無題 2011 > 12 > 06(火) (うДT)

 藤堂がこの世界に飛ばされてから数日が経った。

 その間何か変わったことがあったかといえば、実はそんなことはない。相変わらず元の世界に返る手がかりは見つかっていないし、かといってこの世界の沙樹の日課がないがしろにされていたわけでもない。日中は学校に行き、放課後は生徒会の仕事が無ければ家に帰り、いつものお稽古に励む。宗像は揚羽にそれとなく話を聞いてくれたらしいのだが、目立った成果は上がらず、ただただ彼女が藤堂のスケジュールを事細かに把握していたことがわかったくらいのものだった。

 これでいいのだろうかと思うことばかりであったが、出来ることが何もないのだから仕方がない。何も出来ないならただ、日々必要とされることをこなしていくばかりだ。しかしその必要とされるものの中に、決定的な欠損があることだけは相変わらず頭を離れることはなかった。

 しかし、それまでと全く変化が無かったかといえば、そういうわけでもない。

「ひとりか?飯食いに行こうぜ」

 あからさまに視線が集まることはないが、それでも昼休みのチャイムが鳴って緩んでいたはずのクラス中の注意が、その声の主に集まるのが気配でわかる。

 あの夜以来、聖は昼休みになるとこうして藤堂の元へ訪ねて来ることが多くなった。しかしながら、彼女が元々実に注目されやすい人物であることもあるが、その聖と恐らく最も関係の悪いであろう生徒会の長が仲良く歩こうものなら尚のこと周囲の関心を惹くことになるだろう。現にこうして聖が訪ねてくると教室の外にアイドルの出待ちよろしく人だかりが出来ていたりすることさえあった。もっとも、それも聖の一睨みで追い散らされて二度と彼らが集まってくることはなかったのだが。

「お姉さま!今日はお弁当を・・・あら?」

 おさげを揺らしながら走ってきた揚羽は、藤堂の傍らに立つ聖の姿を見て身を硬くするのだった。





 ニヤニヤしながらついてこようとした宗像を教室に押し返し、聖に伴われて校庭に出る。空は晴れており、心地の良い陽気に誘われて出て来た生徒達が植え込みの縁に腰掛け談笑していた。そして植え込みの先、芝生の上に座ってこちらに手を振る者達がいた。

「おーい、こっちこっち!」

 こちらに向かって声を上げている気の強そうな女生徒に応えてそちらへ向かう聖について行くと、そこには女生徒を含めて三人の生徒が車座に腰掛けて思い思いに昼食の弁当を広げていた。

「すっごい、ほんとに連れて来ちゃった・・・」
「マジかお・・・」
「おいおい・・・」

 驚きと落胆の入り混じった何ともいえない表情で口々に呟く三人を、聖は得意げに見下ろしてこう言う。

「な?俺の言った通りだろ?じゃあ約束通り賭け金よこせや」
「仕方ないわね・・・」
「わ、わかったお」
「ちくしょう来週デートなのに・・・」

 聖は三人から一枚ずつ千円札をむしりとって懐に収めると、藤堂を手招きした。

「・・・これはどういうことなんだ?」
「ん? おお、俺がこの場にお前を連れて来てやるって言ったらこいつらが疑いやがるからよ。だったら賭けてみるかっつったらこの通りよ。ありがとな! 沙樹」
「・・・」

 図々しさに嘆息しながら、聖の勧めにしたがって芝生の上に腰を下ろす。両隣にはそれぞれ聖と、聖の友人の女生徒がいる。

「あ、私、こいつの友達でツンと言います。このバカがお世話になったみたいで」
「ぅおおい!? それじゃあ俺が一方的に世話になってるみてぇじゃねぇか!?」
「あら、大して違わないでしょ。むしろ生徒会になんか迷惑以外かけてないじゃないの」
「ざっけんな、そんなことねぇよ!!なぁ沙樹、お前からもなんとか言ってやってくれよ!」
「まあ確かにあなたは頭痛の種でもある」
「おおおいっ!?」
「だが、彼女に助けられた事も多々ある。改めて、藤堂沙樹だ。あなたたちとお近付きになれて嬉しい」
「あ、いや、そんな・・・」

