バラバラに斬り刻まれた。

 切断された左腕から血を迸らせながら、ク・ルームは魔術を発動させる。
すると、彼とバージルの間の空間に、ポッカリとした黒洞が空き始めたではないか――と見るや。
空間に穿たれたその黒い穴が、凄まじいまでの吸引力を発揮し始めた。その様子はダム穴、いや、ブラックホールと言うべきか。
天然芝の上に堆積されていたバラバラの死体は愚か、芝生の生えている土ごと、ボコボコと引き抜かれる様に徐々に吸引されて行き、その空間に空いた穴に呑まれ、
何処ぞへと消え失せて行く。これぞ、タイタスから伝授された魔術の中でも最高位に属するもの、奥義・魔界門。
空間にある種のワームホールを生みだし、其処に吸い込まれた者を異次元に放逐させる、恐るべき魔術だ。
魔界門が発する吸引力に耐えていたバージルだったが、彼の鉄面皮には、一切の揺らぎがない。汗の一つもかいていない。
つまらぬ技でも見るような目で、ク・ルームの成立させたその魔術を見てから、バージルは魔界門の黒穴へと駆けて行く。
そして、正に魔界門に吸い込まれる直前で、閻魔刀を高速で一閃。――誰が、信じられようか。バージルは、空間的な事象であるワームホールを、閻魔刀の魔力と己の技術を以って、十二の破片に分割してしまったのだ。これによってワームホールは事象として成立出来なくなり、千々と砕け散り、この世から消滅する。

 ク・ルームは、驚くに値しない光景だと思った。バージルならやりかねないと思ったからだ。 
故にこそ、魔界門が破壊されたその瞬間、地を蹴ってバージルの下へと向かって行った。魔術による攻めは通じ難い事を理解したからと言う点に加え、もう一つ。
明らかに閻魔刀で魔術を破壊した瞬間、彼の魔力が回復しているのをこの魔将は感じ取っていた。それは気の迷いでも何でもなく、真実だった。
閻魔刀は魔力を喰らう刀、それによって破壊された魔術は、閻魔刀の剣身を通じて、バージルの行動の糧になる。それを防ぐ為に、ク・ルームは肉弾戦を行う事にしたのである。

 ――だが、バージルと言う魔剣士を相手に、接近戦で有利を取れるかと言えば、話はまた変わってくる。
次元斬により左腕を失っただけでなく、タイタスによって呼び出され、生前よりも遥かに実力が劣る状態でいる今のク・ルームが、バージルを圧倒出来るのか?
その答えが今、明らかになっていた。

 流星の如き勢いで袈裟懸けから振り下ろされたク・ルームの大剣をバージルは、閻魔刀が納刀された状態の鞘で防御。
鞘自体も超常の物品らしい。ク・ルームの腕に伝わる、鞘を迎え撃った時の感覚は、圧縮された鋼を殴った時のそれであった。
大剣による恐るべき一撃を防御されたとク・ルームが思うや否や、バージルが魔速の境地に達した居合を行って来た。それを受けてク・ルームが飛び退く。
腹部を二cm程も裂かれた、其処から腸がそぞろと垂れだした。常識で考えれば戦闘の続行など不可能な程のダメージである。
しかし、この程度の損傷で済んだ事が既に奇跡だった。反応が百分の一秒遅れていれば彼の身体は両断され、間違いなくク・ルームの二つ目の命は失われていたのだから。
そして、腸を裂かれた程度では、ク・ルームの戦闘に対する意欲は消えない。激痛を気合で堪え、この魔将は大剣を猛速で横薙ぎに振るった。
それに対応し、バージルは己の目の前で閻魔刀を超高速で回転させ始める。パァンッ、と言う音がバージルの前で聞こえて来た。ク・ルームの放った真空波を破壊する音だった。

