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ここでは田代まさしについて説明をしています。
【田代まさし】(たしろ まさし)
概要:
1956年8月31日うまれ・A型
元アーティスト・タレント・Vシネマ監督
度重なる不祥事・逮捕により、事実上の芸能界引退となっている。
鈴木雅之・桑野信義らと『
シャネルズ』(後に『ラッツ&スター』に改名)としてデビュー。
ザ・ドリフターズの
志村けんに桑野信義と共にお笑いのセンスを見出され、ラッツ&スター活動休止後に桑野信義と共にお笑いタレントに転身。
その独自のお笑いセンスから「ダジャレの帝王」、「ギャグの王様」、「小道具の天才」と呼ばれ、レギュラー番組を何本も持ち、大企業のテレビCMに何本も出演するなど人気を博した。
2008年現在、彼の姿を地上波で見ることはほぼ不可能となっているが、唯一、CSファミリー劇場の「志村けんのだいじょうぶだぁ」(再放送)において、(本放送当時のオリジナルを尊重するということで)彼の勇姿をノーカットで堪能できる。ファミ劇だけはガチ。
1回目の逮捕
2000年9月24日に東急東横線都立大学駅構内において帽子、サングラス、マスクという姿で女性の下着を盗撮しようとして逮捕。
2回目の逮捕
2001年12月9日、田代は近所の男性宅風呂を覗いたとして軽犯罪法違反容疑で現行犯逮捕された。さらに自宅から覚醒剤が発見された。
3回目の逮捕
2004年6月17日に青梅街道の「転回禁止」の場所でUターンした後、オートバイに乗った男子学生に衝突する人身事故を起こして逮捕される。
この時、怪我をした男子学生を救助しないで、車の中でぼーっとしていたことに批判が殺到した。
4回目の逮捕
2004年9月20日夜に再び覚醒剤及び刃渡り8cmのバタフライナイフを所持していたとして銃刀法違反と覚せい剤取締法違反の現行犯で逮捕。
以後、栃木県の黒羽刑務所にて服役していたが、刑期の3年6カ月から未決拘留日数を引き、2008年6月26日午前8時半に満期出所した。
2008年7月16日には、阿佐ヶ谷ロフトにて雑誌『
創』主催のトークイベントが行われ、赤のアロハとハンチング帽にサングラス姿で、田代まさし本人が登場した。
イベントでは覚せい剤断絶を誓っていたものの、終始ろれつが回っておらず、また時折手の震えを見せるなど、生き生きと活躍していた頃の彼の面影は感じられなかった。
2008年10月、まさかの公式サイトとブログ開設で、誰もが目を疑った。さらに2009年3月より、動画共有サイトzoomeにて、独自番組「田代まさしのお久しブリーフ」の動画配信を開始。
一時はもう二度と彼の姿を見ることはできないとさえ思われていたが、トークイベントの頃とは比にならないほどろれつも良くなって活き活きとしており、かなり元気を取り戻した姿を見せた。
2009年4月1日20時から、ニコニコ生放送に出演し、ひろゆきと対談。
生放送では視聴者からメールを募集したが、雑談や告知がほとんどで、読まれることは少なかった。
この生放送では田代本人が「タシロスと田代砲を見たことがある。」と発言。また、「その時はチクショーと思っていた。」などと話していた。一方で、「忘れずに思ってくれてるんだな。」と感謝もしているという。
また、この放送の市場欄には、田代まさしの着ボイス、待受が紹介された。
「しっかりと更生している。」とトークショーやネット番組、ブログでも活動して順調に復帰の道を歩み・・・
清水健太郎氏が再逮捕された時にも「僕は全然大丈夫で〜す(^0^)/ 」とコメントをしていたが。。。。。
5回目の逮捕
2010年9月16日午前2時10分頃、職務質問された田代がコカインを所持していたので逮捕された。
今回は、一緒にいた女性 荒井千恵子(50)も覚醒剤を所持していた。
[[田代まさし公式twitter>https://twitter.com/TashiroMarcy]]
最終更新:2010年09月18日 00:10