 藤堂が頭を下げると、何故か場が萎縮したようなムードになる。何か悪いことを言ってしまったのだろうか。

 その後もとりあえずの自己紹介が続く。最初に自己紹介してくれた、綺麗だがキツそうな印象の女性とがツン、優しそうだがどこか頼りなさげな男が内藤、それから沙樹とは一番遠い位置に座っている不気味な、しかしどこか迫力に欠ける空気を纏った男がドクオと言うらしい。そして一回りすると、今度はさっきから沙樹の右腕にしがみついてその隣に座る聖に険悪な視線を送っている人物にお鉢が回る。

「な、なあ沙樹・・・なんで俺がこんなに睨まれるのか全く見当がつかないんだが」
「当たり前です! あなたは生徒会の最重要注意人物ですから!私がこの場にいるのはあなたの魔の手から会長をお守りするためです! ・・・改めて自己紹介させていただきます。わたくし、生徒会書記一年の安芸野揚羽と申します。本日はこのような昼食会にお招き頂いて光栄に思っております」

 お下げ髪を揺らしながら、メガネをクイッと上げて鼻を鳴らさんばかりにツンケンした態度でそう言い放つのは、今彼女が言った通りの名目でついてきた揚羽である。宗像なら気楽に追い返せるが、なんとなく彼女のことはむげに扱えないので藤堂もこの場への同行を許していた。

「それと相良さん。ひとつ申し上げてよろしいですか?」
「な、なんだよ」

 突然名指しされて流石の聖も面食らう。

「先ほどからあなたが会長をお呼びする様子を見ておりましたが、あまり気安くファーストネームでお呼びするのは感心できませんよ!」
「それは、だって・・・沙樹がいいって言ったから・・・」
「揚羽。聖の言っていることは本当だ。だから、大目に見てやってくれ」
「はいっ!!お姉さまがそうおっしゃるなら!!」

 明らかに変わる揚羽の態度に、その場には妙な空気が流れるが、当の揚羽はそんなものどこ吹く風といった様子で藤堂の腕にしがみつき、期待に満ちた目で藤堂の次の言葉を待っているように見えた。聖はと言うと、その様子を何とも不服そうな顔で見ていた。しかし強く言えない所を見ると、多分揚羽は聖の苦手なタイプなのだろう。・・・実を言うと藤堂にとってもこの揚羽は、少々理解の範疇を越える部分のある人物ではあるのだが。

「沙樹先輩はいつも手作り弁当なのかお?」

 とりあえず場の空気が元に戻って、皆が弁当を広げ始めると、沙樹の弁当を見て内藤がそう声をかけてきた。

「ああ。購買部を使うことも考えたんだが、栄養が偏りそうでな」
「なんか、すっごい豪華ですね。親御さんが作ってくれるんですか?」

 横から覗き込みながらツンが感嘆の声を漏らした。

「いや、そういうこともあるが今日は自分で作ってきたものだよ。それに、豪華に見えるのはもらい物の弁当箱を使っているからで、実際凝ったものは入っていないよ」
「それでも凄いですよ!自分で作れて、栄養管理も出来るなんて。・・・それに比べてあんたは」
「な、なんだよ」

 話を振られた聖の手には調理パン。それでも、ラインナップが焼きそばパンやカレーパンなど購買部では売れ筋の商品であるあたり、人ごみを掻き分けて(というよりなぎ倒して)目的のものを手に入れる彼女の実力が窺えるのだが。

「フン!栄養管理なんてのはなあ、俺レベルになると意識しなくたって適当に走りこんでりゃあ後は身体ん中だけでナントカできるものなんだよ!その証拠に見ろやこのプロポーション!」

 そう言いながら腰を上げて仁王立ちでポーズをとる聖。程よく引き締まり、ほっそりした身体の中で腰は綺麗にくびれ、胸から尻への美しいラインを形作っていた。男なら・・・いや、女でも見とれるプロポーションだった。

「・・・あんたなんか前より太ってない?」
「え?そ、そんなわけ・・・」
「ほらここ。腰の辺りの肉付きが良くなってるっていうか(むにっ」
「うぁほっ!?おま、変なトコ触んなよ!?」

 いきなり腰の肉をつままれて聖が妙な声で悶える。その様子にツンはなんとも意地の悪い笑みを浮かべている。

「いいじゃない脂肪は揉むと消費されやすくなるって言うし」
「わひゃっ!?ちょっ・・・やめっ・・・やめろ! お、お前が、そういうつもりならこっちも・・・うひ!?ってお前・・・沙樹!?なんでお前まで触ってんだよ!?」