 ク・ルームの放った真空の刃を破壊したと殆ど同じタイミングで、バージルは己の背後に、無数の幻影剣を展開させる。
浅葱色をした魔力剣の剣先は、当然のように敵対しているク・ルームの身体に向けられており、お前を殺すと言う意思が物を語らずとも伝わってくるようであった。
音に数倍する速度で、幻影剣が放たれる。不死身の魔将の急所目掛けて寸分の狂いもなく放たれた幻影剣に対し、彼は雄叫びを上げて特攻。
大剣を一振りさせ、迫る浅葱剣十二本の内七本を粉々に破壊する。残りの五本が、肝臓と左肺、鳩尾と喉と左大腿に突き刺さった。それでも、ク・ルームは止まらない。
暴走した戦車の如き勢いでバージルの下へと走り続ける。其処は既に、この魔将が振う大剣の間合いだった。
音の二倍近い速度で振るわれた大剣を、バージルは抜き放たれた閻魔刀の剣身で防ぐ。
鼓膜が裂けるような金属音と、ファイヤスターターを打ち付けたような大きい火花が虚空に散った。明らかに大きさも質量も違う筈の大剣と刀が、打ち合えている。
であるのに、シャープな剣身が特徴的な閻魔刀は折れるどころか刃こぼれすら起こさない。バージルの振るうこの刀が、嘗て伝説の大魔剣士と称されていた大悪魔が奮っていた魔刀である事の何よりの証左であるのだった。

 片腕だけ、しかも左腕がバージルの絶技で斬り落とされ、急所に幻影剣の突き刺さった状態であると言うのに、ク・ルームの膂力は尚も健在だった。
閻魔刀による防御を、単純な片腕の腕力で大剣と閻魔刀による競り合いに打ち勝ち、体勢を崩すと言う力技で破った。
バージルの体勢の不安定は、常人が見た程度は、いや、達人ですらも一目でそれと解らない程巧妙に隠されている。しかし、ク・ルームの目は誤魔化せない。
重心の位置が曖昧になったと見抜いた彼はその瞬間、右手の大剣をあらゆる方向に超高速で振るった。その全てが、音が遅れて聞こえる程の速度であった。
右腕だけで、何本も増えたとしか思えぬ程の速度で、一秒間の間に何度も大剣を振いまくるが、その攻撃を上回る速度で閻魔刀を振いまくり、バージルは防御を続ける。
ある方向で、戛然とした金属音が響いたと思ったら、間髪入れずにまた別の個所で戛然たる音が響き、また別の場所でその音が響く。
普通の耳では、金属音がゼロカンマ一秒の間もなく連続的に響いてる様にしか聞こえないだろう。それ程までの、両者の攻防の速度であった。

 瀑布の如き勢いを以って行われる大剣の振り下ろしを、バージルは閻魔刀の柄尻で弾き飛ばす。
弾き飛ばしてから、流れるような動作で次の動作に以降、蒼いコートの魔剣士はそのままの勢いで閻魔刀を中段左から、見事なまでの水平角度で斬り払う。
バージルの放ったこの攻撃を、不死の魔将が大剣の腹で受け止める。耳朶を震わせるほど大きい金属音が、火花と共に散って行き、その余韻も覚めやらぬままに、ク・ルームは下段から大剣を振り上げる。
これを正に、刹那の見切りとでも言う程ギリギリの位置でバージルが回避する。後一mm、位置がズれていたらどうなっていた事か。
大剣の切っ先が最高高度に達した瞬間、バージルは背後に幻影剣を展開させ、それを射出。本数は六本。しかし、ク・ルームの方も目が慣れたと見える。
バージルの身長に限りなく近い大きさの大剣を、ナイフを振うが如き器用さと精密さで振るって行き、幻影剣を叩き落として行く。そして、ただ叩き落とすだけじゃない。
幻影剣を破壊すると同時に、それを放った主であるバージルにも攻撃を行っているのだ。そしてその攻撃をバージルは、鞘と本身を利用し捌いて行き、此方の方も捌きながらク・ルームへと反撃を行っていた。

