1

 前方にだれかの背中が見える。柊はその人の名前を呼ぼうとした。しかし、その人の名前が思い出せない。
何か声をかけなきゃ。そう思ったが声が全く出ない。体を動かそうとしてもピクリともしない。気がついてくれ、柊はそう強く思った。
その願いが通じたのだろうか、その人がゆっくりと柊の方を振り返った。その瞬間柊は恐怖に陥った。
―――顔がない
柊は逃げ出そうとした。なのに体は1mmたりとも動こうとしない。
顔のないその人がゆっくりとこちらに近づいてくる。だんだん柊との距離が縮まってくる。
本来あるべきものがない真っ白で平たい顔に柊は吐き気と眩暈を覚えた。
そして、柊の前にピタリと止まると、その顔が上下に裂けた。赤くどす黒い裂け目が動き出す。
「思い出せ、思い出せ、思い出せ、おもいだせ、おもいだせ、オモイダセ、オモイダセ、オモイダセ、オモイダセオモイダセオモイダセオモイダセ……」
柊は逃げることも、その人が誰かも思い出すことが出来ない。声にならない悲鳴を上げながら柊はその裂け目に飲み込まれていった。


2

「柊さん、朝ですよー。朝ごはんが出来たのでそろそろ起きてくださーい」
よく澄んだ声が下の方から響く。その声で柊は目を覚ました。
先日の出来事で体がまだ痛むが、柊はベッドから起き上がった。背中が汗でびっしょりと濡れている。
ここ数日毎日見ている悪夢にうなされていたのだろう。
柊は汗で濡れたパジャマを脱ぎ、用意されている新しい服に着替えた。
全く重さを感じさせずに、肌の周りにまとわりついているこの服が柊は違和感があって好きじゃない。それを言うとルーティアに変わったことを言うねと笑われてしまうけど。
ルーティアはこの家の住民でさっき柊を起こしてくれた女の子だ。本名はルーティア・ルインリリス・ルナ。「普段はルーティアって呼んでね」と言っていたので柊はそう呼ぶことにした。
柊が寝室から出ると吹き抜けになっている一階がよく見える。テーブルにはすでに色とりどりの料理が用意されていた。
美味しそうな匂いが鼻孔をつき、食欲を刺激する。家の上から入ってきている光が、一階全体を照らしているようだ。
塔のように上のほうが細くなっているこの家は、1階、2階、3階と段々小さくなっている。2階と3階には円状の廊下があり、そこから各部屋に入るドアが並んでいる。3階は部屋というより外のテラスだが。
柊は2階の円形になっている通路を移動し、一枚の浮遊している板に乗ると、ゆっくりと一階まで下降した。
それに気がついたのかルーティアが、ぱたぱたとこちらの方に走ってきた。それにつられて金色の眩しい髪がふわふわと揺れる。顔は綺麗に整っていて可愛らしい。華奢で色白で少し幼い感じがあるルーティアは美人というよりは美少女だ。
「大丈夫ですか?昨晩も何か悪い夢にうなされているようでしたが……」
心配そうな顔でルーティアがのぞき込んでくる。顔の距離が近くて少しドキドキする。
「だ、大丈夫だから。たぶん怪我で体が痛かっただけだと思う」
「そうですか……何か相談に乗れることがあったら、いつでも言ってくださいね」
そう言うと、ルーティアは冷めないうちに食べましょう。と椅子に座った。
 食事が終盤に差し掛かったころ、柊はルーティアに話を切り出した。
「ルーティアのおかげで体もしっかり動くようになったし、これ以上迷惑もかけられない。そろそろ旅に出ようと思うんだ。」
そう、柊には5日前からの記憶しかない。気がついたら森で倒れていて、なぜそうなったのかが全くわからない。その代わりこの5日間のことは明確に覚えている

―――5日前

柔らかく、ひんやりとした感触を背中全体に感じ、柊はぼんやりと目を覚ました。
空いっぱいの若い緑。そこからこぼれるかすかな光が柊の目覚めを祝福しているようだ。
音が聞こえる。小鳥のさえずり、川のせせらぎ、葉っぱどうしがこすれて聞こえる緑のざわめき。
ゆっくり深呼吸をする。澄んだ空気、そしてなんともいえない自然の香りが体いっぱいに入り込んできた。
緑を受けた風がとても心地よく涼しい。
ずっとここにいたい。そう思った。きっとここにいれば何も起きず、ゆっくりと時間が過ぎていくのを眺めていられるだろう。この場所は何もかも受け入れてくれている気がした。
そして、ふと疑問がわいた。ここはどこだろう、なぜ自分はここにいるのだろう。それは考えてはいけない気がした。考えたら、この静寂が崩れる。そう思った。
それでも柊はまだ完全に目覚めていない頭で必死に考えた。しかし何も思い出せない。
徐々に感覚が蘇ってくる。それと同時に全身に鈍い痛みが走った。
「!?」
頭が重くてクラクラする。足や手が軋むように痛い。体中に擦り傷や内出血が出来ているようだ。




ショートストーリー


天才な俺は異世界でもその天才ぶりを発揮するようです。


どうやら俺は異世界に来てしまったようだ。訳が分からない。とりあえず今日は遅いから家に帰って、明日からどうするか考えよう……。俺はそう思って立ち上がった。
「――家の場所がどこだか分からないぃぃぃ!!!!!」
一回落ち着かなければ。しゃがみこみながら俺は考える。
そうだ、スマホのGPSで確かめれば、俺はポケットを探る。あれ、どこに入れたっけ。最悪の事態が脳裏によぎった。
「……スマホがない。」
思い出した。家の充電器に差しっぱなしだったんだ。一回家にとりに行かなければ。そう思って俺はもう一度立ち上がった。
「だから、家はどこだぁぁぁぁ!!!」
俺は、空高くに浮かんでいる立方体の上で叫んだ。
ふう、一回落ち着こう……。まず、どうやってここから降りるかだ。
落ちたら間違いなく死ぬ。そしてこんなところに助けはこないはず。
残った手段は一つ。自分から助けを呼ぶことだ。
この冷静な判断をわずか0.1秒で下した天才の俺は、連絡を取るためにスマホをとりだそうとした。

「だから、スマホがないんだよぉぉぉぉぉぉ!!!!」

落ち着け、落ち着くんだ。こんな場所でもずっといたら何かが起こるはず。
ほら、なんだっけあのことわざ。石が?石にも??そして俺はピピッときた。
『石の上にも残念!』
アレ、全然ダメじゃないか……(お前みたいなやつとハサミは使いようって言うからな と友人に言われて、俺はハサミみたいに切れ者なのか。よし、総理大臣になろう。と勘違いしたのはまた別のお話)
気を取り直して俺は考える。そして、超天才の俺は思いついた。
ここにずっといれば、「空中浮遊している物体の上に住み続けた」というノーベルギネス賞がもらえることに。(彼の頭に餓死という発想はないようだ)
そうと決まれば、明日から家具やゲーム機などをそろえなければ。俺はこれからのわくわくする生活を考えながら眠りについた。

しかし、彼は知らなかった。彼の寝相は世界トップクラスということを。夢の中に落ちていくと同時に、彼の体は自由落下した。

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最終更新:2016年05月05日 17:38