 ツンに気をとられていた聖は、別の方向から突然触ってきた藤堂にまたしても不意を突かれて奇妙な悲鳴を上げてしまう。

「このくらい柔らかい脂肪なら、あなたの場合少し頑張ればすぐ落とせると思うぞ。まず食生活は野菜中心にして」
「なんだよ!?お前まで俺を・・・くそ・・・!!・・・ってやめろ!まず触るのやめろ!揉むな!うひ!」
「その点俺はツンがきちんと考えて作ってきてくれるから栄養管理にぬかりは無いお」

 内藤がホクホクした顔でそう言うと、ツンの顔が一瞬にして火を噴いたように真っ赤になる。内藤が手にした大きな弁当はどうやらこのツンが用意しているものらしい。自分だけならまだしも、他人でしかも異性の栄養バランスまで考えて弁当を自作できるツンの腕前に藤堂は素直に感銘を受けたが、相良はどうやら違うものを受け取ったらしいことはその鬼の首取ったりとでも言わんばかりの笑顔が証明していた。

「ちょ、ちょっとバカ・・・何言ってるのよ!」
「いつもおいしい弁当ありがとうお、ツン」
「や、やめなさいよ・・・」
「お、なんだよ惚気かよ憎いねえ」
「もう知らないっ!」

 すっかり形勢逆転されてしまったツンは、真っ赤な顔を両手で覆いながら背中を向けてしまった。それをしつこくつつく聖はともかく、藤堂はふと、背後から自分の腹部を熱心に撫でる両手に気付いた。

「・・・あ、揚羽・・・何をしているんだ?」
「流石です!お姉さま!無駄なお肉が全くついておりません!」

 悪びれる様子も無く、むしろ感動に満ちた目で見つめながらそう言い放つ揚羽であった。

 ちなみに、経口避妊薬の副作用のひとつとして体重の微増を挙げる説も存在する事をここに付け加えておく。





「お前、男とかはいねーのか?」

 焼きそばパンをもしゃもしゃ咀嚼しながら聖が聞く。その言葉に藤堂がむせる。

「げほっ!げほっ!なにを・・・急に・・・」
「お前からそういうの聞いたことないからよ。どうなんだ? つーか大丈夫か?」
「だ・・・大丈夫だが・・・」

 気管に入りかけた米粒を必死に咳き込んで追い出しながら、藤堂は非常に困惑していた。

 自分の記憶に基づいて言うなら、聖の言う「男」は自分にはいないということになる。しかし、それはこの世界の沙樹に当てはまることではない。なぜなら、この世界の沙樹の「男」が、本人の言を信じるなら宗像であるからだ。だから聖の質問に対して答えるなら「いる」というのが本当のところなのだろうが、その回答を自分の記憶とプライドが邪魔している。自分に「男」がいるなどということが、まず受け入れがたいことだった。しかし・・・。

「・・・いる・・・」

 嘘をつくことをこそプライドが許さなかった。しかし、そう口にした瞬間先ほどまでとは比べ物にならない羞恥が自分の頬を染めるのを感じて、顔を上げていられなくなった。

「ん? なんだ赤くなってんのか? へへへ」
「そんな・・・お姉さま・・・!!」
「本当に? 誰なんですか?」

 藤堂の反応を見て明らかに楽しげになる聖と、それとは対照的にその目に涙さえ浮かべ、驚愕の表情で両手で口元を覆う揚羽。そして身を乗り出して聞きに来るツン。ホクホク弁当を頬張っている内藤。微妙な顔のドクオ。

「そうだよ、どこの誰なんだ? その幸運なヤツ。紹介しろよ。へへへへ」
「そ・・・それは・・・」
「嘘です!お姉さまは私と姉妹の誓約をしたんです!それを裏切ることなんてありません!」

 ニヤニヤしながら迫って来ていた聖を押しのけて、揚羽が体当たりせんばかりに藤堂の胸に抱きついてくる。姉妹の誓約・・・なんてしただろうか・・・藤堂には思い出せないが、恐らく揚羽に対して「お姉さま」と呼ぶことを許したことが彼女の中でそのように解釈されているのだろう。そしてその後ろから、気にした様子もなくにじり寄ってくる聖。