 常人には何が起っているのかも理解不可能な程の速度と密度で行われている、ク・ルームとバージルの攻防の応酬。
どちらが有利でどちらが不利なのかなど、解るべくもない。それを判定する事が不可能な程、彼らのやり取りは異次元の域にあるのだから。
地面に転がっていた、タイタス10世の手による死体は、二人の烈し過ぎる剣戟の応酬で、更に粉々、バラバラの状態にまで砕け散って行き、遂には、彼らの周囲数mの空間に転がっていた屍は一つとして原形を留めている者がなくなり、その全てが、血肉の細かい霧となるだけであった。

 こんな地獄の只中の様な空間、誰だって目を背けるに違いない。
凄まじい速度で行われる攻防もそうであるし、余りにも凄惨無比な光景は、見る者に吐き気を催させ、胃の中身を逆流させてしまいかねない程のパワーを秘めていた。
……だが、見る者が見れば、どちらが劣勢に立たされているのかは、疑うべくもない。明らかだった。劣勢に立たされているのは、ク・ルームの方。
どれ程強かろうが、タイタスの呼び出した使い魔と言う本質から逃れられない彼と、サーヴァントと言う高次の霊基から成る兵器であるバージルでは、地力が違い過ぎる事が一つ。そしてもう一つは何と言っても、片腕と言うハンデ。両腕で大剣を握っている状態で漸く、まともに対抗出来るレベルなのだ。
片腕しかない状態で、技術と身体能力を高いレベルで組み合わさったこの魔剣士と渡り合うと言うのが、どだい無理な話。
それでも今まで拮抗を維持出来たのは、ひとえにク・ルームと言う魔将の戦闘経験と技術、そして魔将としての身体能力が、卓越したものであるからだった。

 そして、二度目の審判の時が訪れる。
音の六倍の速度で振るわれた閻魔刀が、ク・ルームの身体をその大剣ごと胸部から横に真っ二つにした。
彼の上体が宙を舞う。未だ彼の身体には、バージルの放った幻影剣が突き刺さっていた。だが、まだ終わっていない。
ク・ルームの命が潰えたその瞬間、彼の身体は塵になり、風もないのに何処かへと舞い飛んで行く。
魔将の外衣はそれ自体が意思を持っている燕の如くバージルから距離を取り、彼から十m程離れたインフィールドの芝生の地点で、ク・ルームの肉体を再生させる。かくて、ク・ルームは三度目の生を得た。

 ついでと言わんばかりに再生した双大剣を再び構えるク・ルーム。
心底煩わしそうにバージルは髪を掻き揚げ、見下ろす様に、見下すように、上半身をやや反らしながら、口を開く。

「実力の無さを数ある命で誤魔化すのか? 後幾つ命があるか教えるのなら、残りの命の分だけ苦しまずに一太刀で斬り殺してやる」

 ク・ルームは答えない。フードの奥の鋭い眼光を、バージルに投げかけるだけ。
再び次元斬を用い、彼の身体をバラバラにしてやろうかと思った――その瞬間だった。
バージルもク・ルームも、示し合わせたように、顔を右方向に向けた。その方向にただならぬ数と大きさの敵意を、敏感に感じ取ったからだ。

 観客席の方に、奇妙、としか言いようのない生命体――と、表現する事も憚られる存在がいた。
それは、リンを身体に塗ったように蒼白く光る身体を持っていた怪物である。その最大の特徴とも言えるのが、直径にして三~四m程もある、巨大な頭部だろう。
頭部とは言ったが、其処に目も鼻も口も耳もない。その存在が、辛うじて人の形をしていると言う事が直感で解るから、そう表現しているに過ぎない。
人間の頭部に本来あって然るべき全ての器官や部位がない事も奇妙だが、その頭に、TV映像のモザイク処理じみた紋様が秒単位で蠢いている、と言うのも奇妙さに拍車をかけていた。頭の大きさに比して、その胴体は貧弱そのものだった。
通常の人間よりも大きさ自体はあるが、巨大な頭を支えるには余りにも小さい。その証拠に頭の重さを胴体が支えきれないのか、四つん這いの状態になり、前掲姿勢を取らねばならないようだ。