「へっへっへ、いつからなんだ? もうやることやってるんだろ?」
「しゅ、週何回くらいするんですか・・・?」
「いやぁー!! 聞きたくない!!」

 にじり寄る聖に、何故か便乗してきたツン。耳を塞ぎながら藤堂の膝の上からどこうとはしない揚羽。揚羽がどかないせいで藤堂は逃げたくても逃げられなかった。

「あ、あの・・・し・・・してない・・・」
「あぁん? なんだって?」
「ま・・・まだ・・・してない・・・」

 いや、実を言うとそんな確証は無い。この身体の持ち主たる沙樹の記憶から、宗像と恋人として過ごしたという記憶だけが欠落しているためである。しかし、その記憶が無い以上、せめてその経験は無いのだと解釈したい。いや、もしかしたら宗像と恋人同士だということ自体が宗像得意の出まかせかもしれない。だとしたら、先ほど認めてしまって損をした。

「え、じゃあお前、処女か?」

 はっきり言われて顔から火が出たような気がした。あまりの羞恥に今度は意識が朦朧としてくる。

「あ、ある意味すごいですね。このご時勢、恋人がいてそれだなんて」
「当たり前です! お姉さまはあなた達と違っていかがわしいことはしないんです!」

 引きつった気まずげな笑みを浮かべながらどう考えても微妙なフォローを入れるツンと、何故か胸を張って大見得を切った揚羽。

「じゃあ、キ、キスくらいは行ってんだろ? なぁ」
「いやあああああああああああやめてえええええええええええええええ!!!!!」

 聖の言葉に、またしても悲鳴を上げながら藤堂の胸にぶつかってくる揚羽。ほとんど気絶しかけていた藤堂は、その勢いに押され、抱きついている揚羽と共に後ろに向かって倒れてしまう。青空がやけにまぶしかった。

「なあ、キスはどうなんだよキスはなあ」
「ちょ、ちょっと聖、それくらいにしときなさいよ」
「いやあああああああああああああああああああああああ」

 仰向けに倒れて赤い顔に虚ろな目で天を仰ぐ藤堂に、尚も追い討ちをかける聖。流石に止めに入ろうとするツンと、藤堂に覆いかぶさったまま泣き叫ぶ揚羽。

「わ・・・わからない・・・」
「あー? なんだって?」
「やめてええええええええええええええええええええええええええええ」
「・・・わからないんだ!!」

 叫んでしまってからはっと気が付いたが、時既に遅し。三人どころか、後ろの男子二人までがぽかんとして藤堂を見つめていた。どうしていいのかわからなかったが、言ってしまったものは仕方がない。もう腹をくくるしかないのだと思い、藤堂は起き上がって、うつむいたままぽつりぽつりと話し始めた。





「・・・よくわかんねーんだが、つまり記憶がないって事か?」

 藤堂の話を一通り聞いた後、聖は首をひねりながらそう尋ねた。

「・・・少し違うかもしれない。でも・・・ここにいる私は、それまでここにいた私とは違う人間だと思うんだ」

 宗像に対してした程正直に全ての事情を明かすことが出来たわけではない。ただ、この学校やこの町での生活に関する記憶があいまいで欠落した部分も多いこと、それから自分の中に別の自分の記憶があることを伝えた。それに加えて、宗像があの日挙げてくれた意見も。

「パラレルワールド・・・」
「信じがたい話だお・・・」
「想像つかんな」

 ツンも内藤もドクオも藤堂の話を判断しかねているようだったが、半信半疑という点では一致しているように見えた。それも当然だった。勢いとは言え、藤堂はこんな話をしてしまったことを悔やんだ。なにせ、最近では藤堂自身もこの話に若干半信半疑になっていた。この記憶は、自分が無意識に夢見ていたことが何かの拍子に元々の記憶に取って代わったのではないか。この記憶は全て妄想で、本当は自分は藤堂魁ではなくこの世界の藤堂沙樹だったのではないかと。

「・・・信じる」

 藤堂が顔を上げて聖を見ると、彼女はもう一度「信じる」と言った。

「聖、本気で言ってるの?」
「うん。信じる」

 ツンが問いかけても、聖は意見を曲げないようだった。その目には迷いも無いように見えた。

「・・・いいんだ、聖。私の一時の気の迷いかも知れないし・・・」
「うるせぇな。信じるものは信じるっつってんだよ」

 たまらなくなって藤堂が言っても、聖はむしろ頑として聞き入れなかった。

「俺が本当だと思うことは本当なんだよ。証拠は俺の心だ! 文句があるなら言ってみろ!」

 立ち上がってそう言い放った聖に、もはや誰も言い返すものはなかった。いや、次の瞬間に立ち上がる者がいた。

「だ、だったら私も信じます! お姉さまは嘘なんて言いませんから。でも勘違いしないでください。相良さんのことは信じてませんから」
「な、なんだとてめー」
「揚羽・・・」

 ぷいっとそっぽを向いた揚羽に聖が掴みかかりそうになるが、すかさず止めに入ったツンに宥められてなんとか思いとどまる。

「そこまで言われたらあたしも信用しないとね。でも何が出来るかしら」
「俺も信じるお」
「・・・;」

 ・・・なんだろう。すごく、うれしい。

 ふと、腕に揚羽がしがみついて来るのに気付いた。彼女も、自分を信じると言ってくれた。藤堂はそのことが素直にうれしかった。この気の良い連中に、何か返すことは出来ないだろうか。無意識に揚羽の頭を撫でると、彼女は一瞬驚いた顔をして頬を赤らめたが、その後顔をこちらに真っ直ぐ向け、何かを待つように目を閉じた。

 ・・・・・・・・・・・・・。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?

 ・・・・・・・この娘はやっぱり、何かがおかしい・・・・・・・。

「お前の意見に異論は無いが相良、藤堂先輩のために何かするあてはあるのか?」

 ドクオがそう切り出す。

「なもん、あるわけねーよ」

 しれっとそう返す聖に、一同は腰からずるっと転げた。

「じゃ、じゃあどうするんだお。信じただけじゃ助けにはならないお」
「無いモンは無いんだよ。これから考えればいいじゃねーか」
「うーむ・・・じゃあこういうのはどうだ?」

 提案するドクオに、一同の視線が集まる。彼は満足げににやりと不遜な笑みを浮かべると、おもむろに口を開く。

「ここに飛ばされてきた理由が藤堂先輩の悩みだとしたら、その悩みをこの世界で解消してみればいい」
「私の悩んでいたこと・・・」

 これに近い案は宗像から既に出ていた。もうひとつ言うと、藤堂の迷いの多くはあの夜、聖の言葉で吹っ切れてしまったと思う。つまり出来る事はもう無い。

「藤堂先輩は記憶がところどころ欠落していると言ったよな? だったら鍵は、その欠落した部分にあるかも知れんぞ」
「そうか・・・!」

 そうだ。

 今の今まですっかり忘れていたが、ここに飛ばされた理由はこの世界の沙樹にある可能性もあったのだ。ならば、どの記憶を呼び覚ますことから始めればいいだろうか。いや、その前にどうすれば記憶を呼び覚ませるだろうか?

「もしかして、恋人に関する記憶かな」

 そう言ったのはツン。

「他の記憶はまだら状にだけど残っているのに、恋人に関する記憶だけ全く消えてるのはおかしいわよね。だったらそこに、鍵が隠されてるんじゃないかしら」
「流石ツン。冴えてるんだお」
「ばっ、ばか!こんなの、当たり前じゃない!」

 内藤の言葉に顔を真っ赤にするツン。彼女も実はわかりやすい性格なのかもしれない。

「ふーんそっか」

 相槌を打ちながら特に要領をつかめている様子は無い相良。

「でしたら、その記憶の手がかりはやっぱりお姉さまの恋人がいやああああああああああああああああ!!!!!」
「い、いきなり大声出すんじゃねえよ!」

 揚羽は自分の言葉に悲鳴を上げた。

 恋人・・・本人の言に従うなら、鍵を握るのはあの宗像巌ということになる。

「宗像が・・・」

 藤堂は無意識にそう口にしていたが、五人の視線が自分に集中していることに気付いてはっとする。

「宗像?誰だそれ?」
「宗像さんって、生徒会選挙とかでよく推薦人やってる、あの大きな人ですか?」
「そんな・・・宗像先輩だったなんて・・・!!」
「あ、えと、うん・・・」

 返事をしながら両手で顔を覆っていた。凄く熱くなっている。こんなに恥ずかしい思いをしたのは初めてかもしれない。この中では一番自分が年上なのに、先輩の威厳も何もあったものじゃない。そんな藤堂の様子に気付いてか気付かずか、聖は残っていたパンを口の中に放り込んで豪快に飲み下すと、藤堂のほうへ身を乗り出した。それに気付いて警戒した揚羽が藤堂の腕にきつくしがみつく。