 その怪物を見た瞬間バージルは、あらぬ方向に幻影剣を射出させた。
当然、青白く光る怪物を狙ったのではない。マスターである、雪村あかりが隠れている場所をやや外した所を狙ったのだ。
この場所から距離を取れ、と言う合図である。怪物の現れた場所とあかりの隠れている観客席の方向が同じだった為の処置だ。
あかりも、バージルが送った幻影剣の意図に気付き、急いでその場から退散し始めた。ク・ルームは、誰がマスターなのか気付いた事だろう。尚の事、殺し切らねばならない。

 ――あかりが退散し始めたのを契機、現れた怪物と同じ者達が、二体、四体、六体、十体、十二体と、次々と現れて行く。
観客席の上空に空いた、先程ク・ルームが発動させた魔界門の呪文に似たワームホールから、バチバチと言う放電現象を伴わせて、続々と落下。
遂にはバージル達の視ている観客席の全てが、その謎の怪物に埋め尽くされる形となった。

 これが、ク・ルーム及び彼を操る首謀者の差金でない事は、バージルにも解る。
表情こそ窺う事が出来ないが、彼の身体から発散される雰囲気が、明らかに想定外の事態に出くわした時のそれであるからだ。
雲一つない天気だから傘も持たずに外に出て、数時間後程に台風にでも直撃したようなものであろう。今の事態がク・ルームにも想定出来てない事態、これは良い。
問題は、誰の目から見ても明らかなこの異常事態を、NPCの誰もが認識出来ていないと言う事であった。
今も逃げ続けているNPC達は、この場から急いで退散しようとしている者と、退散しながらもバージルとク・ルームの戦闘に目を奪われ、
思うように動けない者に二極化されている。その全員が、現れた謎の怪物に目も向けない。そう、『初めから見えていないか、そもそも気付いていない』かのように。

 現れた怪物の一体が、身体を屈ませ、バージルの方に飛び掛かって来た。怪物の頭に、「皆の仇ッ!!」、と言う文字が流れているのを、二人は見逃さなかった。
その怪物はク・ルームの方に向かって来ており、ただの一回のジャンプで、二十m程も離れていた彼の下まで一瞬で到達。
すると、頭に比して短いと思われていた怪物の腕が、突如長さを増させ、それを以てク・ルームの方に殴打を行い始めたのだ。
それを彼は身体を最低限半身にすると言う動作で回避する。怪物の一撃で、地面に半径五m程の浅いクレーターが生じる。
威力は十分だが、如何せん前動作が大ぶり過ぎる。バージルの攻撃に比べれば見切りやすいし、何よりも遅い、欠伸が出る程だ。簡単に回避出来る。
避けた瞬間、ク・ルームはこれらが敵であると判断したらしい。手に持った大剣を超高速で振るい、攻撃して来た怪物の身体を十字に割断する。
現れた怪物達の頭に、「未央!!」、とか、「未央ちゃん!!」、と言う文字が流れた。意味する所は、解らない。

 そして、これを契機に一斉に怪物達が飛び掛かって来た。
先の一体を倒したク・ルームの方だけでなく、バージルの方にも飛び掛かって来る。
無論、それを黙って傍観するバージルではない。空間をも切断する神速の居合・次元斬を以って、迫りくる五体の怪物を一瞬で百数十に分割して即死させた。
怪物は戦闘が続行不可能の状態になると、死体も煙も残さずこの世から消滅してしまうらしい。好都合である、これだけ大きな図体の死体が残りっぱなしでは、後で戦う際の邪魔になるのだから。

 先に戦ったクリストファー・ヴァルゼライドや、大悪魔のランサーに比べて、信じられない程手応えの無い相手。
そう思いながらバージルは、次々と現れる、見かけ倒しの怪物達を、斬り殺して行くのであった。彼らの正体は、全く理解していない。