「デートだな」
「・・・え?」

 そう聞き返した藤堂の顔はさぞ間抜けだったろう。しかし聖はそんなことは意に介さず、続ける。

「だから、その宗像とデートすんだよ。ホラ、家帰ったとき、どこに財布置いたか忘れたりしたらまず玄関開けるとこから自分が帰ってきてからの行動をやり直してみんだろ? それと一緒だよ。お前ももう一回くらいデートしてみたら、なんかの拍子に思い出すかもしれねーじゃねーか」
「や、やだ!!」

 真っ赤な顔を空いた左手で押さえながら拒否する藤堂の、いつもの凛とした装いとあまりにかけ離れた狼狽ぶりに、一同はしばし呆気に取られる。しかし混乱している藤堂にそんなことを気にする余裕など無かった。むしろ、周囲のこの反応に気づく余裕すら無かった。藤堂の中の、絶対に他人に見せてはならない部分が顔を出しつつあった。

「い、いや、一緒に出かけるだけなんだぜ? 思い出すための作業な分けだから、キスだの何だの突っ込んだことは無理してする必要ないし」
「そ、そうよ。もちろん先輩が思い出せばその時点で終わりに出来るんですし」
「だめ!!!デートなんてどうしていいかわからない!!!」

 藤堂のあまりの恥じらいぶりに、からかい半分だった聖もついツンと一緒になって宥め役に回ってしまう。相変わらず腕にしがみついたままだった揚羽は何故か目をキラキラさせながら藤堂の頭を撫でていた。

「どうしていいもなにも、お前は男に任せとけばいいんだぜ? 女をエスコートできて初めて一人前の男って言うかよ」
「そ、そうですよ。宗像さんって頼りになりそうだし、よくわからなければリードしてもらえば」
「だめ!!出来ない!!絶対変なことする!!!」
(なんでそんなに聞き分けがねーんだよ・・・)

 これにはもはや流石の聖も手の施しようが無かった。真っ赤な顔を上げる事もできない藤堂の長い髪は、取り乱して首を振りたくったせいで乱れてしまっていた。そしてその乱れた髪を揚羽が恍惚とした表情をしながら手櫛ですいて整え直していた。しかし、そんなどん詰まりの状況に一石を投じる男がいた。

「だったら・・・もっと気安い相手で練習を積んでから本番のデートに臨めばいいんじゃないのかい?」

 傍らの大石に腰掛けながらキザな調子で言ったのはドクオだった。

「そ、それは一理あるけどでも・・・相手役はどうするの?」

 一応うなずきはしたものの、最大の疑問を呈するツン。そこで待っていましたと言わんばかりに不気味な笑みを浮かべるドクオ。その場の(藤堂以外の)誰もが固唾を呑んで答えを待つ。

「もちろんこのおr「俺だな!!」

 ドクオの言葉をさえぎって立ち上がり親指を立てて宣言した聖を、全員が呆然と見つめていた。

「この中で男の中の男といえばもちろんこの俺様だし、そもそも男慣れ自体出来てない沙樹が本当の男相手でまともな練習が出来るわけがない・・・そうだろ!?」
「「確かに・・・!!!」」

 ツンと内藤がユニゾンしながらうなずく。揚羽がしばらくの間呆気に取られていたが、すぐに我に返って立ち上がる。

「な、納得いきません!! 女の子相手で練習するなら、誰よりもお姉さまのことを熟知しているこの私のほうが適任だと思います!!!」

 息せき切って言い切る揚羽だったが、そんなものに負ける聖でもない。より不遜なポーズをとりながらこう言い放つ。

「ダメだ!お前には男らしさが決定的に欠けている!よってこの役は俺以外に出来ない!!」
「お、お姉さまのためなら身も心も男になって見せます!! そ、それに、練習の間に記憶を呼び覚ましちゃってもいいんですよね!? そうして、あわよくば、お姉さまを、宗像先輩の魔の手から・・・」
「なんならこの俺様と勝負してみるか!? 勝った方がこの役を勝ち取るというのはどうだ!!」
「望むところです・・・!!」
「あぁっ、ちょっとあんたたち授業は!? そろそろチャイム鳴るわよ!!」

 止めるツンの言葉もどこ吹く風、二人は盛んに言い合いながらいずこかへ走り去っていった。後には呆然とした三人が残された。

「・・・・・。あら? 藤堂先輩?」

 藤堂は座った姿勢のまま失神していた。





「オイオイ、俺のことを忘れてもらっちゃ困るぜ;;」

 キザなポーズで腰掛けたまま静かに涙するドクオなのであった。





【つづく。】

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最終更新:2011年12月08日 07:04
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